好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

午前3時30分の電話

2007-01-25 11:24:13 | Weblog
真夜中の電話で起された、
覚悟はしていたが、まだ2日ほど前は話が出来ていたし、
でも昨夜から様子が、
私の10歳年上の兄貴3年ほど前に食道がんで 手術昨年から
入退院を繰り返していたが、 お正月は帰宅していたし、
兄貴は連れ合いに早く先立たれ子供が中学と高校だったが
主婦業も兼ね 苦労の多い夢中走った人生だったと思う、
でも内孫3人 外孫2人それなりの楽しみがあつたが、
本人は手先が器用で何でも特に大工仕事は自分で造る
絵は日本画で繊細な筆 山野草を育て 特別資産を残す事もないし、、
特に出世した訳でもない曲がった事が嫌いな少し頑固で、
世渡りが下手なほうだった。10人の兄弟の次男で(弟は3年位前に亡くなったが)
兄弟が皆が仲良くて男8人女2人他人から兄弟が仲が良い
と羨ましいと言われていた、これは兄貴が上手く皆の事を考えて
いたからなんだろう、自分が苦労したから曲がった事が嫌いなだけに
自分だけ良ければの考えが無く兄弟が皆のためにといつも家持ち(分家)
と皆自分の家のように気楽に遊びに行っていたもん、
人が必ず通る道、
27日がお通夜で行年82歳の人生の卒業式 翌日
28日が告別式で仏門への入門式 子供達からきっと努力賞が             妻に子供たちが立派に成長した事を報告出来るだろう、
なみあぶだぶつ、 安らかに、

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