私と、Aさん、Yさんは、原発からわずか10キロ
の所まで行きました。そこに検問所があるため、さすがに
そこから先には、許可証がないと行けません。
この検問所があるのは、楢葉町(ならはまち)のもっとも
原発よりの地点です。
検問所から先は、もう、富岡町になります。
富岡町は、福島第二原発のある町です。
そして、富岡町からさらに向こうは、大熊町です。
大熊町には、福島第一原発があります。
楢葉町の端まで行けたのは、楢葉町が、立入禁止の
規制解除に向けて、解除の準備地域に指定されたからです。
原発事故から2年たち、放射線量も落ち着いてきたので、
帰宅に向けて準備し始めたということなのですが、しかし、
事故を起こした原発からわずか10キロという距離では、
なかなか、帰宅を実現するのは、難しいかもしれません。
その先の富岡町、大熊町は、まだまだ規制解除の準備
さえ、簡単には始まりません。
実際に現地に行ってみて感じるのは、このあたりが、
非常に美しい景色だということです。
なにもなければ、穏やかで美しい田園地帯です。
住民のみなさんの帰郷の思いは、いかばかりでしょう。
この検問から少しいわき市のほうに戻ると、楢葉町の
役場があります。
去年は、ここも立入禁止区域になっていましたので、
今回、初めて楢葉町役場に行くことができました。
そして、これが楢葉町役場です。
役場のすぐ横に、楢葉町コミュニティセンターがあ
ります。
立派な建物です。
原発が立地する自治体は、原発の見返りがあるので、
どこも立派な公共施設が目につきます。
何度もご覧いただいているJヴィレッジの看板の
写真を、また掲載しますので、ちょっとご覧になって
ください。
読めるでしょうか。
よく見ると、「楢葉町中高一貫教育施設」という文字が
読めます。
ここはJヴィレッジなのですが、Jヴィレッジは
楢葉町にあって、その一部は、中高一貫教育施設とい
う位置づけになっているわけです。
原発は、建設にあたって地元自治体の了解を取り付
ける一方で、地元自治体に見返りを提供します。
楢葉町でも、実際に、こうした立派な施設を見ていると、
原発の立地を了解した見返りがいかに大きかったか、
実感としてわかります。
良い悪いということではなく、そういう事実がある
ということです。
さて、楢葉町役場の正面に、ガラスがはまった掲示板
がありました。
近寄ってみると、書類がたくさん掲示されています。
役場が住民に向けて連絡する書類のようです。
ガラスがしっかりと閉じられているので、中の書類が
良い状態で残っています。
ガラス越しに、書類が読めます。
読んで、驚きました。
平成23年2月28日 という日付けがはっきり
読めます。
町議会を招集するという書類です。
大震災が平成23年(2011年)3月11日です
から、その10日ほど前の書類です。
もっと驚く書類もありました。
なんと、平成23年3月10日の書類です。
楢葉町の国民健康保険の条例を一部改正しますという
お知らせです。
これは、大震災の1日前の書類です。
あの日から、この書類は、ずっと、ここに掲示され
たままだったのです。
楢葉町は、大震災と、それに伴う原発事故のため、
2011年3月11日で、時間が止まってしまったと
いうことです。
3月10日というと本当に大震災の1日前です。
大震災が来る直前まで、穏やかな日常生活があった
わけです。
そう思うと、なにか、切ないものがあります。
楢葉町役場から、ふと後ろを振り返ると、こんな
建物が目に飛び込んできます。
まるで、お城の天守閣みたいです。
この日はいい天気だったので、青空を背景に浮かび
あがったような感じです。
しかし、近寄ってみると、とんでもないことになって
います。
ご覧ください。
壊れています。
大震災の直撃で、破壊されたのでしょう。
修理しようにも、原発事故で楢葉町が立入禁止となった
ため、そのままほうっておくしかなかったのです。
屋根が壊れて垂れ下がっており、かなり危険です。
きっと地元では有名な建物だったのでしょう。
しかし、これは、ちょっと手をつけるのが難しそう
です。
ここでも、時間は、あの日以来、止まったままに
なっていました。
(次回は小名浜港の様子をお届けします)。