好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

国上 乙子(おとご)神社 詩歌碑

2007-01-08 12:18:40 | Weblog
良寛歌碑で現存する最古 安政5年(1858年)
示寂 27年後に建立された、(1831年正月6日寂)

詩文   ( 口ずさむ良寛の詩歌)より 全国良寛会
生涯懶立身   生涯 身を立つるに懶(ものう)く
騰騰任天真   騰騰(とうとう)として天真に任(まか)す
嚢中三升米   嚢中(のうちゅう)三升の米
炉辺一束薪   炉辺(ろへん) 一束の薪(たきぎ)
誰問迷悟跡   誰か問わん 迷悟(めいご)跡
何知名利塵   何ぞ知らん名利(みょうり)の塵(ちり)
夜雨草庵裏   夜雨(やう) 草庵の裏(うち)  
双脚等閑伸   双脚(そうきゃく)等閑(とうかん)に伸ばす
   草庵(裏)ミスプリントか
 (裡)が正しいかも 
        沙門  良寛

 草庵に移り住んだこの10年間の生活が良寛芸術の
  最も円熟した時期でもある。
乙子(おとご)とは 末子の意味 弥彦大明神の末子 
建諸隅命(たてもろずみのみこと)を祭ってある、
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乙子神社脇草庵

2007-01-08 00:08:06 | Weblog
良寛は12年間住んだ5合庵から国上山の麓にある
乙子神社脇の草庵に移る 
文化13年(1816年)59才
山の登り降りがこたえて来たのかも知れませんし
五合庵も痛みがひどく 文化12年は越後は大雪だったとの
こと雪の苦労も大変だったろ 人々が山から里へと移り住むよう
勧めたらしい、
この年に遍澄(へんちょう)という人が弟子入りし5合庵から
ここ乙子神社草庵を勧めたともいわれる。
(12月24日のブログ参照)
ここに59歳から69歳まで10年間 
本格的に万葉集や古今和歌帖等を読んでいたとか、

雪の草庵を紹介しようと思ったが今年はまだ雪が無い。
冬囲いがされている 草庵は良寛在庵時に近いものとして再建
したもの 昭和62年7月
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