ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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ばばの初恋・他

2008年10月31日 17時55分46秒 | 思い出

10月31日(金)後小雨

ばばの初恋?

それは小学6年生の時。相手は担任の先生。

別に手紙をだすわけでなし、ただ心の中で(素敵だなぁ???)と思っていただけ。

ところが、ある日、ばばに恋敵が現れた。

なぜ分かったかというと、いつも一緒に帰るNちゃんと下校途中に

「好きな人はいるか?」という話になった。

二人とも恥ずかしいので「いっ、せぇーのぉーでぇ~~」で

一緒に好きな人の名前を言い合う羽目に。

そして何と二人の口から同時に出たのは担任の先生の名前。

ばばはショックだったが,Nちゃんもショックだったかも。

でも、一瞬後には二人とも声を上げてゲラゲラ笑い始めた。

涙が出て、お腹が痛くなるまで笑った。

何であの時、涙を流し笑ったのかは今でも解説?出来ない。

急な上り坂道を帰りながら、二人が次にとった行動は?

声を揃えて「好きな人は、○○○○△△△~~~~」と大きな声で歌うように言い続けたのだ。

その言い方がおもしろい。

今でもはっきり覚えている。

例えばその先生の名前を仮に山田真吉としよう。

ばばとNちゃんが言うのは「山田、真太郎、吉八郎ためとも・山田真吉!!~~~~~~」

と、節を付けて言うのだ。

坂道を上る二人の歩調に合わせ、何回も何回も叫んだ。

近年「世界の中心で愛を叫ぶ」というフレーズを何回も耳にし、目にしたが

ばばとNちゃんはまさに「坂道を上りながら愛を叫ぶ」状態だったのだ。

いくら担任の先生が好きだと言っても、ばばとNちゃんの行動も変わることなく

ただ、少しでも勉強頑張ってみようかな?とは思ったが

午前の授業中は2階だった教室の窓から見える山の中腹の穴には何が住んでいるか

気になり、ずっとよそ見をしては叱られ

昼の授業は当時給食がなかったので家まで帰って昼ご飯を食べて出直していたが

食事後の満腹感で上の瞼と下の瞼はいつでもくっつきたがり

無理して引き離すのに苦労した・・・という状況で、又叱られ・・・・・・・

 

その上、掃除をした後集めた木の葉を集めて学級園の片隅に埋めて堆肥にし

大根の種を蒔き収穫し、

その大根を使って夜Nちゃんの家でみそ汁を作って数名で食べた。

「夜間外出の罪」で逮捕?説教されたのは何故かばば一人。。。。。

他にも4名ほどいたのに、何でばばだけ?

学級園で大根を作ったから?

違うよね、夜間外出したからだよね。だったら、何故、ばばだけ叱られる?

意味わかんな~~~い!!!

でも、何故、自分の家で夕ご飯を食べた後に

またNちゃんの家に集まって大根みそ汁なんか作って食べたのだろう?

厳しいばば母が何故、夜、ばばの外出を許したのだろう?

未だに不思議でならないが何十年経っても忘れられない想い出だ。

 

ばばは、わざと好きな担任の先生に叱られるようなことばかりしていたのだろうか?

 

いつも叱られ役のばばも中学生になって、また恋をした。

恋?なんて言うほどものではない。

またしても好きになったのは3年生の時の担任の先生。

この先生は国語を担当されていたので他の教科はさておいて

国語だけは必死に勉強した。

 

そんなある日、朝登校したばばの机の中に封筒が入っていた。

何だ?と思って開けてみると英語で文が書いてある。

「I like you」という文字が見えた途端、ばばはその封筒をほっぽりだしてしまった。

差出人は学年で1,2位を争う秀才のK君。

噂では聞いていた「ラブレター」かも・・と瞬時に判断。

頭の良いK君はラブレターも英語で書くんだ」と妙に感心しつつ、

その後とった自分の行動が未だに理解できないが、

ほおり投げた手紙を再び手に取ると

何とばばはその手紙を持って職員室へ一目散。

そして手紙は担任の先生に・・・・その後ばばには何一つ変わったことはなく、

手紙を書いたK君に先生がどんな話をしたかも知らない。

せっかく手紙を書いてくれたK君、ごめん!!!

今は外国にいるとか風の噂に聞いたけど中学卒業以来会うこともなかったね。

どんなに謝っても謝りきれないけど、ごめんなさい。

 

こんなばばが高校生になると、またしても副担任の「倫理」の先生を好きになった。

哲学的なことなんか大の苦手なくせに

一生懸命本を読んだり先生の話を聞いたりしたっけ。

でも、ばばと同じ高校に兄が勤めていたし、

ばばは心の中で「この先生いいな」と思っても行動に移すわけでも無し。

心の中で思うだけ。それで満足していた・・・・・・

 

だから、ばばが人を好きになって・・・・なんて言っても

大したことないね。

 

短大に進んでも、同じ寮にいた親友と繁華街までバスで行き

喫茶店の前まで行ったのについに足を踏み入れることが出来ず帰った。

 

この時から4年の年月が流れてばばはじじと運命の出会いをしたんだよ。 

 


花、星など・・その他

2008年10月30日 21時19分08秒 | 自然のこと

10月30日(木)

「なるべく夕方来た方が良いよ」という魚屋さんのSちゃんのアドバイスで

ばばは6時前後に魚を買いに行く。

歩いてほんの数分の距離だが、途中の植物をみたりしながら

わざとゆっくり歩く。

家を出て100歩も歩かないうちに、今は空き家になったお宅がある。

そのお宅には2種類の蜜柑の木があって

「枝もたわわに・・・」「鈴なり」と言う表現がピッタリなくらい

たくさんの蜜柑ができている。

ブロック塀の脇にこの蜜柑はあるのだが、手を伸ばせば届く位置だ。

よくよく見ると、下の方の蜜柑が引きちぎられている。

おぉ~~っ・・・

もう少し待てば、色づいた美味しい蜜柑になるのに残念!

 

そこから少し先に行くと、庭先に色々な植物を育てているお宅がある。

以前、ばらの花にカマキリがとまっている画像を撮影したお宅だが、

最近、気になる植物がある。

おそらく豆科の植物だと思うが、黄色い花が房状に上に向かって咲いている。

この名前が知りたいと思うのだが、

インターネットで調べても分からない。

このお宅の方が庭木の世話をしている所にうまく行き会えたらいいなあと

願い続けているばばだ。

ばばは花や木が大好きだが素敵な木や花を見ると

名前を知りたくなる。

でも、どのように調べたらいいか分からなくてモヤモヤしてしまう。

雑草など、奄美や沖縄に咲く花々などのことは

以前買った「琉球弧・野山の植物」で調べると半分くらいは分かるのだが

各家々で育てられている花や樹木の名前はほとんど分からない。

だから、花屋さんやスーパー・花のカタログなどでも

花の名前には気をつけてみているのだが、それでも知りたい花の名前が分からない。

知りたい花や木の名前がパッと分かる書物はないのだろうか?

どんな書物を買えばいいのだろうか?

 

買い物を終えて帰る頃に、空にはキラキラお星様・・・と言いたいが

2個だけ星がきらめいていた。

一番星と二番星だろうか?

小さい頃は家の屋根に寝転がって星を見たりしたものだが、

大人になってじっくり星を見ることを忘れていたなぁ・・・・

そういえば、加計呂麻の星はとてもきれいだった。

手を伸ばせば届きそうな近さに無数の星があった。

 

夜空・・・・・・を見上げると

星が見える。お月様が見える。星が流れる。飛行機が飛ぶ。

無限の世界が広がる・・・・・・・・・

 

チワワが数日間で10匹以上捨てられていたとテレビで報道されていた。

以前は犬が大量に捨てられる事件があったなあ。

ペットを買い、捨てる人。

野良猫やカラスに餌を与える異常なまでに野良猫やカラスが増え周囲に迷惑をかける人。

いろいろ、いろいろ。。。。。

 


お墓参り

2008年10月29日 22時33分23秒 | 家族のこと

10月29日(水)

今日は天気がいいので朝から実家へ行った。

又雑草が庭や裏の畑を覆い尽くしているのでは?と心配になり様子を見に・・・・

朝9時に姉と出発。

今日は旧暦の10月1日なので実家に行く前にお墓参りもすることに。

島では命日とか1日、15日、節句の日にもお墓参りをする。

ばばの実家集落の墓地は共同墓地で4カ所ぐらいある。

ばばと姉がいつも行くお墓は3カ所。

ばば両親のお墓・姉の婚家のお墓・姉とばばの長姉のお墓。

 

お墓参りでは、まず湯飲みや杯をきれいに洗って水やお酒を替える。

次はお供えのお花を替える。

お供えの花は、ばばが子どもの頃はイヌマキの枝、ゲッキツの枝などが主だったが

今は、色とりどりの造花が多い。

女の人も仕事を持つようになり、お墓参りに行く時間もなかなか取れなくなったので

枯れない造花を飾るようになったのだろうか?

又、生花を飾った場合、昔はお墓の片隅に捨てていたが

今はゴミは全部持ち帰らなくてはならない。

その後お線香をあげ、お墓の周りの掃除をして終わる。

 

以前はお墓に水道がないのでそれぞれ家庭からヤカンに水を入れてお墓に持って行き

ヤカン一杯の水で湯飲みを洗い、水を注ぎ、花筒にも水を満たした。

よくぞヤカン一杯のできたものだ。。。。。

今は有志の方が水道を寄贈して下さり墓地のあちこちに水道が設置されていて

水もふんだんに使え、とてもありがたいと感謝するばばだ。

 

ばばの両親は明治生まれでとても信心深く、特に祖先を敬っていた。

だから何か嬉しいこと(例えばばばが賞状をもらうとか)があると

必ず仏壇の前にばばを座らせ報告していた。

朝は必ず仏壇のお水やお茶を入れ替え、その前でお祈りをしていた。

ばばが旅行に行く時や、旅行から帰った時も

必ず仏壇の前でお祈り?をさせられていたので、仏壇にお祈りをするのは生活の一部だった。

 

我が家の3姉妹も小さい頃ばばの実家に行くと、言われなくても仏壇の前に行き、

小さな手を合わせて神妙な顔で頭を下げていた。覚えているかなあ?

先祖を敬うということは、とても大事なことだと思う。

今の子どもたちはどうだろう?

核家族化で、仏壇のある家も少ないだろうな。。。。。

又、簡単にお墓参りなどいけないだろうな。。。。。

 

ばば達は家庭内だけでなく、通学路でもお墓の見える高台に来ると

「お墓に向かって礼をするように」とごくごく小さい頃から教えられた・・・・・・と言うより

親兄弟がしていたのをしぜんに真似るようになった。

 

ばば達がお墓に向かって礼拝した場所を昔は「頭チィキィドォ」と言っていた。

標準語に直訳すると「頭を下げる所」すなわち「礼をする所」という意味。

先祖の眠るお墓を大切にする心を養うために「頭チキィドォ」があったのかな?

いつ頃誰が決めたのだろう?あの場所と拝礼の習慣を。

今でも、ばばの後輩達はこの場所で「お墓に向かって礼」をしているだろうか?

今は「頭チキィドォ」には「墓地礼拝所」と筆文字できれいに書かれた看板がある。

 

ばばが子どもの頃はお墓に向かって指さしたりしてはいけないと言われていた。

お墓を指した指は腐るので自分の指を口に入れてきつく噛みなさいと言われ

歯型が付くまで噛んだことも何回かある。

やはりお墓は特異な崇高な場所として子どもに教えようとしたのだろうか?

 

このお墓のある場所を左手に見て登校し、帰りは右手に見ていたが、

「行きはよいよい、帰りは怖い」の歌の文句ではないが

ばばの実家は高台にあったので学校へ行くときは下りで、帰りは上り坂になる。

「頭チィキィドォ」を左手に見てまっすぐ進めば小学校だが、

お墓に行くには「頭チキィドォ」から左へ坂を下っていくのが普通だった。

この坂はけっこうきついのだが、いつの頃からか

「夕方、この道の下から上へ首のない子豚が駆け上がってくる」と言う話が

広まり、子供心にとても怖かった。

誰も直接、首のない子豚が坂を駆け上がるのを見た人はいないと思うが

「誰それが、見たんだって」といううわさ話に尾ひれが付き広まったのだろう。

 

ばばは今、昼間でも一人で実家へ向かう時にその場所を通ると

「もしかして、首のない子豚が坂道を駆け上ってくるような」恐怖を感じることがある。

「急な坂道の下から上へもの凄いスピードで駆け上がる首のない子豚」の姿。。。。

恐ろしいけれど、落ち着いて考えればちょっと滑稽じゃない?

 

久しぶりにお墓参りをして、実家への行き帰り、

小さい頃のことなどいろいろ思い出したばばだった。


人と人

2008年10月28日 21時11分17秒 | 日常生活

10月28日(火)

「ふぅ~~~今日は怖かったよ」

ばばが店先に立つと同時にSさんがばばに話しかけた。

「ふぅ~~」とは島では感嘆詞代わりにも使われる。

どんな怖いことがあったのだろう?と思っていると

Sさんは話し続けた。

ばばが一昨日右折してきたオートバイに危うくはねられそうになったことを書いたが、

Sさんの話とはこうだ。

普通車の後を単車がクラクションを鳴らしながら追いかけてきたらしい。

「何事!」と気にしながら外を見ていると、

車の後から追いかけてきた単車が車の前に回り込んで

Sさんのお店の前で車を止めたそうだ。

車に乗ってたのは、おじいちゃん、単車で追いかけてきたのは中年男性。

中年男性はおじいちゃんに何か声を荒げて文句を言い始めた。

おじいちゃんも負けずに言い返し、言い争いはますますエスカレートしていった。

車と単車の止まっている道路は狭くて、他の車は渋滞してしまって大変な迷惑だ。

よくよく話を聞いていると・・・・・・

中年男性がバイクで直進していると、おじいちゃんの乗った車が横道から

パッと飛び出してきたそうだ。

危うくぶつかりそうになった中年男性は頭に来たらしい。

車に乗ったおじいちゃんはそのまま走り去ったものだから

中年男性は腹が立って、その勢いでおじいちゃんの車を追いかけ

Sさんのお店の前で追いつき無理矢理車を止め、文句を言い始めたのだそう。

あまり中年男性がしつこく文句を言うのでおじいちゃんは謝るどころか

「じゃ、警察に行こう」と車の中から言った。

おじいちゃんは一度も車から出ることはなかった。

おじいちゃんに開き直られた、中年男性は相当頭に来たらしく、

運転席側に回って車の外からおじいちゃんの首に手をかけ、しめ始めた。

見ていたSさん達は怖くて警察に電話しようとしていたら

ちょうどゴミ収集車がきたので、中年の男性はおじいちゃんの首を絞めていた手を放し

何処かへ走り去ったそうだ。

Sさんの話はざっとこんなものだった。

 

ばばは思う。

狭い島。お互い単車と車のナンバーも覚えているだろから、

今後も後を引きそうな後味の悪い話しだと。。。。

 

実際、どんなことがあったか見てなくてSさんの話を聞いただけなので

ばばは何とも言えないが、

もしも、おじいちゃんが安全確認をしないで脇道から飛び出したのであれば

一言「ごめん、悪かったね。びっくりさせて・・すまなかった」と言えば

すんだ話ではないかと思う。

 

また、中年男性もいくら腹が立ったからと言って老人の首を絞めるのはいけない。

一歩間違えば大変なことになってしまう。

 

ここ数日、テレビでも、悪質なひき逃げ事件のことが連日報道されている。

車を乗る者の一人として、やはり一番大事なのは「人命」だと言うことを

何回も何回も心に刻みたい。

 

ばばも考え事をしながら運転したりすることもあるが、

運転マナーの悪さは嫌と言うほど目にする。

運転しながらの携帯電話をすることは違反だと厳しく言われた当時は

違反者は少なかったが、今は平気だ。

片手で携帯、片手でハンドルなんて人を何人も何人も見かける。

方向指示を出さずに右折・左折する人も、曲がる直前に方向指示を出す人も。。。。

島は道路が狭いのに両側駐車なんて日常茶飯事。

いつ事故が起こってもおかしくない違反があまりに多い。

 

運転する人も通行人もみんな「たった一つの命」。「かけがえのない命」。

その命を守るためにもお互いが最低限のルールを守りましょうね。

 

今日はちょっと説教じみちゃった。

 


10月27日

2008年10月27日 14時35分29秒 | 家族のこと

10月27日(月)

今日は朝から忙しかった。

まず、9時前には警察に行った。

・・・・・・・警察に行ったからって、別に悪いことしたんじゃないのよ。

免許証の切り替え手続きのため。

警察署の窓口で書類を書き、古い免許証を出し、視力検査があった。

パソコンのしすぎで?視力落ちたかな?と心配しながら検査を受けた。

左右別々の目で見るとわかりやすいのに「両目で見て下さい」と言われて

両目で見てみたらとても見にくかった。何で?

ばばのすぐ後70代ぐらいのおじいちゃんが視力検査受けたが、

そのおじいちゃんったら、「両目で見て下さい」と検査をする人に言われ

「見えません」って。

左右別々の時はちゃんと答えていたのに・・・そしたら検査をする人が

「見えているはずですよ」って。

あの検査って、両目で見る時は極端に小さいランドルト環を見せているんじゃない?

ばばも、とっても見にくかったんだもの。じいちゃんもそう感じたのかな?

10分くらいで手続きを終えて帰った。

家に帰ると2ヶ月も前から贈り物をしようと思ってばかりで

実行に移せなかった友達が二人いることが気になった。

そこで、「今日しなければいつできる!」と自分にハッパをかけて小包を荷造り郵便局へ。

ついでに役場に寄り航空券の「離島割引カード」を更新してきた。

写真館で写した免許証切り替え用の写真が4枚セットだったので、

使わないともったいないと思い。。。。。。

そして家に帰ると12時少し回っていた。

じじがひな鳥のように口開けて「ばばぁ、お腹すいたぁ~~~~~」って。

 

じじ、今日が一体どんな日なのか、ぜぇ~~~んぜん分かってないねぇ。

昔々、その又昔の今日10月27日を思い出してごらんなさい。

あの日は、今日よりも雲が多く途中から雨も降ったよねぇ。

じじ、思い出した?

30秒以内に思い出さないと100万円罰金!!!

 

そう、今日はじじとばばの誕生日、いえ、結婚記念日なのだ。

そんなに色々記念日を覚えなくてもいいけれど・・・・・

でも、絶対、今日のじじの心の片隅にもないよね、10月27日が何の日かなんて。

ばばは何故か今年はずっと以前から今日のことを思っていたよ。

 

35年前の結婚式の日は途中から雨も降って

「雨が降れば降り込められるといって縁起がいいんだよ」なんてフォローされたっけ。

披露宴のの写真撮影をお願いしてあったじじの友達がちょっと失敗して

式当日の写真が全部台無しになっちゃったのも懐かしい想い出だね。

 

みんな若くて、ばばも今のようにじじに反抗もしなかったし大人しかったのにね。

時間の流れに揉まれ、ばばはどんどん生意気になり、やたら空威張りして

じじをて手こずらせているかな?

じじはどんどん、どんどん優しくなり・・・・・・・・・・何だか立場が逆転?しちゃったね?

 

 

じじ、35年間、喧嘩もせず今日まで楽しく過ごさせてくれてありがとう!

いつも大きな愛で家族を包んでくれてありがとう!

子どもたちを立派に育ててくれてありがとう!

今は亡きばば両親をばば以上に大切にしてくれてありがとう。

ばばの姉妹を本当の姉妹のように大切にしてくれてありがとう。

自分の親、妹弟思いでありがとう。

「ありがとう」って何回言っても言い足りないくらいじじには感謝しているよ。

 

今、ばばの横で穏やかな寝顔で昼寝をしているじじ。

面と向かったら絶対言えない。

面と向かったら、きっとまた

「1億円と、この家と娘3人さえばばにくれたら、いつでも離婚するよ」なんて言っちゃうかも。

でも、感謝の気持ちを言葉にしたら瞬時に消えてしまう。

だから、文字にしたよ。

じじありがとう。。。。。。。。。。。。。

 

「豚小屋」から始まったじじとの巡り会いも本当に何かに導かれたかのような感があるけど

結婚式の日取りも、じじの誕生日が28日、ばばが26日。

だから26日と28日の間の27日を結婚式の日にって決めたんだよね。

 

だから10月27日はばばにとって大切な日なんだ。。。。。。 

 

 


たくさんのプレゼントありがとう!

2008年10月26日 20時21分02秒 | 家族のこと

10月26日(日)

今朝は、たっくさんの頂き物をした。

ばばの実家のある集落から、従姉妹姉さんがわざわざご夫婦で届けて下さった。

JAの展示会やイベントがあるので、そちらへ行く前にばばのうちに寄って下さったとのこと。

ありがたく感謝の気持ちでいっぱいだ。

まずは大っきな、大っきなバナナ丸ごと一本。

20~30kgありそうな大きさだ。

それに従姉妹姉さんが丹誠込めて作った青梗菜・水菜・レタス。

バナナはあまりにも大きいので。鉈とパン切り包丁を使って房ごとに切り分けた。

丸々太った実が120~130本以上もついているよ。

ばばがバナナダイエットをするんだったら4ヶ月分以上はある。

 

野菜もそれぞれ丁寧に洗って、サラダ用と炒め物用に分けた。

昼ご飯に、野菜炒めをして、夕ご飯用には茹でてタッパーに入れ冷蔵庫へ。

残りはジッパーつきの保存袋に入れて冷蔵庫へ。

たくさんのプレゼントを下さった従姉妹姉さん、ありがとう!!!

 

この従姉妹姉さんの姉妹とはばばが小さい頃はよく一緒に田植えなどをしたりしたが、

ばばは中学校までしか実家にいなかったので、

その後は年に数回顔を合わすぐらいであった。

このお姉さん達は今集落のリーダー的存在で

色々な面で活躍して下さってい自慢のお姉さん達だ。

 

兄弟姉妹の少ないばばにとって本当のお姉さんのような存在でありながら

ばばはご無沙汰ばかりしている。

ばばが仕事も辞めた今、これからは少しでも一緒に語らったり、

お茶を飲んだり出来たらいいなあと思っている。

 

朝からたくさんのご褒美を戴いたので今日はばばも大ハッスル。

午前中は家の大掃除?をしたよ。

掃いて拭いて、片づけて・・・・・

気持ちがいいね。

体を動かして、いい気持ち、身の回りがきれいになって更にいい気持ち。

 


危ないっ!!!

2008年10月25日 17時36分43秒 | 日常生活

10月25日(土)

ばばの目の前50㎝ぐらい前をオートバイが横切った!!!

ばばは、思わず前のめりにつんのめりそうになった。

オートバイは何事もなかったかのように通り過ぎた。

取り残されたばばは、怒りに震え立ちつくしていると

後からバイクで来た年配の叔父さんが「危ないことするよねぇ」

とばばに目顔で合図して通り過ぎた。

 

ここまで読んでも詳しい状況がwからないかも知れないが・・・・・

ばばは危うく事故に遭うところだった。

と言うのも、昼前買い物をして家に帰るため右側を歩いていた。

あと10歩も歩けば十字路があり、十字路を右折すれば

ばばの家はもう目の前に見えている。

その時、後からバイクに乗った高校生がばばの前を右折して行った。

(危ないなあ、スピードも落とさずに)と思っていると

続いてもう一台、高校生の乗ったバイクがばばの後から来ていた。

でも、ばばは行き交う車の音でバイクの音には気づきもしなかった。

ばばが右折するより一瞬早くバイクが右折した。

少し左側を右折したらいいものを、バイクはばばの体すれすれに右折したので、

危うくばばの体に触れそうだった。

車ならキキキキキ~~~ッと急ブレーキを踏むところだろうが

歩いていたばばは、両足を揃えたままもう少しで前につんのめるところだった。

あと、数㎝ばばが前に出ていたら、バイクが数㎝右に寄っていたら

ばばは間違いなく、はね飛ばされていただろう。

心臓がバクバクした。

 

ばばはしばらく動くことが出来なかった。

すると、高校生のすぐ後からバイクで来た年配の叔父さんが

ばばに同情したような様子で「さっきの子、危ないことするよなぁ!!!!」

と言いたげな顔でばばを見て通り過ぎた。

 

 

前を歩いてる、このばばが見えなかったってことないでしょ。

何故、ばばの前ギリギリ右折したの?

ばばは、まだ十字路に踏み出していなかったでしょ。

なぜ、右折して右側寄りを走るの?

右折してもバイクは左寄りを走らなくちゃいけないでしょ。

怖かったよ。恐ろしかったよ。

ばばだったから良かったけど、もし小さい子が歩いていたら・・・・

 

運転していた高校生の男の子!!

首にタオル巻いてその片方の端を口にくわえていたでしょう。

それも危ないと思うよ。

 

歩行者も、運転者もお互いが気をつけなくちゃね。

 


素晴らしい!・ちょっと変

2008年10月24日 10時46分35秒 | 日常生活

10月24日(金)

じじとばばの最近の朝食は遅い。

だいたいが8時過ぎから始まる。

早朝5時半頃に(ばばだけ)食べていた頃と比べると雲泥の差だ。

今朝も、いつもと同じように朝食の準備をしながら台所に立ってふと窓の外を見た。

すると・・・・

若い制服姿の女の子二人が道路増のゴミを拾い、草を抜いているようだ。

この子達はNグループの社員さんで

ばばの家とは目と鼻の先の事務所で仕事をしている。

これまでも、自社の駐車場の掃除をする女子社員さんを見かけたり

事務所の玄関前を掃除する男子社員さんを見かけたりはしていたが、

事務所や駐車場から離れた道路までゴミ袋片手に掃除をしている。

窓から掃除をする社員さんを見ながら「偉いなあ」と思わず声に出して言った。

すると聞いていたじじが「どうしたの?」と聞くので

「かくかくしかじか・・・」と説明すると、じじも「偉いねぇ」と言いながら

窓から外を見ていたが「うちの下なんかもきれいにしてるよ」と言う。

そして「地元に根ざした事業展開する会社として立派だねぇ」と付け加えた。

Nグループはいくつもの会社を経営していてばば達の散歩コースには

「N御殿」と呼ばれる豪邸もあり、ばばのうちの目と鼻の先には若社長の豪邸もある。

 

このNグループとはじじはご縁があり、先代社長さんやそのお嬢さんには

色々お世話にもなった。

お嬢さんと言ってもじじとばばより、ご年配のお姉さんだ。

ばばが加計呂麻にいた時名瀬でこのお姉さんの会社のタクシーを利用することがよくあった。

その時のタクシーの運転手さんの接客態度がとっても気持ちよくすがすがしくて

ばばがお姉さんに話すと、「ありがとう。喜んでもらえて嬉しいわ」と言われた。

そのタクシー会社の名前が「○○タクシー」というのだが

由来?を聞くと「業界で一番誠実でお客さんに喜んでもらえるように、

また業界で一番の会社になれるように」との思いからだと話されたのに、また感動した。

 

その社の精神を受け継いで社員全員で「始業前のボランティア活動」。

何と素晴らしいことでしょう。

 

社員にトイレ掃除を徹底的にさせている会社もあると聞いたことがある。

また、身近な施設などのトイレ掃除をやっているグループ?団体?もあると聞く。

素手で徹底的にトイレ掃除をさせるのだそうだ。

 

先日テレビで中国だったか?日本の社員にトイレ掃除をさせる会社のことを知り

中国でも自分で掃除させたトイレの水を飲ませる会社があるということを読んだ。

「トイレの水を飲ませる」なんてとても非人間的だが

それだけ徹底的にきれいに掃除したということの証という意味もあるらしい。

トイレは一番汚い場所、不特定多数の人が使う場所だし・・・・・と思うが

公衆トイレだって使った人のほんの小さな心遣いで「きれい」を維持できると思う。

でも、実際ばばの身の回りの公衆トイレは「きれい」ではない方が多い、その真逆の方が。

 

公共の場所が汚されていくのは悲しい。

「自分一人くらいは・・・」の人が多いのだろうね。

じじとばばの散歩コースなんかひどいよ。

僅か数メートルの間に30~50個のジュース等の空き缶がポイ捨てされているんだよ。

ビールの空き缶がいくつかビニル袋に入って捨てられているのを見て

じじも腹を立てていたよ。「島の飲酒運転がなくならないわけだ」って。

ばばの家は県道沿いだからかも知れないけれど、

ジュースの空き缶とかお菓子の包み紙とかお菓子の容器とか

捨てられていることが多く中にはブロックの間にゴミを突っ込んである時も。

腹立つし、悲しいし、情けないね。

 

大人が捨てた空き缶を小・中・高生がゴミ袋もって拾っている光景も何回か見るけど、

大人がしっかりしなくちゃ、子どもにお手本を示さなくちゃって思うことがありすぎるね。

Nグループの社員さんの朝の清掃活動を見ながら色々なことを考えたばばだった。

 

Nグループの社員の方々にはいつか言葉で労いと感謝の気持を伝えたいと思う。

 

 Nグループ社員の方々の爽やかな光景を見たあと

両親宅へ下りていった。

すると・・・・ウコンの花?と思い続けている花の横にはアジサイがあるのだが、

そのアジサイに花が咲いている。

アジサイって普通は5~6月の花だと思うんだけど、どうして10月末に?

花の咲いてる枝の近くには茶色の花殻の付いた枝もある。

昼から行きつけの美容院に行ったら、じじ両親宅のアジサイよりも

何倍も大きいアジサイが「今を盛り」とばかりに咲いている。

さすがに?花色は白っぽいままだったが。。。。。

 

なんか変。

季節を忘れた(間違えた?)花。

10月末になって、まだ蚊が出るんだよ。

やはり、天気が影響しているのだろうか?

 


また、はまりそう・・・・

2008年10月23日 19時03分40秒 | 家族のこと

10月23日(木)

ばばは5年前、じじが長期入院した時ストレス?(言い訳?)から

「雪の宿」というお菓子に半年くらいはまってしまったことがあった。

1日でお煎餅24枚なんかペロリ。

多い時は36枚食べていた。

1ヶ月くらい経った頃から洋服のウエストがきつくなり、みろみるうちに4㎝も太くなり

体重も4キロ増え、手持ちのズボンやスカートが合わなくなり・・・・

そこで、体重を元に戻そうと考えればいいのに、どこまでも自分に甘いばばは

洋服を全部買い替えた・・・・と言っても5,6着だけど。

約半年後、すっかりプヨプヨおばさんになってしまったばばは、さすがに焦ったね。

その頃じじも帰ってきた。

じじは、病後で痩せているのに、ばばはプヨプヨ。

周囲からもばばは「少し太った?」と言われ、親しい友人にはカミングアウト。

「実は雪の宿というお煎餅を1日一袋以上食べている」と。

友人達は「いくら何でも・・・」と口を揃えた・・・・・・・

・・・と言うことは以前ブログに書いた記憶がある。

 

そういう苦い体験がありながらばばは、今、又ある食べ物はまろうとしている。

その食べ物とは?

そう、今回は南瓜。

まだ一月にもならないが、最近の南瓜は美味しいだ、これが。

スーパーでは「北海道産エビス南瓜」というのが4分の1カット200円内で買える。

必ず2カット買ってくる。

そして、圧力鍋料理開始!

まず、圧力鍋にすき焼きのタレ大さじ1くらいと水80ccくらいと油数滴入れて

きれいに洗って適当な大きさに切った南瓜を並べ蓋をしてシュッシュッと1分~2分。

その後ほったらかしておいて鍋が静かになった時蓋を開けると絶品の南瓜の煮付け完成!!

これが美味しいの何のって。

「雪の宿」なんか目じゃないね、今のばばにとっては。

食事の度に2切れは食べている。

でも、南瓜って炭水化物?少し痩せたいと思っているばばにとっては逆効果?

と思いながらも、しばらく南瓜から離れられそうにない。

いいか、その分、ご飯を減らせば・・・・・・・と自己弁明。

冬の南瓜って美味しいねぇ。

 

南瓜だけでは・・・と思い同じような料理方法で大根と人参も煮てみた。

 

蓋を取ってみて、ガァ~~ン。

ばば、大根は水分が多いこと忘れてたよ。

水はほんのちょっぴりしか入れなかったのに、大根から出た水分でヒタヒタ。

そっか、大根を煮る時は調味料だけ入れればいいんだと学習。

今、水分を飛ばすために又火をつけた。

水分と言ってもほんの少しなので2分足らずでカラカラに飛ばせたよ。

大根と人参は柔らかく、味も薄味でいい感じ。

圧力をかけた後は2分でなく、1分だけ加熱したらもう少し歯応えがあって良かったかもと反省。

 

ばばは、本を読むのが好きだが、読むのは好きなジャンルだけ。

ここ数年はインターネットで本を注文することが出来るようになったので

好きな本を好きな時に買っている。

一回キリしか読まない本も多いから図書館に行けばいいのだが、

ばばの読みたい本がない時は仕方ないもんね。

一昨日、本の検索をしていたら「いいことずくめの玉ねぎレシピ」という本が目に付いた。

「んっ?」と思い「立ち読みページ」を見ていると「焼き玉ねぎ」というレシピがあった。

気になったままだったが、夕べ、小玉ねぎがあるので作ってみようと思った。

生の玉ねぎ(玉ねぎを細い千切り器で切った物)はじじと一緒にチョコチョコ食べていたが

焼き玉ねぎってどんな味だろうと?興味津々のばばは即実行。

食事中のじじを横目に又、パソコンを立ち上げてレシピを見直し、覚え、いざ料理開始!

と言っても難しいことは何にもない。

横半分に切った小玉ねぎをオリーブ油を敷いたフライパンに入れて両面焼き目をつけ、

粗挽き黒胡椒をふって、レシピでは(パルメザンチーズをふりかける)と書いてあったが、

現物がないので、代わりにとろけるチーズを小さく切って乗せて完成!

甘く柔らかくなって美味しかったよ。

でも、じじは「やはり生がいいな」って言いながらお代わりしたんだよ。

どう思う?

と言うわけで、食欲の秋、何か美味しいレシピを見つけるべく日夜奮闘しようと

思っている(思うだけ?)ばばだ。

 

以前、煎餅にはまった時は、いつでもお店に行けば買えたが

南瓜は季節によって美味しい時と、水っぽくてあまり美味しくない時もあるので

まぁ、冬季限定になるかも知れないなぁ。。。。

と言うことは、ばばが南瓜にはマルキ感もそんなに長くはないかな?

 

その時々の美味しい素材で、じじもばばもはまる美味しいレシピ研究しようっと。

 


ばばがブログなんか・・・・・・・・・・

2008年10月22日 17時47分38秒 | 家族のこと

10月22日(水)時々

じじと同僚達に手取り足取りパソコンの使い方を教えてもらったばばだが

ばばには悪い癖がある。

それは・・・・車も未だにマニュアル車しか乗れない。

それも出来れば自分の車だけ乗りたい。

さらには、普通車は怖くて乗れそうにない。

軽乗用車&マニュアル車のみOKだ。

車が違うと怖くて、なるべく乗りたくない。

オートマなんかもってのほか・・・と思いこんでいるのだ。

 

こんなばばだから、パソコンも自分が使っているのとちょっと機種が違って

ちょっと操作が違う機種だったりするとパニックになってしまう。

家でもなるべくじじのパソコンには触らない。

自分のパソコンも、ノート型からデスクトップ型に変わっただけで抵抗があった。

時間の経過と共に諦めて目の前にある物に馴れていったが・・・・・・・・

要するにばばの頭はガチガチで、ちっとも柔軟性がないということ。

応用力が全くないと言うこと。固い頭を解きほぐすのにけっこう時間がかかると言うこと。

だから、本当にパソコンが少し分かると言っても機械的に、

マニュアル通りに触っているだけ状態?かな。

だから、今でも「パソコンが出来る」と言うのはおこがましいと思っている。

 

たいした趣味もないばばが退職して、

初めのうちは時間に縛られない生活が嬉しくてたまらなかった。

自分の好きな時間に買い物ができ、図書館に通え、草花を愛でる・・・・

そして3度3度じじの食事を作る。

仕事をしていた時は朝はじじより早く家を出て、

じじより先に帰って夕食の準備をするという生活だった。

だから、じじと会話をするのも夕食時の僅かな時間。

その後は食事の片づけ、明日の仕事の準備という生活だった。

 

ばばが仕事を辞めて、ばばより1年早く仕事を辞めていたじじとふたり

24時間ほぼ一緒の生活が始まって2年近く。

仕事を辞めてしばらた立った頃、ばばの心の中で

(こんなはずでは・・・・・何かが違う)という思いが湧いてきた。

 

その頃、じじは自己流でHPを立ち上げていた。

というのも、長女がブログを始めていて、それに触発された感もあったが

1日パソコンと向かい合っていても飽きないと言うじじは

様々なHPを見て自分も・・・と思ったらしい。

そして、コツコツ作業を始めていたんだね、そしてある日ばばに

「ばば、じじとばばの日常の暮らしを娘たちにも知らせてあげたいね」って。

「じじは身の回りの風景や出来事を写真を中心にまとめるから、

ばばは、日常生活の中から娘たちに文章で発信しないか?」と。。。。。。。。。

ばばは迷った。

すぐ、すぐ同意は出来なかった。

ブログを書くと言うことは私生活の一部を全世界に向けて発信していると言うことになるのかな?

「不特定多数の人に見られる文なんて書けない」。

ばばは、迷い続けた。

だから、初めのうちは何とかサボろうとした。

すると、じじは「ばばは、川へ洗濯へ。。。」と書き、ばばに代わって作文してくれることも度々。

なるべく書きたくないばばと、なんとかばばにも書かせて二人でHPを運営?したいじじ。

平行線が続き、ばばは時にストライキを起こし・・・・・・・・・・・

退職後約半年経った結婚記念日の頃から腹を決め、恐る恐る書き始めた。

身の回りのこと、日常生活の中から・・・って言っても

作文力不足のばばにとっては四苦八苦の中でのブロガーデビュー。 

 

「書き続ける」ようになって、ばばの生活は変わった。

外へ出る時はカメラを持ち、道を歩けば右左とキョロキョロ、人の話に耳を澄まし

何かおもしろいブログの題材はないかとアンテナを張り巡らせるようになった。

 

「朝起きたら、まずパソコンの前に座る」

「ニュースやメールは必ずチェック、大事なメールには、すぐ返信」

「遅くなっても、なるべくその日のうちにブログを書く」

決めたわけでないけれど、ばばが実行していること。

 

毎日の生活を手紙代わりに娘たちへ・・・という思いから始めたブログだが

今はばばの生活と切り離せなくなりつつある。

 

じじの強い後押しと「お母さんのブログ見てるよ」の娘たちの声に励まされ

今日もばばは拙い文を紡ぎ出す。

でも、未だに99%仕上がった文を投稿しようとしたら

すぐにログイン画面に切り替わって文章は宇宙の果てへ旅立ちしたのか

2度と復活することはない・・・・という失敗を何回もしている。

そんな時は、さすがに「キィ~~~」となるが、

しばし心を落ち着けて「ドンマイ、ドンマイ」・・・・・

で、又書き直す。初めの文を全部覚えているわけでないので

微妙に違う文になったとしても、ばばの他前の文を知っている人はいないので

OK,OK・・・・で今日まで来ている。

 

じじは時にばばをおだて上げて木に登らせる。

気づいた時は、ばばは良いようにじじの手の中で踊らされている。

・・・と言う感じで細々ながらじじとばばのHPは存続しているのだ。

 

几帳面に毎日ブログアップしていた長女は最近多忙でなかなかアップできなくなった。

ちょっと残念で寂しいけれど、じじとばばは暇があるから毎日更新できるんだよね。

 

愛読している知人のブログが、数日更新がない時などは(何かあったのでは?)と心配するばば。

娘たちもじじとばばのHPの更新を「じじばば元気」の拠り所としているかも知れない。

だから、平凡な内容でも毎日発信し続けようと思うばばである。