人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

エッセイって書くのも読むのもお気軽だけど、何かなー

2008-09-25 23:12:50 | Weblog
エッセイって、読むのも書くのも、お気楽な気がするけど、お気楽な分、癒し効果はないよな。

何か知らないことを知ったり、人が何を考えているのか、分かったり、ある意味知識を与えてくれるかから、エッセイというのは面白いんだな。でも癒しの効果はないな。

お手軽に人が考えていることとか、していることなんか、分かったりして、よく読んでいたけど、最近つまらなくなってきた。エッセイみたいに限りなく現実の世界よりも、物語のように完全に架空の世界の方が、面白く感じてきた。

物語には、癒しの効果が在るけど、エッセイにはそれがないから、頭痛くなっちゃうんだろうな。

エッセイ読むぐらいなら、短編の方が楽しいぜ。小説は芸術なんだ。そりゃきったないのとか狂っちゃうのとか、イライラするのとか、音楽にも色々あるけど、小説だって同じだな。

みんなそれなりに癒せるのさ。

ってな感じだ

「小説論」 金井美恵子 読んだ、、うーむ、詰まらない感想

2008-09-25 18:22:48 | Weblog

なんて言うの、論とか書いてはあるけど、岩波から出ているから。でもどちらかと言うと、散文的で、論のようにまとまっていない。

この本が書かれた頃は、現代思想なんて、流行っていた時代だから、その辺りも含めて色々書いてある。当時は新鮮で、僕だってうわーとか言う気持ちになって読んでいただろうけど、この本の存在は知らなかったな。小説とかからかなり離れていたからな。

虚構、事実でないもの読んで何の足しになるのとか、役に立つのとか、そんなこと考えていて、小説には意味なんてないんだ、読む価値なし、時間の無駄、人生の無駄、等々感じていたからね。

で、そんな感想が当時はあったのだろうか、この著者はそんな時代、小説の読まれない時代に対して色々考察しているんだな。小説に意味なんてないんだ、小説から生き方、人生を学ぼうなんてもくろみを持って、読んじゃいけないんだ。小説には人生を盛り込まなければ、なんて言うのはどうかな、っていうような批判をしているんだな。そう言うこと言っている人に限って詰まらないなんて、結構挑発的な発言もしていたりして、ははは

だけど、この本は、論としては読みにくい。ひとまとまりは何となく分かるんだけど、結論がはっきりしないのと、凄く感性的、もわもわもわもわっと話が進んでいくんだな。まるで小説のような感じ。だから作者が何を言いたいのか、余りよく分からないんだけど、そんな感じってな感じで読める。

評論的な人が、作家になるにはどんな書き方にすると作家的、小説的になるのかななんて、読み方もできるかも。

取り敢えず、小説好きと、小説について考えている人、作文始めた作家の卵向きかな。

ってな感じだ

るんるんを買っておうちに帰ろう、読んで見た、

2008-09-24 23:20:11 | Weblog
このこの本ってもう、20年以上前に書かれた本なんだけど、何故か今読んで新鮮というか、全く違和感ないんだな。

この時は偉くショッキングで、もう十年ぐらい先を行っている新しさだったのか、それともその頃から余り変わらないほど、時代の流れはゆっくりしてしまったのか。分からないんだけど、まあ、性に保守的であっても、その性が解放されちゃうと、その先はもう余り行く所はないよな。

しかもそんなの軍国主義のなごりで、保守的だっただけで、江戸時代なんか、またまた革新的だったしね。もしかしたら今はちと保守的な時代なのかも知れない。余りに保守的すぎて、全然結婚できない人達が増えまくっているというか、、、巻き込まれているな。

あんまり良く分からない。ニートとか、二重派遣とか、問題が先行していて、そんな性だの滑ったのと言う、貴族階級並みのお遊びに、付き合っていられる人々はいなくなって来たって感じなのかも。性は自由になったけど、金の自由が、、、ってな感じかね。

僕なんて、今やっとこれらのエッセイとか、小説に追いついてきた気がするよ。まあ、かなり遅れているってことかな。

ちなみに、るんるんの感想だけど、バブル期のるんるんって感じだよね。るんるん。この題名の付け方が良い。内容はと言うと、仕事と恋と(愛かな)旅行、この年代の人達がまだ経験しないようなこと、そんな事が書いてあるんだな。へー、ふーん、なるほどってな感じだ。それが面白可笑しく、楽しく書いてあるんだ。でこっちはアハハハハと読み進めちゃうわけ。少し冷や汗も混じっているけどね。

凄く均整の取れた、文体と説明で、良くできているし、読み安いんだよな。作家の人って、何か読みにくい論説書く人が多いんだけど、林真理子は違うんだ。

何というのかな、何となくちびまる子ちゃんのエッセイに似ている感じがするんだな。笑い所と良い、笑わせ所と良い。似たような文体というか、書き方というか、文章というか、、、でも違う所は、こっちの方が大人向きで、内容が下根たばかりなのと、ちと毒がある。でも自分を笑いものにする所は、そっくりだ。

笑いをとりたかったら、自分を笑いものにするのが一番良くて、アホでドジですぼらな私、になると周りは笑ってくれる。ちなみにこれは世界共通。日本で笑いが取れれば諸外国でも笑いが取れるから。とってどうすんのって言う考えもあるけど。

でも、林真理子が小説家になったと言うことは、やっぱエッセイで読者を引きつけるより、小説にしちゃった方が良いからなんだろうね。エッセイの方が書きやすいだろうけど。

まるこは、エッセイ路線行ったんだね。まあ人情暖まる文章なので、エッセイが良いのかな。

何か何言いたいのか分からなくなっちゃったけど、作家目指し始めると論説とか、説明とか、下手になるんだよ。イメージと感性で話は作るんだからね。

ってな感じだ

長編向きの人、短編向きの人

2008-09-24 15:51:48 | Weblog
やっぱ作家にも色々あるよな。多分

調査した訳じゃないから、限りなく憶測に近いんだけど、作家には長編を得意とする人と、短編を得意とする人がいると思う。

O.ヘンリー、Fitzgeraldとか、国木田独歩なんて、短編の作家で、ドストエフスキーとか、ビクトルユーゴーとかツルゲーネフなんてのは、長編作家だよな。日本には、宮部みゆきなんてのが凄く長い、小説書いているよな。でも日本では凄く長いのは凄く少ないけど、大抵の作家は長編書いている気がする。

これは性格的な問題なんじゃないかと思うわけで、長編を書く人って言うのは、余り新しい idea とか浮かばない人で、一つのことを長く続く人、あるいは一つのことをしている間は別の idea が出てこない人で、それとは違い、次から次へと、毎週のように浮かんじゃうような人、全く違うシーンが一つのシーンを書いている間にも浮かんで来ちゃうような人、飽きっぽいというか、創造力旺盛というか、そんな人は短編を書いているんじゃないかなと。

長編書く方が偉くて知的で、天才的なんて思っちゃうけど、自分は結構頻繁に、新しいシーンが浮かんで来ちゃうから、短編向きなのかも。

まあ、そのうちそんな作家の分析する人がいたら紹介して欲しいな。

ってな感じかな

小説の効用って何なのかねー続き

2008-09-24 15:31:51 | Weblog
小説の効用書いたけど、もう一つだけ付け加え。

小説が、「描写」「会話」「説明」からできているとすると、「説明」の多い文章は、学術的というか、論説調になり、余り癒される木のしない文学になっちゃうな。

フランスの映画って始まりの方で、絵を見せながら、説明入るから面白いんだけど、小説では、限りなく説明をなくして、「描写」と「会話」だけで進めていかないと、どうも、癒されるような、頭空っぽ文学にならない気がする。

「描写」と「会話」だけで成り立たせる話を書いてみたいものだな。

ってな感じ


小説の効用って何なのかねー

2008-09-23 23:41:30 | Weblog
本屋さんぶらぶらしていると、結構色々なことが浮かぶんだよね。

今日浮かんだのは、これ、小説の効用

小説って冗長だし、何か道を通ったとか、恋したとか、滑ったとか、死んだとか、怪我したとか、まあ何しろ生きる上で、色々事件があって、そんなことが、書かれているわけだ。

ハッキリ言ってだからどうしたって感じもあるんだよね。何の役に立つのかねって思ったりもするんだよね。

小説って、やはり芸術なのね、だから絵を見たり映画見たり音楽聴いたりするのと一緒で、癒されるの。ストレスが解消されていくんだな。読んだ後、何かすっきりしたり、爽やかになったりするんだけど、これって他の芸術と一緒なの。頭でなく気分がすっきりするんだよね。まあ頭もすっきりするかもしれないんだけど、、

新しい idea が生まれることだってある。つまり、小説には、厳密には物語には、癒しの効果が在る。恐らく作者も癒されているんだろうけど、読者も癒される。

これが、論説とか、評論とか、論文とか新聞、週刊誌なんか読んでいてもちっとも癒されないんだな。何か知識が増えたり増えなかったりはするんだけど、癒されたり爽やかな感じには、ならないんだよね。

推理小説とかミステリーは殆ど読まないから分かんないけど、この癒し効果ないかも。

小説の存在意義ってそんな所にあるのかななんて、思ったりしたな。

ってな感じだ

作家になりたいってのはだなー、

2008-09-23 22:43:50 | Weblog
まあ、出版業界が、苦境になりつつあり、不況の中、作家志望は増えているのかもな。作家になれる系の本が、沢山でているから。昔作家になりたい頃そんな本があるなんて知らなかった。

だけどな、何かになりたいから、何かするって言うのは、本末転倒なんだな。何かになりたいから何かするんでなく、何かしていたら、何かになっちゃったって言うのが、正道なんだ。勉強していたら東大は入れちゃった。こんな感じだ。勉強していたら、日大入れちゃった。これで良いんだ。

だから自分探しには、毎日続けてやれること、好きなこと、色々なことしていたけど、これだけは続けているなと言うこと、そんなのが自分の守備範囲なんだな。

つまりこの場合は、小説なりエッセイなり物語なんなり色々書いていて、もう書くのが好きで、好きじゃなくても続けていて、もうこれなしには生きていけない人、もうそれ自体が楽しくて、気分が良くなる人が作家になるんだな。もちろんその中で、商品化されて売れれば、作家として生きていけるんだな。書き続けられるって言うのと、売れる物語が書ける人だな。

でも、自分が書くの好きかどうか自覚できるなんて、10代20代で、分かるんかね。

まあ、こんなことは当たり前のことでみんな知っているんだけどね。

悩みと言えば、自分のしていることが良いのか悪いのか、自覚できるってことが少ないことなんだよな。HOW TOもの見て、そう言うやり方もありなのかって、思うんだよね。でも自分の疑問すべについて答えてある訳じゃないしな。

あとは、大抵気が弱くて、色々な所に応募したり、見せたり持ち込んだりなんて、できないってことだな。大抵否定されるもんな。で、そう言う否定されるのに弱い感受性の強いのが、大抵書く人だしな。実際の作家がどんな人か知らないけど。

まあいずれにしても、僕が作家になるように生まれついていれば、どんなことがあっても作家になるし、そうでなければ、作家にはならないから、成れるか成れないかはもう決まっているわけで悩む必要はないんだけどな。自分の運命は事前に知らされていないので、好きなら、書き続けられるなら、続けるしかないわけだ。

ポルノでもHOW TOものが出るぐらいだからな。もう何でも良いから書きたい、ポルノでも何でも良い、作家になりたいってな心境なんだろうな。ポルノと文学との境界線も、怪しくなっているしな、、誰かがミッシェル・ウェルベックなんてポルノだって言ってたな。

女学生をサイン会のついでに、ベットまで連れ込んだというか、女学生が付いてきたなんて、結構あるらしいな。女学生の方もミッシェルと寝ちゃったなんて、とっても嬉しいんだろうな。男が良いなと思い女も良いなと思う。男って軽いよな。女性作家はそんな簡単にはいかねぇぜ。作家になってもそんな軽い男にはなりたくねぇよな。

ってな感じだ