ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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新聞にじじの名前が・・・・他

2015年04月30日 20時03分27秒 | 日常生活
4月30日(木)晴れ

じじは、又しても、ちょっとした有名人に・・・・

数日前のブログに、チョコッと書いたが

去年に引き続き、町立図書館ロビーで

じじの写真展が行われているからだ。

去年と同じように、図書館長さんの、お計らいだ。

前回の写真展示は徳之島の野鳥たちだったが

今回は、野鳥以外の動植物を・・・ということで

昨日から展示が始まった。



昨日朝一で、じじ妹から電話があった。

「兄ちゃんの写真展のことが南海日々新聞に載っているよ~」と。

しばらくして、今度は加計呂麻のまま友人から電話があった。

「ばばちゃ~~ん、じじさんの写真展のことが新聞に載っているよ。

頑張っているねぇ」って。

我が家では、新聞を取っていないので、

実際の記事は、今日新聞のコピーを頂いて読んだ。

前回野鳥写真展の際は、ご近所さんが

新聞を持って我が家に走って来て

「じじさんが新聞に載っている~。自分はもう読み終わったから

新聞上げるから、ゆっくり読んでね」と新聞を置いて帰った。



ばばも、じじの写真展を観て来たいとは思っている。

A版に印刷して、ラミネートまでして下さっているとのこと。

最終的には120枚前後の写真が展示されていると思うが

図書館長さんや職員の皆さん、

本当にお疲れ様でした。

そして、じじにこんな機会を与えて下さいまして

本当にありがとうございました。



昨日予告した、花の記事書くね。

その花の名は、クチナシ。

数年前、ばばの実家裏の畑から枝を切ってきて

挿していたものが、根付き、開花し始めた。

最初、「蕾かな?」と思って期待してていたら

開いたら新芽・・・葉っぱが次々と増え

1週間ほど前、又ギュッと巻いた葉っぱ?を見つけ

「どうせ、今度も葉っぱだろう」と思っていた。

3日前、天野晴れ間に庭へ出て、花壇で仕事をしていたら

何とも言えない芳香が!

何の匂い?と、匂いの元を追うと・・・

何と、大きなクチナシの花が開花していた。

クチナシ

2輪も・・・・・・

花の直径が10センチ位もありそうな大輪。


それに八重咲き。

ばばの発見が遅れ、花は盛りを過ぎたようにも見えた。

でも、鼻を近づけると、ばばの大好きな香りが・・・・

急いでカメラを持ちだし、パチッ!

あぁ~しかし・・・・

パソコンに画像を取り込んでみると、

白い花弁に小さなな汚れが。

砂?虫?

又雨が降りだしたので、昨日は黒いものの正体は分からぬまま

今朝、改めて見たけど、何か分からない。

指で払うと、簡単に落ちた。

せっかくの純白の花なのに・・・ごめんね。



ばばの実家から、じじの自宅へ移されたクチナシが

見事に開花した。

実家のクチナシは、今は亡き、ばばの父が

30年以上前に植えたと思う。

父が手で触り、丹精したであろうクチナシが、

ばばの目の前で開花している。

繋がってる・・・

繋がった・・・・

何だか、昨日から1人で感動しているばばだ。

今年、花数は少なくても、

そのうち、花数も増えて行ってくれるだろう。

大事にしなくちゃ!



このクチナシ、今後・・・誰かと繋がることがあるのかなぁ・・・・



読めた!

2015年04月29日 18時29分52秒 | 日常生活
4月29日(水)雨

本当はね、今日は花のことについて書くつもりだったの。

でも、昨日、じじに出されたクイズの事書いていたら

花のことは、明日書こうかなぁ・・・・と思って。



昨日、久しぶりに、じじがばばにクイズを出した。

「ある方のフェイスブックに載っていたんだけど、

漢字の口という字があって、その上に五、右に隹、

下に止、左に矢が書いてあるんだけど

これ何と読むか分かる?」と。

「うぅ~~~んとね、、うぅ~~んっと、

何て読むんだったかなぁ?確かに何処かで見るか、

読むかしたことがあるよ」と答えたものの

正解が、どう読むんだったかなかなか出てこない。

最初は「天知る、地知る、吾知る」なぁんて考えたりもしたけど

これじゃなかったんだよなぁ・・・・

と、昨日1日、何かした拍子に考えてはみたが

寝るまで分からなかった。

そして、今朝。

6時前から目が覚めていたので、パソコンに向かっているじじと

雑談しているうちに、ふと閃いた!

五に口を加えて・・・吾

口に隹を加えて・・・唯

口に止を加えて・・・足

矢に口を加えて・・・知

「じじ~、きっと、あの漢字の読み方(吾唯足知)という4つの漢字で

(われ、ただ、たるを、しる)って読むんじゃないかなぁ?」と。

それをじじに言うと「確かにその通りだと思う。

フェイスブックに書いた人の心情とも

共通するものがある様な気がする」とじじ。

ばばも、胸につかえていたものが取れたようでスッキリした!

それに、この四文字をつなげた言葉、

ばばは、ばばなりに解釈しているけど、

とらえ方は、人それぞれだろうが、深い意味がありそうだね。



朝食後、ネットで調べてみると、このクイズみたいな文字?

京都の龍安寺の蹲踞に記されているんだってね。

他にも彼方此方記されているらしい。



この文字・・・と言うか、クイズ?が

何と、徳之島町の、あるお店の中に書かれていたんだって。

ばばも、今度行く時、自分の目で確かめてみよう。



ばば、算数、数学、化学、物理、地理・・・

大の苦手。

問題出されたら、頭痛くなる~。

でも、国語は大好き!

新聞やチラシなどで言葉遊び的なクイズとか、

クロスワードとかを見つけたら、すぐにチャレンジしちゃう。



言葉遊びのような問題がたくさんあるような本でも買って

頭を鍛えようかな?


隠しているの、なぁんだ?

2015年04月28日 18時26分09秒 | 日常生活
4月28日(火)雨

後ろ手に何かを持って階段をトントンッと上がり、

2階でパソコンに向かっているじじの背後へ。

「じじ~、ばば何持ってると思う?」と聞いてみた。

ばばの方を向いたじじ、

「どこかかか、何か送ってきた?」

残~~~念!

ばばの頭や洋服などが少し濡れているの

気づいてくれないかな???

じじは、必死に考えているが

ばばが何を背後に隠してあるか全く分からないらしく

ばばの右側から、左側から覗こうとするが

そう簡単に、見せませんよ~~とばかりに

ばばも体の位置を微妙に変えて、じじにみせませんよ~~~。

しばらくして「降参!何か分からない」って。

そんなに簡単に降参しなくても・・・

でも、やっぱり分からないよなぁ・・・・

っと、背中に隠していた物をじじの目の前に。

「オオオオオ~~~ッ」とじじ。

「びっくりした?」とばば。



ばばがじじに差し出したのは、ボールに入れたミニトマト。

そう、ばばが菜園で手間暇掛けて・・(ウソ、ウソ)育てたミニトマト。

確か・・・・去年、苗を頂いて植えたけど・・・1本だったか?2本だったか?

収獲もしないまま、ほとんど枯らしてしまい、

その後を耕して「耐病総太り」なる物々しい名前の「大根」のタネを蒔いた。

物々しい名前とは対照的に、味噌汁用に若菜を数本引き抜いた後は

ほぼ収獲出来なかった「耐病総太り」大根。

仕方が無いので、そのまま放って置いたら

その後に、何故かニョキニョキ芽を出し

あれよあれよという間に、菜園のほぼ半分を占拠してしまったミニトマト。

いつの間にか花が咲き

いつの間にか実を付け

いつの間にか色づき

そう、今や次から次へと収獲出来るのでございます。

何と、お利口さんのトマトちゃんなんでしょう?

ばば、トマト類は進んで食べる方では無いけれど

自分の菜園で取れたミニトマトなら食べるよ、食べますとも!

今日の収獲数が、約80個。(1個、1個数えるところが、ばばらしいな))
ミニトマト

改めて数えてみて、自分でもビックリ。

水道で奇麗に洗っていると、じじがつまみ食いしていたけど

「まあまあ、いけるな」ってさ。

ばばも後でつまみ食いしたら、けっこう美味しかった。

青い実がまだまだたくさんあるから、

今後も収獲が楽しみだなぁ。

菜園だけで、200個以上のミニトマトが収獲出来るって凄いね。

種も蒔かず、水も掛けず、手入れらしい手入れもせず

実ったっていうのが、グウタラばばらしいけど。



ばばは、野菜や花を育てるのが大好き!

何でも自己流。

野菜なども収獲して食べる事より

育てる過程が好き。

花は・・・そう、やっぱり育つ過程を見るのが好き。

勿論、花開いた時は嬉しいんだけどね。



思いがけない、今回のミニトマトの豊作は想定外だったけど

色づくのを見て楽しい、収獲するのが楽しい、食べて美味しい!

あぁ~し・あ・わ・せ!


テレビ局からサプライズ!

2015年04月27日 14時46分19秒 | 日常生活
4月27日(月)晴れ後曇り

何と!去年に引き続き

じじの撮った島の植物や昆虫の

写真展示をして下さるって。

やはり、去年と同じように、じじの同級生で

町立図書館長のIさんからお声がけいただいた。

展示は明日から?始まるらしく

じじは撮影の前に最終打ち合わせに行って来た。

100枚以上の植物や、昆虫、虫など

じじがコツコツ撮り溜めてきた写真だ。

でも、残念なことに、1番欲しい写真の画像が

パソコン上の何処にあるか分からず

じじ残念がっていた~。

今回の写真、カメラを買い替える前の作品で

画質の良くない物も結構あるらしいけど

仕方ないね。

「島にこんな植物があり、虫がいるんだ~」

「子どもの頃見た虫だ~」とか、気に留めて下さる方が

ひとりでもいたら、ありがたいな・・・



じじが出かけた後、しばらくして

郵便物が届いた。

3通で、同じような大きさの大型封筒。

その1つにばばは目が留まった。

差出人が「報道ステーション ○○ ○○」と書かれていたから。

番組ディレクターで、去る19日、徳之島が

「50年に一度の大雨」というニュースで

全国的に取り上げられた時、

わざわざ電話を下さり、じじがちょっとだけ協力した、

そのお礼にということだった。



封筒は、じじが帰ってから、直接開封して貰うことにし

じじが座る席の前に置いた。



お昼回って、じじが撮影から帰って

封筒の説明をばばがすると、丁寧に封筒を開けた。

中には局名とキャラクタ-?の動物が

印刷されたTシャツが入っていた。
Tシャツ

他に、オリジナルのペンとディレクターさんの名刺も同封されていて

お礼の言葉が添えられていた。

あの日、カメラの故障で音声が出なかったことや

1番雨が激しかった時間帯の画像が提供できなかったことを

じじはとても悔やんでいただけに

お礼までいただいて、恐縮しきり。



良い記念になったね、じじ。

ディレクターさん、ありがとうございました!



フライパンも蓋も、チャーシューも・・・

2015年04月26日 18時44分54秒 | 日常生活
4月26日(日)晴れ

昼、12時を回った。

じじが撮影から帰ってくる。

急いで、昼食の準備をしなくちゃ!

ご飯は炊いた。

お味噌汁のダシも取った。

筍も焼いたし、人参とジャガイモの煮付けも温めた。

後は、先日作っておいたチャーシューを

フライパンでもう1回焼けば終わり!

と、チャーシューを適当な厚さに切って、

フライパンに並べて両面を焼き、

蓋をして少し余熱で温めようと、

少し小さめの蓋を被せて火を消した。



「ただ今~~~」

じじが帰って来た。

お湯を沸かしながら、一気に、盛りつけなくちゃ。

と、フライパンの蓋を取ろうとしたら・・・・・

外れない!

蓋が加熱されたことで膨張し

フライパンにスッポリ嵌まってしまい

押しても引っ張っても外れない。

大変じゃ~

まず、ハサミの先で外そうと試みたが

怪我でもしたら大変・・・と怖くて途中で止めた。

次に栓抜きで・・・・やはりダメ。

しばらく考えた後、

「あっ!温めて嵌まってしまったんだから

蓋の方を冷やせばいいや」と水道水をジャージャー。

しかし、厄介ですなぁ~。

全然、ビクともしないんであります。

こうなれば、鍋のツマミを外して、

そこからドライバーでも差し込めば

良いかな?

無理矢理にでも、引っ付いている所に釘でも打ち付けようかな?

最悪の場合、チャーシューを入れたまま

フライパン毎、不燃ゴミに出すしか無いかな?

どんどん過激な考えが浮かぶばば。

すぐにでも「お昼ご飯準備できたよ~~」って

じじに声をかけたいのに・・・

出た言葉は「じじ~マイナスドライバー持って来てくれる?」だった。

2階にいて、ばばのドタバタを知らないじじ

「マイナスドライバーだけで良いの?」と言いながら、下りてきた。

「じじ~、フライパンに蓋が嵌まっちゃって、

冷やしても取れないんだけどヘルプ!・・・」

「そんなの、簡単に外せるよ」とじじ。

次にじじがとった行動は・・・・

ばばとは逆に、フライパンをコンロに掛けて

「焦げ付かないかな?」と言いながら数秒揺すっていた。

すると、あらっ!まぁ!

押しても引いても、叩いても、ガリガリ引っ掻いても

ビクともしなかった蓋が、

スッと、まるで魔法でも掛けられたように外れた。

何てことでしょう????

じじは涼しい顔をして、椅子に座ってばばの配膳を待っている。

そして、食事が始まると「いかにフライパンの口?と

蓋がきちんとした円であるか・・・・

あんなにピッタリ合うと言うことは・・・・」

などと、ばばの1番苦手な話をしてくれるけど

ばばには全く分かりませ~~~~ん。

でも、たった1つ分かったことがある。

それは、鍋より小さな蓋をして加熱をすることは止めよう・・・

ということ。

今日だって、もし、フライパンより大きめの蓋さえ使っておれば

ぜったい、嵌まり込ませるなんて事、無かったはず。

失敗は成功の母。

いくつになっても、失敗だらけのばば。

そんなばばを助けてくれるのは、いつもじじ。

じじ、有り難う!


カッカしなさんな

2015年04月25日 18時47分21秒 | 日常生活
4月25日(土)晴れ

あぁ~思い出すだけで今でも腹立つ!

「ものは言いようで角が立つ」って子どもの頃、

母がよく言っていたが。



今日は、今年1番腹の立つ物言いをされた。

じつは、今日ある場所へ姉と出かけた。

その建物には階段がいくつかあり

普通は右側の階段を使っているが

今日は、目的の場所へ行くために左側の階段を上がった。

目的の階に着きいた時、「あれっ?板製の戸が付けられている。」。

昨日まで無かった・・・と言うか、全然気づかなかった。

これまでに、何十回も利用していた階段。

姉とふたりが、目的の階で戸惑っている所へ

そこに勤務する方が来て、内側から板製の戸の鍵を開けた。

そして、ばばと姉に「どうぞ」と言うかと思いきや

「ここは、通れません。1階へ下りて下さい」と。

更に、「1階の階段の上がり口にも

立ち入り禁止と書いてありませんでしたか」とさ。

そんなの書いてなかったよと、内心思いながら

(はらわた煮えくりかえると言うのは

こんな時につかう言葉かな?)と、

怒りがフツフツ沸き上がったが、グッと我慢して、1階に下りた。

階段の上がり口になんか、何にも書いてありませんでしたよ。

階段横の、倉庫みたいな所には「関係者以外立ち入り禁止」

と、書かれていましたけど~。

もし立ち入り禁止なら、階段の上がり口にも

扉でも付けておけば良いのに。。。。



せっかく目的の階まで上がり、目的の場所まで

数メートルだったのに。。。。

ばば達の目の前で戸を開けながら「1階へ下りて下さい」なんて。



1階へ下りて、他の階段へ向かう途中、

腹が立って、腹が立って・・・・

普段温厚な姉の形相も凄かったので、ビックリする位だった。

本当につかっていけない階段だったら

子どもでも、大人でも、誰が見ても

はっきり分かるような場所に、分かるような字で

「ここからは上がらないで下さい」と書いて

1階の階段の上がり口にきちんと掲示して欲しい。

ばば達に「下りて下さい」と言った人の言い方が

もう少しマシであれば、ばばと姉も

「すみませんでした。これからは気をつけます」と

素直に謝っていただろうと100%自信を持って言う。



姉とばばが、もし、あの人の立場だったらと、ふたりで話した・・・・

せっかく、目の前で戸を開けたのだから

「どうぞ」と入れた後で、

「ごめんなさいね、ここからは入ってはいけないんですよ。

次からは、どこそこの階段から上がって下さいね」と言うと結論。



知らなかったとは言え、

つかっていけない階段を上がった姉とばばは確かに悪い。

相手の人も、悪気があったわけでは無いと思うし、

また、そこで働く人として、「もし、この階段を上がってくる人がいたら

1階に戻すよう指導されていたのかも知れないけど

どうして、も少し優しく物言いが出来ないだろう?



今日の体験から、ばばは、自分の言葉遣いや

周囲の人達と対応についても考えさせられた。

よい勉強をさせて貰ったと思うことにしよう。

カッカカッカしたって、何一つプラスにはならないからね。



何故、書いたんだろう?

2015年04月24日 19時24分45秒 | 日常生活
4月24日(金)曇

今回、3回に分けて「強運の3人」という題でブログを書いた。

書き始める前の日まで、全く「強運」とかいう題で

ブログを書くとは考えてもいなかった。

たまたまHちゃん夫婦が帰省し、我が家へ寄ってくれ

テーブルを囲んで座って話すうちに、

何故か、「この4人のうち、3名は一度生死の淵を彷徨ったんだ」

という思いが、ふとわき上がり、書き始めてしまった。

じじとばばの体験は、過去に何回か書いていたが

Hちゃんのご主人Sさんも又、じじとばばと似たような体験をし

奥さんであるHちゃんも、じじが手術した頃のばばと同じ思いを

体験している・・・と思った時、

何故か不思議な気がして、書き始めた。



人間誰しも、色々な事があり、日々生きている。

誰もが幸せな日々だけでは無い。

絶望の淵に立たされる事だって、何回かある。

そこから立ち上がる時、何故か今まで考えなかったことを

考える人も多いと思う。

Sさんが、奄美市の病院に、自衛隊のヘリコプターで緊急搬送され

手術を受け、元気に退院出来る事になった日

先生が「これからはおまけの人生だと思って、

日々楽しく暮らしなさい」と言われたそうだ。

その時の「命の恩人の先生」と

Sさんは今回の帰省中に、偶然会えた。

その先生は、徳之島の病院常勤では無く、

月にに1度位の割合で、徳之島の病院へ来てくれているらしい。

その先生と、4年ぶりに帰省し、明日は帰るという日に再会出来るなんて・・・・

本当に、不思議!だね。



Sさんは60代で、じじは50代で、ばばは20代で

大きな試練があった。

でも、3人とも今は元気で日々暮らせている。

ばばが退院した時も、誰かが言った。

「あなたは、まだしなければならないことがあるから

生かされたんだよ」と。

退院してから・・・・1年半後に徳之島へ転勤でき、

5年後に三女が誕生し、

大好きな仕事を思い残すこと無く続けることができ、

実家の両親にも少しは親孝行でき、

じじの両親の介護もすることができている。

そして、20代の頃までは考えもしなかったパソコンを

使えるようにもなった。

これが、ばばの20代では

出来なかった事だったのかなぁ。



ばばはね、大きな試練を受けたことで

周囲の方々への感謝の気持ちをそれまで以上に強く持てたし

自分が出来る事は、何かしてあげようと思うようになった。

時として、じじからは「又、ばばのお節介が始まった」と

言われてしまうけどね。

その「お節介」の恩恵を一番受け、

喜んでいるのは誰でしょうかねぇ~。



今後、ばばがやらなければならないこと・・・

あまりに多すぎて、「長寿全島一」にでもならない限り

完了できそうにありません!

じじも、手伝ってくれぇ~~

「強運の3人」、その3

2015年04月23日 22時07分10秒 | 日常生活
4月23日(木)晴れ

さぁ、「強運の3人」、ラストは誰でしょう?

それは・・・ばばです!

じじが、大病から復活して約10年だけど、

ばばは、じじより20年位前に、

やはり「三途の川」を渡りかけて、

親戚のおばさんに追い返されたの。

このことも、ばばの過去ブログに書いたので

ざっくりと。。。。。

ばばは、抜歯後の傷から細菌が入ったのか

高熱が出て下がらず、当時の上司からは

「敗血症かも知れないから、ちゃんと診てもらいなさい。

今日は、町の診療船が来る日だから」と言われ

じじが付き添って、集落の海岸にやって来た船の中で受診。

当時、加計呂麻島は月に何回か

町の診療船が各集落の海岸に停泊し

具合の悪い人達を診察してくれていたのよ。

受診はしたもの、はっきりした病名が分からず

翌日、じじも付き添って、船に乗って古仁屋の

抜歯をした病院へ・・・・

ばばは、その時、40度近い高熱が続き、

口が大きく開けられなくなり首も上手く動かせなくなっていた。

ばばだけ入院して様子を見ることにし

じじは、夕方の最終便で加計呂麻へ帰る予定だった。

ところが、船が出てしまっていた。

仕方なくじじは病院へ戻ってきた。

翌朝、1番の船に乗れば勤務には遅れず、

加計呂麻へ戻れるから。

じじが船に乗り遅れ、戻って来たのも幸運だったが

たまたま、その病院の院長先生が県外出張から夕方戻って来た。

ばばのことを聞いたのだろう。

すぐ診察してくれ、「これは破傷風ですね」と的確な判断がやっと出た。

1秒を争う症状だったらしい。

その後の、病院の動きは速かった。

奄美市の病院や薬局に次々連絡を入れ、

破傷風の血清を掻き集めて(と言っていた)

タクシーやパトカーまでも動員して血清をリレーし

病院へ届けてくれた。

後日聞いた話では、普通の人の何百倍もの血清を接種したらしい。

今考えたら、ゾッとするね。

接種?投与?後、ばばの意識は無くなり

3日ほど、静かで真っ暗な部屋に入れられていたそうだ。

光とかも当たったらいけないので、真っ黒な分厚いカーテンを引いてあったって。

それに、音も聞こえたらいけないって。

今はどうなのか分からないけれど、

当時はそのような部屋に隔離されたんだって。

周囲の人は、ばばが意識不明で心配もしただろうし

加計呂麻島の方達は

「死んでいくばばちゃんは仕方ないけど

残されるじじさんと次女ちゃんが可愛そう」と泣いておられたそうだ。

でもね、意識不明と思われていたばばだが

夢を見て、その中で、向こう岸に色とりどりのたくさんの花が咲いている

ばばが大きな川を渡りかけたら、急に大きな四角い布のの真ん中に乗せられて

顔もはっきり分からない者達が、ばばを高く高く放り上げるの。

そしたら、上の方から、ばばを可愛がってくれていたおばさんが

ばばの方に向かって「来るな、来るな」って

両手を大きく振って、ばばを追い返そうとするの。

そんな夢?を診ている途中で、ばばは目覚め意識が戻ったらしい。

意識が戻ってからは、2週間ほどの入院で無事退院出来

今日まで、大きな病気も無く元気に過ごせている。



※今日は、昼間色々あって、時間も大分遅くなってしまったから

この続きは明日書くね~



強運の3人、「その2」

2015年04月22日 14時34分58秒 | 日常生活
4月22日(水)晴れ

2日前の大雨は、何だったんだろう?と思うほどの晴天の徳之島だよ~。

じじが、電話でテレビ局の取材を受けて

画像を提供した後、県外やばばの姉妹も周辺から

色々声をかけられ、「○○テレビの現地駐在員ですか?」

とか聞かれて、ビックリしたって。

今回のことで、思った事がある。

普通、テレビ画面の下の隅っこに出る小さな文字なんて

ばばは詳しく見たことも無かった。

ここ2年近くはテレビとは、ほぼ無縁の生活。

今回、わざわざ島外から、直接電話を下さったり

ばばの姉妹や娘達に電話をくれたり

声がけをしてくれた方達は、テレビの隅っこの文字を見て

「もしや?じじ?」と思ったみたい。

ばばも、これから又テレビを観る事があれば

番組によっては、隅っこの小さな文字も

気をつけて見ようと思ったよ~。



さて、前置きが長くなってしまったが

延び延びになっていた、「強運の3人」の続き。

1人目は 、Hちゃんのご主人Sさんのことを書いたが

2人目は、我が家のじじ。

何回かブログにも書いていることだが・・・・

もう、10年も前前、何の違和感も無く受けた人間ドックで

胃に異常が見つかり・・・・

それまでも毎年鹿児島でドックを受けていたのに、

前年までも何の異常も告げられず、まさか?という

気持ちで検診結果を見た。

それからは、怒濤の数日間。

隣の奄美市の病院で再検査。

「ここではどうしようもありません。

都会の大きな病院へ行って下さい」と言われ、さらに落ち込む。

都会と言ったって・・・・・・

でも、偶然、その時、我が家の長女が

生まれて数ヶ月の孫を連れ帰省中だった。

長女が、学生時代の友人に連絡を取ったりして

入院する病院を決め、あれよあれよという間に、じじは東京へ。

そして、約2週間後に手術。

ばばは当時、勤めていたし、じじの症状も「胃潰瘍」くらいに聞いていたので

手術の日も上京する予定もしていなかった。

しかし、職場の上司が「ご主人の大事な時に、

何故、奥さんのあなたが傍に付いていないの?

あなたの仕事は、私が責任もって引き受けるから、行っていらっしゃい!」

と、背中を押して下さり、急遽ばばは上京。

上京後、数日してじじは手術。

しかし、1時間位で終わると思った手術は5,6時間かかり

手術室の外廊下で待つばばと、次女と3女はどんどん不安が脹らんで

限界!となった頃、じじがたくさんの管を付けた姿で、

ストレッチャーに乗せられ手術室から出て来て

その後、切除した、じじの胃を執刀医がばば達に見せてくれた。

初めて見る、赤黒い、人間の胃。

開腹してみて、症状の酷さが判明し、胃を全摘したと説明があった。

あと1枚、薄い粘膜が破れていたら、

がん細胞が体中に拡散していただろうとも聞いて

ショックで、手術は終わったけれど、

この後どうなるのか目の前が真っ暗になった。

じじは、しばらく入院し、退院後は、数ヶ月、長女の家に居候。

孫を乳母車に乗せて一緒に散歩したりすることで気を紛らわし

リハビリの日々を過ごした。



後でじじから聞いた話では、じじの症状はA・B・CのCのステージで

Cステージでも、大分進んでいて危ういところだったそうだ。

手術後、担当医から「3年生存率は30数%」と告知されていたじじ。

どんな気持ちで、毎日過ごしていたんだろう?



毎年欠かさず通っていた病院の担当医が

たまたま代わっていて、じじの異変に気づいてくれ

奄美市の病院の先生が「都会の病院へ」と勧めてくれ

たまたま長女が帰省していて、医学関係の友人がいたこと

立派な先生に執刀していただいたこと、

子ども達が3名とも近くに居たこと、

ばばの上司が思いやりのある方で、

ばばもじじの傍らに付き添えたこと、、

色々な幸運が重なって、じじの手術は成功し

10年が経過した。



まだ100%安心とは言えないけれど

じじは、日々元気に暮らせている。



Hちゃんのご主人、Sさんが元気に退院した時

担当医師から「これからは、おまけの人生だと思って

ゆっくり、好きなことでもして楽しみなさい」と言ってくれたそうだ。

我が家のじじも、今は「好きなことだけ」をして、

日々過ごしている。

「人間の命」について改めて考えさせられると同時に

Sさんと、じじ、「強運」だったなぁと感謝している。



さて、「強運の3人」と言うからには、

あとひとり、強運の持ち主がいたということだね。

それは、だれでしょう?

明日まで、引っ張ることになったよ~



10秒足らずの全国デビュー

2015年04月21日 10時46分52秒 | 日常生活
4月21日(火)曇

昨日は50年に1回の大雨に見舞われた徳之島だったが

夜のニュースで、徳之島だけで無く

国内彼方此方で豪雨や強風があったみたいね。

ばばが3日前から書き始めた「強運の3人」のSさん夫婦

昨日の、あの天候でも飛行機は全便飛んだようで

夕べ7時前には、自宅に無事帰着したとHちゃんから連絡があった。

やっぱり運が良いね。



で、昨日は我が家のじじが、遂に?まさかのテレビデビュー!

大雨の様子が知りたかったのか

昨日朝から東京のテレビ会社、2社から電話が入り

じじに応対して貰ったが、

何と、じじの動画が夕べの全国版のニュースで

ほんの10秒足らず位ではあったが放映され

その中で、画面右下にちゃんとじじの名前が・・・・・



夕べ、ばばは観劇に出かけ、9時前に帰宅したのだが

じじひとりのはずの2階から楽しそうな声が聞こえる。

お客さんが来るわけ無いし・・・と上がって行くと

じじが長女と電話中。

長女からの電話で、昨日のテレビ局とのやりとりしながら送った動画が

全国放送で放映されるらしいと。

放送まで、まだ1時間近く時間はあったが

ばばが出かけている間にも、思いがけない人から電話があったと、じじ。

それは、もう20年近くも前の女性同僚から電話があったそうで・・・・

その方は、夕方のローカルニュースで

徳之島の大雨のニュースが流れた時、じじの音声が入っていて

懐かしくて電話を下さったとのこと。

まさか、じじの音声がテレビで流されるなんて、

青天の霹靂とは、正にこのこと。

「へぇ~~」とビックリするばばに

「顔には自信があるけど、声には全く自信が無い」なんて宣うじじ。

まぁ、ばばの前でしか自慢できない「お顔&容姿」ですから

いくらでも、自慢しなさい!

馬耳東風のばばですから。



それにしても、昨日、何故?我が家に東京のテレビ局2社からも電話?

と、ばばはビックリしたけれど、

じじが言うには「ネット検索すれば簡単だよ」ってさ。

徳之島に支社とか無いテレビ局。

でも、ネットで検索して徳之島でライブカメラをしている人を

調べれば、すぐ分かるだろうと・・・

それにしても、まさか、じじの声がローカルテレビで流れ

動画が全国ネットで放映されるなんて、

自分たちでも、予想だにしなかったこと。

それも、元同僚や、娘からの電話や知ったこと。



テレビをほとんど観ないばばも、夕べは2年ぶり位に

夜のテレビを観た。

でも、ばばは画像は見たけど、

じじの名前の映っている部分には目が行かず、気づかなかった。

動画が流れたのは、ほんの10秒足らず位?だったけど、

雨の中、屋上や川縁で撮影したじじは、嬉しかっただろうね。



地道に10年近く島の動植物を撮影したり

徳之島の風景を撮影し続けているじじ。

継続することで、どこかでか、他人様のお役に立てることもあるんだね。

これからも、脳活性化のためにも

叱咤激励して、じじを外へ出すよう、

アシスタントとして、ばばも頑張ろう!



平々凡々なじじとばばの日常に

ちょっとしたサプライズ?があったので

又々「強運の3人」の記事は先送り~

ごめんね。