正月に3キロ太ったが、すでに3キロやせた海BO-ZUです。
2~3キロは誤差やな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
1959(昭和34)年1月14日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2頭の樺太犬・タロとジロの生存が確認されました。
人々に愛と希望と勇気を与えたということで、記念日に制定されました。
別名「タロとジロの日」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_inu.gif)
当時の日本は、定期的に南極へ越冬隊を送っていました。
1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。
15頭の樺太犬も犬ぞり隊として参加しました。
1958(昭和33)年、先発の越冬隊と交代の第2次越冬隊を送り込むため、再び「宗谷」は南極に向かいましたが厚い氷に阻まれて到着できず、越冬隊の派遣を断念しました。
11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されましたが、15頭の樺太犬は救出することができず、鎖につながれたまま無人の昭和基地に置き去りにされてしまいました。
1959(昭和34)年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存している事が確認されました。
着陸すると操縦士に駆け寄ってきましたが、大きく成長していて、始めはどの犬か判別がつかなかったそうです。
この2頭がタロとジロでした。
南極から打電されたこのニュースは、世界を感動で包みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/25/f65192403c04a18510dc2f1e202d7b1a.jpg)
「南極物語」のタロとジロと隊員が再開を喜び合う感動シーンは”演出”であり、実際には、犬は人間に見捨てられた不信感?からか、人間は犬を捨てた負い目か、お互いに4~5m距離を開けてしばらく対峙したといわれています。
「タロか」と呼ぶと、しっぽがかすかに揺れた。
「ジロ」と呼ぶとペタリと座り、前からの癖である右前脚を上げる仕草をした。
これで2頭と判明したようです。
その後のタロとジロは…
1960年7月9日、第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。
タロは第4次越冬隊と共に、1961年5月4日に4年半振りに日本に帰国。
1961年から1970年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰のため14歳7か月で亡くなりました。
人間でいえば約80~90歳という天寿を全うしての大往生だったそうです。
ちなみに…
タロとジロには「サブロ」という兄弟がいたそうです。
そして彼らを育てたのは「犬飼さん」という方だそうです。
どうでもいいトリビアでしたね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
千葉市若葉区都賀2-12-15
TEL 043-234-0039
いずみ整骨院
http://www7b.biglobe.ne.jp/~izumi-seikotsu/index.html
2~3キロは誤差やな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
1959(昭和34)年1月14日、南極に置き去りにされた南極観測隊の2頭の樺太犬・タロとジロの生存が確認されました。
人々に愛と希望と勇気を与えたということで、記念日に制定されました。
別名「タロとジロの日」
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当時の日本は、定期的に南極へ越冬隊を送っていました。
1956(昭和31)年の秋、南極観測船「宗谷」で11人の隊員が東京港を出発。
15頭の樺太犬も犬ぞり隊として参加しました。
1958(昭和33)年、先発の越冬隊と交代の第2次越冬隊を送り込むため、再び「宗谷」は南極に向かいましたが厚い氷に阻まれて到着できず、越冬隊の派遣を断念しました。
11人の越冬隊員はヘリコプターで救出されましたが、15頭の樺太犬は救出することができず、鎖につながれたまま無人の昭和基地に置き去りにされてしまいました。
1959(昭和34)年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存している事が確認されました。
着陸すると操縦士に駆け寄ってきましたが、大きく成長していて、始めはどの犬か判別がつかなかったそうです。
この2頭がタロとジロでした。
南極から打電されたこのニュースは、世界を感動で包みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/25/f65192403c04a18510dc2f1e202d7b1a.jpg)
「南極物語」のタロとジロと隊員が再開を喜び合う感動シーンは”演出”であり、実際には、犬は人間に見捨てられた不信感?からか、人間は犬を捨てた負い目か、お互いに4~5m距離を開けてしばらく対峙したといわれています。
「タロか」と呼ぶと、しっぽがかすかに揺れた。
「ジロ」と呼ぶとペタリと座り、前からの癖である右前脚を上げる仕草をした。
これで2頭と判明したようです。
その後のタロとジロは…
1960年7月9日、第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。
タロは第4次越冬隊と共に、1961年5月4日に4年半振りに日本に帰国。
1961年から1970年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰のため14歳7か月で亡くなりました。
人間でいえば約80~90歳という天寿を全うしての大往生だったそうです。
ちなみに…
タロとジロには「サブロ」という兄弟がいたそうです。
そして彼らを育てたのは「犬飼さん」という方だそうです。
どうでもいいトリビアでしたね
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