このブログ中で常々書いたと思うんですが、常に新しいことにチャレンジしてみたいと思ってます
。仕事の内容はもちろん、自分が興味を持てることについてこう思い続けているつもりです
。
「バックミラー
に移ってきた景色ばかり見てては運転はできない」と言った人がいます。これは、今までやってきたことと同じことばかりしていては進歩がない
、という意味を言っているのです。前の景色、これから出てくる景色を予想して運転しろということですね
。
数年前の毎日新聞(東京版)にこんな記事が載っていました。 ~以下抜粋(年金問題の頃の記事)~
~「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」とは杓子の柄を定規に使うことだが、何がいけないかというと昔の杓子の柄は曲がっていたのだ。今はお役所仕事などの融通のきかないさまを表す言葉となったが、定規の狂いのせいで、払った保険料を払ってないといわれては国民はたまらない。
行政学者らにいわせると、役人の杓子定規とは「訓練された無能力」のことだという。いったん身につけた原則にこだわり続け、新たな状況の変化に対応できない役人にありがちな行動パターンを、米国の社会学者マートンがそう言い表したのだ。
この間の社会保険庁の仕事ぶりに驚かされて、そういえばと思い出したのがこの言葉だ。ただこちらは現実の変化に対応しそこなったというだけではない。パソコンのキータッチ数の制限をめぐる労使協定などを聞けば、文字通り人間を無能にする訓練が行われていたとしか思えない。
役人をめぐるマートンの指摘には「目標の転移」というのもある。こちらは規則通り仕事をすることが自己目的化し、公衆への奉仕という本来の目標が見失われることを指す。~
皆さん思い当たる節は有りませんか
。 「向上心」をもって今までの悪しき習慣を打破しましょう
。 まずは自分のできることから…。たまに役所に行くと毎日新聞の記事のような対応されるとき有りますよね…
。波風立てずに、定年まで勤めあげれば…的な感じが伝わってくる人も多々見受けられます
。「向上心」をもって「訓練された無能力」を打ち破ろう
。


「バックミラー



数年前の毎日新聞(東京版)にこんな記事が載っていました。 ~以下抜粋(年金問題の頃の記事)~
~「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」とは杓子の柄を定規に使うことだが、何がいけないかというと昔の杓子の柄は曲がっていたのだ。今はお役所仕事などの融通のきかないさまを表す言葉となったが、定規の狂いのせいで、払った保険料を払ってないといわれては国民はたまらない。
行政学者らにいわせると、役人の杓子定規とは「訓練された無能力」のことだという。いったん身につけた原則にこだわり続け、新たな状況の変化に対応できない役人にありがちな行動パターンを、米国の社会学者マートンがそう言い表したのだ。
この間の社会保険庁の仕事ぶりに驚かされて、そういえばと思い出したのがこの言葉だ。ただこちらは現実の変化に対応しそこなったというだけではない。パソコンのキータッチ数の制限をめぐる労使協定などを聞けば、文字通り人間を無能にする訓練が行われていたとしか思えない。
役人をめぐるマートンの指摘には「目標の転移」というのもある。こちらは規則通り仕事をすることが自己目的化し、公衆への奉仕という本来の目標が見失われることを指す。~
皆さん思い当たる節は有りませんか






