イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

大事なのは左手じゃなくて右手

2011年07月06日 23時50分15秒 | Weblog
布袋寅泰さんの生き様、存在に惹かれる。

布袋さんに限ったことじゃないけど、ギタリストを見ていると羨ましく感じることが多い。

ギターが好きで好きでたまらなくて、何時間でも飽きずに引き続けることができて、そのギター小僧の延長に、プロとしてのステージがあったり、レコーディングがあったりする。職業人として、ひとつの理想だ。自分の場合はどうなのか?

布袋さんのギター講座の動画を見つけた。どんな世界でも同じだろうけど、一流と言われる人は、素人目には単に「凄い」としかわからない妙技を、実にロジカルに、細かいところまで考えながら実践しているのだということがわかる。

「大事なのは左手じゃなくて右手」

布袋さんがいうと説得力がある。スポーツの世界でもよく聞く言葉だし、いろんな世界に当てはまることじゃないだろうか。
翻訳でもそう。うまくやろうとして、言葉をちりばめることばかりに気を取られていては駄目。ありふれた言葉でも、センテンス、パラグラフに確かなビートがあれば、十分に力強い文になる。

布袋さんを見ていると、あの○○小僧精神で俺も行かなきゃ!と思ってしまうのである(ちなみに「翻訳小僧」は大先輩の専売特許ですね)。

布袋ギター講座(bad feeling)

ハハカエル

2011年07月05日 20時48分25秒 | Weblog
母はよく働く。
4日間で洗濯機を13回も回した(母が数えていた)。洗濯が好きなのだ。
洗濯機のスイッチを巧みに使いこなして、
途中で電源をとめて水を足したり、洗剤を先に溶かしたり、
僕にはよくわからないが裏技を連発していた。

年をとっているから機械に弱いなんてことはない。
人は、興味のあるマシンにはすぐに熟達するのだ。
10年ほどその洗濯機を使っている僕は、いまだに電源ボタンと開始ボタンくらいしか使っていないというのに。

それにしても、母はよく動き、食べ、喋り、笑い、そして寝る。
母の世代の人にはとてもじゃないが勝てない。つくづくそう思う。

しかし母は言った。
「明治の人は裁縫はもちろん、できないことがないくらい何でもできたけど、昭和の人は戦争があったから、そういう伝承的な技法の一部が失われてしまったんよ」
上の世代に尊敬を感じるのは、いつの世でも同じなのか。

明治は意外と近くにあった。

母は今日、帰って行った。ありがとう。また会う日まで。

ままならないまま

2011年07月04日 19時46分00秒 | Weblog

土曜日に母が滋賀から遊びに来た。昼前に武蔵境の駅に迎えに行き、タクシーで家に戻った。昼ご飯は準備しておくから、と伝えてはいたものの、まずメロンを出し、次に空豆を出し、しばらくして枝豆を出し、最後にまたメロンを出してごまかした。母はずっと家の掃除をしていた。台所がピッカピカになった。

日曜日のお昼に姉夫婦とその二人の子供が遊びにくることになったので、それまでに家を綺麗にしておかなければならない。震災以来、カオスと化していた我が家だが(実は震災前からカオスだった)、これを機に徹底的に掃除をしよう!と僕も張り切った。

途中、スーパーに行き、晩と翌日の食材を購入した。明日の姉家族との昼ご飯は、ちらし寿司中心のメニューにすることにした。晩ご飯はアサリと豚肉のにんにく蒸し風にした。夜、母は本棚が積み重ねられたリビングで寝ることになったのだが、地震で本棚が倒れてきたら、と考えると不安になったので、ソファを動かし、反対側の壁沿いに布団を引いた。

日曜日、約束の一時が近付き、母と僕は家のなかをあちこち片付け、昼食の用意でてんてこ舞いになった。姉夫婦は夕方までいてくれた。甥とは近くの公園でサッカーもした。余ったちらし寿司は、持って帰ってくれた。

とかく人生はままならない。
いつも、そんな矢先に、母はやってくる。
母がやってくると、家のなかの空気が変わる。
ままならないと思っていた何かから、僕は一時的に解放される。
別の世界に連れ去られたみたいな、慣れ親しんだ場所を旅しているような、そんな不思議な気持ちになる。
実は、ままならないものはままならないままなのだが、母がいるあいだは、ままらないものについてじっくりと考えたりするヒマはなく、ままならないものはしばし放置するしかない。

母が帰っても結局、残念ながらままならない何かは、ままならないままであり、むしろ妙な寂寥感すら覚えたりするが、それでもちょっとだけ、そのままならなさが、和らいだような気になることもある。

最近は、そういう「人生がままならない問題」、あるいは、「人生のままならない問題を母親が来ることによって一時的に放置した場合、結果的にどうなるのか問題」に対して、明確な答えを求めたりはしなくなった。どうでもいいと思っているわけではなく、答えが見つからないと思っているわけでもないのだが。

ただ言えることは、人生は依然としてままならず、そして母親が来ている間は、そのままならなさすらを考えることすらもままならないということだ。母は明日帰ります。

2011年07月01日 21時19分49秒 | Weblog
今週は珍しく、人と会う予定がいくつかあった。

仕事の打ち合わせが2件。

同業者の方との打ち合わせを兼ねた呑み。

思いがけず、懐かしい友達との電話での再会もあった。

普段は籠もりっきりなので、いつのまにか世間との間にズレのようなものが生まれている。元々人見知りするし、口べたなのだが、人と話すことが日常にないので、よけいに口べたになり、反応が鈍っているのを痛感した。正直、緊張するし、自然に振る舞えない。電車に乗っているだけでも、大勢の人がいると、なんとも落ち着かない気持ちになる。

この仕事を選んだ時点で、今後も、多かれ少なかれ、独りでかなりの時間を過ごさなくてはならない。幸い、周りはいい人、魅力的な人ばかりだけど、度々顔を合わせる機会があるわけではない。そういう数少ない機会に、いい時間を過ごせるようになるためにも、独りでいるときにもっと真面目に仕事に取り組み、自分を高めておかなければ。

それにしても、仕事ばっかりしているようでいて、何か肝心なポイントが抜けているような気がしてならない。

まずは小さなことからコツコツと始めよう。


何かをしたい者は手段を見つけ、 何もしたくない者は言い訳を見つける ナニを隠すべきタオルはない

2011年06月30日 17時37分04秒 | Weblog
久し振りにスーパー銭湯に行った。

1時間15分、なかにいたのだが、
入った早々、気がつくとタオルがどこかに行ってしまった。

いくら探しても見当たらない。

黒っぽいタオルだったし、眼鏡をかけてないので、よくわからない。

しょうがない。隠すものは何もない。というか、隠すものはナニ以外に何もない。これもナニかのお導きだ。見られて減るわけじゃない。失うものは何もないのだ。

威風堂々と、完全全裸で1時間15分。

もともと特に前は隠さないのだが、タオルを手にもっているのともっていないのとでは、「隠さない」の意味合いがいささか異なる。

オスの本能か、別のオスたちの前で急所を無防備にさらしているのはあんまり穏やかな気持ちにはならないのだ。

マウントポジションを取られたようなファイターのような、
腹を表にして服従のポーズをとっている犬になったような、
そんな気持ちのまま、雨の日の銭湯で身を清めた。

それは7月9日だった

2011年06月30日 17時22分04秒 | Weblog
7月9日だった。

それは7月9日だった。朝起きたら、ともかく7月9日だった。
その日は、物理的には6月29日だった。
だが頭のなかで、なぜか「7月9日」が鳴り響いていた。

気になってメールの履歴やスケジュール帳を調べてみたが、
何もない。
7月9日には、何も予定はない。

去年の、一昨年の7月9日に何かがあったのか?
たぶん何かはあったのだろうが、記録からは特に大きな出来事があったようには思えない。

とにかく、それは7月9日だった。

朝起きたら、7月9日が僕の心のなかにいた。


ありがとう、のその先に

2011年06月28日 18時15分07秒 | Weblog
ずっと更新していなかったブログを、めずらしく3日連続で書いたので、やっぱり3日坊主で終わるのはよろしくないかと、1時間ほどコンピューターの前に座ってあれこれ書いてみたのだけど、うまく書けなかったのだった。タイトルだけ、書いておく。

そろそろ6時を回り、眠たくなってきた。
あんまり朝早いのも困りものであるが、眠いんだからしょうがない。

今日もオチはない。オチがないまま眠りに落ちます。

ジ・フン流な午後

2011年06月27日 15時02分22秒 | Weblog
道を歩いていたら、久しぶりに鳥の糞に直撃された。

そのまま歩いていたら、通りかかった八百屋さんで「朝採れたて」の枝豆が一房200円の格安で売られていたので、ジャケ買いじゃなくて即買いすることにした。

2房つかんで店内に入ると、店番のおばさんはテレビの韓流ドラマに熱中していた。じゃまするのも悪いので、しばらくそこに突っ立っていた。おばさんの頬はほころび、呼吸をするのも忘れているかのように、フィクションの世界に没入していた。おそらく、盛り上がり感のあるシーンなのだろう。ソファから、腰を3センチほど浮かせたような姿勢で固まったまま動かない。

ようやくおばさんが僕の存在に気づいた。照れ笑いをしながら、「格安でしょう? 普通なら450円くらいするのよ」と言いながら、レジを打ってくれた。

おそらくは今日一日、僕がリアルな世界で会話をする最初で最後のお方に、400円を支払った。

帰りに別のスーパーで食材を買い込んだ。

トマト、メロン、キウイ、グレープフルーツ、トウモロコシ、茄子、空豆。毎日同じようなものばかり買っている。

これから、仕事再開だ。オチはないが、まあ糞が落ちてきたのでそれに免じてよしとしてください。

眈々と

2011年06月26日 07時05分42秒 | Weblog
ここ一週間ほど、朝の2時頃に起き、昼過ぎまで仕事をし、ジョギングして夕方6時頃に寝ています。

少し前までは昼過ぎに寝て夕方に起きるという人間失格な日々だったのですが、ふとしたはずみでこんな超朝型サイクルに。

まだ一週間くらいですが、なかなか快適です。

毎度ながら、ジョギング以外はずっと仕事漬け。なぜこうなるのでしょうか。前世で何かがあったのでしょうか。もう何年も続いているこの常時仕事モードからいいかげん抜けだそうと、虎視眈々とチャンスを伺う日々です。



蛇の道に加山雄三

2011年06月25日 15時40分03秒 | Weblog
東京はもう、ほぼ夏です。今年も、炎天下の半裸ランを始めました。

裸党の人ならわかると思いますが、いくら暑くても裸でいればそんなに暑くない。究極のクールビズは半裸(もしくは支障がなければ全裸)。節電のためにも、私は国民の半裸活動を推進する日本半裸党としての啓蒙活動につとめたいところです。

昨日、ひとっ走りした後に公園の水道で水浴びをしていたら、足下で何かがニョロニョロと動きました。ヘビです。アオダイショウ。びっくりして写真をパチリ。カメラマンが下手なので一見よくわかりませんが、中央に緑色の細長い若大将が映っています。

都会にも野生のヘビはいる。たくましく生きているのです。私は突然現れた蛇に少々びっくりしてしまったわけですが、ヘビの方もなんだか居心地が悪そうでした。そうでしょう。これだけ自然が少なければ、ヘビにとってはかなり世知辛い世の中に違いありません。

しかし考えてみればもともとヘビが住んでいたところに人間が大挙してやってきたわけで、ヘビにしたら「驚きたいのはこっちの方だわい」と思っているのかもしれません。

思うに、昔の人は(という括りはステレオタイプではありますが)、いくら暑くても、その暑さを「しょうがないなあ」と受け入れていたような気がします。自分を含め、最近の人は、どこかでこの暑さを良くないもの、あってはならないもの、困ったこと、などととらえている節があります。でもそれは、人間の驕りですよね。

子どもの頃、外で遊んでいるとしょっちゅうヘビを見かけました。その異形が、なんだか人間の対極にある存在であるような気がして、神々しさを感じて、飽きずにじっと眺めていたものです。ヘビってちょっと怖いですが、縁起のいいものなんです。そのアオダイショウの、肩身の狭そうな(まあ、ヘビには肩はないわけですが)感じが、平日の昼間っから半裸で公園ジョギングをしている自分の肩身の狭さ加減と通じるものがありました。蛇の道は蛇ですな。

そんなわけで、いいことあるかも。というか、私にとって夏はそれ自体がいいことなのでした。

小さな一歩

2011年05月28日 21時15分55秒 | Weblog

一年中それを待ち焦がれている身にとって、真夏はあまりにも短い。

四季というからには、春夏秋冬がそれぞれ同じくらいの長さでやってくると想像してしまうのだが、そうは実感できない。すでに関東は梅雨入りしてしまった。明けるのは例年なら7月中旬から下旬。で、ようやく夏がきたと思ったら、あっという間にお盆になる。お盆を過ぎると、夏は手の届かない遠くに行ってしまう。太陽も遠くなる。甲子園で敗れ、野球部を引退したばかりの高校3年生のような、突然の喪失感に襲われる。

つまり僕が本当に認める夏は、たったの3週間しかない。

たったの3週間ですぞ。梅雨の方がはるかに長いやないですか。四季が押しも押されない横綱だとしたら、梅雨はよくて大関か関脇って感じなのに、その割には長居しよるんだよなあ。僕の番付では、夏は梅雨にも負けている。冬に対してはもうグーの根も出ない完敗(一年の半分くらい冬のような気がするのは私だけでしょうか)。「春夏秋冬」ではなく「春春梅雨夏秋冬冬冬」――それが僕にとっての一年。お天道様に文句を言ってもしょうがないのだけど。

そんなわけで、僕には蝉の気持ちがよくわかる。一年中(というか何年も)ずっと土の中で我慢していて、夏になるとさあ出番だと張り切って外に出る。でも、その命ははかないほどに短い。そして蝉はおしっこが近い。そのあたりも僕と似ている。でもいいのだ。短くとも、今年も精一杯半裸ランを楽しもう。

*

ここ半年ほど、仕事に追われ、仕事にかまけ、人に迷惑をかけ、自分をすり減らすようにして過ごしてきた。最近、昨年末に着手した仕事が形になった。それを目にした瞬間、その仕事を始めた日がついこの前のことのように蘇り、どれほど多くの時間を、どれほどあっという間に過ぎ去らせてしまったのかということに気づいた。

誰だって独立して最初の三年くらいは、起きている間中、仕事漬けになってもおかしくはない。むしろすべての面で力不足の僕には、いままで以上の取り組みが必要だということも自覚している。まとまった休みが欲しいわけじゃない。仕事量を減らしたいとも思わない。大切なのは、忙中にあっても、ちょっとした心のゆとりがあるかどうか。小さくとも大事なものが目の前にあることに気づく心を失わないようにするだけの、視野を維持できるかどうか。

気の持ちようを少しだけ変えること。それがいまの自分にとって一番大切なのだ。

マハロいとうさんとゆく山の手線一周そぞろ歩きの旅、5月21日(土)15:00~開催決定のお知らせ

2011年04月25日 14時48分48秒 | Weblog
ご無沙汰しております!

本年度より始まりました新企画「歩きませ山の手線 マハロいとうさんと行く山の手線一周そぞろ歩きの旅」、2月の第一弾に続きまして、第二弾を5月21日(土)15:00~開催いたします!

今回は有楽町~新橋~浜松町~田町をいとうさんと一緒にそぞろ歩きます。ご興味のある方、ぜひお気軽にご参加ください。

詳しくはそぞろ歩きのブログを参照ください

あっという間に4月も最終週ですね。よいGWをお過ごしください。

マハロ!

星野廉さんの電子書籍作品のご紹介

2011年04月11日 09時15分07秒 | Weblog

小説家、エッセイストとしてご活躍の星野廉さんの情報をお知らせします。

星野さんとは、当ブログがご縁で知り合いました。私の拙文に温かくユーモア溢れるコメントを寄せてくださっていたkameさんこと星野さんはその後、電子書籍の形態で作品を次々に発表され、現在は小説6編とエッセイ集11巻が発信されています。その旺盛な創作活動には驚くばかりです。

言葉にかかわる仕事をしている者のはしくれとして、kameさんの言葉に対する造詣の深さと優れた文章力には、もうひれ伏すほどしかないという気が致します。豊富な知識を持ち、かつ周囲に迎合することなく、独自の思考を貫かれている星野さんほど、インディペンダントな電子書籍という媒体が相応しい作家もいないのではないかと思います。

以下に関連サイトを記載いたします。ご興味のある方はぜひぜひ覗いてみてくださいませ。

電子書籍プラットフォーム「パブー」のトップページ
パブー内の星野廉さんのページ

星野さんのブログです。
うつせみのあなたに
星野廉のブログ」 
現時点での電子書籍のランキング状況も、上記のサイトに記載されています。

星野さんの益々のご活躍を祈ります! 

ちなみに私はあと1ヶ月ほど締切に追われて首が回らない状況なのですが、その後はkameさんを目標にして(文章の質、量、すべての面で足下にも及びませんが)またブログを更新していきたいと思います!

震災に寄せて

2011年03月13日 22時20分05秒 | Weblog
震災以来、メディアで報道されるニュースを見て、大きな衝撃を感じ続けています。

被災された方々にお悔やみ、お見舞いを申し上げるとともに、
日夜を問わず救出、復旧作業に取り組んでいる方々に心からの応援を送ります。

僕は地震の瞬間は家で仕事をしていました。家具が少し倒れた程度で、まったく問題はありません。心配してご連絡をいただいた方々、本当にありがとうございました。

一日も早く被災地が復旧することを祈っています。僕も自分なりにできること、すべきことを考え行動していくつもりです。

これ以上、被害が広がらないことを祈って。