いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

オウムの容疑者と防犯カメラ・・・日常生活を防犯カメラで撮影する社会は、息苦しい監視社会です。

2012年06月10日 14時21分16秒 | 日記

 オウム真理教のかつての幹部が、ここに来て、次々に逮
捕されています。指名手配されている最後の1人、高橋容
疑者が、警視庁の捜索の1時間前に家から逃げ、きょう6
月11日現在もまだ捕まっていません。

 高橋容疑者の逃走劇で、いまさらながら、驚くのが、防
犯カメラのことです。
 今回は、この防犯カメラのことを取り上げます。 

 高橋容疑者は、逃げたすぐその後から、いろんな場所で
防犯カメラによって撮影された写真が、続けさまに公開さ
れました。
 初めは、銀行のATMで、現金230万円を引き出して
いるところです。
 次に、川崎のショッピングセンターで、逃走用の荷物を
入れるのでしょうか、中型のキャリーバッグを買っている
ところです。
 コンビニで新聞を買っている写真もありました。
 勤務していた建設会社での写真も公開されました。

 整理すると、
 1) いろんな場所で写真が撮られている。
 2) ひとつの場所で、何枚も撮られている。

 つまらぬことを書くつもりはありません。
 しかし、これは、どこか不気味な感じがします。
 高橋容疑者は、こうした写真が撮影された時点では、ま
だ、警察から何の情報も公開されていません。それなのに、
あちこちの防犯カメラで、何枚もの写真が撮られているの
です。

 銀行やショッピングセンターの防犯カメラで撮影された
とき、高橋容疑者は、まだ、普通のお客さんだったのです。
それなのに、これだけの写真を撮られている。


(高橋容疑者は、自分が撮影されていることに、まったく
気がついていません)。

 
 ということは、私たちも、銀行に行ったり、ショッピン
グセンターに行ったり、毎日、ごく普通の生活をしている
ときに、同じように防犯カメラで写真が撮られているとい
うことです。
 それも、私たち自身が、なにも知らないうちに、撮影さ
れているのです。

 今回の高橋容疑者の逃走劇で、それが、改めて、よく分
かりました。

 お金をおろしたり、買い物をしたり、そんなことは、1
日に何回もあるでしょうし、いってみれば、生活するうえ
でものすごく当たり前のことです。
 それが、ことごとく、防犯カメラで撮影されているわけ
です。
 そして、私たちは、それにまったく気がついていません。
 知らないうちに撮影されています。

 不気味だと思いませんか。
 私は、不気味だと思います。
 
 ひとことでいえば、「監視社会」です。
 市民の行動が、あちこちでカメラによって監視されてい
るのです。
 
 いつから、こんなことになったのでしょうか。

 日本で防犯カメラが増えるきっかけになったのは、実は、
オウム事件なのです。 
オウム真理教は、1995年3月に東京の地下鉄で「地
下鉄サリン事件」を起こし、5月に、警視庁が強制捜査に
踏み切りました。これで一気に衰退に向かうのです。

 オウムをめぐっては、その前年の1994年あたりから、
いろいろとおかしな動きがあり、警視庁が徹底マークを始
めていました。
 
 そのころ、東京の主要新聞社で、怪しい人間が社内、と
くに編集局ををうろうろしているという話が出ました。
 当時、どの新聞社でも、オウムをめぐる記事が増えてい
ました。ある新聞社でオウムの原稿を書いていると、その
後ろから原稿をのぞきこむ男がいる。
 「なんですか?」
 と声をかけると、
 「いえ、ちょっと」
 といって、そそくさと、去っていく。

 もしかすると、これは、オウムの信者が偵察にきたので
はないか。
 当然、そう思います。

 うそみたいな話ですが、そういう話が、あちこちの新聞
社から聞こえてきたのです。

 それまで、日本の新聞社は、外部に対し、門戸を大きく
開いていました。
 新聞社にはいろんな人が来る。
 そういう人が、どんなニュースを持って来るか分からな
い。
 あるいはまた、新聞社になにか訴えたくて来る人もいる
でしょう。
 新聞社に救いを求めて来るひともいるかもしれない。

 だから、当時、新聞社は、玄関は、基本的にはほとんど
フリーパスで入れました。一応、ガードマンはいましたが、
なにかあったときに対処するために立っているだけで、よ
ほど怪しい人物が来たのでなければ、声もかけません。

 そして、それが、新聞社の誇りでもあったのです。
 「外に対して開かれている」
 「どなたでも来てください」
 という誇りでもあったのです。

 しかし、オウムの信者とも思える人間が、新聞社の建物
に入り、こともあろうに編集局で、オウムの原稿をのぞき
見するーーというようなことが起きると、さすがに、対策
を立てざるをえません。

 そこで、どの新聞社も、編集局にカメラを設置するよう
になりました。
 もし、そういう人物が入ってきて、原稿を盗み読みする
ようなことがあれば、写真を撮って、顔を割りだそうという
わけです。

 それだけなら、まだよかったのです。
 問題は、1995年3月の地下鉄サリン事件でした。

 この事件で、日本でも、テロが起きるんだという思いを、
日本人は、持ってしまいました。
それまで、テロというのは、なにか遠い世界の話だった
のですが、地下鉄という日常的なところでサリンをまくと
いうようなことが発生してみると、テロの恐怖というもの
が急に身近なものとして受け止められるようになってしま
ったのです。

 地下鉄サリン事件のあと、どこでも、急に出入りのチェ
ックが厳しくなりました。

 あれほど開放的だった新聞社も、玄関で、社員証を提示
しないと入れなくなりました。

 実は、霞が関の中央官庁は、それまで、同じように開放
的でした。
 そう書くと、意外に思われるかもしれませんが、唯一、
外務省を例外として、どの官庁も、ほとんどフリーパスで
中に入ることができました。
当時の通産省は、正面に一応ガードマンが立っています
が、身分証明書を提示しなくても、中に入れました。
 農水省は、ほとんどフリーパスで入れました。農水省の
地下には、農水省らしく、なかなかおいしいお米を使った
食堂があり、大きな売店ではお米や野菜を売っていました。
そこに他省庁の人たちが、よくお昼を食べに来たり、買い
物に来たりしていました。
 大蔵省も、いかめしい門構えとは別に、中に入るのに、
とくにこれといってチェックはなかったのです。

 いま思えば、どこも、驚くほど開放的でした。

 それが、オウム真理教の台頭、そして、1995年3月
の地下鉄サリン事件によって、劇的に変わってしまったの
です。

 事件の舞台となった東京の地下鉄は、この事件で、防犯
カメラを設置するようになりました。
 当然、地下鉄と接続するJRや、私鉄各社も、右へなら
えで、防犯カメラを設置し始めました。

 そうなると、どの企業も、玄関でのチェックをするよう
になります。
 お金を扱う金融機関は、なお厳しいチェックと防犯カメ
ラの設置が始まります。

 丸の内、大手町では、企業の高層ビルの最上階で営業し
ているレストランがけっこうあります。ところが、企業が
正面玄関で身分証明書を求めるようになったものですか
ら、レストランに行くお客さんだって、減ってしまいます。
 実際、レストランは困っているようです。

 1995年といえば、まだ17年前です。
 17年で、そういうセキュリティが、まるで変わってし
まいました。

 きょうも、昼のニュースで、逃走中の高橋容疑者を撮影
した新しい写真が公開されていました。

 大変皮肉なことに、高橋容疑者を追いかけている防犯カ
メラは、高橋容疑者のいたオウム真理教の活動がきっかけ
で、設置が始まったのです。
 そういう意味では、高橋容疑者は、自らが作り出したセ
キュリティの網に追いかけられているわけです。

 しかし、1995年までの開放的な空気を思い出すと、
いまは、どこか息苦しさを感じます。
 今回の高橋容疑者の事件で、防犯カメラは非常に効果が
あるーーなどという意識が社会的に高まったら、さらにま
た、防犯カメラの設置が進むかもしれません。

 家から一歩外に出たら、あとは、ずっとどこかでカメラ
に撮られているなどという光景は、ほとんどSF小説、S
F映画です。
 そんなことになったら、本当に監視社会です。
 息苦しくてたまりません。
 私たちは、日本にそんな日が来ないよう、気をつけてい
く必要があります。