人生は 五 七 五

ご訪問有り難う御座います。

訪問者の皆様に
神の祝福がありますように
(by mother teresa)

るんるんを買っておうちに帰ろう、読んで見た、

2008-09-24 23:20:11 | Weblog
このこの本ってもう、20年以上前に書かれた本なんだけど、何故か今読んで新鮮というか、全く違和感ないんだな。

この時は偉くショッキングで、もう十年ぐらい先を行っている新しさだったのか、それともその頃から余り変わらないほど、時代の流れはゆっくりしてしまったのか。分からないんだけど、まあ、性に保守的であっても、その性が解放されちゃうと、その先はもう余り行く所はないよな。

しかもそんなの軍国主義のなごりで、保守的だっただけで、江戸時代なんか、またまた革新的だったしね。もしかしたら今はちと保守的な時代なのかも知れない。余りに保守的すぎて、全然結婚できない人達が増えまくっているというか、、、巻き込まれているな。

あんまり良く分からない。ニートとか、二重派遣とか、問題が先行していて、そんな性だの滑ったのと言う、貴族階級並みのお遊びに、付き合っていられる人々はいなくなって来たって感じなのかも。性は自由になったけど、金の自由が、、、ってな感じかね。

僕なんて、今やっとこれらのエッセイとか、小説に追いついてきた気がするよ。まあ、かなり遅れているってことかな。

ちなみに、るんるんの感想だけど、バブル期のるんるんって感じだよね。るんるん。この題名の付け方が良い。内容はと言うと、仕事と恋と(愛かな)旅行、この年代の人達がまだ経験しないようなこと、そんな事が書いてあるんだな。へー、ふーん、なるほどってな感じだ。それが面白可笑しく、楽しく書いてあるんだ。でこっちはアハハハハと読み進めちゃうわけ。少し冷や汗も混じっているけどね。

凄く均整の取れた、文体と説明で、良くできているし、読み安いんだよな。作家の人って、何か読みにくい論説書く人が多いんだけど、林真理子は違うんだ。

何というのかな、何となくちびまる子ちゃんのエッセイに似ている感じがするんだな。笑い所と良い、笑わせ所と良い。似たような文体というか、書き方というか、文章というか、、、でも違う所は、こっちの方が大人向きで、内容が下根たばかりなのと、ちと毒がある。でも自分を笑いものにする所は、そっくりだ。

笑いをとりたかったら、自分を笑いものにするのが一番良くて、アホでドジですぼらな私、になると周りは笑ってくれる。ちなみにこれは世界共通。日本で笑いが取れれば諸外国でも笑いが取れるから。とってどうすんのって言う考えもあるけど。

でも、林真理子が小説家になったと言うことは、やっぱエッセイで読者を引きつけるより、小説にしちゃった方が良いからなんだろうね。エッセイの方が書きやすいだろうけど。

まるこは、エッセイ路線行ったんだね。まあ人情暖まる文章なので、エッセイが良いのかな。

何か何言いたいのか分からなくなっちゃったけど、作家目指し始めると論説とか、説明とか、下手になるんだよ。イメージと感性で話は作るんだからね。

ってな感じだ

長編向きの人、短編向きの人

2008-09-24 15:51:48 | Weblog
やっぱ作家にも色々あるよな。多分

調査した訳じゃないから、限りなく憶測に近いんだけど、作家には長編を得意とする人と、短編を得意とする人がいると思う。

O.ヘンリー、Fitzgeraldとか、国木田独歩なんて、短編の作家で、ドストエフスキーとか、ビクトルユーゴーとかツルゲーネフなんてのは、長編作家だよな。日本には、宮部みゆきなんてのが凄く長い、小説書いているよな。でも日本では凄く長いのは凄く少ないけど、大抵の作家は長編書いている気がする。

これは性格的な問題なんじゃないかと思うわけで、長編を書く人って言うのは、余り新しい idea とか浮かばない人で、一つのことを長く続く人、あるいは一つのことをしている間は別の idea が出てこない人で、それとは違い、次から次へと、毎週のように浮かんじゃうような人、全く違うシーンが一つのシーンを書いている間にも浮かんで来ちゃうような人、飽きっぽいというか、創造力旺盛というか、そんな人は短編を書いているんじゃないかなと。

長編書く方が偉くて知的で、天才的なんて思っちゃうけど、自分は結構頻繁に、新しいシーンが浮かんで来ちゃうから、短編向きなのかも。

まあ、そのうちそんな作家の分析する人がいたら紹介して欲しいな。

ってな感じかな

小説の効用って何なのかねー続き

2008-09-24 15:31:51 | Weblog
小説の効用書いたけど、もう一つだけ付け加え。

小説が、「描写」「会話」「説明」からできているとすると、「説明」の多い文章は、学術的というか、論説調になり、余り癒される木のしない文学になっちゃうな。

フランスの映画って始まりの方で、絵を見せながら、説明入るから面白いんだけど、小説では、限りなく説明をなくして、「描写」と「会話」だけで進めていかないと、どうも、癒されるような、頭空っぽ文学にならない気がする。

「描写」と「会話」だけで成り立たせる話を書いてみたいものだな。

ってな感じ