ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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おめでとう!

2008年12月21日 23時02分46秒 | 家族のこと

12月21日(日)

みーちゃん、誕生日おめでとう!

電話であなたの元気な声聞いて安心したよ。

昨日、今日と実家の庭木の伐採の手伝いをしながら

ずっと、みーちゃんの誕生から2歳頃までのことを思っていたよ。

あなたの小さい時のことを思う時ばばは胸詰まる思いがする。

加計呂麻での共働きのため、生後3ヶ月のお姉ちゃんを

徳之島のじじ両親に預け、更に1歳半の貴方も預け仕事を続けたばば。

あなたが生まれた時はたまたま、昼間預かってくれる方があり

加計呂麻でじじとばばと3人で暮らした。

みーちゃんは小さすぎて覚えてはいないと思うけど。

朝はじじが自転車の前の前カゴにあなたを入れ

昼間世話してくれる方の家まで連れて行き

仕事が終わるとばばが迎え、

そしてじじが帰ってくると自転車の前かごに乗せて

ばばの夕食の準備が終わるまで

あなたをあちこち散歩に連れて行った。

だから、あなたは完全な父親っ子。

じじはお風呂・オムツ替え・夜中や早朝のミルクをあげることまで

全部引き受けていたんだよ。

でも、じじは優しいだけでなく、

あなたが聞き分けが悪い時はピシッと叱り、

それでも聞かない時は外へ放り出したりしていた。

1才ちょっとだったあなたが

「ごめんなさ~~い。もうしませんから許して下さ~~い」と泣き叫ぶ様子に

ばばも泣きたかった。

でも、やはり悪いことは悪いと分からせるために

じじは心を鬼にしてあなたに厳しくしていたし、ばばは黙認していた。

じじは、週末には町営船に乗って古仁屋に渡り

あなたのための離乳食をどっさり買ってきてあげていたんだよ。

 

はな姉ちゃんと離れているのは辛かったけど

あなたがいつも傍にいてくれてじじも、ばばも幸せだった。

じじとばばも仕事以外は「全てみーちゃんと」という生活だった。

加計呂麻の小さな集落での生活だったけど

あなたは集落中の方に可愛がられ

じじやばばの職場の同僚にとっては正にペットだった。

周囲の愛情に包まれすくすく育っていたあなたが1才ちょっとの時

ばばは破傷風になり、おまけに手遅れ状態で

通常の数百倍もの血清を打ってもらい

約3日間の意識不明状態が続いたそうだ。

その間、じじとみーちゃん二人の生活だった。

ばばは20日ぐらい入院し、元気に退院できた。

再びあなたを抱っこ出来た時は

涙が出るほど嬉しかった。

(生還できて良かった)って心底思った。

家に帰るとみーちゃんがますます父親っ子になってて、ちょっと寂しかったけど。

 

ばばの入院というアクシデントもあったが

又親子3人の平和な日々が戻ってきた・・・・・と思った矢先

みーちゃんの世話をしてくれていたおばあちゃんが

都合で都会の方へ行かなければならなくなった。

それで、継続的に預かって下さる方がいなくなり

数日は隣の奥さん、数日は同僚の奥さん、

数日は隣近所のおばちゃんというように

あなたは数日ごとに違う人に世話をしてもらわなければならなくなった。

たった、1歳半のあなたも、表現は出来なくても

きっと何かを感じていたんだろうね。

じじとばばは、相談をした。

そして辛い決断をした。

徳之島のじじ両親のところへ行けば、はな姉ちゃんもいる。

じじとばばも半年で加計呂麻での勤務が満了する。

この際、姉妹慣らすためにも

徳之島で一緒に育ててもらった方が良いのでは・・・とね。

 

ある土曜日、じじはみーちゃんを連れて徳之島へ帰った。

そして翌日、あなたが昼寝をしている隙に

じじは逃げるように加計呂麻へ戻った。

目覚めて、大好きなじじの姿がない。

夕方になっても帰らないじじ。

その時のあなたの心の内を考えると

この文を書きながらもばばは涙が止まらない。

目覚めた時、じじはいなくなり、あなたをあやそうと近づいた

親戚のおばあちゃんをあなたは「又ね、又ね」って

手を振りながら玄関から外へ押し出し、家の中へ入れなかったんだって。

きっと、おばあちゃんが大好きなじじを逃がしたとでも思ったんだろうか?って

このおばあちゃんは、何回も何十回もこの時の話を

じじやばばにしてくれたし、大きくなってからみーちゃんも聞いたよね。

 

次の日からあなたの生活環境は一転。

じいちゃん、ばあちゃん、はな姉ちゃん、そしてあなたと4人の生活が始まったんだよね。

3ヶ月からじいちゃん、ばあちゃんと暮らしていた、はな姉ちゃん。

 

今まではじじとばばの愛情を一身に受けていたあなたが

徳之島では・・・・・・

じいちゃん、ばあちゃんに甘える、はな姉ちゃんに

敵対心を持ち嫉妬したんだろうね。

どうしても、じいちゃんばあちゃんを独占したがるはな姉ちゃんに

みーちゃんは「姉ちゃんには、じいちゃんがいるでしょ」って言って

ばあちゃんを独占したがったってね。

自分に、確実に、いっぱいいっぱい愛情を注いでくれる

誰かが欲しかったんだよね。

いじらしくもあり、悲しすぎる。

1歳半のみーちゃんが、そういう発言をするなんてね。

後々までじいちゃん、ばあちゃんの語り草になっていたんだよ。

 

日にちが経つにつれ、みーちゃんもじじ・ばばと離れ徳之島での

生活になじんでいった。

でも、きっと心の中ではじじ・ばばを求めていたんだろうと思う。

6ヶ月後、加計呂麻での勤務を終え徳之島に帰った時

港で、抱っこしようとするじじとばばに

じいちゃんの胸に顔を埋め、顔を背けるはな姉ちゃんと違い

みーちゃんは自分からじじとばばの胸に飛び込んできた。 

 

生後3ヶ月からじいちゃんばあちゃんと生活していたはな姉ちゃんは

じいちゃんばあちゃんが自分の本当の親だと思い

1才6ヶ月までじじ・ばばと暮らしたみーちゃんは

やっと自分の本当の甘えるべき人が帰ってきたと

本能的に思ったんだろうか?

徳之島での生活が始まってもはな姉ちゃんは

何とか理由を作ってはじいちゃん、ばあちゃんの家に入り浸り

反対にみーちゃんはじじとばばにベッタリになった。

 

そして、はな姉ちゃんにことごとくライバル意識を持つようになったみーちゃんに

びっくりしたけど、きっとじいちゃんばあちゃん争奪戦の延長戦上に

はな姉ちゃんに対するライバル意識が芽生えていたのかも知れないと

大部後になってばばは気づいた。

そして、加計呂麻で世話をしてくれる方が次々変わったり

一番好きなじじがあなたを徳之島へ連れてきて置いて

自分だけ加計呂麻に帰ってしまった・・・・・このことも

きっとみーちゃんの深層心理に何か影響があったのかも知れない・・ともね。

 

成長し、姉妹3人近くでお互いに助け合いながら

生活するようになったみーちゃん。

小さい頃、ライバルだったはな姉ちゃんの強力な助っ人として、

5才違いの、ぴかちゃんの保護者としてずっとずっと姉妹仲良くね。

 

みーちゃんは、あまりぺらぺらおしゃべりするタイプではないけど

本当に心の優しい子だと思う。

今年の2月にばばが上京した時とても寒かったね。

そんな時、黙って温かい靴下と下着を買ってきてくれたみーちゃん。

ほとんどの行動が無言実行型のみーちゃん。

先日の京都旅行でも緻密な計画のもとに

少しでもじじとばばを喜ばそうと心を砕いてくれたね。

ありがとう!

何年ぶりだったろう?

みーちゃんとぴかちゃんとに両脇を挟まれ腕を組んで

京都の町を歩いたね。

嬉しかったなぁ・・・・・じじだけ仲間はずれでちょっぴり可愛そうだったけど。

 

超慎重型そうで、案外抜けていて

他人がしないようなミスをしてしまうところがばば譲りのみーちゃん。

いつもばばに「石橋を叩いて落っこちるお母さん」って言うけれど、

この言葉はそのままみーちゃんにお返ししようかな?

 

年が明けると、超多忙になる、みーちゃん。

いつもいつも同じことを言うけれど、健康第一。

無理をしすぎないようにね。

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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ハロジからもおめでとう (ジョンマ)
2008-12-22 17:39:33
 共働きのうえ転勤がつきものの公務員、子育てには苦労したことでしょうね。 幼くして親元を離された子もそうですが、ドゥヌ産ミ/ナシグヮをその手に抱けない母の淋しさ辛さは如何ばかりだろう。子を持ったことのない僕には想像すらできません。 じじムィーも偉いね(お前が言うか、って怒られるかな)。アジャの鏡ドォ! 昔の島のように爺ちゃん、婆ちゃんと同じ屋根の下で家族三代暮らせたなら、三世代共にどんなにか幸せだろうと思う。今になって、幼少期に恐いジイ、説教ばかりのアンと共に暮らせたことの有り難さが身に染みます。もうジイもアンも、そのウトゥンジャマもこの世に居ないんだよね。なぜか、まだどこかに、例えばオロギィバンタ辺りにみんな居るような気がしたりします。

 じじムィー&ばばアカ、親の宝が子なら、子のそれもまた同じ。永遠にとは言わずとも、できるだけ長く元気でいてほしいと、お嬢さん達は思ってるはず。 こんな当たり前のことすら、もろく崩れがちな世の中。ibucyan家はほんとに素晴らしい家族だね。
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ジョンマさんへ(今でこそ・・・) (ばば)
2008-12-22 20:35:26
ジョンマさん、ばばはジイもアンも知りません。物心ついた時は、仏壇に写真で飾られていたから・・・だからジイとアンがいる友達がとても羨ましかったです。就職して、ある80代のおばあちゃんお家に下宿した時は、本当のおばあちゃんのようで、夕方いつも手を繋いで散歩出来たことがとても嬉しかったよ。(山勤務時代のことで自動車免許を取るまでの1年ちょっとの間でした)その3年後、加計呂麻でもたくさんのばあちゃん達と友達になれて嬉しかった~~。
今でも、困っているおじいちゃんやおばあちゃんを見ると、お節介かと思いながらも、ついつい手を貸してあげたくなります。ファザコン・マザコンに、ジイ・アンコンって言う言葉もあるのかな?なければ、ばばのためにジョンマさん付け加えてくれないかしら?
 うちの3姉妹は父方、母方、両方の祖父母とも関わり合えてたくさんのことを学んだと思います。幸せですね。
 じじも今でこそ「何もセンニン」なんてばばに皮肉られているけれど、子育て中は、お手本的な父親・夫でしたよ。(あれ、褒めすぎ?じじが何か袖の下でもくれるかな?)
 オロギバンタでみんなで集えたらどんなにか楽しいことでしょうね。
 ばばは、オロギバンタで海を見ると、今は亡き両親・兄・姉に大声で何か叫びたくなるのよ。もし、近くの畑などに誰かいたら「変人」と見られるから、まだ実行はしてないけれどね。いつか、思いっ切り叫んでみたいな。
 ジョンマさんが最後に書いてくれているように、娘たちのためにもじじ&ばば、共に長生きしなくちゃね。心優しいコメント、本当にありがとうね。いつも励みになります。
 ばばの言うことは「鵜呑み」していいよ、ジョンマさん。サトゥンチュウは嘘つかないからね。
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