ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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したいことはいっぱいあるけれど

2014年07月31日 22時39分08秒 | 日常生活
7月31日(木)台風11号の余波か?風強し

明日から8月。

あっと言う間に、1年の3分の2が終わるね。

早いなぁ・・・

先日じじが言った。

「10才の子は、人生を時速10キロで走っていて、70才の人は時速70キロで

走っているらしいよ」って。

なるほど!

だから、加齢と共に1年過ぎるのが早く感じられるのかな?



台風が近づいているせいか、昨日から風が強い。

雨も時々降る。

最近ずっと雨は降っていなかったから、雨は嬉しいけど

風はちょっと困る。

恵みの雨で、元気になった植物たち。

でも、その植物たちを強風が吹き倒し枯らす。

せっかく植えたシソ苗、ナスの苗もやられちゃった。

月下美人も、キツネ花も北の方へ吹き倒されているけど

もう、台風が去ってから支柱を立て直すとしよう。

まだまだ台風は近づくだろうし、これからが本番だものね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、夜10時を過ぎたのに娘が拭き掃除を始めた。

台風で小さなチリとかがたくさん吹き込んできた我が家。

モップをかけ、さらにウエットティッシュを使って、しっかり拭いている。

ばばが洗い物を始めると,サッと横に来て手伝う。

じじも、食後は「ご馳走様でした」と両手を合わせ

空になった食器などを流しに運ぶ。

我が家の様子が少し変わってきたぞ。



昼間はいつも娘と母を見舞い、夕食の買い物に行き

あっと言う間に1日が終わる。



娘の夏休みも,もうすぐ終わる。

娘がいる間に遠出もしたいし、お墓参りにも行きたいし

鶏飯も作ってあげたいけど・・・・

幾つ実行できるかな?



成らぬは人の為さぬなりけり、他

2014年07月30日 22時41分35秒 | 日常生活
『為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり』

という言葉を、母がよく言っていた。

「成らぬは人の為さぬなりけり」か~

ということは?ペンキ塗り、ばばでも出来るかな?

今年春頃から気になっていた事がある。

濡れ縁とポストの色が薄くなってきている。

ペンキを塗ってみようかな?と思った。

思い立ったらすぐ行動に移さなければ気が済まないばば。

その日のうちで、ホームセンターへ行った。

ところが、欲しい色のペンキも刷毛も品切れ。

せっかく「やる気満々」だったばば、一気にドボォ~~~ン。

あれから数ヶ月。

又しても色の薄くなった濡れ縁とポストを見ながら

「ペンキ塗りたいなぁ~熱」再沸騰。

昨夕、又ホームセンターへ。

すると、ペンキも刷毛も、欲しい物が揃っていた。

買うなら今でしょ!

塗るなら明日でしょ!

というわけで、台風の影響で小雨ちらつく中、

娘とふたりで、ペンキ塗り。

人生初めてのペンキ塗りじゃ~

思ったよりペンキはサラサラで、刷毛は適度な柔らかさで

あっと言う間に完了~

ペンキの缶には、5,6時間後か、最長24時間後に

2度塗りをすると、より綺麗になると書かれていた。

二度塗り、やるしかないでしょう~

夕方4時になってから、これ又小雨ちらつく中

濡れ縁の2度塗り完了!

ポストは、車庫の中に担いで行って塗ったよ。

きれい、きれい。

やれば出来るじゃないか、ばば~。

ただ1つ、残念なことは塗っている途中、小雨が降ったこと。

明日も、きっと雨だろうから、仕上がりが綺麗になるかどうか。

昨日までは、肌が痛い位のカンカン照りだったのに

1日早くペンキを買っておけば良かったのにね。

思いつきで行動するから、こんな事になるんだよ、ばば。

今後は、計画的に行動しなさい!



そうそう、ペンキ塗りの後は、

娘に「餅米ご飯」の作り方を教える予定だった。

「赤飯が大好き!」という娘のために昨日は赤飯を私が炊いた。

「美味しい、美味しい!」と赤飯を食べる娘に

「へぇ~、この子、赤飯がこんなに好きだったんだ」と思うほど

美味しそうに食べていた。

小豆は無いし、昨日の今日、赤飯を作るのも・・・と思い

餅米だけを蒸して作る「餅米ご飯」を作らせようと思ったのだ。



ペンキ塗りを始める前に餅米を洗い、浸水させ、水切りまでしてあった。

でも、ペンキ塗りが終わったら、又細々あれこれしていたら、お昼時間。

お昼ご飯を済ませたら、もう、2時も回っちゃった。

餅米、水切りしすぎたかな?

娘を呼んで、作業開始!

「教える」んだから、口で指示はするけど、作業は娘にさせる。

お米の6割の水を沸騰させ、そこに餅米を入れ、

シャモジでかき混ぜながら水分が無くなるまで浸水させる。

並行して、横では蒸し器の準備。

充分浸水させた餅米を蒸し器に入れ、10分位蒸して完成!

あっと言う間に、出来ちゃった。

蒸し上がったばかりのご飯を、

早速、母娘で「熱い!熱い!美味しい!」といいながら試食。

赤飯も全く同じ要領で作れるよと言うと、

「今度、土鍋で作ってみるね」って。



本当に、何十年ぶりかの母娘共同作業での料理(って言えるかな?)

娘達が島にいる間に、こんな時間をたくさん共有できたら良かったなぁ

と思うけど、時、既に遅し!

でも、娘達が帰省した時などに

郷土料理の作り方を聞かれたりしたら

実際作りながら、一緒に勉強したいな。



勿論、夕食は「餅米ご飯」いただきました~

ご馳走様でした~



変なの、他

2014年07月29日 22時30分49秒 | 日常生活
7月29日(火)晴れ

時々、ばばは小学校低学年の時

「学芸会(・・・と、当時は言っていた)」で踊ったダンスを思い出したり、

演じた劇の事を思い出したりする。

不思議なことに、ダンスは歌詞も踊り方も明確に覚えているし、

劇も台詞を覚えている。

で、ダンスを誰もいない時に踊ってみる。

すると、動きがギクシャクして苦笑してしまう。

劇はミュージカル?みたいに、歌いながら演じたが

その歌を歌いながら動いてみる。

劇の相手役とか、他の友達が

どんな役で出たかなどは一切覚えていない。

学年が上がってからの、学芸会の出し物など覚えていないのに

何故、小学校低学年の時のダンスや、劇だけ

鮮明に覚えているのだろう?・・・ふ・・・し・・・ぎ。



夕べ、何故か難しい言葉が急に閃いた。

その言葉で、文を作らなきゃとも思った。

しかし、その言葉が「かまびすしい」か「かすまびしい」か

自信が無くなり、その後ネットで調べようと思ったが、そのまま放置。

今夜、又そのことが気になったので、娘に聞いてみた。

「そんな言葉聞いたことも無いような気がする」と言う娘。

そうだよなぁ・・・・

何故、この言葉が頭に閃いたのか?

そして、この言葉でどんな作文をしようとしていたのか?

でも、娘がすぐ調べてくれ、ばばが使いたかった言葉は

「かまびすしい」で、漢字では「喧しい」と書くと言うことが分かった。

「喧噪」の「喧」だから、うるさいとかいう意味だよね。

ということは分かったけど・・・

今になっても、この言葉をどのように使おうと思っていたのか?

思い出せない。

最近、自分で自分を「おかしい」と思う事が良くある。

これって、「加齢」のせい?

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娘の帰省後は、娘寝たのブログばかり書いているが・・・

じじとばばは普段暮らしていて、寝ている時とか、室内で何かしている時、

「何かに刺される(噛まれる?)」って事は、ほぼ無い。

特に、ばばは。

ところが、娘は帰って来たとたんに足とか腕、彼方此方

何者かに刺されて(噛まれて?)いる。

じじも同じように、腕を1カ所刺されて(噛まれて?)いる。

昼ご飯の時、何が刺す(噛んだ?)のか話題になった。

更には、何故刺される(噛まれる?)のかも。

娘曰く。

「血液型はお父さんはO型。お母さんと私はB型。

お母さんが刺されない(噛まれない?)ということは、

血液型には関係ないのかなぁ・

となると・・・例えば。.汗のニオイとか?が

何か、虫を誘うような因子を含んでいるとか?

そうかもしれないねぇ」・・・という結論。



じじと娘の肌を、何が傷つけたか分からないけれど

一番可能性のあるのは、蚊?かなぁ・・・

蚊って、洋服の色とかに反応するの?

それとも?反応しやすい匂いとかがあるの?

昔、濃い色の服を着た人とか、酒を飲んだ人が

蚊に刺されやすいって聞いたことはあるけれど・・・・・・

事実なのかどうか?



娘が帰省してからというもの裏の溝のカエルは

娘に気を遣うように鳴かなくなるし、

犯人は誰か分からないけれど

じじと娘だけ刺して(噛んで?)、ばばは仲間はずれにされるし。

どうせなら、ばばも一緒に刺して(噛んで?)平等にすれば良いのに。

ばば、ひがんじゃう~。



あっ!最後にカエルの事書きながら思い出した!

カエルの鳴く声が、娘の帰省前までは

「喧しかった」と書こうと思っていたんだ。

でも、カエルの鳴き声が「喧しかった」なんて表現あるのかなぁ?

又、自信が無くなっちゃった。

作文なんて、難しい言葉を使わず、

なるべく簡潔な言葉を使った方が良いんじゃない、ばば?

「文章は分かりやすい言葉で」が、モットーじゃなかった?ばば。



若いって良いなぁ~

2014年07月28日 21時57分26秒 | 日常生活
7月28日(月)晴れ

娘が帰省した日から、毎日母と面会に行っている。

昨日行った時、母が娘の肌の綺麗なことを

異常なほど褒め、ばばに対しては

「もう少し身だしなみをしっかりした方が良いね」と

繰り返し繰り返し言う。

それも、ばばに直接ではなく、娘を介して言うのだ。

母の言う「身だしなみ」とはお化粧のことらしい。

ばばはほとんど化粧をせず、面会に行くので

きちんと化粧をした娘と比べると、

肌の色の白さや、張り、艶、きめの細かさなどで

雲泥の差があるのだろう。

娘の肌を褒め、ばばには、もっと化粧をしなさいと言う。

母は、60才を過ぎても外出時など

きちんとお化粧をし、髪型を整え、お洒落な格好をしていた。

延々と同じ話をしたかと思うと、

今度は「あなたのお母さんは色はあなたより黒いけど

鼻は一番綺麗。こんな綺麗な鼻、見たことが無い」と

褒めちぎる母。

娘とばばは、顔を見合わせて笑うしか無かった。



そして今日、昨日よりはきちんと化粧をして

又面会に行った。

娘が「おばあちゃん、お母さんね、

今日は昨日よりきちんとお化粧して来たから綺麗でしょ」

と言うけれど、それには答えず、又しても

ばばの鼻が綺麗だと褒めちぎる。

そして、お母さんの鼻一番綺麗けど、

お父さんの鼻も綺麗だったよ.と言う。

母の言う「お父さん」とは、自分の旦那様のこと。

母にとって、鼻の綺麗な人は、「自分の旦那様」と、「嫁のばば」らしい。

ここまで「鼻」を褒められたら、

もっと鼻を磨き上げなくちゃならないのでは・・・と考えたよ。

小学生のころ、少しでも鼻を高くしようと

洗濯ばさみで、毎日、鼻を摘んでいた成果が出たのかなぁ???

生まれてこの方、自分の鼻が褒められるなんて

夢にも思わなかったよ~。

お母さん、ありがとう!



施設では、親しくしている入所者さんが何名かいる。

そのうちの、ひとりのばあちゃんが娘を指さして

「あの子は誰?」と聞くので「娘です」と答えると

「あんたに似ないで、綺麗だね」って。

あぁ~若いって良いなぁ~~~

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夜な夜な、9時を回る頃になると

我が家の裏にある溝からは「クゥワァ~~~ン、クゥワァ~~~ン」という

カエルの合唱が聞こえていた。

それが、娘が帰省した晩からピタッと止んだ。

不思議でたまらない。

じじとばばふたりだけの時は、一晩中うるさいほど鳴き叫んでいたのに、

若い子がいると、カエルも鳴かなくなるのかい?

もしかして、若い子にはもっと綺麗な「カエルの合唱」を聞かせてあげようと

場所移動して、練習をしているとか???

カエルも、若い子と、じじとばばを区別するんかい?

あぁ~若いって良いなぁ~~~



マンゴー農園に行ったよ、他

2014年07月27日 21時52分50秒 | 自然のこと
7月27日(日)晴れ

昼から、いくつかの用事があり娘と出かけた。

1つめの用事を済ませ、車を走らせていたら

「マンゴー直販」という、のぼりり旗がいくつか立てられていた。

たまたま、何名かにマンゴーを送りたいなぁと思っていたので、

のぼり旗を目印に車を走らせた。

行けども行けども、直販所らしき所はなく

それでも娘が「確かに名前と電話番号も書いてあったよ」と言うので

一度、今来た道を引き返した。

なるほど、一番最初の旗の所に看板があり

生産者名と電話番号が書いてあったので

娘が電話をすると、「今ハウスにいる」と言うので、

又、車をUターンさせた。

人家を外れた畑にビニールハウスが見えたので

そちらへ行ってみると、小屋の中から人の声がした。

「今し方電話をした者ですが・・・」と声をかけると

「どうぞ、中へ」と招き入れられた。

室内には大きな台が置かれ、その上には

明日発送するマンゴーがギッシリと置かれていた。

その数、100個以上。

こんなたくさんのマンゴーを見るのは初めてのばば母娘。

ハウスの主K、さんは、味見用のマンゴーを勧めて下さり

娘は早速味見。

「美味~しい!甘~~い!」と、大感激。

ハウスの中を見せて下さいとお願いすると

先に立って案内して下さった。

ハウスの中は、収穫前の紙袋や網で覆われたマンゴーが何百個も。

完熟し、袋の中に自然落下した物を、朝、収獲して

その日のうちに発送するそうだ。

多い日は1日で300個ものマンゴーを収穫するとのこと。

ハウスの中を回っているうちにも、網の中に落下しているマンゴーを

いくつか見つけた。

写真を撮らせてもらったりした後、商品を買い

発送までお願いした。

同じ集落内でありながら、あんな広いマンゴー園を見たのは

初めてだったので、母娘して大興奮しながら

次の用事に向かった。

極々身近でも、知らない場所がたくさんあることに改めて気づいた。

全く知らない通りなどに、足を踏み入れるのは

ちょっと勇気が要るけれど、なるべくたくさんの場所を

探検してみたいなぁ・・・と思った。



次々用事を済ませ帰宅したのは、もう6時前。

親子3人で夕食を済ませ、洗い片付けていると

庭の方から、芳香が!

夜香木、復活だ!

過日の台風で吹き枯らされた夜香木が逞しく復活したよ~。

挿し木でも簡単に増やせるし、あと1,2本は自家用に増やし

友達にも増やしてプレゼントしてあげたいと思っているよ~。



いつもはじじ&ばばだけの我が家だけど、

娘がひとり帰省しただけで、食事中の話題も色々で楽しい~。

娘が滞在中は、行きたい場所に連れて行ったり

食べたい物を作ってあげたり、

うんと甘やかしてあげようかなぁ・・と

大甘甘のばば。

じじも、「食べたい物など、どんどん買って食べさせなさい」ってさ。

親バカだと思いつつも、久しぶりの娘の帰省は嬉しいなぁ~。


コウちゃん、お帰り!待ってたよ~

2014年07月26日 19時25分39秒 | 日常生活
7月26日(土)晴れ

我が家の3女、久しぶりに7月の夏休みが取れたようで

今日帰省すると、以前連絡を貰っていた。

じじと、ばば、ばば姉3人、数日前から張り切って

「お弁当持って、空港で迎えがてら、

干潟で野鳥の撮影をしてこようと計画。

12時10分着の飛行機ということで、10時半過ぎに出発。

11時少し過ぎに、干潟到着!

東側入り口から入って「鳥はいないねぇ・・・

いるのはシラサギばかりだよ~」と諦めかけていたら

急にじじが、「コウちゃんが戻って来ている!」って声を上げた。

「エッ、どこ?」

じじが指さす方を見る。

確かに尾羽が黒っぽい。

コウちゃんかな?

遠すぎてはっきり分からない。

一応、鳥撮りデッキまで行き駐車。

カメラを下げて小走りに行くじじと、双眼鏡を取り出すばばと姉。

確かに、こうちゃんだ!

コウノトリのコウちゃんと初めて出会ったのが

今年の3月11日。

奇しくも東日本大震災が起きた3月11日だから忘れることが出来ない。

兵庫県豊岡市から、遠路はるばる奄美大島と徳之島に飛来したコウちゃん。

それから100日くらい、徳之島に滞在したコウちゃんだが

6月末頃からだったか?バッタリ姿を見せなくなり

何と!喜界島に渡っていることが判明。

もしかして?そのうち奄美大島滞在中のの兄弟鳥と

一緒に暮らすことにしたのかな?なんて思い

もう、会うことはないのか・・・とチョッピリ残念で寂しく思っていたのだ。

そんな矢先の再会だったから、嬉しかったよ~。

コウちゃん、久しぶりに会ったら、一段と大きく、逞しくなっているようだった。

嘴を干潟の中に差し入れて、一生懸命餌を探してはいるようだが

なかなか餌は見つからないみたい。

それでも、餌を探しながら、だんだん、だんだん、ばば達の方へ近寄って来たよ。

天城町在住の鳥博士、Yさんにもすぐ連絡し、しばらく一緒に撮影。



コウちゃんの他にも、足に?網目模様のある「何とかガザミ」という

大きなカニも見つけた。(Yさんが正式な名前教えてくれたのに忘れちゃったよ~)

しばらく撮影していたが、娘の乗った飛行機が着陸するのが見えたので

慌てて空港へ走り、迎えた。

約5ヶ月ぶりの再会だ。

コウノトリを娘にも見せたくて、又干潟へ戻った。

娘は初めて見るコウノトリの感激していた。

その後は、ある場所へ行って食事をすることにした。

たまたま、ばば達がいつも食事をする指定席に先客がいたので・・・・

でも、場所を変えたら、又々幸運が!

何とお弁当を広げた途端、アカショウビンが目の前に留まったのだ。

何というラッキー!

じじは、夢中で写真と動画を撮った。

娘は福の神みたい。

じじと娘がアカショウビンの鳴き真似をすると、

彼方此方で本物のアカショウビンが呼応するように鳴き・・・・

じじは娘に「さすが僕の娘!」なんて煽てながら、

ふたりしてアカショウビンの鳴き真似合戦。



食事を終えて、撮影も終わり、北回りで帰宅。

太平洋の、海の碧さに娘は改めて感動していた。

その後は、プリンスビーチに寄ったりしながら

いつもの魚屋さんに寄ったら、又々幸運なことに

大きなメバチマグロを、目の前で解体して見せてくれ

娘は大喜び!

本当に嬉しいことが3つも続いたラッキーな1日だった。

一旦飛び去ったアカショウビンが又戻って来たりして、嬉しかった!



娘の滞在中、又彼方此方出かけなくちゃ。

普段いない人が加わると、何かラッキーなことがあるのかな?

次の撮影では、どんなラッキーなことが待っているかな?

楽しみ、楽しみ。



「苦しゅう無い.取っておけ」

2014年07月25日 13時54分58秒 | 日常生活
7月25日(金)晴れ

今朝、食事後、「苦しゅう無い。取っておけ」と、

ばばの前にお金を置いたじじ。

まぁ~、こんな大金!10円玉2個も。

じじは、昔から娘やばばに



「1円を笑う者は1円に泣く」と言っては

財布から1円玉を出してくれたっけ・・・・

じじは、硬貨で財布が脹らんだり重くなるのが嫌らしい・・・

ばばは、良く無人市場とか行くから、

100円玉は意識して集めるようにしている。



今朝の20円・・・・貰って良いのかな?

実はばば・・・ちょっと後ろ暗いことがあるんだ。



昨夕のこと。

いつものように姉と一緒に買い物に出かけた。

あるお店に行って、店の前にあった「上り旗」を見た途端

思い出した。

「しまった!忘れ物した!実は、昨日も忘れて

明日必ず持ってくるね」って、

店主のお姉さんに約束していたばば。

それが・・・昨日も持って行くのを忘れてしまった。

いくら何でも、2日連続忘れるなんて・・・・

幸い、ばば達が来たことに、店主のお姉さんは気づいてはいない。

「家に帰って、持ってこよう」とすぐ車をUターンさせたばば。

姉は助手席で黙って笑い続けていた。

2日も忘れてしまった忘れ物。

それは・・・バジルの苗。

過日の台風8号で折れてしまった、バジルの枝を

透明な瓶にさして、毎日水を替えていたら

ヒゲが出て来た。

店主のお姉さんの長女さんが、バジル大好きとのことで

3日前に「根付くかも知れないから、持ってくるね」と

約束をしてあったのに、まさかの2日連続忘れ。



家に帰ったら、じじはきっと大相撲を観ているだろう。

幸い、バジルは外にある水道の前にある棚に乗せてある。

車を止め、抜き足、差し足・・・・ならぬ小走りで

外の水道まで走り、バジルの入った瓶を持って車に走った。

水道は、じじからは見えないし、

テレビの相撲中継の音量で、ばばの足音には気づかなかっただろう。

ふぅ~~~!

その後は、又一路、お店へ戻り、

「忘れて、取りに戻った」事等一切言わず

バジルの苗を贈呈~~~。

お姉さん、大喜びしてくれた。

でも・・この暑さじゃねぇ・・・上手く育ってくれると良いけどね。



その後、買い物をして帰宅しても、

じじは、ばばが途中帰宅したことは知らない様子だった。

もし知っていたら、「ばばも、年だねぇ~。じじと50歩100歩じゃないかぁ~」

なぁんて、言いながら大笑いされるのは確実。

だから、ばばはじじに話さなかったんだけど、

「20円の大金」を「苦しゅう無い、取っておけ」って言われると

ちょっと心が痛むなぁ・・・

それにしても、何故じじが、ばばに「大金」を恵んでくれたのだろう?

もしかして?

宝くじでも当たったとか???

手と頭にあるの何ですか?他

2014年07月24日 15時25分59秒 | 日常生活
7月24日(木)晴れ

34度越えの、ここ数日。

それでも、じじは10時前後になると取材に出かける。

今朝は、出かける寸前2階に上がったじじが

1階にいるばばに「ばば~僕の腕時計、その辺にある?」と聞いてきた。

その辺を見回しても無いので「1階には無いよ~」と答えた。

その直後、含み笑いをするようなじじの声が聞こえた。

カメラやバッグ、日除け上着を抱えたじじが下りてきて

「ばばに聞きながら、自分の腕を見たら

時計はちゃんとはめていたよ~」と言う。

その後、「この帽子は、ボロボロだし洗っても使えないから

もう捨てて良いよ」と、帽子を差し出した。

「じゃ、今日じじ帽子あるの?」と聞くと

ちゃんと別の帽子をかぶっていた。

ちゃんと見れば分かるのに・・・

このふたりって、どうしちゃったんだろう?

最近、こんな事が良くあり、困ったものです。

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天気の良い日に、洗濯をして干す時、何故か嬉しい。

じじとばばの洗濯だから、1日おきに洗濯機を回す。

そんなに量も多くないから、上着やパンツ類は

直接、竿に袖を通したりして干す。

この方が乾きも早いような気がする。

竿4本を使って、洗濯物を干し終わると幸せな気持ちになる。

こんな些細なことで幸せを感じられるって・・・・



ばばの子どもの頃は、洗濯した物は

竿にかけて干すのが主流?だったよ。

最近は、パラソルハンガーとか、ピンチ付きの小物干しとか

上着を何枚も干せる物がある。

でも、ここ数週間、ばばはなるべく竿だけを使って干すようにしている。

残念ながら、現在、仮住まい中の両親宅は

お昼4時頃になると、陽が当たらない。

それでも、最近は天気が良ければ午前中2時間位で

洗濯物はカラッと乾くからn何ら支障は無い。

34度も超えると、室内でじぃっとしていても

汗が流れるけれど、

4時過ぎから日の陰ったベランダ近くに座ると

風がスースー通り抜け、気持ちいい~。



過日の台風8号で吹き枯らされた夜香木も

又、蕾がつき始め、キツネ花の実も大きくなって色づき始めた。

平凡な、平凡なひととき・・・

平凡な日が続く。

これが幸せなんだよね。

娘を待つ・・・

2014年07月23日 14時41分01秒 | 日常生活
7月23日(水)晴れ

夕方5時半前後、ばばの車は実家集落への坂道を上る。

メインストリートから右折。

200メートル足らずで実家だ。



細い細い路地を左折、自宅の門に車を入れる。

庭には、ビールの空きケースに座った母の姿が・・・

母は、「お帰り」と最高の笑顔でばばを迎える。

ばばより先に立って、室内に入る母。

ばばは、仏壇に行き、3年前に亡くなった父に手を合わす。

母は、食台にご馳走を並べて、ばばが座るのを待つ。

その日1日あったこと等を話しながら、母と共に食事をする。

母のご馳走は、毎日「アンバソーメン」。

それに、卵焼きが付いたり、豚肉の炊いたのが付いたり

野菜の煮付けが付いたり・・・・

1時間足らず、母と至福の時間を過ごし、

ばばは「明日、又ね~~~」と、車に乗り込む。

門の外まで出て、母は手を振り続ける・・・・



土・日、長期休業(夏休み・冬休み・春休み)以外は

毎日、母と一緒に夕食をいただいた。

至福の時間は、ばばが天城町の職場に勤めていた

7年間続いた。

もう、20年も前の話。



当時、ばばは実家集落の隣町に勤務していた。

職場の行き帰りは、必ず実家集落近くを通って通勤していた。

朝は、職場へ急ぐことが優先だったが

帰りは、毎日実家へ寄って母と談笑し、食事をして帰宅した。

その時、毎日、母がばばのために作って待っていてくれたのが

アンバソーメン。

作り方は、極々簡単。

茹でた素麺の茹で汁を軽くきり、1度温めた油を少し入れて

混ぜるだけ。

素麺自体の塩味と油がマッチして、とっても美味しかった。

母は、来る日も来る日も「アンバソーメン」を作り

ばばの車の音が聞こえるのを待っていた。

キビ畑の向こうに、ばばの車が見えると

わざわざ門まで出て迎えてくれることもあった。

ばばの仕事が終わるのは5時。

後始末をしたりして、いくら遅くても6時までには実家へ着くようにした。



その3年前に父が亡くなり、母はひとり暮らしの日々。

ばばが寄るのを、一番の楽しみに、日々過ごしていただろう母。

1秒でも早くばばに会いたいと、寒い冬の日も、灼熱の夏の日でも

庭に出て、ビールケースにちょこんと座っていた、小さな母の姿。

ばばを喜ばそうと、80を遙かに超した母が毎日作ってくれたアンバソーメン。

時には、アンバソーメンや他のおかずを、じじや我が家の3姉妹のためにと

お土産に持たせてくれることもあった。

母の作るアンバソーメンは、とてもシンプルながら

同じ味のを作ろうと、ばばがいくら頑張ってもダメだった。

これぞ、「明治生まれのお母さんの味」だった。

ばばは、いくらでも、母と一緒にいたかった。

でも、ばばには家庭がある。

部活動指導で帰りの遅いじじ、3人の娘達。

帰りながら買い物をし、夕食の準備をしなければならない。

だから、母と一緒に過ごせるのは、せいぜい1時間が限度だった。

車の中でも、ばばはその日の夕食の献立を考えたり

翌日の仕事のことを考えたり・・・・・・・

そんな後ろ姿を、母は門に立って、ばばの車が視界から消えるまで

手を振りながら見送っていたそうだ。

たったひとり、取り残される母。

毎日どんな気持ちで、ばばを見送っていただろう。

迎えるときと同じように、笑顔で手を振ってはくれたけど、

きっと、心の中は言いようのない寂しさに満たされていただろう。

背中が曲がり、ばばの肩よりも小さくなっていた母。

そんな母だけど、ばばの大事な研究会や行事の前は

必ず「キバレよ!ウナグ!(女)」と励ましてくれた。

母がそう言ってくれると、何故かスッと気が軽くなり

色々な難関も乗り越えられそうな気がし、実際乗り越えた。

又、ばばの仕事が上手くいったことや、上司に褒められたことを話すと

それは、それは喜んでくれた。

「親って、凄いなぁ」「親ってありがたいなぁ」と

いつも感謝していたが、直接、口で伝えることはあまり出来なかった。

父よりも厳しかった母だけど、あの母の厳しさがあったからこそ

今のばばがあると、つくづく感謝する日々・・・



20年経って、今、大好きな父と母はいつもばばのすぐ近くにいる。

仏壇の中から、いつも穏やかな顔で

じじやばばを見守ってくれている。



ばばの「おふくろの味・アンバソーメン」は

ばばにとってかけがえのない、思い出と共に

世界で一番美味しい「麺料理」だ。



おふくろの味

2014年07月22日 15時04分20秒 | 日常生活
7月22日(火)晴れ後曇

先日から、ずっと送り物をしなくちゃと思っていた。

6軒分の送り物だが、一言ずつでも手紙を書かなくちゃと思い

先延ばしにしていた。

でも、思い切って昨日品物は揃え、夕べ手紙を書こうと思ったが

「夜だし、明日朝書こう・・」と先延ばし。

ばばの悪い癖。

朝食後、すぐに書き始めたが自分の文字のまずさにゲンナリ。

元々達筆では無い上に、ここ10年近く、手書きより

ワープロ書きが多いので、漢字は忘れているし

文字バランスは悪いし・・・

どうしよう・・・と思いながらも、何とか5人に手紙を書いた。

大きい荷物2個はお隣のお店で発送してもらうことにし

小さい荷物4個は、お店に持って行って

品物を買い足して、お店から宅配業者さんに手配してもらうことにした。

何だか重荷を下ろしたような気になったけど、

まだまだお世話になっている方がおられるので、

毎日少しずつ片付けていこう。

ばばは、書く事は嫌いでは無いけど

手書きは苦手じゃ~~

ワープロの文より、手書きの方が・・・なんて言われたら

ばば、どうしよう?

日頃から、やはり手書きの練習もしないといけないなぁ・・・・



夕べ、夕食で野菜炒めを出したら

じじが「この素材と味、おふくろの味と同じだなぁ・・・」って言ったので、

ばばはビックリした。

自分の両親と暮らした時間よりも、じじ両親と暮らした時間の方が

長くなったかなぁ?

それでも、ばばの作る料理の味が、

じじのお母さんの味に近づくってあるのかな?



義母は、料理上手だった。

ある物を無駄にせず、色々工夫して、美味しい料理を作ってくれた。

手早く、美味しく・・・これが義母の料理だった。

義母の味・・・と言えば

白菜の朝鮮漬け・カレー・煮物・エビフライや豚骨煮・

ラッキョウ漬け・ニンニク漬け・・・

その他、色々美味しい料理を作ってみんなに食べさせてくれた。

多いときは15,6人分もパパッと作って、テーブルに並べてくれた。

でも、義母と一緒に料理を作ったことは無い。

いつも食べているだけで、せいぜい洗い片付けくらいしか手伝わなかった。



自分の母の味って、何があるかなぁ・・と考えてみた。

よもぎ餅・黒糖餅・ソーダ餅・味噌・塩豚・・・・

餅類を中心に忘れられない味がたくさんある。

その中でも群を抜いているのは「アンバソーメン」。

ばば家族が5人で押しかける週末、いつもアンバソーメンを作ってくれた。

「アンバソーメン」という郷土料理もあるけれど

それとは全く作り方も味も違う母の「アンバソーメン」だった。

奄美大島の郷土料理のアンバソーメンは、茹でた素麺に

ジャコやお肉でとったダシで炊いた野菜や肉を混ぜる・・・・

このアンバソーメンも、美味しいし、

ばばが子どもの頃の田植えや稲刈り、

サトウキビの刈り取り作業の時等、大鍋で炊いて

持って行き、みんなで食べたものだ・・・

「アンバソーメン」の「アンバ」とは「油」だという意味だと思うけど

油で炒める事はしないし、

特別油を多く使うわけでも無いのに

何故、「アンバソーメン」というのだろう?

ばばは、このアンバソーメンを娘達に作ってあげた記憶も

無いような気がする。



ばばにとって、「義母と母の味」といえる料理はたくさんあるが

我が家の娘達にとって、「おふくろの味」ってあるだろうか?

せめて「豚骨煮」とか「鶏飯」くらいの作り方は

教えておきたいとは思うけれど、今となっては無理かな?

教えると言っても、調味料など、何は大さじ何杯とか

そんな細かいことは、ばばは教えられないと思う。

自分の舌で覚えて、美味しいと思う味付けをするのが

「ばば流」だから・・・

本当のおふくろの味を伝えることは出来ないかも知れないが

「あっ、この料理、お母さんが良く作ってくれたよね」と

娘達の記憶に残る料理を1つでも、2つでも残してあげたいなぁ。



郷土料理の「アンバソーメン」と

母が作ってくれた「アンバソーメン」の違いなどは

又、明日でも書きたいと思う。