イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

老女とディケード ~追憶の中央特快~

2010年12月04日 21時00分45秒 | Weblog
昨昼、都内で仕事の用事を終えた帰路、新宿から高尾行きの中央特快に乗った。

中野駅で、乗車してきた初老の女性が、ドア付近に立っていた僕に尋ねた。

「すみません、これは三鷹に行きますでしょうか」

ふいをつかれて、棒読みのセリフのように素っ気なく答えてしまった。

「はい、行きます」

「ありがとうございます」女性は言った。

特快だから、次に止まるのが三鷹の駅ですよ。そう伝えてあげようかとも思ったが、女性は少し離れた位置に移動してしまったので、タイミングを失ってしまった。

地味目の服を着た女性は、風呂敷の荷物を持ち、少しばかり――目的地を探すことに、あるいは人生そのものに――憔悴しているような様子だった。推測に過ぎないが、東京の人ではなさそうだ。誰かを訪ねに、あるいは何かの用事で三鷹を目指しているのだろう。

何のことはない日常のひとこまだ。いつもだったら、そこで終わり。すぐに頭を切り換えて、それまで考えていたことに意識を向けたはずだ。だけど、何かが心にひっかかった。

*

10年前、関西から上京してきたとき、借りる部屋を探すために初めて降り立ったのが三鷹駅だった(結局は条件の合う物件がみつからなくて、別のところで一人暮らしを始めることになったのだけど)。京都から深夜バスでやってきて、朝のラッシュ時の三鷹駅の改札口を抜けた。初めて体験する東京の、朝の駅。あまりの人の多さに圧倒された。通勤のために駅を行き交う人たちは、前を向いて早足で歩きながら、これから職場で一日を過ごす自分に気合いを入れているようで、近寄りがたいものすら感じた。

翻訳の仕事がしたい、と漠然とした思いだけで東京にやってきた僕は、なんとなく住みやすそうだと憧れていた朝の三鷹で、大勢の通勤者が発するエネルギーに気圧されて、いきなり頭に冷や水をかけられたような思いがしたものだ。いまでも三鷹駅の北口に来ると、あの日のことをよく思い出す。

*

車窓を流れゆく、見慣れた中央線沿線の光景を見ながら、しばし追憶に耽った。

あれから10年――いろんなことがあった。本当にいろんなことが。老女の質問に対して、僕はとっさに笑顔を作り、次に止まるのが三鷹駅だと優しく教えてあげることができなかった。彼女の目に、僕は冷たい都会人だと映ってしまったかもしれない。大都市の喧噪に圧倒され、うまく目的地にたどり着けるかどうか不安を感じているかもしれない、10年前の僕と同じような人に対して。

たいした経験もないまま、ただ翻訳がしたいという思いだけで、この地にやってきた当時の自分を振り返ると、とんでもなく無謀な冒険をしたものだと思う。

2001年の春に東京にやってきて、ようやくこの業界で働き始めることができたのが9月12日。希望していた翻訳職ではなく、翻訳会社の営業だった。入社の前日にNYで同時多発テロがあり、夜のニュースで崩れ落ちる世界貿易センターの映像を眺めながら、これから世界は、自分の人生はどうなるのだろうかと茫漠とした不安を感じた。

それでも、巡り会った人たちの助けのおかげで、なんとかいま、僕はかつて夢見た仕事をしている。出版社の方と打ち合わせをして、同席くださった関係者の方、知人の翻訳者の方と昼食をご一緒させていただき、家に帰って仕事を続けるために、僕はいまこの中央線に乗っている。いつもギリギリの低空飛行、一輪車操業ではあるとはいえ、自分はいま、当時の自分からみれば、ほっぺたをつねってもおかしくないくらい、信じられないほどの恵まれた状況にあるのではないのか――。

出会いと別れ、成長と停滞。あれから10年――いろんなことがあった。本当にいろんなことが。

*

電車が三鷹に到着した。

「ありがとうございました」

老女がわざわざ僕のところに来て、頭を下げ、礼を伝えてくれた。

席を譲ったわけでもなく、ただ停車駅を聞いただけの相手に、律儀にも、もう一度礼をする。素朴で無垢な心に触れ、まるで道の途中で忘れ物を思い出したときのように、はっとさせられた。彼女の態度に、心温まり、なぜか切ない思いもした。

「いえいえ、どういたしまして」先ほどよりは、少しだけ丁寧に、言葉を伝えられた。

彼女は、依然として少々心許ない様子で、ホームに降りていった。無事、目的地にたどり着いて欲しい。願わくば、久しぶりの母との再会を心待ちにしている、息子や娘がいる家に。

改札口に向かうため、老女は階段を上っていった。彼女の姿は見えなくなった。


*


電車が発車するまで、まだ数秒、時間があった。

次の武蔵境駅で降りるつもりだったが、僕も電車を降り、三鷹のホームに立った。

改札口を抜けた僕は、北口の広場に出た。忘れがたき、あの北口。三鷹の駅から家まで、徒歩で30分少しかかる。少し歩きたかったので、ちょうどいい。

来年の春で、東京、満10年。

この冬が終わり、温かくなれば、また春の風が、子どものころに感じていたあの懐かしい薫りを運んできてくれるはずだ。そのとき、僕の10年も終わる。もう、振り返るのはやめ、前を向いて歩いていこう。新しい時代の扉をあけるために、恐れずに、逆らわずに、信じる方向に進んでいこう。


導かれるままに。



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そのときは気づいていなかったのだけど、そのまま三鷹で降りずに中央特快に乗っていたら、武蔵境には止まらずに、国分寺まで連れて行かれるところだったということは、この際、言いっこなしで。