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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(106) 長尾家 19

2024年05月22日 20時35分00秒 | 甲越軍記
 松倉の城が陥落して、宇佐美駿河守の軍はここに入って暫しの休憩を取る。
長尾為景は、更に放生津の城を乗っ取ろうと大軍を率いて攻め寄せた
当時、京の都は戦乱に明け暮れていて、公家たちは戦乱を避けるために、それぞれの地方の領地に避難していた。
 
この放生津(ほうしょうづ)の城にも、徳大寺大納言は畠山尚慶の娘の子で畠山尾張守種長の甥であったので、畠山の分国である越中へ一門の公卿と共に乱を避けて来ていたのである。
ところが、その城に長尾為景の大軍が越後から攻め寄せて来た
越後勢は恐ろしい程の鬨の声を高々と上げて、怒涛の如く乱入してきて、おびただしい数の鉄砲を撃ち込んできた。
城内は戦を知らぬ堂上人(公家=貴族)と僅かな国侍ばかりで、とても防ぎきれず途方に暮れていた
為景は城方の手ごたえ無いことを感じて、ますます勇気まして柵を打ち破り、城壁をよじ登る
城方は長刀などで防ごうとすれども、敵の勢いを防ぎきれず越後勢は次々と城内に切り込んできて溢れた
間もなく陣屋に放火すれば、たちまち炎は盛りとなって越後の者どもは煙火の下を自在に暴れまくって城方を討ち取る
城中はうろたえ防ぐ者も無く、公家の女房上臈(奥、側室、女中)らは泣き叫び逃げ惑い、火に入って死ぬ者あれば、生きて雑兵に奪い去られる者もあり、目も当てられぬ始末となった。
ついには徳大寺大納言ら九人の公家は自害して泉下の鬼となる。
 
越中の諸将は放生津の城が囲まれたと聞いて、これを救おうと神保左京進良衛、江波五郎、松岡長門守らが八千騎を率いて揉みに揉んで駆け付けたが、すでに落城と知り、ここで陣を張って越後勢を待ち受けた。
既に勇み立つ長尾勢は、越中の八千騎など物の数ではないと勇気百倍にて攻め寄せる兆しを見せる
 
越中の三将は軍議を開き「いかにも越後勢は勝利に沸き立って、その勢いは恐ろしい、しかも我らに倍する大軍であればなおさら我らが勝利すること得難し
ここは策を講じて待ち受けるのが上策である」
そして一帯の原野に数十丈の落とし穴を数十か所掘って、その上に芝をかぶせて穴を塞ぎ、平地の如くに見せかけた
そして越中の諸軍は落とし穴を前に見て、その後方に陣取って越後勢の来るのを待ち構えている。
 
 

人生初めての入院 縁は奇なもの

2024年05月22日 06時46分40秒 | 病気と健康
医師が 腸閉塞の 原因は 80%くらいは 大腸がんだと言った
 なるほど 納得 これも 天命 なら 慌てても仕方ない 
さて 前日の 瞬間湯沸かし器の 請求書が届いたというので 早速 先輩 社長に 電話をして 支払いの 方法を 話した その時 先輩が Oくん も 同じ病院に 入院してるよと教えてくれた 、この Oくんは もう一人の K 君と 一緒に 50年前から 魚屋組合の 仲間として 若い頃 遊び回った 友達 電話をしてみようと思ったけど ためらっていたら 向こうから電話がかかってきた
 私と同じ 17日に 救急で 入院したんだと 心臓肥大の ために 体が 激しく震えて どうにもならなくなったそうだ 
それで同病あい哀れむではないが しばらく話をしていた。
面白いことに検査の時、そこでばったり会った、互いにエールを送った
 もう一人の K 君は 10ヶ月くらい前に この病院で 大腸がんの手術 をして いる まあ仲良しの3人が 同じような 状況になったのも 何かの縁というもんだ
 彼らは 私より まだ 6歳 若い 

転移の 心配も あるので 肺と 肝臓の 検査もするという ところが 肝臓はMRI検査 なので 腸の中に 金属が入っていて 摩擦熱で腸が 焼けてしまう恐れがあるということで 中止になった 今日は 肺活量の 検査をした 

女房殿と 妹が 面会に来た ほとんど家族しか会えないが それも申し込みをして 10分間だけ あっという間に時間が経った 来る前から 言いたいことや 渡しておきたい 書類を 準備して待っていた
 一番心配なのは 畑 、今が きゅうり もな すも トマトもスイカも みんな 伸びる 下がりで 1坪の 畑では 収拾がつかなくなる それでも 女房とのは 水やり だけはしていると そして 妹は自分でも 畑をしてるので 湧き水 みとかを やってくれる と 言った 頼もしい 
体調は お腹の張りが どんどんなくなって ある意味 調子がいい 看護師さんも 移動の時に 私が 自力で起き上がったら立ったりするのを見て すごく元気ですねと驚いていた
だけど腹が減るなあ。