OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

パラカップ2011 ハーフマラソンに出て来ました。

2011年04月10日 | ランニング
脚のあちこち、痙攣の連続で、やっとゴールにたどり着きました。写真は スタート、ゴール地点の多摩川河川敷、古市場トラックと鹿島田駅の間に咲いていた桜〓。
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「裏高尾トレイル」に参加してまいりました。

2009年12月24日 | ランニング
はじめに、写真は記事の内容とは全く関係のない、先週、行ってきたディズニーランドです。

12月20日(日)に参加した「裏高尾トレイル」には、カメラを持って行くのを忘れましたが、コーチ陣が写真を撮影をして下さったものを、白方ヘッドコーチがブログ、「白方健一のTopGearでいこう!」に掲載して下さったので、URLを紹介させていただきます。
「この絶景を、カメラ忘れて撮影できずに無念!」と思っていましたので、ブログに写真掲載してもらえて、嬉しいです。
http://topgear-rc.jp/blog.html

ランチングチーム「トップギア TopGear」とは、今年の4月開催の「パラカップ2009」の事前練習会のコーチを白方ヘッドコーチが担当して下さったのに参加したのがきっかけで、
駒沢公園Weekly や、神宮外苑の月例(田中幸二コーチが主に担当)、皇居を走る、SEV Run Run Run、横田駅伝にトップギアチームのメンバーとして参加、真夏の織田フィールドでのクラブ交流会に参加したりしました。いろいろなアドバイスもコーチの皆さんからいただきました。

トレイルランニングは、雑誌記事などを見て興味を持っていて、「いつかやってみたい」と思っていました。トレイルラン用のシューズは買っていませんが、ハイドレーションのザックは、「できたら、硫黄島祈念館から擂鉢山まで往復走りたい(6月の慰霊墓参での訪問時の記事ご参照)」「硫黄島がだめでもスケジュールによっては父島の南半分を走れるかも。」と、用意してありました。

結局、「裏高尾トレイル」では、ハイドレーション(パックにドリンクを入れると、手を使わずにチューブから給水できる、ザックとして背負うタイプ)のパックにドリンクはいれずに、 ペットボトルを入れて背負うためだけに使用してしまいました。吉野コーチのウェストにつけて専用ドリンクパックを複数装着できて、すぐに取り出せるタイプの方が、はるかに実用的でファッショナブルで、使いやすい給水グッズだと思いました。(チューブから飲むためにハイドレーションパックに水を入れて走りながら手も使わずに飲むなどというのは、登りも駆け上がるような上級選手にだけ必要なグッズで、素人には無用でした。)

結果ですが、
小仏バス停から進んだところに集合して、準備運動や装備確認をして、2チームに分かれました。私たち、遠くの陣場山頂(往復では20キロ弱ぐらいだったようです。)までチームは総勢12人をコーチ二人が担当して下さいました。
初、トレイルランニング、思ったより「きつかった!」です。

雑誌でのトレイル紹介記事などに、「そこからは、ふかふか落ち葉のゆるい下りが続きます」などと書かれているのを読んでいてそんなコースを勝手に頭に描いていましたが、実際は全然違っていました。

登り道は、先月、紅葉を見に行った、表高尾(6号路など)の登山道のような斜度のきついところのようなきつい上りも多く、下りも含めて、丸太で作られた階段上の場所も多かったです。
「緩い上りはゆっくり走って、きついところは、早足で歩き上る感じです。」とのことでしたが、かなりきつめの上りもゆっくり駆け上がるのが、復路ではきつかったですし、きつい上りは歩きでの徒歩でも心拍が上がり、きつかったです。

しかし、一番、きつくて、私が苦手だと気がついたのは、下りでした。陣場山往復チームの皆さん、かなりのペースで、斜度のある下りを跳ぶように降りていっていましたが、トレイルに不慣れなせいと、バランス感覚、反射神経が鈍く、目も良くないせいで、走力不足だけのせいだとは思わなかったのですが、気の根が地表に多く出ていて足を取られたら転倒しそうな下り斜面は、「どこに着地しようか、おそるおそる選びながら」ペースで下ることしかできずに、他のメンバーの人と差が空いてしまいました。

その難しい下りが、「やっとの思いで息も上がって上りきったきつい上りの直後」だったのも、きつかったです。
それでも、陣場山までの往路は先導コーチに続く集団と一緒に到着しましたが、復路は、疲労と腿裏(ハムストリングス)の軽い痙攣などもあって、集団から離されて、

下りを降りる難しさで、トレイルランニングの難しさを体験しました。平地、やや上りや、やや下りで、「普通に走れる部分」は、全コースの、ごく一部でした。
トレイルランニングを甘く見てはいけないなと思いました。軽い擦り傷を作っていたメンバーがいましたが、無事に皆で降りてくることができました。私は、復路のラスト近くの下が石の下りを走っていて左首を捻りましたが、捻挫もせずに、痛みも残りませんでした。
開始前に白方ヘッドコーチが「これはまだ試してないでしょうから、試着してみたらどうですか。」と勧めて下さって、左足首に巻いていた、SEVの足首バンドの効果だったのかもしれないです。白方ヘッドコーチと話をしたのですが、これまで、白方さんがSEVの効果を実感したのは、レース中の故障やケガなど、「マイナスの状態でのランニングの時」だったそうです。

次回の、同じ、裏高尾トレイルは、2010年の3月28日に開催予定と、白方ヘッドコーチからのメールにありました。

私の年明けのレース出場予定ですが、
1月と3月にアップダウンの多い、稲城市と多摩市の10キロのロードレースです。
トレイルとロードでは条件が全く違うことを実感しましたが、上り下りのきつさを体験したことは良い刺激だったと思いました。
1月17日の、稲城のロードレースは昨年までの「稲城ロードレースという名前でしたが、今年からは、同じコースで、名前が、 「2010東京ヴェルディ稲城グリーンロードレース(ぽんぽこマラソン)」になりました。

また、トップギア TopGearと知り合うきっかけになりました、「パラカップ」の
2010パラカップの申込みエントリーが開始されたというメールを受け取りました。
種目は、多摩川河川敷コースでのハーフと10キロと昨年と同じですが、スタート、ゴール地点が、昨年の丸子橋下から、古市場トラック に変更されました。
10キロとハーフのどちらに出場しようか迷っているところです。

9月末の初フルマラソン完走から、調子を落とし続けている今シーズンですが、コツコツとマイペースで練習を続けたいと思います。
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2009川崎国際多摩川マラソン(ハーフ)(11月15日)出場

2009年11月19日 | ランニング
この大会は同じ多摩川河川敷コースを使っていましたが、昨年から等々力競技場がスタート、ゴールに変更されました。
その昨年の大会が、私のハーフマラソンのデビューでした。昨年の記録は1時間41分台でしたが、
今年は、何と、1時間55分もかかってしまいました。

天候は晴れ、11月1日のフルマラソン二度目挑戦(大井川しまだ)の時と違って、風に悩まされることもありませんでした。

河川敷のコースは、道路よりは路面からの反発がもらいにくく、かつ、固さは十分で足へ負担はあるのに、じゃりじゃり小さい砂がすべって、前進する力は不十分で体力消耗します。同じ多摩川河川敷コースで今年の4月29日に出た、「パラカップ2009」の結果報告の、当ブログの記事に、小砂の辛さについては、書きました。
ところが、今回の、「川崎国際多摩川」は、前日までの雨で、一部ぬかるみもあり、「乾燥して固い土で、中途半端に道路より疲れるし脚に負担で、小さい砂ですべる」」ということもなかったです。

記録が悪かったのは、練習不足と、練習不足による体重増やら、体調の調整失敗などでした。

練習会に参加しているチームのコーチからも、「9・26フル、11・1フル、11・15ハーフは、無茶なエントリーだと思いますよ。」と言われていましたが、
その通りでした。
この間隔もで、筋肉痛などは取れるのですが、フル完走後は、しばらくは、ランニング練習ができないので、うまく、次への調整ができなかったです。精神的にも、
「来週までは身体を休めて、再開しよう。」と自分を甘やかせてしまいました。

それでも、
自分で探して決めた、大会、スケジュールで、フル、フル、ハーフの最後は、地元の多摩川で、完走をすることができて、大満足です。


最初の5キロは選手が多くて前に出るのに苦労して、かなりタイムがかかってしまいました。その後はマイペースで飛ばしすぎることなく折り返しましたが、なかなかスピードが出ないまま、ラストは、いつもどおり、失速しました。痙攣で止まることはありませんでしたが、炎症抱えているアキレス腱よりも、大臀筋疲労痛で重力で骨盤が地面にひきつけられているようでした。

不思議なのは、「フルのときのハーフは、「これぐらいでハーフでいよいよ後半かを二度、経験して間もない。」なのに、「ハーフだけでゴールなのに、こんなに長く感じて最後に苦しむのか、。」」ということでした。


スタートが後過ぎたのが悪いのですが、そんなに道幅が狭いわけでもないのに大混雑で、ゆっくり走っていらっしゃる方々をパスするスペースが見つからずに苦労しました。

カップルでゆっくりと楽しまれている出場者の方などは、スタート後の、混んでいる時には横並びにならずに縦列で走っていただけると、もう少し、スペースができるのにな、と思いました。
また、
「ゆっくりめに走ってるからで早めの人に抜いてもらいたいな」と思ったらコース右で左をあけるようにしてみたら(左右のどちらでもいいですが)などという、ルールというよりは、「ちょっとしたマナーとして心がけたらどうですかというアドバイスをセットした大会です。」ぐらいをランナーに伝えるとか、そういう工夫で、快適で混雑も減るだろうし、安全(無理に抜こうとして接触して転倒などが発生したら危険です、)
と、感じました。 (個人的な感想からの意見ですが。)

次回は、
12月6日(日)の、「第36回中原区民多摩川ロードレース マイペース大会」10キロです。これも昨年に続いて二度目の参戦。今回と同じ多摩川河川敷コースを丸子橋から二子橋折り返しです。
年明けは1月稲城市、3月多摩市と、アップダウンが激しい、二つの10キロのロードレースに向かうという昨年と同じ大会出場予定です。


写真はこれまでにも載せている、硫黄島の硫黄ヶ丘の船見岩を、今年9月の入間基地から輸送機での日帰り慰霊墓参の時に撮影してきたものです。
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しまだ大井川マラソン(11月1日)出場結果

2009年11月11日 | ランニング
このところ、当ブログの記事掲載更新が滞っていて、この記事もタイミングが遅れてすいません。

11月1日(日)に島田市の大井川沿いのランニング走路「リバティ」をメイン会場とする しまだ大井川マラソン、フルマラソンに出場いたしました。

今年が第一回目の開催の大会で、フルネームは
「富士山静岡空港開港記念 しまだ大井川フルマラソンinリバティ」です。

結果は、4時間11分58秒(ネットタイム)で、
9月26日の初フルマラソン挑戦だった小金井公園マラソンの4時間6分2秒にも及ばず、二度目のフルマラソン挑戦も、4時間切り(サブフォー)は果たせませんでした。
しかし、「無謀ではないか」とも、周囲から指摘があった、ほぼ1ヶ月のインターバルで2度のフルマラソンに挑戦して完走できたという結果には大満足です。


前日、携帯メールに、練習会に参加しているトップギアのコーチから、「前半は飛び出さないように。ハーフ過ぎてからです。」という、応援のメッセージメールをもいただきました。

9月26日の初マラソンで、27キロで痙攣、特に35キロ過ぎに超スローペースにダウンを経験したばかりでしたので、「何とかペース配分は間違わないで頑張ろう」と思っていました。


事前の封筒での参加にあたっての郵送内容が、とても、充実した内容であったことから、まずは、大会運営の素晴らしさ、に驚かされました。ゼッケン、シューズにつけるチップ、当日前から使いたくなるような大きくて丈夫そうなビニール製の荷物預け袋と、その袋に貼るゼッケンNoのシール。いたるところ気が利いた郵送物の内容でした。

天気予報では曇で最高気温が20度強ということでしたが、当日は朝から晴れて、
気温は、スタートした9時から昼にかけて上がっていき、おそらく25度ぐらいにまで上がったと思います。

もたもたしていたら島田市で宿泊施設はどこもいっぱいになっていて、二駅ほど東の藤枝駅徒歩5分のホテルに宿泊しました。朝、9:00と遅めのスタート時間でしたし、チップやゼッケンは送付済みで、スタート地点となる市役所前通りに並ぶだけで当日受付は無かったので、朝は楽でした。

申告タイム順のゼッケン番号でスタート地点から並びましたが、6000人ぐらいの出場者の中で、かなり後からのスタートとなってしまい、スタート板まで7分近くかかってしまいました。

最初の5キロは市街地から狭い古い町並みを残す地域を通って河川敷まででしたが、混雑していて、まわりの選手を安全にパスして行くのが、大変でした。が、ゆっくりペースで入ることができました。

名所の蓬莱橋を通過。前回の小金井と同じ26分台にまで上げてしまっていましたが、無理はしていないつもりで「ラストにスローダウンするのだから、ハーフを超えたら、もう少し上げよう。」ぐらいに思っていました。追い風だったので折り返しは向かい風になることも分かっていました。

河川敷コース「リバティ」の終点(起点?)の折り返し点は、20キロ地点と21キロ地点の間にありました。折り返すとすぐに、強い向かい風が思っていた以上に辛いことが分かりました。ハーフを超えてスピードを上げるどころか、既に、かなりのスピードダウンになってしまっていました。
向かい風の時には、やや身体が大きめで、似たようなペースの人の後ろに入って風除けにするのが、賢い作戦なのですが、まわりに、そのような選手はいません。
かなりの選手が、地元開催の初挑戦だった選手とかも多いらしく、私以上にペース配分ができない(前半とばしすぎ)人が多数で、折り返し後は、かなりの人数が歩き始めてしまっていました。

給水、エイドは、全体とても充実していました。
ホームページ、事前の案内資料でも宣伝されていた33キロ地点(二度目の折り返しをしてから、戻ってきてゴールになる地点)の大エイドステーションに、並んでいた食べ物の数にはびっくりでした。 そこまでに、飴やバナナなどを、既に取っていましたが、そこでは、私は みかんとお饅頭を取って食べました。 あまり取っている人はいませんでしたが、みかんの隣には、「ステーキ(野菜もついてました)」もありました。

その33キロ地点が、今回は一番きつくてスピードが落ちた地点でした。二度目の折り返し点が38キロ手前付近にあるために、ラストの7キロぐらいは、また、追い風になるためです。

今回は、両脚のふくらはぎの痙攣は26キロ付近で始まりました。前回の小金井の時は27キロ付近で膝より上のハムストリングス(腿の裏)も攣って、止まって伸ばしましたが、今回はストレッチのために止まることはありませんでした。

陽射しと気温よりも、向かい風が辛かった42.195キロでした。
暑いので汗はかきましたが、風が強く乾燥していたので、汗が流れ落ちる前に乾いてしまうためにゴールした時には、前進が塩まみれ、身体だけでなく、耳の近くなど顔にも塩が大量に吹いていました。


4、5日はまともに歩けない筋肉痛も、前回の小金井(翌日に、多摩川月例10キロをゆっくりペースの59分台で走りました)より、ひどかったです。


沿道の方の応援も、運営も本当に素晴らしかったです!ありがとうございました。
一番、印象に残った応援は、沿道で声を出さずにスケッチブックに字を(目立つカラーでもなく)書いて立って見せてくれていた人でした。往路では、「風邪気味、調整ミス?それらは全て妄想に過ぎません。頑張れ!」という内容で、復路では、「30キロの壁、、それらは妄想です。頑張れ!」というようなことが書いてありました。 私にぴったりの内容だったので、笑ってしまいましたが、力づけられました。


次回と年内のレース予定 :

11月15日、2009川崎国際多摩川マラソン(ハーフ、昨年に続いて、等々力競技場がスタート、ゴールになってから二度連続出場)
風邪気味は何とか直すとして、練習不足とオーバーウェイトの調整ミスはもう間に合いませんが、「秋に フル フル ハーフ の3本を走る!」と決めてエントリーしたのですから、タイムは気にせずに、頑張って感想したいです。)

12月6日 中原区民多摩川ロードレース マイペース大会 10キロ (これも昨年から参加)


写真は、大会前日に、大井川鉄道に乗ったのですが、乗り換え駅の金谷で小休止、駅から10分ほど歩いた場所にある、旧東海道の石畳 です。
石畳茶屋で団子を食べてから、大井川鉄道で川根温泉に行きました。
川根温泉は水着で入る方は温水プールと、各種温泉風呂に、サウナが2種類。裸で入る風呂の方は、大井川鉄道SLが見える露天風呂があって、長時間、すっかりリラックスしました。
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初フルマラソン挑戦、完走の報告

2009年09月27日 | ランニング
9月26日(土)、3時起床、4時台の電車に乗り込んで、会場に6時頃到着、午前7時スタートの「第15回小金井公園5時間走フルマラソン大会」のフルマラソンの部に
出て、完走しました。
初のフルマラソンのタイムは、4時間6分2秒でした。

公園内の1周5キロのコースを8周と、スタートとゴール部分というフルマラソンコースでした。公園内でカーブが多くてかなり入り組んでいた点では、横田駅伝の5キロと似ているコース作りだなと思いましたが、緑が多くて、とても気持良く走れる景色が良いので周回でも飽きないコースでした。ただし、後半ばててくると、1週がとても長く感じられました。アップダウンもほとんどなくて、1箇所短いなだらかな下りと、もっと短いやや斜度のある、50メートルもないぐらいの上りがあるだけでした。

1周に2箇所、給水があって、スタート、ゴール地点に近い方(以下、エイド)と、水を出してくれる場所がありました。
エイドが充実していて、水に、薄めたポカリスエット(粉末から作ってくれていたと思います。ポカリスエット、アクエリアスのペットボトル市販のものは、そのままではランナーには濃すぎて咽る原因にもなるので、薄めて飲むのが良いとされています。ちょうど良い濃さでした。)以外に、1時間経過の8時からは、バナナ、キャンディー(「いちごみるく」でした。これには助けられました。)、その後、あんぱん、バームクーヘン、梨、レモンなども登場、という豪華さでした。ボランティアの皆様、本当にありがとうございました。

最初の5キロが終わってのエイドまでは、「4時間完走ペースメーカー」の方がひっぱってくれていた一団で走りましたが、エイドに人が集中して時間がかかっている間に、先に飛び出てしまいました。

気温も上がらず、足脚腰の調子も思ったより良い感じで、ペース良く走れてしまったので、5キロ26分台のペースで25キロまで行ってしまいました。
公園正面の長い直線の後半、27キロ地点で前触れもなく、左大腿裏(ハムストリングス)が攣りました。急いで止まったら、右のふくらはぎも攣りました。脂汗が出ましたが、10秒ほど止まって、ストレッチをしてどうにか、痙攣はおさまりました。そこからは、何とか攣らないようにという恐怖と、じわじわ増してくる疲労によるばてとの闘いでした。それでも、30キロまでの5キロは30分2秒、35キロまでの5キロも31分30秒でしたので、残りをキロ7分ペースで走れば余裕で4時間を切れるペースでした。 が、やはり、35キロ過ぎにペースダウン(世間で言われているとおりでした。)、35キロ過ぎのエイドで、4時間ペースメーカーさん集団に抜かれて、40キロ地点からゴールまでのラストは17分もかかってしまいました。

それでも完走できたのは、エイドのおかげでした。給水と食べ物以外に「掛け水」を用意して下さっていたのです。大きなビニールプールに大量の水とたくさんのスポンジ、攣った次のエイドから、両足に大量に水をまぶして走りました。さらに大きな氷の浮いたバケツと手桶、最後近くのエイドでは、手桶で脚全体に冷水をじゃぶじゃぶかけました。この、「掛け水」を用意してもらっていなかったら、きっと、何度も、「攣っては止まっての繰り返し」だったはずだと思います。ピクピクはしてましてが、止まってストレッチしたのは27キロ地点の最初の痙攣だけだったので、何度も歩くようなことがなく、完走できました。

25キロまでは、快調なペースで気持よく走れて、35キロからは、「いつまでたったら、5キロラップのストップウォッチを押せるのだろうか。」という辛さでした。これまでの練習で走った距離も33.6キロが最高でしたが、フルマラソンを走り終えることができました。

振り返ってみると、ご指導くださっているトップギアのコーチ陣に、いつも言われている、「今後の10キロ、ハーフ、フルに挑戦する時もおそらく、前半つっこんで後半ばてる走りをするタイプだろうが、ラストでスピードアップできるペース配分にできるように気をつけて。」というアドバイスの、コーチの皆さんの予想したとおりの、「いつもどおりのペース配分でラストばてばて」の走りになってしまいました。ずっと、4時間ペース集団に入れば、ラストまで痙攣や疲労によるスピードダウンがなくもったのかどうか、ラスト、上げられたのかどうかは分かりません。
5キロ26分台ペースで行ってもラストでスピードアップできる地力(筋力、持久力、心肺能力)をつけられるようなトレーニングができれば、もっと、いいのに、と思いました。

本当にすばらしい大会で、来年もまた、ぜひ出たいと思いました。気温、湿度も絶好のコンディションでした。


青い硫黄島のキャップをかぶって走りました。


写真は今月11日の日帰り墓参帰島の時に撮影した、硫黄島貨物廠跡近くのがじゅまるの木です。小金井公園にはカメラをもって行くのを忘れてしまって記事の内容に関係のない写真ですいません。小金井公園には、また、花がきれいな季節に遊びに行きたいと思います。




フルマラソン翌日の9月27日(日)には、川崎市古市場トラックがスタート、ゴールで多摩川河川敷コースを会場とする、月例川崎マラソンに行ってきました。以前から知り合いから勧められていましたが、別の知人の「ランニング大会デビュー」で、「1キロ6分ペース、10キロ1時間」のペースメーカーを依頼されました。

10キロは9:30スタートで、スタート直後に陽射しが出て暑くなりました。筋肉痛が残っていましたが、キロ6分のペースでは走れるところまで回復していました。「依頼人」のペースは、上がったり下がったり一定ではありませんでしたが、1キロごと表示の無いコースでしたが、運にもめぐまれて、無事に、10キロを59分50秒台でゴールさせることができました。

同じコースの同じ場所は、昨年の、川崎国際多摩川マラソン(ハーフ)、今年4月のパラカップ2009ハーフに続いて3度目、同じコースの別の丸子橋-二子橋間は、昨年の12月の区民ロードレースでも走っています。今年も、11月15日の川崎国際多摩川マラソンで走る予定です。細かい砂が気になるコースの川崎月例10キロは、多摩川大橋と新幹線橋の間に三つの折り返し点がある設定でした。コースとフォームを確認しながら、前日のフルマラソンのリハビリができたので良かったです。
貴重品預かりサービスがあったのが良かったですし、伝統のある月例ですので運営もしっかりしていました。多くの皆さんが、3キロ、5キロ、10キロとも走っているのにびっくりしました。5キロを22分で走ったとして、8分後には10キロのスタートなのですから、5キロでばてていたら、まだ、脚もパンパンで呼吸がやっと戻ったぐらいの時間に10キロスタートするのですから、すごい人たちだと思いました。

前にこのブログに、今年の秋に「フルマラソン(小金井公園と11月1日の静岡県島田大井川)二つと、11月15日の川崎国際多摩川(ハーフ)とフル、フル、ハーフと
申込み登録をしたという記事で、「人気大会(特に東京マラソン)に、あまりに人が集まり過ぎではないか。探せば、いろいろな良い大会があるのに。東京マラソンなど人気大会ばかりに申込み殺到し過ぎだと思う。」という内容のことを書きましたが、今回、手作り色が強く、地元の走友会、クラブの主催で、多くの地元ボランティアの方々のご協力で運営されている大会に二日続けて出場して、ますます、「探せば、地味でも、すばらしいランニング経験ができる大会が多い。」という前に書いた意見を再確認できました。

多くの出会いがあった、今年4月開催のパラカップ2009も、主催団体は国際支援活動をなさっている複数団体の人を中心とするボランティア・スタッフの方々という、規模は大きいですが、手作り色の強い大会でした。
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ランニング・ブームとレースへのエントリー

2009年07月07日 | ランニング
ランニングのブームは、世間で思われているほど、
突然やってきたのではなく、ジワジワと、流行ってきていたと思いますが、
爆発的ファン人口増加に決定的だったのが、
「東京マラソン」であるとういう点では、多くの皆さんと、同じ意見です。

「東京マラソンに加熱、集中しすぎでは?」と
思うぐらいです。

「東京マラソン」、魅力的な大会なのは間違いないでしょうが、
あのような倍率になるほどにすごいのか分かりません。
フルマラソンに出たいという人が、あれだけの人数になる
という人数の裾野の広さにも驚かされますが、
他の大会と比べても、不思議なほどの応募数だと思います。


「楽しい大会、良い大会に出たい。」よりも、
「人気の大会に出たい。」というのが、
先行してしまいがちなのかなぁ、とも思ってしまいます。

3回目の東京マラソンに初めて申し込んで外れましたが、
「当たったら出てもいいかな。」ぐらいで、
「二年連続で、当選して出場した」という話を聞いても、あまり羨ましいとも思いませんでした。


もちろん、
東京マラソンだけが人気なのではなくて、
どの大会も軒並み前年より出場者増、応募者増なのですから、
一つ、東京マラソンだけに集中しているとは思いませんが、
ブームになった大会ほどさらに人気をより集中させているように見えます。


全体として、ランニング人口、大会出場希望者のインフレ需要に対して、
大会数と参加可能人数の供給が追いついていないということもあると思います。


レベルも経験もまだまだで、生意気な口をきける立場ではありませんが、
私自信も、知り合いには
「走ってみるといいですよ。」
「せっかく走るなら、大会に出てみるといいですよ。10キロから
始めて、ハーフへと進めてみては。」と、言っていますので、
競技人口、ランニング仲間が増えることは、ファンの一人として
嬉しいことです。

が、「申込み開始、直後に待ち構えてエントリーしないと
すぐにいっぱいになる。」
「あの大会も、2日で締め切られた。」
ランナーが集まると話題になる大会というのがいくつかの
大会に決まって集中する、
というのは、行き過ぎという印象の状況かな、と思います。

海外のフルに行く人も多いですが、
那覇も人気ですし、湘南国際がすぐに定員で締め切られたことは
ランナー仲間の皆さんご存知のとおりですし、
フルではない手賀沼も、かなり早くに定員に達しました。


反面、どの大会も、運営や参加者の満足度向上に一生懸命に
なってくれていて、女性ランナーが特に増加している昨今では、
「ご当地名産」(すいか、さくらんぼ、ぶどう、、、)大会も
人気を集めていますね。


私自身が、実際に今年出場して楽しかった「横田駅伝」も「こんなに混雑するのか。人気あるな。」と思いましたが、来年も人気で混雑するとしても、
また、出たいとは思いますので、人気の大会に出場希望するランナーの方が多いことは、気持ちとしては、共感できる部分もあります。


もっと、自分のトレーニングの調子もみながら余裕を持って、
申込み期限設定日ぎりぎり近くにエントリーできるのが理想だと思うのですが、
そんな悠長なことを言ってられない現状です。

さて、
「炎症はよくなってきた。うまく練習できていないが、そろそろフルに
挑戦してみたいが、人気の大会は、すぐに締め切られてしまうし
今から、秋にどれぐらい身体を作れるところまで走りこめるか
分からないけれど、どれかはターゲットにしないと。」と、
悩んでいました。
ところ、


いろいろな出会いがあった、パラカップ2009
(本当は、前から目をつけていた、その1週前の東日本国際(相模原米軍基地)
を申し込もうとして、締め切り期限を過ぎていて唖然してしまい、
たまたま見つけたのがパラカップでした。)も
インターネット Runnet で検索して見つけました。

Runnetからは、メールでの大会情報も届きます。

「第1回 しまだ大井川マラソンinリバティ 富士山静岡空港開港記念」
の案内がメールで届いたのを、きっかけに、
「これは、秋のエントリー、のんびりかまえていられないな。」と
検索、検討を開始いたしました。

結果、面白いのを見つけることができました。


一つは、
「第15回小金井公園5時間走・フルマラソン大会」
です。
これまでの出場者の感想や、実施して下さる団体の
小金井公園走友会さんのホームページなども参照しました。


結果、
9月26日の
「第15回小金井公園5時間走・フルマラソン大会」
11月1日の
「第1回 しまだ大井川マラソンinリバティ 富士山静岡空港開港記念」
の 二つのフル・マラソンに 
6月25日にエントリーをいたしました。

フルに出場したことがなく、故障の少ない走り方への
フォーム改善中で、月間距離も少ないという時期なのに、
いきなり二つのフルは、かなり無謀なのは覚悟してエントリーしました。


9月26日の
「第15回小金井公園5時間走・フルマラソン大会」
は、「始発でいけるかな?」から調べました。
何とか前泊なしでも始発に乗れば行けそうです。
公園を周回するコースで路面も走りやすそうですし、木々が多いのも良さそうです。手作り感がたっぷりな、大人数大会でないのも良いと思いました。
エントリー・フィーも格安です。
ランナーの皆さんが、9月のフルは、「まだ、暑い」と敬遠しがち
なのは知っていますが、当日の気温や天気は分かりませんし、
公園内であれば、走りやすいかな、と思いました。
フルマラソン未経験者にはきつい、5時間制限があります。
(5時間 時間内どこまで走れるか と、同時開催のうちの、
フルに申し込みました。)
未経験の距離(前回はハーフのラストで失速というのが現状のレベル)
なのですから、フルを甘く見ているということは決してありませんが、
「最初のフルでサブフォー(4時間切り)狙い」などと気負わずに、
「5時間で、完走できるかどうかが明確なターゲット」
にできる点からも、このレースを初フルに選びました。


「第1回 しまだ大井川マラソンinリバティ 富士山静岡空港開港記念」
は、「フラットなコースです。」と紹介にありました。
制限時間もゆるいコースです。
5週で二つのフルマラソンを走れるのか不安ではありますが、
「第1回」という点が気に入りました。
前泊するか、当日朝、移動するかはまだ決めていません。
駐車場券を申し込みました。

記念すべき第一回 ですから、開催サイドの方々も
力を入れて成功させようとしてきてくれるはずですし、

先に長々と書いたように「どうして同じ大会にみんな集中しすぎるのか」
と疑問に思っていたこともあって、
「こういう、今年から始まる、穴場(?)大会も、ちゃんと
あるじゃないか。」というのを探せた、と思いましたので、
あまり迷わず、エントリーを決めました。


昨年、初のハーフに出場した地元開催の
「川崎国際多摩川マラソン(昨年から等々力競技場をゴール、
スタートにこの名称に変更、一昨年までの「多摩川ハーフマラソンin川崎」)
の日程は、二つのフルにエントリーの時点では知りませんでしたが、
さきほど、主催者の川崎市スポーツ振興課に、電話で確認させてもらった
ところ、11月15日(日)開催 (申込み受付開始が7月末日)と、
昨年と同時期開催であることが分かりました。
この大会は例年、湘南国際と重なっていましたが、湘南国際が今年から
スケジュールが前に変わったので、重ならなくなったということです。

がむしゃらに、いくつかのコースを決めて、
「できるだけ長く走る。同じ距離なら、前回より速く走る。」と
トレーニングの記録をファイルにつけて、ストップウォッチの数字だけ
気にして走っていましたが、

この春に、アキレス腱が痛む中で パラカップ2009ハーフに出場を
決めて、大会前の練習会で会ったトップギアのコーチの皆さんや、
同じく練習会に講師として来て下さった、スポーツアロマオイルマッサージの
プレミナのスタッフ、
トップギアの練習会で知り合った皆さんなど、
トレーニングについての情報量、アドバイスが増えましたし、
前までとはアプローチを変えました。

トップギアのコーチ陣のご指導で、
ショートストライド&ハイピッチ走法へのフォーム改善に取り組んでいる最中で、短い距離でならやっとそこそこのスピードが出せるようになってきました。
「後ろにかくように走る。」癖を直していますので、走る度に痛くなっていた
アキレス腱炎もよくなってきています。

筋肉トレーニングは嫌いではないですが、身体が硬いのが弱点なので
ストレッチにも積極的に取り組んでいます。

もっとスピードを出して、長く走れる持久力と、それで痛めない
エコ&セーフな走りができるよう練習を続けることと、
コンディショングとケアが、この夏の課題です。

あまり走っていなにのに、珍しくハムストリングス(大腿裏)が痛いのは、
日曜のパラファーム2009の「草刈」が、ハードワークだったため
のようです。体勢もきつく、たっぷり汗もかきました。


写真は、今年撮影の、父島の村役場近くに咲いていたプルメリアです。
(昨年も同じ場所で撮影した写真を掲載しました。)
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横田駅伝 たすき渡し

2009年06月10日 | ランニング
6月7日(日)、青梅線の牛浜駅に集合して、
第25回横田駅伝に出場いたしました。

結果を検索しましたところ、
トップギアAチームは、1時間23分01秒で、総合順位 69/1325
でした。

初めての駅伝で、三区を走ったタイムでチームの足を引っ張ってしまいましたが、
楽しかったです。

それにしても過酷な、暑さというコンディションでした。
前日の土曜が小雨で、終わったあとの、月曜、火曜とこんなに涼しい
ランニング日和なのに、開催日の日曜だけ、暑いコンディションでした。
暑いコンディションは出場した皆に平等でしたし、
実力者の皆さんもかなり、暑さで苦戦していました。

私は、たすきを受けて、最初だけ少し、飛び出しましたが、
「スタートダッシュしては、この暑さでは消耗してもたない。」と、
すぐに抑えて、
1キロ、2キロ、、と表示があるたびに、「まだ、残りがそんなに
あるのか。」と、とても長く感じながら、
「中盤で、無理すると、後半失速する。」と、抑えて、
最後は、「この疲労ではラスト・スパートができない。」と、
終始、抑えたままで、5キロ、走り終わってしまいました。

手もと計測の5キロの結果で22分46秒かかっていますので、
10キロのベスト(アップダウンのあるコースの大会の時)の半分よりも
長くかかってしまいました。
実力不足ですので、しっかり、トレーニング、走り込みをしたいと
思います。


個人の大会では、計測用のRCチップというのが、ゼッケン裏に
張られているタイプと、靴紐に通すタイプの大会に出たことが
あります。
今回は、ゼッケンにもチップがついていないのに、
計測板の上を通ると、通過時間を計測したピーという音がなりました。
不思議だったのですが、「たすきに計測チップが埋め込まれている」のだと
教えてもらって、分かりました。


たすき渡し場所と、計測板とが、離れていましたので、
手もとで計測したタイムと、後ほど発表される区間ごとラップとは
ずれると思います。

これだけのチーム数での大会ですから、
かなり凝った工夫がされた特殊なたすき渡しの方法が採用されていました。
チームを50ずつのグループに分けて、
それぞれに番号のついたピット(F1のピットの感じと似ています)
が割り振られて、そのピットの中でたすきを渡す、という仕組みです。

ただ、分かりにくかったのが、ゼッケンの番号とピットの番号とが
関連が無かった点でした。
ピットの表示には大きくピット番号と、
小さく ゼッケン番号 が、何番から何番までか、が書いてありました。

私たちのチームはゼッケン番号は16から始まる4桁ですが
ピット番号は13でした。

「13まで走って、入って渡す。」と何度も、走る前に頭の中で
繰り返して確認をしましたし、
一区から二区へのたすき渡しがされる様子も、ピット13の後ろ側で
見ました。

1区の、チームのエース、ヘッドコーチが戻ってきました。
「暑いです。」と、かなり消耗している様子でした。
アマチュアランナーとは、全然違う持ちタイムの、ヘッドコーチでさえ
かなり苦労して5キロ走ってきたというコンディションだということで、
緊張が高まります。

2区の走者から私へは、スムーズに、かなりの順位でたすきが
渡されました。周りには、まだ、一区から二区のたすき渡しを
しているチームもあり、コースに出て行くと、二区のランナーか
かなりいましたので、抑えたペースで、抜きながら進みましたが、
後で三区にたすきが渡った高速ランナーに、かなりあっさり抜き去られ
たしもしました。速いランナーが、小さい段差で
足を取られて前方で激しい転倒をする場面もありました。

各番号のピットは、コースが円形広場状にほぼ小さく1周の円に
なっている場所の外側に、設けられています。

ラストのスパートもできない消耗でしたが、「あと、あのあたりまで
走ると4区の人が待っている。」と、円形のピット・エリアに入って
行きました。4区のチーム・メイトを探しながら。

走り始める前には、何度も、「番号13で入って渡す。」と
繰り返していたのに、 あろうことか、ピット番号16を超えて、
18ぐらいまで行ってしまって、小さく書かれたゼッケン番号区分が
自分のゼッケンの数字より大きい! と分かって、「しまった!
13だった!」と、やっと気がついて、戻り、
13のところで必死に呼んでくれていた(声は、ランナーが多すぎて
聞こえません)四区チーム・メイトに、13ピット出口で
たすき渡しをする、という、ていたいミスをしてしまいました。

いくらおっちょこちょいな私でも、あの暑さで朦朧としていなかったら
しなかったミスだと思います。それぐらい、「もう、かなり限界だ。
早く、渡したい。」と焦りがあったせいだと思います。

終わってから、4区チーム・メイトに謝り、
「40秒ぐらいロスしたでしょうか?」と訊くと、
「ロスは15秒ぐらいではないでしょうか。」という回答でした。

スピードが出せずに、たすき渡しでもミスをして、
チームに迷惑をかけてしまいました。

チップでの計測板は円形のピット・エリアに入る前に設置されていました。
三区の区間ラップとしては、二区のチーム準エースの方のラスト・スパート
の分が含まれていて、私が計測板を通過後のスパートできていない走りと
たすき渡しミスの分は、四区の方のラップタイムに入ってしまっていると
思います。重ねて、申し訳なく思います。

ミスはありましたし、きついコンディションでタイムも悪かったですが、
事故や故障もなく、前回のパラカップ(4月29日)ハーフ前からの
アキレス腱炎症を悪くすることもなく無事に走れましたし、
とても楽しかったです。
涼しいコンディションだったら、前半飛ばしすぎ失速(ヘッドコーチが
それを心配してくださっていた。)や、故障などが、あったかもしれません。

駅伝には、ぜひ、また、出たいです。
次回は、確実にロスなく、たすきを正確につなぎたいです。


テレビでの駅伝大会でしか見たことがない「たすき渡し」を
経験(ミスしながら)しましたが、
「たすきは、確実に渡されないといけない。」と感じました。
短距離のリレー種目でも、バトン・ミス失格がありますが、
バトンも同じで、確実に次に渡されなければいけません。

「次の世代へバトンを渡す。」と比喩的に使われることも
ある言葉ですが、
(ここで、話を「硫黄島 島民」に、こじつけますが)
私たちの、硫黄島在住島民、子供、孫、ひ孫 という
コミュニティで、行われ続けていて、今がちょうど、大事な
「たすき渡し」「バトン・パス」の時、だと思います。

私の世代は、島で子育てしていた祖父母、幼い頃を過ごした母たち
の世代から、たすきを受けて、もっと若い世代に、確実に
渡していかないといけないと思います。
熱心な諸先輩方が、既に、私より若い世代の人たちと
帰島訪問でコミュニケーションを取って、年に一度の「集い」を
開いて、そこに集まれるようにして下さっています。

私より上の世代の方々、若い人たちと一緒に、竹芝桟橋で
小笠原丸に乗り込む日まであと、三日(今週の金曜日12日発)
となりました。

「たすき」を確実に渡すためには、また、
それぞれのランナーが、「ケガや事故、故障無く、確実に
走り続けていること」 が重要なファクターになります。
年月は経過して、どの世代の人たちも年齢を重ねて行きますが、
みんなが、それぞれに健康で元気で一年を過ごして再会して
一緒に硫黄島を訪問し続けることができることが 願い です。

写真は、今では舗装道路になっている擂鉢山への道を
頂上から撮影(昨年6月訪問の時)したものです。


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チャリティマラソン大会の 「パラカップ2009」のその後 

2009年06月06日 | ランニング
(チャリティ、ボランティアについて少し考える)

4月29日のパラカップ2009の興奮さめやらぬ
5月16日(土)に、同じ、多摩川丸子橋川崎側を会場に、
「裏パラカップ」というイベントが、開催されました。

パラカップ2009のお疲れ様会 
であり、関わったメンバーが集まって、
親交を深める場として企画して下さったもので、
パラカップ(表)当日に、ボランティア・スタッフを
して下さった方たち希望者が、コースの一部を走って、
ランナー参加者が、ボランティア・スタッフ役のまねごとをしたりして、
参加者みんなで、バーベキューを楽しむという会でした。

私は、代表 森村さんたちと、スタートから700メートル地点での
給水所担当チーム の一員をつとめました。

裏パラカップのランニングは、
パラカップ2009本番のような、ハーフや、10キロを
思い切り走るランナーも大勢出場するというものでもなく、
走った方々の距離も短かったので、本当に給水が必要な「ラン」だったと
は思いません。

「ボランティア・スタッフと、出場ランナー、逆も体験してみよう。」と
いう主旨で企画していただいた、「給水所役」でした。

声をかけながら、カップを渡すのは、案外と難しいものでした。
(受け取るのより難しいかも。)
ましてや、本番の先頭グループは、裏パラカップとは比較にならない
スピードで走っていたはずなので、本番当日の給水をして下さった方々の
ご苦労を垣間見た思いがしました。

曇りでしたが雨に降られることもなく、
懇親バーベキューは楽しく和やかに会話も弾みました。

パラカップの、幹事、役員スタッフ、ボランティア・スタッフの
おもだった方々が参加していましたが、
その皆さんを見て、感じたことは、
「とても、楽しそうで、面白いことを考えて、表現して
ということを、本当に好きでたまらないという様子で、
明るくなさっているな。」ということでした。

5回目のパラカップ2009は、あれだけの大規模な大会として開催
されましたので、代表、それぞれのスタッフの皆さんの、
企画力、計画立案力の高さは、並大抵のものではないことは
知っていました。

もちろん、開催までに何度も、企画会議、準備活動を
丹念に、根気強く、重ねてくださった積み重ねが、今年のパラカップという
結果になったと思いますので、その過程では、真剣な検討、協議、
困難な時には、苦渋の表情もあったかもしれません。

ですが、スタッフの皆さんは、練習会の時から裏パラカップまで、
皆さん、「楽しませよう。楽しもう。出場者には、
楽しんでやっている姿を見せよう。」としてくれていたと
思います。

裏パラカップでの、司会進行、会話などにも、
「楽しませて、笑わせよう。」というのが、随所にあり、
愉快で和やかなひと時を過ごしました。


パラカップ2009に出場して、二度の練習会から
参加して、
TopGear(6月7日に、TopGear登録チームのメンバーとして、
白方コーチ、田中(幸)コーチたちと、横田駅伝に出場してきます。)や、
ランニングのケア、スポーツアロマオイルマッサージのプレミナの
トレーナーの方などパラカップがなかったら知ることがなかった出会いが
ありました。

裏パラカップの時に、予告がありました。
「パラファーム」というお米作り(お借りした田んぼに
田植えから収穫まで、活動するというもの)の、イベントの
ご案内もいただき、参加することにしました。


チャリティやボランティアというと、
「真顔で眉間に皺を寄せてやっていて、表現する言葉が悪いが、「どことなく、自己犠牲、自己満足、独善的」な活動のイメージがある。」と、
これまで、漠然と思っていましたが、
パラカップのスタッフの皆さんとお会いできて、そのようなマイナスの
イメージは、全く吹き飛びました。

代表や幹事スタッフの皆さんが明るく楽しそうでないと
あのような多くのメンバーが、ボランティア・スタッフとして
協力者、出場者として参加する規模のイベントをリードすることは
できないのだろう、と感じました。


そして、
「硫黄島島民の集い」を毎年、回を重ねて開催して下さっている
幹事スタッフの皆さんの姿が、パラカップのスタッフの皆さんとだぶりました。
「島民の集い」も、大変な準備を、毎年、「どうして、あそこまでして
下さるのだろう。」と思うほどの企画、活動を、スタッフの皆さんが
ボランティアでして下さっているおかげで、楽しい意義のある会が
開かれ続けています。
同じように、ご苦労も多い幹事一同の活動を、明るく楽しそうに
やり続けて下さっています。


いよいよ来週の金曜12日に、竹芝出航の小笠原丸で
今年の、硫黄島帰島に発つ日が近づいてきました。
通算で5回目の硫黄島、船では3年続けて4回目の参加になります。
今年もしっかり見て参加して、意義深いものにしたいと思っています。



写真は、
サロモンというメーカーの ハイドレーション・パック内蔵ザックです。
ハイドレーション・パックは、この写真のように取り出せます。
前に モンベルの物の「今年、装備として調達した。」と書きましたが、
今年、なぜ、
一度に背負えるのは一つなのに二個買ったのか
というと、
小笠原での水分補給対策には役立つものですし、
「旧島民のメンバー」には、
「何でも挑戦したがりで、凝り性」という
共通点があるので、予備も持って行きたい、と思ったからです。
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パラカップ2009 に参加して

2009年04月30日 | ランニング
パラカップ2009 ハーフマラソン 結果 1時間45分25秒


自転車で会場に向かい。受付開始直後に着きました。
まだ、あたりは空いていて、nformationのところに、
代表 ゆきさん がいましたので、
「心配していた暑さも、これぐらいで、良いコンディションになりましたね。」と
声をかけたところ、やや緊張した表情で、
「いや、気温は上がっています。油断しないで、十分に水分補給して下さい。」
と、言葉をかけて下さいました。

私は自分のコンディションと気候のことだけ考えて、
「風もないし、この気温なら消耗も、それほどでない。安心した。」
と思ったのですが、
代表 ゆきさん はじめ、スタッフの方々は、
大会全体のことを考えないといけないお立場です。
ふだん、あまり走りこんでいない方もいらっしゃるでしょうから、
十分な給水ポイントを設けて下さっていましたが、
本当にたくさんの準備を重ねてきてくださって迎えた大会当日
ランナーみんなのことに、気を配って下さっている様子が伝わりました。

スタート地点でも、盛り上がっていました。
「世界の子供たちのために走るぞ。」という声が、
上がっていました。

目標タイム風船をつけた、ペースメーカー・ランナーの
方もいてくれました。これは心強い、と思い、
スタート2キロぐらいで、「1時間45分」の方を抜きました。

まだ、前半、4キロ手前、古市場のトラック3周は、私がトラックに入った頃に3週して抜けてコースに戻って行くランナーは、かなり上位のスピードのある人たちでしたし、
私が3周終わって出て行くときに、入ってくる方は、そこそこのペースの方たち
でした。 このあたりでは、まだ、余裕がありました。


結果は、
昨年11月出場の初ハーフマラソンだった
「2008川崎国際多摩川マラソン (旧多摩川ハーフマラソンin川崎)」の
ネット、1時間41分台前半より、5分も遅かったです。
コンディション(気温、体調などなど)の違いという部分も大きいと
思いますが、「今日のコースは、きつかった」、と感じました。

ほぼ同じ、多摩川の川崎側 ガス橋-二子橋間を使う
「川崎国際多摩川(一昨年は古市場スタートの公認コースだったそうです。
昨年から等々力競技場がスタート、ゴールに変更されました。)」と、
今日のパラカップのコースの違いは、
「川崎国際多摩川」は、一般道路があるのに対して、
パラカップは、全部が河川敷だった点です。

ガス橋-二子橋間の多摩川を、ハーフの距離にするために、
前者は、競技場を出てから、多摩沿線道路を一度、上流方向に向かってから、多摩川に出て、最後も一度、等々力競技場を上流に通り過ぎてから、道路に戻って
競技場に戻るコースにしていました。
一方の今日のパラカップは、前半の古市場のトラッ3周と、
ラスト近くの河川敷の小道を1周(これが、きつかったです!!)で、
ハーフの距離になっていました。

以前は、「道路は脚への負担が大きくて辛くて、河川敷は走りやすい」と
思っていましたが、
上級ランナーの方にとっては、「硬い道路は反発力、推進力が
大きく、走りやすいが、フカフカの場所は、吸収されてしまい、タイムが
出にくい。」のだと知りました。

今日のコースは、河川敷でも、道は未舗装道路という感じで、
硬いのに、細かい砂が摩擦を下げて、反発力をもらいにくいという、
私のようなレベルにとっては、「脚への負担は道路なみなのに、
道路面のようなスピードは出なくて消耗する。」だったと思います。

また、昨年の11月のハーフの時には、河川敷の部分も
今日のコースよりは、速度は出なくても脚にはやさしい、フカフカの部分を走った距離がもっと多かったように思います。

二つの出場したコースを比較して、「今日のは、きついコースだった。」などと
言ってしまいましたが、条件はハーフに出た全員一緒。
ラスト近く、私が減速してしまっている横を、良いペースで抜き去っていった
女性ランナーの方もたくさんいらっしゃいました。
実力が違っていました。


事前にメールやホームページ、公式ブログで知らせてもらっていて、
既に本日出場なさった方がブログに写真で紹介してくれています
ように、1キロごとに大きな、子供たちの写真入り、距離掲示が
ありましたので、ラップを取りやすかったです。
前半10キロは48分、思っていたぐらいのペースでした。

「来るんだろうな」とは思っていましたが、残り3.5キロのところ、
昨年11月初ハーフの時とほとんど同じ距離で、
ふくらはぎ、痙攣が始まりました。
昨年は左、ふくらはぎから、右ふくらはぎに痙攣が広がりましたが、
今日は、左の腿の前と裏が、次に痙攣し始めました。
18キロ地点からゴールまで、3キロちょっとを、18分以上
かかってしまいました。

それでも、大きなケガもなく、完走できて良かったです。
ちょうど、半分ぐらいの距離の時には、
「生まれ育った、川崎で、このような特別な大会に出れることは
何と幸せなことなんだろう!」と、感動しながら走っていました。

これも、事前に聞いて知っていましたが、応援して下さる
ボランティアや皆様(野球少年たち、というのもいました)との
ハイタッチの回数は、数えられません。何度か、手を出して下さって
いるのに、サボりました。すいません。

「ぜっけんの下に、応援で呼んでもらいたい名前を書くと
たくさん応援してもらえます。」も、事前に知らせてもらって
いましたし、
練習会コーチの白方コーチも、「とても多くの応援、呼んでもらえる。」と
コメントしてくれていました。

私は、「いおうとう」と書いて、
「硫黄島キャップ」(父島でおみやげで買える方。青)をかぶって
走りました。何人もの人に、呼んで、声援をしてもらいました。
ありがとうございました。普通のランニングの大会とは
全く別の経験ができました。

「いおうとう さん、頑張って。」という声援なのですが、
「○○ちゃん」 とか、書いていらっしゃる方は呼びやすかったでしょうが、
ニックネームでも姓、名でもないのを書いていたので、変だったと思います。

「ゼッケンに何と書こうか」と迷って、「いおうとう」の5文字に、私の姓の3文字が、順番どおりに入っていることに気がつきました。
こちらが走って通過していく時に、ゼッケンの番号の下に書いてあるのを
読んで、声援をして下さるのですから、読みにくく、呼びにくかったと思います。中には、割と年配の方で、「いおうとう」の「おう」を抜いて、
私の姓そのままに「さん」をつけて、声をかけてくださった方もいました。
どちらにしても、応援してもらっていることが分かり、力づけられました。

きついラストで、ゴールしてもしばらくは、ストレッチもできないぐらいでした。
第二回練習会の集合場所を提供して下さった「山河の湯」が、
足湯を提供して下さることは、
練習会で聞いていて、メールでも案内を受けていました。
(多彩なランナー・サービスがあって、受けたら
寄付金を入れると、子供たちに届く仕組)
「足湯」(20人分、用意してくれていました)は、列になっていませんでしたので、近づいて、協賛の「山河の湯」ご主人に「練習会でお世話になりました。」と
声をかけたりしていると、すぐに空いて、順番になりました。
さっそく、足湯につからせていただこうとした、その時に、
悲劇が!

靴を脱いで、靴下を脱ごうと脚の角度を変えたら、まず、
ふくらはぎが攣って、痛みが襲って、動かすことができなくなりました。
ふくらはぎをおさめようと足の角度を変えたりしようとすると、
今度は、腿の外の表側、慌てて、鎮めようとすると、
次には左足、、、と、、しばらく、もがいていました。靴下を脱ぐのに
こんなに、苦労して時間がかかり
同時多発的に両足のあちこちが攣って動かなくなったことは、
陸上部で短距離をやっていましたが、以前、経験したことがない、すさまじさでした。

筋肉、持久力の鍛え方が足りないし、走りこみ不足で、
実力がついていなかった結果ですので、
まずは休めて、痛みがひいたら、また、練習再開したいと思います。

このような特別な大会に参加できて、
本当に嬉しく思います。
入念に準備をして下さった、スタッフとボランティアの皆さん、
協賛の皆さん、多くの関係者の方々のおかげだと感謝しています。
ありがとうございました。


当日、現地で受付の
「世界の子どもたちへ「小さな贈りもの」を届けてみませんか?」
と、本(ブックオフと提携、ブックオフが買い取り価格に金額を
上乗せして寄付金にしてくれる)と、
夏物、新しいもので、「子供服」「サンダル、くつ」「ミニタオル」を
募集していました。
本と、海外でお土産にと買って配らなかったティーシャツ(安物、新品)と、
「ぎょさん 2足」を持って行きました。 ぎょさん ?

小笠原の方と、前の記事などを読んで下さっている方、
以外の方には、「ぎょさん」が何か、お分かりにならない方が大半だと
思います。

昨年の夏の、ヨコハマHAWAIIフェスティバルの小笠原村ブースで
購入(このブログの記事でも書いてます。)したものです。

父島では、履物の標準は「靴」ではなくて「ぎょさん」です。
ブックマークにあります ブログ「エンジョイ!島ライフ」さんが、
「公会堂での集まりの、入り口に並んだ、集まった島民の、ぎょさん
の多さ」という記事、写真を前に書いていました
( ぎょさんの通販も、「エンジョイ!島ライフ」から行けます。
http://plaza.rakuten.co.jp/ladygray/ )
父島のスタンダードな履物も、こちらでは、あまり、生活習慣と合わないのか、
家の者にも不人気で、使われず買ったままになっていたものです。(少し、ほこりかぶっていたのを払い落として持っていきました。)

距離的にも、気候風土も、関東地方より、フィリピンに近い
小笠原村の父島の「ぎょさん」、たった2足ですが、
フィリピンの子供に届いて、喜んでもらえると嬉しいな、と思います。
「小笠原村」はこのブログ開始のきっかけですので、パラカップを通じて
フィリピンとが、つながれば、と思います。
(「ぎょさん」は、安物そうに見えて、なかなかの優れもので、
父島の土産店でも、買えますが、こちらの靴屋やドラッグストアでの安売りや、
100円ショップなどで見る似た形状のものとは、違います。)


ゴールをして、
メダルを首にかけてもらいました。脚が痛かった、その時にも嬉しかったですが、
後から、じわじわと、嬉しさがこみ上げてきます。

このメダルは、世界に一つしかない 宝物です。
名前も顔も知らない、子供が書いてくれた絵は、
黄色いお皿にパイナップルが乗っている絵です。

来年も参加したいです。
よろしくお願いいたします。


次回出場予定レース
(トップギアのチームで登録していただきました。)
第25回横田駅伝(一人5キロの4人チーム)
開催日:2009年6月7日(日)
開催地:東京都(福生市)
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パラカップ2009 第二回練習会に参加しました。 UVケアについて。

2009年04月22日 | ランニング
(この記事のタイトルとは別の、硫黄島について、いただきましたコメントについて、最後にお礼を書いています。)

パラカップ2009本番まで、残すところ10日あまりの
18日(日)に、二子玉川:瀬田温泉「山河の湯」集合して、
練習会に参加してきました。

午後、コンディションは、気温が高めで、風がややありました。

協賛のスーパーVAAMを一本もらって飲んでからスタートでした。
私は、ランニング前にVAAMは習慣にしています
(以前の、硫黄島を走った記事の時にも書きました。)ので、
直前の着替えの時に既に、VAAMを一本飲んでいました。
(スーバーVAAM発売時のモニターに応募してはずれました。
その日によって、スーパーVAAMからVAAM缶の
どちらかを飲んでから走るようにしています。飲むと後半、一粘りが
期待できますが、たまに飲み忘れると、ばてます。前回の
多摩ロードレース、飲み忘れました。)


コーチ陣は、前回の練習会と同じ白方コーチのTopGearの皆さんで、
今回は3グループに分かれての練習でした。

本番のコースは、多摩川の川崎側、丸子橋の上流と下流ですが、
練習会では、東京側を、上流の狛江方面に向かって走りました。

多摩川サイクリング・コースは子供の頃から馴染み深い場所ですが、
川崎在住ですので、東京側には、めったに行きません。

高校時代の20キロ強歩大会(目立とうとして下駄で参加したら、
スタート直後にマメができて、痛みに苦しみながら、川崎大師まで歩いた)
以来だと思います。

前にはなかったと思いますが、コースの路面に500メートルごと
距離表示があり、走りやすいコースでした。
対岸は、高校の時のマラソン大会(8キロ)の、二子橋付近で折り返して
上流に戻るコース。大の長距離嫌い、苦手だったので、
「なぜ陸上部なのに、そんなにひどい順位なのか!」と、
陸上短距離種目をやっている中には8キロでも苦手で走れないのが
いるということを知らない女子に、非難された苦い思い出があります。
8キロ、10キロでしたら、陸上部のきつい練習に明け暮れていた当時より
今の方が速く走れます。


コーチを先頭に、キロ6分というペースで、上流に向かって、10人ほどの
グループで走りました。
汗ばむぐらいのペースでしたが、痛みが残ってる脚でも大丈夫なペースです。
折り返して後半は、向風になり、ペースもキロ五分半に上がりましたので、
やや息が上がるといった走りでした。7キロほど、多摩川を走って、
246号線沿いをジョギングで、山河の湯に戻りました。

戻ると、広い部屋に集合して、PUREMINA スポーツアロマステーション
からのトレーナーをお迎えしての、
アロママッサージ ケアについての説明と、
オイルをもらっての実際に自分でマッサージ・ケアの練習でした。
比較結果が分かるように片足をマッサージしました。
痛みが一番強かったのが、左アキレス腱から外側くるぶし下にかけて
でしたが、マッサージをしたことで、翌日は、右のアキレス腱痛より
左の方が鎮まっていました。さっそく、これからもやってみようと
思います。

その後、温泉の湯につかり、好きなサウナにも入りました。

パラカップのスタッフの方とも一緒に走り、露天温泉で
話もできました。お聞きしたところ
スタッフの皆さんの忙しさのピークだそうです。

3000人規模の大会を、スタッフとボランティアの方の手で
実施するのですから、やることは多くて、本当に大変だと思います。

パラカップ2009のホームページ
http://www.paracup.info/2009/
によりますと、システム不具合で、当日案内
(私には届いています。)送信の
遅延が起きているので、「もうしばらくお待ちください。」と
あります。それぐらい3000人のランナーというのは
大規模な大会だということだと思います。
スタッフ、ボランティアの皆様のおかげで実施される
大会に出場できることを本当に楽しみにしております。


参加者へのメールと、公式ブログhttp://blog.livedoor.jp/paracup/archives/51367113.htmlで
で、『UVケア無料サービス』というのが当日あると紹介されています。

が、

「女性ランナー限定」だそうです。

私が定期購読している雑誌でも「UVケア」の重要性はよく
書かれていて、「男にとっても重要」「今、怠ると後で
大きな違いが出る。」などという記事が良く出ます。
前は、「男が、ケアとか、クリームとかみっともない。」
と思っていましたが、そんなこと言ってる場合ではありません。

実際に硫黄島では、このあたりと比較にならない紫外線量ですので、
UV対策必須ですので、ケアについても気にするようになりました。

3000人ですあから「女子ランナー限定」でも仕方ないのですが、、、、
本当に危険なのは、実は、男子の方かもしれません。
女子はもともと、ケアをする習慣があるでしょうが、
男は無頓着なのが多いと思います。

ファンデーションがUV効果があるそうですし、
日差しの強い日の日傘や帽子も女性でしたら自然ですが、
男で日傘は無理ですし、
オフの日はともかく、ビジネスマンがスーツに帽子姿というのも普通は
ないので、
紫外線を浴びて、UVケアがおろそかになっていて、ケアを考えないと
将来深刻なダメージを受けるのは、男の方だと思います。

「無料サービス」が、女子ランナー限定ということですので、
こうなったら、自分でクリームをいくつかの強度のを
多めに、当日は持って行こうと思います。
(まわりの男子ランナーにも、お分けしたり、
余ったら、硫黄島でも使えますし。
硫黄島訪問用には首の後側まで覆う帽子を購入しました。)

「目のケア」も大事で、「専用サングラスを」という記事を
見ることも多いですし、
「当日は帽子を」と、パラカップ事務局からの案内メールに
ありました。
水分補給に要注意、は言うまでもないことです。


写真は本日撮影した、朝顔です。
つるが勢い良く伸びていく時期も、花をたくさん咲かせる時期も
嬉しいですが、やっぱり、「芽が出た時」が、一番、嬉しいです。



【いただきましたコメントについて】

・4月4日に、「硫黄島写真館」主宰の おさピー様から、
コメントをいただきました。ありがとうございました。
「5月に滞在」と、ありましたので、
「5月に、遺骨収集があって、お手伝いいただくのかな」と思ったのですが、
今年の遺骨収集は、もっと、遅いタイミングだと分かりました。
通常のお仕事での滞在かと思われますが、5月も既に暑くて大変だと
思いますが、島でのお仕事、お気をつけて、頑張って下さい。

・「遺骨収集」について検索をしていたところ、
ブログ「心に青雲」に、3月27日に「戦没者遺骨収集の是非を問う」という
投稿をして下さっているのを見つけました。
とても考えさせられる内容でしたので、主宰者様にコメントを送付して
トラックバック、ブックマークで紹介させていただくことのご承認を
お願いしましたところ、ご承諾いただける旨のご返信のコメントを4月16日に
いただきました。ありがとうございました。
私から、「心に青雲」主宰者様に出させていたコメントに
「感想はあらためてコメントいたします。」だったのですが、
読むほどに考えさせられる内容なので、まだ、コメントできずにいて
申し訳ございません。
島民・遺族関係という立場で、「このブログでは、先の大戦での硫黄島戦の
意味についてなどは触れません。」という立場を取っている私ですが、
この「遺骨収集問題」を提起して下さった、
「心に青雲」主宰者様には、心より、感謝の言葉を申しあげたいと
思います。ありがとうございます。
コメント
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