やっぱ作家にも色々あるよな。多分
調査した訳じゃないから、限りなく憶測に近いんだけど、作家には長編を得意とする人と、短編を得意とする人がいると思う。
O.ヘンリー、Fitzgeraldとか、国木田独歩なんて、短編の作家で、ドストエフスキーとか、ビクトルユーゴーとかツルゲーネフなんてのは、長編作家だよな。日本には、宮部みゆきなんてのが凄く長い、小説書いているよな。でも日本では凄く長いのは凄く少ないけど、大抵の作家は長編書いている気がする。
これは性格的な問題なんじゃないかと思うわけで、長編を書く人って言うのは、余り新しい idea とか浮かばない人で、一つのことを長く続く人、あるいは一つのことをしている間は別の idea が出てこない人で、それとは違い、次から次へと、毎週のように浮かんじゃうような人、全く違うシーンが一つのシーンを書いている間にも浮かんで来ちゃうような人、飽きっぽいというか、創造力旺盛というか、そんな人は短編を書いているんじゃないかなと。
長編書く方が偉くて知的で、天才的なんて思っちゃうけど、自分は結構頻繁に、新しいシーンが浮かんで来ちゃうから、短編向きなのかも。
まあ、そのうちそんな作家の分析する人がいたら紹介して欲しいな。
ってな感じかな
調査した訳じゃないから、限りなく憶測に近いんだけど、作家には長編を得意とする人と、短編を得意とする人がいると思う。
O.ヘンリー、Fitzgeraldとか、国木田独歩なんて、短編の作家で、ドストエフスキーとか、ビクトルユーゴーとかツルゲーネフなんてのは、長編作家だよな。日本には、宮部みゆきなんてのが凄く長い、小説書いているよな。でも日本では凄く長いのは凄く少ないけど、大抵の作家は長編書いている気がする。
これは性格的な問題なんじゃないかと思うわけで、長編を書く人って言うのは、余り新しい idea とか浮かばない人で、一つのことを長く続く人、あるいは一つのことをしている間は別の idea が出てこない人で、それとは違い、次から次へと、毎週のように浮かんじゃうような人、全く違うシーンが一つのシーンを書いている間にも浮かんで来ちゃうような人、飽きっぽいというか、創造力旺盛というか、そんな人は短編を書いているんじゃないかなと。
長編書く方が偉くて知的で、天才的なんて思っちゃうけど、自分は結構頻繁に、新しいシーンが浮かんで来ちゃうから、短編向きなのかも。
まあ、そのうちそんな作家の分析する人がいたら紹介して欲しいな。
ってな感じかな