OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

第28回 2009多摩ロードレース大会結果

2009年03月31日 | ランニング
昨年の、3月30日のこの、多摩ロードレースが
大会出場デビューでしたので、
初めて、2大会続けての出場となった大会でした。

10km
タイム 45分46秒
は、

通算で10キロのレースは4回目でしたが、
2009年1月18日のお隣の稲城ロードレースと全く同じタイムでした。

昨年の同じ大会3月30日のタイム、44分25秒には及びませんでした。

数日前から気にしていた天気予報では、
多摩市の予報は「最低気温が、1℃、北からの風が強い。」でしたので、
「季節はずれの寒さ。アップダウンのあるコースなので、
向かい風と上りが重なるときつい。」と心配していました。

結果は、気温もそんなには低くならず、
9:10スタートでしたが、
完走証に印刷された気温は7℃、
風もそれほど強くはなく、
良い気候コンディションになりました。

自分の調子、調整が悪く、思うように走ることができず、
後半にスパートする力も残っていませんでした。

昨年も6キロ過ぎ、一本杉公園からの下りを過ぎたあたりから、
抜いていく人の数が増えましたが、今年も同様でした。
今の実力に比べて、前半に飛ばし過ぎて後半にばてているという
ことです。

(いつも、トレーニングでも、ほとんど、欠かさずに
直前に飲んでいる、VAAM缶。飲んでいると、一度
ばててから、最後に踏ん張れることが多いのですが、
会場に着いてから、持って行くのを忘れたのに気がつきました。)

(走る前にはVAAM缶、走った後(走っている時の給水)には、
アミノバリューBCAA(多摩ロードレースではゴールすると
もらえます。)が、合っていて、良いようです。)

また、
1月の稲城の時もそうでしたが、
下りは他の人より速く、フラットと上りで抜かれることが
多いことから、
ペース配分に、今後の課題があることが分かってきました。

昨年は、トラックに入ってからの最後のスパートで無理をして
肉離れをしてしまいましたが、今回は、ケガをしないで
無事に完走できたのが、収穫でした。


次の出場予定
http://www.paracup.info/2009/charity/present.html
4月29日 PARACP 2009
多摩川コース、ハーフマラソン
に向けて、
調整失敗しないゆに、
調子を上げて行きたいです。

せっかく、
稲城と多摩の10キロで、ピッタリ同タイムを出したので、
来年も、両方ともで、同じぐらい、今年より
タイムを縮めたいと思います。
たとえ調子が悪く、苦しいレースでも、
走り終わった感想は、
「やっぱり、レースで走るのは気持ちがいいな!」
です。

写真は昨年の6月に父島村役場前で撮影したプルメリアです。


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「父親たちの星条旗」をDVDで見終えて

2009年03月21日 | TOEIC
先に、コメントとトラックバックをいただいたお礼です。
先日の
「~世界の子どもたちに贈るRUN~パラカップ2009」に
トラックバックと、
~世界の子どもたちに贈るRUN~パラカップ2009 の
スタッフのRINさんからのコメントをいただきました。
ありがとうございました。

「ビギナーは走りこんだ分だけ成績が出せる。」と言われますが、
体重の管理や筋肉トレーニング、走った後のケアなど
気をつけないと、「量を走りこもう」とするトレーニングは
ケガにつながってしまうのが、難しいところです。
来週の日曜が10キロロードレース出場の予定ですが、
今のところ、「体重オーバー」です。


やっと、DVD「父親たちの星条旗」を見ました。
ペイパーバック原作を読み終わってから見ようと決めていて、
読む方に期間がかかってしまったので、
やっと先日、Tsutayaで半額の時にレンタルして
観ました。

ReneとIraがペイパー・バックにあった写真の本人たちと
そっくりだと思いました。(Mikeはあまり、似ていませんでした。)

戦闘のシーンは良くできていると思いましたが、
原作の生々しい描写はされていない と感じました。

「父親たちの星条旗」を見終わってからにしようと、
かなり前にDVDを買った「硫黄島からの手紙」を
観るのも先延ばしにしていましたので、
そろそろ、観ようと思っています。


先週の日曜、3月15日は、今年二回目のTOEICでした。

前半のPartでは、いつもよりPartⅡが簡単で、
PartⅣが、難しかったと思いました。
後半では、PartⅤの40問が、
だんだん、「見てすぐ、品詞が何か分かれば、
一瞬で正解が分かる。」が、減ってきていて、
前後を見たり、長めの文の最後の方に
Testing Pointが来ていたりすることが多く、
後半全体は、やはり、時間がきつい、と思います。

新形式になってから、ちょうど、まる三年、
24回目のTOEICでした。

新形式に移行になってから、多くの皆さんが苦労した
と思いますが、米国以外の、英、豪、カナダの
発音が入ってきたことで、聴き取りにくく、リズムを
乱したりすることも多くなりました。

ところが、このところ、ふと気がつくと、
以前にはあんなに、イヤで気になっていた、米国以外発音が
あまり気にならなくなってきています。
前半Listeningのスコアも、まずまず、安定してきています。
(ここ5回のListeningの平均が 475。)

何度も受けて慣れるのが、高スコアへの近道です。

何度も聴いていると、英国発音などもあまり
気にならずに聴き取れるようになってきます。
回数多く、聴いているうちに、
これまでは、「聴き取りにくく分からなかった。」から
気にならなくなってきます。

勉強、トレーニング段階でも、イギリス英語などの
教材を積極的に活用しているうちに
慣れてきます。

また、本番に近い、市販の模試問題集を
何度も聴きこむことも有効だと思います。
「公式、、」も3集まで出て、合計6回分が出版されています。
解いた後も、復習・慣れ のために、何度も
聴き込みをするのに、6回分というのは、十分だと思います。

NHKがBS海外ドラマで、BBC作成のものも
放映してくれるようになっていますので、
それもお勧めです。
先週、最終回だった、STATE WITHINは、
迫力のあるストーリーで、
イギリス、アメリカ両方の発音が入っている
ドラマでした。
(観なかった人は、今後の再放送などで
ご覧になることをお勧めします。)

Practiceとトレーニングでの慣れで
着実にスコアはアップすると思います。

今のタイミングで、トレーニング量を増やして。

写真は、
硫黄島、天山にある学徒出陣戦没者の碑 です。
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ゆり丸 発見!(2008年6月父島で)

2009年03月18日 | 硫黄島・小笠原村
帰りの父島に寄っている日に、
港内にいた、「ゆり丸」を発見して、写真撮りました。

2008年の、訪問の直前に、
偽情報に惑わされてしまい、
「父島から硫黄島が今年は ゆり丸か(?)」という
記事を出してしまった、あの ゆり丸です。

あの時は、
母島から父島に来る方たちが、ゆり丸に乗ってきました。
母島-父島航路の、「ははじま丸」の、
ドック入り点検の時の代船として、ちょうど、
ゆり丸 が使われていた時期でした。

昨年、Web検索などで ゆり丸 について調べたのですが、
船舶・客船ファンの中では、なかなか乗れない希少価値が高い
マニア垂涎の船であるらしい、ことを知りました。

「代船」として使われる船なので、よほど、タイミングが
合わないと乗れる機会がないということのようでした。

おが丸と比べると、なんとも、小さくて頼りなさげでしたが、
この撮影した日はちょうど、ピンチヒッター ゆり丸
レギュラーの ははじま丸への 交代の日だったようです。

話題にした実物を見ることができて、愛着がわいて
嬉しかったです。
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南島 2008(2)

2009年03月18日 | 硫黄島・小笠原村
写真は2008年の6月に撮影した、
南島のヒロベソカタマイマイ化石です。

1日に上陸できる観光客数が制限されている南島、
ツアーのコンダクターの方から、
「この島にあるものは、持ち帰らないように。」と、
特にこの化石については、
かなり徹底した厳しい注意がされます。


2007年の6月に行った時には、
「これだけ数がたくさんあるのだから、
この程度の人数の観光客が一人、数個、持ち帰っても
大きな影響はないのでは。」ぐらいに思いながら
浜にあるこの貝の化石を眺めていました。

今は、「なぜ、決して、持ち帰っていけないのか。」
観光客の誰かが「一つぐらい。」と持ち帰ってしまうと
何が起きるからか、という、持ち帰り厳禁の理由が、
私には、はっきりと分かります。

ここには、その理由は書きませんが、
これから、南島を訪問する観光客の方々、
絶対に、南島からこの化石を持ち帰らないで下さい。

南島、この化石についての、
URLの小笠原観光協会のホームページのURLは

http://www.ogasawaramura.com/Minamijima/Minamijima.html

です。


2007年の6月にしなかったことで、
2008年に初めてしたことを、
・父島での釣り
・レンタル(運転免許を取ってからは初めて乗る)50ccスクーターでの父島ツアー
と紹介してきました。

もう一つが、
パパヤ号でのツアーの、南島の次の目的、兄島海中公園での
シュノーケリングです。

2007年の時には、同じツアーで同じ兄島海中公園に行きましたが、
船上からシュノーケリングをしている他の皆さんを見ているだけでした
(泳ぎ、水が苦手なため)。

2008年には、一念発起して、挑戦しました。
注意をされたとおりに、船の方向は分かるように確認し
あまり船から離れないように海面に浮かんで、海中観察をしました。

珊瑚の棚でした。

手が届きそうな場所を色とりどりの魚たちが泳ぐので、
思わず、海中で、魚をつかむ、手の動きをしてしまいます。
「捕まえられる」と思ってしまうほど、近くを大小もさまざまな
魚たちが泳ぐ様子を堪能しました。
また、行ってあの海中を見たいです。



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南島 2008(1)

2009年03月18日 | 硫黄島・小笠原村
2008年の6月の、硫黄島墓参帰島の行きと帰りに寄った
小笠原村父島についてのことを、年が明けて春も近づいた今頃になって、
書いています。すいません。

行きの父島では、釣りと、レンタル・スクーターで島内を
回った様子は、お伝えしました。

硫黄島での一泊二日を終えた帰りの父島では、
2007年にも参加したのと同じ
PAPAYAの「出港前の半日コース
ドルフィンスイム&ウォッチング 南島上陸 兄島海中公園」に参加しました。
もう1度、南島を見たかったし、2008年が初の父島の同行者二人もいたからです。

南島に向かうまでのドルフィンスイム、
私は、泳ぎが苦手なので、パパヤ号船上から、シャッターチャンスを狙いました。
パパヤ号船長は、双眼鏡でイルカを探し、トランシーバーで、
三日月山展望台から探しているスタッフ(「スクーターで父島ツアー」の
記事で報告したドルフィン・ウォッチをしているスタッフの人)の報告を
受けながら、船をイルカの群れに近づきます。
イルカの動きが速いので、なかなか、イルカがちょうど近くに
いる時に、泳ぐ人たちが船尾のタラップから海中に入るタイミングを
合わせるのが、大変そうでした。


それから、
1日に上陸できる観光客の人数を制限している南島に、さめ池付近から上陸しました。昨年より近くから、ネムリザメ(ネムリブカ)たちを見ることができました。
その後の歩いたコースも前年の参加の時と同じでしたが、

砂浜の様子が違っていました。コンダクターの方から、
「木の棒が浜に立っているのは、ウミガメが上陸して産卵した場所で、
卵があるので、近づかないように。」との注意がありました。
あちこちに、卵の場所を示す棒が立てられていました。
母親ガメが砂浜を這った後も残っていて
上がってきて産んだばかりだということでした。

ここから、多くの子亀が、卵から孵ってすぐ近くの海まで歩いて、
大きくなったら、また、ここに戻ってきて産卵する様子が
目に浮かぶようでした。

ウミガメが産卵できるきれいな砂浜という環境が
残っている南島。
産まれた、子供たちが産卵に戻ってくるまで、
同じままの、美しい砂浜の環境を残さないといけません。

地元の方々が、細心の注意を払ってのエコツーリズムで、
私たちを美しい南島に連れて行って案内してくれています。

野生のヤギの被害で、植生が乱れたことがあったそうです。

写真は、南島の扇池の前の浜、卵の場所を示す棒があります。
海の方に向かって歩いている方は、
写真の後姿だけでも、ただ者ではない様子が伝わると思いますが、
父島在住の
硫黄島民(私たち二世を含めて、自分たちのことを、「旧島民」という言い方はしないようにしようという方針が、「島民の集い」で確認されています。)
の方です。
2008年6月の墓参帰島の時に一緒だったチームが取材した様子が
NHK首都圏ネットワークで放送された回に、帰島する島民にふるまって下さる
ためにご夫婦で父島でタコの実を取って下さっている場面で、
実を取るためにタコの木に上って下さっていた方です。


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~世界の子どもたちに贈るRUN~パラカップ2009 

2009年03月17日 | ランニング
~世界の子どもたちに贈るRUN~パラカップ2009という
大会があるのを見つけました。

さっそく、ハーフマラソンにエントリーしました。
(次の出場レースは、
その前に、3月29日の、多摩ロードレース10km)


やっと、走りやすい季節になってきたかと思うと、
まだ、寒い日もあったりします。

夏場はいずれ挑戦するフル・マラソンも視野に入れて、
基礎体力、持久力をつける走り込み、
その前に、
この春のシーズンの締めくくりに、ハーフ・マラソンを一本、
大会出場して走っておきたいと思っていました。

タイミングが来たらエントリーしようと
マークしていた大会は、
相模原市の米軍相模補給廠で開催される
「第13回東日本国際親善マラソン」のハーフでした。
が、先週、エントリーをしようかと思ったところ、
既に、前週末のエントリー期限を過ぎてしまっていました。


他に4月で大会がないかと調べていたら、
素晴らしい大会が、近くであるのを
見つけることができました。
(何が幸いするか分かりません。
相模原の大会にエントリーしていたら、パラカップ2009が
多摩川丸子橋出発であるのを、探せないままだったと思います。)


今年で5回目のこのような大会があるのを、これまで、
知らなかったことを、申し訳ないと感じています。

大会を企画、運営なさっているスタッフの皆様に
心からの拍手を送りたいと思う、素晴らしい大会だと思います。

大会のホームページは、
http://www.paracup.info/2009/index.html

Official Blogは、
http://blog.livedoor.jp/paracup/
(「大募集中」の ボランティア向け案内チラシは、
http://www.paracup.info/2009/about/download.html )

「チャリティの企画だから素晴らしい。」と思うだけではなく
フィリピンの子供たちの、「顔が見える」お互いが、双方向で
つながっているという大会を企画して下さっている点で、
他にはない素晴らしい大会の企画だと思いました。

首飾りを作ってくれているフィリピンの子供たちからの
声援も受けながら走っているという実感ができるだろうと思うと、
応援が多い分だけ、走りも頑張れそうで、今から、楽しみです。



スタート地点は、家から近い同じ区内で自転車で行けます。

以前、このブログで、中原区民ロードレース(10キロ)出場結果を
報告しましたが、スタート地点と使うコースが共通です。

また、昨年11月の、初ハーフ挑戦だった、「2008川崎国際多摩川マラソン」とも、コースのかなりの部分が共通です。

「もっと、いろいろなコースのレースに出場したい。」とも
思っていたのですが、これまでのところ
多摩ロードレース/稲城市ロードレースという隣同士の開催の
地域と、
多摩川の川崎側コースのレースという、2箇所に偏ってしまっています。

まだレース出場経験が浅いので、
「慣れたコースを多く走って、
もっと力をつけてから、いろいろな地域の大会に
挑戦することにしよう。」と、考えることにしました。

多摩川のコースは、フラットで走りやすいコースです。
難敵は、向い風が強くなること(12月の中原区民ロードレースの
時の丸子橋から二子橋に向かう前半が、やや強い向かい風でした。)
ですが、
4月末という開催日を考えると、天候によっては、
気温の高さも厳しくなるかもしれません。

コンディションを整えて、前回のハーフマラソンより
良いタイムを目標に頑張ろうと思います。


写真は2008年の6月に、父島の三日月山展望台からの撮影したものです。
(今年の、硫黄島墓参帰島のスケジュールは「6月19日から24日」と、
硫黄島帰島促進協議会理事の方から、連絡をいただきました。)

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父島の道路が通じている一番先の浜で三角ベースをしていたご一行

2009年03月15日 | 硫黄島・小笠原村

(バイクでの父島周遊、前編からの続き)

父島の地図で見てもらえれば分かりますが、
南の方には、舗装道路が整備されていないので、
車やバイクで行けるのは、
小港海岸という場所までです。

2007年に行った時の小笠原村役場の方が連れて行ってくれた
車での島内ツアーでは、境浦海岸とその南の扇浦海岸まででした。

2008年には、50ccスクーターをレンタルして、天文台を発見した
ところまで、前回の記事に書きましたが、
その後、南に向かって、バイクで行ける、一番先の小港海岸まで
行きました。バイクを止めて少し進むと、きれいな砂浜でした。

暑い中、上半身裸の方もいて、その浜で、三角ベースをなさっている
メンバーがいました。

私たちは、それより先に海岸沿い見学に分け行って行こうという
予定ではなく、その浜を見て引き返すつもりでしたので、
三角ベースをなさっている浜とその先の海を見ていたところ、
私たちに気がついた、皆さんが、プレーを中断なさって、
「通りますか?」と声をかけて下さいました。
「ここまで、来て引き返します。」と返事をしました。

そのメンバーの中で、バッターだったのは、
エッセイ、著作で有名な方で、私も、雑誌連載で、
自然の中に出かけて遊んでそこで調理して食べて楽しむ様子を
書かれたエッセイを楽しんで読んでいた、その著者の方でした。

その方が、一緒の小笠原丸で父島に来たのは、出発の
竹芝でお見かけしていたので、知っていましたが、
雑誌のエッセイのように、「隊」で来ているとは知りませんでした。
本格的にバットなども持って来ていて、
真昼間の炎天下に、浜辺で、真剣に三角ベースをなさっていました。

写真は、小港海岸から北西方向です。
小港海外の写真は1枚で、
三角ベースのバッターボックスで豪快なスイングを
なさっていた、その著名な作家・文化人の方が
右側に映ってしまっていたのを部分はトリミングしたものです。

その後、私たちは、扇浦、境浦を通って、
小笠原村役場近くの島に一つのガソリンスタンドに戻ってきました。
「日本一、ガソリン代が高い場所」でしたが、
50ccスクーターで、一回りしただけで、減っていたガソリン量は
わずかで、3台分でもわずかなガソリン代でした。

久しぶりのスクーター運転だったこともありましたが、
風が心地よく、道も起伏に富んでいて、景色も存分に楽しむことが
できたツアーでした。

小道を分け入らないといけない島の南側にも、いつか行ってみたいと
思いました。

小笠原の自然保護には多くの問題(陸続きになったことがないことから
残っている固有種と、入った外来種)もあるようですが、
島内と取り囲む海と多くの周囲の島々に、
他にはない豊かな自然が残されている島を、限られた時間でしたが
楽しんでから、硫黄島に向かう小笠原丸に乗り込みました。


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