OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

「アイランダー2009」に行ってきました(2)

2009年11月25日 | 硫黄島・小笠原村
写真は、11月21日(土)に池袋サンシャインで開催のアイランダー2009に行った時の、長崎県小値賀(おぢか)町の出展ブースのマスコットの鹿の「ちかまるちゃん」(写真左)です。

小値賀という、これまで名前を不勉強で知らなかった島の名前を初めて聞いて、その隣の無人島になっている野崎島が、硫黄島と「人が住んでいたが今では無人島」という共通点があることを知って、いろいろと考えさせれることが多いブースでした。いただいたパンフレットもきれいな写真が多くて、エコツーリズム誘致という点でも、小笠原村と似ているな と思いました。


このような、たくさんの出展ブースがある、見本市、フェア、イベントでは、「うちのブースに!」と、パンフレットを差し出したりの勧誘が、イベントによっては、うるさく煩わしく、「まるで、キャッチセールスみたいだ。」と感じるものも
あると思うのですが、この「アイランダー2009」では、どのブースでも、パンフレットや粗品を差し出している出展者がいましたが、「温かみ」と、「一生懸命さ」がバランスよく、決して深いに感じなかった点も印象的でした。

それもそのはず、
どの出展も、遠くから、東京池袋まで、経費もかけて、目的はそれぞれの地域事情で多少の差はあっても、「地元の魅力PR」目的で、来ているメンバーの人たちでした。私たち来客への応対が、親しみがこもっていて好感が持てる出展ブースばかりでした。皆さん、「地元PRにかける意気込み、情熱」もあり、何より、「うちの地元の島が一番!」という、伝えたいメッセージへの強い自信をお持ちになっていらっしゃったのだと思います。どの出展ブースの方も自分の島に愛情を持っていらっしゃる様子が伝わり、心地よく、会場を回ることができました。


新潟県の佐渡島、トキについてのメッセージもなさっていましたが、アンケート記入をして、お米コシヒカリを、もらいました。「港があって海のものが多い島」という印象を持っていたので、「コシヒカリPR」をなさっていたのは意外に感じました。
説明をしてくださった方も熱心で分かりやすかったです。「島には、田んぼが多い。」ということで、「コシヒカリの中でも、魚沼産に次いで、高値なのが、佐渡のコシヒカリ」ということでした。

夏にバス旅行した時のガイドさんが、「長野県境に近い妙高市、このあたり美味しいコシヒカリ栽培が盛んで、魚沼産より安いので、東京から買いに来る人もいる。」という説明をしてくれた(父方の祖母が柏崎生まれで、祖父は現在は妙高市になっている新潟県南西部の豪雪地帯出身)ことも思い出して、
佐渡島ブースのコシヒカリPRをなさっている方に、「同じ新潟県のコシヒカリでも、魚沼産が一番高価なのはブランド、ネームバリューみたいなものですか?」と質問をすると、「味が違うことが大きいと思います。同じコシヒカリでも気候条件によって違います。」と、教えてくれました。


今年は 「お米」について、考える機会が多く、「自分たちで作ろう」イベントの
パラファーム2009にも参加した年で、「お米を食べた量」も、ここ何年か分を1年で食べたと思います。お米の鮮度や値段、産地、種類、炊飯器と水加減など、「ご飯」について、いろいろと興味を持つようにもなりました。
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「アイランダー2009」に行ってきました(1) かつて住民がいた無人島について。

2009年11月22日 | 硫黄島・小笠原村
『「島へ行こう!島で暮らそう!」アイランダー2009』は、池袋サンシャイン文化会館で、11月21日(土)22日(日)の二日間にわたって開催されたイベントです。

日本各地の離島が一堂に会しての年に一度の一大イベントでした。観光や定住を誘致することが目的にあるようで、離島の過疎化という問題や、産業振興をいっそうする必要があるという背景があって開催されているイベントなのだろうと思いました。

出展島名数=ブース数 (島数と一致していないのは、「小笠原諸島 父島・母島」や、「新島・式根島」など二つの島で一つの出展や、逆に 利尻島のように利尻町と利尻富士町と二つ出展のように、一つの島で複数出展している島もあったため) が、全部で60でした。

特産品紹介、販売や体験コーナーなどの各出展のブース以外に、ステージショーもありました。ステージショーの時間プログラムは事前にホームページで紹介されていなくて、当日入り口でもらったパンフレット一式と一緒に渡されました。

小笠原村が出展しているブースなどを見たかったのはもちろんですが、小笠原村からのステージショー(南洋踊り)を見たかったので 21日(土)に、に行きました。

ところがあろうことか、会場に到着してステージに急いだのですが、父島から来てくれてた皆さんのショーは終わってしまった直後で、次の沖縄の方々の準備が始まったところでした。
その午前の父島からのショー出演は、「ナァ・プア・ナニ・オ・マクア」の皆さんによる、「小笠原オリジナルの歌と踊りによるフラ」だったのです!
この皆さんは、昨年の夏には横浜で開催されたHAWAIIフェスティバルに高校生中心のメンバーで登場して、エキサイティングで感動的なショーを見せてくれていた父島ならではのグループ! 非常に残念でした。
父島からのもう一つの登場のショーは、私が大好きな(このブログにも小笠原丸出航見送りの時のことを書きました) 「南洋踊り」でしたが、それは15:20からで、次の用事の待ち合わせがあって、その時間まで会場にいることができず、見ることができませんでした。

小笠原村からのショーは二つとも見逃しましたが、それでも、とても楽しく退屈することのないイベントを満喫、堪能することができたのは、
・各地からの出展がどれも個性的で工夫を凝らしてあって、それに、数も多かったこと。
・小笠原村のブースでは、父島からの皆さんと親しく話すことができて、体験の「タコの葉細工 ブレスレット作り」をできたこと。
・以前に1年間赴任で住んだことがある愛媛県松山市、小笠原が母の生まれ故郷であるのに対して父の生まれた新潟県柏崎市の対岸の佐渡が出展していたこと、離島があるとはこれまでしらなかった宮城県が出展していたり、など、印象に残る出展があったこと
そして、
・長崎県 五島列島の来たの小値賀諸島の出展に 感銘を受けたこと


「ちかまる」君という、かわいい鹿のキャラクターがいるブースが小値賀(おぢか)諸島のブースでした。小値賀という地名も「おぢか」と読むことも知りませんでしたが、かわいいキャラクターに魅かれるように立ち寄りました。
今、手もとにあるパンフレットによると「小値賀町に17の島々」があるそうです。位置的には、長崎県の佐世保、平戸の沖合い、五島列島の上五島の北側です。

写真などが展示されているブースで、担当の人が説明をしてくれたのが、小値賀本島のすぐ東側にある「野崎島」のことでした。かつては島民が在住していた野崎島には、今は住民はいないという話を聞かせてもらいました。集団離島で在住島民がいなくなったのが、昭和47年だったそうです。
教会(旧野首教会)の施設が、今も保存、維持されていて、昨年は、「教会ができて百周年」の記念式典で、元島民だった皆さんが集まられたそうです。

「前に島民が在住していたが、今は住民はいない離島。」「かつてのことを記念する施設を別の場所から維持している島。」が、九州の地にあることを初めて知りました。
人が住まなくなった理由には、戦争による疎開と集団離島という違いがあり、今誰も住んでいない理由も異なりますが、小笠原村硫黄島と共通しています。

野崎島には小値賀本島から町営船で20分でその観光でも行けるそうです。その点も硫黄島とは違いますが、人が住まなくなってしまった離島の写真の風情には心打たれました。

出展なさっていたのは NPO法人おぢかアイランドツーリズム教会。

野崎島には「自然学塾村」という宿泊ができる施設があって無人島体験ツアーが実施されているそうです。


私は、硫黄島について、いろいろ考えたり書いたりしていますが、
「アイランダー2009」では、「日本各地には、多くの、個性あふれる島が、数多くあって、それぞれの島に思い入れとある人たちが、多くの活動をしている」
ことに感銘を受けました。硫黄島は特殊ですし在住島民と子孫も少なく活動量も決して多くないと思いますが、思い入れの深さでは負けていないと思います。これからも、皆で話して考えて、墓参、帰島に向けての活動など、継続的に活動をして、活発にしていかなければいけないとあらためて思いました。

楽しく、ためになるイベントへの参加で有意義でした。


タコの葉細工については「青い鳥」さんがブログ「エンジョイ!島ライフ」で、いろいろな記事で紹介してくださっています。今回の小笠原村ブースには、「青い鳥」さんと、父島で タコの葉細工や南洋踊りをなさっている皆さんがいらっしゃっていて楽しく父島の話をすることができました。
体験コーナーでは、本格的にやると大変な作業の「タコの葉細工」の、初歩的で、不器用な私でも20分ぐらいで作ることができたブレスレットを、指導してもらって作りました。
写真は、タコの葉細工のブレスレットを、今年9月の「硫黄島島民の集い」でいただいて家に持ち帰りプランターで室内で育てている、硫黄島島唐辛子の横に置いて、撮影したものです。
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2009川崎国際多摩川マラソン(ハーフ)(11月15日)出場

2009年11月19日 | ランニング
この大会は同じ多摩川河川敷コースを使っていましたが、昨年から等々力競技場がスタート、ゴールに変更されました。
その昨年の大会が、私のハーフマラソンのデビューでした。昨年の記録は1時間41分台でしたが、
今年は、何と、1時間55分もかかってしまいました。

天候は晴れ、11月1日のフルマラソン二度目挑戦(大井川しまだ)の時と違って、風に悩まされることもありませんでした。

河川敷のコースは、道路よりは路面からの反発がもらいにくく、かつ、固さは十分で足へ負担はあるのに、じゃりじゃり小さい砂がすべって、前進する力は不十分で体力消耗します。同じ多摩川河川敷コースで今年の4月29日に出た、「パラカップ2009」の結果報告の、当ブログの記事に、小砂の辛さについては、書きました。
ところが、今回の、「川崎国際多摩川」は、前日までの雨で、一部ぬかるみもあり、「乾燥して固い土で、中途半端に道路より疲れるし脚に負担で、小さい砂ですべる」」ということもなかったです。

記録が悪かったのは、練習不足と、練習不足による体重増やら、体調の調整失敗などでした。

練習会に参加しているチームのコーチからも、「9・26フル、11・1フル、11・15ハーフは、無茶なエントリーだと思いますよ。」と言われていましたが、
その通りでした。
この間隔もで、筋肉痛などは取れるのですが、フル完走後は、しばらくは、ランニング練習ができないので、うまく、次への調整ができなかったです。精神的にも、
「来週までは身体を休めて、再開しよう。」と自分を甘やかせてしまいました。

それでも、
自分で探して決めた、大会、スケジュールで、フル、フル、ハーフの最後は、地元の多摩川で、完走をすることができて、大満足です。


最初の5キロは選手が多くて前に出るのに苦労して、かなりタイムがかかってしまいました。その後はマイペースで飛ばしすぎることなく折り返しましたが、なかなかスピードが出ないまま、ラストは、いつもどおり、失速しました。痙攣で止まることはありませんでしたが、炎症抱えているアキレス腱よりも、大臀筋疲労痛で重力で骨盤が地面にひきつけられているようでした。

不思議なのは、「フルのときのハーフは、「これぐらいでハーフでいよいよ後半かを二度、経験して間もない。」なのに、「ハーフだけでゴールなのに、こんなに長く感じて最後に苦しむのか、。」」ということでした。


スタートが後過ぎたのが悪いのですが、そんなに道幅が狭いわけでもないのに大混雑で、ゆっくり走っていらっしゃる方々をパスするスペースが見つからずに苦労しました。

カップルでゆっくりと楽しまれている出場者の方などは、スタート後の、混んでいる時には横並びにならずに縦列で走っていただけると、もう少し、スペースができるのにな、と思いました。
また、
「ゆっくりめに走ってるからで早めの人に抜いてもらいたいな」と思ったらコース右で左をあけるようにしてみたら(左右のどちらでもいいですが)などという、ルールというよりは、「ちょっとしたマナーとして心がけたらどうですかというアドバイスをセットした大会です。」ぐらいをランナーに伝えるとか、そういう工夫で、快適で混雑も減るだろうし、安全(無理に抜こうとして接触して転倒などが発生したら危険です、)
と、感じました。 (個人的な感想からの意見ですが。)

次回は、
12月6日(日)の、「第36回中原区民多摩川ロードレース マイペース大会」10キロです。これも昨年に続いて二度目の参戦。今回と同じ多摩川河川敷コースを丸子橋から二子橋折り返しです。
年明けは1月稲城市、3月多摩市と、アップダウンが激しい、二つの10キロのロードレースに向かうという昨年と同じ大会出場予定です。


写真はこれまでにも載せている、硫黄島の硫黄ヶ丘の船見岩を、今年9月の入間基地から輸送機での日帰り慰霊墓参の時に撮影してきたものです。
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しまだ大井川マラソン(11月1日)出場結果

2009年11月11日 | ランニング
このところ、当ブログの記事掲載更新が滞っていて、この記事もタイミングが遅れてすいません。

11月1日(日)に島田市の大井川沿いのランニング走路「リバティ」をメイン会場とする しまだ大井川マラソン、フルマラソンに出場いたしました。

今年が第一回目の開催の大会で、フルネームは
「富士山静岡空港開港記念 しまだ大井川フルマラソンinリバティ」です。

結果は、4時間11分58秒(ネットタイム)で、
9月26日の初フルマラソン挑戦だった小金井公園マラソンの4時間6分2秒にも及ばず、二度目のフルマラソン挑戦も、4時間切り(サブフォー)は果たせませんでした。
しかし、「無謀ではないか」とも、周囲から指摘があった、ほぼ1ヶ月のインターバルで2度のフルマラソンに挑戦して完走できたという結果には大満足です。


前日、携帯メールに、練習会に参加しているトップギアのコーチから、「前半は飛び出さないように。ハーフ過ぎてからです。」という、応援のメッセージメールをもいただきました。

9月26日の初マラソンで、27キロで痙攣、特に35キロ過ぎに超スローペースにダウンを経験したばかりでしたので、「何とかペース配分は間違わないで頑張ろう」と思っていました。


事前の封筒での参加にあたっての郵送内容が、とても、充実した内容であったことから、まずは、大会運営の素晴らしさ、に驚かされました。ゼッケン、シューズにつけるチップ、当日前から使いたくなるような大きくて丈夫そうなビニール製の荷物預け袋と、その袋に貼るゼッケンNoのシール。いたるところ気が利いた郵送物の内容でした。

天気予報では曇で最高気温が20度強ということでしたが、当日は朝から晴れて、
気温は、スタートした9時から昼にかけて上がっていき、おそらく25度ぐらいにまで上がったと思います。

もたもたしていたら島田市で宿泊施設はどこもいっぱいになっていて、二駅ほど東の藤枝駅徒歩5分のホテルに宿泊しました。朝、9:00と遅めのスタート時間でしたし、チップやゼッケンは送付済みで、スタート地点となる市役所前通りに並ぶだけで当日受付は無かったので、朝は楽でした。

申告タイム順のゼッケン番号でスタート地点から並びましたが、6000人ぐらいの出場者の中で、かなり後からのスタートとなってしまい、スタート板まで7分近くかかってしまいました。

最初の5キロは市街地から狭い古い町並みを残す地域を通って河川敷まででしたが、混雑していて、まわりの選手を安全にパスして行くのが、大変でした。が、ゆっくりペースで入ることができました。

名所の蓬莱橋を通過。前回の小金井と同じ26分台にまで上げてしまっていましたが、無理はしていないつもりで「ラストにスローダウンするのだから、ハーフを超えたら、もう少し上げよう。」ぐらいに思っていました。追い風だったので折り返しは向かい風になることも分かっていました。

河川敷コース「リバティ」の終点(起点?)の折り返し点は、20キロ地点と21キロ地点の間にありました。折り返すとすぐに、強い向かい風が思っていた以上に辛いことが分かりました。ハーフを超えてスピードを上げるどころか、既に、かなりのスピードダウンになってしまっていました。
向かい風の時には、やや身体が大きめで、似たようなペースの人の後ろに入って風除けにするのが、賢い作戦なのですが、まわりに、そのような選手はいません。
かなりの選手が、地元開催の初挑戦だった選手とかも多いらしく、私以上にペース配分ができない(前半とばしすぎ)人が多数で、折り返し後は、かなりの人数が歩き始めてしまっていました。

給水、エイドは、全体とても充実していました。
ホームページ、事前の案内資料でも宣伝されていた33キロ地点(二度目の折り返しをしてから、戻ってきてゴールになる地点)の大エイドステーションに、並んでいた食べ物の数にはびっくりでした。 そこまでに、飴やバナナなどを、既に取っていましたが、そこでは、私は みかんとお饅頭を取って食べました。 あまり取っている人はいませんでしたが、みかんの隣には、「ステーキ(野菜もついてました)」もありました。

その33キロ地点が、今回は一番きつくてスピードが落ちた地点でした。二度目の折り返し点が38キロ手前付近にあるために、ラストの7キロぐらいは、また、追い風になるためです。

今回は、両脚のふくらはぎの痙攣は26キロ付近で始まりました。前回の小金井の時は27キロ付近で膝より上のハムストリングス(腿の裏)も攣って、止まって伸ばしましたが、今回はストレッチのために止まることはありませんでした。

陽射しと気温よりも、向かい風が辛かった42.195キロでした。
暑いので汗はかきましたが、風が強く乾燥していたので、汗が流れ落ちる前に乾いてしまうためにゴールした時には、前進が塩まみれ、身体だけでなく、耳の近くなど顔にも塩が大量に吹いていました。


4、5日はまともに歩けない筋肉痛も、前回の小金井(翌日に、多摩川月例10キロをゆっくりペースの59分台で走りました)より、ひどかったです。


沿道の方の応援も、運営も本当に素晴らしかったです!ありがとうございました。
一番、印象に残った応援は、沿道で声を出さずにスケッチブックに字を(目立つカラーでもなく)書いて立って見せてくれていた人でした。往路では、「風邪気味、調整ミス?それらは全て妄想に過ぎません。頑張れ!」という内容で、復路では、「30キロの壁、、それらは妄想です。頑張れ!」というようなことが書いてありました。 私にぴったりの内容だったので、笑ってしまいましたが、力づけられました。


次回と年内のレース予定 :

11月15日、2009川崎国際多摩川マラソン(ハーフ、昨年に続いて、等々力競技場がスタート、ゴールになってから二度連続出場)
風邪気味は何とか直すとして、練習不足とオーバーウェイトの調整ミスはもう間に合いませんが、「秋に フル フル ハーフ の3本を走る!」と決めてエントリーしたのですから、タイムは気にせずに、頑張って感想したいです。)

12月6日 中原区民多摩川ロードレース マイペース大会 10キロ (これも昨年から参加)


写真は、大会前日に、大井川鉄道に乗ったのですが、乗り換え駅の金谷で小休止、駅から10分ほど歩いた場所にある、旧東海道の石畳 です。
石畳茶屋で団子を食べてから、大井川鉄道で川根温泉に行きました。
川根温泉は水着で入る方は温水プールと、各種温泉風呂に、サウナが2種類。裸で入る風呂の方は、大井川鉄道SLが見える露天風呂があって、長時間、すっかりリラックスしました。
コメント (2)
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