ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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「ちゃん」付けで呼ばれてみたかった

2008年09月30日 13時53分15秒 | 家族のこと

9月30日

悔しいぃ~~~~

方言で「ナーシギュゥトゥ」という言葉がある。(無仕事?)

一生懸命頑張ったのに、、成果ゼロというような意味。

夕べ頑張ってブログを書きアップしたつもりだった。

 

今朝、起きてパソコンを見て下書きのままだったことに気づき

慌ててアップした。

 

そして、お昼前になってじじが食事の準備をしていたばばのそばに来て

「あーぁ、又じじはばばにいじめられちゃった」と言うので、

改めてブログを読み直して少し手を入れようと

アップしてあったのを、下書きにして・・・・と思っていたら

何と!!!題名だけ残して全文が消えていた。

悔しいぃ~~~~~~~となったのだ。

 

改めて書き直さなくてはならなくなった。

 

 

ばばは小さい頃から名前を呼ばれる時

「ちゃん」付けで呼ばれたことがない。

我が子を「ちゃん」付けで呼ぶ親はそういないと思うが

ばばは、両親はもちろん隣近所の叔父さん、おばさん、

先輩、同級生のお母さん達からも「○子」と呼び捨てだった。

3姉妹の一番末っ子だったばば。

長女は「S子」、次女は「M子」、そしてばばは「○子」。

不思議なことに次女だけはばば両親も、

兄も「Mちゃん」と「ちゃん」付けで呼んでいた。

ばばがいつも呼び捨て去れていたのに対し、

次女(ばばがブログでばば姉と書いている姉)が

呼び捨てにされるのを又聞いたことがない。

今は亡き長女も、たまには周囲の人から「Sちゃん」と呼ばれていた。

 

どうして、ばばだけ?

 

小学生の頃、ばばの集落だけで10名以上の女の子の同級生がいた。

ばばは同級生の女の子を何と呼んでいたか・・・・・・

 

当時は「子」の付く名前がけっこう多かったが代・美・恵が付く子もいた。

ばばが呼び捨てにしていたのは何故か全員「子」の付く友達だ。

代・美・恵などが付く子は全員「ちゃん」付けで呼んでいた。

では、他の集落の子を呼ぶ時は?と思い出すと

「子」の付く子でも「ちゃん」付けで呼んでいた。

 

集落内の他の友達は?と言うと

代・美・恵の付く子にも呼び捨てにしている子もいた。

その場合親戚同士などの場合が多かった。

ばばは親戚でも「子」の付く子は呼び捨てで、

「代」の付く子にはちゃん付けで呼んでいた。

子どもながら、友達の呼び方にも

それぞれの心の中で決めた基準があったのかな?

 

ばば達が小学生だった頃は男子と女子は目の敵?にし合っていたので、

男子が女子を呼ぶ時は全員呼び捨て。女子も又男子を呼び捨てにしていた。

 

中学生になって隣の地区の子達と一緒に勉強することになったが

その子達に対してもばばは女子全員には「ちゃん」付けで呼んでいた。

 

高校生になって、小、中時代の友達が一人もいない環境になった。

そこでは、なんて呼ばれていたっけ・・・・・・

気のあった仲間同士愛称で呼び合っていた。

大学に進むと、寮に入ったがそこでは、名前ではなく「Nちゃん」と

ばばの姓に「ちゃん」をつけて呼ばれるようになった。

他の友達は全員名前に「ちゃん」をつけて呼んでいるのに

何故、ばばだけが「姓」に「ちゃん」をつけられて呼ばれるの?

当時も今も決して嫌だとは思わないが、やはり「なぜ?」と思う。

 

小・中、高、大と当時、自分の名前の呼ばれ方について

考えてみたことすらなかったが、社会人になってからも大分たって

ある日、ふと「なぜ?」と考えるようになった。

 

じじと結婚することになって、じじ、じじ両親、じじ妹がばばのことを

「ちゃん」付けで呼んでくれて、とても嬉しかった。

 

じじだけは結婚式が終わった途端、呼び捨てに変わったけどね。

・・・・・・・・・・と、ばばが消えてしまったブログにも書いていて

これを読んだじじがばばに

「結婚して、自分の奥さんに(ちゃん)をつけて呼ぶ男なんていないぞ。」と

あの人、この人と例を挙げながら言う。

「名前の呼び捨てどころか、(オイッ)としか呼ばない人もいるんだぞ」だって。

 

そう言われてみればそうだね。

 

小さい頃いつも呼び捨てにされていた事が、いつの間にかばばの中では

「ちゃん」付けで呼ばれて見たいという願望に変わっていたのかも知れないね。

 

今更「ちゃん」付けで呼ばれたいとは思わないが、友達や知人の呼び方について

考えたばばです・・・・・・・・・・

えっ、こんなこと真面目に考える人いないって?

やっぱり、ばばは変人かぁ・・・・・・・・・


じじ・・・・・

2008年09月29日 19時45分39秒 | 家族のこと

9月28日(日)

夕べはテレビで美空ひばりさんの特集番組を放送していたので、

じじとばばも、その歌を聴きながら夕食をとった。

岩城宏之さん「自分はモーツアルトを音楽の天才だと思っていたが、

美空ひばりさんを追加したい」と語ったという。

世界中でもこれほど音程の確かな歌い手はいないと絶賛していた。

ばばは小さい頃から美空ひばりさんの歌声は聞いてきたが

本当に天才とはひばりさんのような人を言うのだろうと思っていた。

 

ばばが、じじに「ばばがひばりさんくらい声が良かったら、

今頃ここにいないよね」と言うと、

じじが「そうだよね。○○いばりになっていたかもね」だって。

どこまでも憎たらしいじじだけど、

今日はじじの誕生日なので~~~す。

じじ、おめでとう!

 

あの大病から5年。

じじが元気で傍にいてくれるのが、何より嬉しいよ。

じじとばばは1才違いだけど、

今日から11月のばばの誕生日まで、ほんの2ヶ月だけ2才違いなんだよね。

この2ヶ月がやけに嬉しいばば。

 

ばばの結婚の理想は5才違いで、メガネをかけてなくて・・・・・・・・

だったけど、じじはばばより1才上で、メガネをかけていて

(最初はサングラスかと思っていたけどね)

ばばの理想と少し違っていたけど、

年齢や外見を条件にしていた自分がおかしいよ。

 

じじは、ありったけの愛情を家族に注いでくれたね。

ありがとう!

 

じじが生まれたのは、十五夜の晩だったってね。

お母さんも十五夜のお祭りに行こうとしていたら陣痛が始まって・・・・・・

って、聞いたよ。

顔はまん丸でお目々ぱっちりの赤ちゃんだったってね。

 

じじが生まれた日とは違って今日は朝からあいにくの曇り空。

じじは一日中パソコンの前に座り、

ばばは一日中ゴロゴロ。

せっかくのじじの誕生日なのにごめんね。

 

3姉妹と孫からも「ハッピーバースデイ」コールがあり

嬉しそうなじじ。

 

子どもたちが小さかった時、

子どもたちとじじ両親の誕生日はケーキなど準備して祝ってあげたけど

じじの誕生日は祝ってあげてたかなあ。。。。。

朝起きた時「今日はお父さん誕生日だよね、おめでとう」で

終わっていたかも・・・・・・

 

考えてみたら、ばばに実家で子どもの頃

「誕生日おめでとう」なんて言い合っていたかなあ・・・記憶にない。

あの頃は毎日の生活に精一杯だったんだろうな。

 

結婚してから、今日まで家族の誕生日だけは忘れないでおこうと

密かに決めているばばだ。

だってじじは世界でたった一人のばばの生涯の伴侶。

3姉妹は、ばばの分身。

 

一瞬も止まることのない「時のベルト」に乗っている私たち。

そのベルト上での節目の誕生日。

無事その日を迎えられるってありがたく、感謝すべき日なんだよね。

  

明日から又新しいスタート。

じじにお願いがあるんだけど、もう少しパソコン以外にも目を向けてね。

 

 

 

 

 

 


運動会

2008年09月29日 19時45分10秒 | 思い出

9月27日(土)

明日は島内のほとんどの中学校の体育祭。

そして一週間遅れで10月5日は小学校の運動会。

運動会も、時代と共に変わってきたなぁと思う。

 

ばばが小学生の頃は、児童数が多かったので、集落対抗での競技だった。

各集落で応援や競技の練習をしていた。

地域一体となった行事だったと思う。

今でも、ばばの母校では子どもたちは紅白対抗で

大人の人たちは集落対抗で競う。

何故子どもたちは紅白対抗になったのか?一番は児童数の減少だと思う。

現在、母校はばばが小学生だった頃の8分の1の児童数だ。

紅白対抗で、兄弟がいる子は一人は紅組で、一人は白組ということもある。

保護者は、昔も今も同じだとは思うが・・・・・我が子への声援に声を張り上げ

中には足踏みならし、腕を大きく振って応援する保護者もいる。

競技する子どもの姿より、

我が子を応援する保護者の方を見ていた方がおもしろいこともある。

 

競技内容は、かけっこ・リレー・綱引き・ダンス・学年種目・応援合戦・保護者種目・

来賓種目・地域対抗種目等々、3時頃まで盛りだくさんのプログラムでにぎわう。

ばばの母校ではまだすず割りという種目があり、

すずが割れて昼食となるが、このすず割り作るのがけっこう難しい。

あまりにあっけなく割れてもいけないし、いつまでも割れなくても困る。

その加減が難しい。

一回紙を貼って紅白塗り分けた後、カッターであちこち切れ目を入れていた。

 

地域の方の種目では一定距離離しておかれたバケツめがけて

ソテツのみを投げ入れる玉入れや、輪投げ、ムカデ競争など

昔懐かしい競技もたくさんある。

中でも「輪回し」という競技は、

自転車のリムを一本の短い竹で回してリレーするのだが

なかなかうまく回せない人もいれば、昔取った杵柄でそれは見事に回す人もいる。

ばばが子どもの頃男子は良く輪回しで遊んでいたなあ。。。。。

今は輪回しをする子なんて一人もいないけれど。

 

ばばは、小学生の頃、走りはそう速くなかったと思う。

いつも後ろから来る友達の足音に追い立てられるように

走っていた記憶があるから、最後尾でもなかったと思うが、

自分が何番だったかとかほとんど記憶がない。

競技の後の昼ご飯がとても楽しみだったことなどは覚えているのに。。。。

お昼ご飯は、いつもの食事より豪華で、家族揃って木陰などで食べていた。

そして、必ず我が家の庭で実った「喜界ミカン」がデザートだった。

・・・ということは?昔は10月末か11月に運動会があったのかなあ。

「喜界ミカン」はその頃からしか食べられないから。

 

ばばが先日知人から聞いた話では、

最近、都会では運動会に保護者は学校に行かず、

子どもだけの運動会をするところもあるそうだ。

今朝、ラジオを聞いていると「最近は働く親が増えているので、

親が運動会に来られない子もいる。だから、親が来られない子だけ教室に集めて

昼ご飯を食べる」と言っていた。

 

ばばが小学生の頃は保護者もほとんどが農業をしていたし、

集落の方々も運動会の日は仕事を休んで学校に来て下さっていた。

でも、今は仕事をしていない保護者の方が少ないので

行事に参加するのも大変だろうなと思う。

町内のスーパーは中学校の体育祭には開店しているが

小学校の運動会は休むところも多い。

経営者の方も色々考えて下さっているのだろうな。

 

ばばも仕事をしていたので、それに島内の小学校は同じ日が運動会なので

一度も我が子の応援に行くことが出来なかった。

子どもたちが中学生になって初めて堂々と

我が子の応援に行けた時はとても嬉しかった。

高校生になると「別に来なくても良いよ」と言う娘の言葉に素直に従って

応援に行ったことがないが、

最近になって「行ってあげれば良かった」と思うことがある。

 

今日のスーパーは明日の運動会用なのか

カゴいっぱいに肉や野菜を入れている人が多かった。

明日、天気に恵まれ、想い出に残る運動会が出来ればいいな・・・・・


怖くないの?他

2008年09月29日 19時43分14秒 | 日常生活

9月25日(木)

昨日も書いたが、また殿がらみの内容です。

殿は、じじがいようが、ばばがいようが、

平気で裏階段を上って我が家に来るようになった。

今日は、ばばが公民館講座で出かけるので準備をしていると

ニュウッと顔を出した。そしてばばとじっとにらめっこ。

ばばが立って近くまで行っても逃げない。

近くでよくよく見ると殿の目は人間の白目にあたるところが

グリーンっぽい黄色で瞳は黒。ちょっと怖いね。

 

ばばはわざと殿に見られないように柱の陰に隠れると、

殿はじっとしたままばばの様子を窺っている様子。

ばばがもっと奥に隠れると殿もばばの様子を窺っている。

出かける時間が迫っているのできりがない。

ばばが外へ出ると殿は一番上の階段で又ばばの方を見ている。

ばばが「ドン」っと足を踏みならすと 慌てて階段を駆け下りたが、

その時の格好が前足と後ろ足で階段を一段ずつ踏んでいるのだが、

そうすると45度くらいの急角度になる。

上るならいざ知らず、降りるのって怖くない?殿。

殿のニクイところは、一気にしたまで駆け下りず、

階段が急なのにもかかわらず途中で立ち止まってばばの方を見上げたこと。

すると、ばばも又このあと殿がどんな行動を取るのか見たくなる。

いつまでも殿がばばの方を見るので、ばばは「シッ、シッ」と手を振り上げるが

全然ききめなし。

んもうぅ・・・ばばはわざと行きかけてパッと振り返り殿を見る。

殿はさっきと同じ姿勢のままだ。

根負けして、ばばは迎えに来た姉と公民館講座へ。

 

5時過ぎに帰ってくると、じじ曰く。

「あの殿の奴、ついに家の中まで平気で入ってくるようになったぞ。

ばばがいない間、パッと後を振り向いたら、食台の下に殿がいてびっくりしたよ」って。

姉は、ばばの家までバイクで来てばばの車で出かけたが、

公民館講座から帰って、自分のバイクに荷物を積もうとしたら

バイクの上に猫の足跡がいっぱい付いていた。殿がバイクの上で遊んだみたい」って。

 

殿、じじやばば・姉と仲良くなりたいの?

でもね、じじとばばは君の世話してあげられないの。

ごめんね。遊びに来ても餌もあげないの。

ごめん!

うちの3女ならきっと可愛がってくれると思うけど、

殿、東京へお行き!!。

 

今日の公民館講座では「ドーナツ」「牛肉とゴボウの煮付け」「鯖の揚げ煮」を

作った。

ばばは、今日はドーナツを復習。

生地をつくって冷蔵庫でねかせておいて、明日揚げる。

うまくできたら、友達に送ってあげようと思っている。

 

公民館講座では色々な郷土料理を習うが

なるべく、すぐに復習するようにしている。保存食、おやつを中心に。

 

そうそう、今日は講座の先生から他の受講者の前で

急に「あらぁ、火傷したの?」と言われた。

14日に鍋の縁にくっつけて火傷したところ、

2000円以上もする」薬を買って塗っていたら、

みるみるうちにかさぶた状になってきた。

 

でもレシピの書かれたプリントを両手で持った時に先生に見つかっちゃった。

 

さらに、「天ぷら?フライパン?」と聞かれた。

みんなが、ばばに注目!

 

わぁ~~恥ずかしい!

正直に「鍋の縁で・・・」と言うと

「やるのよねぇ~~~」 と同情?の声・声。

 

他の人もばばと同じ失敗するんだぁ。。。ちょっと心強くなってきたぞ。

って、喜ぶなって。

 

 

 

 


いろいろ・・

2008年09月26日 18時54分21秒 | 思い出

9月26日(金)

8月末、朝夕は涼しくなって「今年は秋の訪れが早いな」と

思っていたのもつかの間。

夜はクーラーをかけて寝ている。

でも、日暮れは確かに早くなった。

6,7、8月は夕方6時半にならないと日射しが和らがず

散歩に出る時刻も遅かった。

しかし、秋の夕暮れは「つるべ落とし」と例えられるように、

とても早い。

6時半ともなると真っ暗だ。

 

ばばは、普通、6時になると夕方の買い物に出る。

キョロキョロあたりの風景を眺めながら魚屋さんによって、

途中にお本屋さんによって、スーパーの店先で

鉢物の植物を見たりしていると、あっという間に7時前であたりは真っ暗。

慌てることが良くある。

 

ばばが毎日行く魚屋さんの店先のガラスケースには

色とりどりの魚が並べられている。

魚の中には口からピンクっぽい風船のような物を出している魚もいる。

何だろうと思いお店の人に聞くと「胃」だと言う。

つり上げられた?網に入った?ショックで胃が口から出てくるのだろうか?

ケースの中の魚はどれも大きな目をぱっちり開いていて

ちょっと可愛そう。

刺身の苦手なばばは宴会などで「魚の活け作り」が出ると

魚が恨めしそうにばばを見ているようで

なるべく魚から離れたところに席を替わっていた。

 

こんなばばなのに、小さい頃はよく田んぼで鮒を捕まえては

空き缶などに入れて家に持ち帰り飼おうとしたが

環境が変わるせいか、一度として鮒の飼育に成功したことはない。

今の子どもたちも、花園や校庭のの隅で見つけた

大きな白い幼虫を「クワガタの幼虫だ」と家に持ち帰ったり、

遠足で行った海で小さな魚を捕まえては「家で飼うんだ」と

大事そうにビニル袋に入れて持ち帰っていた。

巨大ウジ虫のような幼虫を見たお母さんはどんな反応をしただろうか?

「家で飼う」と持ち帰った魚も、きっとその日のうちに死なせてしまっただろうな。

 

田植えや稲刈りの手伝いをサボって鮒取りに熱中しては

たくさんの鮒を殺してしまっていた、ばば。

今思うとかわいそうでならない。

鮒を飼うのは失敗の連続だったが、タニシは捕まえて帰り

水を張った入れ物に入れておくと、いつの間にか

大人タニシそっくりの小さなタニシが次々に生まれ喜んだのを覚えている。

 

今、島には田んぼはほとんどない。

田植えの時期だけ田んぼに水を入れ

稲作りをしている場所が2カ所ほどはあるが・・・・・・・・

だから、今の子どもたちは田んぼで鮒やドジョウ、

タニシを捕まえて遊ぶ機会もない。

 

今日遊びに来た姉に聞いてみると、

鮒は、煮付けて、ドジョウは串に挿して灼いて、タニシも煮て食べていたそうだ。

「サイ」という小さな海老も田んぼにいたような気がする。

ばばは、オキアミを見ると「サイ」を思い出す。

笊ですくって取っていたような・・・・

サッと炒めて食べていたと思う。

炒めると色が赤く変わってきれいだった。

田んぼには泉もあって、

ツワブキや野いちごの葉でうまくコップを作って水をすくい飲んでいた。

泉の水は甘くて、美味しかったなぁ。

二度と戻ることのない日々。

懐かしい!

 


孫には・・・・・・・・・他

2008年09月24日 20時00分48秒 | 家族のこと

9月24日(木)

夕べ、東京の6才の孫からじじにファックスが届いた。

A4の紙に

「じじ、げんき?よかったら へんじちょうだい じじへ ○○より」の文面。

 

実は・・・・敬老の日に孫は電話をくれたのだが、

じじは台風で鹿児島に足止めされてて帰ってないと話すと、

その時は「じじへ」とロボットらしき絵を描いてファックスで送ってくれていた。

 

それから数日してじじは帰ってきて、ばばがいきさつを話して

孫からのロボットの絵は渡してあった。

でも、 じじが返事をくれないので孫は寂しかったのかも知れない。

それで「よかったら へんじ ちょうだい」と改めて送信してきたのだろう。

 

じじは、書くことはあまり好きでない。

結婚前、ばばが書いた手紙に返事をくれたのはたったの1通。

だから、そのじじの手紙は「家宝」&「最後の切り札」として

ばばがしっかり隠してある。

 

何とか書くことは避けようとするじじだが、孫に対してだけは特別。

晩酌を始める前似、孫に返信しているじじにびっくり。

孫にはめちゃめちゃ弱いじじである。

 

さて、孫へのファックスも送って晩酌を始めようと、

洗面所でじじが手を洗おうとしていると

なんと、ばばが一人でいる時、真夜中にヌゥッと暗闇に立ち

ばばを卒倒させそうになった野良猫「殿」が裏口玄関にいたそうな。

じじが「殿も入っておいで」と言うと、三つ指をつくような感じで

小首をかしげたそうだ。

続けて「一緒に晩酌しよう、入っておいで」と誘うと「殿」は、さっと出て行ったそうだ。

 

この野良猫と知り合って9ヶ月になる。

たまたま今年の正月前に帰省していた娘が、この猫の顔が

テレビに出る志村けんの「ばか殿」にそっくりだというので

「殿」と呼んで「年に何回か訪れる友達」のような感じで見ていた。

オスかメスかも分からない。

もし、メスだったら「姫」と呼ぶべきか?

でも、顔がねぇ・・・・・・・・・

「殿」はいつも穏やかで、妙に人慣れしているような気がする。

 

猫のテリトリーがどのくらいか分からないが、じじ母の言葉によると

最近は我が家の車庫を仮住まいとしているらしい。

車庫にはじじとばばの車が2台入っているが、じじの車は滅多に動かさない。

 

これから寒くなれば風も当たらないし「殿」にとっては格好の住まいになるだろう。

でも、ばばは生来、猫はは好きではない。

だから、いくら「殿」でも住みついてはもらいたくない。

「殿」はいつ見ても一人だ。

家族もない風来坊猫かも知れない。

 

だから、ちょくちょくばばの家に来ているのかも・・・・

でもね、来るのは必ず裏口から音もなくやってくる。

 

じじが誘ったら、サッと出て行った「殿」だが、

夕食を始めてからばばも何か気配を感じたので

裏玄関をそっと覗いてみた。

 

やはり「殿」がいた。行儀よく玄関に座っている。

ばばが「殿も、おいで」と手招きをしたがやはり小首をかしげている。

さらにばばが近づくと、「殿」はまたさっと外へ出て行った。

 

あまり馴らしても困る。。。と思い直しばばも夕食を始めた。

 

その後パソコンの前に座って、ふと裏玄関の方を見ると、いた!

「殿」が家の中に入り、ちり箱の中を覗き込んでいる。

慌ててばばが飛んでいくと殿は外へ飛び出した。

ばばは気持ち悪いので「戸を閉めようよ」と提案したが

じじは「暑いから、後しばらくそのままにしておけ、じじが閉めるから。」と言う。

 

でも、やはり戸締まりをきちんとして「殿」を入れないようにしなくちゃ、

どんどん馴れちゃって平気で中まで入ってくるようになるよ・・・・と、ばばは心配。

 

今日なんか、「殿」は真っ昼間、やはり裏玄関から入ってきたよ。

そして、何か銜えて行ったとじじは言うが・・・のど飴を2個置いてあったけど・・・

まさか、猫がのど飴なんか銜えて行くはずないよねぇ。

 

じじとばばは「殿」を可愛いとは思うけど、一緒に暮らそうとは思っていないよ。

「殿」はどう思っているの?

話せるものなら、話してみたい・・・「殿」と。

 

 


兎のお耳他、ズボン落ちるよ!!

2008年09月23日 12時00分08秒 | 日常生活

9月23日(火)

ばばが買い物に出るのは夕方が多い。

何故か?

行きつけのお店の方が「5時半過ぎて、その日に捕れた新鮮な魚が

届くことがあるから、なるべく夕方来た方が良いよ」と言ったから。

そこで、いつも夕方魚屋さんに出かかけるのだ。

一人の時は、鼻歌を歌ったり、ブログの題材になりそうなおもしろいことはないかと

キョロキョロ辺りを見回しながらのんびり歩く。

きれいな花や可愛い小動物を見つけては写真を写しながら・・・・・

昨日は、なんの前触れもなく♪兎のお耳は何故長い~~~♪

という歌詞とメロディーが口をついて出た。

幼稚園の時だったか?歌ったか踊った記憶がある。

ところが・・・・・・・・・・・・・・・

♪兎のお耳は何故長い~~~♪に続く歌詞がなかなか出てこない。

歩きながら、頭を精一杯働かせたが出てこない。

 

 

いつものお店に着き、お店の方が魚を切っている間に店先に置かれた

椰子を見ていた。

この椰子はお店の方の誕生日に友達がプレゼントしてくれた物だそうで、

大きな椰子の実から葉っぱが出ている。

これまでも何回も見ていたが、昨日はちょっと気をつけて見ていると

ハッと気づいた。

葉っぱの先端が二つに分かれているのだ。

長い長い兎の耳にも見えるし細長いハートにも見える。

椰子の葉の先端が二つに分かれているって

始めて分かった。

こういう品種なんだろうな。

そんなに大きくもない鉢の中央に椰子の実がチョコンと置かれて

大きく葉を広げている。

見ていると心が安らぐ椰子である。 

 

昨日は「兎のお耳」の歌詞が出てこなくて 

スッキリしないまま買い物を済ませ、歩きながらもずぅっと考え続けた。

 

すると、突然「♪月のお宮の姫様が お嫁に行った(いらした?)その時に

な~がく な~がく なりました♪とすらすら出てきた。

やったーと思ったが、落ち着いて考えていると、

この歌詞で合っているかどうか自信がなくなってきた。

その上、本当にこんな歌があったのかどうかさえあやふやになってきた。

メロディーがスラッと出てきたので、確かにあったとは思うのだが。。。。。。。

 

月のお宮の姫様が、どこへお嫁に行ったのだろう?

何故、兎さんのお耳はその時、長くなったのだろう?

こんな些細なことを考えながら歩くばば。

やはり娘が言うように「不思議ちゃん」なのだろうか?

 

魚屋さんの次はパン屋さんに向かった。

じじのための食パンは、もう「ホテル食パン」が定番だが

ばばは自分のためだけにサンドイッチを作るので、

そのパンを買いに他の店に行くのだ。

中央通りでなくわざと小径を歩いていると

ばばの前を一人の若者が携帯片手に歩いていく。

何気なく見ているとその若者は白のTシャツに膝下丈のズボンを穿いている。

ところが、そのズボンのウエスト部分はウエストより20㎝近くも下にずれている。

右手で携帯を操作しながら左手を何回も後に回しお尻のあたりを触っている。

やはり、気にはしているんだな?と思いながらばばはずっと見ていたが、

今にもズボンは脱げ落ちそうだ。

 

「見せパン」という言葉を聞いて久しいが

ファッションとは言え、ばばから見るとちっとも格好良いとは思えない。

 

若者は、後ろを振り返り、ばばの方を見て

片手でズボンを持ち上げるような動作をした。 

そして、道端の家に入っていった。

 

ばばの住む徳之島は離島だが、今や若者たちは

都会の若者と変わらないファッションをしている。

テレビ・雑誌などで東京の流行がリアルタイムで情報は入る時代。

 

でもなあ・・・・

個性表現?とは言え、あまり奇抜なファッションはやはり抵抗があるばば。

時代遅れですかなあ。。。。。。。。

 

 


何で?今頃

2008年09月22日 19時59分25秒 | Weblog

9月22日(月)

昨晩、姉が生協のチラシを返しながら本を借りに来た。

姉とばばは、同じようなジャンルの本を読む。

ばばは、文庫本を良く買うが、姉かばばのうち、暇な人が先に読む。

二人が読み終わると、しばらく本棚に立てておくが、

その後は町の図書館へ持って行ってあげてくる。

二人がたった一回ずつ読むためにわざわざ買うこともないと

思われるかも知れないが、やはり読みたい本は読みたい。

だから、図書館にない本はせっせと買って読むようにしている。

 

姉が、本を2冊、ばばの本棚から選んで帰る時、

ばばも姉を送ってベランダへ出た。すると、姉が体をかがめて

何か見ている。「ンッ?」とばばも気になり姉の視線をたどると、

な、なんと・・・・・・・・・・・・・・そこには、ばばの大嫌いな、あいつが!!!

あいつとは、ナメクジだ。グニョグニョ体が細長くて真っ黒い奴。

 

でも信じられない。

最初は、枯れた花の葉っぱが落ちていると思った。

姉もそう思い、半信半疑でじっと見ていたらしい。

 

何で、秋なのに今時奴が現れるの?

姉も、「まさかねぇ・・・」と信じられない顔で奴を見ている。

よくよく目を凝らして奴の周囲を見ると、確かに這った跡がキラキラ光っている。

間違いない!!

以前(梅雨の頃)ばばに塩責めにされた奴の仲間だ。

ばばが小さい頃、実家で見かけたナメクジは

ベージュっぽい肌に黒いライン?があったと思うが、

今住んでいる所で見かけるのは真っ黒い奴だ。

以前は、その不気味さに卒倒しそうになったけど、

何回か見ているうちにだんだん慣れっこになってきたような気がする。

でも、やはり友達にはなれないよ・・・・ 

 

 

そう言えば、3日前だったか、ばばは11時頃いったん眠ろうとしたとたん、

「あっ、花に水かけるの忘れてた!」と思いだした。

じじに「水かけてこなくちゃ」と言うと、

「明日にしたら?隣の人びっくりするよ」と言う。

でも、お隣さんは雨戸を閉めて寝ているので迷惑にはならないだろう。

思い立つと、花たちに申し訳ない気がしてすぐベランダに出た。

その時も、細長くて黒い物体が玄関先に1枚?落ちているので

「葉っぱが枯れて落ちたのかな」と思い足で蹴ってみた。

すると、葉っぱにしてはちょっと分厚い気もしたが、ドタッと言う感じで

階段の方へ飛んでいった。

「んっ??」と嫌な予感はしたが、確かめることも考えることも敢えてせず

花や木に水をたっぷりかけてあげ、ホッとして寝たが・・・・・・

あの時、ばばに蹴られたのが奴だったのかな?

ばばが寝た後、奴も気を取り直し翌朝ばばが目覚めまでの

8時間ぐらいの間で又玄関先の鉢の底かプランターの底に入り込んで

隠れていたのかも知れない。

 

ばばは、姉を見送るとすぐ台所に走り、塩を片手に山盛り持って玄関へ走り、

奴の上から体を埋めるくらいてんこ盛りにした。

しかし、敵もさる者ですなぁ・・・・

体をくねらせながら、ひゅーんと体を伸ばすように動き前進したんですよ。

苦しさの余りかな?

又、奴の家族がばばんちの玄関で繁栄したら困るので、

ここは目をつむって徹底的に懲らしめなければならない。

「塩てんこ盛り」ではやつけられそうにないので、

次は手近にあった「野菜の殺虫剤」と書かれたスプレーを持ち出して

奴めがけて噴射した。

ところが、風上にいる奴に風下からスプレーをかけたので、

奴をやっつけるどころか異臭はばばに返ってきた。

ん~~~もうぅ~~~~。

今度は風上に回ってシューッと一撃。

その後は苦しむ姿を見たくないので、家の中へ飛び込んで網戸を閉めた。

 

1時間ちょっと過ぎて奴のことが気になりそおっと網戸を開けてみると、

奴の背中ガテラテラ光っていた。

死んでいるのか、生きているのか動く気配はない。

明日の朝になれば決着がつくだろうと思いながら、

ふと、奴の横に目を転じると「ギョエ~~~~ッ」

なんと!!!鉢を置いた白い発砲スチロールの上に

コントラストよろしく奴の仲間が長々と寝そべっているではないか。

その姿を見たばばは、肩のあたりが震えて鳥肌立ってきた。

もう、こうなったらばばの手には負えません。

じじ助けてぇ~~~。

 

ばばったら、奴に気をとられているうちに、

草花に水をかけていたことを忘れ、水道の水は出しっぱなし・・・・

(でも、ノズルのスイッチを握らないと水は出ないので、水浸しになることはなかったけど・・・}

また奴らの好きな湿気を与えてしまったなあ。

 

おまけに、夕ご飯を食べることもすっかり忘れていた。

おいおい、ばば、もう9時半だよ。

じじはとっくに夕ご飯終わって自分の部屋に引きあげたよ。

ばばも夕ご飯食べなくちゃ!!


咲き分ける花・イーサトバイ

2008年09月21日 17時20分12秒 | Weblog

9月21日(日)

以前、一本の木にピンクと白の花が咲く画像をアップした。

昨日夕方、いつもの魚屋さんのハイビスカスに目をやったばばはびっくりした。

以前アップした画像は、このお宅の花ではないが、

このお宅の木にもピンクと白の花が咲いているのを見たことは2回ほどある。

ピンクと白の花数は、いつも白が断然多い。

白が20個にピンクが1個くらいの割合だろうか?

 

ところが、今日見た花は何と!!!

一輪の花の花弁の下3枚が白、上2枚がピンクだったのだ。

同じ木なのに・・・・・・

ピンクと白がいっしょに咲いたり、

一輪の花の花びらの色が白とピンクに分かれていたり・・・

不思議なものですね。

理由は白い花の咲く木と、とピンクの花が咲く木を接ぎ木したかららしいが。

白のDNAとピンクのDNAがお互い影響しあって

色々咲き分けているのでしょうね。

人間の血液型と似ているような。。。。。

 夕方、暗くなっていたので暗い写真になってしまった。ハイビスカスは1日咲くと夕方には枯れてしまうので、又同じような花が咲いた時、改めて写したい。中央にある花の下の花びら2枚がピンク色なんだけど・・・・分からないかも・・・・・・・・・・

魚屋さんからの帰り、あるお宅の門を通りかかったら

珍しい花が咲いていた。

長女の同級生のお宅なので、以前、花の世話をなさっているお母様と

話す機会があり、「きれいな花が咲いている時は写真を写させて下さいね」と

お願いしてあったので、勝手に写真を写させてもらった。

写真を写しながら隣に目を転ずるとばらの花に懐かしい?虫が。。。。。。。

 

徳之島でも学校で「方言禁止令」があったり、島外の方との結婚が多くなったりで

いま、完璧な方言が使える子はほとんどいないのではなかろうかと

ばばは思っている。

 

ばばが、子どもの頃、学校帰りや休みの日などに

レンキツの木やイヌマキの木等を見上げては

「イーサトバーイみっさんか、ほら、みっさんよ」と歌うように言っていた。

イーサトバイとは、徳之島の方言でカマキリのことである。

「カマキリいませんか~~~」と呼びかけていたのだろうか。

でも、「ほら、みっさんよ」とはどんな意味なんだろう?

「ほら見つけたよ」という意味でもないだろうな。

 

緑色のカマキリを見つけては2匹向かい合わせて喧嘩をさせて遊んでいた。

カマキリが大きくなって羽が生えてくると、ますますカマキリの貫禄は増す。

人間が赤ちゃんに向かって「いないいないばあ」をするような手の格好を

2匹のカマキリがして、相手に大きな鋏を(鎌を?)振り上げ

パンチを出すような動きをする。

それがおもしろかった。

 

昨日の夕方、ばばが見つけた生き物とは

そう・・・・・・・・・・羽の生えたカマキリだったのだ。

 ばらの蕾に下向きに大きなカマキリの姿が・・・・・

カマキリを捕まえる時は、正面からではなく、後から捕まえないと

大きなハサミ(鎌?)で威嚇するので怖かった。

今は、あまりカマキリを捕まえたいとは思わないが、

小さい頃は何匹も捕まえてはレンキツの枝を折って

それにカマキリを留まらせては得意になっていた。

まるで、男の子のようなばばだったなあ・・・・・・・・

 

 

カマキリといえば卵からかえるカマキリを見た時は感動した。

もう、30年以上も前になろうか・・・・・・・・・・

一回目加計呂麻に赴任した時、教室の前にカマキリの卵があり

毎日見ていた。

すると、ある日 、卵から小さな緑色のカマキリの赤ちゃんが次から次へと這い出し

まるでつながるように地面へ下りていくのだ。

始めてカマキリの誕生を目の当たりにしたばばは感動で言葉もなかった。

 

あれから何十年も経ち、最近散歩途中で時々カマキリの卵を見つける。

でも、赤ちゃんの誕生まで見届けたことは一度もない。

今度見つけたら木の枝を手折って持ち帰り、

瓶などに挿して観察してみたいと思っている。

 

ばばがブログを書いているとベランダでゴソゴソ音がする。

覗いてみると立てかけておかれた洗い桶の中にバッタが一匹。

逃げ出し方が分からないらしい。

何回も何回も洗い桶の中に向かってジャンプする、夜のバッタ。

 ちょっと幻想的?考えてみたら、バッタって後にはジャンプできないもんね。。。。何回か洗い桶に突進ジャンプしていたが、ばばが少し洗い桶を動かすと、やっと脱出。画像は、まるで水の中の生き物みたいだね。立てかけた、青い洗い桶の中にしがみついているバッタだよ~~~~。

今度は家の中へピョ~~~ン。アァ~~~びっくりした!!!

 

 


寝ている間に・・・・・

2008年09月20日 14時21分15秒 | Weblog

9月20日(土)

ばばが子どもの頃は、今のように何でもあると言う時代ではなかった。

でも、大人の「生活の知恵」で何不自由なく、「これが当たり前」という生活をしていた。

ばばが、今でも覚えているのは怪我をした時の母の対処方。

例えば転んで膝小僧など擦りむいたり、切ったりした時は

まず傷口をきれいに洗い、ヨモギをすりつぶして傷口につけてくれた。

すると、不思議なことに傷はきれいに治ったものだ。

 

ばばは、小さい頃、よくおできが出来る子だった。

これははっきり覚えている。

頭・手・足、所かまわず小さなおできがよくできた。

おできは膿をもつこともあって、そんな時はズキンズキンと痛んだ。

何回か隣の集落にあった病院まで行ってはおできの膿を出してもらっていた。

メスでチョンと切開したのか、注射針の先で突いたのかは覚えていない。

しょっちゅう病院通いをしていた記憶がある。

 

入園するまで、ばばは、いつも牛車に乗って両親と一緒に

田んぼや畑に出かけていた。

まだ手伝いが上手に出来る訳ではなかったが、

両親と一緒におれるのが嬉しかった。

 

家から遠い田んぼや畑に出かける時は簡単な弁当を持って行った。

ソテツの下や木陰でお昼ご飯を食べたら、ばばはそのままお昼寝。

そんな時・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

体のあちこちにおできが出来て、膿をもって、

その膿が黄緑色になっている時、両親は

ばばが寝ている間にソテツの茎の上部にある鋭い針を取って

その針でばばのおできの先をチョンと突いては膿を出してくれていた。

ばばは、全然目覚めることもなく、おできの手術?をしてもらっていたのだ。

膿を出すと、おできは治りが早かった。

病院や両親の手でおできの治療をしてもらったがその傷痕は

今でもあちこち残っている。

その傷痕を見ると、両親や、質素だった病院を思い出す。

 

最近の子は、あちこちおできの出来る子もあまり見られないが

ばばが子どもの頃は、けっこう多かった。

おできは痛くて嫌だったけど、両親がチョンと突いて治してくれたことは

幼かったばばの頭に染みついて今でも忘れることが出来ない。

 

あと一つ忘れられないのは、髪を洗う時のこと。

今はどれを選べばいいか分からないくらいたくさんのシャンプー・リンスがある。

ばばが子どもの頃、シャンプーといえば「髪洗い粉」といって、

薄いグレーの粉状の物があった。

今のシャンプーのように泡立ちもしなかったが。

リンスやコンディショナーのような洒落た物はあったがどうか・・・・・

ばばは、ハイビスカスの木の仲間か?下がり花の葉っぱを取って

石で叩いてヌルヌルになったのをシャンプー後の髪に塗りつけていた。

けっこう、ツルツルになったと記憶している。

 

また、頭におできが出来てかさぶたが出来た後は

「田んぼの土で髪を洗っておいで」と母に言われ田んぼ通いをしたこともある。

 

今は、田んぼもほとんど無くなった。

 

今、周囲には物があふれ、それでも「アレが欲しい、コレが欲しい」と

物欲旺盛なばばだ。

ばばの子ども時代、物は少なかったけど地域の「結い(助け合い)」の精神があり、

親子の愛情も密で、みんなの心が豊かだったような気がする。