好奇 高齢者 の呟き

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論語(サライ)より    NO1

2007-01-29 19:46:34 | Weblog
常用句として使われる言葉の論語

友遠方より来る...原文 学而第一
子曰く、學而時習之。  不亦説乎。有朋自遠方来。
不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

子曰く 学びて時(つね)に之(これ)を習(なら)う
亦(また)説(よろこ)『悦』ばしからずや。
朋(とも)遠方(えんぽう)自(より)来(き)たる有(あ)り。
亦楽しからずや。人 知らずして慍(いか)らず。
亦君子ならずや。

現代語訳
老先生は、晩年に心境をこう表された。(たとい不遇のときであっても)
学ぶことを続け、(いつでもそれが活用できるように)常に復習する。
そのようにして自分の身についているのは、なんと愉快ではないか。
突然友人が遠いところから(私を忘れないで)訪ねて来てくれる。
懐かしくて心が温かくなるではないか。
世間には私の能力を見る目がないとしても。耐えて怒らない。
それが教養人というものだ。

良寛と論語 論語は大森子陽の狭川塾で学んでいた事だろう、
良寛は論語はよく読んでいたようだが 註訳にはあまりとらわれず
自分なりに読むことを重視していたようだ、他のことにも共通して
いたようだが。
あるとき和歌を勉強するのに何を読んだらよいか尋ねました、
良寛は万葉集を読みなさいと答えられた。
万葉集は詞が古くよく解からないというと、自分が解かるとこるだけ
読みなさい。それで十分だと、歌も自分の言葉で自分の思うところを
そのまま素直に歌えばそれで十分だと、
阿部定珍の依頼で万葉集の注解をしているので精読していたんだろう
だから註訳でなく独自の解釈 訳が出来ていたんだ。
あまり注釈にとらわれずに。論語も と言う事か。

俳人で歌人でもある人が 日頃 字が下手なので嘆いておりました、
それを良寛が聞きつけて言いました、字が綺麗だとか醜いとか
そんなことに心を使うのはやめなさい。 そうすれば自然に上達
するものです、これを聞いて字を書くことに気を使わないですむよう
なった。本当でしょうか?字が下手で困っているんだが。

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