「突然の別れ」

2008年12月27日 | 日常活動
自分の原点だった事務所と別れる日が近づいた。

初めて選挙に出てから、民主党の支部長時代に立ち上げた地元・日南の事務所。
そこを拠点とし、夫婦二人三脚で都城や選挙区内の地域を色々とまわった。
参議院選挙に出馬した際も、日南の拠点としてフルに機能した。

自分の原点であり、自分と伴に歩んできた日南事務所。

そんな事務所とも思わぬ事態で別れなくてはいけなくなった・・・。

事務所といっても、二階建ての田舎にごくごくある普通の建物だ。
日南事務所は二階に構えてたわけだが、その二階の隣の部屋に市長選挙に出る候補が事務所を構える事になったのだ。

政治家同士が同じ建物の隣の部屋に事務所を構えてるというのは聞いた事がない。
まして、田舎ならなおさらだ・・・。

噂では、民主系だと言ってるそうだ。

民主系を名乗り、しかも事務所が隣同士となると、変な誤解を日南市民の方に対して生んでしまう。

隣に来る人に、「来ちゃ駄目ですよ。」とは言えない。
それなら、自分が出て行く以外にはない。
日南で当初からお世話になった人に相談しても、同じ事を言われました。

来年1月中には、出て行く事になる。

こんな形になるとは予想もしなかった。

残念というか、寂しい気持ちです。

「あの戦争は何だったのか」

2008年12月27日 | 歴史
録画していたビートたけし主演の「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」を観た。

以前、同じく東条英機を扱った津川雅彦主演の「プライド」と映画を観た事があるが、このドラマも、いわゆるA級戦犯として戦争責任を一身に背負った東条英機の考えを知る事のできる作品だと思う。

確かに、A級戦犯と呼ばれる彼らに戦争を導いた指導者としての責任や、敗戦の責任はある。だからといって、戦勝国に裁かれる筋合いのものではない。戦争とは、一方が善で、片一方が悪という単純なものではない。いわゆるA級戦犯と呼ばれる人だけに戦争の全責任があったのかどうかは疑問に残る。

A級戦犯というと、戦争を奨励していたようなイメージがあるが、彼らも戦争を防ごうと必死に努力はしていた。

特に、ドラマでも陸軍大臣の頃はアメリカの要求に対して陸軍の意見を通していた東条も、首相に就任すると、アメリカとの交渉によって戦争を回避しようとする努力はしていて、東条の苦悩が窺い知れる。後に東条は「日米交渉は誤解の連続」と語っている。

ただ、なんとなく現代ではドイツのヒトラーや、イタリアのムソリィーニのような独裁者と肩を並べて東条英機が語られているような気がしてならない。

しかし、本やドラマを通じて、明らかなのは、勝手に作られている東条英機像は、実際の東条英機とはかけ離れているという事。

我々は、あの戦争の「負」を全て彼に押し付けているような気がしてなりません。

「あの戦争は自衛だ。」「あの戦争は侵略だ。」と色々な議論はありますが、今の世に生きる我々が、「あの戦争は何だったのか?」と深く考えなければなりません。

ただ、一つ言えるのは、あの様な悲劇を二度と犯してはなりません。