長浜城
2016年10月19日 | 旅
上は、琵琶湖の南側・彦根方面。
右は、北側の竹生島方面。
伊吹山
長浜は、秀吉が一国一城の主となった最初の拠点であり、此処で城下町経営の基本パターンを学んだという。
元々は「今浜」と呼ばれていたが、天正3年(1575年)頃に豊臣秀吉が織田信長の「長」をとって「長浜」と改称した。
秀吉・三成出逢いの像(長浜駅前)
― 「三献の茶」逸話 ―
長浜城主だった秀吉が鷹狩りの途中に領内の観音寺に立ち寄り茶を所望した。
対応した少年は、最初は大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと、次は前より少し熱くして半分程のお茶を、最後には小さな茶碗に熱くした少しのお茶を差し出した。
この心配りに感心した秀吉は、三成を召抱えた。
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入場券をクリックすると、長浜城近くの琵琶湖底から城の敷地跡が見つかったとするサイトにリンクしています。
http://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/bacedd3ee3d1e63e97ab1f0fa80511e1
いいないいな~♪
行ってみたいな滋賀へ♪
ブラックマンデーのような経済ショックは、人の思惑だけでも起こりますから、さじ加減ひとつで劇薬になったり、やわらげもします。
デフレは必ずしも悪いとはいえない気もしますが、成長型のインフレの方が前向きで明るそうですから、経験値の中からついインフレ型
を目指しがちです。 いまのデフレ下では、新しいスタイルを構築しなければならないと思います。
しかし、それが容易ではなく その方向性はなかなか見当たりません。
団体旅行は、制約がありますから思いのまま行動することを控えねばならず、気に入った個所には改めて観光し直すしかありません。
こじんまりとした美しいお城でした。
プライベートな旅なら天守まで上ったと思いますが、団体旅行なのでそれは無理でした。
天守からの眺めはいいですね。
駅前の「秀吉・三成出逢いの像」も写真におさめています。
>剣の名は、呼び方が変転してますから、八俣の大蛇
の尻尾から取り出したときは、「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ」といい、のちに日本武尊の古事から「草薙剣くさなぎのつるぎ」と呼ばれるようになりました。
神話についてはiina様がお得意なところなので、昨日の記事はお恥ずかしい限りです。
できるだけ短い文で、簡単にまとめようとしたものということで、ご理解ください。
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあたいへん
どじょうがで てきて こんにちは
ぼっちゃんいっしょに あそびましょう
「どんぐりころころ」でした。^^
登山した気分でいっぱいです。お池がいいアクセントになって眼を楽しませてくれます。
長浜は、三成が生まれた地でもありました。
明日は、Kさんが歩いたであろう長浜の黒壁スクエアを散策します。
長浜城は 残念ながら 見学の余裕ありませんでした。
三成
>「三献の茶」逸話
初めて伺ったような気がします(記憶にないです)
iinaさまブログは 歴史探訪になります(^^)/
いいなiina