ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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数十年ぶりに復活!

2011年09月30日 12時27分19秒 | 日常生活

9月30日(金)曇り

いつも、じじが一休み?昼寝?に使う座椅子?兼ベッド?が気になっていた。

カバーを掛け方が良いだろうと、敷き布団用のパッドを使ってみたのだが

幅が合わず、ずんだれて、みっともない。

思い切ってパッドを半分に折って縫い、

四隅に幅広のゴムを付けてみたら良いのでは・・・と思ったばば。

思い立ったが何とか・・・

早速、裁縫用具を出してチクチク縫いだした。

使ったのが細い細いテグスのような「透明糸」なる物。

縫っている家にだんだん手が疲れてきた。

「こんなに難儀しなくても、ミシンで縫えば良いじゃない?」

と思った。我が家にミシンはある。

でも、もう20年以上くらい使ってないミシン。

上手く動くだろうか?

気にしつつ、ミシンを引っ張り出し動かしてみた。

動いたよ!

まぁ、長い長い時間日の目さえ見せていなかったのに・・・

よう、動いてくれたのう・・・!

早速、さっきのパッドを縫ってみた。

スイスイスイのスイ~~~っと。

あっという間に、縫い終わったよ。

続いて、四隅にゴムを縫い付けなくちゃ。

まず、手縫いで簡単に縫い付けて、座椅子に合わせて具合を見ながら

何回かやり直していたら、ピタッサイズで完成!

やった!

ンンンン~~~、自分ながら、良くやった!!

誰も褒めてもくれないので、自画自賛。

これで見た目もスッキリ、じじも気持ちよく使えるぞ~。

じじ、ばばは偉いでしょ~~。

 

今日使ったミシンはね、ばばが28歳の頃に買った物。

実は、結婚祝いにばば姉夫婦が当時流行っていた

ジグザグミシンをプレゼントしてくれたの。

ところが、結婚して5ヶ月後に加計呂麻へ転勤になったの。

ミシンは持って行かないことにして、新品のまま置いてたの。

さて、4年後加計呂麻から帰って、いざ、ミシンを使おうと出してみたら

全く動かない。何で???

訳も分からぬまま、ミシンやさんに見てもらったが

結局は直線縫いの新品のミシンに買い換えることになった。

 

あれから、うん十年。

雑巾・バッグ・エプロンとパンツスーツ、じじのズボンの裾上げ等、

けっこう使っては来たけど、子供達が独立してからは

ミシンを使うことも無く、家の隅っこに入れられて

その上には箱が置かれたり・・・ちょっとした収納棚になっていた。

でも、このミシンって偉いね。

ちゃんと仕事してくれたもの。

 

それに比べ、結婚祝いにもらったジグザグミシン・編み機など、

使わないで数年おいていたら全く使えなくなってしまったのは、な~~ぜ?

再び使う時にはちゃんと油を差したり色々試みたけどダメだったんだよ。

ミステリーのひとつだな?これも・・・

 

そうそう、話は全く違うけど、

今年は度重なる台風や天候不順で野菜の値段がとても高いのよね。

昨日から、近くのスーパーなどは恒例の週末セールなので

キュウリを買おうと思って出かけたの。

過日、レタスが一個698円になっていて、目の玉が飛び出そうなくらい吃驚したけれど・・・・

昨日は、キュウリを買おうと思ったの。

普通198円とか、298円とかで3本入りのを買うのね。

キュウリのコーナーへ行ってみると3本298円だったので、

「ちょっと高いなぁ・・・・ついでだから、他のスーパーへも廻ってみよう」と思って

別のスーパーに行ったら、168円って書かれている。

「やはり、来て良かったわ~」と思ってキュウリを取り上げようとして吃驚!

だって~~、1本168円なの。

信じられる?

今まで、こんな高いキュウリ見たことも買ったこともないよ~。

けっきょく、キュウリは買ってこなかったけど、

こんなに高かったら、じじにもキュウリは我慢してもらって

他の野菜で間に合わせましょ。

 

天候不順・・・ばば達の日常生活にもけっこう影響があるのね・


一足遅かったかぁ~~~

2011年09月29日 14時39分33秒 | 日常生活

9月29日(木)曇り

「一足遅かった!」

売れてる!!!残念!

好きな物は、サッと買わないといけないな・・・と

反省したことが、これまでも何回かあったけど、

今回は本当に残念だった。

 

何を買い損ねたのかって???

あのね、今の時期にちょうど良い、ベスト。

別にベストがどうしても欲しいという訳で

お店に入ったのでは無いが・・

夕方の買い物に出かけたお店で、目の保養に

衣料がかかっているコーナーをブラブラしていた。

そこへ、顔見知りのYさんも来た。

Yさんとは、夕方の買い物で良く会う。

二人で衣料を見ていると、黒無地と別の生地を接ぎ合わせたような

素敵なベストを発見!

黒無地でない方も黒い地に白い絣のような模様が入っている。

絣のような模様は小さいのでドット柄に見えなくも無い。

襟付きで、可愛いポケットも付いていて、丈はショート。

ばばは、上は赤い無地のTシャツ、下は黒のクロプトパンツを着ていたが

試しに羽織ってみた。

わぁ~~ピッタリ!

生地・色・柄・デザインとても気に入った。

Yさんもとても気に入ったようで、試着してみた。

Yさんは前のボタンを留めることができなかった。

「私は太っているからね・・・」と諦めたようだった。

ばばも、よっぽど買おうかな?と思ったが、元の場所に戻した。

Yさんは「自分には小さいし。これを買うためには何かで切り詰めなくちゃね。

切り詰めるとすると、食費しか無いよね・・」と言いながら

二人は食料品を買うために他のコーナーへ廻った。

別れ際に「次来た時には売れてるかもよ」ともYさんは言った。

Yさんも、やはりベストのことが気になっているようだった。

 

その夜は、ベストのことが気になって仕方が無かった。

買えば良かったかな・・・って思った。

明日、もう一度お店に行って買おうかな?とも思った。

そのお店は、同じ物はほとんどなく、一点物が多い。

 

次の日、ばばは用事があり、そのお店へ寄ったのはお昼前だった。

衣料品コーナーへ廻ると・・・・

無い!あのベストが、無い!

場所が変わったかな?と隅から隅まで見て回ったが無かったので諦めた。

その後も、毎日その店へ行くので、

その度に衣料コーナーへ廻って「もしかして????」と

かすかな期待を持っていたのだが、やはりあのベストは無かった。

ちょっと残念!?相当残念!?

 

そして、昨日、別の店でYさんと会ったので

「やはり、あのベスト売れていましたよ」と声をかけると

「あ~、私が買ったからね」との返事。

なぁんだ~~、Yさんが買ったのか。

ちょっとホットもした、ばば。

Yさんは、ベストの前のボタンが閉まらないので

「ちょっと私には小さいね」と言っていたので

まさか、Yさんが買ったとは思わなかったばば。

 

素敵なベストだったなぁ・・・・

 

買えなかったとなると、ますます「素敵度」が増してくるから不思議だ。

これまでも、何回かこんな経験はあるけれど、

まぁ、時間の経過と共に忘れてしまう。

買い損ねた衣料が無いからと、着る服が無いわけじゃ無し、

買ったとしても、すぐに着たかどうかもわからないし、

ご縁が無かったのでしょう、あのベストとは。

 

今、ばばがすべきことは、新しい服を買うことよりも

不必要な衣料を整理し、ある物はどんどん着ること。

分かっちゃいるんだけど。。。

お店へ行って、その年々の流行の品など見ると

心がときめいてしまうのよねぇ。

買うことは滅多に無いけれど、女の人って、

いくら持っていても、次々新しい服が欲しくなるんですかねぇ・・・・

これって、ばばだけ?


「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」って?

2011年09月27日 17時13分02秒 | Weblog

9月27日(火)曇り

「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」って何語?そして意味は?

これは、徳之島の方言。訳すと・・・・

「私は貴方が好きだったよ」。

誰が、誰に言った言葉かって?

それはね・・・・

ばばの知人が話してくれたんだよ。

 

そもそも話の発端は「昔は今の時代のようないじめなんか無かったよね」

・・ということから始まった。

ばばも「男子対女子っていう対立はあって下校の時、

男子に待ち伏せされて、いつも女子は逃げ回っていた」と話すと・・・

知人が「私はね、小さい頃から髪の毛が薄くて

雨に濡れたりすると地肌が見えるくらいだったの。

すると、意地悪A君が、いつも後ろからスッと近づいてきて

ネズミって、耳元で言うの。だから、雨が降ると

体育の時間であっても、すぐに教室に逃げ込んでいたのよ」と。

これは、小学校の頃の話だが、時は過ぎて、高校生になったある日

同級生が集まることがあったんだって。

その時,A君も参加していたので、知人は

「小学校の時、貴方、チッキ(強調語?)嫌いだった」と言った。

すると、A君は「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」・・・

つまり、「僕は君が好きだったよ」って答えたって。

アハハハハ~~~。

 

続けて知人は言った。

「T君も大嫌いだった」と。

その理由というのが、これ又笑えるんだけど・・・

「なぜ?」と聞いたばばに知人は言った。

「昔はね、前項朝会の時や、体育の時間など男女別に分かれて並んでいたの。

それが、身長順じゃなくて、姓の五十音順に並んでいたのよ。

それで、T君と私は、ちょうど真横に来るくらいに並んでいたの。

そうしたら、T君ったら、いつも私の腕に噛みつくの。」って。

アハハハハ~。

又してもばばは大笑い。

何故T君が知人に噛みついたかって?

それは、T君に聞かなければ分からないね。

 

このT君の話には後日談があって、

それは知人が大人になってからの話で、つい4,5年くらい前の話かな?

寒い季節、知人が親戚の叔母さんの家でこたつに入って談笑していた。

T君の家は、この叔母さんの家の近所で、酔っ払って家に帰る時、

この叔母さんの家の電気が点いていると必ず上がり込んできて

しばらく遊んで帰っていたらしい。

たまたま知人がいた時も、叔母さんが「ほらっ、Tが来るよ」と言って

ほどなくして、本当にT君が来たんだって。

咄嗟に知人はコタツの中に潜り込んで、息を殺していた。

T君はしばらく「酔っ払いの油売り」をして帰って行ったらしいんだけど、

翌日、知人の叔母さんの家に来て

「夕べ、コタツが膨らんでいたけど、誰か居たの?」ってわざわざ聞いたんだって。

知人の叔母さんは「いや、荷物があっただけで、

誰も居なかったよ」って答えたらしいんだけど、

小学生の時噛みつかれたT君が、大人になっても怖くて嫌いだった

と言う知人の話に二人して大爆笑したけど、

A君も、T君も、きっと知人のことが好きだったんじゃないかな~。

「好き」という裏返しの行動を

「ちょっかい」という形で表現したんじゃないかなぁ・・・・

 

ばば達が小学生の頃なんて、ことごとく男女敵対していて・・・

でも、家に帰ると近所の男子や親戚の男子とは

普通に話したり「缶蹴り」して遊んだりもするんだけど、

学校の門を入った途端、右と左に別れていたのよね。。。。。

 

そんな時代だったんだよなぁ・・・・・
何語?そして意味は?

これは、徳之島の方言。訳すと・・・・

「私は貴方が好きだったよ」。

誰が、誰に言った言葉かって?

それはね・・・・

ばばの知人が話してくれたんだよ。

 

そもそも話の発端は「昔は今の時代のようないじめなんか無かったよね」

・・ということから始まった。

ばばも「男子対女子っていう対立はあって下校の時、

男子に待ち伏せされて、いつも女子は逃げ回っていた」と話すと・・・

知人が「私はね、小さい頃から髪の毛が薄くて

雨に濡れたりすると地肌が見えるくらいだったの。

すると、意地悪A君が、いつも後ろからスッと近づいてきて

ネズミって、耳元で言うの。だから、雨が降ると

体育の時間であっても、すぐに教室に逃げ込んでいたのよ」と。

これは、小学校の頃の話だが、時は過ぎて、高校生になったある日

同級生が集まることがあったんだって。

その時,A君も参加していたので、知人は

「小学校の時、貴方、チッキ(強調語?)嫌いだった」と言った。

すると、A君は「ワァ、ヤァ、シキィアタンダァ」・・・

つまり、「僕は君が好きだったよ」って答えたって。

アハハハハ~~~。

 

続けて知人は言った。

「T君も大嫌いだった」と。

その理由というのが、これ又笑えるんだけど・・・

「なぜ?」と聞いたばばに知人は言った。

「昔はね、前項朝会の時や、体育の時間など男女別に分かれて並んでいたの。

それが、身長順じゃなくて、姓の五十音順に並んでいたのよ。

それで、T君と私は、ちょうど真横に来るくらいに並んでいたの。

そうしたら、T君ったら、いつも私の腕に噛みつくの。」って。

アハハハハ~。

又してもばばは大笑い。

何故T君が知人に噛みついたかって?

それは、T君に聞かなければ分からないね。

 

このT君の話には後日談があって、

それは知人が大人になってからの話で、つい4,5年くらい前の話かな?

寒い季節、知人が親戚の叔母さんの家でこたつに入って談笑していた。

T君の家は、この叔母さんの家の近所で、酔っ払って家に帰る時、

この叔母さんの家の電気が点いていると必ず上がり込んできて

しばらく遊んで帰っていたらしい。

たまたま知人がいた時も、叔母さんが「ほらっ、Tが来るよ」と言って

ほどなくして、本当にT君が来たんだって。

咄嗟に知人はコタツの中に潜り込んで、息を殺していた。

T君はしばらく「酔っ払いの油売り」をして帰って行ったらしいんだけど、

翌日、知人の叔母さんの家に来て

「夕べ、コタツが膨らんでいたけど、誰か居たの?」ってわざわざ聞いたんだって。

知人の叔母さんは「いや、荷物があっただけで、

誰も居なかったよ」って答えたらしいんだけど、

小学生の時噛みつかれたT君が、大人になっても怖くて嫌いだった

と言う知人の話に二人して大爆笑したけど、

A君も、T君も、きっと知人のことが好きだったんじゃないかな~。

「好き」という裏返しの行動を

「ちょっかい」という形で表現したんじゃないかなぁ・・・・

 

ばば達が小学生の頃なんて、ことごとく男女敵対していて・・・

でも、家に帰ると近所の男子や親戚の男子とは

普通に話したり「缶蹴り」して遊んだりもするんだけど、

学校の門を入った途端、右と左に別れていたのよね。。。。。

 

そんな時代だったんだよなぁ・・・・・


ドキドキ再検査

2011年09月26日 18時39分34秒 | 日常生活

9月26日(月)曇り時々小雨

一月前、心臓のエコー検査を予約してあったので

検査は10時からだったけど9時半に家を出た。

週明けだったせいか、待合室は座る席も無いほど込んでいた。

 

受付に予約票と診察券を出して、ずぅっと奥へ進むと

席が空いていたので座って待っていた。

 

ばばは、どういうわけか?町の検診で心電図の再検査を・・

と言う結果が続いている。

日常生活で、何にも感じることは無いけれど

検診で引っかかってしまうと気になり

すぐに再検査を受けることにしている。

今年なんか、町の検診ではばばが心電図の検査をしている時

急に停電になって、ドキッとした。

停電した瞬間(あ~あ、今年もきっと再検査だ~)と思っていたら

案の定・・・結果は要精密検査ってさ。

 

心電図検査の前に血圧を測り、又外で待つことしばし。

10時少し過ぎて名前が呼ばれたので、検査室に入った。

 

検査技師さんが、カーテンで区切られたベッドに「寝て下さい」

と言うので、一瞬、心電図って上着を脱ぐんだったかな?

と思い、上着を脱いでベッドに寝ていると

カーテンを開けた技師さんが

「上着を着て下さい。運動もしてもらいますので」と。

きゃー恥ずかしい!。

上着脱がなくても良かったんだ~。

 

糊みたいなのをペタペタ胸と手首と足首につけ

何か器具を付け、技師さんはばばの心臓の周りを検査しながら

ひたすらパソコン?画面を見、マウスをカチッ、カチッとクリックする。

本当に、「まな板の上の鯉」状態ってこういうことを言うんだろうね。

しばらくして「良いですよ~」と言うので

急いでティッシュで糊を拭きベッドから下りると

「今度は運動してもらいます」と言う。

目の前には踏み台昇降の時に使うような階段が置かれ

「はいっ、昇り降りして下さい」って。

言われるままに階段を2段昇って、1段向こう側へ降りて

向きを変えて反対側から同じ動作をする。

速くしなくちゃいけないのかと思って、

降りた途端、クルッと方向変換をして運動を続けていたのだが

何だか目が回りそうで気持ち悪くなってきた。

技師さんが、リズムを取ってそれに合わせるでもなく、

技師さんはパソコンに向かったまま。

速さは関係ないのかな?と思って、

最初よりスピードを落として延々と同じ動作を続けた。

(一体、何回昇り降りするんだろう)と思った。

こんな運動、普段はしないので何だか足がガクガクしてきたぞ~。

「良いですっ!」と技師さんが言ったと思って

台の上で止まったら、「まだですよ。そのまま続けて下さい」って。

ふぅ~~~、でも、もうゴールは近いぞ・・・と頑張り続けたよ。

「はい、止めぇ~~~」と言う技師さんの言葉が嬉しかったなぁ・・・

 

その後、今度は違うベッドに寝かされ

体も横向きにして、初めと同じような器具と糊を付けられて、検査。

 

うぅ~~ん、町の検診の時よりだいぶ時間がかかるなぁ・・・・

何か異常があったのではないかなぁ・・・・

待て待て、いらんこと考えたら心臓がバクバクして

変な結果が出るかも・・・等と色々考えるばば。

いらないことを考えたらいけないと思い、

実家集落のお気に入りの光景を思い出したり

玄関に咲いているグリーンのミニバラのことを考えたりしていた。

 

「はい、終わりましたよ~」と言われホッとした。

 

その後、待合室へ行き先生から名前を呼ばれるまでひたすら待つ。

受付番号は42番だけど、検査があったので後回しになるかも知れないな・・

と思い、本棚から雑誌を出して読みながら待っていたら

11時30分くらいになって、やっと名前が呼ばれ診察室に入った。

(検査結果が気になる・・・)

先生の顔をじぃっと見守る。

「少しだけ、左心室肥大がありますが今すぐ、どう、こうという心配はありません。

運動前と、運動後の心電図の図形が変わっていたら問題ですけど、

ばばちゃん、大丈夫ですよ」って。

やったぁ!!!!

先生の一言で、目の前がパァ~~ッと明るくなった。

その後、又30分以上待って会計を済ませ

調剤薬局へ行って薬をもらい、家に帰ったら12時25分になっていた。

 

午前中、何もできなかったけど

何はともあれ、心に引っかかっていた物が取り払われた感じ。

良かった、良かった。

人間、何と言っても健康が一番ですかね。

じじとばばが健康でいることが、一番の「親孝行」であり、「子供孝行」だと思うから

これからも、じじとばば健康管理をしっかりしていこうね。


ばば、働きたいって本気?

2011年09月25日 18時53分12秒 | 日常生活

9月25日(日)曇り

以前、聞いたことがある。

「はだいろ」っていう言葉は差別用語なので使わない方が良いよって。

以前は、クレヨンや色鉛筆でも「はだいろ」はあったのにね。

では、今は、かつての「はだいろ」をどう言うかと思ったら、

「うすだいだい」とか「ペールオレンジ」と言うらしい。

ふぅ~ん、時代の流れと共に言葉も変わるねぇ。

 

夕べ、夕食を食べながらばばが言った。

「女の人って偉いなぁ・・・子育てしている人や仕事している人

専業主婦の人、みんな偉いよね」って。

ばばも38年間、子育てをし、仕事をし、家事も何とかこなしてきたけれど

退職してみて、改めて女の人の凄さを感じる。

 

現在、じじとばばは何も仕事をしていない。

1日24時間も、時間が有り余って困っているんじゃない?って普通は思うよね。

ところが・・・(じじなら、きっ、ところがドッコイと言うだろうね)

時間はいくらでもあるんだけれど、1日の終わりに

仕事をしていた頃の充実感は無い。

無計画にボォ~~っと過ごしている証拠だな。

 

朝起きて、食事の準備して、ちょっと家事してお茶の準備して、昼ご飯作って、

お茶の準備して、ちょっと買い物でもしてきて、夕ご飯作って・・・・の繰り返し。

特に、1日3回食事を作ることが最大の仕事って感じ。

今、食べて片付けたと思ったら、もう次の食事のことを考えなければならない。

何だかこんな生活、ちょっとなぁ・・・と思うようになった。

じじに言ってみた。

「ばば、仕事しようかな?」

「ばばにできる仕事あるの?」

「あるよ。再雇用。。。。」

 

するとじじ、何と言ったと思う?

「じゃぁ、ばばが稼いだお金でお手伝いさん頼もう」ってさ。

じじ~!!!!

いくら何でもそれは無いでしょう。

何でばばが稼いだお金で・・・・・

じじは、ばば以上に怠け者じゃぁ~~~~。

 

「今まで頑張ってきたんだから、もうゆっくりして良いんだよ」って

じじは言うけれど、本当はもう少しメリハリをつけた生活しなくちゃいけないね。

「燃え尽き症候群」になっちゃ、いけないなぁ・・・

 

そうだねぇ・・・・

夕べ、「世界一受けたい授業」っていうばばの好きなテレビ番組で

9月は家のダニが死んでしまう時期なので、

今の時期、大掃除をした方が良いって

掃除のプロの人が話していた。

もの凄い数のダニが各家庭にいるんだって。

 

掃除って、やってもやってもキリが無いよね。

毎日、どこから入るの?と思うくらい埃はつくし・・・

じじ~ふたりで明日から掃除でも始めますか?


イワシ・ナデシコ

2011年09月24日 16時49分06秒 | 日常生活

9月24日(土)曇り

これと言って書くことが、なぁんにもないなぁ・・

 

あっ、そうだ!

先週末、だったか?

じじと浅間干潟へ行った時、西郷公園横の岸壁に

おばちゃん達が10名くらい、釣り糸を垂れていた。

昨日、テレビで「釣りガール」が多くなっているって言っていたけれど、

島のガールズも流行に敏感だな。

おばちゃん達は、日よけ対策か?長袖シャツ・長ズボン・

帽子・フード付き上着の人が多かった。

じじとばばは、おばちゃん達の背後にいたが

じじが「何が釣れますか?」と聞いたら

「イワシ」だって。

ばば達が見ている前で次々に小さなイワシが釣り上げられた。

この時期に、イワシが釣れるんだ・・・

唐揚げにしたら美味しいだろうな・・・と思いながら

ばば達は干潟へ向かったのだった。

小魚繋がりで・・・

今日、Aコープへ買い物に行くと

鮮魚コーナーで小さなアジが5匹くらい入って100円の値札が貼られていた。

安いのかな?

以前だったら、さっと買って、南蛮漬け等にしただろうが、

最近の「やる気の無いばば」には、無理、無理。

目玉商品の1パック108円の卵だけ買って帰って来た。

 

最近、ダラダラ何にもやる気無しのばばは

しょっちゅうミスをしている。

すき焼きのタレで甘辛く味を付けようとしたら

間違えて薄口醤油を入れてしまい、辛っ!

せっかくの料理、仕上げの調味料間違えたんじゃ・・・主婦もシェフも失格!

 

ダラダラグダグダしながらも、興味のあるテレビ番組は観る。

NHKの趣味の園芸。

好きなんだよなぁ・・・・

夕べは、ナデシコを取り上げていたよ。

そしたら、たまたま車で走っていた時

あるスーパーにポット苗一個で160円って書いてあった。

車を止める場所が無かったので、そのまま通り過ぎたが

夕方でも又出直して3ポットくらい買って来ようと思っている。

生協のカタログには1ポット880円で出ている。

良い香りもするし、四季咲きらしい。

これにも興味引かれているんだけど・・・・・

買おうかな?

どうしようかな?


教えて!9月24日って何の日?

2011年09月23日 11時05分52秒 | 日常生活

9月23日(金)曇り時々晴れ
9月24日って、何の日?
我が家のカレンダーには、早々と書き込みが。
その書き込みは、ばばが書いたのだ。
「じじ車検」と・・・・・・
そして、最初24日に書き込んだ所から22日(昨日)に矢印が書かれ(じじ免許)と。
・・・と言うことは、22日に新しい免許証をもらうことと、車検ってこと。

昨日、じじは更新された免許証をもらいに行く日。
これも、約一月前に書き込んだもの。
22日の下に「じじ免許証」と。

免許証は警察署へ行ってもらってくるのだが、
どうせ車で行くんだから、帰りに整備工場へ車を持って行って
ついでに車検に出してくれば良い・・と。
もう、これは何週間も前から、じじとばばの了解事項。
じじは、計画通り10時少し前に、新しい免許をもらいに行ったが
「車検に必要な車検証が無い」と言い始め、
結局は、免許証をもらってきてから車検証を捜して
夕方までに車を整備工場へ持って行こうと予定変更。

昼食後は、いつも「昼寝」と決まっているじじだが
昨日は「車検証」が見つからないので落ち着かないのか
昼寝もできないという。
「それなら、車検証捜し出してから昼寝したら良い」ということで
車検証捜しに専念。
机の引き出し・車の中・本棚など可能性のあるありとあらゆる場所を捜すじじ。
しかし、どこにも無いと。
「几帳面なじじのことだから、きっとどこかにきちんと直してあるよ」とばば。
3時少し前まで、彼方此方捜していたじじ、
最悪、車検証を再発行してもらうことまで考えていたが、
突然、「あった~」って。
きちんと棚の上にしまってあったよ。
やっぱりね。

そこで、安心したじじにコーヒーを入れてあげ
「じじが車を出すときに、ばばも車を出して、じじの車を車検に出した後
又、諸田池に寄ってみる?」とばばが提案。
最近、諸田池には小ガモが戻って来ているからね。

そして。3時少し過ぎに車2台出した。
近道で車を車検に出すことに。
工場の前に車を止め、じじは工場の事務所へ入って行った。
ところが・・・なかなか出てこない。
書類不備とかあるのかな?と思いながら待っていると
じじが何かジェスチャーをしながらばばの方へ。
何と!
車検は来年の1月らしい。
エッ、エッ、エ~~ッ、そんなぁ~~~。
次の瞬間、ばばはお腹が痛くなるくらい笑った。
ただ笑うしかできなかった。
じじは、呆れ果てたように「ばばったら!一体何だったんだ~」ってさ。
じじは、事務所の中で恥ずかしくて何も釈明できなかったって。
「そんな時は「家のばばが~」ってばばを悪者にしたら良いのに・・・・
とは言いながらも、じゃ、カレンダーの書き込んだ24日(車検)は
何のつもりで書いたのだろう?
たしか、先月末か?どこからか?葉書が来たので
その葉書を見て、ばばが即、書き込んだのは間違いないけれど・・・・
「ばば、遂に頭が可笑しくなった?」って、じじにからかわれても返事のしようが無い。
じゃ、ばばが見た葉書は何だったのだろう?
もともと変なばばではあるけれど、今回のことは何とも・・・・
仕方が無いので、又二人して家に帰り、じじの車は車庫に入れ
ばばの車で諸田池に出かけたのだったが・・・・
車の中でも、可笑しくもあり、不思議でもあり・・・・

車検と言えばね、1年ほど前にも一騒動あったんだ~。
ばばも、自分の車を車検だと思い、
今回と全く同じように1年早く整備工場に預けて帰って来たら
しばらくして、工場から電話があって
「ばばさん、車検は来年ですよ」って言われたの。
こうなったら、もう怒るより笑うしか無いね。
ほらっ、「笑う門には福来たる」って言うじゃない?
いっぱい笑えたら幸せだよね・・・って自己弁護して
全くぅ・・・・・ばばの頭はどうなっているんだろう?

ばばはまだ弁解したくて、今回の騒動になった葉書を探し出すことにしたよ。

それにしても、「石橋を叩きすぎてぶっ壊す」と
娘達からもからかわれるくらい慎重・・・だったはずのばばだが
最近は石橋を叩く前から、ばば本人が壊れてる・・・・
じじは、「ばばも遂に・・」って喜びつつも?
「いつも、ばばの言うことを100%信じているのになぁ。
これから、誰を信じたら良い?」だって。
そりゃ、じじ、自分を信じたら良いんだよ、ねっ。

追記
ばばが、日記をアップしたのを見たじじが
「やはり、24日きになるなぁ。大事なことがあるかも知れないね」と
葉書のチェックを始めたら・・・・
「あった!!!」
やはり、ばばは間違っていなかったよ~。
だって、「9月24日車検が満了します」という通知があったもの。
勿論、じじの車の車検よ~。
良かった!ばばの頭壊れていなかったんだぁ~。
ばば同様、じじも喜んでくれたけど・・・・
じじ、これから自分関係のことは、自分でちゃんと管理してね!
だって、又今回のようなことがあったら困るでしょ。
それにしても・・・ちょっとミステリーなじじの車の車検。
本当に、来年の1月で良いの?


血痕?とミイラ

2011年09月22日 12時09分43秒 | 日常生活

9月22日(木)晴れ

台風一過。

今日から良い天気になりそうな気配。

台風が来てから、大分涼しくなった。

寝るのにタオルケット一枚では肌寒いくらいで、

今日は、毛布を出して洗濯したり朝から頑張った。

 

ところが・・・・

朝、毛布を出しに倉庫へ行くため階段を下りていると、

ちょっと不気味な物が。

ちょっと尖っていて、ネズミの頭部?らしき物の一部が。

おまけに小さな欠片?が3個。

そして、階段には血らしきものまで。

気味悪いな?と思いながら、手で触るのはイヤなので

一番大きな物ふたつは、スリッパの先っちょで蹴飛ばしたら

階段の下へ落ちてくれた。

ホッとして、倉庫へ下りていき作業を続け、今度は車庫へ行って

車にいつも使う道具など積み込むことした。

 

車庫には、いつもじじの車が奥に、ばばの車が出口に置いてある。、

今日はじじが免許証切り替えに行くため、自分の車を乗って行ったので

ばばの車をいつもより奥に入れることにした。

奥の壁ぎりぎりまで入れて、ふと車の後部を見ると、

奥の壁の板が倒れている。

それで、ばばの車は壁より50センチほど手前にある。

その板を立て直さなくては・・・と思った時、

ばばの目に異様な物が飛び込んできた。

左の端っこに隙間があるんだけど、そこにプラスチックの

プラモデルのような白っぽい物が・・・・・

(孫達、こんな大きなオモチャなんか持っていなかったよな)と思いながら

さては、ホースの切れ端かな?と思い直した。

異物は、まるで洗濯機の排水ホースのようにも見えたのだ。

少し奥にあるので、ばばは近くにあった棒きれで

引き出そうとした。

その次の瞬間、悲鳴を上げた!

排水ホースのように見えたのは、ネコのあばら骨で

異物は、何とネコの全身ミイラ化した物だった。

目玉の所は空洞になっていて、頭部も胴体もそのままミイラ化している。

これまで、ばばはヤモリのミイラくらいは見たことがあるけれど、

こんな大きなミイラを見たことがないので、

気味が悪く、(次、車を動かす時どうしよう・・・)と考えた。

(絶対見ない)と思っているのに、ついつい見てしまうんだよね。。。。

それにしても、体長50センチくらいのネコがミイラ化するまで気づかないなんて。

毎日出入りしていながら異臭も何も感じなかったんだよ・・・・。

あのネコ、いつ、どこから入り込んだのだろう?

入り込んだはいいものの、出られずに死んでしまったのだろうか?

もしかしたら?

5年ほど前、我が家で密かに「殿」と呼んでいたネコではなかろうか?

「殿」とは、志村けんの「バカ殿」そっくりの顔をしていたから

我が家の三女が命名したんだよ。

何だか可愛くて、彼方此方で見かける度に「殿!」と呼んで

「今日は、どこそこで殿を見たよ」と報告し合っていたが

ある日、突然姿を見かけなくなってしまっていたのだが。

いずれにしても、哀れな最期だったね。

じじが、きちんと埋葬してくれるって言うから

「どうぞ、安らかに・・・・・・」

 

昼前になって、じじが帰って来たので、ネコのミイラのことと

階段にあって、ばばが蹴飛ばした異物と血痕を見てもらったよ。

じじが言うには、異物は「モグラ」だって。

それにしては、あの血痕大きすぎるな。

何かに襲われたのだろうか?

昨日夕方までは何も無かったから、きっと夕べ何か事件があったんだよね。

モグラ?の遺体の一部も、じじが埋めてくれた。

「モグラさんも、安らかに・・・」

 

じじ~ありがとうね。


「ヘクソカズラ」は「お灸花」?

2011年09月21日 14時01分03秒 | 日常生活

9月21日(水)曇り時々雨

台風の余波か?時々打ち込むような雨が降り

北からの風もけっこう吹いている。

本当なら、今日は生協の荷物が届く日だけど

船は欠航だし、どんなに早くても明日以後だな・・・到着は。

鹿児島ー徳之島間の定期船が欠航するようになって今日で一週間。

何回も書いているようにスーパーの棚がガラガラ。

それでね、昨夕、買い物に行って気づいて

吃驚したり可笑しくなったりしたんだけど、

いつもバナナなどが陳列されている棚に

果物の缶詰が並べられていたよ。

明日辺りから臨時便も出てドッと品物も入荷するだろうと期待している。

 

ヘクソカズラって特有の匂いがあるんだけど・・・・

「名は体を表す」って、本当だね。

密集して咲く花はけっこう綺麗んだけど、その匂いがね。。。

ところで、じじが今朝ばばに教えてくれたんだけど、

ヘクソカズラのことを「お灸花(ヤイト花)」とも言うらしい。

朝ご飯を食べながら、

じじが、ばばに「ヤイト花って、知っている?

ヒント、この前、諸田池で写しました」って急に言ったの。

先日じじが写した花をいろいろ思い出したけど、

「ヤイト」から連想できる花は記憶が無い。

「ヤイト」とはお灸のことなので、ばばは(きっと、ヨモギの枯れたような色で

三角錐の形をしているんだろうな)と想像を巡らせたんだけど・・・

ばばが困っていると、あっさりじじが「ヘクソカズラだよ」って教えてくれた。

じじが言うには、花の中心が火を付けたお灸の形に見えるらしいんだけど・・・

それに「ヤイト」って言うのは「お灸」を方言で言った言葉だと思っていた。

ばばの実家集落では「ヤッチュ」って言うんだけど、

じじ達は「ヤイト」って言っていたのかな?と信じ込んでいたんだ~。

するとじじが「ヤイトって標準語だよ」と言ったのには、又々吃驚。

へぇ~、身近なことでも知らないことがいっぱいあるんだなぁと再認識。

ばばが小さい頃、悪いことをすると「ヤッチュ焼くよ」って

親が子供に言うのを良く聞いたものだが・・・・

今なら児童虐待みたいだね。

ばばは一度も「ヤッチュ」焼かれたことはないよ。

相当お転婆だったけどね。

ばばの母が、体調悪かった時、親戚のおばさんが来て

モグサを母の背中にちょんと置いて、線香で火を付けたのを見たことがある。

痛そうだなぁ・・と思ったけど、

上手くツボに当たっていれば痛くないのかなぁ。

そうそう、ばばが子供の頃は、「グジマ」と言って

手にイボができる子がいてね、その子も「ヤッチュ」で治すって言ってたなぁ。

お灸って、免許持っていなくても、家族とかだったら

施術?できるものなんですかね。

じじの質問で昔懐かしい言葉を思い出したよ。

 

それと、あとひとつ。

じじが、今日の動画は過日、ある介護施設で、ある方が歌い踊った

「ウムからウァグァ」にしたと言った。

「尾母という集落で子豚を買って、朝夕・餌を与え、

食べさせても食べさせても ブーブー泣くばかり

明日は、きっと 良い豚に なるだろう????(この訳が合っているかは分からない)

と言う歌で、何か別歌の替え歌だと思うが、元歌は全く分からない。

ばばも小学生の頃、別の替え歌で歌っていたなぁ。

 

過日、歌い踊った人は、ばば達が知らない歌詞でも歌った。

その中で、豚の膀胱?も出てきた。

豚の膀胱と言うことで、又じじが話し出した。

昔は、お正月と言えば一軒で一頭の豚を潰していた。

その豚は塩漬けにしたり、油(ラード)を取って、残りの油かすは

保存食にしたりしていた。

豚を潰す時、豚の膀胱は、子供達のオモチャとして

風船のように膨らませてあげた。

一頭の豚から一個しか取れないので、一番可愛がっている子にあげた・・・とか。

ばばも、何回かもらったことがある。

まるで風船のようで、

友達とバレーのパスのようなことをして遊んだりしたなぁ。

今は、豚の膀胱を風船代わりにするなんて時代でもないし、

徳之島でも、こんなこと知っているのは、

じじやばばの年代から上の人たちだろうな・・・・

 

今日は、じじのおかげで懐かしいことを思い出したり、

今まで知らなかったことが分かったりした。

 

じじ、ありがとうね。


2011年09月20日 15時23分44秒 | 家族のこと

9月20日(火)曇り時々雨台風15号の余波あり

兄はばばが高校を卒業して、2年後結婚した。

ばばが居なければ、もう少し早く結婚していたかもしれない・・・

 

結婚して女の子が誕生。

 

兄は、その後、奄美市・国分・鹿児島市と転勤した。

その間、ばばも卒業し就職、結婚。

結婚し、子供が生まれてからも家族で兄の家を訪ねた事が何回もあり

その都度、代歓待してもらった。

じじと嬉しそうに晩酌をしながら語らっていた兄の姿が懐かしい。

男兄弟の居なかった兄にとって、

じじは可愛い弟のような存在だったんだろうね。

 

どこまでも温厚な兄だったが、

仕事にはいつも始発で出勤していたそうだ。





昭和63年4月。

兄は高校から県立図書館へ転勤した。

部署が「地方奉仕課」というところで、

これからは、おじいちゃんおばあちゃん達と交流できると

大変喜んでいたそうだ。

兄は高校から島を出て、仕事も高校勤務だったので

なかなか島へ帰ることができず、

年老いた両親のことを凄く気にしていたのだそうだ。

ゆくゆくは、島の高校で定年を迎えたいというのが

兄の希望だったと思うが、その夢は果たされることが無かった。


転勤からわずか半年後の9月。

出勤前に歯磨きをしていて、急に体調が悪くなり兄は救急車で病院へ。

仕事中のばばに一報が入ったのは朝の9時過ぎだった。

奇しくも、ばばは「命の大切さ」について子供達に語りかけていた時だった。

電話を受けた時は信じられなかった、イヤ、信じたくなかった。

すぐに家に帰り、旅支度を調え姉と二人飛行機に飛び乗った。

しかし・・・・病院へ駆けつけた時、

兄は気管切開をされ、既に意識は無くばば達の呼びかけに答えることは無かった。


それから5日後、兄は遂に遠い旅へ旅立ってしまった。

それまで「身内の死」に立ち会ったことの無かったばばを

筆舌に尽くしきれない、悲しさ・悔しさが襲った。

「人の死」ってこんなにあっけないものなのか?

兄の枕元で、涙が涸れるほど泣いた。

たった一人の兄さん。

暴走ばばを、いつも見守り適切なアドバイスで

ばばを導いてくれた兄さん。

いくら泣き叫んでも戻らないことは分かっていても

ただ泣くだけしかできなかったばば。

心ならずも最愛の妻子を残して先立たなければならなかった兄。


答えは期待できないのに、どうして?どうして?と

繰り返さずにはいられなかったばば。


年老いた両親・まだ若い奥さん・二十歳を目前に控えた愛娘を残し

先立った兄本人が、どんなにか悔しかったか察するに余りある。


兄夫婦は本当に仲が良かったし、一人娘を溺愛していた。

残された姉母子の、兄亡き後の心中も又察するに余りある。


兄の葬儀の日に義姉のお兄さんからばば達に

「お兄さんは亡くなったけれど、

これからも今まで同様、妹(義姉)と仲良くして欲しい」と言われた。

その言葉をばばは決して忘れない。

今でも姉を尊敬もしているし、頼りにもしている。




兄が亡くなって、昨日で23年。

幾多の風雨に耐え姉は一人で本当によく頑張った。

その間、一人娘Aちゃんも結婚し、二人の女の子の母親として幸せに暮らしている。

今のAちゃん夫婦や、Aちゃんの子供達を兄が見たら何と言うだろう?


じじとばばも話す。

兄に可愛がってもらった我が三姉妹の成長した姿を兄に見てもらいたかったねって。


優しかった兄。

だから、今はいつでも天国から姉やAちゃん家族、

そして、ばば姉や、ばばの家族を見守ってくれていると信じている。


夕べ電話の終わりに姉は言った。

「ばばちゃん、夫婦の仲が良いのが一番よ。

何と言っても最後は夫婦だよ。

だからじじさんを大事にし仲良くしてね」って。


兄亡き後、一人で23年間頑張り、耐えてきた姉の言葉だけに重い。

最近、やたらと強気になり、じじを虐げているばば。

ちょっと、この辺で反省しなければいけないかなぁ?