いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

福島のいま(1)・・・福島原発の立入禁止の検問所まで行ってみましょう。

2013年03月24日 23時53分53秒 | 日記

 しばらくの間、取材メモから、震災の記録を振り返って
きましたが、今回から、新しい取材の記録をお届けします。

 この週末を利用して、福島を取材してきました。
 今回は、友人のAさんとYさんも同行してくれました。

 東京から常磐道に乗り、いわき勿来で降り、小名浜港
に入ります。
 小名浜のあと、津波で集落がそっくりさらわれた豊間
地区に向かい、2年たって、どうなっているかを取材
します。
 そのあと、いわきの中心地に行き、いわきの今を見ます。

 そして、福島原発に向かいます。
 検問ラインが変更されたという記事がありましたので、
では、いったい、どこまで原発に近づけるのでしょうか。

 今回の取材は、そういうルートです。

 小名浜港と豊間地区は次回掲載することにして、まず、
原発にどこまで近づけるかーーです。

 このルートは、地震直後の2011年4月末と、
1周年の2012年4月の2回、取材で通りました。
 そのときは、福島原発は20キロ規制があり、原発から
20キロ圏内は立入禁止となっていました。
 
 そのときの写真がこれです。

 2011年4月に撮影したものです。
 これは、国道6号です。
 国道6号は、東京からいわきを経て、福島原発を通って、
仙台に抜ける道です。
 この交差点が、福島原発からちょうど20キロに当たる
というわけで、ここで、検問がありました。
 検問といっても、ご覧のように緩い検問です。まあ、
ここを突破して、事故を起こした原発に突入しよう
という車はまずないでしょうから、この程度の検問で
いいのでしょう。
 そして、この交差点のすぐ横が、サッカーの日本代表が
合宿をするJヴィレッジです。

 もちろん、原発事故後は、サッカーはやってません。
 事故後は、事故対策チームの拠点として使われています。
 なにしろ、合宿用の宿泊施設はあるし、広いグラウンド
もあるし、対策チームの拠点としては、実に都合のよい
施設だったのです。
 このJヴィレッジを、20キロの圏外としたのは、
かなり、政策的なにおいがします。Jヴィレッジを
事故対策の拠点として使いたかったのだと思います。

 さて、今回、そこまで車で行ってみると、この検問所
が撤廃されています。
 事故から時間が経ち、立入禁止の区域そのものが縮小
されたという報道が、昨年来、いくつかありました。
 それに伴うものでしょう。
 ここが原発から20キロの地点です。
 今回は、まったく検問がなくなっているので、国道
6号線を、さらに原発に向かって進みます。
 
 どこまで行けるのだろうと、車を走らせると、かなり
先まで進めます。
 車の距離計を読んでいると、10キロ近く進みます。
 そこに、ようやく、検問所がありました。

 これは、間違いなく、福島原発から10キロの検問所
です。
 原発事故から2年たち、住んでいる人が入れるよう、
立入禁止の区域が縮小されてきたのです。
 ここから先は、許可証がないと入れませんが、見ていると、
作業車が、何台も出入りしています。
 なかには、住民の方の車とおぼしき普通の車もまじって
いるようです。

 少し離れてみましょう。

 手前から奥に向かう道路が国道6号線です。
 この交差点が、原発からちょうど10キロに当たると
いうわけです。


 2011年、2012年当時の20キロの検問所より
ものものしい検問所となっています。
 原発に近いだけに、検問を厳しくしているのでしょう。


 交差点の左側には、警察の機動隊車が2台、停まって
備えています。

 近寄ってみると、大阪ナンバーです。
 「大阪府警」と書いてあります。
 写真を撮っていると、なかから機動隊員が一人、
 「こんにちは」
 と、降りてきました。
 私も、「こんにちは」とあいさつを返すと、
 「なにかご用ですか?」と聞かれました。
 「はい、ちょっと取材に」と答えると、
 「ああ、そうですか」という返事です。
 交代で、ここに警備に来ているそうです。
 非常に丁寧な応対ですが、まあ、わざわざこんな
所まで来る人もないので、警戒されたようです。

 同行のAさんが
 「大学の授業で使いたいので、あなたの写真を
撮ってもいいですか」
 と尋ねると、
 「いや、私の写真は困ります。上の許可を取って
いただかないと・・・」。
 
 警戒されました。

 同行のYさんは
 「上の許可だなんて、写真ぐらい、自分の判断で
OKすればいいのになあ」
 とつぶやいていました。

 この機動隊車のすぐ後ろに、きれいな家があります。

 おしゃれな家で、立派な建築です。
 震災と、原発事故があるまでは、なにごともなく、
田園生活を送っていらっしゃったのでしょう。
 いまは、主もなく、空き屋となっています。
 ただ、荒れた様子もなく、きれいなたたずまいです。
 きっと、立入禁止の規制が縮小されたのを機に、
この家の方が、掃除に戻ってこられているのでしょう。
 ただし、さすがに、住んではいらっしゃらないようです。
 
 さて、この10キロ地点で、放射線量は、どのぐらい
あるのでしょう。
 昨年、秋葉原で、放射線量計を買いました。
 いわゆるガイガーカウンターです。
 この日、東京を出るとき、丸の内で線量を測ると、
  0.14マイクロシーベルト
 でした。
  いわき市内で測ると、
  0.16マイクロシーベルトでしたが、一瞬だけ、
  0.20シーベルトを指していました。
  ただ、この線量計にも、
 「0.4マイクロシーベルト以下は低レベル」
 と書いてあり、いわき市内でも、気にするような値では
ありませんでした。

 さて、この10キロの検問所ではどうでしょう。

 びっくりしました。
 1.10マイクロシーベルト
 という数字が出ています。
 レントゲンの放射線量よりはるかに少ない数字です
から、なにごともない数字ではありますが、しかし、
この数字自体、原発に近いということを、改めて
思い起こさせます。

 これ以上は、中に入れないので、いわきに戻ります。
 さて、では、前回まで検問所のあった20キロ地点
は、いま、どうなっているのでしょう。
 さきほど、通り抜けてきたところです。
 その写真をご覧ください。

 左側にパトカーが一台停まっていますが、これは
たまたまここにいただけで、しばらくすると、移動し
ていきました。
 手前から奥に向かうのが国道6号線です。
 この交差点が20キロ地点で、ここに検問所があった
のですが、もう、なにもなくなっています。
 この交差点を右に向かうと、Jヴィレッジがある
わけです。
 この写真を撮った私のすぐ後ろに、この看板があります。

 
 もう、規制もなにもありませんので、車で自由に
Jヴィレッジに入ることができます。
 しかし、さすがに、ここでサッカーの合宿をするという
わけにはいかないでしょう。
 前にも書きましたが、原発から20キロのJヴィレッジで
サッカーができるようになったときが、原発事故の処理が
終わったときといえるかもしれません。

 福島取材の記録は、次回にも続きます。