「北方領土の日」

2008年02月07日 | 外交・防衛
2月7日は何の日か、ご存じでしょうか?

1855年(安政元年)2月7日、日魯通好条約(露ではなく魯)が下田において締結されました。通称、「下田条約」。
この条約で、択捉島以南は日本領とし、ウルップ島以北はロシア領と確定されました。

その後、1875年の樺太千島交換条約、1905年のポーツマス条約、1951年のサンフランシスコ平和条約と様々な条約を経て北海道以北の日本領土は様変わりをとげた。

大東亜戦争の敗戦、そしてサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島と南樺太の権利を放棄しましたが、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島には千島列島は含まれてない為に放棄はしておりませんが、旧ソ連時代からロシアが不法占拠し、いわゆる「北方領土」問題となっております。

下田条約締結の日である、2月7日を「北方領土の日」と制定し、我が国固有の領土である北方領土の返還を求める運動を盛り上げている。

僕が、この北方領土問題に関心を抱いたのが小学生の頃。
テレビを見てますと、「はぼまい、くなしり、しこたん、えとろふ。2月7日は、北方領土の日」というCMが流れていました。
今にして思えば、政府広報か何かだったのでしょうが、子供心に「領土問題があるんだ。」と思った事は今でも忘れません。

そして、本日「北方領土返還要求全国大会」が東京の九段会館で開催されましたので、出席してまいりました。

1945年8月18日、終戦後にソ連軍は千島列島に攻撃を開始し、28日には択捉島、9月1日~4日の間に国後、色丹、歯舞を占拠した。それ以降、63年も北方四島は不法占拠され、日本の国家主権も踏みにじられている。

元島民の方が「帰りたい。あれから、60年。すべて霧の中。」と詩を朗読され、大会主催者の一人が「私達は運動しかできない。出来るのは、政治家だけ。」と述べ、
学生さんが「なぜ、領土問題はこんなに長く解決しないのか。」と思いを伝えた。未だに北方領土問題が解決しない現状に一国会議員として忸怩たる思いだ。

隣に座った自民党の議員と話すと、「内閣府があまりにも弱腰だ。この大会にしても、内輪でやるのではなく、ロシア大使館の前で抗議しなきゃ。問題を風化させないじゃなくて、解決しなきゃ。今度のサミットで首相は、ちゃんと発言しないといけない。小泉さんは、一回も大会には来なかったよ。」と言われた。

「北方四島の返還を強く求める。」と壇上に書かれていたが、今までの政府の対応はとても「強く求める。」と言える程ではない。
返還要求に対する取り組みの在り方は、今後検討が必要だろう。

また、この大会に出席した国会議員の数に愕然とした。
総理、外務大臣を含め、各政党・各種団体の責任者が来られていたにも関わらず、国会議員の数は代理も含めて簡単に数えられる程・・・。(20名ぐらい・・。)
国家主権の問題なのに、ここまで関心が薄いのかと思うと悲しい限りです。

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