【 rare metal 】

此処 【 rare metal 】の物語や私的お喋りの全部がね、作者の勝手な妄想ですよ。誤解が御座いませんように。

真夜中の向こう側。

2008年06月28日 22時56分48秒 | トカレフ 2 
  


康徳12年7月中旬 (満州歴)

 真夜中の向こう側に


月ない暗闇の晩、渡れば他国な国境の河
黒影な両岸に挟まれ星明かりを映し仄かな白さで輝いていた。


大陸での泥沼な戦争も終盤近くになってくると、日本とソビエト連邦間の中立条約が未だ有効なのに、
河を挟んでソ満両国の国境警備兵が、互いに巡回しあいながら警戒し睨みあっていた。

だから真夜中に、流れ音だけの静かな河面に近づけば、
穏やかな夏の夜にしては物騒な、緊迫した雰囲気が辺りに満ち溢れていた。

闇夜な夜半過ぎ、夜の暗さに溶け込んで、夜が蠢くようにしながら南の満州国側から、
前もって指定された、河畔近くの叢に囲まれた岩場まで、関東軍国境警備兵巡回の隙を突き、
絶対に発見されないようにと長時間な匍匐前進も厭わず、用心を重ねながら忍びよった。
岩場までの匍匐中、頭や顔面から吹きだし流れる汗、顎先を伝い地面にと連続して落ち続けた。
息が喘ぎ、悲鳴じみるのを殺しながらだった。

幾度も土埃混ざりの汚れた汗が目にと沁み、涙目になるのを何度もキツク瞼を閉じ耐える。
漸くの想いで岩下に辿り着くと暫くは、俯きながら地面の上に重ねて揃えた両手の甲に頬を載せ、
夏の夜の暑さと、長時間匍匐する緊張感で激しく喘ぐ息を整えた。


岩と地面の間に、教えられていた物はないかと、両手の指先の感覚だけで辺りを弄る。
直に右手の指先が、周りを囲む背高い草の根元を縫うように這う、細い紐を突き止めた。
紐を音がしないように岩陰の方に用心しながら手繰っていく。
手先が何かに触れ、落ち葉を踏むようなガサツイタ音がした。

ガサツキ音は、虫の鳴き声だけの夜の中では、ケッコウ大きな音に聴こえた。
直ぐに手を引き、巡回中の警備兵が聴きつけて走って来ないかと、耳を澄ました。
暫くは身を固くし動かずにいたが、ナニも異常がないようだったので、
今度は音がしないようにとソット手を伸ばし、音の正体は何かと確かめる。
草を太く束ねたもので平たく編んだ物であり、周りと同じ草が添えられ偽装されていた。


一昨日の深夜、此処まで荷物を運んできて隠し置いた者が、荷物を隠した岩の割れ目穴が、
巡回する警備兵に発見されないようにと、草で編んで作った隠し蓋だった。
蓋と添えられた草は、日中の暑い日差しに晒されていたので、よく乾燥し少し触っても音がした。


夜の暗闇の中では微かな音でも、遠くまで良く通るので今度は音がしないよう、
ユックリトした動きで横に退けると、横穴みたいな岩の割れ目が現れた。

喉の渇きが、我慢できないくらい募ってきいたが、暗くて視えない中に手を入れ、
隠され置かれていた物を掴み、手前にと静かに引き出した。


引き出した物は、軍隊が遠征時などに用いる丈夫な帆布製の大きな軍用衣嚢で、
暗闇で手汗をかいた掌で触ると、手肌に滑るような感触がした。
普通の汎布製の衣嚢は、編み糸が太く織目も詰め過ぎるくらい細かく織られ、
非常に丈夫に作られていて、耐防水性が普通の物よりも高かった。
衣嚢の手触りは布の手触りだが、割れ目から引き出された衣嚢には、特別な加工が施されていた。
布の表面と裏側に黒いゴムの被膜が薄く塗布され、耐防水性が更に強化された物だった。

戦争などの有事が勃発した際に備え、敵前上陸作戦などを敢行するのに先駆け、敵地上陸地点調査の為、
密かに侵入する斥候兵や極秘任務の破壊工作員などが、海や川から敵地に侵入する時、
携行する武器や無線機などの装備品が濡れないよう用いるのが、此の防水衣嚢だった。

近距離なら浮き袋代わりに使用でき、木製の輪ッカが何箇所か取り付けられ、
泳ぎながら輪ッカを引っ張れるようになっていた。
侵入作戦時の装備品の数量により、衣嚢に括りつけて浮力が調節できるように、
衣嚢と同じように薄ゴムで防水加工が施された、小さい衣嚢みたいな子袋が付帯されていた。


闇で手元が窺えなかったが、衣嚢の首は浸水しないようにと二重に折り返され、
丈夫な革紐で幾重にも巻かれているのを、慣れた手つきで解いた。
中から小さな防水袋や、陸軍兵の夏用下帯(半ズボン)と黒い長袖の上着を取り出した。
辺りを窺いながら上半身を起こし前屈みになる。匍匐前進するときに肘や膝などを傷めないようにと
暑さを我慢し着ていた、分厚い生地に石綿繊維が混じった鉄道蒸気機関士が着る濃紺色の乗務服を脱いだ。

身一つの素っ裸になると、躯内に熱を浴び汗と土埃で汚れた肌が、夜の涼しい川風に晒される。

ズボンを掴み、背中が汚れるのもかまわず上向けになり、両脚の膝を持ち上げ下帯を穿く。
寝転んだまま上着を羽織ろうとし、少し背中を持ち上げ袖を通しかけたが、
以前何回か服を着たまま水に入り、泳ぐ動作が鈍くなって困ったのを想い出し着るのを止めた。
急いで脱いだ服などを丸く纏め、サッキ取り出した防水子袋に入れ、暗くて手元が視えなかったが
手捌感覚だけで子袋の口紐をキツク結び、衣嚢が納まっていた岩の割れ目穴に突っ込み、
草編みの蓋で元のように閉じ、穴を隠した。

再び腹這いになり、衣嚢から闇の向こうまで伸びている細紐を手繰り、紐伝いに叢の中を匍匐で進む。
向かう河岸は直ぐ其処だったが、衣嚢を引っ張り肘膝を使う匍匐前進だったので、可也な時間が経つ。
急ぎたいと逸る心を、教えられたとおりに宥め、焦らず慌てずな感じで静かに進んだ。


今夜のような仕事のときはいつもなら、胸や下腹部に黒染めのサラシを巻くはずだった。
だが此の物不足のご時世では布が手に入らなかった、ヨッポド白いサラシを巻こうかと考えたが、
夜目にも真白い布では、警備兵に見つかり易いと考え諦めた。


漸く叢から直ぐの、水が緩やかに流れる浅瀬に出るも、肘膝や裸の胸が河原の石で擦れ痛む。
想わずに出る呻き声、顎を噛みしめ殺し、鼻息荒げながら衣嚢を叢むらから浅瀬にと引っ張りだす。
熱もつ躯が浅瀬の冷たい水に浸かると、傷めた肘や胸が冷やされ気持がよかった。
喉の渇きを癒そうと、面を水に浸け水を口に含みかけたが、之から否でも飲むからと想い止めた。

此処まで手繰りながらきた紐の先、河の中へと伸び、その先を目を凝らし窺う。
浅瀬から少し深め、星明かりで輝く水面上に僅かに覗く杭の頭を見つけた。
衣嚢を浅瀬に置いて杭に近づき、杭伝いに水面下に右腕を沈め探る。
短い二本のロープの切れ端が繋がっていて、水の緩やかな流れの中で揺れていた。
さらに下の方まで腕を伸ばし杭の根元付近を弄ると、斜め上流の対岸から水面下を、
河を渡るように伸びてきた、ロープが繋ぎ止められていた。
杭の結び目近くには輪が作られていて、其の輪に両腕を肩まで沈め衣嚢の首からの紐を通した。
紐が解けないようにと何回も通し直して巻きつけ、固く結んだ。


衣嚢を置いた浅瀬に戻ると、下帯の後ろポケットから細い革紐で太めに編んだ二尺ほどの組紐をとりだす。
自分の左手で衣嚢の木の輪ッカを拳で握るようにし、拳の上から革の組紐で絶対に離れないようにと、キツク輪ッカに結んだ。
紐を引っ張ってキツク結ぶ時、紐の片方を奥歯で銜えていたので唇が擦れて切れた。

唇を舐めながら浅瀬から杭近くまでまで衣嚢を引っ張るときに、
もう片方の後ろポケットから、折りタタミ小刀を取り出し前歯で銜えた。
すると、切れた唇の血を舐めた味と、小刀の鉄の味は似ているなぁっと。

折タタミ小刀を手首の一振りで刃を起こし、沈んだようになって水に浮かんだ衣嚢を引き寄せる。
水面下のロープが杭の根元に繋がった近を探って、小刀で切りだす。
ロープガ切れると直ぐに小刀の刃峰をズボンに当ててタタミ、後ろポケットに戻しながら衣嚢に跨り抱きついた。


跨り抱きついた衣嚢は、緩やかな河の流れに任せるように、ユックリト斜めに河を横切るように下流にと進みだした。
河畔沿いでは水の流れは緩やかだったが、斜めに横切りながら中央辺りに近づきだすと、
急激な感じで流れの速さが増し、衣嚢は水の抵抗で激しく上下に浮き沈みしだす。
長いロープで繋がれ、激しい流れに逆らうように上流に頭を向けた衣嚢は、激しく水中で何度も回転する。
必死さで衣嚢から離されまいと自由な右手で輪ッカを掴み、固く口を結んで息を詰めていた。
両腕両脚で衣嚢に抱きつき、直に渡り終えると我に言い聞かせながら堪えるが水の勢いは強烈だった。

水は強烈な圧力で鼻や口から容赦なく入ってくる。
鼓膜は水の中に沈むと激しく水の吠える音を聞く。
自分の躯と衣嚢の上下も関係なく回転し続けていた。

息もできず急激な流れに身を揉まれ続けると、意識が遠のき何処かにと逝き始める。
両手の握力が自然と抜けてくる。繋ぎとめていない右手が離れたのが判ったがどうしようもない。
息苦しさで酸素不足な脳が悶え足掻く感覚は、何時かは逝くかもしれない処みたいな物に包まれかけてきた。

もぉぅこんなことは止めよう。今回で終わりにしたい。っと薄れかける意識の中で想う。

朧げになる意識の代わり、透明感な甘い感覚で包まれそうになってきた。





突然な感じで、緩やかで穏やかな流れの水中にいた。


気がつくと自分が今何処にいるのか判断できず、仰向けで横になっていた。
顔が何かに触られていた。目を開ける前からそぉ感じていたが。
今の状態が飲み込めていなかったので、起き上がろうとして手を引っ張られ水の中にと沈む。

思わず息を吸ったら気管に水が入り、水中で咳が出たら記憶が戻った。
水の中に引っ張られたのは、左手首を衣嚢に括りつけていたからだと、想いだした。
衣嚢に掴まって咳きこみ水面に頭を出すと、河岸から川面に垂れ下がり茂る木の枝に当たった。
咳が出るのを慌てて堪え、耳を澄ました。河の水が穏やかに流れる音がしていた。

河を渡る前、浅瀬の杭に繋ぎとめられていたロープの長さは、衣嚢に繋ぎ直して河を渡り終えると、
此方側の河岸の、川面に垂れ下がる木の枝の下に着くように長さが調節されていた。


暫くは耳を澄まし、衣嚢に掴まって浮いていた。
河の冷たい水に浸かっていると、躯の体温が低下し震えが出そうなくらい寒くなってきていた。
直にも岸に上がりたいのを我慢し、耳を澄まし続けたが水の流れる音と、
小さな虫の鳴き声以外は、何も聞き取れなかったので周りは今のところは安全だと確信した。
ユックリト躯を立て、寒さで強張る脚を伸ばしかけたら川底の石を踏んだ。立つと上半身が水の上に出た。
直ぐに水の中に蹲り、左手を衣嚢の輪ッカに繋ぎとめていた革の組紐を、取り出した折りタタミ小刀で切る。

河面を覆うように群生する叢の中に匍匐で入り、仰向けになって寝転んだ。
背高い黒い草影が周りを取り囲んだ狭い視野の中、掴めるかと想うくらいな距離感覚で、
無数の、青白く瞬き輝く星が眺められた。



ソビエト領に、入った。


   

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 雨情 

2008年06月24日 01時51分40秒 | 幻想世界(お伽噺) 
  



小糠な雨は、夜を湿らせながら幽かにも、音なく降り続けています。


夜の不思議さを想わせる雨は、見せたくて結いし黒き髪を優しさで重たく濡らします。

はたくしは気落ちな情けなさで俯き歩き、髪の雫が肩にかゝれば

容赦なく心をいつまでもと濡らさせていました。



静謐な夜の中を漫ろ歩きいたしますれば いつの間にか辿りきました。

其処は忸怩たる想いで、限りにと忘れ去りたい場所でした。

だけど、忘却など決して出来ぬ事なれどと、此のごろ漸くにと決心いたしました。

そして、あの時に忘却したはずな若きころに住まいし世界にへと、往きあたりました。



驟雨は、夜を優しげに包むかと突然に降りだし、雨に煙られゝば我にと返り


 此処はぁ!ッ


ッテ想わずに雨雫滴る顎を上向け、見上げまするは古き瓦斯燈。


高き頭上にて燃焼いたしまする、雨に煙りし瓦斯の黄色き灯りにて

裸足で踏み浸かりし水溜まり道を、仄かさで照らされておりましょう。



夜だからで、なにかおさせましょうな夜の色は、星の明かりで煌めき輝きし黒曜石色。

其の色は、はたくしの想いの如くに深きな黒色で染まり、夜の帳の観へぬ向こう側にて、
 
幾度もと見つけにくゝと叶わずな、若きあの頃の思慕の念の色彩。


深き想いしことは幾らもと伝はらず、真逆に為されては囚われて求められず。

其れは堪えて限りになんでしょうかと、はたくしの胸の深き其処の方では

視えぬ激しきものにて、滅多と繰り返し打ちのめされ続けていました。



雨の夜は、重たき深海の冷たさな静かな暗さで満たされつゞけています。

必死さで幾ら見つめても、観えぬほどな遠き向こうから流れきます。

叶わぬと想い知らされし、嘆きな悲しみが誘いし緩やかな風が。


はたくしは夜に迷いし彷徨い、其の風を慰めで吹かれて一心に浴びました。
 
幾度もと望むことは裏切られて叶はず、想いな勿忘草は枯れ続け。

忘れさなくし限りにと儚く望みますれば、優しさに吹く風が、

はたくしの耳元にて、そぉっと囁きました。


 終わりにしましょぉ




雨は、静かさな降り方なれども、はたくしには静かさが思いのほか身に積まされ
     
降る雨は、耳朶に当たりて音を発し弾け散りては、頬を濡らしまする。

夜の中での雨音は、はたくしの言訳調子な音に聞こえてきました。


!ッ ぁの時のぉ・・・・・嗚呼


っと夜の真黒な暗さな幕の手前に降る、雨の暖簾を透かし観ればぁ。

忘れたはずのあの場所にぃ、赤煉瓦造りの喫茶店がぁお見えです。

之も妖しげな、物の怪さんらの悪戯なんでしょうかぁ?


でもね、またね、耳元で囁き声がぁ。 優しさイッパイのね。


ホレお前様の懐かしぃお人サンがぁ、あの店で珈琲なんかを啜り随分とお待ちかねだよぉ。


はたくしは、囁きに自堕落にも溺れそぅになりました。

そしていいんですよと、自分の胸に言い聞かせました。


一夜の幻な現実ならば、想いと共に此の我が身もですねぇ

幻想な、限りある世界に沈んでもいぃんですよぉ ット。



雨は、はたくしの躯を透り抜け、何処までもと下に向かって降っていました。





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想う心 黄昏

2008年06月06日 10時39分13秒 | トカレフ 2 
  


満州暦 康徳12年

 8月初めの頃 

ソ連邦との国境線から南に在る、関東軍国境守備隊駐屯地が在する町。


町から北の方角を眺めれば、遥か地平線上には、夏でも白い雪を冠みたいに頂く
土漠色をした峻険な山の連なりが望めます。其の山脈の向こう側。
切り立った断崖に挟まれた深い谷間が、満洲国とソ連邦の国境線になります。

谷と言っても、日本人が想い描くような狭隘な谷間とは違う、向こう側の崖までの距離、
数百メートルはあるような深い渓谷が、大きく蛇行しながら何処までもと続くものでした。
谷底を流れる河の水は冬には厚く凍りつき、夏になると乾ききった涸れ谷にとなっていた。
大昔から涸れ谷の季節になると、山脈の北と南から大勢の人々が交易の為に、
谷底を通って行き来しては盛んに交流していました。
時には南北の民族間に紛争が生じれば、此の谷は重要な戦略道路となった。

大日本帝国陸軍軍部は、北のソビエト連邦と戦争状態に陥ればソビエト軍が此の谷底を利用し、
南の満洲国にと侵攻してくるだろうと予測し、山脈の険しい自然の要害を利用し、
莫大は費用と長年月を費やし築き上げたのが、国境線に沿った幾つかの防衛要塞群でした。
硬い崖巌の内部には、当時としては最先端の掘削土木技術の粋を結集し、
通路や兵員の居住区、弾薬庫などの軍事施設が蟻の巣のように穿たれた。
敵からのアラユル攻撃を想定し、ドノヨウナ攻撃にも耐えうる難攻不落な堅牢な造りの山岳要塞だった。
要塞には大口径の要塞砲が対岸の山の向こう側、ソビエト領を睨むように据えられていた。

要塞部隊への兵員の補充や交代、飲料水や食糧、軍需物資などの搬送は山脈南の麓までは、
軌道幅が狭い線路が先の国境守備隊の町から敷かれていて、小型の豆蒸気機関車で繋引された、
物資運搬用有蓋トロッコ列車で運ばれていました。
国境守備隊駐屯地の町は、山岳要塞への弾薬や軍需物資などの重要な兵站基地で、
町の色々な建物や施設が、要塞部隊兵員らの休養や、慰安の為の役割を担っていました。


町と駐屯地の間には、遥か南の、満州鉄道本線からの支線、単線鉄道の線路が横切り、
レールは駐屯地敷地内の駅構内に引き込まれていた。
駅舎の建物は、当時此の辺り一帯を支配していた某軍閥将軍の屋敷兼司令部だった。
露西亜が赤化し帝政が崩壊する前の、白系露西亜人建築技師がワザワザ招聘され設計した、
欧州風な、素焼き赤煉瓦造りの、僻地の駅にしては珍しく洒落た造りの建物だった。
其れを後になって関東軍が、国境要塞建設の秘匿と後方支援の兵站基地を設ける為、
匪賊討伐と称し軍閥を掃討し、建物と周りの土地を強制接収したもので、
外観は以前の儘に内部を補強するように遣り替え、軍事目的に転用した。
中の造りは有事が発生したさい、防衛陣地として利用できるよう頑丈に造り替えられた。
線路は遥か南方の満州鉄道本線から、茫漠たる原野を切り開いて此の地まで敷かれていた。

駅構内のホームの造りも、最前線の駅ならではで、当時最新式だった国産戦車の鉄道輸送のおり、
積み下ろしがし易いように普通の駅のホームりは随分と広く造られ、戦車の重量に耐えうるものだった。
単線路を挟んで両側に併設されたホームは、戦車などの軍用車両が貨車から降ろされると、
直ぐに駐屯地の中や、北の前線に向け移動し易いようにと、ホームの両端は緩い傾斜の坂道だった。
ホーム全体は、今は赤錆が浮いているが、ココら辺りがまだ開墾される以前の原野と同じ、
泥漠色に迷彩塗装されたブリキ葺きの屋根に覆われている。

守備隊の建物群や駅舎とは別棟で、機関車の整備や荷物の搬入所を兼ねた、
同じように屋根に迷彩塗装を施された大きな建物が何棟も併設されていた。
各棟の中には、厚い鋼板で装甲が施された装甲列車が収納されていた。
車両の前後には、小口径砲が搭載された砲塔が据えら、機関銃や小銃などの銃身が、
側面の銃眼から針鼠のように突き出せるようになっていた。
一番大きな建物には、長い装甲列車を前後で繋引する為に、
大陸鉄道専用の大型装甲蒸気機関車が、二両収納されていた。

警備隊隊員の宿舎なども付随していて、他にも軍需物資倉庫などの建物群、
周囲に高く土嚢を積み重ね、天井にも土嚢を積み上げた掩蔽式の待避壕が観え、
鋼材を櫓状に組んだ、無線の電波塔を兼ねた背高い物見櫓の上では、
空に向かって伸びた一本の旗竿の先に、一流の吹き流しが穏やかな大陸の夏風に吹かれ、
舞うように揺れているのが、広大な駐屯地の周囲を取り囲む、有刺鉄線鉄条網柵越しに覗えた。

町や駐屯地付設して、軍事教練と閲兵時に使用する大広場の周囲には、
開拓民団が開墾した耕作畑の畝が、見渡す限りに広がっていた。
町の郊外には、開拓民が此の地へ入植する以前から、原野を踏み固めたように整地した、
陸軍管轄の飛行場があり、同じように飛行場の周りを取り囲むように幾つかの、
開拓民団村や酪農牧場などがありました。

飛行場は有事の際などに備えての緊急事態使用が目的で、普段は軍の高官が、
時折視察に訪れたりしたときと、月に数回ほどの連絡便が飛来するだけでした。
上空から飛行場を望めば、滑走路がハの字に並んでいます。

町には民間の建物は殆どなかったけど、医療設備の整った陸軍病院や兵士慰問用の、
ケッコウな和風造りの観劇場と軍委託の慰問団宿泊用の旅館や、酒保などが軒を並べていて、
僻地の町とは思えない、賑やかな街並みを呈しておりました。

町の設立当時の状況は、国境要塞群の造営整備中で、兵站基地としての役割と、
要塞群建設の秘匿防諜と機密保全の為に、国境防衛策の一環として創設された町でした。
軍が駐屯地の周りに開拓民団の入植を許可し、開墾を勧めたのも、
駐屯地の機密漏洩防止が一番の目的でした。
開墾事業には別の見方もありました。当時軍部の方針では、食糧などの物資は現地調達が原則で、
開墾事業を勧めたのも、現地部隊自給自足の方針が基になっていました。
守備隊の兵隊には、多くの地元開拓民団の壮年男子が現地徴兵されていたので、
入植者の身内の者が多かった。
太平洋戦争が勃発するまでは、春秋の農繁期には軍事訓練の合間に農作業に従事する、
イワバ屯田兵のようなものでした。



開墾された緑の耕作畑が何処までもと広がり、其れに囲まれた国境守備隊駐屯地の町。、
開墾畑を遠目に望めば、ワザワザ本土から苦労して連れてきた骨格逞しい農耕馬が、
農婦に従って畝を耕すのが窺え、時折、馬のイナナキが風に乗って聴こえてきます。
平和で長閑な雰囲気に溢れたような、何処までもと広がる耕作畑の風景でした。

耕作畑の長い畝の中では、農作業に没頭する農婦が、地面に座るのかと腰を低くし、
丸めた背中には夏の眩しい太陽が焦がすかと照りつけていました。
野良着の背中は吹きだした汗で黒色に濡れ、後頭部を日よけの支那の三角帽子が載ってます。
周りをスクスクと育つ緑の作物に囲まれた農婦は、何も考えず、忙しなげに作物の手入れをしていました。
だけど動かす手元とは関係なく、知らずに脳裏に浮かんできます。
最近民団の仲間内で噂し合う気になることが。
 

「噂はウワサやろうからね、とぉちゃんも息子たちも、キット大丈夫なんだわさぁ 」


知らずに呟くと知らずに頷き、額から流れる汗玉は、頬から顎先を伝い地面にと垂れます。
作物の緑の汁と、泥で汚れた手元には、汗とは違う雫も落ち続け、手の甲を濡らしていました。
真夏の朝は、夜が明けるのが早かったけど、まだ暗い内から起きだし農作業に勤しみます。
昼間の眩しい日差しの下、躯が猛暑な熱気で包まれると、知らずに家族を想う心を、
暑さが惑わしながら、マスマス農作業に没頭させ忘れさせよと。


だけど、作業が終わる日暮れが近づくまで、何度も何度も、胸の中で呟いていました。


此処の入植地、働き人はご婦人と老人。っと、幼き子供たちばかり。
頼れる男手のいない、限りなく不安な毎日が続いていました。



其れも、もぉ、終わろうとしていました。





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教授への御礼の手紙。

2008年06月02日 12時05分59秒 | トカレフ 2 
  


教授、お父様の資料を御提供してくださるとのこと、凄く嬉しいです。

ありがとうございます。

ですが、わたしの物語の構成力と筆力では、大事な資料を生かし切れるとは想いません。
今回の「満洲編」は「トカレフ」の中での、番外地の「バァさん」の若い頃のお話しなんですよ。

当時の時代背景とお話の都合上、満州国を取り上げています。
本当はモット簡単な説明的内容にするつもりでした。
だけど、何時ものことなんですけど、何回も訂正などして書き直すうちにですね、
今のような話の流れになってしまいました。

以前は、何かを書き込み始めますと、アンガイ考えなくても話が進んでいきましたのが、
昨年辺りから悩みだしてしまい、自然と遅筆になってきています。
ブログ以外でも、それまでは他の事を色々と掛け持ちでやれたのが、邪魔臭さが先に立ちまして、
気持ちが億劫になりだし、根気が続かなくなってきていました。

元々、わたしの性分は、目の前に危機が来ない限りは知らんフリ。
ッテ考えの怠け者なんですからね、仕方が御座いません。
それに今更、此のだらけた性根を矯正できるとは想っていません。

加齢による脳年齢の衰え現象が、段々と進んできて思考力が劣化してきているみたいです。

横道に逸れました。ごめんなさい。

書籍などの満州国関連資料とは違って、一個人の方の大事な物ですからね。
キット今まで何方も覗いたこともない、内容なんでしょう。
ですが、自分などには勿体なく想われます。

私が頂いても、わたしのボケた頭では、有効に活用することができるんでしょうかねぇ?

;ット言いますのは、今回のお話が之から先どのような事態になるのかは、自分んでも分からないのです。
一応、物語の粗筋は考えておりましたけども、他の今までの作品でもですね、
最初に考えていたとうりに行きました試しがございません。

大概考えていたのとは違ってくるんですよ。

だからこの先、物語の都合上、満洲国についての記述で行き詰まるような事態になりますれば、
キットお父様の大事な資料が要りようになり、随分と助けられると想います。
それまで大事な資料が、要るか要らないかも解らないのに、自分の手元に置いとくのは心苦しいのです。

その折には真に勝手ながら、遠慮なくお願い申し上げたいと想っています。

どうか、宜しくお願いいたします。



教授、温かいご支援、ありがとうございます。





教授 お礼の手紙を記事にしました。お許しを。