学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

クラスの中の個別指導は「めっちゃすごいこと」なのか

2011年05月25日 | 英語教室でできること
発達障害を持つお子さんに限らず、

こどもは全員、凸凹しています。


このデコボコを、無視して

「さー、今日はこれをやりますから、理解しなさい、覚えなさい」

というのが日本の一斉授業のやり方で、

出来る子は80%くらい、で、残りの子はなんとかヒーヒー言いながら

ついてこれる子もいるし、これない子もいる。

このついてくる、これない子は、

小学校中学年でだいたい固定します。

そのまま、学年が上がっても固定した位置が変わらないそうです。



「80%の子が“問題ない”から、進めちゃう」というのの対極に、


「どの子も全員 

 進度も理解度も違うのだから、個別に学ぶのを重視」


というのがあるのではないかと思います。


落ちこぼらせない教育です。





日本でも、「窓際のトットちゃん」




読まれた方はお気づきだと思いますが、

同じ学年でも

同じ教室でも

やってることは、バラバラ

でしたね。

先生が前で、今日やることを黒板に全部書いて、

子どもたちは 好きな順番で、科目を選んで進んでいました。

先生は、ときどき全体に指導したり、個別の質問に答えたり。

そんなトモエ学園でしたね。

なんか、できそう。




ほか、最近読んで面白いな~と思っているのが

PISAで世界一の教育水準だと評価されているフィンランドの学校教育ですが、

多くの学校で、当たり前のように個別学習が取り入れられています。

たとえば、『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』という本で

いくつもの小中学校が紹介されていますが、

ある算数の授業で、3年生、4年生の混合授業の様子が説明されていました。


先生は、最初に3年生に少し説明したあと

個人作業に入らせます。


そのあと、4年生に分数の足し算を説明。

各自が教科書を開いて問題に答えた後、個人作業に。


この個人作業のページは、全員バラバラだったそうです。


日本では、まず見られない光景だなあ~~と思いました。


また、何度も繰り返し先生がおっしゃる言葉がこれ。↓↓


「私たちは、教科を教えているのではない。

 教科を学ぶ 子どもを教えているのだ」



というもので、


ともすれば、「教科内容を暗記すること」にのみ重点が置かれる日本の教育とは

視点が全然違うよな、とため息とともに重く受け止めています。





私たち教員は、

自分で考える子、自分で解決できる子、

学びに積極的に関われる子


・・・そういう児童を育てる視点をもっと重視しなくちゃいけないのね。



同書のフィンランドの小学校の先生の言葉もいくつか印象に残っています。


「クラスの目標は決めているが、個人の伸びは違う。

 2,3倍の時間がかかる子もいるので、その場で繰り返させて

 何が何でも覚えさせるということはしない。

 長い目で見ていけば、どの子も伸びるものなのだ。

 全員に同一目標を課しているわけではない」
(同上、p.82)



「やる気(モチベーション)が大切だから、

 『なぜできないの』『どうしてできないの』とは言わない。
」(同上、p.82)



「特にテストをしなくても、どこまでできているかは

 ノートを見たり、授業をしていればわかる」(
同上、p.82)



知識の構成の仕方(メタ認知)を学んでおけば、いつでも先に進める。

 大事なことは、自分で納得して進んで行くことだ。

 楽しく学べば、知識は定着する。

 教師は、学んだ知識をチェックしながら、

 その学び方のプロセスを育てることに主眼を置く。

 定着した知識の量で、出来不出来を量るのでなく、

 知識を獲得していく作業を確実に保障していく。


 これがフィンランドの授業である」(同上、p.85)





授業の中での個別指導、別にそんな驚くようなことでもなさそう。

もちろん、語学だから一斉にする活動もたくさんあった方が楽しいけど

やはり子ども1人1人の“学び”を育てる、とすれば

一斉で最初から最後まで進んで行くのは、

ちょっと乱暴なのかな、


というようにも感じます。



日本の教育云々は、嘆いても仕方ないので


まずは目の前の子ども、自分の子どもや教室の子に対して


私たち先生が変わることは、今日からできそう。


 


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