深夜に知り合いの医院に電話をしたら、医者の奥さんが出た。
受話器の向こうから不機嫌な声で、旦那はただいま大鼾で熟睡中だと。
バァさん、そこをなんとかお願いします、とっ猫なで声で泣きついた。
モシカシテ、頼みを聞いてくれなかったら、駄目もとで怒鳴り散らしてでもと思っていた。
「仕方がないはね、あなたの頼みなんだからぁ 」
ッデ、起こしてみると。
受話器を耳に押し当てつゝ待つ間、照明を落として薄暗く、、人気のない駅構内を見渡した。
壁際に公衆電話機が並び、隣との仕切り板越しに振り返ると待合室には、
緑色ペンキも所々禿げかけ、傷跡だらけに為ってる無人の木の長椅子が並んでいる。
バァさん、それを不思議な物を見ているような感覚で眺める。
今まで、近くで商いしてたけど、コナイナ晩い時間に此処に着た事はなかったなぁ、っと。
なんだか初めて観るよぉやなぁ、寂しいなる風景やなぁ、バァさん心がシンミリする。
機関車の吐き出す煤煙で、煤けたように薄汚れた高い天井の大きな部屋には、
物音一つしない、ヒッソリトした静かな雰囲気が満ちていました。
バァさん、この静かさは、今の自分が置かれている身の周りの状況だと、
なんだか心寂しさに包まれているような感じに為ってくるわぁ!っと。
寝ていたところを無理に起こされ、不機嫌の極みな医院長に怒鳴られた。
「コナイナ夜中になんの用やッ!いくらあんたの頼みでも、コナイナ時間やったらロクデモないコッチャロッ!」
ッと、大きな嗄れ声で一気に捲くし立てられ、怒鳴られた。
「寝起きでそんだけ元気なら、アンジョウやってますんやなセンセェ、ゴリッパなこって 」
ッデ、緊急事態で今そちらに向かってる。っとバァさんが無理強い。
「そぉか、ホナ待ってるがな ホレ 」
受話器を奥さんに渡そうとしたのだろうが、直ぐに喋りだす。
「アンタは来ぃひんのんか?」
「ウチは店がおますがな、〇〇が乗せて行ってますよって、門を開けといてんか、お願いしますな 」
「アイツが来るんか、アイツなぁ・・・・・」
「せんせぇに不義理してるゆうてましたわ、ワテに謝っといてくれッテ 」
「判った、そぉかぁアイツがなぁ、そりゃ楽しみや ホレ 」
暫くは、奥さんと互いの近況報告しあって、電話を切った。
バァさん、一息ついたような顔して、火の点いてない煙草を前歯で噛んで駅から出てきた。
歩きながら割烹着のポケットからマッチを取り出しかけたら、何かを想いついて、フトッ立ち止まる。
ッデ、慌てたようにもう一度、駅構内に小走りで戻り、公衆電話機の受話器を掴む。
「モシモシッ!ヨッパライが暴れてますねんッ・・・!ハァ?何処って?駅前ですぅ・・・」
言葉での嘘ゴト絵描きは、バァさんにしたらそんなに難しくはなかった。
昔はモット、厳しい状況下で喋ったもんやったなぁット、ツクヅク想いながら店に戻った。
カウンターで斜めに為ったままの、割れ硝子引き戸を掴んで歩道の側に倒す。
未だ割れずに残っていた硝子が割れ、粉々な破片が舗道や道路に飛び散り、
それが店の明かりで輝き、黒い道の上に星屑が広がった。
ガラスノ破片を載せてる木の腰掛を幾つか掴み上げ、同じように舗道側に投げた。
カウンターの中に戻り、中身が入った数本の一升瓶とビール瓶や、その空瓶も道に向かって投棄した。
幾枚かの皿や、鍋と蓋も顔を上げずに、落ちる先を視もしないで投げる。
コップと徳利も投げると、今度はバァさん、自分の着ている汚れた割烹着の懐から取り出した。
露西亜製の、デッカイ軍用拳銃。
異人の死にぞこないの男が、運転手に狙いを定める寸前で取り上げたブツだった。
バァさん拳銃を、細かい硝子の破片が、タクサンくっ付いてる俎板の上に載せると、ジッと見つめる。
ばぁさん、呟いた。
「今ゴロになって、なんでまたこないなん視なアカンねん・・・・・」
銃把を握り持ち上げると、何回か上下に揺すって重さを手計してみる。
『 モーゼルよか(ヨリモ)、軽いかぁ・・・・ 』
っと、若い頃に大陸で、命を託して手に馴染ませ使い込んだ重さを想いだし、
ひと時、忸怩たる想いにかられた。
心が郷愁で包まれてしまい、もの哀しいもので胸がイッパイニ為ってくる。
ばぁさん、顎を上向かせ、なにかを堪えて目を瞬き、鼻をヒト啜りした。
銃の上側、遊底部分の空薬莢排出孔に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。
直ぐにばぁさん、眉間に皺を呼び眉をしかめる。
一度銃を腹の辺りまで下げ、口元をキツク結び一文字にして銃を眺める。
再び持ち上げると銃口に鼻を近づけ、鼻からユックリト息を吸い込んだ。
「ヤッパシするがなッ!(硝煙の匂いがッ!)」
それからのバァさんの手捌きは素早かった。
右手で握った銃把から弾倉を、左掌に落とすように抜き取る。
左手で弾倉を握るとそこから覗く、ドングリみたいな弾頭がクッツイタ銅色薬莢の弾丸を、
次々と菜箸で押して全部の弾を弾倉から丼の中に落とした。
銃身で、おでん鍋の中を掻き回し、隙間を作ると銃を鍋に沈める。
出汁で濁った中に沈めたので、拳銃が見えなくなる。
丼の中の弾丸は、布巾代わりの乾いた日本手ぬぐいで包むと、
流しの下のゴミバケツの残飯の中に突っ込んだ。
「ババァ!どないしたんやッ!」
突然の大声だったので、バァさん驚いてしまい、蹲っていたけど立ち上がった。
表にオート三輪トラックが、発動機音もなく停車していた。
遠くでエンジンを切り、惰性で近づいてきたのだろう。
助手席の男が此方に顔を向け、運転席の男が助手席肩越しに声を掛けてきていた。
「ババァ、なんぞ騒動あったんかッ?」
「ヨッパライやッ 」 ット、カウンターの中から怒鳴り返した。
「どいつや?」
「知らん客やッ 」
「飯ぃ喰わせや 」
「ぁほかッ!コナイナんで(こんな状況で)喰わせろゆうて、アカンッ!いねッ!(帰れッ!) 」
「ァホぉ・・・・コラッ!客やぞッその言草はないやろッ!」
ット助手席の男が言いながら、三輪トラックから降りようとするのを、運転席の男が肩を掴んで止めた。
バァさん、男たちが店の中に入ってきたら、小細工した苦労が駄目に為るので、慌てて店の前に出る。
「アンタら客やないッ! 悪いけどなッ ウチんとこにわコンといて欲しいねんッ!」
「なんやとッ!ババァや想ぉて手加減しとんのに、舐めとんかッ ワレッ!」
「アンタらウチの趣味やないッ!サッサトいなんかいッ!」
「ばぁチャン、どないしましたんやッ?」
突然の声の主を、三人が同時に首を動かし視る。
硝子の破片が散らばってない近さの舗道で、駅前交番の若い巡査が自転車に跨っていた。
巡査、自転車から降りると、その場に自転車のスタンドを立てながら喋る。
「ヨッパライやゆうて、本署から連絡がありましたんやけど、どないですのん?」
話しながら近づいてくるとき、硝子を踏みしめる厭な音がした。
「ぁ~、どぉもおぉきにですぅ、ご迷惑をお掛けしますなぁ 」
「ばぁチャン、ワザワザ本署に言わんでも、すぐ其処に交番があるやろぉ 」
「ホンマやわッ! そぉやったなぁワテ慌ててしもうてぇゴメンしてなぁ、、すいませぇん 」
「ぇえがなもぅ、ッデエライ目ぇにおぉた(遭った)なぁ!」
「もぉぅ凄ぉおましたんやでぇ!」
「そぉやろぉ、この有様みたら判るでぇ!」
「もぅワタイ、ホンマニぃ恐かったんデッセェ!」
「モソットはように、警察に知らせんとアカンでぇ 」
「アンサンら、なんですのん?」
巡査、突然オート三輪を振り向きながら訊く。
助手席の男が、「ワッ儂らぁ、メッ飯ぃ喰わんなん思ぉて、なぁ 」ット、運転席に同意を求めた。
オート三輪のふたり、この場から離れるタイミングを逸していたので、応えに詰まった。
「今、コナイなんやからッテ、アカンゆうてましたんですわ 」
「残念やったなぁ、あんさんら 」
「ホナ、ワイら帰りますわ、ババァ、ぁッチャウ!バァさん元気だしんかな、ホナまたな 」
「へぇ、おぉきにでしたなぁ!此れに懲りたらもぅコンでよろしぃでぇ 」
発動機が動き出すと、青い排気煙がたちガソリンの燃える匂いがした。
男ふたりはキッチリ前を向いていたけど、奥歯を噛み締めているのが暗い中でも見て取れた。
「〇〇さん、アイツらになんぞ因縁でも吹っかけられましたんか?」
交番巡査、男ドモが消えると言葉使いや態度が改まり、丁寧な対応になる。
バァさんも、同じように為った。
「かましません、あんなんドナイでも為りますわ 」
「今ぁ被害届けだしはりますか、ナンやったらもぅ晩いさかい明日でもよろしいけど?」
「明日にしてもらえたら、嬉しいんやけど 」
「そんなら、この状況ぉ写真に撮らなあきませんねん、カメラ持ってくるように本署に連絡しますわ 」
「ご迷惑をお掛けしますなぁ!」
「このまま、片付けないで置いといてください 」
巡査、ユックリト自転車漕いで立ち去った。
その後姿を見送るとバァさん、緊張の糸が切れたのか、立眩みがして躯がヨロケル。
右足でたたらを踏むと、履いているゴム底の長靴が何かで滑ってしまう。
敷石地面を見ると、外国人の躯から滴った血が固まりかけ、血糊になったので滑ったようだ。
水を汲み置きしてるバケツを両手で提げてきて、ボコボコに形が崩れた柄杓で血糊に水をかける。
乾きかけの血糊は、ヤッパシなかなか融け難いわ、もぉうコナイなん厭やでッ!
あん時で十分やのに、今頃になってナンでこないな目ぇに遭わんとアカンねん、ダボがぁ!
ット、自分でも知らずに愚痴が、吐いて出てくる。
血糊に水をかけると長靴のゴム底で擦る。それを何回も繰り返す。
血の汚れは敷石の継ぎ目ぇの中までは、ナカナカ取れなかった。
仕方がない、ソヤケドこんなんでえぇやろも、ット想ったところで車が舗道に斜めに乗り上げた。
白タクが帰ってきたと想い、バァさん顔を上げると違っていた。
覆面パトが乗り上げていた。
直ぐに両方のドアが開き、助手席からはカメラが入った革のケースを持った縄澤が
「騒動やってなッ!罰でも当たったんかぁ?」 ット言いながら降りてきた。
バァさん、そおかも知れんなぁ、あん時の罰かも知れんなぁ。
っと、心底から想ったそうです。
ッデ、もぉぅ、忘れたと想っていた、人が背負いきれないものは、
何時かは其の重みで、心が参るんやわぁ・・・・・と。