「バァさん、ほなそぉゆうことやで、なッ 」
「わかった、そやけどアンタしだいやからな、あとで知らへんゆわんときや 」
縄澤、覆面パトのドアを開け、バァさんの顔を暫く見つめてから邪魔臭げにぃ
「シツコイわっ、何遍も言わんかて判っとるがな 」 っと。
「アンタの約束、空(カラ)が多いさかいにな、念押しや 」
縄澤、助手席に乗り込もうと身を屈め、片足をクルマの中に入れかけていたが、
その動きを止めそのままの姿勢で、ドア窓のハンドルを回しガラスを下げ始める。
ッで、開いたドア枠から何かを言いたげな様子でバァさんを見上げ、
躯だけを滑らかにと助手席にもっていき、ドアを閉めながら座った。
「バァさん、アンタに似合わんこと言うてるで 」
「なんがやねん?」
「・・・・歳ぃいったなぁ、アンタもぅ 」
パトのタイヤが勢いよく舗道の縁石から降りると、車体が大きく揺れた。
エンジンが甲高く唸り、後輪が勢いよく回転すると悲鳴みたいな鋭い音がする。
タイヤゴムが焦げる臭いのする青い煙りと、ガソリンが燃焼する濃厚な排気ガスの臭いを残し、
踏み切りを渡らずに西に向かい、私鉄電車の高架橋下の向こう側、暗い中に走り去ってゆく。
バァさん、暗さな中に消えゆくパトの後部ランプが、完全に闇に溶け込んで観えなくなっても、
暫くその場に立ち竦んで暗い向こう側を眺めていた。
っで、薄い肩を萎むように落とし、背中を丸めて大きな溜め息を吐く。
サッギで意識して緊張感を保っていたバァさん、張り詰めていた緊張の糸が切れ、
必死で堪えて詰めていた精気、急に躯から抜け堕ちた。
自然と膝頭から力が抜け、地面観て歩く脚が棒のようになり、また立眩みがするのかと。
俯き加減で下見て歩いていると、頭の中が悔やみな想いで満杯に為ってくる。
胸の心は何処にも、もって往き場のない懊悩で溢れかえっていた。
「もぉえぇわ、もぉえぇ、コンナン堪えたってほしいわぁ、今ごろに為ってっなんやねんッ! 」
我知らず、愚痴の小言が自分でも気づかずに、自然と口に上ってくる。
疲れ果て座り込みたいのを如何にか我慢したバァさん、暗い敷石舗道に散らばって、
星明りで輝くガラスの破片を厭な音たてながら踏みしめ、店に戻った。
店内に飛び散ったガラスノ屑を箒で掃いたりして跡片付けをしていると、
ガラスが無くなった引き戸から、表の冷たく凍える夜風が吹き込んできた。
その寒さのせいか背中から腰にと、刺すような痛みが奔る。
そして、今まで感じたこともない惨めな想い、心の中にぃ重たく居座ってきていた。
「官憲になぁ、今さらなぁ、縄澤のァホに世話にぃならなァカンのんかなぁ・・・・・」
バァさん腰を曲げて流し台の下を覗き込み、以前からそこに納めて在った、
封を切っていない、まッ更な一升瓶の首を掴んで持ち上げた。
薄暗い裸電燈の下で瓶の商標を眺め、まだガラス屑が載ってる木の俎板の上に置く。
後ろの棚から湯飲み茶碗を取り出し、割烹着の裾で軽く拭って、黄色っぽい電燈明かりに翳す。
拭き具合を確かめるように見つめ俎板の上ニ置くと、湯飲みの底からガラスを擦る厭な音。
仕方がないので湯飲を右手で掴み、左手指の爪先で一升瓶のコルク栓の封紙を剥がすと、
唇を歪ませて捲り上げ、剥き出した犬歯で瓶のコルク栓を銜え抜き取った。
バァさん、横向いてコルク栓を吐き出し、瓶の首口に鼻孔をもってゆき、酒精の匂いを嗅いだ。
暫く眼を閉じ匂いを嗅ぎつづけ、目蓋をユックリと開けると、頷きながら小さく呟きました。
「何時以来なんかなぁ 」
っと、ナンカを懐かしむような、シミジミとした口調でした。
湯飲みの中身が、残らず咽喉の奥にと流れ落ちても、
湯飲みを銜えた顎は上がったままで、下には降りてきません。
上向いた口元から、酒の雫が首筋にと流れ伝った細い跡、
黄色い電燈明かりに照らされ、金色に濡れた細い道にぃ為っていました。
それからは、何杯か立て続けに呑み下しました。
幾杯目かを呑んだ頃、近くの踏切から遮断機が降りる警鐘音が聞こえてきます。
耳を澄ませば遠くで、汽笛が鳴るのが判りした。
汽笛の音は、次第に近づいてくるのか、ハっきりと聞こえ出します。
バァさん突然しゃがみ込むと俯いて、濡れた口元を湯飲みを掴んだ手の甲で擦り、
頬に溢れる涙を伝わせ、堪え切れずな嗚咽混じりで喋ります。
「ぁんたぁ、スマンよぉ・・・・ゴメンよぉウチぃ堪えきれづに飲んだんチャゥンやでぇ 」
細く念仏を唱えるようなぁ、哀しみ啼きでした。
店の裏側の線路から、始発列車がユックリと国鉄駅のホームに入る合図の汽笛、
甲高く鳴り聴こえると、バァさん益々背中を震わせの啼き声でした。
始発が出発し随分経ってから、漸く立ち上がったバァさん、
少し明るくなりかけた表を見て、こぅ想ったそうです。
明けは、もぅすぐやなぁ・・・・・