人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

僕が書きたいし、読みたいものは - 自分への覚え書き

2008-09-21 18:54:48 | Weblog
物語が、世界のミニチュアで小世界の創造だとすると、その世界を解釈するものだってあるよな。もちろん小世界を解釈するもんだってあるな。

解釈に大とか小とか、あるのかどうか知らないけど、僕が読みたいし、知りたいのは世界そのものでなく、世界を解釈したものだ、どっかの大学教授とか、古典の超偉い人達が書いたような、難しいのでなく、悩み多き高校生や大学生が読むような解釈本だ。それを「小説」と言えるのかどうかは分からないけれど。また世界も知らないと、その解釈も理解できなかったりするんだけどね。

時代は変わっている、技術革新も進んでいるんだ、映画でできるものをいつまでも、「小説」なんて形にするのは止めて、小説も変化しなきゃならんってわけだ。これからはみんな考えることを必要としているみたいだし、世界の解釈を小説とし、みんながそれを読んで考えて行けば良いんだ。国家政策にすれば良いかもだな。

人は読みたいものを書きたいものだ、僕はこの世界を解釈したものを読みたいと思っているから、それを書きたい。

物語は、人への飽くなき関心と、観察力と描写力がものを言うんだな、僕の場合、人への関心が目に見えるものではないんだな。だから、人を観察はしないし、目に見える世界を描写したいとも思わないんだ。

では目に見えないものとは何か、人が何を考えて、どんな意見を持っているのかってことなんだな。そこのところは、凄く関心があるんだ。だから何人かはそのところに関心があると良いなって思うんだな。それが100万人いてくれれば、本はベストセラーだぜ。キラーン。(そんな宝くじを買うような心境を持ってはいけない。)

取りあえず、自分が書けるものは、自分が繰り返し読むような種類のものなのかも知れないんだな。物語は大抵1度しか読まないな。そんなに何回も読めないよな。映画だって何回も見るなんて殆ど不可能(金銭的ってわけじゃなくてね)。それってあんまり好きでないからなのかも知れない。好きなものは繰り返しするよな。

ちなみに、こういう世界の解釈は映画でもできない事はないけど、大して面白くないな。オッサンと叔母さんが、ギャルとイケメンでも良いけど、そんなのがどっか公園にでも座って、本を片手にぺらぺらと語るわけだろ。大して面白くないよな。

書くのは自由だし、表現も自由だ。言葉だって自由。自分の好きなものを書くのが大切。夢に合わせて自分を作るのでなく、できること好きなことしていることを形に。

つまり、作家になりたいから小説を書くのでなく、書くことが止められないから、作家になるんだ。自分のしていることから結果的にそうなったってことなんだな。だから、好きなことを先ず見つけて、その好きなことをしている内に、それが仕事になるんだ。

まあ、好きなこと探すのが大変なんだけどね。

ってな感じだ

小説より映画の方が、やっぱ面白いな

2008-09-21 18:18:49 | Weblog

今日は久しぶりに、映画見に行った。何だっけな、

パパにサヨナラできるまで

モンテーニュ通りのカフェ

やっぱ小説より映画の方が面白いな。字で読むより、見ちゃった方が楽だ。しかも楽しいし、短い時間で楽しめる。2時間で分かる物を、本だと1週間もかかるんじゃ、この忙しくて色々しなきゃいけない社会には相応しくない。

物語にしても、映画にしても、何なのかというと、つまりこの世界をある部分に注目して創造するって感じだな。小世界の創造が、物語であり映画ってわけだ。

映画やアニメでできるものを小説にする必要はないわけだよな。映画は嫌いで小説が好きなら、それはそれでまた違うけど。後映画は金がかかりすぎるから、その映画では作られない作品なんかは、小説にしなきゃならないけどな。

1番目のは、ギリシャ映画で、奥さんが美人で良かった。美人だと妙に感情移入できる所が、奇妙だ。この映画見ながら、物語とか映画というのは、世界のミニチュアなんだって気がついた。

2番目は、良いね。フランス映画だね。珍しく、happy end だった。まあでも手放しで喜べる結末ではないかも知れないけどね。そこはフランス。でもピアニストが行けてなかったな。あんな筋骨隆々の音楽家なんていないよ。非現実的だ。

映画は、ビジュアルになった分、小説より更に現実を歪曲して嘘を写し出している可能性はあるな。まああくまでも人工物だから、そんな現実の世界のようになるわけはないんだけどね。

小説というのは、そもそも、文字としてしか表現手段を持たなかった時代の人々が、見える世界を文字で表現しようと駆使していたんだ。今みたいに、映像で表現できる世界で、何で文字を駆使して表現しなきゃ行けないんだ。どんなに頑張ったって、ある人に恋してあるいは恋と恋の間の出会いの瞬間のあの独特の表情とか目線を言葉で語れるんだ。

そう言う表情は、映像として、素晴らしい俳優使って表現すれば良いんだ。
「モンテーニュ通りのカフェ」を見てて、アップで女性の顔を写しているんだけど、それ見ていたら、何故か泣けてきたんだ。言葉でそれを描写するには、何行も書かなきゃ行けないかもしれない。女性のアップなら、3秒で済む。しかも優れた映画なら、その表情は真実なんだ。見えるものを表現するなら、映像に勝るものはないんだ。

それにしても、映画を見たあとのこの余韻って良いな。気持ちが晴れるというか、洗い清められる感じがする。そのあとすぐに小説なんて読んじゃいけないな。余韻が消えてしまう。

ってな感じだな