神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

人間とは何だ 生とは死とは

2014年05月30日 18時45分27秒 | 宗教

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春うららかなる日々が続いているというのに、身近なところでまだまだ若い70歳前後の人が相次いで亡くなった
「あんな良い人が亡くならずに***のような人間が死ねばよいものを」と口を滑らせたら90歳ま近の父が諭すように「死んでいい人間など一人もいない!」ときっぱり言ったので、私は心の中で赤面してしまった。

さて葬儀に参列してお焼香をさせていただいたけれど、真宗の住職は「南無阿弥陀仏の6文字をただひたすら念じれば、阿弥陀様が極楽に御救い下さる」と言いました。
念じるだけでは救われない、信じることが救われる道です、親鸞上人もおっしゃったそうです。
さて人は死んだあとどうなるのか、この世にいる人間の誰もが持つ疑問です、だから宗教がこの世で大きな重みをもっている、面白いのはキリスト教でも仏教でも天国と地獄があるということ、イスラム教は私は知りません・・・
信心すれば天国へ、信じぬ者は地獄へとルートは決まっているようですが、天国に導いてくれる阿弥陀様とかキリスト教のエンジェルとかの正体は何でしょうか、これらの救いたる神は仮称でありましょうが確かに存在すると思うのです、人間というあるいは生物という全ての魂あるものを救う永遠の命をもった偉大な生物?(神)
キリスト、釈迦、モーゼ、空海、イスラムの偉大なる教祖などは、そうした偉大なる(神)と接点を持つ特殊能力をもった人間だったのかも
宇宙は45億年前に誕生したとか大雑把な年数がはじき出されるが、その前はどうだった・・・という疑問に答えられる人間はいない、本来時間は存在せず、50億年も1秒も同じ重さでしかなく、時間など寿命の限界を知る人間だけが考えるだけで、犬もカエルも蚤も時間など考えもしないで誕生と死をひたすら繰り返している。
偉大なる生物(神)にとって人間の魂も草花のはかない魂も同じ一つの魂、神の計画通りか気まぐれか、いとも簡単に魂は肉体から天に(天とは永遠の魂の居場所)引き戻され、また新たな若い何かの中に宿る、そもそも人間や生物はどのようにして存在しているのか、行動する肉体と、すべてを管理する脳と、脳を利用して人間を活動させる魂から出来ている、病気とは肉体が壊れることであり、死とは肉体が回復できなくなって完全に壊れ、魂が抜けだすということである、魂に自覚があるかということが?であるが自覚の無い永遠の生命体が魂だと思う、魂は生物の脳にあたるものに行きついたとき自覚が生まれるのだろう。
魂はかってに動いているのか、それとも偉大な生命の所有物なのか、いずれにしても今の自分の人生を何度も繰り返すのではなく、新たな肉体に宿り、あらたな自分を形成していく。
地球があろうがなかろうが、そんな短いスパーンでこの営みは終わらない、いったいどんな意味を持つのかは100年足らずの寿命では解決できず、考えること自体が無駄ごとであるから趣味の範囲に留めたい、そのうち人間など滅びそれでも生命は次々に生まれ、魂が注入され取り上げられていく、そして地球も太陽も滅び、しかし無限荒野の宇宙にはまたしても数え切れぬ無限の宇宙が誕生する。
過去、現在、未来というけれど本当は現在しかないのだ、生まれるから死ぬまでの順序は決まっているが、過去から未来に進んでいるのか、未来から過去に進んでいるのかは断定できない、それよりも本当は現在の積み重ねと言った方が良い、過去も未来もないのだ、死んでしまえばすべては振り出し、生まれ変わったとて、その前の時代より前に行っているのか後ろに来ているのかわかるまい、まして地球に生まれ変わる保証など皆無に等しい。
死などというものは、人間という特殊な生き物だけが考えることで、そのほかの生物はただただ子孫の繁栄のために存在し滅び去る、われらは人間に宿った魂であり、派遣された魂、永遠に生き続ける魂、その次の行き先は「神のみぞ知る」



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