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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

どうして続けて録画時間切れ?? 南洋踊り(3)

2007年07月29日 | 硫黄島・小笠原村
94年の硫黄島訪問で寄った父島での、歓迎式典、パーティーは本当に豪勢に開催していただきました。夕方から夜にかけてでした。10数年後にあらためてお礼も変ですが、本当にありがとうございました。

料理もたっぷり、出していただきました。特に、「亀とたまねぎの煮込み」は、
亀料理は初めてでしたが、亀肉のゼラチン質と亀からの脂がたまねぎに滲みていて絶品でした。

お酒もかなり入って、宴たけなわの頃に
ステージ上でその、衝撃的な「南洋踊り」が始まりました。

歌と演奏、踊りは地元の学校の生徒が踊ってくれたと
記憶しています。

「このメロディーは何だ!この歌詞も??」という
衝撃の体験でした。

メロディーは、ゆったりとWetな親しみやすい長調の
音階です。コード(和音)進行は単純な繰り返しです。

「使われている音階、和音が、沖縄民謡とも明らかに違う。
ハワイアンでもない。どこの音楽?
ポリネシアとかミクロネシアとかを連想させるが分からない。
父島固有の音楽なの?」と 不思議でした。

(今回の父島で購入のCDの解説で、パラオやサイパンの
影響だと、知りました。)

心地よさと不思議に惹きつけられるのは、
独特なメロディー以外に、
歌詞の分からなさも影響しているようでした。
(何語でもない歌詞で歌われる、歌ですから。)

加えて、カカ(という楽器だと後に知りましたが)の
奏でる乾いた音色のリズム。

飲んだり食べたりをやめて、大急ぎで
ビデオカメラをステージに向けて録画を開始しました。
当時のビデオの媒体は、Hi-8でした。
1分ちょっとぐらいで、テープが終了!

バッグの荷物を、がさごそと探して、
次のテープ媒体のパッケージをはがして、
録画終了したテープを出して、新しいテープを
セット。「よし、録画再開できる!」と思った瞬間と、

すばらしい南洋踊りのパフォーマンスに対して
会場から大きな拍手が起きた音がしたのが同時でした。

「2分も録画できなかった、、。」と、悔しさで
呆然としても、後の祭りでした。

短い時間でしたが、録画できましたし、
耳にもメロディーは強く残りました。

その後、10年以上もの間、
「あの名曲は、どう発生したのだろう?
あの歌詞の 「イッヒヒ イッヒヒ」というのは
何語でどういう意味?」と、
頭から離れなくなった、瞬間でした。


写真は、「扇浦から湾内に要岩、大村、三日月山展望台方向が後ろに」
です。

あいにくの雨混じりの天気でしたが、
小笠原村役場の職員の方々がマイクロバス、車を出して下さっての
父島の観光スポット一周ツアーに連れて行ってくれました。

三号車まで出して下さってありがとうございました。
エコ、燃費追求の特別メーター付の3号車の助手席に
座らせていただき島一周をさせていただきました。
本当にありがとうございました。


小笠原村のホームページの観光スポット・ガイドのサイト。
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/sightseeing/info/fater/index.html
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どうして続けて録画時間切れ?? 南洋踊り(2)

2007年07月27日 | 硫黄島・小笠原村
この「南洋踊り」の話を進める前に、父島でCDを3枚購入した話を。

メインストリートのお土産屋さんで、「小笠原古謡集」を最初に買いました。
お土産を見ていると、店内に ずっと探していた例のメロディーの歌 が流れて
CDも置いてありましたので、
「この曲がはいっていますよね?」と、お店のご主人と会話を始めました。

私が、「この曲の歌詞は、何語なんですか?」と質問をすると、ご主人が、
「A語B、語、C語、」などと、5、6カ国後、適当な(?)実在外国語を並べたあとで、「要するに、何語か分かってないんですよ。」とお答え。
「分かってないと言われても、、言葉なんだから、何か手がかりは、ないのかな?」とも思いましたが、

10年以上前に、聞いた歌詞が、頭に残っていて、「こんな歌詞の言語は、ないだろう。 「ウェオウェオ、イッヒ、イッヒヒ、、、」だから。ポリネシア、ミクロネシアあたりの土着の言語だったら可能性があるかもしれない。」と、
私自身がそう思っていましたので、「何語だか分からない」という、お答えに
納得して、お店を出ました。

購入したCDの曲目解説にも「何語か特定できない。」という説明がされています。


お土産屋さんにあったCDは「沖縄古謡集」だけでしたが、

それより前に、村役場観光課(隣の部屋を私たち旧島民関係者の父島滞在中に使っていい部屋として提供していただいてました。)の職員の方に、

「CDを買いたいのでが?」と質問をして、「ここの前の観光協会http://www.ogasawaramura.com/kyoukai.html にありますよ。」と教えていただいていました。

Bシップ小笠原観光協会を訪ねてCDを2枚と、イルカなど島の動物のシール を発見して買いました。

そこで買ったCD2枚は
「Osamu Ishida(石田長生)さんの Boninの島(Bonin Island Songs)」

「Yuki Hiromi(由岐ひろみ)さんの ハカラメⅡ(HAKARAME Ⅱ) -私と小笠原と島唄と-」
です。


「丸木舟」「レモン林」といった、代表的な父島ソングは
購入した3枚のCDにともに入っています。
それぞれ歌声とアレンジに違いがありますが、
どれも味があります。それらの歌詞(日本語なので分かる)もとても興味深いです。
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どうして続けて録画時間切れ?? 南洋踊り(1)

2007年07月26日 | 硫黄島・小笠原村
「南洋踊り」との出会いは、13年前に初めての、おがさわら丸で父島経由で、硫黄島に行った時でした。

この話はその時の思い出、あの曲を耳にした衝撃、それからずっと、
ウラメ から始まるメロディーと何語だか不明の歌詞が
頭に残り続けて10年以上が経過、、。

今回、行きに寄った時にCD購入と、帰りに父島を発つ船に乗船の時には
生の踊りと演奏に、また出会うことができた感動!

話を始める前に、私たちの6月の硫黄島訪問のことを父島から報じてくださって、また、帰りにはすばらしい踊り、リズム、メロディーの南洋踊りで、送ってくださった、「エンジョイ!島ライフ」様 http://plaza.rakuten.co.jp/ladygray/diary/200706170000/
に、心からのお礼を申し上げます。

父島に寄らせていただいての硫黄島は2回目で前回から10年以上が経っていましたが、南洋踊りでのお見送り、本当にありがとうございました。

私が、最初に「南洋踊り」に出会ったのは、、、すっかり、あの曲に、打ちのめされるような衝撃を受けて、それからずっと、耳に残り続けたのですが、、、1994年の訪問の時に、行きに父島に寄らせていただいた時に、
盛大な歓迎会を 村役場前のお祭り広場(大神山公園)で開いていただいた時でした。本当に盛大に開いていただいた楽しい(美味しい、音楽踊りもすばらしい)パーティーでした。

写真は、行きに寄らせていただいた時にお土産屋さんで購入したCD RINC,LINKSさんの「小笠原古謡集」
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アナナ 甘さが自慢の果物

2007年07月22日 | 硫黄島・小笠原村
「甘さ(糖度)が最も高いくだものの一つである。」と聞きました。

昨年の9月に入間基地から自衛隊の輸送機で運んでいただき日帰りで硫黄島に行った時に、厚生館(「戦前の南であった場所」だそうです。ここに売店もあります。)で、主催の東京都が用意して下さったお弁当をいただきました。6月の船での参加の2日目も同じ部屋で、お弁当を出していただきました。(ゴミの分別を、かなり細かくします。島にゴミを置いていけないためです。)

昨年のお弁当の時に、(父島からご参加の方が持ってきて下さったのだとおもいます。)皆に、取り分けて、差し入れて下さったのが、写真のアナナです。
「この硫黄島にもあった、島に住んでいた人には懐かしいくだもの」と説明してくれながら、配っていただきました。ご馳走になりました。ありがとうございました。

「アナナ」はフランス語の「パイナップル」に由来するネーミングだそうです。

黒い種が写真でもご覧いただけると思いますが、柿の種を黒く細長くしたような大きさ色です。その種のまわりの、果汁たっぷりの白いワタのような部分をいただきます。「口にほおりこんで、黒い種を吐き出す。」という食べ方になります。

味は、他の、パパイア、マンゴー、バッション・フルーツ(食べる部位が種のまわりの果汁部分という点では共通)などと違って、酸味も独特な強めの香りも、ほとんど無いのです。

これまで食べた物の中で、一番、近い味のものを挙げろと言われれば、「あけび」。あの砂糖の甘みに近い甘さの味でした。癖がない甘いくだものでした。

祖母や、母は覚えていなくて、「この写真は亀か?」と、トンチンカンなことを
言っていました。

私の家にも、9月の集まりをご案内いただく、往復葉書が届きました。ご送付いただき、ありがとうございます。

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鎮魂の丘の謎(2) 今年の皆の集まりのお知らせ

2007年07月20日 | 硫黄島・小笠原村
いろいろな人に「なぜ、鎮魂の丘にだけお供物を置いてはいけないのか。」について、質問をしてまわった結果

「そういえばなぜだろう?最初から、そう言われていたように思う。」と、おっしゃっていた訪問ベテランの方々も納得の回答を、いただくことができました。

そのたどりつた回答とは、
「「鎮魂の丘」は、碑(メモリアル、モニュメント)ではあるが、戦争の犠牲になられたどなたの御霊も祀ってはいない。したがって、お供物をお供えする相手がいない。」という説明でした。

皆で納得し合えて良かったです。

小笠原村発行のパンフレットの解説には、
「昭和58年、日米すべての戦没者の慰霊のため、東京等により碑が設置され、このあたりの台地が鎮魂の丘と名づけられた。」とあります。
慰霊 英霊を慰める碑(モニュメント)ではありますが、英霊を祀るお墓ではない
 この差は微妙な差のようであり、決定的に大きな差なのだろう、と思いました。
同パンフレットに「井上靖氏が碑銘の選定を行っている。」と、あります。

この写真の碑の向かって右側にまわると、この丘からの摺鉢山を望むことができます。碑のまわりには、英霊の御霊には大きな意味を持つ水がきれいに張られていて、また、いつもきれいに整備していただいている花々がとてもきれいです。


本日実家に往復葉書で、9月の集まりのご案内が届いていました。ご案内の文章が
ホットでした。幹事の皆様、毎年、本当にありがとうございます。今年の集まりが盛大で楽しい会になるといいですね。旧島民関係者の皆様方とお会いできることを楽しみにしております。
これまで私を含めて欠席がちだった一族に「召集」をかけていますので、揃って今年は参加させていただきます。
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鎮魂の丘の謎(1)

2007年07月20日 | 硫黄島・小笠原村
他の碑と違って、どうして、「鎮魂の丘にはお供物は供えない」のか?
なかなか、奥が深いです。
帰りのおがさわら丸の中で、「どうして?」という疑問が話題になりました。硫黄島訪問歴が多いベテランの諸先輩方の間で議論されましたが、「そういえば、「お供え物は上げるな。」と鎮魂の丘ができた時から言われていたが、「そういうものなのか。」と思っていた。「理由はなぜ?」と考えたことがなかった。」ということに、、、。

旧島民墓地公園、天山慰霊碑、他にも多くの戦跡などに、お供物が供えられるのに、どうして、鎮魂の丘にだけは、供えられないのでしょうか?
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天山慰霊碑

2007年07月16日 | 硫黄島・小笠原村
「硫黄島戦没者の碑」という正式名称で、
昭和46年に国(今の厚生労働省)が建立したそうです。

遺骨収集されたご遺体が、
千鳥ヶ淵に収められるまでの間、この碑の横に仮安置されるされるのだそうです。

また、この写真の左側のお堂には、
戦没者名簿(部隊ごとに綴られて一冊になったものが、並べらて
収められた箱があり、硫黄島戦で犠牲になられた方々のお名前
が奉じらえれています。

写真は昨年の9月に行った時に撮影したものです。

この碑の形が特徴的なのは、お参りする碑を囲む外側の
石の屋根の真上が開けられていることです。

島で戦没なさった方々の多くは、薄暗くて熱い壕の中で、
水がない、日光がないことという極限の状況を
一番苦しまれて、亡くなっていかれました。
「日光と雨が降れば雨水も届くよ。」という構造で
英霊を慰霊するための構造デザインだそうです。

この碑にお参りをするのは三度目でしたが、
今回は帰りの船での先輩方との会話から、
「この天山慰霊碑の位置は、旧島民が天山と呼んでいた
丘の地名から、丘、一つ分ずれている。」ことを知りました。

また、この碑の右側には、手すりがありコンクリートで整備された階段
で下に降りられるようになっています。

「階段を下りると、天山壕の入り口です。」と教えていただきましたが、
「かなり遠いのだろう。」と最初は降りるのを渋ったのですが、
階段を下りてみるとすぐに、「天山壕」の入り口がありました。

この碑は、昔の島民の「天山」ではなくて、
天山壕の上ということで、この位置に建立されたらしいことが
分かりました。

これまでの硫黄島訪問で、壕がどうなっているのかが知りたいので
入れる壕
(時間と危険かどうか、くぐれる高さがあるか等の制約が
あり入れない壕も多くありますし、
入り口を覗いてあきらめた壕もありました。)
には全て入ってきました。中に入ると50℃ぐらいある壕があります。

この天山壕だけには入れませんでした。
壕の入り口が地熱熱風で50℃ぐらいになっているからです。


このURLの小笠原村のホームページには、
私たちが宿泊した「記念館」の写真も
載せていただいています。

http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/iou/photo.html
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島唐辛子(2) 大事な注意事項

2007年07月13日 | 硫黄島・小笠原村
6月の訪島では、小笠原村役場職員のスタッフの方と、私たち旧島民関係者は、小笠原村硫黄島平和祈念館(平成14年にできた40名ほどが宿泊できる施設)に一泊しました。

まだ、早朝に同部屋の硫黄島出身の先輩の方が、鎌を手にして、汗だくで部屋に戻って来ました。何をなさっていたか質問をしたところ、
「会館近くの、島トウガラシの木までたどり着きやすくするために、雑草を刈っていた。」

雑草を刈らないと、次回に来る時になかなか、場所を特定しくく、たどり着けなくなる心配からだそうです。
「まだ、なっているから、連れて行ってあげよう。」とのご親切な申し出に、甘えて、さっそく一緒に取らせていただくことにしました。

会館近くに何本か木があるのですが、距離はほんの十メートル強ぐらい入った場所にある木に行きました。
確かに、雑草の高さより低いぐらいの木(高さ1メートルぐらいでした)ですので、距離は短くても、雑草が生い茂っていたら、よほど、その場所に慣れている人
でもたどり着きにくくなってしまうという植生でした。

たっぷりと成っている島トウガラシの実。
手でつまんで摘む(もぐ)のは、そんなに難しいことではないのですが、
「緑の方が辛くて良いので、できるだけ緑を取るといいよ。」と教えていただいたても、葉や茎と同じ色の緑はなかなか見つけにくく、赤やオレンジ色で鮮やかに自己主張している実の方が、見つけやすくどうしても、赤、オレンジに目が行ってしまいます。

「とても大事な注意事項だが、島トウガラシを摘んだ手で、顔などを触らないように。特に目をこすってしまうと、大変なおおごとになるので、くれぐれも注意を」と教えていただきました。

摘んでいた時間は10分ぐらい。持っていったビニール袋にかなりの量を採ることができました。

注意してもらっていたおかげで、不注意で手で汗をぬぐってしまうようなこともなかったのですが、、、

特に傷があった箇所ではなかったのですが、手の中指の腹のところ、、、、そこに特に多くのトウガラシからの液体がついてしまったせいだと思うのですが、、、その日ずっと、かなりヒリヒリと痛みました。

手についただけで、あの痛みですから、傷や、目などに入ったら、どれぐらいのおおごとになるかが容易に理解できました。

帰ってから母に話すと、「そういえば、島トウガラシのついた手で目をこすってしまって、目がつぶれてしまうに同然の大変な事態になってしまうという事件が、かなりの件数あった記憶がある。」とのことでした。

生で食べると、口の中の熱さがしばらくとれません。普通のトウガラシの「熱さ」とは違って、麻酔注射で麻痺で感覚がなくなるような辛さが長引きます。水をのんだぐらいでは、口の中の熱さはなかなか引きません。時間がたって収まるのを待つしかないという辛さです。
苦味やえぐみは少なく、さわやかな味(麻痺しますので、味と呼べるか微妙なところですが)の辛さです。他のトウガラシとは違う、新体験でした。

母が醤油漬けにしているのを、昨日は、その「島トウガラシ醤油」でカツオの刺身を食べました。生で食べるほどの鮮烈な辛さはありませんが、かなり、醤油い辛さエキスが滲みでてきていて、おいしく刺身をいただきました。

島の慰霊碑、公園などは、きれいな花々でいっぱいに整備していただいてます。(写真)
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島唐辛子(1) 鮮烈な辛さです。

2007年07月09日 | 硫黄島・小笠原村
宿泊した硫黄島の祈念会館近くの取って、持ち帰ったものを、しょうゆ漬けにしています。
(しょうゆ漬けは、一般的な利用方法です。辛味を醤油に十分に滲みださせたものを、刺身醤油に使います。)

そのまま、生を刺身に乗せてから醤油につける食べ方でもいただきました。
四川料理の激辛やメキシコ料理のハラペーニョの辛さとの違いは、
「口の中の熱さが引かない点は似ているが、あまり、汗が出ない辛さ。鮮烈な香りのある辛さ。」だと思いました。 

沖縄や他の島々でも、取れるようですが、どこ島の物が一番、辛いのでしょうか?少しずつ違うような気がします。
硫黄島産の写真の島唐辛子の一つの大きさは、10から15ミリほどです。

採取する時に、十分な注意が必要です。
案内して一緒に採取して管だった島出身の大先輩が、先に注意をしてくれていなかったら、、、

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硫黄ヶ丘の船見岩です。

2007年07月07日 | 硫黄島・小笠原村
文字通り、船が島に来るのを見るために上った場所だそうです。「二本のポールがたっていた。」礎石が残されているのが岩に登ると見れます。二本のポールの意味と船が着いた日の様子を、今回の訪問に参加の戦前在住であった方から教えていただきました。
この船見岩がある硫黄ヶ丘には、地熱を利用して液を蒸留するレモングラス工場があったそうです。
また、住んでいた島民が一番多かったは「元山」でした。元山はこの硫黄ヶ丘からすぐの場所にあったで、祖父はそこで、魚などを扱う商店をやっていました。
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