好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

おけさ源流の地  NO4 出雲崎町

2007-01-16 23:56:29 | Weblog
奥州 丸山の領主佐藤庄司元治の子
継信、忠信兄弟は源義経の忠臣として平家討伐に
活躍したが 兄継信は屋島の合戦で弟は忠信は京都で
源頼朝に追われた義経をかばい戦死、兄弟の母
(音羽の前)せめて戦場の跡を訪ねようと奥州から
出雲崎までたどり着いたが断念
 尼瀬の釈迦堂で尼僧となり二人の菩提を弔った、

出雲崎おけさは、義経のために 立派な最後を遂げた子供
達の詳報を聞き 嬉しさのあまり尼僧たちと袈裟(けさ)法衣
のまま歌い踊ったのが始まりで 袈裟(けさ)おけさ になった。

おけさ源流の碑より
 
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尼瀬獄門跡 NO3 出雲崎町

2007-01-16 23:29:58 | Weblog
1616年徳川幕府の直轄地となり代官所が置かれ。
牢屋 も造られた 、極刑の執行をする刑場で
おそらく幾千もの斬首がなされた。とくに
重罪人の生首は浜辺のほうにさらされたと
伝えられている。

町外れに在るが 近くに行くと何かぞっとする
そんな所だ、

良寛(文孝)18歳名主見習のころ村の者が
難破船の品物をごっそり盗み取り捕まって重罪に激しい拷問
の結果死亡 役目がらその場に立ち会わされり 盗賊の処刑に立ち会わされ
人の命のはかなさを 人の世のむごさを見ていたのかも、
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北国街道小諸まで五拾五里江戸まで九拾七里 NO2

2007-01-16 23:01:59 | Weblog
北国街道は出雲崎から江戸へ佐渡の金を運ぶ道として
信州追分宿から中山道を経て江戸に
北国街道は,会津街道 三国街道と合わせて佐州三路と
いわれるうちの1つの街道 で多くの人物資が往来がした
地方の一帯の政治 文化の交通の中心都市として
数多くの文人墨客の往来
日蓮上人 上杉謙信 景勝 豊臣秀吉
亀田鵬斎 大村光枝 谷文晃 十返舎一九 吉田松陰
 井原西鶴 その他にも
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出雲崎代官所跡 NO1

2007-01-16 22:24:44 | Weblog
元和2年(1616年)徳川将軍 代官所を置く
越後で初めての代官所が直轄地天領として初代代官 高田小次郎
佐渡からの金 銀の陸揚げ港として栄えた

妻入りの街並 妻入りとは切妻側面の三角形の壁面方向に出入り口
を設け此れを正面とする建築様式で この街並は全国的にも珍しい
北国街道の名残り海岸線に沿い3.6キロもの家並み、
この街並と史跡ゆっくり散策して下さい、
良寛堂(橘屋の跡)光照寺 良寛記念館 新潟県景勝100選
道の駅天領の里 石油記念館も  後日紹介


1604年には佐渡奉行 大久保石見守長安佐渡へ
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