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ひとつ心の整理

2014-09-05 09:56:01 | 日記(~2023年)
私はどうしようもなく自分の気持ちを抑えられなくなる時があります。
そんな時、その気持ちをすぐに宛先のないメールを書き、保存して、時々見直して、追加したり削除したり…
そのようなメールが10通近くあります。
そのうちの一つについてようやく心の整理が出来たので、残しておこうと思います。


(以下は大人どおしの関係についてです)

自分の言動が誰かの人生に大きな影響を及ぼすかもしれないと常々思って入る人は、自分の意見を他人に強制しないし、自分の意見を他人が選択しなかったことに腹を立てない。
これは相手目線だと思います。


自分の意見を押し付け、他人がそれを選択しないことに感情的に腹を立てる人がいる。
それだけならいいけど、自分の意見を脅迫的に押し付けようとする。
そこまで自分の意見を押し付けるにはそれなりの覚悟があるのかと言えばそうではない。
自分の意見が選択されなかったことに自分のプライドを傷つけられたと思うのでしょう。
そういう人ほど自分は相手の事を思っていると思い込んでいる。
つまり実は相手のことより自分目線なのです。


私は勘違いしていたのです。
私の事を真剣に心配して感情的に怒っていると思っていました。
しかし、私の意見は全然尊重されず、何年も精神的に追い詰め、私の人生を大きく変えた人達は、自分がしたことについて何の責任も感じていませんでした。
それがショックでたまらず、はらわたが煮えくり返る思いとそれを見抜けなかった自分が情けないという思い、人を導く立場にある人が、自分のしたことの責任の重さを感じていないことが信じられず、後悔と怨み辛みで苦しい日々を過ごしました。


自分の意見を押し付けようとする人は実は相手の事を思っているというより、自分の意見を認めてほしいという気持ちが強いという心理が分かり、少しずつ気持ちの整理がついていきました。


究極の結論としては、「他人は私の人生に無責任」


だからといって自分の我を押し通すのではなく、他人の意見を尊重しつつも、自分で考え結論をだす。
そしてその結論に自分で責任を持つ
それが自分の人生を生きるということだとあらためて思ったのでした。






(メール保存内容)最終更新2013年10月14日

今の私の状況を作った少なからず責任のある人はどう思っているのだろうか?
案外その責任の重さなんて考えていないかもしれない。

手術回避のために必至にお祈りしてくれたけど、現実から逃避したような形であり、現実の私は結局2度の痛い手術を経験し、今、不妊治療で様々な肉体的、精神的苦痛がある。

私をここまで追い込んだ人たちは何ら肉体的苦痛はない。痛い手術も採卵も陰性だった時のショックも味わうのはあの人達ではなく私自身なのだ。

どんなに親身になっても他人の人生に責任なんてとれないのだ。
だから人にアドバイスすることはあってもアドバイスを強制したり脅迫めいたことをしてはいけない。
最後に判断する権利は他人にはないのだ。ならば極力自分の納得する人生を歩む努力が必要

(以上)