この写真は前回紹介の写真の時点よりも、小笠原丸は北に移動してきていて、硫黄島の、慰霊祭が行われる旧島民平和祈念墓地公園の沖にある監獄岩という小島を回りこんだ直後の写真です。写真の右側半分の黒い岩が監獄岩で、その後ろの写真左側が釜岩と硫黄島がつながった砂洲部分を北側からみたもので、後ろに摺鉢山という構図です。
動き始めた小笠原丸から撮った写真です。写真の左側の黒が濃い部分が硫黄島の沖合の島の監獄岩の一部で、その後ろの写真の中央あたりまで伸びている薄い黒の部分が今は硫黄島と地続きになっている釜岩の先端部分です。
硫黄島を1周する小笠原丸から撮った写真です。これは、動き始めてから10分ほど経って、停泊場所の近くの釜岩の岬を回り込んで北上した地点から斜め右後ろの方を撮った写真です。遠くに硫黄島の南西端の摺鉢山、その手前に釜岩、さらに手前の右側が硫黄島沖合いの監獄岩という配置になります。この後も北上(正確には北北東方角が船首だと思います)を続けて、どんどんと摺鉢山は遠くなります。
6月に慰霊墓参で硫黄島を訪問した時の写真の紹介もいよいよ島を離れる時に1周した時の写真になっています。小笠原丸が動き始めてから少し経った時に、この写真は倍率を下げて、右側には、硫黄島旧島民平和祈念墓地公園の建物が入って、左側には宿泊した小笠原村硫黄島平和祈念会館が小さく入っているという写真です。この両者の間は何度か歩いたりしたことがありますが1キロまでは離れていません。
動き始めた直後の小笠原丸からズームで拡大して撮った写真です。建物が見えるのが、私たちが宿泊した小笠原村硫黄島平和祈念会館です。このように海上から見ると、かなり海面から高い位置に建物があるということが分かります。船は、釜岩の岬を回って北上を開始して監獄岩沖をとおり、正面に、まずは慰霊祭のあった平和祈念墓地公園、続けて、この小笠原村硫黄島平和祈念会館が正面になる位置を通過します。
硫黄島を離れようと小笠原丸が動き始めてまだ間もない時間で、まだ停泊していた釜岩の岬近くの湾内から出ていない時間に撮った写真です。この写真に写っていない右側が釜岩の岬で、写真の手前の黒いところが釜岩沖合いの監獄岩という小島です。その向こうに、小さく白く見えるのは上陸直後に慰霊祭があった硫黄島旧島民平和祈念墓地公園の建物です。
いよいよ硫黄島でのお役目を終えた4層の艀が順番に、小笠原丸のクレーンで吊り上げられて船上に上げられる作業です。毎年、見ているのですが、艀に乗った漁師の皆さんがバランスが取れるようにロープを調整してから吊り上げが始まりますが、緊迫感のある微妙な作業に、デッキで見ている見物客からも歓声が上がります。もうこの時間には荷物を船室に運んでからシャワーで汚れも落として、缶ビールを片手に、これらの作業を見学して写真を撮ったりしながら、出航を待って過ごしています。