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浅草ロック

2019年02月14日 | 東京エリア
浅草にある歓楽街で、通称「浅草ロック」という。次の「浅草六区」からきている。
1873年浅草寺域を、一区観音堂,二区仲見世,三区伝法院,四区木馬館一帯,五区花屋敷一帯,六区興行街の6区画に整備されたことによる。
元々、元禄時代の頃から盛り場になったとされ、江戸最大の盛り場に発展した。

六区は1887年(明治20年)の根岸興行部の「常盤座」に始まり、演劇場、活動写真常設館、オペラ常設館などが出来て隆盛を誇り、江川の玉乗り、浅草オペラ、安来節等が注目を浴びた。1903年(明治36年)には、日本初の映画専門館「電気館」がオープン。

昭和に入っても「アチャラカ」と呼ばれた荒唐無稽の喜劇が好評を博し、終戦後も軽演劇、女剣劇、ストリップの幕間に演じられたコントが注目を浴び芸能の殿堂・一大拠点としてここからスターになった芸能人も数多く出た。

次の「六芸神」は、六区ブロードウエイ商店街の交番の横に祭られている。
向かって左から、

 唄神(うたいがみ)…東海林太郎
 奏神(かなでがみ)…田谷力三(アコーディオンを弾く)
 話神(はなしがみ)…古今亭志ん生
 戯神(おどけがみ)…大道芸人(氏名不詳。玉乗り)
 演神(えんじがみ)…榎本健一
 踊神(おどりがみ)…水の江瀧子(紅一点。踊り子の扮装)



「六区通り」
は、伝法院通りからつくばエクスプレス・浅草駅へと通じる全長約100メートルの通りを指す。

その六区通りに33名+1名の芸能人のプレートを掲げている。表裏28面に33人の活躍ぶりや浅草とのかかわりについて解説がついている。
                     

喜劇王エノケンこと榎本健一、小説家の永井荷風からストリップ劇場「フランス座」でコメディアンの技を磨いた渥美清や、「コント55号」の萩本欽一、松竹歌劇団(SKD)の水の江滝子。浅草が舞台の映画に出た縁で哀川翔も。
三波伸介と伸一、東八郎と貴博(Take2)の父子は、それぞれ一枚のプレートに並んで納まる。

一枚だけ、「予約済」と書かれたプレートがある。  誰かといえば、ビートたけし(北野武)の予約席。
  (注) 2005年04月のiinaブログを編集。




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4 コメント

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浅草ロック (iwadonosansou2 いわどの山荘主人)
2019-02-14 07:06:53
浅草の歴史を紹介してくれてありがとうございます。
若いころ浅草に就職した同級生がおりまして、その頃は浅草を根拠として色々遊んだものです。
その同級生も今は黄泉の世界に旅立っています。
年齢を感じます。
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お早うございます (延岡の山歩人K)
2019-02-14 08:20:48
浅草界隈の地名や歴史について
初めて知ることも多くて
大変有意義なご解説でした\(^o^)/


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(いわどの山荘主人) さん へ (iina)
2019-02-14 09:21:43
動物は、歯がないと食べることができなくなり死んでしまいます。
”80歳なっても20本以上の自分の歯を保とう”を心掛けます。

浅草六区通りの芸能人のプレートは、懐かしい面々です。

2005年04月のiinaブログを再編集しました。

    (いわどの山荘主人)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上の(iina)URLに置きました。

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(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2019-02-14 09:32:44
福寿草を、巧く撮っています。
                  枯れ野にひっそり咲く姿がきわだちます。
Kさんのストーリー性を生かしたブログに仕上がっています。^^

きょうは、2005年4月のiinaブログを再編集したものですが、古い写真は初になります。

   (延岡の山歩人K)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上の(iina)URLに置きました。

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