いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

震災2周年・・・取材めもから(2)。今回は塩釜と石巻です。港の被害をご覧ください。

2013年03月20日 21時44分36秒 | 日記

 前回の記事から少し日数が空いてしまいました。
 震災2周年の2回目です。
 今回は、震災の年、2011年7月初め、宮城県の
被災地を回ったときの取材メモからお届けします。

 このときは、仙台でレンタカーを借り、塩釜、
石巻、そして最後に仙台空港まで足を伸ばしました。

 震災からまだ4か月ほどという時期で、あちこちに
震災のつめあとが、そのまま残っていました。

 まず、塩釜の様子から始めます。
 塩釜は、仙台から車で30分程度の距離で、いまで
は、仙台に通勤するサラリーマンが多く住んでいる
ようです。
 石巻に向かうときに、塩釜を通ります。
 塩釜の中心街に入ると、いきなり、こんな光景が
目に飛び込んできました。


 津波で破壊されたままです。

 車が街のあちこちに転がっています。

 道路の向こうにお寺が見えたので、行ってみました。
 すると、とんでもないことになっていました。

 お墓に、車が何台も、乗り上げているのです。

 津波によって車がどっと流され、お墓にひっかかっ
て、とまったのでしょう。
 それが、そのまま、残っているのです。

 こんな景色は、見たことがありません。


 2011年7月のことですから、いまから1年8か月
ほど前のことになります。
 これを元に戻すのは大変だと思います。

 呆然としましたが、先を急がなければなりません。
 車で、石巻に向かいます。
 着いたところが、石巻港です。
 前回、福島の小名浜港の様子を写真で載せましたが、
石巻港は、小名浜よりはるかに大きい港です。
 それだけに、被害の様子も、一段と大きいのです。
 いきなり、こんな景色を目にしました。

 大きな船が、陸上まで流されてきたのです。
 船のすぐ奥に、自動車が転がっています。
 この写真だけ見ると、どうしてこんなことになった
のか、分からないでしょう。

 石巻港の全景は、こんなことになっています。

 なにもかもなくなっています。
 津波にさらわれていったのです。


 少し向こうに、青い建物が、ひとつ見えます。
 近寄ってみましょう。

 清浄海水 と書いてあります。
 なにか海水を使った仕事でもしていたので
しょうか。
 ここでも、ビルのそばに、大きな船が転がって
います。

 港、というより、港のあった場所を歩くと、
こんな光景ばかりです。




 港には、荷揚げされた魚や海産物が、そのまま
放置されています。
 それを目当てに、おびただしい数の鳥が集まっています。

 ちょっと怖いぐらいの数です。


 例えが悪くて申し訳ないのですが、ヒッチコックの
「鳥」を思い出します。
 近寄ると、一斉に飛び立ちます。


 港から少し内陸に入った石巻市の市街地に向かいます。
 幹線道路沿いに、大きな赤いものが転がっています。

 近寄ってみると、これは、大きな缶です。
 港にある缶づめ工場の看板だったようです。
 この缶は、後日、震災のシンボルとして残しておくか
どうか、議論になりました。
 たしかに、シンボルとして残したいところでしょうが、
これは、雨風にさらされると、さびて壊れてしまいそう
な感じがしました。

 幹線道路のそばには、震災で壊れたり、津波で流され
たものが、集められています。小山のようです。

 ものすごいにおいがします。
 それもそのはずです。港に荷揚げされた海産物が、
どうしようもなく捨てられて、ここに集められて
いるのです。

 魚をいれた発砲スチロールが、どっと放置されています。

 これは、ひどいにおいがするはずです。

 この道を通って、石巻の市街地に入りました。
 次回に続きます。