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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(103) 長尾家 16

2024年05月18日 11時41分41秒 | 甲越軍記
 虎千代が戻って来たので「父の言いつけを守らず出家を嫌って戻るとはいかなることか」と大いに怒って厳しく折檻したが、虎千代は意思を曲げず、ついに根負けして城にそのまま置いた。

その年、八月十五日に七歳にして元服した、名を長尾喜平二景虎と号す
これよりますます勇威が備わり、まなざしは凡人に非ず、智才においても三人の兄を遥かに超えているので、為景はますます景虎を忌み嫌い、このままでは国の災いとなると思って、追い出すことにして、守役の金津新兵衛に預けた

景虎が近所の童と遊んでいた時、祈祷僧松岩院が通りかかり、景虎に目をやると不思議なことに景虎から英気があがるのを認めた
彼の僧は高名な相者(人相見=易者)でもあったので立ち止まって景虎を一目見て大いに驚いた
「この童の人相は只者ではない、英名を海内に輝かす名将となるであろう、この児の親はいかなる人であるか」と傍らの人に尋ねた
そして初めて長尾為景の子と知り、その帰りがけに下越後に至り、加地安芸守の家に祈祷の札を納め、主人安芸守に面会の折り、景虎君の噂を放すと、安芸守春綱には実子が無く、この景虎を養子に迎えて家名を継がせたいと願い出た

安芸守の家は、代々下越後の領主として加地の城を築いた大家であたので為景は大いに喜び、景虎を呼び寄せて、このことを伝えたところが、景虎は喜びもせず知らぬ顔であった。
為景は大いに怒り、「出家させれば、これを嫌って家に戻り、養子の話をすれば断る、再三儂の命に背くとは不孝であり我儘である」と怒鳴り散らした

成長の行く末を危ぶみ、老臣らと相談して越後屋形、上杉定実に話して金津新兵衛に命じて景虎を下越後に追放と決まった。
これを聞いて新兵衛は深く歎いて為景に再考を求めたが、元より受け入れるわけもなく、景虎の兄、弾正左衛門晴景にも頼みに行ったが、これまた景虎の才智の優れたるを憎み、日頃から為景に景虎の悪様を讒言するほどで、これまた受け入れるわけがない。

新兵衛はついに仕方なく、景虎を背負い、僅か五人の従者を連れて府内を出て、下越後へと向かった。