OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

パラファーム2009 (3) 「草取り 第三回目」に参加しました。

2009年08月30日 | 植物栽培
「フィリピンの子ども達の未来を支えるボランティア活動」をなさっている団体パラサイヨ
http://www.parasaiyo.net/about.html
が主催の パラファーム2009では、群馬県に近い埼玉県のお借りしている田んぼに
合計、7回集まるスケジュールになっています。

田植え、草取りが4回、収穫、脱穀・精米・皆で食べる
です。

これまでに田植えと、草取り1回目に参加していて、前回の草取り2回目には欠席、本日8月30日に、草取り3回目があって、行ってきました。


草取り1回目は、田んぼでの作業班は合計4人と少人数でしたが、今日は、12人もいました。田んぼでの作業班以外の人は、「お昼ご飯準備班」です。お昼頃から小雨が降りましたが、たいしたこともなく、暑さもそれほどでもない中、田んぼで作業をしました。

草取り1回目で大変だった、あぜの雑草刈り・抜きがあって、次に、田んぼの中の雑草取り、最後にすずめよけのリール張り までやりました。

あぜの雑草刈りは、斜面での作業で、体力的にきついです。前回あれだけ刈ったのに、すごい量の雑草がはびこっていました。

次の田んぼの中の雑草取り。
細かい雑草は多くありましたが、それらは目立つのは抜いたり、水草みたいのを取ったりしました。大変だったのは、イネと区別がつきにくい、アワ刈りでした。穂が出ていて実があれば、「これは雑草で、イネの養分をとっていく悪役だ」とすぐに分かります。中には、イネより背丈が高く、目立つのもありましたので、それらは見分けるのが容易で、引っ張ってもなかなか抜けないので、根本から鎌で刈りました。
やっかいだったのは、まだ、穂をつけていない葉っぱだけのアワたちでした。葉っぱは、私達のかわいいイネ と、そっくりなので、なかなか「雑草」だと見分けることができないのです。まるで「イネに擬態している」だと思いました。

そのうちに、「他のイネが実をつけているこの時期にまだ葉っぱだけなのは疑ってかかるように。色が濃く、根本が赤い。」などと、だんだん見分け方が分かってきて、「こいつらを放置すると、次回までには稲穂でない穂がたくさん出ていて、被害が大きくなる」と、見つけられる限り、皆で刈ってきました。

今回もご近所の方が、足を止めて、見学なさっていました。
ちょっと離れたところで他のメンバーと話をしているのが聞こえてきましたが、
「学校が、田んぼ作業休みで、早く終わって、皆で作業したものだった。」とか
そんな話が聞こえてきました。地元のお年寄りのようでした。


パラファームでは、わざわざ、いまどき農家の方はしない、手植えをしています。


作業は昼過ぎまで続き、終わるとナスなど野菜たっぷりのお昼ご飯でした。
パラサイヨのメンバーの方の、年一度の重要なイベントである、「フィリピンの支援している孤児院訪問の報告が、 パラファーム代表からありました。

また、田植えの時には「お米の種類の基礎と私達が餓えているイネの種類」というテーマのスケッチブック図解(紙芝居のような感じです)講座でしたが、
今回は、「日本の土壌は酸性」「連作被害」「じゃがいも、トマト、ピーマン、唐辛子はどれもナス科の植物で連作しにくい。」という内容で説明を聞きました。


パラファームはチャリティのイベントです。参加している参加料金がパラサイヨを通して、支援金として届けてもられます。
4月29日に出た、ランニングの大会「パラカップ」も同様です。パラカップは複数の団体の共催で、その一つがパラサイヨです。
また、パラファームは、田んぼを楽しむ集まりでもありますし、
稲作や自然環境などを、体感しながら勉強する場所でもあると思います。
もちろん「自分達で米を作るやりがいを共有して、秋に食べよう!」でもあります。

代表の、フィリピン訪問報告に、「子供たちにしてあげられるのは、環境を整ええてあげる支援、育つのは子どもたち。米作りも、雑草抜いて環境を整えてあげる作業をしていて、育つのはイネという点で共通している。」という言葉がありました。


4人だった草取り1回目ほどではなかったですし、それほど長時間でもなかったですが、重労働でした。

田植えが先だった隣の田んぼなど、もう、そろそろ色づきはじめている田んぼもありましたが、私達の田んぼは、青々としたイネの実が揃ってきたところです。

日照不足が心配される今年ですが、これまでのところ、昨年よりはたくさんの収穫が期待できそうで順調だということでした。


写真は、私達のイネの実と、泊っている虫です。この虫を、2回、見ました。不思議な形で、これまでに見たことがない虫でした。名前も分かりません。
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2009 南島(1) 稜線からサメ池方面の写真

2009年08月29日 | 硫黄島・小笠原村
南島については、一昨年、昨年と、ここでも写真で紹介をしました。多くのホームページやブログでも紹介されていますので、検索なさっていただければと思います。

・父島の南側や周囲の小島と同じ「沈水カルスト地形」という生成である。(カルスト台地は、修学旅行で皆が行く(皆ではないですね。私は行きました。)山口県の秋吉台が有名ですが、南島は石灰岩の地質が地上で侵食されてから海中に沈みその後に隆起でできたということのようです。)
・本土とつながったことがなく特殊である父島、ともまた違う特別な植物相。一時期、その植物相が、繁殖したヤギによって壊滅的危機に陥ってしまったのを、現在、元に戻そうとう保護活動をしている結果が出始めている。
・小船に乗り換えて上陸する地点のサメ池には、サメの一種のネムリブカがいる。
また、カツオドリの営巣地であり、
さらにヒロベソカタマイマイの貝殻化石があるが、これが観光客に持っていかれたりで減ってしまって困っている。
・ウミガメの産卵に適した浜が扇池のところにある
・1日に観光で入島できる人数を制限している。せっかく復活しそうな植物を傷つけないように、観光客が歩ける道も制限されていて石が敷かれた通路になっている。

いろいろな植物の名前なども、昨年と同じガイドの「まりさん」に紹介してもらい写真を撮りましたが、忘れてしまっっています。すいません。

昨年は、扇池前の浜に、踏まないように注意を喚起する、ウミガメ産卵箇所を示す棒が刺してあったのが、今年はまだなくて、
そのかわりに、石が敷かれた歩行通路の脇に、鳥が卵を産んだ場所であるので踏まないように、という印が立てられていました。

途中、屋や険しい斜面を登り稜線に出ると、南島全体と、周囲の島々と海の、素晴らしい景色を見ることができます。眼下に扇池と浜も見れます。

この写真は、稜線から、上陸してきたサメ池方面を撮影したものです。この写真の角度を正面にすると、扇池は左斜め後ろ方向です。
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父島のジョニー・ビーチとジニー・ビーチ

2009年08月28日 | 硫黄島・小笠原村
父島に到着するとすぐに、同行者二人と「今日、パパヤで半日、南島~兄島海中公園に行って、帰りの出航日に、スクーターで島内見学にしよう。」と決めて、パパヤに行って、ツアー申込みながら、戻りの日のスクーターの予約もしました。

ミス・パパヤ号は、イルカを探しながら南島に向かいましたが、三日月山ウェザーステーションに、双眼鏡でイルカを探してミス・パパヤ号と通信をし合う人を出しているパパヤですが、その日は、ウェザーステーションがもやにすっかり覆われてしまっていて、ウェザーステーションからのイルカ探しの人は活躍できず、でした。

父島をすっぽり覆っている白いもやは、かなり濃くて低かったので、今年は、父島南部の、ハートロックも見えませんでした。

南島に間もなく着く、父島の南部のジョニー・ビーチとジニー・ビーチのすぐ沖合いを通った時に、撮影した写真です。
確か、左側がジョニーで右側がジニーです。
どんな逸話が由来で浜の名前がつけられたかよく覚えてません(聞いた覚えはあります)が、悲恋でなかなか会えなかったカップルが、ジョニーとジニーだったという話だったと思います。(七夕の織姫と彦星のような話。)

ジョニー・ビーチやジニー・ビーチ、ハートロックには、車やスクーターで来ることができる道はありません。浜へは海から上陸か、トレイルを歩く(または走る)
かしないと来ることができない場所です。

前にハートロック、トレイルランニングなどのキーワードで検索をしたら、びっくり!
父島に、すごいスピードで島南部のトレイルと舗装道路とをランニングしていて内地の大会にも出場しているランナーの方がいることを、その人が書いているブログを読ませていただき、知りました。
そのブログ記事に紹介されていた記事によりますと、走られている距離もすごいですが、「あのアップダウンだらけの道を、そんなに速く走れるなんて!!」という、普通の市民ランナーの方の域をはるかに超えてらっしゃる健脚の持ち主であることが分かりました。

このブログで、小笠原をテーマにしながら、時折、ランニングについても書いていて、ちっとも速くない大会出場記録などについて書いてしまっていることに加えて、「父島にものすごいランナー、それもトレイルも走る方がいる。」ことを、長いこと知らずにいたことを恥ずかしく思いました。

(8月16日の、織田フィールド(代々木陸上競技場)「第1回クラブ交流会」に参加、5000メートルのタイム・トライアルに「目標タイム22分宣告」出場しました。
気温が33度、グランドでは37度。21分ペースのペースメーカーの後ろを組の上位で走ってましたが、ラスト500メートルでスローダウンから歩いてしまい、最後はゆっくり歩いてゴールで、23分6秒もかかってしまいました。練習不足です。一番速い組の1位は15分ジャストでした。)
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小笠原村父島の紹介 父島に着いた日はもやがかかっていました。

2009年08月27日 | 硫黄島・小笠原村
今年の6月の小笠原丸での硫黄島慰霊墓参についての紹介をしてまいりました。併せて、ウミガメの話やビジターセンターでの「硫黄三島展」、昨日の、「大木さんのお塩作り」の話、写真も紹介してきましたが、これからしばらくは、今年の訪問での父島、南島の写真を中心に紹介をしていきたいと思います。

写真は、小笠原丸が父島に到着する時に、船のデッキから二見港方面を撮影したものです。
父島全体に白いもやがかかっていて、三日月山のウェザーステーションはもやの中で、見えませんでした。

この時点では、まだ、父島に着く日と、発つ日の予定は、確定させていませんでしたが、「お塩作り見学ができるのが、帰りの火曜なのでその日に海洋センター見学などもすることにして、先にこれから着いて硫黄島に向かうまでの土曜日半日で、パパヤ号に乗ろうか。」という話を同行者二人と始めていました。

一昨年も、昨年も、パパヤ号での「南島、ドルフィン・ウォッチング、兄島海中公園 半日ツアー」には参加していましたが、「昨年シュノーケリングで初めて見た兄島海中公園の珊瑚と魚達を、今年も見て、写真撮影もしたい。」と思っていました。
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できたて 小笠原村父島の 大木さんのお塩

2009年08月27日 | 硫黄島・小笠原村
6月の父島経由硫黄島への慰霊墓参の時に、父島の字小曲コーヒー山の
大木さんの、「小笠原の塩」
http://www.ogasawaranoshio.com/shopsetsumei.html
作りを見学させてもらいました。

大木さんのお塩の評判を聞いていましたので、、出発前に見学をさせて欲しいと、連絡をいたしました。
おが丸到着日(硫黄島行き特別便出発日)が土曜日でしたので、「土曜日には作らないので、出航日(硫黄島から父島への到着日)の火曜日なら見せられる。」と、
おっしゃっていただきました。


大木さんの塩作りの前に、「海洋センター」を見学をガイドしてくださった、
「青い鳥@小笠原」さんが、「場所、分かりますか?」とご親切に訊いて下さったのに対して、「調べてきたので、行けると思います。」と、言ってしまいましたが、すぐに私のいい加減な返答に不安を感じていただけたようで、「青い鳥@小笠原」さんに、コーヒー山への分岐の地点まで、送っていただき、道を教えてもらいました。教えていただかなかったら、曲がる場所が分からずに、行けなかったと思います。

舗装道路からコーヒー山への山道をスクーターで進むと、同じ道にスクーターできで来ている二人組みがいました。大木さんに連絡をして見学を希望した方でした。

着くとさっそく、塩を煮ている釜のある作業場を見学させてもらいました。まだ、かなり水分が残っていました。
塩作りの日には、軽トラックで海と3往復して海水を運ぶことや、
煮ている釜のことなどを解説してもらいました。

大木さんの「小笠原の塩」は土産物店にありますが、出発前にホームページで確認したときには「売り切れ」となっていた「特撰つぶ塩」も在庫があるということでしたので、買わせていただきました。

その間にも塩の釜を気になさっていた大木さんにも、煮ている具合を見ながらの作業ですから「採塩」のきっちり正確な時間は前もっては分からない様子で、釜の様子をチェックなさっていました。
そろそろ、見学も終わって、帰ろうかという時間に「もう、間もなく、見せられる。」とおっしゃっていただきました。

ほどなく採塩が始まりました。ほとんど水気がなくなった釜から、大きなザルにみるみる塩が盛られて行きました。きらきら輝いてきれいな粒だった様子が、この写真でも分かると思います。

暑い中での真剣な作業を見せていただくことができました。


大木さんのお塩の味は、他のお塩と比べても、私には、ナチュラルでシンプルな味であるように感じられます。「塩本来の味が分かる。」と思いました。塩長年の経験と熟練による入念な作業、手間ひま以外には、一切何も足していないお塩 だと思いました。原料は小笠原父島の海水ですから、丹念な作業で決まるという塩作りの様子を見せていただきました。
工程を大木さんがームページで紹介なさっています。


「特撰つぶ塩」は、そのまま食べると美味しいですし、「つまみ」になります。
お土産に、買って帰った「小笠原の塩」は、とても喜ばれました。新鮮な野菜につけて食べたりすると美味しさが分かりやすいです。お豆腐も塩でたべると味が引き立ちます。美味しい塩は、「食べる」ということにとって重要で貴重なことだと思いました。
大木さんが作った「小笠原の塩」は、インターネットで購入することができます。


大木さんのお塩作り見学の後は、亜熱帯植物センターに向かいました。
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「島民の集い」の日が近づいてきました。

2009年08月26日 | 硫黄島・小笠原村
この写真は天山慰霊碑から整備されている階段を降りた場所にある天山壕(*)の入り口です。一昨年の訪問の時には、白い噴気が入り口の形がはっきり見えないほど多く出ていました。今年の6月の訪問の時には、蒸気は出ていませんでした。

(* オリジナルの投稿記事では「粟津壕」と誤っていたものを、2009年9月17日に「天山壕」に訂正いたしました。ミスがありましたこと、お詫び申しあげます。)


9月13日に今年も川崎で開催される、「第38回「硫黄島島民の集い」」の日が近づいてきました。

今年の「島民の集い」の趣向のテーマは、どうやら、「小笠原丸」であることが、
案内の葉書の文面から分かります。
葉書には船のイラストがあります。
「船は島へといざないます。」「皆様の御乗船をお待ちしておりります。」と、案内文にあるだけでなく、
日時 のところには、「出航」と、
会場 のところには、「船室」(会場)という用語が使われた、細かいところにも
凝った案内になっています。

会長はじめ幹事の皆様方は、いろいろとお骨折りいただいて、この年に一度の「集い」の開催の準備をして下さっていると思います。


「島民」の皆さんと、再会できることが今から楽しみです。

 
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硫黄島の緑 天山慰霊碑あたりの森、ギンネム

2009年08月23日 | 硫黄島・小笠原村
これまで、このブログでは、「銀ネム」と表記していましたが、
これからは「ギンネム」と書くようにいたします。

百科事典など調べた結果、
漢字では、「銀合歓」、英語では jumpy bean
カタカナ別名が ギンゴウカン。

分類は
ネムノキ科 オジギソウ連 ギンネム属。

近い分類に オジギソウ があるだけに、
そういえば葉の形は、触って葉を動かして閉じさせて見た経験がある
あの オジギソウ とそっくりです。
硫黄島でギンネムの葉っぱも触りましたが、動きませんでした。

インゲンのサヤを一回り大きくしたようなサヤも島内のギンネムで多く見ることができます。熟しきったサヤは緑から茶色に色をかえている場合もあります。

硫黄島で一番多い植物がこのギンネムです。上空から見る硫黄島は海岸線と空港と硫黄ヶ丘あたり以外は、一面、緑に見えます。


天山慰霊碑は、。硫黄ヶ丘の船見岩からも建物が見えますし、最後に硫黄島を1周する小笠原丸からもよく見える高台にあります

この写真は、天山慰霊碑から下の粟津壕入り口に下りる階段が整備されているところから撮影したものです。
この辺りは高台になっている天山慰霊碑から周辺の低い部分への高低さもあり、
島内でもとりわけ植物が多く、「密林のような茂り方」の場所だと思います。


8月の15日と16日の二日間、
私のこのブログへのアクセスがこれまでにない多くの数になりました。
どれぐらいだったかというの、現在約127万あるGooブログの中で、アクセス数で
10000位までになると、順位が表示されるのですが、1000位あたりでした。これまでの最高は6000位ぐらいでしたので、その二日間のアクセス数は突出していました。先週は記事の更新もしなかったのに、非常に多くのアクセスがあったのは、おそらくテレビで映画「硫黄島からの手紙」が放映されたことで、「硫黄島戦」に興味を持った方が多くいらっしゃって、検索をしてくれてヒットしたからだと思います。


Yahoo で、
「ギンネム」「硫黄島」「米軍」 の三つの語をキーワードに検索してもらうと、
硫黄島にギンネムが多い理由が、書かれているサイトが示されます。

ギンネムが米軍によって空中から散布されて増えたのは間違いないと思いますが、空中散布したその理由として書かれていることが、「事実だったのか」「史料があるのか」それとも、「誰ともなく、後の人が言い出したのか。」は、分かりませんので、私はここに、あまり書きたくないです。

激戦が終わった直後の硫黄島の様子が、今の島の様子からはあまり、想像できません。どれぐらい緑が残っていたのかも分かりません。
分かっているのは、日米両軍の犠牲者の数の記録だけです。


また、「ギンネム」 で検索してもらうと、この植物が、繁殖力が特別高くて
他の植物に危険な種であることなどが分かります。
異様に葉が多い植物であることも、見るとよく分かります。

繁殖しているギンネムの葉の下でも、しっかりと大きくなって多くの実をつけている硫黄島島唐辛子の木がある場所を、今年の6月に知りました。たくさんの実を穫りました。島唐辛子は日光があまり多くなくても、しっかり大きく育つ、非常に強い植物であることが分かりました。
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伊豆下田は田牛にある民宿「硫黄島」に行ってきました。(3) 下田のウミガメ 

2009年08月22日 | 硫黄島・小笠原村
伊豆下田の民宿「硫黄島」に宿泊した翌日は、「ショーが面白い。」と勧められましたので、下田海中水族館に行ってきました。

ペンギンや魚たちへの餌を与えるショーでの解説も面白かったです。
今年は、いろいろな水族館に行っていて、アシカショーもたくさん見てますが、
トレーナーのお姉さんと息がぴったりのアシカたちのショーは、見ごたえ十分(エリーが賢かったです。)でした。

また、小笠原村父島でも、観光の目玉の一つであるイルカのショーも、大きなバンドウイルカのサーフくんの泳ぐ姿は迫力たっぷりでした。

下田海中水族館のホームページです。
http://www.shimoda-aquarium.com/

ウミガメたちもいました。父島の海洋センターで元気いっぱいに餌をねだる姿を見てきた「コータくん」と同じぐらいの大きさで色も似ているウミガメもいました。

民宿「硫黄島」を訪ねた下田で、硫黄島と同じ小笠原村の父島で保護をしているウミガメや、小笠原の海を泳いでいるイルカたちと会うことができたのも、何かの縁だと感じました。

それにしても、下田のウミガメは上品でおとなしかったです。父島海洋センターの
「コータくん」の、元気すぎる暴れ方(喜んで、餌をねだる様子)とは対照的に静かに泳いでいたの様子を写真に撮りました。
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伊豆下田は田牛にある民宿「硫黄島」に行ってきました。(2) きんめ づくし お料理

2009年08月21日 | 飲食店情報
伊豆下田田牛(とうじ)の 民宿「硫黄島」は、ここ
http://www.i-younet.ne.jp/~minren/yado6touji/ioutou/ioutou.htm
に紹介されています。

初代女将は、「ここで生まれた。海女をしていた。あわび専門で、深い場所で6メートルぐらいもぐっていた。」と、言ってました。
活きの良い、コリコリ、あわびのお刺身も、夕食に出してもらいました。


食事は、「きんめ づくし」料理。びっくりするほど豪華でした。


19日に到着して、すぐに海水浴に徒歩2分の海に行って、夕方戻ると、
漁師の長男(私のはとこ)が、きんめ(金目鯛)漁の準備をしていました。
「硫黄島には、まだ、都合がつかずに行ったことがない。」という話から、
漁 と きんめ料理の話をしてくれました。

船は下田漁港から1時間ほどのところまで、きんめ 漁に行くそうです。
きんめ は、1年中 釣れる魚だそうです。
その日の朝に下田漁港に上がった中で最大の物は、2kgだったそうで、
その きんめ に、浜値(漁師さんが買ってもらえた値段)がいくら
ついたかを教えてくれました。小売でスーパーや魚屋にそれが一匹まるごと
出るとした場合には、浜値の3倍になるそうです。

「お刺身で食べたことがあるか?」と訊かれたので、
どこかではこれまでに、「刺し盛りセット」や「鮮魚回転すし」などで、
数切れ食べたことはあったでしょうが、味を覚えていなかったので、
「煮付けや、干物ではありますが、刺身はおぼえていない。」と
答えました。

「冬が美味いが、夏のも美味い。年間を通して、脂がたっぷり乗っている
ので刺身で食べて欲しい。獲れてからうまく保存できて3日が刺身で
食べれる限度。それも保存うまくしないと味が落ちるし、冷凍はダメ。
うちは、数少ない自分のところで獲っている民宿で原価なので出せるが、
下田のホテル、旅館、民宿、でも買って出すとなると高くて大変。
煮付けでも、味噌汁でも、干物でも、美味しく食べられる魚。
まずは刺身を楽しんで。」と、言ってもらいました。


お風呂を上がる頃には、煮付けを作ってくれている良いにおいが
ただよってきました。
お料理は、二代目女将が作ってくれました。
民宿「硫黄島」置いてあった名刺には、
「磯料理 民宿 硫黄島 」とあって、氏名は、二代目女将さんに
なっていました。
私の祖父の兄の長男の長男のところに嫁入りしたのが二代目女将ですから、
私の祖父母、伯父たちと同じ母の旧姓が苗字です。


まずは、運ばれてお膳に並んだ皿数、種類にびっくりしましたが、
主役は、きんめ の刺身。

魚の煮付け好きの私は、先に きんめ煮付けをいただきました。
とろけるような身の食感と脂の乗り方で、味付けは、
たっぷり甘めだったのですが、脂の乗った白身の味と翌マッチしていて
皮と身の間の脂とゼラチン質、、もう、たまらない! 美味さに
びっくりでした。

新鮮なお刺身は、身の色が、これまで見たことのない表面にまで脂がにじみでてきているようなきれいな赤と白の身でした。
活き作りの大きさにびっくり!
「これ、さっき、話して聞かせてもらった、「一番大きい2キロのは
これぐらいの大きさ。」と、両手で示してもらったのに近い
大きさがあるな。」と思いながらいただきました。
お味は、食感は「硬くてぷりぷり過ぎる」ことのない、程よい
弾力のあるやわらかさ、脂はしつこくなくて、甘みのある身でした。
これまでに食べたことのある魚の刺身の、どれとの違う味だと思いました。

翌朝の朝食には、きんめのあらのお味噌汁が出ました。
たっぷり魚の旨味が出た汁をすすりながら、
この骨のまわりに残った身をこそげ落として食らうのも
たまらない美味さでした。

きんめ は、これまでは、「煮付けも、干物も、ぼそぼそする。高級魚とありがたがられているが、あまり美味しいと思わない。」という印象をもってしまってましたが、これまでに美味しいのを食べたことがなかったせいだと分かり、初めて活きの良い極上のものを、たくさん、いただいて、大好きになりました。


他にも夕食、朝食では、自家栽培のマイクロトマト、キュウリの漬物や、
梅干なども出してもらいました。
梅干が塩分、すっぱさとも強烈でした。大粒のは、1個は食べましたが、
二つ目はほぐしてお茶漬けにして食べました。


同じ硫黄島にルーツがある親戚がやっている民宿で、美味しい磯料理を堪能して、あらためて「硫黄島」関係者であることのありがたみと、これからも、親類一族や島出身の皆さんとの関係を大切にしたいと思いました。

そして、初めて硫黄島に行った15年前には、まだ硫黄島に宿泊できる祈念館ができる前で小笠原丸に宿泊したのですが、小笠原丸の低いデッキの船尾を開けて、船に集まる魚たちを釣ってくれたのを、下田のおじさんたちが、さばいてお刺身にしてくれたのを、食べたことを思い出しました。
中には極彩色の魚なども釣れてしまったりしていましたが、魚に詳しい人たちが大勢いて、大皿にお刺身を盛り付けてくれました。

硫黄島は漁師が多くて漁業が盛んな島で、今でも、硫黄島に宿泊する晩には、
活きの良い大きい魚が差し入れしてもらえたのを、大皿に盛り付けて食べさせてもらえます。今年の6月の訪問の時には、下田のおじさん の、同級生だった、「島民の集い会長」が、魚をさばいて刺身にしてくれました。
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伊豆下田は田牛にある民宿「硫黄島」に行ってきました。(1)

2009年08月20日 | 硫黄島・小笠原村
伊豆半島や箱根には、これまでに数多く行きましたが、下田には幼い頃に行った記憶がありますが、今回で2度目でした。

下田の海岸の中でも、下田海岸から西側、南伊豆に近い田牛(「とうじ」と読みます。)にある、民宿「硫黄島」には初めて行きました。

硫黄島訪問の時や、「島民の集い」の時に、皆さんに自己紹介をする時に、祖父の名前を出すと、多くの方が、「民宿「硫黄島」には何回ぐらい行ったことがあるか?」という反応が多いです。硫黄島出身の方は、民宿「硫黄島」に行ったことがある人がかなり多くいます。

私は母が硫黄島出身ですので、別の父の姓になっていますが、
民宿「硫黄島」は、祖父の兄の長男(以下、下田のおじさん)が、下田田牛の地元の人(以下、初代女将さん)と一緒になって始めたので、祖父と同じ姓です。

「下田の民宿「硫黄島」には、去年行ってきたが、何回ぐらい、よく行くのか?」などと、訊かれる度に、
「父母は、何度かいっているけれど、まだ、行ったことがないです。」と答えていました。


下田のおじさんとお会いするのは、10年以上ぶりだと思います。
1994年に小笠原丸で初めて硫黄島に行った時に、ご一緒でしたし、親族が葬集まる葬儀などの時にはお会いしたことがありましたが、しばらく話していませんでした。

硫黄島で生まれて子供時代をすごした母の従兄弟たちの中で、下田のおじさんが一番年上で、当時の島の様子をご存知です。
もっと年長、2学年上だった、二人は当時18歳で軍属で硫黄島に残らされて戦死しています。

「一度も民宿硫黄島に、行かせてもらっていないな。」と思っていたのに
加えて、「下田のおじさんとは、しばらくお会いしていない。
いろいろと話を聞かせてもらいたい。」と、
前から思っていましたが、8月19日(水)に初めて民宿「硫黄島」に泊ってきました。


下田のおじさん、初代女将さん、お元気でした。
泊った晩には、おじさんたちは、下田市街に集まりで行っていてお留守番だった
初代女将さんと、親戚の連中についてのお話をしました。
「全く、数が多くて、覚えるのが「えらい」(「大変だ」の意味)。」と言いながら、古い帳面を出してきて下さって、祖父たちの一族の方々の住んでいる場所、兄弟姉妹の順番、消息などについて、話をさせてもらうことができました。
私も今年の6月の硫黄島便小笠原丸で別の親戚から教えてもらった内容などをメモしてあるノートを持って行っていて、話を照らし合わせたりすることができました。初代女将さんは、非常に数が多い母の従兄弟達の多くの人が、民宿に来ていますので、実際に会ってご存知ですが、私が会ったことがあって顔と名前が一致する人はあまり多くありません。小さい頃に会ったかもしれないですが覚えていない人がほとんどでした。
それでも、「若いのに、よく、そこまで調べてあって、感心だ。」と褒めてくれました。

祖父は男6人女4人の10人兄弟。私の母が男4人女6人の10人兄弟という具合で、姻戚関係まで含めると、膨大な「家系図」になります
それらの情報が「頭の中には、だいたい入っていた」母の長兄、母、祖母と、
続けてなくなったので、近くの親戚からも断片的な情報は教えてもらえますが、まとめて知っている人がいなくなってしまいました。


下田のおじさんとは、着いた直後に、少しだけ話をしていましたが、
泊った次の朝、縁側で漁のしかけを作る作業をしていた下田のおじさんと
いろいろな話をすることができました。

こちらの親戚の近況や、6月の小笠原丸訪問、「島民の集い」や、「硫黄島帰島促進協議会」でお会いしている人たちのことや、
私が名前しか知らない親族の近況や、当時の硫黄島の様子、祖父たちのこと、などについて、教えてもらうことができました。

あらためて、戦前の生活が豊かであったということを、確認できるお話でした。

民宿「硫黄島」は、民宿 兼 漁師の家です。
祖父の弟が硫黄島で漁師でしたが、ずっと、漁師の家で、
今は、下田のおじさんの長男(私の はとこ になります。)が中心で
漁をしています。最近まで、おじさんも船に乗っていたのですが、
ご年配なので、最近では、長男と孫 が 漁に出ているようです。

民宿は、長男のお嫁さん(以下、二代目女将さん)が、中心です。

下田のおじさんと、二代目女将さんは、
今年の3月の、入間基地から自衛隊輸送機での日帰り墓参で、硫黄島を
訪ねたそうです。
(東京都による、この日帰り墓参は年に2回 3月と9月に実施されていて、
9月11日の回が、3年ぶりにうちに案内が回ってきた番で、参加申込済です。)


下田のおじさんは、硫黄島で、
現在、「島民の集い」会長 兼 「硫黄島帰島促進協議会副会長」で、
6月に硫黄島に行った時に祈念館で同じ部屋だった大先輩の方と同じ学年だったそうです。
当時の同級生の方の多くの人が既に故人になってしまったことを嘆いていました。
「9月の「集い」で会ったら、よろしく伝えてくれ。」と頼まれました。

写真は19日に着いて海水浴に行った田牛の海を、翌日の午前の帰る時に撮った写真です。

小笠原とは違いますが、三浦半島や相模湾内の湘南の海水浴場と違って、水がきれいな海でした。

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