OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

昨年同様、南洋踊りで、おが丸出航を見送っていただきました。

2008年06月19日 | 硫黄島・小笠原村
ここにも紹介させていただいている「エンジョイ!島ライフ」で、私たちの硫黄島訪問のことを取り上げていただきました。ありがとうございます。
http://plaza.rakuten.co.jp/ladygray/

「青い鳥」さんには、父島から硫黄島に向かう時と、父島から東京に出航する時の、二度もお見送りいただき、二度とも、探させてしまって、本当に申し訳ないことをしてしまいました。

父島に到着した12日には、私には三度目の父島となる貴重な時間でしたので、硫黄島、母島などと小笠原村を構成する、父島のことも、できるだけ、この目で見て、経験して、知ることはとても重要ですので、精力的に動きました。同行の二人は初めての父島でした。

昨年は。村役場の職員の方がバス、車を出してくださっての父島一周(下半分ほどは車が通れる道路がないですが)参加させていただきましたが、今年は、
夜明道路などを通る、ほとんど同じコースを、レンタル・スクーターで三人で回りました。
スクーター含むオートバイの類を前に運転したのは、高校生の時ぐらいでした。レンタル・バイク屋さんで、「3台、お願いします。」と言うと、「スクーター初心者は?」と訊かれました。50ccスクーターにも初心者用と普通の2種類があるのに感心させられました。

あまりに久しぶりでしたので、最初だけ、初心者用の50ccスクーターでも多少まごつきましたが、すぐに慣れて、風が気持ちよく感じました。
坂が多いので、自転車、健脚 では、よほどの域に達していないと、太刀打ちできない島だと思います。

この到着日の島内での活動については、また、先々、紹介したいと思います。

島内を回ってから夕食(去年と同じお店でしたが、美味しかったです。)をして、
集合時間ギリギリ近くに、発着場に着きました。

「青い鳥」さんが、いろいろな人に訊いて探して下さったので、
お会いすることができて、お供えのお酒と差し入れのキャンディーを
いただきました。お忙しいお時間だったのに、すいませんでした。
ありがとうございました。


父島から東京竹芝に向かう時に、南洋踊りでお見送りいただいた
昨年のことは、「ビデオに録画(録音)できなかった。」と、
以前の投稿記事で紹介しました。

今年こそは、抜かりなく、撮影・録音をさせていただこうと
準備万端で臨もうと思っておりました。

その帰路の父島の日にも、これも昨年と同じ、
「午前の半日コース
ドルフィンスイム 南島上陸 兄島海中公園」で、
エコツーリズムと海洋についての勉強に余念なく
出かけていて戻ってから、お土産を買って、
集合時間の13:00の5分前に発着場に着きました。

南洋踊りの準備をなさっている方々はすぐに見つけることが
できましたが、その時には、「青い鳥さん」はいらっしゃらなくて、
今年、初めて、ご参加の方がいらっしゃったのでしょうか、
直前まで、踊りのステップの練習をなさっている方がいらっしゃいました。

乗船の準備、出航日開設のお土産店を見たりなどしている
うちに、乗船が開始されました。同行の二人には
「先に乗っていてくれ。大事な撮影をしたい。」と言って、
その時点では、乗船しないで下で録画(録音)をさせてもらう
つもりでいました。

南洋踊りをして下さる場所も分かっていました。

そのうちに、
「全員が乗船が終わらないと、南洋踊りが始まらないのかもしれない。」
「昨年も南洋踊りの時間には、おが丸の着岸している側のデッキが大混雑
だった。早く乗ってよい場所を探すほうが賢明かも。」と思うようになり、
「乗船してデッキから撮影しよう。」と、方針転換をしました。
(結果は、南洋踊りが終わった時点で、まだ、乗船は続いていました。)

デッキで、デジカメとビデオカメラを構えていると、
皆さんが出てきて下さって、マイクでの開始の放送をして下さってから
あの、大好きな「夜明け前」のメロディーが流れ始めて
踊りが始まりました。

三回目でしたが、昨年は乗船直後にバタバタしてしまって、
「気がついたら終りだった。」のであまり良く見ることができませんでした。
が、今年は最初から最後まで、見ることができました。
ステップは難しそうでした。

カカの乾いて、遠くまでよくとおるリズムと、あのメロディー、
歌詞の歌に合わせての踊り。
昨年CDも買って歌は覚えています。本当に好きな曲ですので、
録画(録音)をさせていただいている時に、思わず、
自分でも口ずさみそうになってしまったのを、
「雑音が入ってしまう。」と慌てて、思いとどまりました。

もう硫黄島訪問回数が何回という桁ではない、訪島大ベテランの方が
近くで見学していましたが、終わり近くにその方が周りの人に
「これは東京都指定無形文化財です。」と解説した声が、
入ってしまった雑音といえば雑音の唯一で、
ライブの音も撮ることができました。
最初の時の大神山公園での歓迎会で披露いただいた時には
テープが切れて途中までしか撮れず、昨年は最後だけしか間に合わず
でしたので、始めて、全曲を通して撮れました。

曲が良いのですが、くどいですが、歌、カカのリズムが本当に素晴らしいです。
CDではない、ライブで聴く曲には、ゾクゾクしました。嬉しかったです。

拍手喝さいの後で、
デッキからは「青い鳥」さんが、誰かを探しているようなご様子を
見ることができました。

それから、デッキに近づいて来てくれましたので、こちらもデッキの真上で
気がついてもらおうといたしました。
視力も悪く人を探すのも苦手な私が逆だったら絶対に
できないことだと思うのですが、
デッキ上にいる私を見つけて下さって、下から声をかけて下さいました。
「レイを作って持ってきましたので、渡せる、下まで降りて来れますか。」と
おっしゃって下さっているのが聞こえましたので、
急いで、まだ、遅れていよいよ最後の乗船をしている人たちがいる
タラップに降りました。

「最初考えていたとおり、下にいれば良かったのに。」と後悔しました。

同行者の分も含めた三つのレイを受け取ることができ、
お礼を申しあげて、お別れの挨拶をすることができました。
「三人で首にかけてデッキに。岸を離れたら、海に投げて下さい。」と
教えていただいて、受け取りました。

急いで、同行者の二人を呼んで、デッキに出ましたが、
大混雑でした。

「投げるように。」とは、おっしゃっていましたが、
せっかく作っていただいた、きれいな赤いレイだったので、
「投げたらもったいないから、持って帰りたい。」と思いましたが、
おが丸が岸を離れて、向きを少し変えたあたりで、他の乗客が
勢いよく投げたので、直後に思い切り、海に投げました。

「エンジョイ!島ライフ」には、
「帆船あこがれ」の記事、私たちの1日目の硫黄島の気温が35度だったこと、
などとあわせて、踊りの練習や、レイ作りのことなど、
いろいろと忙しく、活動をなさっている様子を書いて下さっています。

戦前の硫黄島での生活も、
タコッパ(タコの実がなるタコの木の葉)で何かを作ったり、
踊ったり、実を採ったり、硫黄島内で遠足やらハイキングをしたりと、
「エンジョイ!島ライフ」で、紹介していただいている様子と通じるような、
いろいろと活動することがある、豊かな自然に恵まれての、充実した
豊かな生活だったのでは、と、記事を読ませていただいて感じました。

12日に「バイクで走ると熱風が」と書いていらしゃいますので、
私たちがスクーターで風を受けている時にバイクに乗っていらっしゃっただろう
ことも分かります。

「日本で一番高いガソリンスタンド」とテレビで紹介された(276円/リッターでした。)スタンドで、スクーターのタンクを満タンにしても、
初心者用は0.5リッター減っていませんでしたので、スクーター、バイクは燃費の良いエコな乗り物だなと思いました。

「青い鳥」さん、
コメントもいただきありがとうございました。
気温がどれぐらいか意識しませんでしたが、暑かったです。
式典から始まっての二日間、元気に有意義に過ごすことができました。
ありがとうございました。

写真は、いただいたレイです。投げる前に慌てて撮影しました。

次回以降記事投稿の予告
昨年の訪問の様子を紹介させていただいたのに、対応する
「島を離れる時」「タコの身」「式典」など、2007年と2008年を
対象させるものに、今年、初めてだったこと、場所、写真を
混ぜて紹介したいと思っています。
コメント
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