ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
HPは http://www.ibuchan.com/

何したらいいの?

2008年12月30日 23時00分16秒 | 日常生活

12月30日(火)

いよいよ押し詰まってきたな~~~

犬の手も、猫の手も、孫の手も、娘の手もじじの手も借りたいけれど

何をしたらいいかが分からないばば。

朝から、さも忙しそうにガサガサ動く割には仕事はちっともこなせてない。

1日の終わりになって「今日は何をしたっけ?」の連続。

確かにした仕事と言えるのは、3度の食事の準備とじじのための刺身買いだけ。

 

アッ、今日になってやっと年賀状を書き終えたわ。

夜の10時過ぎてポストに投函してきたけれど

町内以外は絶対に元日には届かないな。

 

結婚以来、年賀状作りは、ばばの仕事になってしまった。

じじに「今年の年賀状に何て書く?」と聞くと

ショート作文を口頭で言うんだけど

「本当にこれで良い?」と確認すると

「ばばもちょっと考えてよ」って。

毎年、四苦八苦の末、合作で仕上げる。

 

どうして年末など女の人の仕事ばかりいっぱいあるんだろう?

掃除・買い物・料理作り、おつきあい・・・・・

毎日していることだけど、何だか気が重い。

毎年、「盆と正月なんてない方が良い」と真剣に考える。

 

ばばが小さい頃は、正月しか家族揃ってゆっくり出来ないし

ご馳走も食べられないし

新しい洋服・下駄・ボールなど買ってもらえなかったから

正月が待ち遠しくてたまらなかったけど

今は何でも日常的に好きな物が食べられ

洋服も不自由なく着られ

お正月だから・・・と特別にすることもない。

最近はお正月に島を脱出する家族も少なくない。

それでも、気が急き、落ち着かないのは何故・

 

去年、今年とむすめ達も帰ってきて

とても嬉しいんし、

親として何か美味しい物を食べさせてあげたいと思うけど

娘たちは「カレーで良い」って昼も夜もカレー。

まぁ、愛情込めて煮込んだカレーだから

「おいしい」と食べてくれるのは嬉しいけれど

「ばば、特別何も作らなくて良いよ。ある物から食べていこうよ」

って欲がない娘たち。

大晦日に鶏飯も可笑しいけれど、明日の昼は「鶏飯」でも作ってあげよう。

 

そう言えば、うちのむすめ達、親元に帰るとすぐ体調を崩す。

環境の変化のせいか?

寒い所から温かい所へ来ると体がびっくりして変調を来すのか?

だから、昨日迎えて帰る車中で娘に

「熱発などしたら1万円罰金取る」と宣言した。

3泊4日の短い滞在だけど元気に過ごし帰って行って欲しい。

 

年に数日間、会えるか会えないかの生活をしていると

娘たちが愛おしく、何でも好きな物を食べさせ、いくらでも寝かせ、

何処かへドライブでもして島の風景を目に焼き付けさせたいと思う親心。

 

ただ一緒に座って食事をするだけで「幸せ」だと思うばば。

親ばかなのかな?

 

明日は、大晦日。

朝から大車輪で仕事をこなさなくちゃだめだよ、ばば。


帰って来た~~~~~~

2008年12月30日 00時18分05秒 | 家族のこと

12月29日(月)時々小雨

次女と三女が帰って来る。

 

朝から何回も飛行機の時刻をチェックする。

15時10分着。

逆算して姉と二人で小雨降る中出発。

空港に向かいながら、わざと山道を通り、

門松として立てる松・竹・シイの木を切ることに。。。。。

出来ればユズリハも切りたいが

なかなか見つけるのが難しいらしい。

町民グランドからダムへ向かう道を逆走する。

途中、門松の材料を荷台に載せたトラック二台とすれ違った。

姉とばばもキョロキョロ辺りを見回すが、

ななかなか適当なのが見つからない。

ダムの近くまで行った時、やっと松の枝発見。

小さいのを選び六本切る。

近くで竹を二本切る。

後はシイの木だが、なかなか見つからない。

諦めて空港へ直行しようかと思った時、道端に切り倒されたシイの木の枝発見。

六本もらう。

そして、ユズリハは諦め空港へ・・・・・・・

 

途中、又友達の家四軒に立ち寄り用事を済ませる。

空降着が14時50分。

ちょうど良い時間だ。

待つことしばし。

 

到着ロビーで待つ。

約10分後、娘二人が現れた。

11月に会ったばかりだが、やはり我が子が帰ってくるということは嬉しい。

帰りは4人。車中おしゃべりをしながら賑やかに我が家へ向かう。

ちょうど港の近くまで来た時、沖に鹿児島へ上る定期船が見えた。

甥も、今日のこの船で帰ってくるのだ。

ついでに迎えて帰りたいが、門松と人間4人でばばの車は満杯。

3,4分で我が家までひとっ走り、荷物だけ下ろし港へ。

おりよく船から下りる甥を女4人で迎えて我が家へ。

じじ両親宅へみんなで行く。

母は、大皿のいっぱいご馳走を作って待っててくれた。

我がむすめ達の好きな卵焼き・豚骨・島蒲鉾の焼いた物、魚等々。

 

じじ母は孫達が帰ってくると大張り切り。

「あれ食べなさい」「これ食べなさい」攻撃が始まる。

孫達が帰る前から夜なべまでして毛糸で帽子やマフラーを編んでいるじじ母。

ばばは?

まだ、なあんにもしてないな、娘たちを喜ばせること。

 

娘たちは、たった4泊5日の帰省。

何とかリラックスさせて、美味しい物を食べさせて・・・・・・

明日からが楽しみだ。


2008年12月28日 19時52分39秒 | 家族のこと

12月28日(日)

ばばと姉は6才違いである。

でも、ばばが20代の頃から姉と二人でいると

ばばに「お姉さんですか?」と言う人がほとんどだった。

年を経ても変わらず、いつもばばが姉より年上に見られる。

「お姉さんですか?」と言ってばばが「いえ、妹です」と

答えようものなら、「お姉さんは童顔ですね。あなたは、

背が高くて・・・・・・」等と言ってしまった人はフォローに必死になる。

ばばは、「若い頃から、ずっとお姉さんと言われていますから・・・」

と答える。

姉が丸顔に対して、ばばは細長顔、

おまけに年と共に目がくぼんでしまったので(何処までくぼむのやら?)

どうしても老け顔に見られてしまう。

もう、30年近く通う美容室でも、やはり間違えられる。

ばばはもうとっくに諦めているし、

「お姉さん」と言われるのにも慣れっこになっているよ。

 

今日も、朝から姉といつもの美容室に行った。

そこで働くNちゃんが

「ばばちゃんが、じじさんと初めて来た時は兄妹かと思った。

だって、顔がそっくりだったから」と言った。

パソコンの調子が悪いと言うことでじじと二人で何回か一緒に

美容室に行ったことがあるからだ。

そこまでは良かった。

だって、顔の似ている夫婦って円満って言われるから。。。。。。。

その後Nちゃんは「ばばちゃん、じじさんって若いですね」と言った。

夫婦って分かってからもじじの方が年下と思ったようだ。

兄姉と思った時も、もちろんばばがお姉さんと。。。。

 

そう言えば、11月、京都旅行の時も

親子に間違えられたっけ。

いくら何でも親子って?????

じゃ、ばばは、もう80才以上?????

ばばの方がじじより1才2ヶ月は確実に年下なんですけど。。。。

親子と言われたじじはさも嬉しくてたまらないというように、

ニヤニヤしてたよな・・・・・・

その後、笑い転げたけどね。

くやしぃ~~~~~

そのことを話すとNちゃんが

「親子と見えなくないこともないかも・・・・・」って。やっぱり!

(あれっ、ややこしいな?)

 

じじは、同級生の間でも若く見られる方だと

いつも自慢している。

じじがよく話すけど、晩熟タイプで小学校高学年から

中学校までは一番背も小さい方だったらしい。

高校生になって急に背も伸び、

他の同級生に引けを取らなくなったんだって。

 

ばばはどうだったっけ?????

いつも、自分では普通、普通で通ってきたような気がするが。

 

美容室に働くNちゃんが「じじさん若い」って言うので

「じじ喜ぶよ~~~。嬉しいこと言ってくれるNちゃんに会いに

明日から毎日、じじが通ってくるかもプレゼント抱えて」

ってばばが言うとみんなで大笑い。

さらに「親子なんて言われた日にゃ、じじ喜びすぎて

Nちゃんに豪邸なんか一軒くらいプレゼントするかも」と

ばばが言うと、またまた大笑い。

 

年より若く見られたいと思うようになると

本当に年取ったせい?

ばば、じじと「親子」と言われようと

ぜぇ~~~んぜん、気にしませんよ~~~~だ。


生みの親を知らず成長する子と余所の子を育て続ける親と

2008年12月27日 21時24分14秒 | 自然のこと

12月27日(土)

日曜日夜のNHK「ダーウィンが来た」という番組をじじと二人してよく見る。

約一月前の放送は「ジュウイチ」という鳥が主人公だった。

ジュウイチという鳥は他の鳥の巣に卵を産んで

子育てをしてもらうそうだ。

他の鳥の巣に卵を産み子育てをしてもらう・・・・・・

これを「托卵」と言うそうだ。

卵を託す・・・・・・なるほどな。

他には郭公も托卵をする鳥だそうだ。

 

まず、ジュウイチの親は卵を産んだオオルリの巣に

オオルリが留守になった隙を狙って飛び込み、卵を産むそうだ。

オオルリも卵が一個増えても全然気づかないらしい。

 

卵から雛がかえると・・・・・・

ジュウイチの雛はすさまじいことをする。

それはオオルリの親が餌を探しに行っているすきに

ジュウイチはオオルリの雛を1羽ずつ背中に乗せ小さな羽を使って

巣の外へ放り出すのだそうだ。

餌取りから帰ったオオルリは巣から落とされ我が雛を

助け上げると言うことは絶対にないそうだ。

巣から放り出されたオオルリの雛にとっては生き延びる術はないと・・・・・・・・・

ジュウイチって居候のくせにふてぶてしいね。

オオルリの雛を巣の外へ全部放り出すのに2,3日かかるそうだが

オオルリの両親は我が子かどうか見定める暇もない短期間に

ジュウイチは素早く行動するのだそうだ。

なぜ、ジュウイチはオオルリの雛を巣の外へ放り出すのか?

それは成長した時にジュウイチの方がオオルリより5倍くらい大きくなるので

餌もたくさん食べなければならず、その餌をえるために他の雛を放り出すのだとか。

 

そんなこととはつゆ知らずオオルリの両親はせっせと餌を運び続ける。

どんどん体が大きくなると餌もたくさん食べなくてはならない。

そこでジュウイチは分身の術なる物を使うそうだ。

分身の術とは?

ジュウイチが羽を伸ばすと、羽の裏は黄色で形も雛の口の形とよく似ている。

オオルリの親は両羽を広げて餌を求めるジュウイチを見て

3羽も雛がいると勘違いし(両羽と本物の嘴で3羽)

せっせと餌を運ぶのだとか。

 

そしてジュウイチが成長すると、

ある日急にオオルリは餌を巣に運ばずわざと遠くの木の枝に止まる。

ジュウイチは餌が欲しくて泣く。

いくら泣いても餌がもらえないので雛は思い切ってオオルリの方へ飛ぶ。

そう・・・・・巣立ちを促しているのだ。

それでもすぐには餌を与えず高い方へ高い方へと移動し

ジュウイチも後を追う。

そして、外敵に襲われない場所まで来たときに初めて餌を与えるのだ。

 

こうして何日か後には育ての親オオルリとも別れジュウイチは独り立ちをする。

オオルリに育てられたジュウイチは一生、生みの親を知らずに成長する。

また、オオルリは我が子数羽をジュウイチに殺されながらも

その憎き犯人を育て挙げるという皮肉な運命。

 

托卵される鳥も我が卵を守ろうと托卵を運んで捨てるが

托卵する方は、懲りずに何回も卵を産むそうだ。

 

卵の色も明らかに違うのにどうして親鳥は自分の卵と

托卵の区別が付かないのだろう?。

どうして、巣から放り出された我が雛を助けないんだろう?。

 

自分の子孫を残すために必死なんだなあ、鳥の世界でも。


ばばだけじゃない!

2008年12月26日 19時00分38秒 | 日常生活

12月26日(金)

夕べ、友達のYさんから電話があった。

Yさんが「今日は、A小学校から3名の先生方が

花園の花を見に来た」と話し出した。

A小学校と言えば、じじとばばが夫婦して同じ職場に4年間勤務していたので

とても懐かしかった。

ところがYさん、話している途中で

「あれっ、お客さんが来たのA小学校からだったかな?

O小学校からだったかな?」と言いだした。

そして、迷いに迷い「A小学校からだったわ」と言ってアハハと笑った。

「最近、物忘れがひどくて昼間あったことも夜には忘れてしまうわ」と言って

又、アハハと笑った。

ばばは、「やった!友達が出来たわ」と言って二人して又笑った。

 

最近、ばばは朝のことどころか、ついさっきのことも忘れてしまうことが良くある。

昨日の朝なんかじじと二人して、笑い転げあうようなことが。。。。

 

まず、朝食時じじが「あれっ、じじのマイカップがない!」と言い出した。

飲み物を飲む時には必ず使っているカップがないと。。。。。

じじの部屋、テレビの前、ベッドの枕元、冷凍庫の上・・・・・

ありとあらゆる思いつく所を二人して探し回ったが無い!

ばばが、諦めた頃「あった!」ってじじの声。

「どこに!」とばば。

「俺ってバカだなあ。牛乳を入れて温めようと

さっきレンジの中にカップ入れたのに忘れていたよ」って。

ほんの数分前のことなのに・・・・・・・・・・・

ひとしきり笑いあった後、今度はばばが「あれっ!」

何と、昨日はクリスマスだから、朝からケーキを食べようとお皿に入れたはいいが、

お皿にフォークが2本。

最初からお皿にフォークも添えて準備したのに

食べる前に「あれっ、フォークがない!」

と慌ててもう一本持って来てケーキに添えたのだ。

じじが、「ばばだって、じじ笑えないじゃない」って。

いいもん、フォーク両手に持って食べるから。

っていうわけで、朝から大笑い。

 

最近、とんと物覚えは悪くなり、物忘れはひどくなった。

緊張感が無くなったせい?

いえ、やっぱり年のせい?(・・って思いたくないけど、現実だもんね)

 

全く自分で自分がイヤになるくらい。

無意識の行動してしまうことが良くあるばば。

蛍光灯のリモコンを、何と押入に入れてあって半日探し回った。

 

人の名前もすぐに思い出せなくなった。

先日、あるお店の方がカレンダーを持って来てくれた。

毎年手帳もいただいて、じじが重宝しているが

今年は忘れたらしく、「もう一回来ます」と帰って行かれた。

ありがたいし、たまたま実家から取ってきた喜界ミカンがたくさんあったので

少しお裾分けしましょうと待っていた。

名前もよく知っている方だし・・・・

 

しばらくしてその方は戻ってきた。

そして、じじに手帳を下さった。

そして、ばばは喜界ミカンの入った袋を片手に

名前を呼びかけようと思ったが、一瞬にしてど忘れしてしまった。

ついさっき、「Kさんが戻ってきたらミカンでもあげなさい」とじじも言って

ばばも、しっかり覚えていたのに。。。。

ばばは、Kさんの名前が浮かばずミカンの入った袋を差し出したまま

「これ、実家から取ってきたミカンです。

職場でお茶の時間にでも皆さんであがってください」と差し出した。

ついに名前が思い浮かばず,Kさんが帰った後

「じじ、今の方のお名前、何て言ったっけ?」って聞く始末。

あ~~~どうしようもないばば。

 

じじも負けじとばかり・・・・

夕べはテレビ番組で4時間も歌番組があり

松山千春が歌った。

するとじじが「松山千春と、ホラ、乾杯を歌うあの歌手・・・

確か鹿児島出親だったよね、う~~~ん、名前なんて言ったっけ」

と言うので、ばばが「ほら、Nがつくよ」と言っても

「ナカヤマ?・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なかなか・・と言うより最後まで思い出せなかった。

長渕剛ですよ、じじ。

 

長渕剛の名前を覚えていたって、

自分の身近な人の名前思い出せなかったら

ちっとも自慢にならないよね。

 

始めに書いた、ばばに電話をくれたYさん、

最後に又笑わせてくれた。

実は・・今日昼間、買い物をしたはいいが、お金を払って

荷物はお店に置いて帰ってきた」って・・・・・

 

楽しいね。

年と共に、自分の行動を自分で笑うようなことが毎日あるんだもん。

えっ、笑ってる場合じゃないって?

そうだよねぇ~~~~~~。

 


ワッ、ワッ~~~~

2008年12月25日 18時53分13秒 | 日常生活

12月25日(木)

夕方6時を回る頃、いつものように刺身を買いに出かけた。

あたりは暗くなっていたが

ばばが家に向かって歩いていると

反対側から高校生ぐらいの男の子が歩いてきた。

だんだんそのことの距離が近づいて時、

ばばは、何気なくその子の顔を見た。

顔全体を覆い隠すぐらいのマスクをしているように見えた。

距離がもっと近づいた時、ばばはギョッとした。

何とそのこの顔が青白くボォ~~~っと浮いて見えたのだ。

ばばは、思わず「ギャ~~と叫びたくなったが我慢した。

落ちついて、おとこの顔を、よぉくよく見れば・・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!

なんという事はない。

その子は暗い道を歩きながら携帯画面を見ていたのだ。

メールチェックでもしていたのか?

それとも?????

携帯の画面の光で男の顔が青白くボォ~~と見えたのだ。

何で、暗闇を歩きながらまで携帯触らなくちゃいけないの?

足もと危ないよ。

それに年末、行き交う車の数もハンパじゃないでしょ。

前・後・横からも車来るよ。

ドキドキした恐怖感の後、怒りがこみ上げてきたばばであった。

 

それと、もう一つ、最近ばばが気になることが・・・・

それは、ゴミを出す日、いつも気になること。

ばばの住む町でも7,8年前から

ゴミ出しに有料で町指定のゴミ袋を利用している。

袋には記名し、決められた時間までに所定の位置に出すのだが・・・

当初、袋に記名して無いゴミは回収せず置きっぱなしにされていた。

そのうち猫や犬が食い荒らすのだろうが

袋は破れ、生ゴミが散乱し悪臭を放ち・・・という状態だった。

記名しないでゴミを出す人と、記名してない袋は回収しない業者との

根比べかなあとばばは思っていた。

出来れば、業者に勝って欲しいと内心思っていたが

ゴミはプライベートな物。それに記名するのもなあ・・・・とも思っていた。

記名しないと分別の仕方がバラバラで色々悪影響もあるだろう・・・・

名前が分からなければ悪いことをして良いのかな?

 

ばばはしばらく,この根比べを見守っていたが

ついに勝負あり

放置されたゴミ袋を出した人を特定できなかったからだろうが

いつの間にか記名無しでもどんどん回収するようになってしまった。

これは、袋に記名せずゴミを出す人の勝ちか?

でもばばは、スッキリしない。

ばばは、きちんと記名しているよ。

しかし、買い物などに行きながら出されたゴミ袋を見ると

記名してない袋も最近は大分ある。

 

町は、記名を徹底するならするで、

記名しなくても良いのなら(ほとんどの人が賛成するだろうな)

その旨広報して欲しい。

 

記名をする人が損?という言い方はいけないけれど

今のままではいけないと思う。

ばばもなるべくなら、ゴミ袋に名前なんか書きたくないよ。

でも、三町の決まりだから、きちんと守っているけど。

 

記名していない人は、勇気がある? 

まさかね。

こんな勇気はいらないよね。 

 

いろんなことで腹の立つことが多くなったばば。

年のせい? 


じじは○○大好きだけど、ばばは○○大嫌い!

2008年12月24日 14時41分46秒 | 家族のこと

12月24日(水)

ばばの家には薄型テレビが1台ある。

ところが今朝10時過ぎ頃だっただろうか?

じじが寝室のじじのベッドの上に旧式のテレビを設置し

視聴できるようにし始めた。

何日か前 ばばが「テレビみながら寝たい」という時もあるから

寝室にも小さいテレビ欲しいなって言っていたのを

ちゃんと覚えていてくれたんだね。

さすが、ばば思いのじじ!

 

少し前まで表の間には旧式の大きなテレビを置いて

寝室のじじのベッドの上に大きな薄型テレビを置いていた。                          (ちょっと不安定で怖かったけれど)

しかし、表の間に陣取っていた旧式のテレビは先日じじが知人にあげた。

その後、じじのベッドに置いていた薄型テレビを表の間に移した。

だから、寝室にはテレビが無くなった。

 

ばばは、普通ラジオを聞きながら寝ることが多いけれど

たまに眠れずにテレビをみることがある。

ちょっと贅沢かも知れないけれど

寝室にも小さなテレビが欲しいと じじに言い続けていた。

するとじじは、自分の用事で量販店に行ったついでに

お店にあった各社のテレビのカタログを7,8冊ももらってきた。

そして、ばばに「ばばが好きなのを選べば」と言ったのだ。

これが、つい1週間ほど前。

そして昨朝、ついにじじが行動開始した。

 

「ばば~~、この部屋でもテレビ見えるよ」と言うので

どこからかテレビを入手したのか?と訝りながらも

(やっぱりじじって、いつでもばばの願い聞いてくれるんだ~~)と

感動していたのもつかの間。

よくよく考えてみると、じじがこんなに自分から行動を起こすとは

何か魂胆あってのこととばばは睨んだね。

なぜなら、昨朝じじとばばの朝食の途中、

テレビで番組予告が流れたんだよね。

何の予告だと思う?

夜6時55分からボクシングの試合があったのよ。

内藤チャンピオンと、山口チャレンジャーの対戦。

じじは大の格闘技好き人間。

他にも、相撲、空手、柔道などとなると目の色変わる。

だって、大相撲のある2週間は夕方の散歩も取りやめるほどの熱中ぶり。

と言っても、日中の時間が長い夏の間は

相撲の終わり頃の良い取り組みまでには家に帰れるよう

熱い日射しの中をじりじりお日様に照られながら歩くんだよ。

そして、秋から冬は日暮れが早いので、相撲のある15日間は

「今日の散歩は無し」って勝手に法律作るんだよ。

 

そんなじじだから、ボクシングと来た日にゃ、目の色変わって当たり前だね。

だから・・・・・・・・・・今朝は早うから寝室にテレビを設置し

万が一に備えたってワケ。

万が一って??????

ばばが、もし、じじと同じ時間帯に見たい番組があって

「見たい!」って主張するかもしれないでしょ。

だから、予防線を張ったんだね、ばばの先手を打って。。。。

ばばは、じじが「テレビを設置した」って言った時点で ぴーんと来たね。

 

でも、いつの間に、どこから、テレビを調達してきた?

ばばは師走のこの忙しい時にカタログ見るのも面倒くさくて

もらったカタログじじの勉強部屋に投げ込んでおいたのに。

じじがお店に行った形跡もないのに?

もしかして、ばばが実家の庭木の伐採や整理に行ってる間に

新しいテレビを買っておいて、ばばを喜ばそうと

何処かに隠しておいた? まさかねぇ・・・・・と思いながら、

半分期待して寝室を覗くと・・・・・・・・・・・・・

 

あらららら~~~~~~~~~~~

使わないままじじのベッド脇に放置していた小型の旧式テレビが

いつの間にかじじのテレビの足元の台上に鎮座してござった。

ばばが「またまた~~~そんな古いのいらないから!!」って言うと

「新しいテレビだからって,映るのが変わるわけじゃなし、いいがねぇ」だって。

ははぁ~~今晩ボクシングの放映中、

ばばにこの古びたテレビを見なさいってことか? ・・・・と言うことで

夕べは、いつもなら確実にNHKのニュース番組を見るじじが

何と6時50分にはテーブルについてスタンバイ。

(あ~~~イヤだなあ。食事中に流血もある闘いを見るなんて) と、

ばばは内心大いに不満。

だが、そこはじっと我慢我慢。

 

なるべくテレビの音を耳に入れぬよう正面の家族の写真を見たり

12月のカレンダーを見てむすめ達が帰る日を数えたり

意味もなく・・4・10・16・22日が「大安」なのに気づき

6日おきに大安なのに何故、22日の6日後は

「大安」じゃなくて「先勝」なの と考えたり

1日は「さんりんぼう」って書かれていたので

(そう言えば母が「さんりんぼう」のひは悪いことが起こりやすいから

気をつけるんだよ)と言っていたことなどを思い出していた。

それでも試合の様子を伝える絶叫調のアナウンサーの声は耳に入る。

ほんとうに「やだねったらやだね」の氷川きよしの歌の歌詞が頭をグルグル回る。   

目と耳を背け続けること約1時間、

何とか試合は終わったが チャンピオンが勝ったようだ。

嬉しいだろうね、当然だよね。

でも、チャレンジャーが打たれても打たれても前に出続け

ダウンしてもレフェリーが止めるまで果敢に立ち向かおうとした姿

試合後の出血した顔がチラッと目に入った時

ばばは勝負の世界の厳しさを思い胸が詰まった。

何で、人間同士殴り合う競技なんかあるんだろう?

ばばは喧嘩大嫌い。

血を見るのも大嫌い。

人間同士、声を荒げるのを聞くのもイヤ。

だから、プロレスやボクシングを見ると胸が痛むので見ない・・・・・・・・・

っと言いつつ、何で? しっかりボクシングの試合は耳に入ってるじゃない?

あんなに気を逸らそうと努力したのに、何で?


じじが怪しい!!!他、危うく・・!

2008年12月23日 14時47分26秒 | 家族のこと

12月23日(火)時々小雨

最近、じじがやけに朝ウキウキしているようだ。

怪しい!絶対怪しい!

だって、数日前なんか、ばばが裏口玄関から覗いているとも知らず

足取りも軽やかに海岸通りから家に向かってスキップ・・・

・・・・違ったランニングしていたもんね。

これは、真相追求しなきゃ・・・・

って思っていたら、じじの嬉しげな、その原因が解明。

 

ずっと続けている朝のジョギングで仲間が出来たんだって。

その方はじじより17才ぐらい年下だそうだが

パソコンのプロで、HPを作ったり

パソコンの修理などを専門としている方だそうな。

今のじじは「狂」がつくぐらいパソコン中心の日々だから

じじにとって話題が合う友達が出来たってワケ。

良かったねぇ、じじ。

 

共通の趣味を持つ話し相手ができて嬉しそうなじじだが

あと一つ・・・・・・

これまでは、じじは女性の顔や、ばば以外の女性の名前を覚えるのが

とんと苦手だった。

だから、テレビに出るアイドル・タレントはもちろん、女優さんなんかも

顔と名前を覚えているのは、ほんの僅か。

ところが、最近、たまたまばばがテレビCMに出ている「藤原紀香」を

「スタイルが良いね、じじ、こんな人どう?」と水を向けると

「おっ、いいねぇ」ってイヤに乗り気。

「こんな女性なら良いねぇ」って宣うので

ばばが、「熨斗付けて、紀香さんに送って差し上げましょう」と答えた。

ご主人の陣内さんに叩き出されても、ばば知~~~~らないっと。

 

 

これまでブログでばばのオッチョコチョイぶりは

何度か書いてきたけれど・・・・・・・

じじの家系もけっこう「あわてん坊な」ところがあるとは

じじから聞いてはいた。

そんなじじとばばの子ども、3姉妹でもドジ筆頭は次女さん。

しかし・・・・・・・・今日は・・・・長女が・・・・・・・・・・あやうく、やらかしそうだった。

 

実は、数日前に孫達が好きだというモンキーバナナを一本入手したので

送ってあげることした。

バナナがそんなに大きくもないので、箱の隙間にはポンカンも数個入れ

それでも隙間があるのでクッション材を入れた。

そして殴り書きした手紙と

先日誕生日だった娘への誕生プレゼントも一緒に入れた。

 

荷物は朝九時までに送ればその日の飛行機で運ばれ

翌日には配達される。

しかし、2,3日経っても「届いたコール」が無いのが気になった。

もしや、本人か家族の誰かが病気?と思った。

 

ばばが長女のことについて書いたブログを見たという電話を

長女からもらった時、「風邪でダウンして家族に迷惑をかけ大変だった」と言うので

もしや???と言う気がしていたのだ。

そこで、今朝、こちらから電話を入れたら、少し咳き込みながら娘が出た。

「風邪大丈夫?」と聞くと

本人は大分良くなったが、上の子が40度くらいの熱が出て大変だったと言う。

幸いインフルエンザではなかったが高熱でなかなか手が離せず

それで電話も出来なかったんだと・・・・・

 

40度の熱が出た孫はまだ回復していないと言う。

しばらく話した後「荷物届いた?」と聞いた。

「バナナを入れてあるので、

傷んでいないか心配だったから電話したんだよ」と言うと

荷物は、こちらから送った翌日に届いたと言う。

・・で、「誕生日プレゼント見た?」と聞くと

「うん、ありがとう」と言うのでホッとした。

 

いったん電話を切って10分くらい経ったろうか?

電話が鳴った。

ばばは台所に立っていたので「じじ~~お願い!」と言うとじじが出てくれた。

やけに親しげに話しているので

「誰?」と聞くと「はなちゃん(長女)から」だと言う。

なんで?さっき話したばかりなのに?」と訝りながら

「はなちゃん、何て?」と聞くと

「やはり、僕の子だなあ。。。。ばばが書いた手紙と

誕生日プレゼント、今見つけたって・・」という答え。

エ~~ッ。

そう言えば、小包荷作る時、クッション材のすぐ下に手紙入れたよなぁ。

もしかしたら、クッション材に手紙がくっつくのでは?と

チラッと思ったんだけど・・・・・・・案の定?

ばばが悪かったなあ。。。

ばばが電話で「手紙と誕生日プレゼントも見た?」と言ったので

「んっ?」と思ったはなちゃんは慌てて小包の箱をひっくり返してみたのだろう。

もし、ばばが電話もせず、はなちゃんは何も気づかず

ゴミ出し日に箱を捨てていたら。。。と思うと。。。。。。。。。。。。

実家へ作業に出かける前にバタバタと荷造り、

殴り書きの短い手紙と

遅ればせながらの誕生日プレゼントも入れて送ったはなちゃんへの小包。

 

あ~~、今日、電話して良かった!とばばは改めて思った。

 

娘たちへ小包を送るなんて年に何回かのばばだけど

これからは、もう少し落ち着いてきちんと荷作って送ってあげようと反省!

 


ふうぅ~~~

2008年12月22日 21時05分30秒 | 家族のこと

12月22日(月)時々

20日から始まった実家の庭木の剪定

やっと終わった~~~~。

H兄さんによる木の剪定は昨日で終わったのだが

その片づけが今日までかかったのだ。

でも、まだ満足できないので、後1,2回は通うことになるだろう。

夏の頃の剪定では、姉とばばの仕事は大きな木の枝を百回以上くらいも

あちこちから引っ張っては数カ所に積み上げる作業だったが

今回はその時積み上げた木の枝が枯れたので

それを庭で灼ける分は焼き、庭で焼けない分は

裏の畑に運び上げて全部焼くのが主な仕事だった。

 

すっかり枯れた木の枝は勢いよく燃え

近づくだけで顔が熱くなる。

火から数メートル離れた植物の葉が茶色く焼けるのをみると怖いくらいだ。

庭で焼いている間は屋根の上に引っ張られている電線?

まで火が届きそうでハラハラしながら次々枯れ枝をくべた。

裏の畑では中央に山のように木の枝を積み上げてあったが、

周りには雑草が生え放題で、ハブが潜んでいるのではないかと怖くて

うかつに足が踏み入れられない。

H兄さんが、約30分かけて周りの雑草を刈り払い、

焼く場所を小さく確保してそこに枯れ枝を少しずつ引っ張って焼いた。

兄さんがするのを見て、次はいよいよばばが燃やす番だ。

枝を投げ込むとゴォ~~~ッともの凄い音がして、

勢いよく火の手が上がり飛び火しないかとても怖い。

焼いている左手はフクギが1列に植えられ

北側はソテツが、ソテツの後方はサトウキビ畑、

右手は喜界ミカンの木、さらに家のミカンの木の隣は、

隣宅のミカン畑でポンカン・タンカン・キンカンがたわわに実っている。

もし、飛び火でもさせたら大変なことになるので、

生木の棒で燃やしているものを押さえつつ燃やし続けた。

それでも、せっかく大きく実った我が家の喜界ミカンと

その葉は火であぶられて茶色になっていく。

ミカン大好き人間のばばにとってはもったいなくてたまらない。

火の粉が飛ぶ時は本当に怖くて、水道から畑までホースも引っ張って、

不測の事態に備えた。

こうして約7時間くらい枯れ枝を燃やし続けた。

5時を過ぎると薄暗くなるので、まだくすぶっている庭の燃え跡に充分水をかけ、

次いで裏の畑の消火。ところがなかなか鎮火しないンだなあ、これが。

水をかけてもかけても煙は出続け、棒で燃えかすをかき分けると

火のついた木が次々出てくる。

何と鎮火まで一時間かかった。時刻は6時過ぎ。

7時までには亀津のお魚やさんに行かなければない。

ひたすら車を走らせ6時45分、無事到着。

やっとじじの刺身を買って帰れた。

 

2日目・・・・も、ただただ火の番。

朝8時半に火を付け夕方5時過ぎまで延々と

枯れ枝や草を引っ張っては燃やし続けた。

合間にH兄さんが切り落とす木の枝も青いままくべて燃やす。

青い木の枝がパチパチと音立てて燃えさかるなんて、ばばは初めて知った。

昨日に続き高温の炎にあぶられる喜界ミカンはどんどん茶色になっていく。

あ~~もったいない。

早く収穫したいと思いつつも火から目が離せない。

姉は炎の熱で顔が熱~~くなり、脱水症状のようにまでなってしまった。

それでも、黙々と火を燃やし続け、

夕方、又消火には1時間以上かかって、何と魚屋さんにたどり着いたのは

7時5分前。滑り込みセーフ!

魚屋のお姉さんが「ばばさんが来るまではちゃんと開けて待ってるよ」

っておっしゃって下さりありがたかった。

家に帰り、じじが夕食を始めた傍らで姉とばばは「焼き喜界ミカン」を食べてみた。

でも、けむりの匂いがし、傷んでるような味がして全然美味しくなかった。

本当の焼きミカンは皮が黒こげになるまで

オーブンとかグリル等で焼いて食べるそうだが煙で2日も燻され状態の

ミカンは全然美味しくない。

期待していたのに・・・・・残念!

 

3日目。

昨日で木の剪定作業は全て終わったので

今日はH兄さんはいない。

姉とばばだけなので9時半頃家を出て昨日焼き残した分を焼くことに。

しかし、今日は昨日までと違って朝から今にも降りそうな曇り空。

その上、風も強い。

心配はしながらだったが、枝焼き断行!

昨日までは,H兄さんがいるので、何となく心強かったが

今日は姉とばばだけ・・・・・風も強いし、心細い。

今朝方降った雨で枯れ枝も濡れ、火付きも悪かったが

無理矢理段ボールなどを燃やして火を付けた。

「今日は午前中では終わるだろう」と高をくくっていたが

何と終了時刻は昨日とほぼ同じ。

おまけに、燃え残りの枝もたくさん出て、

折から小雨もチラつき出したので5時過ぎから消火活動。

 

考えてみると今日は実家に着いてから畳の上に1秒も座っていない。

ずぅっと、裏の畑で立っているか、中腰で座って1日、仕事をした。

お昼も火の番をしながら、フクギの大きな枝を敷いて座り、

おむすびを食べただけ。

 

この三日間、よく頑張ったなあ。。。。。

じじが褒めてくれないので、ばばは自分で自分を褒めまくっている。

 

庭は見違えるように整然と木々が剪定され

父が元気だった頃のような庭になった。

 

ほとんどの枯れ枝、枯れ葉が焼かれ、ハブ出没の心配もなくなった。

すっかり広々となった裏の畑には喜界ミカンの木が2本と

温習ミカンの木が1本、それにパパイヤの木が2本だけ。

スッキリと片づいた。

ばばの夢は、この畑に

ポンカンとタンカンの木を2本ずつぐらい植えたい・・・・・・・ということ。

喜界ミカンと共にポンカンやタンカンが枝もたわわに実るのを想像するだけで

ばばは、ここ3日の苦労なんか忘れてしまえる。

 

ところで、ミカンの木って何年目くらいから実を付け始めるのだろう?

ばばが昼食後もいで食べた喜界ミカンの種を捨てた所からも

ミカンの芽がニョキニョキ。。。。。。。

裏の畑は季節によって噎せるようなミカンの花の香りがあふれ

真っ黄色に熟れた無数のミカンが。。。。。。。。。

あぁ~~~なんて素晴らしいことだろう!

 

 

しかし、現実は・・・・

お風呂に入ると木の枝や棘で引っ掻いた体のあちこちにお湯が沁みて痛い。

朝起きると、体の節々が痛い。手のひらも何故か痛い。

でも、やる時はやらなくちゃ。。。。。。ばば。

 

実家通いの間は、じじのお昼の世話も充分できなかった。

食事の準備をし、何が何処にあるか説明をし、

じじはひとりぼっちで自炊。

明日からは、ちゃんとお昼も一緒だよ。

 

明日の朝、ちゃんと起きられるだろうか?

一仕事終えたばばは、ホッとして「眠り姫」ならぬ「眠りばば」になるかも。

 


おめでとう!

2008年12月21日 23時02分46秒 | 家族のこと

12月21日(日)

みーちゃん、誕生日おめでとう!

電話であなたの元気な声聞いて安心したよ。

昨日、今日と実家の庭木の伐採の手伝いをしながら

ずっと、みーちゃんの誕生から2歳頃までのことを思っていたよ。

あなたの小さい時のことを思う時ばばは胸詰まる思いがする。

加計呂麻での共働きのため、生後3ヶ月のお姉ちゃんを

徳之島のじじ両親に預け、更に1歳半の貴方も預け仕事を続けたばば。

あなたが生まれた時はたまたま、昼間預かってくれる方があり

加計呂麻でじじとばばと3人で暮らした。

みーちゃんは小さすぎて覚えてはいないと思うけど。

朝はじじが自転車の前の前カゴにあなたを入れ

昼間世話してくれる方の家まで連れて行き

仕事が終わるとばばが迎え、

そしてじじが帰ってくると自転車の前かごに乗せて

ばばの夕食の準備が終わるまで

あなたをあちこち散歩に連れて行った。

だから、あなたは完全な父親っ子。

じじはお風呂・オムツ替え・夜中や早朝のミルクをあげることまで

全部引き受けていたんだよ。

でも、じじは優しいだけでなく、

あなたが聞き分けが悪い時はピシッと叱り、

それでも聞かない時は外へ放り出したりしていた。

1才ちょっとだったあなたが

「ごめんなさ~~い。もうしませんから許して下さ~~い」と泣き叫ぶ様子に

ばばも泣きたかった。

でも、やはり悪いことは悪いと分からせるために

じじは心を鬼にしてあなたに厳しくしていたし、ばばは黙認していた。

じじは、週末には町営船に乗って古仁屋に渡り

あなたのための離乳食をどっさり買ってきてあげていたんだよ。

 

はな姉ちゃんと離れているのは辛かったけど

あなたがいつも傍にいてくれてじじも、ばばも幸せだった。

じじとばばも仕事以外は「全てみーちゃんと」という生活だった。

加計呂麻の小さな集落での生活だったけど

あなたは集落中の方に可愛がられ

じじやばばの職場の同僚にとっては正にペットだった。

周囲の愛情に包まれすくすく育っていたあなたが1才ちょっとの時

ばばは破傷風になり、おまけに手遅れ状態で

通常の数百倍もの血清を打ってもらい

約3日間の意識不明状態が続いたそうだ。

その間、じじとみーちゃん二人の生活だった。

ばばは20日ぐらい入院し、元気に退院できた。

再びあなたを抱っこ出来た時は

涙が出るほど嬉しかった。

(生還できて良かった)って心底思った。

家に帰るとみーちゃんがますます父親っ子になってて、ちょっと寂しかったけど。

 

ばばの入院というアクシデントもあったが

又親子3人の平和な日々が戻ってきた・・・・・と思った矢先

みーちゃんの世話をしてくれていたおばあちゃんが

都合で都会の方へ行かなければならなくなった。

それで、継続的に預かって下さる方がいなくなり

数日は隣の奥さん、数日は同僚の奥さん、

数日は隣近所のおばちゃんというように

あなたは数日ごとに違う人に世話をしてもらわなければならなくなった。

たった、1歳半のあなたも、表現は出来なくても

きっと何かを感じていたんだろうね。

じじとばばは、相談をした。

そして辛い決断をした。

徳之島のじじ両親のところへ行けば、はな姉ちゃんもいる。

じじとばばも半年で加計呂麻での勤務が満了する。

この際、姉妹慣らすためにも

徳之島で一緒に育ててもらった方が良いのでは・・・とね。

 

ある土曜日、じじはみーちゃんを連れて徳之島へ帰った。

そして翌日、あなたが昼寝をしている隙に

じじは逃げるように加計呂麻へ戻った。

目覚めて、大好きなじじの姿がない。

夕方になっても帰らないじじ。

その時のあなたの心の内を考えると

この文を書きながらもばばは涙が止まらない。

目覚めた時、じじはいなくなり、あなたをあやそうと近づいた

親戚のおばあちゃんをあなたは「又ね、又ね」って

手を振りながら玄関から外へ押し出し、家の中へ入れなかったんだって。

きっと、おばあちゃんが大好きなじじを逃がしたとでも思ったんだろうか?って

このおばあちゃんは、何回も何十回もこの時の話を

じじやばばにしてくれたし、大きくなってからみーちゃんも聞いたよね。

 

次の日からあなたの生活環境は一転。

じいちゃん、ばあちゃん、はな姉ちゃん、そしてあなたと4人の生活が始まったんだよね。

3ヶ月からじいちゃん、ばあちゃんと暮らしていた、はな姉ちゃん。

 

今まではじじとばばの愛情を一身に受けていたあなたが

徳之島では・・・・・・

じいちゃん、ばあちゃんに甘える、はな姉ちゃんに

敵対心を持ち嫉妬したんだろうね。

どうしても、じいちゃんばあちゃんを独占したがるはな姉ちゃんに

みーちゃんは「姉ちゃんには、じいちゃんがいるでしょ」って言って

ばあちゃんを独占したがったってね。

自分に、確実に、いっぱいいっぱい愛情を注いでくれる

誰かが欲しかったんだよね。

いじらしくもあり、悲しすぎる。

1歳半のみーちゃんが、そういう発言をするなんてね。

後々までじいちゃん、ばあちゃんの語り草になっていたんだよ。

 

日にちが経つにつれ、みーちゃんもじじ・ばばと離れ徳之島での

生活になじんでいった。

でも、きっと心の中ではじじ・ばばを求めていたんだろうと思う。

6ヶ月後、加計呂麻での勤務を終え徳之島に帰った時

港で、抱っこしようとするじじとばばに

じいちゃんの胸に顔を埋め、顔を背けるはな姉ちゃんと違い

みーちゃんは自分からじじとばばの胸に飛び込んできた。 

 

生後3ヶ月からじいちゃんばあちゃんと生活していたはな姉ちゃんは

じいちゃんばあちゃんが自分の本当の親だと思い

1才6ヶ月までじじ・ばばと暮らしたみーちゃんは

やっと自分の本当の甘えるべき人が帰ってきたと

本能的に思ったんだろうか?

徳之島での生活が始まってもはな姉ちゃんは

何とか理由を作ってはじいちゃん、ばあちゃんの家に入り浸り

反対にみーちゃんはじじとばばにベッタリになった。

 

そして、はな姉ちゃんにことごとくライバル意識を持つようになったみーちゃんに

びっくりしたけど、きっとじいちゃんばあちゃん争奪戦の延長戦上に

はな姉ちゃんに対するライバル意識が芽生えていたのかも知れないと

大部後になってばばは気づいた。

そして、加計呂麻で世話をしてくれる方が次々変わったり

一番好きなじじがあなたを徳之島へ連れてきて置いて

自分だけ加計呂麻に帰ってしまった・・・・・このことも

きっとみーちゃんの深層心理に何か影響があったのかも知れない・・ともね。

 

成長し、姉妹3人近くでお互いに助け合いながら

生活するようになったみーちゃん。

小さい頃、ライバルだったはな姉ちゃんの強力な助っ人として、

5才違いの、ぴかちゃんの保護者としてずっとずっと姉妹仲良くね。

 

みーちゃんは、あまりぺらぺらおしゃべりするタイプではないけど

本当に心の優しい子だと思う。

今年の2月にばばが上京した時とても寒かったね。

そんな時、黙って温かい靴下と下着を買ってきてくれたみーちゃん。

ほとんどの行動が無言実行型のみーちゃん。

先日の京都旅行でも緻密な計画のもとに

少しでもじじとばばを喜ばそうと心を砕いてくれたね。

ありがとう!

何年ぶりだったろう?

みーちゃんとぴかちゃんとに両脇を挟まれ腕を組んで

京都の町を歩いたね。

嬉しかったなぁ・・・・・じじだけ仲間はずれでちょっぴり可愛そうだったけど。

 

超慎重型そうで、案外抜けていて

他人がしないようなミスをしてしまうところがばば譲りのみーちゃん。

いつもばばに「石橋を叩いて落っこちるお母さん」って言うけれど、

この言葉はそのままみーちゃんにお返ししようかな?

 

年が明けると、超多忙になる、みーちゃん。

いつもいつも同じことを言うけれど、健康第一。

無理をしすぎないようにね。