好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

芭蕉公園  NO2

2007-01-13 18:25:43 | Weblog
ここ出雲崎に着いた松尾芭蕉 曾良はこの公園の前の
大崎やの宿泊したと言われている、
おくのほそ道 の最高の句が此処で着想し
直江津で発表されている
時は元禄2年(1689年)
 荒海や  佐渡によこたふ 天の河
庭園には芭蕉真筆『銀河の序』の全文を彫刻した
句碑が建っている。

出雲崎から日本海の荒海のかなたに佐渡の島がある
そこは古来多くの人々が流罪のあって悲運を嘆いた所であり
また一方黄金が掘り出され人間の喜怒哀楽が渦まいて来た島
夜空を仰ぎそんな人間の小さな営みと無関係に広々と澄んだ
夜空を天の川が大きく横たわっている、
心象句とか。
芭蕉になった気分で一句 如何ですか 投函するポストも有る、

この場所は良寛の家 橘屋 出雲崎の名主山本家その補佐役
というべき町の年寄り格(敦賀屋)あった所

両家でのトラブルも そして隣町尼瀬の名主京屋 とも良寛の
出家もそんなことも原因か。
    
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出雲崎人物往来   NO1

2007-01-13 18:20:50 | Weblog
元和2年(1616年)佐渡からの金 銀陸揚げ港として
越後ではじめて代官所が置かれた直轄地天領となりました。
又越後の三大名 高田藩 長岡播 新発田藩力をおさえる
そして越後の米を運ぶのに便利なここ出雲崎を天領に。
北陸道 の北国街道 寺泊からの三国街道を多くの
文人も。
1565年  上杉謙信  佐渡へ出馬 当町多門寺旅舘とす
1590年  豊臣秀吉当町通過
1689年  芭蕉翁 来泊
1690年  中山(堀部)安兵衛
1778年  備中 玉島円通時 国仙和尚 良寛を伴い玉島に
1802年  伊能忠敬(58歳) 測量に(日本地図)
 (橘屋)に1泊2日宿泊 『大日本沿海興地全図完成1821年』
1803年  伊能忠敬は7泊8日尼瀬町の京屋七左衛門宅に
良寛生家(橘屋)の衰亡ぶりが幕府の公式記録により裏づけられた形に。
 人物往来は後日に
 
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良寛詩  50歳代  自己を省みる。 NO1

2007-01-13 00:05:36 | Weblog
良寛詩 50歳代  五合庵の時代


回首50有余年  首(こうべ)を回(めぐ)らせば50有余年
是非得失一夢中  ぜひ得失(とくしつ)一夢(む)の中(うち)
山房5月黄梅雨  山房5月黄梅(こうばい)の雨
半夜蕭〃灑虚窓  半夜蕭〃(しょう〃)として虚窓 (きょそう)に
         灑(そそ)ぐ 

50余年をかえりみる 善いも悪いも夢のうち
山の庵のつゆ時は 夜中さびしく窓の雨。

50歳代  60歳 70歳の頃の詩 未だ何作品あるが後日に

50歳代の夢 仕事は面白く身体は すこし位なら無理しても
翌日はもう疲れ残らない、子育てローンも有るけれど
零細なら俺だって 一国一城の主も夢でない そんな気概で
日本の都市は何処えでも 博多 門司 広島 姫路 大坂 京都
名古屋 岐阜 多治見 東京月に十日は出帳で  ホンコン
ハワイ タイでもゴルフ 春先は新年ゴルフはいつも温かな房総半島で
県外は長野や群馬でゴルフ総会 そして一流温泉ホテルでの宴会            高度成長が実力と考え違い でもいい時代 だった、                少し皆んな浮かれていたが、

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