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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

来年の集まりから「硫黄島旧島民の集い」と変更する 呼称 について

2007年09月29日 | 硫黄島・小笠原村
9月9日の川崎での「集い」の冒頭で、
来年からは「関係者の集い」ではなく、「旧島民の集い」に
名称変更されると発表されました。

「呼称」へのこだわり、が伝わる発表だと感じました。

「 「いおうじま」を「いおうとう」という戦前の呼称に 」
と働きかけ続けた結果、
6月の墓参帰島から、おがさわら丸が東京の竹芝に着く日に
「念願だった いおうとう への呼称変更が発表」が実現しました。

「集い」の幹事の方々が協議して「旧島民」という呼称への
統一を決めて下さったのは嬉しいことだと思いました。

私自身も、このブログでの書き方で、自分のことを
どう表現するべきか迷うことが多くて、まどろっこしい思いを
してきておりました。

「旧島民関係者」と言ってみたり、「戦前在住の旧島民の二世」と
言ったり。
戦前に住んでいた島民の本土への疎開引き揚げから
20年ほど経ってから生まれたので、「旧島民」の定義が
「住んでたことがある人」であれば、自分のことを
「旧島民」には入らないと思って、「関係者」を付けたりしていました。

「集い」での 来年からの呼称変更の発表は、
戦前に在住だった正真正銘旧島民の高齢化の中で、
その子、孫の世代が、
「戦前に人が住んでいた島であったこと」を風化させないために
集まったり活動を継続したりする重要性が増す中で、
「戦後生まれの自分たちを今後、どう呼んでいくか」を
議論していただいた結果、

「 「関係者」などとつけずに、自分たちで集まる会の名前は
シンプルにに「旧島民」としよう。 」と決めて下さったのだと
思います。


小笠原村主催の年に1回の墓参では、
我々「旧島民」以外にも、硫黄島激戦で
戦士なさった方々の遺族の方々(「硫黄島協会」を
組織して活動なさっています。
http://www.iwo-jima.org/ )や、
父島、母島からの、中学生、
職員やお手伝いの方々なども参加下さっています。

乗船のための点呼の時などに、
「旧島民とその関係の子、孫などの親戚や、姻戚の人は
こちらに集合」などと、面倒な呼び方はされずに
「旧島民は、、」と呼ばれます。

戦前に生まれて島に住んでいたのではありませんが、
私も、これからは、このブログの中でも、
「旧島民」を使うようにいたします。

「旧島民」の活動を、年数を経て
ますます盛んにしていく必要があると思います。
映画などでブームになった後だけになおさらです。
ブームというものは一過性で去れば語られなくなります。
豊かな島民の生活があった島であった記憶を風化させないように
することが重要だと思っております。


写真は今年6月訪問、二日目に、飛行機利用トーチカ付近から
撮影した摺鉢山全景です。
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06年秋訪島から、今年の6月訪問までに増えたもの(2)

2007年09月28日 | 硫黄島・小笠原村
摺鉢山の山頂の碑などの間に新しく作っていただいた
現在の島の様子と、当時の建物、旧跡などとを重ねて示してくれている模型です。

鹿島建設の方が模型の隣で説明をして下さっていました。
小笠原村のホームページにも紹介されていますが、
年に1度のおがさわら丸での訪島も、
私たちが上陸できる可能なように釜岩の上陸地点の整備を
して下さる鹿島の方々のご協力が必須です。ありがとうございます。


10年以上前に、硫黄島出身の母と、母の兄弟の上から二人、
長男と次男の伯父も一緒に行ったのが、私の最初の訪島でした。

戦争で島を離れた時に10歳にはなっていた伯父たちと、
「元山集落にあった、住んでいた家(魚などを扱う商店でした。)はどこか。」
を探しましたが、その時には、伯父たちは、「このあたりだと思う。」と、
現在の神社跡(今回の訪問で教えていただきましたが、戦前にあった位置とは
変わっているそうです。)から硫黄が丘付近の森になっているあたりを
歩いて痕跡を探しました。

昨年9月の入間基地からの自衛隊輸送機での日帰り訪問と、
今年の6月の訪問で、ご一緒させていただいた戦前在住だった
皆様や、遺骨収集事業にも参加などで訪島回数が多く詳しい方々、皆様から
「旧元山集落は、今の空港の滑走路の場所」と、聞きました。
10年以上前の伯父たちと探した場所は滑走路にはかかっていない
場所でしたから、
「あのとき探した場所が間違っていたのか。」と思うようになっていました。

今年の6月の訪問で、摺鉢山山頂に作っていただいていた
この模型を食い入るように見ました。

戦前島に1軒あった旅館の位置が、学校、民家などを含む他の建物と
一緒に模型に示されていました。

おがさわら丸の中で、「ベテランの戦前在住島民の方々」中心に
当時の記憶から手書きで書き起こして下さった、元山集落の地図を
見せてもらっていました。
旅館と祖父の商店の位置関係は、その手書き地図で頭に入っていました。

現在の島の施設と当時の建物を重ねてくれている模型では、
旅館は、本当に現在の滑走路の真ん中にありました。
他の建物との位置関係からも、
祖父の商店・家の場所、元山集落の家々は確かに、
皆様が教えて下さっていたとおりに現在の滑走路の中であることが分かりました。

「あのあたりは、今は滑走路にだよ。」と教えていただいても、
祖父母が商店をやっていて伯父や母などの子供を産んで育てていた家の
場所に立てないということは、なんとも淋しい気持ちになります。
もっとも、「あのあたりの森だよ。」と教えていただいても、
当時の面影はないので、あまり変わりがないかも知れません。

今年の6月の訪問の島での1日目、「各自の出身への里帰り」の時に、
伯父たちと訪問した時に「このあたりだろう」と言われた場所の
森にも入って歩きました。


硫黄島で一番人口が多く、学校、役場などがあった元山集落出身関係者が
今回6月の訪問では、私以外にもうお一人(お父様が硫黄島に在住)の合計二人と少なかったのも、淋しかったです。

元山集落里帰り付き添いをご担当いただいた
小笠原村役場の職員の方と三人で、元山集落から近い
硫黄が丘、船見岩に登ってから、
時間が余りましたので、今回は滑走路沿いに整備された道路を歩いて、
天山慰霊碑まで行きました。

その滑走路横の道路には、距離を示す標が立っていました。
村役場職員の方が教えて
自衛隊の方がランニングをするコースで距離を示している」と
教えてくださいました。
その日にも非番の隊員の方々が、アップダウンもある島内の別の道を
ランニングしていらっしゃるのを見かけました。

「硫黄島でのランニングの大会が、いつか開かれたらいいのに。」
(自衛隊の方との対抗駅伝大会など)と思いました。

来年の6月も参加できたら、その時には、シューズとウェアを持って行って、
隊員の方と一緒に走れたら、気持ち良さそうです。
(真上近くからの日光対策の帽子も必需品です。)

戦前の島は、水泳(釜岩までの遠泳大会があったそうです。)、
テニス、野球(父島の大村チームが対戦に来た時の写真を
見せてもらいました。)、相撲と、スポーツが盛んだったそうです。

先日の「関係者の集い」の最後にも、
運動会の歌、応援歌の合唱もありました。


「父親たちの星条旗(原題は Flags of Our Fathers)」の
著者、Bladley一家訪問の石版や、前に紹介した小泉元首相の碑など、
が増えて、
摺鉢山山頂が賑やかになってきています。

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ホームページ「硫黄島写真館」にリンクを載せていただきました。

2007年09月25日 | 硫黄島・小笠原村
「硫黄島寫眞館 管理人」様からコメントをいただき、
ホームページ
http://sk-photo.main.jp/ioujima/main.html
にリンクを載せていただきました。

本当にありがたいことです。お礼申しあげます。

「情報を発信して共有するところから何か始められたら」
という思いにご賛同いただける方からコメントをいただけた
ことは、とても嬉しいことです。

いただきましたコメントにございました、
「苦労」という点について
考えてみました。

硫黄島の問題には
簡単ではないいろいろな要素があるということは、
関係する皆様方の間では、少なからず共通で認識されている
点だと思います。


「激戦の地となったことと返還後も帰れない島」という特殊性から
今後もいろいろな課題があると思います。

「いろいろな方々の思い」「いろいろな関係する方々がいらっしゃる」
ことから、
ブログという誰でもアクセスができる場では、
制約がありますので、

「本当はこの話が面白いから紹介したいのに。」
「こういう意見を直接、聞きました。」などが
あるという点も、少し苦労していますし、
今後も気をつけていかないといけない点だと思っております。

いろいろな皆様方に、
ご協力いただいて、
前回紹介させていただきました「集い」も
開催されて、それに参加することができました。

写真は、6月訪問の二日目に撮影した
硫黄が丘(焦げて残骸を残しているのは「玉名の木」だそうです。)船見岩
です。


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本日、第36回 硫黄島関係者の集いがありました。

2007年09月09日 | 硫黄島・小笠原村
楽しい会でした。
このような集まりを続けていくことの意義はとても大きいと
思いました。

参加者全員での黙祷、
合唱(「ふるさと」「故郷の廃家」)もありました。

抽選会の景品をいろいろとご提供くださった方々
(本当にいろいろと手作りの心のこもった品の数々がありました。)、
参加者へのお土産をご提供くださった方々に
お礼申し上げます。ありがとうございました。
・あれだけの「タコの実の鉄火味噌」を作るのに
必要なタコの実の数と、取り出す手間は本当に
大変だったと思います。ありがとうございました。
・硫黄島サブレ 形だけでなく、摺鉢山の盛り上りまで再現して
下さっています。ありがとうございました。

小笠原村からは、本日の集まりの開催にご支援をいただき
ありがとうございました。

自衛隊からご出席いただき
盛り上げてくださった皆様、ありがとうございました。

そして、
このような有意義で楽しい会を、
準備にたくさんの力を注いでいただき
開いて下さった、幹事、事務局の皆様、
毎年、本当にありがとうございます。

来年からは名称を
「硫黄島旧島民の集い」と変更と
開始の時に発表されました。

来年は9月14日開催の「第37回 硫黄島旧島民の集い」で
また、皆様とお会いできることを
楽しみにしております。

本日の集いの様子、
いろいろと聞かせていただいた、
面白いお話の数々などを
また、この場に、追って、載させていたきたいと思います。

(2008年6月8日に昨年撮影した、東京湾を航行し竹芝に戻る小笠原丸から
撮影した羽田へ着陸する飛行機の写真を掲載しました。毎年、集いが行われる、川崎日航ホテルと羽田は直線距離で近くです。)



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2006年秋訪島から、今年の6月訪問までに増えたもの(1) 

2007年09月04日 | 硫黄島・小笠原村
「慰霊」と書かれた、「前内閣総理大臣小泉純一郎氏の揮毫された碑」。2006年12月8日が除幕式だったと、硫黄島協会のホームページが紹介してくれています。
http://www.iwo-jima.org/

小泉前首相の硫黄島当門は2005年の6月19日だったそうです。
http://www.ogasawara-channel.com/news/archives/000558.html

この「慰霊」の碑は、字に迫力があって、石の色も目立ちました。

摺鉢山山頂が、だんだん賑やかになってきます。

戦前在住だった方々や、母によると「すりばちやま」とは言わなかった。「パイプと呼んでいた。」だそうです。「パイプ山」が別称のようです。

映画の原作になった、ペイパーバックの JAMES BRADLEY著 " FLAFS OF OUR FATHERS " を、まだ、途中までで、読み終えていません。 
この英語原作本には、いたるところに、非常に生々しい描写が多いです。英語で読んでいるせいで、特に、「こんなに生々しい表現の連続には驚かされっぱなし」と感じるのかもしれません。
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「麓屋」 硫黄島戦前在住の旧島民二世の方のお店

2007年09月03日 | 飲食店情報
「麓屋」はhttp://tohko.jp/fumotoya/index.html
が紹介して下さっています。


京王井の頭線の西永福駅を降りてすぐの「麓屋」さんに
仕事関係の仲間と、行ってまいりました。

ご主人の伊勢崎さんは、
お父様が戦前に硫黄島に在住だった、
私と同じ「旧島民二世」です。

6月のおがさわ丸での慰霊訪島では、
伊勢崎さんとは、船でも祈念館での宿泊でも同部屋で
ご一緒させていただきました。

動植物に対してとても豊富な知識をお持ちの方で、
硫黄島で、植生、植物の名前などについて教えてくれました。


伊勢崎さんがマスターの「麓屋」、
ヘルシーなメニューが多いお店で大満足!

マスターお勧めの肉、魚、野菜、お豆腐料理など
をいただきました。
もち米に雑穀も加えて、良い味加減で蒸した「ちまき」
が特に絶品だと思いました。

また、寄らせていただきたいお店です。
伊勢崎さん、ありがとうございました。

伊勢崎さんが、「今、タコの実酒 をつけていて
そろそろ、店で出せる。」とおっしゃっていました。


いよいよ、今度の日曜日が、
川崎での毎年恒例の、旧島民の会の集まりです。

皆様方にお会いできることを楽しみにしております。



伊豆下田の「民宿 硫黄島」は、
母のいとこ(祖父の甥)がやっています。
親戚、姻戚、硫黄島旧島民の皆様に
下田の民宿には何度行った?」と
質問をされることがありますが、
これまでに機会がなく、まだ行ったことがありません。
今度、行きたいと思います。

http://www4.i-younet.ne.jp/~minren/yado6touji/ioutou/ioutou.htm

(2008年6月8日に昨年撮影した島の植物の写真を掲載しました。)
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