忌野清志郎さんが亡くなりました。
喉頭がんで闘病生活の末に。
実にユニークな音楽を、その人柄そのままに表現してくれたミュージシャンでした。
あんな声で歌う日本人がいるなんて、最初に聞いたその声が今も忘れられません。
中学生の頃でした、ラジオから突然流れてきた「僕の好きな先生」という歌に衝撃を受けたのです。
それまでのフォークシンガーとは明らかに違う声と歌。
まだロック臭さに染まる前のRCサクセションの演奏に乗ったあの声が新鮮でした。
あれから30年以上、最前線を走り続けたパワーには脱帽です。
でも病魔には流石の彼も勝てなかった。
まだまだ日本の音楽の先頭で歌い続けて欲しかったのに。
60にも届かない年齢での旅立ちは残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
喉頭がんで闘病生活の末に。
実にユニークな音楽を、その人柄そのままに表現してくれたミュージシャンでした。
あんな声で歌う日本人がいるなんて、最初に聞いたその声が今も忘れられません。
中学生の頃でした、ラジオから突然流れてきた「僕の好きな先生」という歌に衝撃を受けたのです。
それまでのフォークシンガーとは明らかに違う声と歌。
まだロック臭さに染まる前のRCサクセションの演奏に乗ったあの声が新鮮でした。
あれから30年以上、最前線を走り続けたパワーには脱帽です。
でも病魔には流石の彼も勝てなかった。
まだまだ日本の音楽の先頭で歌い続けて欲しかったのに。
60にも届かない年齢での旅立ちは残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
誰にもまねの出来ない個性、そしてパワー。
人生そのものがRockでした。
畑は違いますが音楽家として尊敬出来る人物でした。
本当に残念でなりません。
クラシックにハマる以前の私は陽水のファンでした(現在進行形です)。清志郎さんは彼の盟友という事で気になる存在でした。
二人がまだ世に認められる前に共作した『帰れない二人』は陽水が今でもコンサートで大事に歌う名曲です。
メジャーデビューしてからの二人は音楽ジヤンルにおいて双極を成したと思いますが、近年のメイクをとった素顔の清志郎さんはシャイで心優くこれからの活躍を信じていました。
彼を慕うミュージシャンによる追悼ライブがこれから行われるかも知れませんが、彼の曲は彼の声で聴きたい...と。。
彼は声を大事にするあまり命を削ってしまったかも知れませんが、最期まで唯一無二の彼であり続けた。
でも、何だかとても寂しいです。。
彼のようなシンガーがいなくなった喪失感はしばらくしてドっと押し寄せてくるのでしょう。
今もショックではありますが、これから彼の歌を聴き映像を見るたびに過去の存在であることを思い知らされる事となるのでしょうね。
今年はカーペンターズのデビュー40年だそうでさかんに昔の映像が流れ現在のリチャードの姿が電波に乗っています。
その両方の姿を見るたびにたまらない喪失感に襲われるのです。
きっと清志郎さんの姿を何年か後に見た時も同じような感情にかられると思います。