イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その164☆イーダちゃん、平家の里・湯西川温泉をさすらう!(栃木篇Ⅰ)☆

2014-02-21 11:18:16 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
              


 Hello、ひさびさの温泉チャンネルです。
 僕はね、なにが好きって温泉ほど好きなものはないんです。
 でもね、諸事情から、去年の金沢行以来めぼしい温泉にはあんま行ってなかった。
 それが、先月中盤、久々に休みが取れる運びとなりまして…
 そうなればやることは決まっちょる---で、2014年の1月19日から22日にかけて、イーダちゃんは、骨休めもかねた温泉旅行にいってきました。
 真冬の奥日光---泣く子も黙る、栃木の平家の隠れ里である、有名なあの「湯西川温泉」であります(^o^)/
 実は僕、温泉巡りに燃えていたころに---前の仕事をしてるとき、それと、それ以前に友達なんかとで---かつて何回か、ここ、きてるんですね。
 いま、nifty温泉さんの自分のクチコミを見直してみたら、それ、2008年の1月22日と7月21日とのことでした。
 奥鬼怒の「加仁湯」さんなんかにいったときにもたしかお邪魔したりしてますから、ま、6、7度は湯浴みさしていただいている、勝手知ったる旧知の湯西って感じでせうか?
 つまり、湯西川っちゅーのは、それだけ僕の心を魅きつけるモノをもってる、求心力のある、いい温泉地だってことですよ。
 僕はねえ、湯西川温泉って超・好きなんだよなあ---。
 かつて、平家の隠れ里だった、という秘密の香りのする歴史がまずいいっしょ?
 それに、湯西川の流れに沿ってならんでいる家々の、藁葺き屋根のならび、あの古めかしく、またどことなく隠者めいた村全体の佇まいもいい。
 さらに、とどめとなるのが温泉ね---あのねえ、こちらの温泉って出色なんっス。
 基本は無色透明の単純泉なんですけど、こちらのお湯、底のほうにかすかな硫黄臭がほんのり香ってる感じなの。
 僕的にいわせてもらうなら、ここのお湯、別府さんのとこのお湯をどこか彷彿させるものがあるんですよね。もちろん、別府のお湯に特有の、あのかすかな硫黄の芳香にまじった「別府臭」とでも名付けるしかない、あの独自の個性的な触覚は、そりゃあありませんとも。
 でも、僕は、湯西川の湯につかるたび、なぜだか別府のことをつい連想してしまう…。
 湯煙に目を細めながら、はるかなる別府を夢見つつ入る温泉ってのも、案外これはオツなもんなんですってば。
 
 というわけで、1月の20日、ハマを出て、埼玉の春日部で用事をすましたイーダちゃんは、連休の残りを極上の温泉ですごそうと逸る気持ちを抑えつつ、栃木行きの電車にいそいそと乗りこんだのでありました。
 クルマでいくと<ヨコハマ---栃木>間って結構あるように思うんですが、驚いた、浅草から電車を使えば超・スグではないですか。

 浅草から東武のスカイツリー特急に乗り鬼怒川温泉まで100分→んでもって、鬼怒川から東武鬼怒川ラインに乗りかえて約19分。

 龍王峡、川治温泉など懐かしの駅々をこえてようやく辿りついた湯西川の駅は、見事な雪国の様相でした。
 川治とか龍王峡は、そんなに雪積もってなかったんですよ。
 でも、湯西川前の長いトンネルを抜けたら、そこはまさに「国境の長いトンネルを抜けたら雪国であった」の世界でありました。

----ふわぁ、寒ィ…。

 と、思わず身体を縮めて、両肩も抱えこんで。
 口からたちのぼる息も、いつのまにかまっ白な冬の色。
 そして、駅のまえの国道のむこうには、滔々たる鬼怒川の流れが見えていて。
 旅情っスねえ…。
 バス待ちのあいだ煙草をもつ指先が凍えてかじかむのも、ちょっといい感じです。
 バスで30分ほどゆられて---いつもはクルマで走っていたこの道をバスでいくのは初めてで新鮮でした---6年ぶりに訪れた湯西川。
 懐かしかった。
 湯西川は、記憶のまんまの佇まいでした。
 あたりまえの話だけど雪が凄い。
 雪の湯前橋を注意しいしいゆっくり渡り、湯西川の全景をまず見てみます。
 お。湯前橋下の湯西川公衆浴場も、対岸の橋下の野湯「薬研の湯(やげんのゆ)」も健在。
 ただ、おめあての「薬研の湯」まわりの積雪がやたら凄いなあ。
 ここ、入れるかしら? と一瞬心配になっちゃった。
 人気は、なし。
 対岸の雪に埋もれた、あの有名な藁葺の平家集落の家々は閑散としてる。
 まえに食したことのある有名な会津屋豆腐店さんも斎藤商店さんもみんな閉まってる。
 あとで聴いたら、1/25からかまくら祭りっていうお祭りがあるから、お客は25日以降に集中してて、僕の訪れた1/20なんかは、年度でも有数の閑散期だとのこと。
 すわ、ラッキー、とかじかんだ胸奥で心がちょいと踊ります。
 湯西川駅からあらかじめ℡で予約を入れていた、懐かしの「金井旅館」さんにむかいます。
 こちら、以前から立ち寄りではそーとーお世話になってるお宿なんですけど、正直、泊りは初めてなんです。 
 ひとのよさげなおかみさんにこんにちはーって挨拶して、お喋りして、宿帳なんかも書いて、お茶飲んで、ぼーっとして、部屋の窓からの真冬の湯西川の風景をしばし堪能タイム…。
 では、このあたりで僕が宿泊した湯西川温泉「金井旅館」さんのご紹介、いってみませうか---


        

        

            ◆湯西川温泉「金井旅館」
           〒:栃木県日光市湯西川温泉822
           ℡:0220(98)0331 

 先にあげた写真が「金井旅館」さんの正面玄関であります。
 いかが、こじんまりとしてて、なかなかいい感じでしょ? 
 高級志向なお方からしたら、なんだい、こんなオンボロ宿は? となるのかもわかりませんが、ここ、温泉が極上なんですって。
 下の写真の左手---湯前橋のこっちにある、囲いで隠されてる露天---が、こちら「金井旅館」さんの露天です。
 湯前橋の左手の袂のとこにある小屋が、有名な混浴の「湯西川公衆浴場」。
 その反対側の橋の袂の下手にあるのが、イーダちゃん贔屓の混浴露天「薬研の湯」---。
 こちらの野趣たっぷりの野湯、「金井旅館」さんの管理されてるお湯なんですわ。
 僕は何度かこちらの湯を湯浴みさせていただいたことがあるんですけど、今回のイーダちゃんのお目当ても、やっぱりこちら「薬研の湯」だったんですね。
 何度入っても極上湯は屋上湯ですモン。(源泉は、天楽堂乃湯といいます)
 ですから、案内されたお部屋でくつろいで、少々身体があったまってきたら、さっそくこちらのお湯に入りたい旨を、宿のおばちゃんに伝えます。

----お客さん、「薬研の湯」はいいですけど、寒いですよ…。それに、川へ下る階段が雪まみれだから、滑ってちょっとアブナイよ…。

----いや~ 僕はまえからここのお湯のファンでしてねえ、日が暮れるまでになんとしても「薬研の湯」に入りたいんですよ…。ええ、なんとしてもね(思い入れをこめて)…。

 すると、宿のおばちゃんにも僕の熱意が伝わったのか、おばちゃん、それならばと雪歩き用の長靴とプラスティク籠とを貸与してくれました。
 「薬研の湯」には、着替処も景観を覆おう柵もな~んもないんです。
 だから、長靴とプラ籠とは、宿なりの酔狂客へのサービスだってこと。
 嬉しかったなあ---この心づくしを無にしちゃいかんでせう---長靴履いて、イーダちゃんはしっかり雪まみれの階段を下りましたとも---足まわりを一歩一歩たしかめて、それでもときどき滑り落ちそうになるから、必死こいて階段の手すりに掴まりながら(後背筋ずいぶん使ったな)…。
 で、だいたい夕の4:30頃から5時すぎまで、イーダちゃんは湯西川きっての極上湯「薬研の湯」を堪能させていただいたってわけ----








 
 もー これは、はっきりいってコトバでどーのこーのいえるレベルじゃなかったな。
 めっちゃ…(5秒ほど沈黙)よかった…。
 というか、よすぎた。
 湯西川の「薬研の湯」は、黙って噛みしめるしかないタイプの、稀有の名湯でありました。
 だって、すぐ目の前を流れているのは真冬の湯西川の清流よ---ふっと顔の向きをかえれば、目に入ってくるのは、雪化粧をした平家の里のアンテックな歴史的家並---そんでもって、川沿いの小ぶりな僕の湯船に滔々と流れこんでくるのは、源泉掛け流しの湯西川の天然湯でしょ…?
 これで染みなきゃ、そのひとってどうかしてるって。
 お湯に身体を沈めていると、温泉効果で超あったかい湯舟内身体の部分と、真冬の吹きっさらしの空気をキンキンに感じる肩より上の裸の部分とに、身体が区分けされてね。
 要するに、身体ぽかぽか、耳たぶキンキンってやつですか。
 中国の故事のいう、いわゆる「頭寒足熱」の生の体感が、もー ひたすらたまんない。
 目をつぶって、ちょっとしてまた目をあけて、そこにひんやり美しい湯西川の冬がおなじように広がっているのが、なんだかふしぎに感じられて、何度かまぶたをぱちぱちやりました---目をあけたら、ひょっとしてこの素敵すぎる光景が消えてるんじゃないかと思って。
 でも、消えてない---それは、ちゃんとそこにある。
 湯けむりと藁葺屋根の集落とが川の瀬音にあわせてゆらゆらしてる---現実が、目の玉に染みるほどきらめいて見える、夕暮れどきのこのふしぎな温泉手品。

----きて、よかったぁ…!

 と、ひとりごちて、両手ですくったお湯を顔面にぽちゃっとやれば、ああ、鼻腔に散り砕ける淡い硫黄の香り…。(ToT;>
 湯西川のお湯って透明湯なんですけど、底のほうにかすかな硫黄臭を隠しもっているんです。
 お湯自体の鮮度も凄いしね、要するにただ者じゃないお湯なわけなんです。
 僕ぁ、基本的に硫黄好きですからねえ---目をとじて、しばし恍惚として、湯西川の美しい冬と温泉とをゆるやかに堪能するしかなかったな……。


                                      


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 翌朝の21日、「金井旅館」さんで朝食をいただき、雪道をてくてく歩いて「平家の里」へ行きました。
 朝イチ、10時からの入園です。
 平日のこんな時間に入園する奇特な客は僕だけかと思ったら、ひとり旅の若い女の子が僕同様入園待ちをしてられるじゃないですか。
 あまりの寒さに缶コーヒー買って両手でそれ握ってたら、グーゼン彼女もおんなじようにしてたんで、見知らぬ者同士つい顔を見あわせて「寒いですね」なんていって。
 白い息を吐きながらまわった、ひとのいない平日朝の雪の「平家の里」は素敵でした。
 ここってなにか、隠者の気配が土地自体に染みついているんじゃないのかな?
 雪景色の上を流れるBGMの平家琵琶のべんべんいう音が、もの淋しくてよかった。
 花の都暮らしから一転してこんな秘境の雪国に移ってきたんだもの---お嬢さん暮らしの上流の平家の女たちには、ここの暮らし、キツかったでせうねえ。
 いったい、どれだけの数のドラマがあったんだろう?
 この軒下から、氷の張った池を何人の女が泣いて眺めたんだろう?
 そんなことを思うともなく思いながら、小1時間ばかり散策しました。
 最後にはもちろん、こちらの氏神さまにご挨拶して---「平家の里」、とてもよろしゅうございました。


                

                

 そんな感じで、イーダちゃんの奥日光放浪の第一日目は、つつがなく終了したのであります。
 しかし、奥日光の旅・第二部は、さらなるドラマを懐中に隠しもち、イーダちゃんの訪問を待ち受けているのでありました……。(栃木篇Ⅱへ続く)                    
 




 
 







 

徒然その142☆イーダちゃん、湯ケ島をウロつく☆

2013-06-12 01:30:54 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆

                


 先日、持病の腰痛調整もかねて、大好きな湯ケ島にいってきました。
 湯ケ島というのは、静岡の伊豆半島の、ちょうど中央あたりに位置してる、歴史のある温泉地---ほら、あの文豪・川端康成氏が「伊豆の踊り子」を生みだした地として有名な湯治場です。
 僕は、この湯ケ島が大好きでして、何度も泊まりにいってるんです。
 山深い、静かな、味わい深い湯ケ島のオーラにくるまれてすごす時間は、まさに金。
 熱い温泉につかってぼーっとしてると、遠くの梢からうぐいすの澄んだ声が聴こえてきます。
 
----へえ、あんな遠くからまっすぐ聴こえてくるんだ。うぐいすの声ってよく透るんだな…。

 なあんて勝手に感心して、両手のひらで温泉のお湯を顔にぽちゃりとやってみて。
 温泉につかり疲れてややダルモードに入ったら、狩野川沿いにある「湯道」をぼちぼち気まぐれに散策したり…。
 ええ、湯ケ島の狩野川沿いには、板の敷かれた「湯道」っていう小路が、蜘蛛の巣みたいにいーっぱい張り巡らされているんです。
 緑とオゾンの香りが眼の玉の奥までじんわり浸透してくる、この「湯道」のあてどない散策が、イーダちゃんは最近とても気に入ってるんです。
 もー たまらんのですよ、この湯治ング・タイムの素晴らしさときたら…(しばし恍惚として)
 で、この湯ケ島散策の拠点として、僕がいつも泊まる湯場がこちら---



          ◆ 源泉terme いづみ園
            〒410-3206 静岡県伊豆市湯ケ島2796
              (0558)85-2455

 左手の写真にも写っている大きな欅(けやき)の樹がシンボルになってる、超・いい湯場なんですよ、こちら。
 川端さんが滞在したことで有名になった有名になった、あの「湯本館」からはちょーっと離れてます。
 湯ケ島温泉宿のメインストリートとはやや離れた穴場に位置する、こちら「いづみ園」さんは、どちらかといえば立ち寄り湯として流行っている湯場なんですよ。
 箱根湯本でいえば、そうですねえ、あの「天山」さんや「一休」さんみたいな位置づけあたりかな?
 歴史ある旅館って佇まいじゃちっともないし、したがって料理なんかのもてなしもないわけ。

----ふーん、じゃあ、あんま興味もてないなあ…。

 なんて思っていまむこうを向きかけたあなた! そこのあなた、それはまだ読みが甘い、と僕はいいたい。
 だって、こちらの施設、サイコーなんですよ、お湯が---。
 二百枚温泉 湯ケ島31号 という独自の自家源泉をもつ、こちら「いづみ園」さんの内湯は、さっきもいったけどまさにゴールド…。
 もーねえ、ふるいつきたくなるような、綺麗で、すべらかな、たまんないお湯なんです。
 僕、まえにこちらのお湯に自前の酸素ボンベをゆったりゆったり引きながら通ってこられる、84才の地元のおじいさんとお話したことがあるんですが、このおじいさん、湯ケ島ではここがピカ一だよ、だって、自分の病気は、ここに通うようになって1年ほどでよくなったんだもの、と嬉しそうにいってられましたもん。
 ま、参考までに、その内湯のフォトをばここに挙げておきませう。

                 


 ちなに、にこちらの「いづみ園」さん、宿泊も可能です。
 ひとり一泊5千5百円なり---写真の高い部分に見えるのが宿泊棟。
 僕は大概、ここにきたときは泊まっちゃうなあ。
 ウグイスのさえずりを聴きながら、都会の喧騒を忘れ、狩野川のせせらぎをを聴きながら、まったりとここの極上湯に長いこと浸かり、湯浴みに疲れたたら上記写真の欅(けやき)の樹のしたの木のテーブルでお気に入りのミステリー(やや巻き舌で)を読む、なんていうのがイーダちゃんの「いづみ園」さんでのもっぱらの時間のすごしかたなんです。
 
 ええ、個人的にむかしっから湯ケ島は大好き---那須の北温泉とおなじくらい宿泊してるんじゃないのかな?

 ただ、個人的に大好きなその湯ケ島が、温泉地として現在進行形で栄えているか、というと、それは話がべつでありまして。
 ひとことでいって、さびれてます。
 超・閑散としてるっていうか---早い話、僕がここ泊まっても、この地でほかの観光客に巡りあうってこと、まずありませんもん。
 湯ケ島のメインストリート、ルート414沿いのお店は、その9割がシャッター街と化していますし、近くにあった湯ケ島小学校もも最近過疎から廃校になっちゃった。僕のお気に入りだったヤマハ音楽教室もいまはもうありません。ジモティーのためのお蕎麦屋さんとラーメン屋さん、それに、4、5件の雑貨屋さんに肉屋さん、あとは、名産品のわさび漬けを扱うお店が2件ほどあるばかり…。
 2年ほどまえまで立ち寄り湯を営業していた温泉会館も、いまじゃ営業しておりません。
 過疎化の極み。ルート414から湯ケ島温泉まで山道をくだっていくと、廃業した温泉宿がざくざく見つけられます。
 打ち捨てられた会社の保養所…。 
 ひとの住まなくなった、正面ガラスの割れた古びたアパート…。
 廃屋、そして、また廃屋---その窓から覗き見える、畳のむこうでひっくりかえったちゃぶ台…。
 湯浴びのあいまの気まぐれ散歩のとちゅうでこうした廃墟をいくつか見かけると、心なしか襟元のあたりがひんやりと肌寒くなってもきます。

----うーん、ひとの世の栄枯盛衰なんてはかないもんなんだなあ。

 でも、そうやっていくらかうつ向きがちになった心をむりにもちあげて、歩きながら改めてまわりを見まわしてみると、湯ケ島の自然はあいかわらず美しいんです。
 もー 廃屋のみすぼらしさなんて歯牙にもかけない、圧倒的な美しさ。
 鳥は鳴き、樹々の梢から梢へ風は渡り、狩野川のせせらぎは耳に心地よく響いてきます。
 それは、まるでこういっているかのようです。

----ニンゲンの営みの行きつ戻りつなんて知ったことか。俺たちは、ニンゲンたちがここにくる何千年もまえからこの悠久の流れを紡ぎつづけているんだぜ…。

 都会の喧騒からしばし隠遁し、街の掟を忘れ、こうした自然の野太い声なき声に耳を傾けるのは、イーダちゃんの温泉巡礼の際の大きな楽しみのひとつなんです…。


                 ×          ×           ×

 散歩ついでに寄ってみた温泉会館では、なぜか、小さなイタリアン・レストランのお店一軒だけがやっていました。
 聴けば、去年に営業をはじめたんだとか。
 えー こんな閑散としたとこで商売なんてやっていけるのかな? と思いつつ、ためしにイタリアン・ジェラートとコーヒーを注文してみます。
 で、ふと見ると、店のまえに古びたクラッシック・ギターが置いてある。
 何気にお店の女主人に聴くと、それ、お客さんにもらった中古のギターなんだとか。よかったらお客さん、弾いてみてくださいよ、というので、なぜだかこちらのお店のまえでギターを弾くことになりました。
 僕以外のほかのお客さんは、バス待ちのふたりばかり。
 イエスタデイとルパン三世とポール・サイモンの ANJI が受けましたね。
 なんちゅーかふしぎな展開---まさか湯ケ島で音楽やるハメになろうとは---けど、閑散とした湯ケ島の一角で、中古のギターをかき鳴らす感触は、うむ、あれは、まんざらわるくもなかったですねえ…。

        

 で、このあと、狩野川沿いの湯道をそぞろ歩きして、懐かしの「湯本館」さんまでちょっと足のばしてみたんですよ。
 お湯には入らなかったんですが、この「湯本館」さんのまえには雑貨屋さんがあって、そこで夜食のカップ麺を購入しました。
 そのとき、このお店のおばあさんとちょっとお話したんですが、これが収穫だった。

----あのー、そこの「湯本館」さんって、あの川端さんが滞在してたお宿じゃないですか。おばあさんは、川端さんとか御覧になったことはありますか?

----うーん、あたしはまったくないんだけど、うちのおばあさんはね、よく店の横手の水道で---ほら、うちの店のすぐ脇にあるでしょ?---あれで手を洗ってるところをよく見たっていってましたよ、たしか…。 

----へえ、あのちっちゃな水道でですか…?

----ええ、そこの水道で。あそこは当時からまったく変わってませんから。お客さんもよかったら、あそこで手を洗っていってくださいよ…。


        
        左写真:「湯本館」さん。玄関前の石畳が踊子が踊った場所。         右写真:「湯本館」前の雑貨屋さん。服も売ってました。

     

 それで、川端さんがかつて使ったというその水道で手を洗って、夕刻の道を宿までぽくぽく歩いて帰りました---狩野川のせせらぎを聴きながら。
 湯ケ島は、マジ、キュートな温泉地です。 
 超・推薦! メジャー温泉よりマイナー温泉に魅かれがちのつむじまがりの貴方、喧騒より静寂、盛夏より初秋、権力より反体制と、気持ちがやや世捨人チックに傾いている6月の貴方には、とても似合いの温泉地になるんじゃないのかな、とイーダちゃんはいまひそかに思っています…。(^.-y☆
                                                                   ---fin.

  
 

 
 


 
 
 

徒然その133☆温泉小唄☆

2013-03-14 23:13:53 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                    

 2007年の6月はじめ、人生と仕事の境目で迷子になった僕は、休暇をとり、東北放浪の旅にでかけた。
 旅の初日に訪れた宿が、岩手・一関にある「須川高原温泉」だった。
 服を脱いで、露天にでると、霧の向こうに巨大な岩がそびえ立っていた。
 ここの露天の名物にもなっている、「大日岩」だ。
 「うおっ!」と思った。のけぞるほど圧倒された。
 でも、PH2.2の野外の湯につかっているうち、その鬱陶しいほどの存在感が、逆にだんだん心地よくなってきた。
 なぜか、くつろげるのだ。
 迷子になってささくれだった心も、なにやら凪いでくる。
 やがて、僕は、巨大な「大日岩」の存在感にくるまれて、その庇護に甘えはじめている自分に気づいた。
 人間関係のささくれ傷や感情のもつれめが、ゆるゆるとほぐれて、荒々しい岩肌に吸収されていくようだ。
 そんな安易な甘えぶりは主義じゃなかったが、僕は、その流れにいつしか自然と身をまかせていた。
 そうするのが微妙に心地よかったからだ。
 すぐ頭上で岩ツバメが飛んでいる。番いになった二羽がくるくる飛んでいる。
 顎のあたりを楽にして、やや上をむき、「大日岩」をもう一度よく眺めてみる。
 そして、ふと思った---神サマっていうのも、ひょっとしたらこんなものなのかもしれないな、と。


                    

 岩手・南花巻温泉郷にある、豊沢川沿いの湯治宿「藤三旅館」は圧巻だった。
 なにしろ値段が安い---1泊して2000円以下という、その時代離れした値段設定にまずは驚く。
 それから建物。湯治部の古い学校校舎みたいな木造の建物を、スリッパであちこちパタパタと散策するのは愉しかった。
 連泊の湯治客であるじいさんばあさんとの、雑多な、とめどないお喋り。
 ほれ、あのひとはなんかはな、もう7年もここに暮らしていて、ちっとも離れやしないのサ…。
 懐かしい、セピア色のアジアンな香気が、宿中に、主のように色濃くたちこめている場所なのだ。
 ここの名物は、立ち湯で有名な「白猿の湯」である。
 昼間にも何度か入ってはいたが、たまたま夜中に目覚めたんでひとりで行ってみた。
 昼間の喧騒が嘘のようにひっそりと静まりかえった「白猿の湯」は、いささか怖かった。
 その湯浴みの終わり近く、ふと誰かの気配を感じてふりかえったら---
 そこに、そのとき、明確な視線を感じた。
 たあれもいない、奥行のある、深くて暗い浴場の濃密な空間が、僕の背中をじっと見ていた。 
 

                    

 栃木・那須高原にある名物宿、「北温泉」の歴史はなかなか古い。
 もともと、ここは修験道の地であって、修験者のための湯場であったのだ。
 あと、江戸、明治、昭和の3時代にわたって建て増しされた、迷路のように錯綜した、特徴的な木造建築。
 その一番奥手に作られている「天狗の湯」は、そうした「むかし」を色濃く残している貴重な湯だ。
 まず、ここには廊下と風呂場を隔てている、壁というものがない。
 着替処らしいスペースもどこにもない。
 二階の廊下の突きあたりに、すだれらしいものがかろうじてあり、その向こうがいきなり風呂という大雑把な作りになっている。
 湯治部屋を出てちょいと見たら、すっ裸の男性と男性自身がモロに見えた、なんていうのがごく当たり前の日常風景なのだ。
 この石作りの源泉風呂の浴場の壁には、大きな天狗の面が、いくつか掛けられている。
 それから、多くのの願い事の記された絵馬が、その天狗の面を飾るように、無数に吊りさげられている。
 湯浴みしながら、長い時間をかけて、それらの願い事に目を通すのが、宿泊の際の僕のひそかな愉しみだ。
 見知らぬひとの書いた見知らぬ願い事は、ときとして僕をおののかせもするし、ときにはほっと安堵させたりもする。
 深刻な願い事を読んだあとの、うつむき加減の、押し黙った心での長い入浴---。
 願いの成就を記した絵馬を読んだあとの、喜びに満ちた、凛と背筋の反りかえった入浴---。
 どちらの入浴も忘れられない。
 忘れられないからこそ、僕は、またしても「天狗の湯」の湯けむりを夢見て、今夜も北温泉行きの架空のクルマのハンドルを握るのだ。


                    

 九州・大分県の別府は、僕の聖地だ。
 とりわけ紺屋地獄に位置している、世界一の泥湯「別府温泉保養ランド」は、僕にとってのエルドラドである。
 神道的ニュアンスであえていうなら、それこそ伊勢神宮のような湯、とでもいうべきだろうか。
 ここの施設は、もう何から何までスペシャルなのだ。
 施設自体はボロい、建物の趣味もわるいし、はっきりいって飯もまずい。
 しかし、温泉は---! 
 超・極上としかいいようがない、と思う。
 コロイド湯の着替処の棚で服を脱いで、地下の薄暗い泥湯地帯を通過していくとふいに風景がひらけて、
 ほーら、上空までカコーンと突き抜けた青空と、広大な泥湯天国とのお出迎えだ!
 ここの湯には、湯船なんていうチャチい文明の枠組はまったくない。
 生まれたままのお湯が、何百年もかけて地下から自然に溢れでてきて、それがたまたま泥湯の池になった。
 そんな自然湧出の温泉の貴重な池だまりを、そのまま温泉として、贅沢にも一般開放してくれているのである。
 つまり、ここは、ある意味、温泉の理想形というのを体現してしまった存在なのだ。
 僕は、ここの泥湯につかれば、浮き世のことなどまったく忘れてしまう。
 というか、そんな下賎なことなんてどうでもよくなってくるのだ、ここの高貴な、硫黄の香りのする、暖かい泥湯にじっと浸かっていると。
 ここの泥湯の底は天然の泥床だから、歩いていると自重で足が埋まる。
 あるときは左足だけ深く埋まりすぎ、ついついのけぞって豊満な乳房を思いきり公開してしまう女性客がいたり(ここは混浴なのである)、
 また、あるときは尻をつけた湯船からいきなり熱湯が湧きだしてきて、小さな悲鳴とともにお湯から急激な発作的ジャンプを試みる男性がいたりする。
 そして、そんなすべての滑稽な光景が、限りなく美しく見えたりもする稀有な仙境が、ここなのだ。
 天気のいいときには、泥湯の表面の鏡に、移動する雲の動きがそのまま綺麗に映りこみ、時間を忘れ、
 そのふしぎな別世界の動向に長時間気持ちを刈りとられたままだったりもする。
 どこかの空でヒヨヒヨと鳥が鳴いている。
 それでようやくこちら世界のことを思いだして、泥湯の鏡から目をあげると、右方のさきには明礬大橋、それから左手に、扇山と由布岳とが眺められる。
 僕は、2007年の3月とその翌年の3月19日とにここを訪れた。
 とりわけ3月の20日の早朝には泊り客の特権で、この貴重な世界的な泥湯を、たったひとりで独占できるという僥倖に恵まれた。
 上にあげた写真はそのときのものである---。
                                                                ----fin.
 
 
 

                    
 
 

                  
 
      

徒然その129☆塩原雪紀行--最愛の「岩の湯」を訪ねて--☆

2013-02-06 23:53:02 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                    


 2013年の1月27日、ひさびさにレンタカーを借りて北のほうにいってきました。
 僕のブログに何度か訪れてくれた方はご承知でせうが、イーダちゃんは2011年5月の福島の温泉行のとちゅうに愛車の全損事故をやってしまい、以来ずーっとクルマ抜きの足なし状態だったんでありまして。
 いまもまだ、いろんな理由から新車は購入していないんですよ。
 クルマがないとなると行ける温泉も結構限られちゃうんですが、ま、電車乗り継いでいけばいいや、とか自分的には思っていたんですね。
 で、近場の熱海とか伊東とか箱根、たまーに新潟とかにも足を伸ばしたりしてたんです。
 それでいい---充分じゃないか、と思っていたんですけど。
 ところが2013年になったら、なぜか急に、その状態に耐えられなくなった。
 なにがなんでも遠くの温泉---特に北のほう!---に行きたくてもうたまんない。
 理窟じゃなくて、心も身体も漂泊の風に煽られて、ぶるぶるとむずがる感じなの。

----ああ、舞い踊る雪つぶてを見上げながら、きんと冷えた空気のなか、極上の北の露天にたっぷりと浸かりたい!

 それは、麻薬の禁断症状に近いもんだったかもしれない (^o-)w
 というわけで温泉好きのやむにやまれぬ頑強な生理に誘われて、イーダちゃんはスタッドレス付きのレンタカーを都合して、27日、那須高原にある最愛の宿「北温泉」さんに予約を入れていたんですね。
(ちなみに「北温泉」さんについては、僕のブログの前記事・徒然その44☆北温泉逗留物語☆を参照下さい)
 ほどよく冷えた山の夜、心ゆくまで修験道の湯である「天狗の湯」に浸かり、湯冷ましのあいまあいまに、あの「天狗の湯」脇の石段の上の温泉神社にちょいちょい上り、真摯な祈りを捧げよう、なーんて風にひそかに楽しみにしていたりしたんです。
 ところがなんと、その前日の26日、とてつもない大雪が関東全般に降ってきたじゃありませんか!
 ええ、この夜、関東は、前例のないくらいの超・爆弾低気圧に、ずもーっと覆われてしまったのでありました。
 
----ああ、僕の神聖な夢も、これでかなわなくなっちゃうのだろうか?

 と子供みたく不安になって、なかなか寝つけませんでした…。

 さて、翌朝の27日、目覚めてみると、横浜は天頂までカコーンと晴れ抜けた、極上日和ではないですか。
 やったー、と思いましたが、神奈川と栃木とじゃ、そもそもの気候からちがいます。
 まして、那須高原は、栃木の山奥とくる、これは、かえって大雪が降った印なんじゃないか、なんて感じられてもきます。
 ま、ものはためし、クルマが東北自動車道に乗ったところで、北温泉さんに確認の電話を入れてみます。
 しかし、何度かけても応答がないんです---20回、30回、コール音がむなしく鳴るばかり---お宿のひとはだーれも出ない。
 途中のSAで何度かかけているうちに、やっとどうにか繋がったんですが、その宿のひとのいうことにゃ、

----お客さん? ああ、わるいけど今日はダメですよぅ…。昨晩、那須じゃもの凄い量の雪が降りましてねえ、特にウチのある湯本からさきの山はもー メチャクチャ…。塩原とかはそんな降らなかったみたいなんだけど、那須はねえ、もっと山寄りだから。スタッドレスにチェーン巻いててもキツイですね。今日はこれないよ。だから、お客さんも今日は誰もいないんですよ…。

 ガーン! しかしまあ、これじゃあしようがないっスねえ…。

 というわけで那須のふたつまえのインターで急遽途中下車して、懐かしい那須塩原に向かうことにしました。
 塩原は、那須高原にくらべるとまだ南で、とはいうもののインター下車後も結構山を登ったところに位置していますから、雪の状態はやっぱり心配です。何気に料金所のおじさんに聴いてみたりして安否確認。すると、奥塩原や塩原元湯以外は午後なら大丈夫じゃないかというんで、ま、その後の塩原行きを続行したって次第。
 塩原はね、でも、やっぱ、雪、それなりに積もってました。
 道路はクルマのタイウ跡と除雪車の作業の甲斐もあって、一応通行できるようになってはいましたが、ひとの行かない観光案内の施設とか---この日は日曜のせいか、ほとんどすべての観光案内施設がお休みでした!---は、もう完璧雪国でしたね。
 雪道運転に自信のないイーダちゃんからすれば、白い領域に入っていくことすら恐ろしい。
 (注:イーダちゃんは、かつて11月の八甲田山で、愛車の全損事故を経験したことがあるのです!)
 だもんで、行きたかった奥塩原は早々に断念し、塩原温泉福渡区にある共同湯「岩の湯」さんに入っていくことにしました。
 塩原の共同湯「岩の湯」は、塩原を貫いて流れる箒川沿いに作られている、ジモティーのための素朴な共同湯で、なんと、足元湧出のすンばらしい湯っこなのであります。
 イーダちゃんの「全国の温泉ベスト20」のなかに食いこんでくること確実の、もー 超・大関級のドッシリ実力派。
 そして、なおさら人間味溢れていることに、ここ、混浴なんっスよ。
 改めていうまでもないことかもしれないけど、僕、混浴大好きっしょ?
 というのも混浴温泉はほとんどの場合、名湯ですから。まんず例外はないですね。足元湧出の湯っこは、もともとそんなにベラボーな湯量じゃないところが多く、そのお湯のたまる場所は自然男女混浴の湯として発展していった、というのが、まあ、混浴の歴史的なあらましなんであって。それに、もともと温泉って自然の恵みなんですから、男女差の区別なんてツマラナイ垣根なんかどこにもないんです。
 そんなものを後生大事にしてるのは、都会の、汚れた人間風情ばっかりでね。
 ほんとの極上温泉では、そんな下らない性差なんて全然ないんスよ。僕は、ここのお湯にはもう数えきれないほど入ってるんだけど、女性の方と混浴したことも何度かありました。一度は掛け湯のために洗面器をお借りしたりしてね、それをきっかけにずいぶん長話したりして…うーん、いい湯あみの記憶しか残っていないような、ここ、僕的にはとびっきりの温泉なんですよ。
 ただ、この日は、あまりの雪のせいか、箒川上の道路脇に駐車してるクルマ、ありませんでしたね。
 いつもだったら日曜の午どきなんていったら、それこそ5、6台の路肩駐車はあたりまえの人気の湯っこなんですけど。
 やっぱり、そのへんんは突然の雪の影響らしかったです。
 さて、クルマを降りると、おお、襟元がぎゅっと寒ッ。
 道路に降ろした足首がいきなり雪の層にズボッと埋もれます---でも、不快じゃない---なにせ、これから極上湯に向かう高揚の途中なんですから。
 箒川沿いの雪の石段を用心しいしい降りて、川沿いの遊歩道をこれまた用心しつつトコトコ歩いて---ああ、見えてきた、見えてきた---超・懐かしいったら---!


            

 橋を渡って、左写真の金属筒のなかに入浴料の200円を入れて、積もった雪に足をとられないよう注意しいしい行くと、おお、お湯には初老の男性さんがひとり先客でいらっしゃいました。

----こんにちはーっ、地元の方ですかあ…!?

 と挨拶しつつ雑談を少々すると、その方、地元の、クルマで15分ほどのとこからこられた方だとおっしゃってました。
 どうした弾みか、僕、その方に洗面器をお借りして、それで掛け湯して、さあ、ひさびさの「岩の湯」に足首からぽちゃりといくと、

----ぷ・は-っ!

 もー 歓喜の溜息がつい唇から漏れでちゃいましたっけ。
 抑えきれないよー、超・いいお湯なんですもん。
 ふっと見上げた背中側は崖になってて、雪がいっぱい積もってる。 
 で、反対の正面サイドは、真冬の箒川の清流が滔々と流れてるわけでしょ!
 冷えた手足が湯のなかでじわーっとぬくもってきて、手の指先が一時ちょっと痺れたようになって、それをお湯のなかでひらひらとほぐすように泳がせて、それから、両掌でお湯をすくっておもむろに顔に掛けてみると、
 ぽちゃり---。
 ああ、すると、なんともいえない硫黄のかすかな香りが、顔いっぱいに、超・ビミョーに散り広がるのです。
 さっきもいったように「岩の湯」は野湯でして、必然的にいろんな葉っぱや小枝が湯のなかに入っていて、特に足元なんかは天然の砂地で、そこから源泉のぶくぶくが直接湧いてきてるわけですから、お湯のなかは厳密にいうと、足元から舞いあがった砂粒やら葉っぱのかけらなんかで結構いっぱいになっているんですね。
 顔にお湯をぽちゃりとかけると、天然のお湯といっしょに、それらの砂粒や葉屑も顔にかかってきてしまうので、稀には汚いとかいうひともいるんですけど、イーダちゃんにはそーゆーの分かりませんでしたねえ。
 というか、葉屑も砂粒も、僕にいわせれば「岩の湯」の一部なんですから。
 うん、湯のなかの砂粒も葉屑も、それから目の前の箒川の雄大な眺めも、さらには川向こうからこっちにぴゅーっと飛んでくるこの雪つぶても、みーんなこの「岩の湯」の一部なの。
 これを味わえずしてなんの温泉好きよ、と僕はいいたい。
 けれども、まあ、そんな理窟はこの際どうでもいいや、マジ、ここ、気持ちいいんだもん。
 きて、よかったなあ、としみじみ思っちゃう。
 箱根のお湯もいいけど、やっぱり僕のフェバリアットは東北ですねえ。
 お湯に浸かっていて身体がホットなのに、お湯から上の首と頬は超・ひんやりってのもまた格別の味わいなり。
 贅沢だなあ、と思い、湯のなかで思いきり伸びをしてみたり。
 すると、お尻の軟部あたりになにやらぶくぶくっと、中央写真のようなあったかい温泉あぶくがご到来。
 これがねえ、真冬の湯あみでは春や夏の湯あみとは別モンみたいに、ぷくぷくと、極・気持ちいいんですよ。 
 
----うほーっ…、うわーっ…!

 なんていってひとりではしゃいでいると、ただのイカレ親父みたいなんですけど、僕は、どうにもはしゃいじゃったなあ。
 ええ、この午後の「岩の湯」での湯浴みって、それっくらいサイコーだったんっスよ…。(^o^;>


                            
 

                      ×           ×           ×

 しかしねえ、宿探しの見地からいえば、この日はややアンラッキーだったかもしれません。
 お湯からあがって携帯で聴いてみると、お湯のなかのジモティーさんが杞憂してくれていた通り、ああ、塩原元湯の贔屓の「ゑびすや」さんはあまりの雪のため到着不可能だとか!
 それならと気を取りなおして、イーダちゃんの定宿のひとつ「八峰苑」さんに問うてみると、なんと、あの「八峰苑」さんはつい先日営業を取りやめてしまったばかりとか。これは、ショック! 家族ぐるみでやっていた、お風呂も雰囲気も値段も手頃で良質の、あんなにいいお宿だったのに…。
 ずっと下のほうに降りていって、やっと開いていた観光案内所で尋ねてもみたんですが、何度か泊まった「塩原山荘」さんは予約でいっぱい、1泊したことのある塩原上湯の「湯荘白樺」さんは料金の都合でこちらから断らせてもらったんで、うーん、しゃあない、じゃ、今日のとこは塩原はいいかって感じで、わりと諦めもよく、その午後、イーダちゃんはスパッと塩原をあとにしたのでありました。
 その後、郡山までたまたま私用がありまして、その日は、夕遅くまでまあドライヴに時間を取られちゃったんですね。
 用事が済んで、雪の郡山から引きかえしてくると、那須はもう日暮れがはじまっていました。
 おなじ塩原に取ってかえすのも芸がないんで、今度は那須インターで降り、那須湯本を目指してみます。
 郡山で凄まじい雪道路を経験してましたんで注意しいしいいくと、ああ、やっぱり、このへんの那須は山のせいか雪が凄いの。塩原の上のほうより、ひょっとして積もっていたかも。前のめりにエンブレ効かしながら慎重に運転して、なんとか湯本に到着してみると、湯本…なんか、廃墟みたいでした。
 開いてる店がひとつもないの。
 雪のなか、どの家も窓を閉ざしてシーンと静まってる。
 人気もクルマもありません---観光客も絶無---超淋しい夜の入りなんです。
 せめていいお湯に入りたくて、あの名湯「鹿の湯」さんを訪ねてみたら、なんと、「鹿の湯」さんも営業しておられない!
 ガーン、ショック! 宿、どうしよう?
 と、通りごと全部閉まっているような旅館通りの道すがら、どうにか開いていた地元の酒屋さんが一軒ありましたので、そちらで宿のことを問いあわせてみることにしました。
 そしたら、どうにか素泊まりのお宿を紹介してもらうことができまして。

     那須高原「旅人宿カントリーコネクション」0287-76-6881

 なんでも、ここ、旅のライダーのための宿ということで、1泊3000円とか。
 うぐっ、安ッ---!
 ただ、うちには温泉ないですよ、それに、ユースみたいな相部屋だけど、それでもいいですか? というんですが、なに、こっちに異存のあろうはずがありません、喜んでお邪魔してみることにしました。
 場所は、こちら、那須サファリパークのすぐ近くの、結構大きな、一見山小屋みたいなログハウスです。
 夜の底の、深い森の奥の雪のなかに、しーんと建ってられました。
 入っていったら息子さんを抱っこしたご主人が歓迎にきてくれて、なんか、お風呂なんか入れてくださって。
 すげー アットホームなお宿なの。
 雪のドライヴをしてきたあとですから、そのような親切が身を切るようになおさら染みて、ちょっと嬉しかったですね。
 で、ご主人とちょっとお話ししてたら、なんだか、そのご主人が只者じゃないっていうのが、だんだん分かってきたの。
 自分からはおっしゃらないんですよ、謙虚な方ですから。でも、いろんな状況証拠から尋ねていくと、やっぱり、そこのご主人、有名なモトクロス選手だった方なんです。
 ホンダとヤマハのチームにおられた方で、ヨーロッパ、アメリカなんかも転戦してたっていう、凄いひと。
 こりゃあ面白い、僕だってそっちの世界にはいささか興味があるし、手応えのある話を聞かなくちゃ、と尋ねる目線にも自然と力がこもります。
 で、美味しいコーヒーをいただきながら、さまざまなモトクロスのお話を聴くことができたんですが、そのなかでも特に印象に残ったことを、せっかくですからいくつかここに挙げておきませうか---。

 1.モトクロスの練習は4、5才からはじめるのが理想。(このへん、ヴァイオリンなんかと共通しますねえ。超実力・才能の世界だってこと。実際、このご主人の息子さんは、まだ4才だけど、自宅の庭で子供用のバイクにもう乗っているそうです)

 2.驚いたのが練習の質。モトクロスのバイク(125cc)はガスが7リッター入るそうなんですが、それが1日で平均3回は空になるっていうんですから。どういう追いこみか。これは凄いよね! さらに練習後のバイクの掃除に整備、そんなかんやで気づいてみたら夜の11時なんていうのが、あたりまえの日常なんだとか。早朝に起きて、怪我の恐れがあるアブナイ練習をめいっいぱいやって、さらに整備やら練習の復習やらいろいろやって…プロの世界は厳しいもんだなあ、と思いましたね。

 3.さらにビックリこいたのは、技術の繊細さ。モトクロスのシーンでよくバイクがばーんとジャンプしたりするの、あるじゃないですか。ご主人にいわせると、あのジャンプのときがライダーはいちばん忙しいっていうんです。僕的にいったら、わあ、気持ちよさそー、てなもんなんですけど、実像は全然ちがうらしい。素人さんはあの滑空の瞬間、アクセル全開のまま翔ぶそうなんですけど、プロはちがうっていう。ジャンプの瞬間、アクセルは全閉にするそうなんです。そうしないと、空中でバイクがジャックナイフ形にのけぞっちゃうっていうの。そうすると、遅くなるんですって! さらには空中でブレーキをかけてタイヤの回転をとめることによって、実に微妙にバイクの傾斜が変わるらしのです。で、着地の瞬間、後の走りのことをいろいろと計算しながら、空中のバイクの姿勢をしきりと「より早く走れる着地状態」にもっていけるように操作するっていうんだから、もー あまりの彼岸の超絶話にイーダちゃんは絶句です。

----いやー、空中で飛んでるときって、忙しいんですよ。あれに比べりゃ、がたごとしたコースを走っているときのほうが、なんも考えないでいられるぶん、ずっと楽ですね…。

 と、ご主人は愉しげに笑ってみせて…。
 あの笑い、カッコよかったなあ---。
 というわけで、ひとり旅好きなライダー諸君には、是非にも紹介したいなあ、と思って記事に挙げてみた次第。
 お勧めですよー 那須湯本の「カントリーコネクション」!---そうだ、写真も1点ばかし挙げておきませうね。


                        

 いずれにしても那須、温泉には泊まれなかったけど、予定もぜんぜん変わっちゃったけど、味わい深きよきところです。
 翌朝早く、またしてもイーダちゃんは塩原の福渡地区にいき、最愛の「岩の湯」で2度目の湯浴みをほっこりとたしなみ、それから世知辛い首都圏への帰還をようよう果たしたのでありました…。(^o^;>

                       

徒然その123☆伊東のお風呂でシャバドゥビドゥー☆

2012-11-18 12:19:51 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                          


 先日、ひさびさ伊東温泉にいってきました。
 静岡県の伊東温泉---こちら、伊豆半島にあまたある温泉地のなかでの超トップ、あの大・熱海と覇を競うほどの規模の温泉地なんです。
 あの伝説の家康公がやたら熱海贔屓のひとで、熱海の湯をずいぶんと重用したもんだから、その歴史的影響力なんかもあいまって、どうしても熱海の風下に入っちゃうきらいがあるんですけど、実をいうとこの伊東温泉、お湯の湧出量では、なんとあの大・熱海を凌駕していたりもするんですね。
 数字にすると750越え、毎分3万3000リットルの実力派なんだってば。
 ほんの5里北のところにいるライバルの熱海が、先述したように家康に取りあげられたり、さらには「金色夜叉」の舞台になったり、昭和のころには「東の熱海か西の別府か」といわれるほどの大歓楽街として栄えた時期なんかがあったりもしたんで、どうしても熱海の弟分的に評価されがちな伊東温泉---しかし、僕的には、この伊東温泉、非常に好きなんだよなあ。
 ひょっとしたら、熱海より好きかもわかんない。
 伊東のどこがそんなに好きか?
 なんちゅーか、第一には、佇まいですかねえ…。
 駅からでて、たとえば熱海なんかだと、町全体のオーラが金色っていうか、「温泉街」っていうムードにぎらついているんですよ。旅館の看板がいっぱいあって、土産物屋さんがばーっと軒をならべてて。
 ま、伊東だって温泉地だからそのへんの諸事情はいっしょなんですが、どういうわけか伊東の「それ」は、熱海にくらべて地味で控えめに感じられるんです。
 だから、駅をでて、ぱっと見の「観光地ギラギラ色」がない。
 強いて色に喩えるなら、改札を抜けた伊東の町の第一印象は「いぶし銀」でせうか。
 右手方面には山、対する左手東側には海までつづく下りの道がすーっと伸びていて…。

----いらっしゃい。ただ、我々、ここでフツーに生活もしてますんで、観光客の方は、まあまああまりハメをはずさず、それなりに私らの自慢の温泉を楽しんでいってくれれば幸いです…。

 みたいな慎み深い、一種奥ゆかしげな感性を、僕はなんとなく感じるの。
 熱海はちがう---熱海はさ、

----はいはいはい、いらっしゃい、こちら熱海ですよ、歓楽街ですよー。湯も料理も超一流の粒ぞろい、なにせ年季がちがいます、平安時代からの由緒ある温泉地ですからね、ぽっと出の温泉地とはキャリアがちがう、奥行がちがう、ま、ま、楽しんでいってください。そして、それなりにお金も落としていってくだいな。さあさ、存分に、存分に~!

 みたいなスーパー歌舞伎の前口上めいたド派手なイメージがちょっとある。
 観光地色が濃すぎてほとんど芸能界的ノリまで突っこんじゃった部分があるというか、あるいは、あまりにもプロずれしすぎた、ねとねとっとした空気感があるっちゅーか…。
 そこいくと伊東は、まだアマチュアリズムが健在な町なんですわ。
 「なにをさておいても観光!」といった崩れ芸者みたいな熱海とちがって、このいくぶん常識人じみた伊東の立ち位置には、なにやら心なごむものを感じます。
 さて、そのような落ちついた風情の伊東温泉の特色として、温泉宿が市の一箇所にとどまっていず、大きな温泉街というのが形成されていないといった点が挙げられるかと思います。伊東が熱海みたく「温泉、温泉」したイメージが少ないのは、ひょっとしてそのせいかもしれません。ただ、温泉の源泉というのは市のあちこちから湧出しているわけでありまして、そういった場所にそれぞれジモティーのための共同湯ができているんです。
 うん、これが、伊東温泉の第二の特徴かもしれないな。
 つまり、伊東ってのは、もともと共同湯が強いタイプの温泉地なんですよ。
 僕がそういうと、えっ、そりゃあおかしい、熱海にだっていくつかはまだ共同湯はあるじゃないか、という反論が出てくるかもしれません。
 それはその通りなんですよ、熱海にもまだ健在な共同湯はたしかにある、しかしながら熱海においては、共同湯を観光客にそれほど売りこもうという姿勢は見られないんですよ。メインはあくまで旅館でありホテルなの。あるいは、地元の商店街。共同湯は、ネットや本なんかであらかじめ調べとかないと、行くことはちょっと難しいんです。
 そこいくと伊東では、共同湯の湯めぐり地図なんていうのが、フツーに駅前の観光案内所なんかに置いてある。
 ええ、そんな諸事情から察しまして、僕は、全体的に共同湯にかける比重っていうのが、伊東は熱海より大きいんじゃないか、と、まあ思うにいたったわけなんですよ。
 共同湯っていうのは、町でやっている、ジモティーのための温泉銭湯ってこと。
 ええ、本来の意義はあくまでジモティーのための施設ってスタンスなんだけど、それをあえて観光客のためにも門戸開放していますよー、というのが、こうした温泉地の共同湯の基本戦略なんじゃないのかな。
 大分の別府温泉、長野の渋・湯田中温泉、栃木の塩原温泉、それに群馬の草津・四万温泉なんかのメジャーどころが、皆、このタイプですね。
 今回の旅では共同湯にはあまり入りませんでしたが、僕は、この手の共同湯はヒジョーに好きでして---ちなみにそれらの湯浴みの記録は nifty温泉のイーダちゃんのページに記載してありますので、興味がおありのお方はどうぞ!---伊東の共同湯のほとんどは、たぶん制覇してるんじゃないかなあ。
 というわけで今回イーダちゃんが目指したのは、共同湯じゃなくて、旅館やホテルのお湯なのでありました。
 ひとつめに訪れたのは、伊東駅から徒歩10分ばかりの末広町にある「伊東陽気館」さん---こちら、2007年の2月2日以来、なんと5年ぶりの再訪なのでありました。
 こちら、景観のいい高台に、伊東にしちゃあ珍しい混浴の名物露天がありまして、そこの絶景露天には、なんと宿に据えつけのケーブルカーでもって登っていくんです。 



       


 ごとごととケーブルカーにゆられて露天に向かうのは、独特の味わいがあり、なんか童心に帰ったようにちょっとわくわくしてきちゃいます。
 で、ひさびさ、こちらの露天にお邪魔したんですけど、伊東市街を見下ろせる、こちらの混浴露天---注:といっても僕は平日の昼にここにきたことしかないので、ここで異性のお客と巡りあわせたことは実はまだないのでR---は、あいかわらずよかったあ…。
 こちらのお宿のすぐ下手のところにも掛け流しのお湯が売りの宿があるんですけど、そこの源泉とはたしかにお湯の感じがちがってるの、「陽気館」のこちらのお湯は、湯のなかに金属的な苦味めいたものが、ほんのり感じられるのです。
 湯温は、ややぬるめってとこですか。
 伊東の市街地のパノラマを見下ろしながら、露天のなかでそれまで縮こまっていた気味のある手足を「うーん」と思いきり伸ばしきり、その極上のお湯を両手ですくって顔にぱしゃりとやれば、世知辛い浮世は、たちまちのうちに即席の極楽浄土に早変わり----。 
 きて、よかったーっ!
 あと、こちらの露天脇には、結構大きなフェニックスの樹があるんです。
 フェニックス=不死鳥。
 そういえば5年前にここを訪れたときは、イーダちゃんは、まだ前の職場で栄転したばかりのころでした。
 その後、紆余曲折があり、左遷やら退職やらね---それから、蘇生のための北海道旅行やらを経て、いまの新しい仕事に就いたわけなんですけど、こちらのお湯に浸かりながらフェニックスの樹をぽーっと見上げていましたら、通りすぎたはずのそれらの過去が、湯けむりのあいだから走馬灯のようにおもむろに蘇ってまいりまして、なんだか僕は感無量でしたねえ…。


       


 そして、この日僕が宿をとったのは、この「陽気館」さんのすぐ下手にある、おなじ末広町の「お風呂好きの宿 大東館」さんなのでありました。
 「大東館」さんは、以前、立ち寄り湯にいったことはあったのですが、泊まったことはまだなかったんです。
 いつも伊東に泊まるときは、駅前のビジネスホテルに泊まるのが定番だったのですが、今回はまあ趣向を変えて。
 そしたら、この気まぐれ大正解でした---うん、「大東館」さん、ものごっつうよかったの!(^o^)/
 部屋が清潔でとっても広くて---イーダちゃんはいつも値段の安さだけで宿をとるので、この部屋の広さは新鮮でした---あと、朝食のバイキングがついての料金6000円は、正直、安ッ。
 それに、肝心要のお風呂が充実してること---フツーの大浴場でしょ? (京の湯と流れ湯の2種類あり)あと、貸切の露天がひとつに寝湯がひとつ、それに名物の「五右衛門風呂」なんていうのまである。
 お風呂好きのイーダちゃんとしては、これはおのずから頬がゆるむってなもんじゃないですか。


       


 左上が「お風呂好きの宿 大東館」さんの全景ね---右上は、「五右衛門風呂」ではしゃぐMe (ここの五右衛門風呂、マジでいいのよぅ)---。
 こちらの「五右衛門風呂」、戦時中につくられた防空壕のなかにあるんですよ。これが、思っていたよりはるかに大規模な、超でっかい防空壕なの。空気も凄いひんやりしててね、霊でもいるのでは、と写真も撮ったのですが、残念ながらオーヴの類いは映りませんでした。


         


 てなわけで大変のんびりほっこりとできたイーダちゃんなのですが、最後に残念なお知らせがひとつ---それは、イーダちゃんが愛する伊東の共同湯、この大東館の隣りにある、末広町の「小川布袋の湯」が、2012年10月いっぱいで閉鎖されるというものでした。
 4年前の熱海の共同湯「渚浴場」、それに、おなじ熱海の、神社の境内のなかにあった、あのなんとも味わい深い「上新宿共同浴場」の最近の閉鎖もけっこうショックでしたけど、今回の共同湯王国・伊東でのこの「小川布袋の湯」の閉鎖予告には、僕は、それ以上のショックを受けました。

----ええっ、マジ!? マジかよーっ…。

 と僕、絶句しちゃいましたもん---。                                               

         


 万物流転、栄枯盛衰、驕れる平家は久しからず---。
 そのような理屈は、そりゃあ分かったつもりじゃいるんですけど、こちらのお湯につかり、ジモティーのお年寄り連とお喋りした過去なんかがついつい思いだされ、肩のあたりがこう、しゅーっと尻つぼみに淋しくなっちゃった。                                                   
 最後に、僕の訪れた秀逸なふたつのお宿の情報をここに記して、この記事を締めたいと思うんですけど。

    ◆伊東陽気館 静岡県伊東市末広町2-24 0557-37-3101 http://www.yokikan.co.jp
    ◆伊東温泉 大東館 静岡県伊東市末広町2-23 0557-37-5166 http://www.daitokan.jp

 伊東はいいっスよー。
 ことに、肌寒くなった今頃の時節の伊東は、さらによし。
 僕も仕事が一区切りついたら、再訪してまったりしたいなあ、なーんて風にいま思ったりしています…。(^.^;>
                              
      


     


     


      


     


      


       
 

徒然その117☆IN 箱根・かっぱ天国遊覧記☆

2012-09-10 14:00:00 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                                


 Hello、全国の温泉ファンの皆さん、暑いっスね!
 最近、ブログの初心を忘れ、厄介な政治問題に走ったり、わけの分からんエアガン熱に走ったりで、本来の「温泉道」からいささか脇道に道草しすぎのきらいのある、不肖イーダちゃんです。
 ですけど、あのー 僕は、ここに書かないでいても、あいかわらず根っからの温泉フリークなのでありまして、そのへんの素の下地はまったく変わっちゃおらんのですよ。
 ただ、ときどき、ブログにUPするのがメンドいときがあって、そーいった不精がたまりにたまって現在に至ってしまったという、そのような不届きな理由でもって、ちょっとばかしご無沙汰になってしまったという次第。
 ですから、ご心配なくー、温泉は、僕、あいかわらず、ちまちまとマメにいってますよー!(^o^)/
 熱海に、伊豆湯ケ島に、湯河原に---ねえ?
 今回は、ちょい過去になりますけど、GW近辺に訪れた、箱根行の全貌であります。
 題して、「IN 箱根・かっぱ天国遊覧記」---興味ある方は、いざ、来たれい、と思いっきり門戸開放しちゃいまーす☆彡
 (舞台袖でペロンペロンと鈴が鳴る)

 初夏のその某日、イーダちゃんは夜勤明けでありまして、かなりまいっておりました。
 帰りの電車では、とちゅう何度も落ちそうになって、そのたびに気を引きしめて、かろうじて帰ってこれたくらい眠かったんです。
 帰ったら冷えたビールをきゅっとやって、すぐにベッドに雪崩れこもうと思ってた。
 なのに、どうしたことか、帰ってエアガンを撃っていたら、唐突に温泉に行きたくなったんですね。
 うん、そういえば、最近これっていう温泉にいってないもんなあ。
 あらためてそう思ったら、矢も縦もたまんなくなってきた。
 温泉ジャンキーの血がざわざわと騒ぎだし候---髭剃って、新しいTシャツに袖をぱっと通すと、イーダちゃんは、すでにもう電車に乗りこんでいたのでありました。
 一路、箱根へ!---
 箱根のナンバーワン温泉といえば、nifty温泉さんのクチコミページでしつこくいっていたように---僕は、イーダちゃんの名でnifty温泉さんにクチコミページをもっているのです、興味ある方は御覧あれ---姥子温泉の「秀明館」以外はないのですが、残念ながらあそこは泊まりがが不可なので、今回は泊まりができる温泉ということで、箱根湯本駅から徒歩3分の近郊の山にある施設、箱根湯本温泉「かっぱ天国」さんを選択しました。
 こちらは、熱海の「福島屋旅館」さん、那須の「北温泉」さんなどと並んで、イーダちゃん御用達、もっぱらのとこ最愛のお宿なんでありました---。(^o^)/
 ところで皆さん、箱根湯本温泉「かっぱ天国」ってご存知?
 こちら、箱根湯本の駅から、もう、すぐ見えるんですよ。列車降りて、進行方向に沿って、そのまま右手方面をちょっと見上げてもらえたら、さあさ、そこが自家源泉掛け流しの宿「かっぱ天国」なのだ!
 ま、まずは全景を見てもらいませうか---エッヘン(と何故か威張る)---。 





 左手・上のフォトは、箱根湯本駅から眺めた「かっぱ天国」さん---
 で、右手・上は、僕の借りた部屋「明神の間」から眺めおろした湯本駅の様子ね。
 左上写真の下の、のぼりのはためいてる坂を上がっていくと、ページ冒頭のフォトにいきつき、さらにそこから超・長の石段ロードをトコトコ制覇すれば、「かっぱ天国」さんのロビーに到着するという次第---。
 結構あちこち老朽化してますけどね、いいお宿ですよ---特にここ、風呂がよいの。
 あと、こちら、お値段が安いのも魅力。おひとりさま、素泊まりで5,400円くらいじゃなかったかな?
 その安さのせいで、最近、こちら、外人バックパッカーご推奨のお宿となりつつあり、外国のお客さんと一緒にバスする確率がとっても高いんです。
 僕もぜんぜん言葉の分かんないスパニッシュの親父さんなんかと、言葉の分からないなりの長風呂談義をやったことありますね。
 うん、じゃあ、そろそろ肝心のその湯っこのご紹介といきますか---。


           


 嗚呼、いいなあ!
 もー たまらん。いますぐ足首からぱしゃーっていきたくなっちゃう(ト悶えつつ)。
 こちら、掛け流しの単純泉。緑の多い箱根ならではの澄んだ空気がそのままお湯化したみたいな、実に素直な、屈託のない、いいお湯なんですわ。
 近郊にある、有名な温泉施設「天山」さんのお湯ともちょっとちがう。
 お湯の柔らかさに関しては、「天山」さんのお湯のほうに分があるようだけど、ことお湯の「かおり」の立ち加減に関しては、僕は、「かっぱ天国」さんのほうに軍配をあげたい気持ちです。
 いってみれば、まあいくらか野趣のあるお湯なんですよ。
 「天山」さんが京寄りの立ち位置だとするなら、「かっぱ天国」さんのお湯は、もそっと「東(あずま)」のかおりというか。そのへん、好みが分かれそうですね。
 ただ、掛け流しゆえ、こちらのお湯の日毎の温度は、常にビミョーに変化いたします---いささか熱すぎたり、あるいはぬるめだったり。
 ちなみに、左上写真の石段上部に立ってる赤いポッチは、小柄チックなかっぱ像ね。
 こちら、宿の象徴たるかっぱさんのイメージを、いろんなかたちで敷地のあちこちに散りばめているんですよ。
 なかなか芸が細かいではないですか。いつか、ロビー脇の休憩室の本棚に、飛鳥昭雄の「失われた異星人とグレイ『河童』の謎(学研)」を発見したときには、僕は、つい笑ってしまった。
 ただ、このGWのときの「かっぱ天国」行脚は、あいにくのこと、僕、夜勤明けでくたびれすぎていて、3時半ごろ宿について、風呂入って、部屋で寝転がったら眠っちゃって、気がついたらもう朝の9時すぎだったんですね。
 ピヨピヨピヨと鳥が鳴き、窓からは明るい朝日が爽やかにさしこんでいて。
 素晴らしい目覚めなんだろうけど、僕は、寝すぎのあまりやや呆然。
 ちょっと待てよ、夕飯も喰ってない、近隣の散策もぜんぜんやってない…。
 10時のチェックアウトまであとわずか。風呂もぱしゃっとしか入れないじゃないか。
 なに? じゃあ、俺は、わざわざひと晩ぐっすり眠るためだけに、ココにきたってか? と自問してみたり。
 てなわけで、このときの行脚は、自分的には、非常にあーん (ToT; ってな感じの行楽だったのでありました。


                   ×           ×           ×

 で、これはGWの過去話ですけど、それとはべつの近日にも、イーダちゃんは、この「かっぱ天国」さんに一泊してるんですね。
 なんか、あんまり行ってるんで、すっかり常連扱いされちゃって、宿の方から「ああ、○○さんなら電話番号とかいりませんから。いつもの○○っていってくれればいいですよー」なんていわれるのが結構嬉しかったり。
 この日は、夜勤明けじゃなかったんで、僕は、思う存分お風呂三昧を満喫することができました。
 ただ、この日は、なんと、箱根一帯は、キョーレツな嵐と雷に見舞われたのです。
 そうして、コンビニから帰って、風呂に入った夜の9時すぎ、「かっぱ天国」さんの露天風呂は、急激な嵐に襲われました。
 特に雷が凄かった。こちらの施設、露天でも屋根があるからいいんですけど、一度、近くに雷が落ちたときには、お風呂の電気がポンと飛びました。
 ふいの暗闇の訪れ。
 そして、それと入れかわりに轟く、ちょい上の女子風呂からの悲鳴。
 おお、あの娘だ、と思いました。
 そのお風呂に入るまえのロビーのところで、その若い女の子がロビーのおばちゃんとお話ししてるのを、僕、ちょっと通訳してあげたんですよ。
 まだ若い美人さんの彼女は、韓国からのバックパッカーでした。
 彼女の質問は、今日はずいぶん天気がわるいけど、明日、富士登山はできるだろうか? みたいな内容でした。
 僕は、うーん、何分天気のことだから保証はできかねるんだけど、この嵐が去って雨雲を全部散らしちゃうってこともないじゃないから、明日までいちおう登山の計画は保留して、朝いちばんの天気予報を見てから予定を決めたらどうか、と話していたんですね。
 悲鳴の主は、その彼女のようでした。
 そりゃ怖いでせう、異国の露天風呂にひとりで入っていたら---露店風呂だけでも彼女にしてみたら珍しい風習のはずだし、ましてこの夜は珍しく「かっぱ天国」にはお客が少なかったですからね---そこへ、いきなしのまっ暗、稲光状態の到来なんですから。
 こりゃあイカンと思い僕は声を張りあげて、

----ヘイ、ドント・ウォーリー! イッツ・オーライ!……ライト・ウイル・スーン・プット・オン……カゥズ、ドント・ムーヴ……ドント・ウォーク……ユー・シー…?

 すると、やや安心した声色の返事が向こうから、

----サ、サンキュー……ア、ア、アリガトウ……。

 彼女は、ぶきっちょな日本語をもういちどくりかえします。
 僕もそれになんか答えて、暗闇のなか、男湯の僕と女湯の彼女とのあいだになにかが通いました。
 とってもふしぎ、姿も見えないのに、暗闇伝いに互いの息遣いが伝わるような感触。
 雨はザーザー、稲光がぎらり---。
 明かりは一分ぐらいしてまた灯りましたけど、この暗闇風呂での一瞬のコミュニケートは、なんか、味わい深かったですねえ…。


            


 以上が箱根湯本温泉「かっぱ天国」さんに関するイーダちゃんのレポートの全部です。
 おっと。まだ「かっぱ天国」さんを訪れたことがないひとのために、こちらの施設のHPのアドレスを記入しておきませうか。

     箱根湯本温泉「かっぱ天国」HP  www.kappa1059.co.jp/ 

 施設自体は、そんな綺麗じゃない。あちこち老朽化してるし、部屋自体も廊下も超・ボロって感じです。(和室なんて、歩くと、畳がへこんで揺れますモン)
 ですけど、そりゃあそう、なにせ、ここ、外人バックパッカー御用達のお宿なんですから。
 ただね、お湯質でいうと、こちら、循環塩素入りの、箱根の大多数の高級宿のお風呂をはるかに凌駕しています。
 あと、緑も豊富---和室の窓からは、箱根湯本の駅と、小さな竹林なんかも眺められます。
 そうした意味で、通の、粋人のための宿といっちゃってもいいのかもしれない。
 あ。でも、料理はねえ、僕、いつも素泊まりで、ここで食べたこといちどもないんで、なんともいえません。
 我こそはと思われる方がいたら、是非にもチャレンジして、それぞれのハプニングを楽しまれるのがいいんじゃないか、と思います---。(^.^;>


                   
 

 


 



 



徒然その91☆イーダちゃんの北海道アルバム<回想総集編>☆

2011-12-14 00:42:05 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                       


 Hello、師走の風が氷のようにひんやりロシアな今日このごろ、貴方はいかがお過ごしでせうか?
 僕は、先月インフルエンザのワクチンを打ったら、その後なぜだかぐすぐすに体調を崩しちゃいました。
 ワクチンとかそ-ゆーのは打たない主義だったんですが、たまたまいまいる仕事が医療関係なんで、やむをえず義理的に打たざるをえなかったんですよ。
 いまはなんとか体調は回復しましたが、うん、ありゃあ結構キツかったですね。
 ところで、貴方は、風邪とか大丈夫?
 そうそう、僕は昨日、携帯のメモリーを新しいのに変えるため、古いメモリーのなかの写真を整理してたんですが---そしたら、ひさびさにひらいたフォルダのあちこちから、懐かしい北海道旅行のときの写真がぞろぞろとまろび出てまいりまして、なんというかちょっと見とれてしまったんですね。

----うわー、これ、懐かしいぞ! うん、これも…これも……。

 当ブログに何度も御来訪いただいている方はとっくに承知かと思いますが、イーダちゃんは2010年の7月に会社よりリストラを喰らいまして---うわー、もう去年のむかし話じゃんかよー!---その翌月の8月いっぱいを、北海道一周の旅に出かけてたんですよ---うん、自分的には趣味に気分転換、あと厄落としなんかも兼ねた旅のつもりでありました。
 愛車にテントと寝袋だけを乗っけての、ええ、男ひとりの勝手気ままな温泉旅ってやつ。
 人生初の放浪旅行でしたからねえ---足のむくまま気のむくままにひらりんこって---それはもう無茶苦茶に楽しかった!
 そのあたりの詳細は nifty温泉さんのイーダちゃんのクチコミページにも乗っけてありますので、興味のある方はご観覧いただけたら、と思います。
 で、そのぶらり旅から帰ってから、このブログを立ちあげたわけ---ですから、当ブログには残念ながら北海道旅の記事は乗っけてないんですねえ。
 けどね、携帯メモリーの写真を見てたら、なかなかいいんですよ、これが。
 見ながら、いろんなことが蘇ってくるの---旅の記憶、不安と喜びと、その他さまざまな旅情のかけらがね。
 ですから、まああんまり個人的すぎない、一般性のある写真を10点ほどセレクトして、ここに公開してみることにいたしましたっ!
 興味をもって見ていただけたらこれ幸い、結果的にお目汚しになってしまったらゴメンナサイの、マイ・愚息写真の1ダース---はたして貴方の目にはどう映ってくれるのでせうか---?


     


 左上のはブログ上部に掲示した地図のマルイチ---8月2日にフェリーで函館に到着して、すぐ撮ったやつ。
 函館港の夕暮れです、時刻は19:02。
 2010年の8月2日、函館の駅前は、お祭りやってました。
 僕は北海道に上陸するのはそれが初めてだったんで、ちょっと興奮してまして、「シャロームイン2」ってビジネスホテルにクルマを置いて、すぐ駅前のお祭り見物にやってきたんですね。
 函館は綺麗な広ーい街でした。
 空気がくっきりと澄んでて、空の高い場所。
 あと、ひとが圧倒的に少なくて---知人に絶対行けと勧められていた居酒屋に、この写真の後でいってみたんですが、そこで頼んだ牡蠣があまりにプリプリしすぎてて、僕的にはちょっと馴染めなかったかなあ。
 僕的には、牡蠣ってもっとシナシナしてるものなんですよ。
 ところが、函館の牡蠣はぜんぜんちがう、まるまると太ってて、かつツルツルしてて、噛むとプリッ---なかからジューシー極まりない海の汁がシャワーって溢れでてくるの!---それは、イーダちゃんの牡蠣の概念をまるごと覆すものでした。

----なんじゃ、このシュールな味わいは!? というのが素直な実感。

 むろん、旨かったですよ。
 でもね、いささか旨すぎちゃって…。
 これがホントに牡蠣なんだろうか、というSFチックな迷いの気持ちが、最後まで拭いきれませんでしたねえ---。

 右上のマルニの写真は、8月4日の早朝時に撮影したもの。
 北海道・支笏湖のボロビナイ・キャンプ場でテント宿泊した翌朝の、07:02、眼醒めの1枚です。
 実は、この前夜、支笏湖はもの凄い嵐に見舞われまして、テント設営に不慣れなイーダちゃんは結構不安な心地でいたんですね。
 山用のちゃんとしたテントなら不安なんてありませんけど、僕の持参したのはバッチものの安物テントでしたから…。
 雨漏りしたらどうしよう? 床が浸水してきたらどうしようってね---いざというときにクルマに逃げれるように、荷物はテントの隅ひとつにまとめておいて---だもんで気苦労で、あんま眠れなかったんですよね。
 かろうじて雨足の弱まった5時すぎからちょいと寝れたんですが、あらら、6時半ころ目覚めてみたら、こりゃあ、またとない快晴じゃないですか。
 昨夜の雲は空に散り散りになってまだ残ってましたけど、なんて美しい朝なんでせうか、これは。
 イーダちゃんは感動してね、写真バチバチ撮りまくっちゃいましたね。
 これは、テント内からの1枚---右上に見えるのは、マイ・テントの巻きあがった入口です。
 ちなみに、最近知ったのですが、この「支笏湖」は別名「死骨湖」ともいって、シーズンオフにはまったく位相のちがう、恐ろしい霊地に変貌するのだとか。
 これは、「闇より深い闇(メディアファクトリー)」の立原透耶女史経由の情報。
 そういわれてみれば、夕暮れの支笏湖の情景には、なにやらこちらの心臓をドキンと跳ねあげるような、摩訶不思議な殺気が漂っていた印象、たしかにありましたね。
 次のフォトがまたいいんですよ---ほら。


   


 左上のは地図のマルサン部分---北海道旅6日目の8月6日の早朝に訪れた、ニセコの山のほぼ山頂部にある「神仙沼」での1枚です。
 この写真は、僕、個人的にとても気に入ってます。
 いい写真っしょ?
 このとき、イーダちゃんは、ニセコの「五色温泉旅館」の自炊部に泊まってたんですが、なぜかこの朝には午前の3時に目が覚めちゃいましてね、時間が早すぎて温泉入ってもなにしても時間があまるんで、よし、それならクルマで早朝の「神仙沼」とやらにいって、絶景を全身で堪能してくるか、と出かけたわけなんですが、いざ「神仙沼」の駐車場に辿りついてみると、あまりにも時間が早すぎたせいで、クルマの1台もそこに停まってないんっスよ。
 これは…正直、ちょい怖かった。
 徒手空拳で自然の精霊がいっぱいたむろっている、朝靄の沼にいくのは、かなーり気合いが要りましたね。
 あとね、イーダちゃんの場合、熊が怖かった。
 看板にも「熊に注意!」みたいなのは、ここ、ふんだんにあるし。
 クルマに引き返して、積んであるフロントガラス粉砕脱出用の、先の尖ったハンマーをもってきて、それ、肩に担ぎつつ「神仙沼」への道程を粛々と行きましたよ。
 まいったなあ、あのテーズ折り紙つきの超人ダニー・ホッジでさえ、現役時にサーカス・ベアと闘ってコロリと負けてるもんなあ---こんなハンマー程度じゃ、きっと気休めくらいにしかならないぞ、とビビリながら。
 これは、そのとちゅうでの1枚。
 帰り道にようやく観光客の一団がやってきましてね---僕的にはひとの喧騒にホッとしてたのですが、彼等のなかの何人かは僕の肩口のハンマーに目をとめて、ギョッとした顔をしていたのが妙におかしかったですね…。

 右上のマルヨン写真は、8月8日に訪れた襟裳岬---説明は不要でせう? 
 襟裳岬は「風の岬」---温泉も山もなんにもないけど、風だけはいつも足早に吹きすさっている場所なんですね。
 ひょっとして日本一風通しのいい場所なんじゃないかな?
 むろんのこと、大好きな場所です。
 ここの岬への細道を歩いてましたら、宗谷岬をめざすサイクリング兄ちゃんと知り合いになりましてね、一緒に飯を喰ったりして楽しかったな。
 この写真の翌朝、絶景に惹かれて再び襟裳岬にいったら、この兄ちゃんにまたもや会いましてね---彼も僕とおんなじ「百人浜オートキャンプ場」でキャンプしてたということが分かりました---で、お互いにびっくりして別れたわけ。
 けど、僕が別のとこに寄り道して(これは2時間ほどかかったはず)、うどん喰ってからまた山道をいくと、なんと、またまた自転車をこぐ彼の背中がまえに見えてくるではないですか!
 スゴッ、3度目の偶然だわ。ならば、とクルマの窓から右手を大きく突きだしてVサイン、でもってクラクション鳴らしつつ、スピードをあげてぐわーっと追いこしたら、バックミラーのなかの彼も喜んで大きく手を振ってきましたっけ…。


     


 左上のマルゴ写真は、屈斜路湖湖畔の「コタン温泉」---2010年8月14日の早朝4時42分の撮影です。
 こちらの湯、大分の「別府温泉保養ランド」の泥湯、秋田の「鶴の湯」の自然湧出の白濁湯なんかとならぶ、イーダちゃんの選ぶ日本3大ベスト温泉のうちのひとつなんです。
 ホントはここ入るためにいったんですよ、北海道---こちら、思いだすだけで泣けそうになってくるほどの名湯でありました。
 ま、そのへんの詳細は nifty温泉さんのクチコミページにすでに書いてありますので、興味がある方は覗いてほしいなあ、なんて思います。

 右上のマルロク写真は、知床の「セセキ温泉」---北海道旅16日目の、これ、8月16日の写真ですね。
 ここのお湯も凄かったの---だって、そもそもがオホーツクに浮かぶ海の温泉でしょ? 首をこう上げたら、ダボーッてかぶる浪の隙から、はるかなるクナシリが見えるわけでしょ?
 当然、こんな極上温泉には、いついっても観光客がウジャウジャいるわけなんでありまして---子供や若奥さん、それから女性同士の旅行客が足湯だけしてたりしてね。
 そのようなファミリーが集う暖かムード満載のほわほわ空間のをなかを、野蛮人さながら、生まれたままのフルチンをゆらしつつ、手拭い一本きりでワッハッハとシンプルに入浴するのは、そりゃあ度胸入りましたよー 武道で丹力養ってなかったらムリだったろうなあ…。
 そのあたりの詳細は、恐縮ですが、これも nifty温泉さんのクチコミページを御覧あれ、です。


       


 イーダちゃんの北海道旅の頂きは、この知床でした---知床はなにもかも美しく、瑞々しく、ミラクルでしたね。
 左上のマルナナのフォトは8月17日の15時54分、知床半島の西側部分、岩尾別温泉のホテル「地の涯」にクルマでむかうとちゅうの1枚です。
 いったいに知床って地は、フツーに道路を走ってても、シカやキタキツネなんかが何気に路肩を散策してたりするふしぎの国なんですけど、このホテル「地の涯」にむかう一本道は、そのあたりの野生度が特に頭抜けていましたね。
 このフォトの鹿の群れ---これ、カメラのフレームに収まりきってない部分では、この何倍ものシカの群れが悠々と優雅に歩いたり草を食べたりしてたんですもの。
 なんとも涼しげなあの野生の香り高い霊気が、いまもって忘れられません。
 シカの群れ、とっても美しかった。 
 あと、この岩尾別温泉の野湯では、イーダちゃん、生涯サイコーの混浴を楽しむことができたんですよ---ムフフのフ(^.-μ☆
 そういった意味でも、ここは忘れがたい地なんですわ。
 そのあたりの詳細を知りたい方は、「徒然その20☆混浴露天のひとりごと☆」を参照あれ---。

 右上マルハチのフォトは、8月18日、網走湖での1枚。
 この日、イーダちゃんは、網走湖畔の「呼人浦キャンプ場」というところでキャンプしたんです。
 キャンプ料は無料---ハハッ---北海道には、こういう豪気な場所はゴロゴロあるんですよねえ。  
 湖畔際1メートルのところに張ったテントが、なんとも自慢で、自画自賛的な1枚をまあパチリとやったわけ。
 でも、みんな考えることはおなじみたいで、朝起きたら湖畔1メートルのラインは、色とりどりの無数のテントで埋めつくされてました。僕の左隣りのテントは、デュッセルドルフからやってきたドイツ人サイクル野郎の二人組でしたよ。
 このあと、イーダちゃんは、網走市の駒場ショッピングタウンという住宅地にある「チャプリン」というコインランドリーに、たまった洗濯物を抱えて出かけていくんですが、この「チャプリン」というコインランドリーでの洗濯タイムが、なぜだかとってもよかったの…。
 そのへんの詳細は「徒然その25☆今日は洗濯するには絶好の日だ☆」にも述べてありますので、奇特な好奇心をお持ちのお方は寄ってみたりするのもいいんじゃないか、と思います。

 で---いよいよラスト2枚だ---GO!


       


 左上の地図上でのマルキュー部分の写真は、道北の「ウスタイベ千畳岩キャンプ場」---。
 道北って、基本的になーんもない場所なんですよ。
 どこまで走ってもおんなじ原野がひたすらつづくのみでね、そーゆー意味でもっとも北海道らしい場所かもしれない。
 こちら、イーダちゃんがひと月かけて北海道各所をあちこちさすらったなかで、最高のキャンプ場なのでありました。
 まず、なにより、ここ、景観が凄い。
 見ての通り、ここは高台のうえにあるでしょ?---視線のさきにあるのは、雄大なるかなオホーツク。
 芝生の崖を海際まで歩いていくと、この高台、下の海の部分に降りれるようになってるんですね。で、そこが大きな、奇岩であるところの千畳岩の領域になってる。
 名前の通り、武将が千人酒盛りできるくらいの広大スペースなんっスよ。
 ここで見た朝日は、マジ、サイコーでした。
 あと、ここのキャンプ場、無料なんですよ。
 さらには、クルマでキャンプ場内への立ち入りすらOKであって---これは嬉しかった---フツー、芝生が痛むから、そういうことはやらせないはずですから。クルマの少ない道北ならではの方針なんでせうね。いずれにせよ、僕のヤサである関東じゃ絶対考えられんことであることに間違いはありませぬ。
 嬉しくて嬉しくて、愛車とテントとキャンプ場とのトリオ写真、何枚も撮っちゃいましたね。
 こちら、風がまっすぐで綺麗でした。
 夜、トイレに行くときに何気に見上げた星空が、息がとまるほど美しかった。
 網走から、生まれてはじめてのひとり旅をしてるのよ、という車中泊のおばちゃんと何時間も喋っちゃったりね。
 誰でもここに30分ほどいるだけで、背筋がすうっと伸びて、気づいてみたら、ここにくるまえより悠々とした大股でしゃんしゃん歩いていた、みたいなことになるふしぎな磁力に満ちた場所なんです。
 忘れられないキャンプ場ですねえ、「ウスタイベ千畳岩キャンプ場」---ちなみに当ブログの「徒然その10☆北海道キャンプ場 ベストスリー☆」でもここのことは特集してあるので、興味のある方はそちらもどうぞです。

 で、最期の最後に紹介したいのは、道北の極み---宗谷岬をちょっとすぎたさきにある、日本最大の平原である、こちら「サロベツ原野」なんであります。
 ここはもう、僕なんかがなにかいう必要はまったくない類いの場所ですね。
 誰でも、写真を見れば、ここの凄さはすぐ分かる。
 もう、どこまでもどこまでもどこまでも……平原が延々つづいているのね。
 作家の坂口安吾じゃないけど、僕もこーゆー単調な、「ただ地平線が見えるのみ」みたいな広大無辺な風景に「郷愁」を覚えるクチなんですよ。
 だから、ここだけは、もー たまんなかった。
 クルマとめて、まる一日ここんなかでウロウロしてて、まったく飽きることがなかった。
 そのへんの心情は、「徒然その12☆サロベツ原野のエルヴィス☆」のなかにもちょいと漏らしてはいるけれど、現物の「サロベツ原野」に勝るモノは恐らくないでせう。
 ですから、ぜひ貴方も、自分の肌と心でじかに体感してほしいと思います。
 うん、この「サロベツ原野」を見るだけでも、北海道にいく値打ちはあるんじゃないかな---。

 ただ、いまは師走の中旬---僕の撮ったどの風景も、厚くて冷たい雪の層に埋ずもれていることでせう。
 イーダちゃんは、雪のなかのそれらの風景に思いを寄せます。
 そうして、冬眠しているそれらの風景の耳元に、ごくそっと呼びかけるのです。

----おーい、北海道……元気かあ?……また近いうち、必ず遊びにいくから待ってろよぉ……!


                                                                               fin.(^.^;>

 


 


     
 


     


     


       


 

徒然その87☆「雪国」の故郷-越後湯沢の「山の湯」を訪ねて--☆

2011-11-05 01:52:41 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                        


 2009年9月終わりの2泊3日の新潟温泉旅の帰路、越後湯沢の「山の湯」さんに寄ってみました。
 新潟の日本海沿いの「西方の湯」のある中条駅から、鈍行列車を乗り継いで、越後湯沢まで、ほぼ4時間半あまりの列車旅。僕のヤサは新横浜ですから、新幹線を使わずに道のりの半ばまで鈍行でいき、わざわざ越後湯沢で途中下車したってわけ。

----なに? じゃあ、お前は、たかが温泉だけのために、越後湯沢で下車したのか? 

 と問われれば、まあそうですねえ、と笑いながら答えるしかない。
 越後湯沢にある共同湯、この「山の湯さん」は、ええ、古くからイーダちゃんの座右の湯のひとつなんですよ。
 いままでに何度ここに訪れて、固く凍えた心と身体とを癒させてもらったか、もう勘定もできないくらいですねえ---ええ、それくらい繁く、ここには足を運んできています。
 思えば、温泉に凝りはじめた2006年のあたりから、この種の参拝ははじまったように記憶してます。
 なぜ、そうまでこの「山の湯」に魅かれるのか---?
 むろん、名湯だからです。それは、決まってる。
 澄んだお湯の底にほのかに香る硫黄臭がなんともたまらない、自然湧出のお湯をこちらの「山の湯」さんが、昔からいままで、しっかりと管理されているからです。
 これほどの名湯につかれるのは、温泉好きにとって至上のヨロコビですもん。
 こちら、湯口からお湯がボコッ、ボコッと湯舟に注ぐ、その注ぎ方が、自然湧出ならではの不規則な注ぎ方をしてるんですよ。ときには湯口からのお湯の流れが、とまったりすることもある。で、4、5秒後にまたボコッなんて溢れてくるのを、あったかい湯舟に肩までつかりながら眺めているときのあの至福…。
 ただ、僕がここに足繁く訪れるのには、もうひとつ、いわゆる第二の理由があるんですねえ。
 それは、あの川端康成の名作「雪国」の舞台になったのが、ここ、越後湯沢であったということなのであります。
 あのー イーダちゃんは、むかしっから骨がらみの川端フリークなんですよ。
 ですから、「山の湯」さんにつかっているとき、イーダちゃんの胸のうちには、いつでも川端さんのあの「雪国」がこだましているわけなんです。
 ところで、あなた、「雪国」は、読まれましたか?
 日本文学はじいさん臭いからイヤ、とか、陰気に枯れてる風情が苦手だからまだ未読だとか、そのようなことをおっしゃっているならあまりにもったいない…。
 未読の方のためにちょっとだけ解説させてもらえるなら、えーと、この「雪国」っていうのは、東京で虚名を売った著名な舞踏の批評家である島村って男が、冬のあいだだけ、越後湯沢の温泉に湯治にくるんです。
 で、現地にきたら芸者を呼んで、と---まあ、ひとことでいえば、彼、「女漁り」にきてるわけ。
 そうやって、こっちでたまたま引っかけた、若くて美しい芸者の名前が、駒子---。
 そのようなケシカラン情事の話なんですが、東京への遠い憧れと、この島村への思いがだんだんに募っていって、ヒロインの駒子がこの遊びのはずの恋愛にぐんぐん深入りしていっちゃうんですね。
 この種の恋愛劇にハッピーエンドなんてありっこないってことぐらい、骨の髄まで知りつくしているくせに…。
 こうして僕がストーリーを述べると、ありふれたただの薄汚い不倫モノになっちゃうんだけど、川端さんがこの話を書くと、話のどんな細部までもがきらきらと艶やかに光り輝くんだなあ。
 僕は、川端さんは天才だと思います---大江健三郎はちがうと思うけど。
 ま、能書きをいくら連ねても無駄撃ちにしかならないから、このへんでそろそろ川端さんの実弾紹介にいきますか---ほい。

----妻子のうちへ帰るのも忘れたような長逗留だった。離れられないからでも別れともないからでもないが、駒子のしげしげ会いにくるのを待つ癖になってしまっていた。そうして駒子がせつなく迫ってくればくるほど、島村は自分が生きていないかのような苛責がつのった。いわば自分のさびしさを見ながら、ただじっとたたずんでいるのだった。駒子が自分のなかにはまりこんでくるのが、島村は不可解だった。駒子のすべてが島村に通じてくるのに、島村のなにも駒子に通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突きあたる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降りつむように聞いた。このような島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかった。(川端康成「雪国」より)

 はあ、写してるだけでため息がでちゃうよなあ…。
 なんという名文、そして、それらすべての底に潜んで、すべてを冷酷に観察している、なんというこの「ひとでなし」目線---。
 川端さんは、ある高僧がかつて述べたように、一種の「鬼」じゃないか、と僕は思います。
 「鬼」は「鬼」でも、たぶん彼の場合、あてはまるのは「餓鬼」でせう。
 美の「餓鬼」、愛の「餓鬼」、それから、他者の生命のきらめきに対して羨望の吐息をもらすことしかできない、ひととしていちばん大事な部分があらかじめ欠落した、さまよえる「餓鬼」…。
 このひとは完璧にネガティヴ戸籍、この世の影の国在住の埒外者ですよ。
 もうはなからこの世に生きてないんですね---ただ、たまたまこの世に産まれてきちゃったから、かろうじてなんとか生存してる---おもしろいことなんかなんもない、薄暗くて淋しいばかりのこの世だけれど。
 他人の愛情も葛藤も、世の騒乱も混乱も、なーんも関係なし。
 どうせ煙のごとき世の中だもの、ふらふらと川べりを散歩しつつ、ときどき草むらのあいまに恋人たちがまぐわってるのを見つけたら、おお、いいなって餓鬼のまなこでじーっと眺めて、餓鬼の視線で情事の炎の最後のほむらまで見つくして飲みこんで……そうすればなんとか残りの行路もゆらゆらと歩いていける…。
 言葉はわるいけど、僕はこのひと「生命の乞食」じゃないか、と以前から感じてるんです。
 面白いことも、生き甲斐も夢も、なーんもないの。あるのは「むなしむなし」の退屈と孤独と。それと、たまさかの肉の情事---それ見て、男女の交合のエネルギーと光とをふかーく吸いこんで、ほんで、またゆらゆらと暗い叢のうえを飛んで、うつろっていくばかり…。
 なんか人間じゃない、むしろヒトダマとか浮遊霊みたいなイメージなんだけど、僕、川端さんの本質はそれだったと睨んでますね。
 このひとは大作家なんかじゃありません、ただの妖怪ですよ。
 妖怪というか、一種の「色情霊」なんじゃないかなあ。ひとと称するためには、ちょっとばかし壊れすぎているもの。
 ただ、壊れてはいるけど、感受性の冴えと繊細さにかけては、なんとも無類のモノがあるんです。
 
----「しかそんな夢を信じるもんじゃない。誰だってそんな夢は見るが、逆夢のことが多いんだ。そんな夢を信じると自己暗示にかかって、嘘がほんとになったりするからね」
  「そんなことを言ったってだめですよ」
  「どうしてだめだ」
  「なんて言ったってしかたがありませんもの。この秋に死にますね。枯葉が落ちる時分ですね」
  「それがいけないんだ。死ぬと決めてしまうのが」
  「私なんかどうなったっていいんです。死んだっていい人間は沢山あると思います」
 お夏は固くうつむいていた。突然私はこの自分の滅亡を予見したと信じている存在に痛ましい愛着を感じた。このものを叩毀してしまいたい愛着が私を生き生きとさせてきた。私はすっくと立上った。うしろからお夏の肩を抱いた。彼女は逃げようとして膝をついと前へ出した拍子に私に凭れかかった。私は彼女の円い肩を頤で捕えた。彼女は右肩で私の胸を刳るように擦りながら向直って顔を私の肩に打ちつけてきた。そして泣出した。
  「私よく先生の夢を見ます。---痩せましたね。---胸の上の骨が噛めますね」
 私は二人の死の予感に怯えながら、現実の世界に住んでいないようなお夏を現実の世界へ取戻そうとするかのように抱いていた。この静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いていた。(川端康成「白い満月」より)

 嗚呼、怖い。如何です、この暗いポエジーの怒濤の奔流は?
 読んでいて、そのあまりの地獄ぶりに、ギシギシとこの世ならぬ耳鳴りがしてきます。
 不吉な青白い炎がたえまなく飛び交っているさまなんかは、さながらあのホロヴィッツのピアノ演奏のようじゃないですか。

       
                  ×            ×              ×


 おっと。「雪国」からいくぶん話がずれてきちゃいましたね。軌道修正しませうか。
 そんなこんなで傑出した一代の詩人であった川端さんの足跡をたどる旅が、僕的には非常に愉しいわけなんです。
 興味ないひとには「なんのこっちゃ?」でしかないかもわかりませんが、川端さんが戦前の一時期この越後湯沢に滞在して、あの名作「雪国」を仕上げたっていうのは、動かしがたい事実ですからね。
 ちなみに、川端さんがここに滞在してたときのの宿の名は、「高半」っていいます。
 いまももちろん残ってます、ただ、現在は「雪国の宿 高半」なんて称しているようで---。
 この古びた共同湯「山の湯」さんのむかいの丘陵に、この「高半」さんは、ドーンと建ってます---ええ、近代的な、鉄筋コンクリートのでっかい宿ですよ。
 入口も赤系の絨毯が豪奢で、なんか凄いの。
 で、二階をあがったとこには、川端さんが「雪国」を執筆した当時の8畳間が、そっくりそのまま再現されてるの。
 有料で、入場料を払うと上にいくエスカレーターを宿のひとが動かしてくれて---この部屋を観覧することができます。
 僕も以前いってみた。すると、「雪国」の映画なんかも、1日に何度かここで上映してるんですね。
 ここのお風呂も入ってみたことありますよ---ガラス張りで、景観のいい、掛け流しのいい湯だったと記憶してます。
 しかし、あれやこれやと多くの策をこらすにつれ、原初「雪国」の素朴な情緒から、かえって「高半」さんはどんどん離れていっているように僕には感じられてしまう。
 ええ、「雪国」のなかにあったあの情緒は、むしろ当時の「高半」さんの真向かいにあった、この歴史ある小さな共同湯「山の湯」さんのほうが、より純粋に保持しえているんじゃないか、と思います。
 ですから、僕は、越後湯沢にきたら、いつもここ「山の湯」さん一本なんですよ。
 では、ちょっくらここらで「山の湯」さん周辺の風景なんかも、何点かUPしておきますか---。


   

 まずは、肝心の「山の湯」さんの三景ね---。
 正面入口のガラス戸と男湯の湯舟と着替処の天井---こちらのお風呂は実によくジモティーに根付いていて、いついっても大抵誰かほかに湯浴み客がいるんですが、このときは珍しく僕以外どなたもおられなかったんで、携帯でパチリとやっちゃいました。
 これはもう、見てるだけで涎がでてきそうな、質実剛健の湯舟じゃないですか。
 素朴でなんの飾りもないけど、これこそが真の意味での山のお湯だと思いますよ、うん。
 ちなみに、川端さんも越後湯沢に滞在中、この「山の湯」には何度も足を運んでこられたそうです。
 そうして、こちらは、この「山の湯」さんのある丘陵をさらにさきに登ったとこにある展望---小説「雪国」にも登場する穴沢河の風景です。

          
                       

 僕が以前ここに訪れたときには---いま nifty温泉さんのクチコミ投稿で調べなおしてみたら、2006.9.21のことでした---河の流れの中央の堤防のところに、猿がいっぱいたむろってました。
 さらに右に曲がった河の流れに沿って、河の向かって左の部分に、山道が細々と続いていってるの、見分けられるでせうか?
 これ、「雪国」のなかで島村がたどった散歩コースです。
 すなわち、当時の川端さんが散歩したままの道---それが、まだ、そっくりそのままあるの。
 僕もここをたどって奥までいったことあるんですが、道がつづら折りになって、結構山の奥まで入っていけちゃうんですよね---この道をいくと。
 「山の湯」さんで極上のお湯を堪能したあと、この穴沢河沿いの道をぶらぶら歩く、というのはイーダちゃんお気に入りの、お薦め散歩コースのひとつです。

 おっと。もうひとつ忘れもの---この「山の湯」さんの旬はね、なんと春先なんですよ。
 春先---越後の春は、僕の住む関東に比べるといくらか遅いんですが---その春になると、この「山の湯」さんの敷地内に生えているソメイヨシノの桜が、一斉に花ひらくんです。
 「山の湯」さんの湯舟にぼーっとつかってるとね、窓からすぐにそれが見えるの。
 はらはらはらーってね---これは、極上ですよ---この時期の「山の湯」さんの湯浴みの至純さは、これは、もう譲れない。

----願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ

 なんて有名な西行法師の歌が、脳味噌の奥の忘却済みの記憶の書庫からぽろっとまろびでてくるような、それはそれはキュート極まりないお湯なんですから。
 温泉好きなひとは、この時期の「山の湯」さんを、是非自らの肌と心で体験してみてほしい、と思いますね---。(^.^;>




 
 

徒然その86☆新潟「くっちゃい」お湯紀行--新津温泉から月岡温泉へ☆

2011-10-21 01:11:54 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆

                       


 さて、新潟胎内市の日本一臭いお湯「西方の湯」で一夜をすごしたイーダちゃんは、その翌朝、宿に荷物を置いたまま、旅2日目の旅程を消化すべく、迎えにきてくれた予約の「のりんす号」に颯爽と乗りこみました。
 今日の狙いは、やはり日本有数の油臭を誇るという、新潟新津(にいつ)市の公共浴場「新津温泉」---!
 こちら、「西方の湯」のある中条駅から、電車でちょーっとあるんですよね。
 地方の電車のダイヤには、僕の慣れ親しんでいる首都圏ペースが通用しないことは、かつての旅行体験からも判明していたんで、なるたけ早め早めのペースで今回の旅は編んじゃおう、とイーダちゃんは考えたのでありました。
 そうして、この読みは正解でしたねえ---中条駅から出る新白線、おっそろしく本数が少なくて、高校生が多く通学する朝夕の時間をのぞくと、ほとんど利用できないっていってもいいくらいだったんですよ。
 クルマがないとやっていけない土地柄とでもいうのでせうかね。
 実際、僕の利用した朝の列車では、利用者の9割以上がなんと高校生といった、ほぼ完璧な修学旅行列車となっちゃいまして、なんか一般の大人の乗客である我々のほうが逆に異分子チックに見えちゃって、乗り心地的にはあまり快適じゃなかったような気味もありました。
 ま、しかし、それも旅の味っていっちゃ味でせう---約1時間半のそんな車両の旅を経て、たどりついいた新津駅は、これは、いまさっききあとにしてきたばかりの中条駅と比べると、かなり都市の香りの強い町でありました。
 なにせ、駅、降りて、中央の道路を進むと、アーケードの商店街がありましたから。
 もっとも、商店街の大部分は、こういう田舎町の常として、半分以上閑散としたシャッター街になってはいたんですけど、中条とくらべると、やっぱり町的度合いが高いようです---往来するひとの数が、なんといっても多いんです。そのうちの大多数が年寄りで、若者的な活気に乏しいのというのはたしかに事実ですが、それはそれ---こういう知らない地方の田舎町を、ぷらぷらと徒歩で散策するのが、イーダちゃんは、なにより大好きなのでありました。
 まして、この日は絵に画いたような上天気でしょ?---心はもうご機嫌そのもの、

----うーむ、ひさびさこれはいい気分だゾ! とアーケードで伸びなんかしちゃってね。

 で、ネットで調べておいた地図を見ながら20分ほど歩いたころ、お目当ての「新津温泉」を見つけることができたんです。
 すっごく大きな地元デパート(名前は失念しました。失礼)の一本さきの筋の道を、左にグーンと入ったとこの突きあたり。
 見た感じは一般の家屋となんら変わらない、それこそ看板がなけりゃ、誰も気づかないような場所なんですわ。


       

 ところがところが、そのような平凡で目立たない市井の外見はさりげない偽装なんでありまして、こちら、アブラ臭のする温泉をこよなく愛する全国のマニア衆のあいだでは、一種の「聖地」とも呼称されている、ちーとスペシャルな場所なんですよ。
 うむ、それでは、噂の「新津温泉」の実力を、あい試そうではございませぬか。
 玄関の左のところにいたおばあちゃんに300円わたして---それにしてもこの300円ってのは、安すぎじゃないですか?---いざ、湯殿へ!


     

 長い廊下をわたって木製の着替処に入ったとき、そのアンチックな時代臭のする風情と、風呂場のほうから香ってくる強力なアブラ臭とに、アタマがくらくらするような感覚をまず覚えました。

----これだよ、これ! これのためにわざわざやってきたんだよー!

 と、すっかりはしゃいじゃって、服を脱ぐのももどかしい感じだったのですが、まあかろうじて服を脱ぎ、風呂場のガラス戸をがらりとやって、先客さんに挨拶し---そのときの湯浴み客は、僕以外にはおひとりだけでした---そうして、入念に幾度も掛け湯して、足先からこちらのタイルのお湯に身体をゆっくりぬっぷり沈めてゆけば---嗚呼、なるほど、こりゃあ凄いや…。
 アブラ臭というか、ほとんどこちら、純粋な石油のごとき香りのお湯なんですよ。
 中条の「西方の湯」でも石油臭は強烈にしてましたが、あそこの湯から臭素や尿素、あと醤油を煮しめたような諸成分を綺麗に濾過しきって、純粋な石油臭だけ残したら、ひょっとしてこんな感じのお湯になるのかも。
 でも、体感は、はっきりいって超・サイコー。(^.^:>
 お湯自体は写真の通り、ここ、見事な透明湯なんですよね。
 湯音は41、2度ってとこ---いわゆる、めっさ適温ってやつ。
 イーダちゃんはこのユニークな石油臭のお湯に肩まで沈ませて、静かに目をとじてみます。
 窓からは午まえの爽やかな秋の光がすさーっと差しこんできてるし、お湯自体が思いもかけぬほど柔らかな肌触りなモンだから、湯舟のなかで両掌をゆらゆらさせてるだけで、脱力しきったリラックス感覚が、全身の隅々まで自然に伝播されてゆくの。
 その速度というかスローな歩みようがね、体感的になんかたまんない。
 あと、呼吸するたびに肺の細胞層の奥まで染みてくる石油臭が、じわーっとなんともいい感じ。
 お湯のなかでえもいわれない、そんな静かな恍惚にくるまれていたら、ある詩の一節がふいに脳内に去来してきたんです。

   幾時代かがありまして
   茶色い戦争がありました

   幾時代かがありまして
   冬は疾風吹きました

   幾時代かがありまして
   今夜此処でのひと盛り
   今夜此処でのひと盛り

   サーカス小屋は高い梁
   そこに一つのブランコだ
   見えるともないブランコだ

   頭倒さに手を垂れて
   汚れた木綿の屋根のもと
   ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん……

 うん、中原中也の「サーカス」の一節ですよね。
 なぜ、ここで中原中也なのか---それは分からないけど、それが、急にひらめいいて、アタマのなかを唐突に廻りだしたのは事実---そして、そのなかでも特にアタマに響いてきたのは、この後半の「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」というフレーズなのでありました。

----ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん、か…。

 と石油の香りのお湯のなか、アタマのなかの反響のうながすまま、なんとなくつぶやいてみます。
 すると、語呂がお湯の体感にマッチして、なんだか妙にいい感じ---うん、もういちどいってみるか。

----うーむ…。ゆあーん、ゆよーん、ゆあゆよーん…。

 いい終わりに両手で顔にお湯をぽしゃりとやったとき、全身がこの中也の呪術的文句にあわせて、湯舟から静かに滑空していくような、摩訶不思議な無重力感がちょっとありました……。


      ×             ×

 さて、石油臭のキング湯たる「西方の湯」も、クイーン湯たる「新津温泉」も堪能しました。
 となると、近辺での残り湯は、これはもう「月岡温泉」しかないでせう。
 というわけで、「新津温泉」の駅前アーケードの一角で昼飯にラーメンを食したイーダちゃんは、食後早々列車に乗りこみ、「月岡温泉駅」を目指したのです。
 実は、僕、この「月岡温泉」を訪ねるのは、これが初めてじゃなかったんですが。
 ええ、2008年の6月24日に、いちど来てるんです。そのときはまだ健在だった愛車での訪問で、「浪花屋旅館」というお宿に宿泊しました。目当ては、温泉チャンプの郡司氏が推薦してた、こちらの地域の共同湯「美人の泉」! 
 でも、このときは、その「美人の泉」がたまたま休館日で、涙を飲んで湯浴みを諦めた、といった経緯があったんですって。
 で、今回は、その雪辱戦といった次第---。
 ただ、列車が「月岡温泉」駅に到着したとき、そのあまりの田舎っぷりに、イーダちゃんは途方に暮れちゃったことをにここに告白しておきませう。
 まず、こちらの駅が無人駅かも、というくらいは予想の範囲内だったんだけど---
 まさか、駅からバスが一本も出てないとは思わなかった…。
 というより、駅から肝心の「月岡温泉」の地図が、駅のまわりのどこにもないの。
 あと、タクシー会社の電話番号なんかも、どこにも書かれてない。
 「月岡温泉まで徒歩40分、バスで10分」と→が一本書いてある看板だけがかろうじてありますが、そのバスがどこからでるのか、どこで待って、いくら払えばいいのか、という肝心の詳細を記しているモノはまったくなし。
 これってどーよ? おいおい、「月岡温泉」さんよ、あんた、ほんとにこれで観光客呼ぼうって気がマジあんの? と激を飛ばしたくなるくらいの超・無策なんですよ…。
 しかしまあ、これほどなんにもない無人駅の駅前広場に、いつまでぽやーんとしててもしようがないので、ええ、ままよ、と勘を頼りにテキトーに歩きだすことにしました。
 →の促すまま、駅前の細い道りを右に---老人施設をいきすぎて---ようやく見えた県道とおぼしき道を右に。
 で、そのとき撮った写真が、このページのアタマにUPしたやつです。
 むーっ、なんか焼いておりますな、なんざんしょ? まさか、この日本で焼き畑ってこともないでせうし。
 いずれにしても、のんびりした、見てるこっちの気持ちが茫洋と凪いでくるような田園風景です。
 写真、2点ほど追加しておきませう---左下は「月岡温泉」無人駅のホーム(左手にちらっと見えるのが老人施設です)、右下にあるのは、ページアタマのフォトの追加ヴァージョンね---この県道をあと5キロほどトコトコゆくと、「月岡温泉」のはるけく市街地にようやく到着できるのですよ---ふむ。


         

 心がほっこりしてくるような、こーんな風景のなかを、1時間ちょいくらい歩いたころでせうか?
 とちゅうから上りの行程がつづきましてね、上半身が汗びっしょになったころ、よーやくイーダちゃんは目的の共同湯「美人の泉」に到着することができました。
 超・懐かしいことったら---2008年の6月以来の、3年ぶりの再訪です。
 ただし、前回は、ここの玄関前で「本日閉館」の表示を見て、泣く泣く引き返したわけなんですが、今回はそういうの、ありません---今回は、どうやら湯浴みできそうな気配です。


       

 そうして、お察しの通り、イーダちゃんは、今回はのーんびりと、午後の一刻を「美人の泉」ですごすことができたんですよ。
 素晴らしかったなー、あれは(満足げに)…。
 こちらのお湯は、ええ、右上のフォトからも分かるように、非常に珍しい、鮮やかな緑色をしてるんですね。
 緑色のお湯というと、群馬の志賀高原の「熊の湯ホテル」の緑の湯、あと、岩手の山間にある「石塚旅館」の硫黄泉なんかが、まず思いだされます。
 それと、群馬・万座の「万座温泉高原ホテル」の混浴の緑湯なんかもそうでせうか---もっとも、こちらはさまざまな源泉を混ぜあわせちゃったお湯のようですが。
 共同湯「美人の泉」のお湯は、湯温を一定に保つために、残念ながら循環させられています。
 だから、お湯の鮮度に関しては、手放しに賛辞できるものではありません。
 つまり、ぽしゃんと湯っこに入ったときの感触は、前述した「新津温泉」や、「月岡温泉」の掛け流しを実施しているほかの多くのお宿とくらべると、だいぶ落ちるってことです。
 それは仕方ない、ただ、こちら循環は循環でも、あの破滅的な塩素注入は、してないんですよね。
 ですからまあ、多少酸化の度合いは進んではいるものの、うん、まあいいお湯だっていえるんじゃないでせうか。
 なにより、緑色っていうのは、魅力的ですよ。
 僕は、めっきりくつろいじゃったな---ひっきりなしの湯浴み客が行き来してるんで、写真、なかなか撮れなかったんですが、ちょうど皆が湯舟を離れて身体を洗いはじめたとき、着替処から隙を見て、携帯でパチリとやりました。
 それが、右上写真---ねっ、いまにも涎がでてきそうな見事な緑でしょ?
 うん、こちら、いい湯っこでしたねえ。
 湯あがりに着替処の脇から外に繋がっている木製のロッジに出て、そこの椅子に座って、すっぱだかのまま外の風にあたっているしばしの時間が、なんとも至福でありました…。(^.^;>


     ×               ×

 
 新潟・越後の国からのイーダちゃんの温泉レポートは、以上です---。
 今回のテーマは、いわゆる「くっちゃいお湯」というモノだったのですが、皆さんはどうでせう?
 くっちゃいお湯はお好き? それとも、苦手なほうですか?
 僕は、大地の恵みとして自然湧出した温泉は、例外なくほとんど好きですが、くっちゃいお湯は特に好きな部類です。
 個性の強いお湯っていうのは、そう、現実世界の友人といっしょで、アクの強い奴ほど付きあってみれば愉しい、みたいなところがあるんじゃないか、と自分的には思ってるんですが。
 ほら、付きあいはじめは、個性の主張が強すぎて、ちょっと引ける部分もたしかにあるんだけど、相手を知るにつれ、そのような違和感は徐々に和らいでいくみたいな---ああ、コイツ、こんなにいい奴だったのか。知らなかった。もっとまえから知っときゃよかったなあ、なんてあとになってから思ったりね。
 今回の訪湯は9月の下旬でしたが、本来はもっと冬寄りの、雪のちらつく季節の湯浴みなんかが、ひょっとして理想的だったのかもしれません。
 だって、ぼた雪の舞う朝方の湯浴みなんてねえ、考えただけでお肌の穴がきゅっとなりますもん。
 というわけで、いつもの4小節ブレイク---うん、温泉ってやっぱいいよなあ! という例のひとこと感嘆でもって、今回の紀行の結びに替えさせていただきたいと思う、旅明けの湯けむりイーダちゃんなのでありました---。<(_ _)>

    




徒然その85☆越後「西方の湯」にて--親鸞聖人大立像の建立者:佐々木氏と語らう☆

2011-10-11 23:33:58 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆
                       

 えーと、今回のページは、前回の徒然その84☆日本一臭い!? 越後「西方の湯」探訪記☆の続編です。
 イーダちゃんは、そう、つい先月---2011年9月の末ですね---新潟中条市(胎内市?)にある、日本一臭いともいわれている、マニア向けの噂の名湯「西方の湯」を訪ね、連泊したのです。
 そこがもう評判通りの、まさに呻るしかない名湯であった、という内容は前ページでだいたい述べているので、まだ未読の方はそちらのほうを参照してもらえれば、と思います。 
 ただ、あっちの現地では、実は温泉外でも面白い話が多少ありましてね、今回のページではそちらがわの面にもズームをあててみようかな、とまあ目論んでる最中ってわけ。
 なーんだ、温泉とカンケーない話か、なら、いいや、とソッポをむきたいひとは、残念ながらここで、さようなら。
 でも、そうはならず、フムフムそれで? と斜め目線で瞳がキラリ☆の方は、ぜひこれの続きも読まれてほしいなあ、と思います---。 


                ×             ×              ×

 さて、ここでイーダちゃんの恥ずかしい性癖のひとつを、いよいよ告白せねばなりません。
 それは…暗がりが怖いということ。
 ええ、だから、僕は、たいていの場合、寝るときに電気を消しませんのです。
 温泉旅行なんかで泊まる部屋は、例外なく、一晩中もう煌煌ですね---イカンとは思うのですが、どうもこの癖は矯正できんのですよ。見知らぬ部屋でまっ暗闇にして眠るなんて、いまだにできません。
 というわけで、滞在時の「西方の湯」のこの28畳部屋でもそうしていたのですよ。
 だって、おっかないんですもの---夜になったら、館内中は異物ごたごたの化け物屋敷みたいでせう?
 外を見ると、巨大・親鸞像がゴーンと睥睨でせう?
 で、ひろーい大部屋の片隅に泊まり客は僕ひとりとくる---貴方だってこうしたシチエーションにいきなり放りこまれたら、ここはひょっとして浮遊霊の通り道なんじゃなかろうか? といったビクビク心理にきっと陥っちゃうと思いませんか?
 まあ、ちょっと現物の写真なんぞを見て、当夜のイーダちゃんの心理をどうか察してやってくださいな。


         

 ねっ、怖いでしょ怖いでしょ?
 だもんでイーダちゃんは28畳部屋の片隅の布団のなかでまーるくなって、電気を煌煌とつけっぱなして、恐怖の艶消し用にコンビニで購入した四コマ漫画のコミックなんぞをぼーっと流し読みしていたんですよね。
 そしたらね---大部屋のガラス戸を暗がりからふいにノックするひとがいる…。
 誰かと思ったら、管理人のおじいさんでした。
 28畳全部の電灯がついてたら電気代がかかってたまらないから、つけるならせめてあなたのいる一筋だけにしてくれ、とのこと。
 僕、ビールも入っていたし、ええ、うるさいなあ? と、やや憮然と対応したように覚えています。
 それが夜の9時頃のこと。そしたらね、このおじいさん、10時半になってまたくるの。
 仕方ない、窓際の一筋だけ残して、電気を消しましたよ---ああ、貧乏くさいなあ、なんて失敬な台詞を胸中でグチりながら…。

 すると翌朝の8時頃のこと---8時に到着する「のりんす号」を部屋で待っていたら、やはり大部屋のガラス戸をノックする方がいる。昨晩の、あの管理人のおじいさんでした。
 昨日はどうも失礼した、いまからコーヒーでも入れるが、ご一緒にどうか? とのこと。
 嬉しいお誘いじゃないですか。むろんのこと、僕に異論のあろうはずがありません。
 お誘いをお受けして、フロントのほうへお邪魔することにいたします。 
 で、こちらのフロントというか、事務所みたいなとこでおじいさんの入れてくれたインスタント・コーヒーを飲みつつ、お話をはじめたというわけなんですが、そうして判明したのは---このおじいさんは管理人なんかじゃなくて、この施設「西方の湯」の社長さんだったということです。
 これだけでも僕はかなりびっくりしたんですが、さらにびっくりしたことには、この方があの「親鸞聖人大立像」の建設者でもあったということ---。
 これには、イーダちゃん、マジびっくりしちゃいました。
 その昼の湯浴みのお客さんたちとさんざん噂してた社長さんがまさかこの方だったとは---正直、この施設全体のセンスから見て、もっと奇人で成金みたいなひとかと思っていたのですが、実際の社長さんはぜんぜんそんなんじゃなかった---こりゃあお話をうかがわなきゃ損だと思い、実は僕、プライヴェートでネットのブログっていうのをやってるんですが、それに社長さんのことを乗っけてもいいか、と唐突に尋ね、快くそれの許可をいただくこともできました。
 そうかね、僕は、PCというのはまったくやらないんだが、と社長さん、笑いながら、だんだんほぐれてきた感じです。
 それでは、ここらでそろそろ正式な紹介といきませうか。
 この社長さんの名は、佐々木明男さん---。
 温泉施設「西方の湯」の社長であり、さらには「親鸞聖人大立像」の発起人・兼設計者・さらに同時に建設者でもあられる方であります---。
 僕は、芸術家の知り合いとかはあちこちにいるのですが、企業人の知り合いというのは、自分の懐具合のこだまを外界に無意識に投影しているせいか、あいにくのことまったくおらんのですよ。
 ですから、この佐々木氏が見せてくれる経済誌「プレジデント」やら「経済人」、あるいは「日本の仏像」とかいった多くの書物に、この佐々木氏の記事が多く寄せられているのを見て、またまたびっくりさせられちゃいました。
 なんだー じゃあ、このひと、地元の名士さんじゃないのよー! といった種類の驚きですか。
 地位も名誉も財産もなーんもないイーダちゃんにとって、ええ、この佐々木さんの発する企業人オーラはまったく新鮮でした。
 質問するこちらの声にも自然と気合が入ります、

----しかし、なんでまた親鸞聖人だったのですか? 日蓮とか空海さんとかじゃなくて。

----それはね、やっぱり鎌倉時代、この越後に実際に親鸞聖人が流罪で流されてきて、この極寒の未開の地で、何年も布教したという事実があるからですよ…。そういった地縁めいたものに啓発された部分もあると思う…。

----すると、まえから信者さんみたいな面があったわけですか? あの歎異抄なんかを読んで…?

----うん、そういうのもあるけど、もっとストレートにいうなら、ある日、突然、親鸞さんが突然、私の夢枕に立ったんですよ。で、仏像を作ろうと思いたった…。

----思いたったって…? 思いたったといっても、実際にそれを作るとなるとまた別でせう? 思うのは簡単だけど、作るのは大変だ…。

----ええ、賛成してくれる人間は、どこにもいなかったですな…。

----はあ、どこにも、ですか…。

----ええ、私、金がなかったですから…。合併前の当時の市長も、会社の従業員も、とにかく顔見知りの人間はみーんな反対しましたな…。バカバカしい、そんなのできっこないじゃないかってね…。

----…あの…やや聴きづらいんですが、身内の方の反応は、どうでした…?

----ははは…身内なんて外よりひどいよ。完全な気○がい扱いでしたね……。

----うーむ、そりゃあ…。しかし、それにメゲないなんて…凄いですね……?

----そんなことないでしょう? その程度でメゲるなんて、そもそも自分の夢中が足りなかったってことじゃないですか…。自分が夢中にならなきゃ、ひとは決してついてきてくれませんからね…。

----すると、佐々木さんは、夢中だった?

----ええ、意識のあるときは、いつもそのことだけ考えてましたね…。とりあえず仏像建立の発起人になって、賛同者を集めるとこからはじめました。俳優の三国連太郎さんなんかにも声をかけてね…。

----ほう…。

----で、どうにかとっかかりがついたら、いよいよ仏像の製作ですよ…。実は、あの親鸞さん、もとは作者不明の民間の古い彫刻なんですよね…。それを、私がね、苦労して40メートル版まで拡大したの…。いや、凹凸を平らに均す3Dの技術って言うのは、専門の業者さんにしかできなくて、その部分だけは依頼してやってもらったんだけど、あとの部分は、アレ、全部私がやったんですよ…。もともと建築の会社をやっていたわけだから、そう難しくはなかったです。そうだ、それ御覧になってみます? これは実は、「プレジデント」の記者さんにしかいままで見せたことないんだけどね……。

 と佐々木さんがテーブルにばさっと取りだしてくれた資料の束は、僕を絶句させました---。
 だって、こーんな手書きの執念の束を見せられちゃあね…。
 僕は門外漢なんで建築の細かいとこまでは分かりませんが、この資料の図面を手書きで書くことの大変さはくらいはよーく分かるつもりです。
 ええ、僕は、このとき、佐々木さんの放つパッションの熱い香りにKOされちゃったのでした。
 どうぞ、皆さんも現物のコレを御覧になって、是非にもKOされてほしい、と思います---。

   
   


 いかがです? どうよ、コレ---凄いっしょ?
 ちなみにシャンプーハットみたいに丸くなってる図面は、佐々木さんによると、親鸞さんのアタマの部分だそうです。
 執念っていうのは、恐らくこういうのをいうんでせうなあ?
 いままで執念というと、僕は、ネガティヴな通り一編のイメージしかなかったんだけど、この佐々木氏の提示してくれた執念は、とてもいい意味で僕を驚かせて、洗ってくれたようでした。
 実際の建立工程にしても、最期の仕上げこそ専門の業者を呼んでやらせたものの、像の基礎的な部分は、佐々木さんを含めた3人だけでほとんどやってしまった、というエピソードには仰天しました。
 だって、あの巨像をたった3人で、なんてねえ---それこそため息モンですよ…。
 まえにもいったように、イーダちゃんはこの「親鸞聖人大立像」を決して高く評価してはおりません。
 藝術的には、たぶん失敗作、下品な見せ物的な存在にまで落ちてしまっている、とすら思っています。
 しかし---「西方の湯」滞在の最後の朝---予約の「のれんす号」の迎えを待ちつつ、この親鸞聖人大立像のまわりをウロウロしていたら、なんだか胸にこみあげてくるものがあったんですよ。


                        


 だって、佐々木さんのパッションの象徴たる親鸞さんは、ここにこうして未来永劫実際に立ってるんですから。
 むろん、永遠ってわけじゃない、でも、あと10年や20年くらいなら、大地震や戦争なんかでやられないかぎり、この親鸞さんはあくまでこの土地のこの場所に立ちつづけ、40メートルの高みから、我々の世界を超然と眺めつづけてくれることはまずまちがいないのですから…。
 仮に佐々木さんが亡くなられて、この像の作者が誰だか分からない世の中になったとしても、あいかわらずこの親鸞さんは我々の世を見つづけてくれることでせう。
 それは、なんというか、やっぱり凄いことなんじゃないかなあ?
 おお、迎えの「のれんす号」がやってきました。
 いざ、さらばなり、「西方の湯」! なんて胸中でひとり見栄なんか切ってみせて---。
 「のれんす号」の座席に乗りこんでクルマの後部ドアを閉めるとき、「西方の湯」の駐車場のまえの大きな水たまりの上の青空を、雄雌で繋がった赤とんぼの番いが数組、くるくると遊ぶように飛びまわっているのが見えました…。