学習障害と英語指導を考える

特別支援の視点から。
どの子もハッピーになるような指導を。

指導者の力ってすごい・・・・パート3

2011年10月19日 | 英語教室でできること
Aくんのレッスン、その後です。

(先生の日記つづき全文はこちら)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1774135341&owner_id=11379466
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1780280630&owner_id=11379466
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1780756169&owner_id=11379466
(ぜひ、全文読んで下さいね)

===============
(中略)

私が、8月中に心がけたことは

ノートを綺麗に綺麗に書くこと。

大文字と小文字を はっきりわかるように書くこと。

英文を書く前に その英文を声に出してスラスラ言えるようになってから書くこと。その時に イメージの力をしっかり使うこと。


そして、なぜ、そうしなきゃいけないのか、本人に納得してもらうこと。


今日は 次のテストを目標に 教科書二学期のところから 進めた。

================

その本人に納得してもらうっていうところがとても大切!!っていうの、

同感でした。

目的がわかってなくて「やらされている」と、

いい加減になるのは大人も一緒。


================


彼は 色んなことを知りたがっている。

選挙にも関心があるんだって。


そうか。
色んな問題があるね。
きみたち、若者がこれから頑張って日本を背負っていくねんで。
問題について言及するには、大量の知識がいるんやで。

どんなことでも そうやって興味を持つことは 素晴らしいことや!

中学生やのに 君は えらいなあ!



まあ そんな無駄話もしながら レッスン4のテストのポイント解説と テスト対策ノートの作り方を指導。


「はい!絶対にやってきます!絶対 80点とります!」


(中略)

練習はだんだん自主的になる。

英語以外のことにも 変化が見られるらしい。

(中略)

学校の先生から「最近、すごく変わりましたね、いきいきしてます。」と言われた。

======================

わたしは、Aくんが「絶対80点取ります!」って言うなんて、
信じられませんでした。

「どうせあかんもん」というのが、彼の口から出てきそうな言葉だったから。

B先生が、どのように“教えた”のかじゃなくて、

どのように、“関わったのか”を紹介したかったので、

次の抜粋、長いけれども読んで下さい。

================


中略)

しゃあないな。
「じゃ、今から、教科書本文を書いて。きれ~~~~~に書くんやで。」

書くのをじっと見守る。脳内多動症の私にはめんどくさい時間だ。
1ページ書くのにかかる時間を計る。

「何分かかったと思う?」と聞いて、自分の勉強の時間がいかほどかかるか、覚えていってもらうのも大事なことだと思っている。


「書いたら音読。」
すらすら読めた。たいがい練習してきたからね。

「つぎにノート見開き右側に和訳を書く。」
不注意な彼は適当な日本語を書く。それを注意して見る。

「今度は、英語を1文読んで、和訳も1文読む。」

「次は、日本語だけを見て、英語を言う。」

ここまでのそれぞれにかかる時間を計り、「何分かかったと思う?」と毎回聞く。


「よし。で、次になにをしたらいいと思う?」

「もう、これで100点取れる。」

「え~~ほんま?じゃ、今からテストするで。日本語を見て、その英文をここに書いてめみ。これが書けたら100点やな。」

たった1ページ。OK. なんかも入れたら14文ある。

日本語だけ見て英語を書いた。

1文全部間違いなく書けたら1点。

結果は14点中4点。

本人はできると思っていたのでショックを受ける。


文頭の大文字。文末のピリオド。単語のスペルミス。a/an。the が抜けている。
お決まりのミスにも注意が全くいっていない。

私は答えを言わない。
直して、と言うだけ。

「ええ、何でまちがったんやろ~~~。」と彼は悩む。
「降参?間違いをおしえたろか?」
「いや、降参しない。」
間違いを自分え見つけたくなるように誘導する。

いくつかは自分で発見できたが、こういうことをしたことがないからか、お決まりのミスも自分で発見できない。
降参して、自分で教科書を見て間違い探しをしてもらう。

「ああ!!これか!!!」

「どうする?次に何する?」
「いや、もうしなくていい、これで100点取れる。」
「そうか?じゃ、もっかいやってみよか。」

2回目、日本語を見て英語を書く。3分半かかる。
14点中8点。
彼は今度は完璧だと思っていたので、またショック。


「どうする?もっかいやる?」
「いや、もうやらなくても大丈夫。テストではできる。」
「あかん、先生の予想では30点やな。これを14点満点とれるようにせな。もっかいやり。2回連続で満点とれるまでやり。」


3回目。
14点中10点。
ここで、彼ははじめて、私に「できた。」という前に、見直しをした。

見直しの習慣がなかったのだ。

私はそれに彼自身にきづいて欲しかった。


4回目。
ちゃんと見直しもしたけど、13点。


今度は自分から「もっかいやる」と言った。
5回目。満点が取れた。


ここまでやるのに、2時間かかった。
私がさきさき指示してたら、もっと早くできたと思う。
でも、自分で失敗して考えて、工夫することを覚えてほしかったので、覚悟して時間をかけた。

たった教科書1ページ。

だけど、大事な2時間だった。

==================

この二時間。

これに耐えられる先生がどんだけいるだろう、、、って思いました。


普通の二時間じゃなくて、彼の勉強に対する姿勢を変えてしまった時間。


普通は、早く終わらせたくて、

こういう風にやったらいいんだよ。ここはこうだよ。

って、言ってしまうんじゃないだろうか。


でもB先生は、気づいて欲しかったと言っています。

何に? 

おそらくですが、

彼自身が、どれくらいやれば自分はこれを覚えられるのか、

ということではないかと思いました。


「これくらいでいいや」といった時彼は、本当にそう思っていたのでしょう。

ですが実際は、まだまだ“できた”という状態ではありませんでした。

そして、「どんな風に、どれくらいやれば、自分は覚えられるのか。」

ということを学んで欲しかったのではないでしょうか。



それを、先生が指摘するのではなくて、A君自身の体験を通じて、です。



また、A君は、先生に言われたからするのではなくて、

“自分で考える”力も必要でした。


自律学習では、

前者の力を、自分の学習をモニターする力、

“メタ認知能力”、

そして後者を自分の学習に責任を持つ姿勢

という言い方をします。


やらせる教育、

言われたからやってる勉強では、

いつまでも学習は他人事であり、

最小限の努力しか投入しなくなります。


ですが、この後、

Aくんは、どんどん1人で勉強をするように変化していきます。


同時に、他の兄弟と比べられ、

「お前はバカだ」という父親にも、

「ぼくは馬鹿じゃない。」と初めて父親に言い返したと聞きました。



B先生は、何か特別な指導法を使ったのだろうか?


そうじゃありませんでした。

先生は、とことん、その子がわかるまで寄り添い、導き、一緒に走ったのでした。

それも、その子が納得した上で。


====================
(中略)

とにかくね、全部を完全に攻略することは出来ないだろうな。

点を取るための表面的な応急処置はしない方針。

それは今後につながらないから。

彼には、いま、やっていることが、積み上がっていく、という体験をしてほしい。

やったことが無駄ではない、ということを知ってほしい。

(中略)

彼は、いま、英語が大好き。

というより、英語の勉強の中に「自分という人間に対する希望」を見いだしている。

それはきっと初めてのこと。

だから、やる気はある。やりたいと思っている。

でも、やり方がわからない、説明してもわからない、だからすぐにくじける。

そして、くじけて、勉強が進まず、テストの結果も悪ければ、

自分に期待することをやめてしまうだろう。

だから、どうしても、間に合わせたい。

大事な時だ。

=====================

こうした体験が、どれほど子どもの心を変えて、

自信につながるか。

そして、自信が自立へとつながっていくという姿を見せてもらうことで

この時期の子どもの力のすごさに、涙が出ました。




そしてA君の信頼を得て、彼の力を引き出したB先生。

その情熱と、的確な言葉がけと指導には、

私は本当に頭が下がりました~~(T_T)(涙


今のチャレンジ教室は7名いるので、

B先生のようにマンツーマンでは教えられません。

ですが、ある一定期間、個別に向き合う時間が取れたらなあ・・・。




そういえば、

フィンランドでは、小学校の低学年ほど手厚く、補習指導があります。

最初にきちんと勉強のやり方や、勉強の基礎を身につけていれば

上級生になるほど、補習が不要になっていくそうです。

Aくんがまさに、そういう例ですね。

彼は、もう少ししたらB先生がいなくても、勉強をする子になっていくだろうと思います。



ハワイの発達障害専門学校のバラエティスクールで、校長先生とお話ししたときに、

「どんな指導法を用いているのですか」に対する答えを改めて思い出しました。


「私たちは、どんな指導法でも、その子に合うなら使います。

 その子がどんな子か、そこから指導が始まるのであって、

 何を教えるか、どう教えるか、というのはその次です。」




発達障害、学習障害のあらわれ方や程度は千差万別です。

それに合わせて指導法も、情報処理傾向に合わせて工夫していかなくてはいけません。

でも、基本はB先生のように、

でも、まず、1人1人の学習のアセスメントから始め、

目標を立て、

子どもとちゃんと話し合い、

一緒に目標に向かう。それも、妥協せず。

その姿勢が一番大切。そう思います。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿