ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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島民劇・北緯二十九度線

2009年12月26日 10時14分34秒 | 日常生活

12月25日(金)曇り時々小雨

今,PCの前に座っていても、しぜんに「♪太平洋の潮音(しおのと)は~~♪」

と口をついて出てくる「日本復帰の歌」。

「日本復帰の歌」の歌と言っても

「何?それ?」って言う人が多いと思う・・・・・・・

2時開場、2時30分開演。

じじと、ばば、そして姉で、初めての島民劇「北緯29度線」見てきました~。

 

観客、役者さんが「一つの大きな輪」になった約1時間40分。

笑いあり、涙あり、そして大きな感動をありがとう~~~。


思えば、今年初め頃からこの島民劇の噂は聞いていた。

裏方さんも含め、全く素人の総勢約170名の島民が見事な舞台を作り上げた。

福岡に本拠を置く?劇団道化の皆さんの指導の下、練習を繰り返し

最近はみんな帰宅が午前1時頃になることも多かったそうだ。

劇は群読あり、合唱あり、島の芸能あり、劇中ショーあり・・

と盛りだくさんで観客を飽きさせなかった。

今回、この島民劇に参加した方々にとっては

生涯忘れることのできない貴重な体験となることだろうな。


奄美諸島が米軍政下に置かれていたことは小さい頃両親から話も聞いていた。

しかし、米軍政下でも明るく逞しく生きた奄美の人々。。。。

昭和28年、12月24日アメリカからのクリスマスプレゼントとして

翌25日、奄美の日本復帰が実現したそうだ。

日本復帰の日、島民は手に手に日の丸の旗を持って打ち振りながら

提灯行列をしたそうだ。

ばばは、両親から話に聞いたことがあるが

じじは、提灯行列を微かに憶えているそうだ。

ばばは「日本復帰の歌」は憶えているし歌える。

きっと両親や兄姉が歌っているのを聞いて自然に憶えたのだろう・・・・

歌詞はとても難しいけれど、

今読めば当時の島民の固い決意と思いが分かるような気がする。


奄美の復帰運動は泉芳朗さんを抜きにしては語れない。

「自分はガンジーにはなれないが、奄美のために何か出来ることがあれば力を尽くしたい」と

いうセリフが今日の劇でも出てきた。

5日間の断食も決行した。

泉芳朗さんの熱意に打たれ島民99%の署名が集められ島民一丸となって勝ち取った日本復帰。

芳朗さんは昭和34年に54歳の若さで亡くなられたが

今日の会場には芳朗さんの弟さんもいらしていた。

芳朗さんがご存命なら現在の奄美群島をどう見るだろう?


芳朗さんの強い理念とリ-ダーシップ

そして私たちの先輩たちの強い思いがなければ

今のばばたちの生活はなかったかも知れない。

 

今回の島民劇は昼、夜2回公演だが、

どちらも各600席のチケットは早々に完売したと言うことで

昼の部でも会場は満員で、立ち見がでるほどだった。

今は、夜の部の公演が行われている時間だ。

又、満場の観客を感動の嵐が包んでいることだろう。。。


演劇の見事さもさることながら、今日のパンフレットに書かれた文言に感動したばば。

ここに書き記しておきたい。

時代を超えて、島の人たちに受け継がれるこの明るさと逞しさはどこから・・・。

島の歴史を尋ねると私たちが見えてくる!

あの戦争の後、私たちの島は日本から引き離され米軍政下に置かれました。

食べるものも着る物も不足し困り果てた暮らしの中で島の人たちは必死に働きながらも

決して明るさを失わず逞しく生きてきました。

昭和28年12月25日、ついに念願の日本復帰を果たしました。・・・後略

 

島「泉芳朗詩集より」

わたしは島を愛する
黒潮に洗い流された南太平洋のこの一点の島を
一点だから淋しい
淋しいけれど消え込んではならない
それは 創世の大昔そのままの根を かっちりと海底に張っている
しぶきをかけられても 北風にふきさらされても 雨あらしに打たれても
春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま
じっと荒波のただ中に突っ立っている
ある夜は 微かな灯台の波明かりに沈み
ある日は 底知れぬ青空をその上に張りつめ
時に思い余ってまっかな花や実を野山にいろどる
そして 人々は久しい哀れみの歴史の頁々に
かなしく美しい鯉や苦悩の歌を捧げて来た
わたしは この島を愛する

南太平洋の一点 北半球の一点
ああ そして世界史の この一点
わたしはこの一点を愛する
毅然と己の力いっぱいで黒潮に挑んでいる この島を
それは二十万の私 私たちの島
わたしはここに生きつがなくてはならない
人間の灯台をを探ねて


日本復帰の歌(作詞 久野 藤盛・作曲 静 忠義)

1 太平洋の潮音(しおのと)は
  我が同胞の血の叫び
  平和と自由をしたいつつ起てる民族二十万
  裂裂祈る大悲願


2 我らは日本民族の
  ホコリと歴史を高く持し
  信託統治反対の
  大スローガンの旗の下(もと)
  断固と示す鉄の意志

3 目指す世界の大理想
  民族自決独立の
  われらが使命つらぬきて
  奄美の幸と繁栄を
   断固護らん民の手に

4 二十余万の一念は
  諸島くまなく火と燃えて
  日本復帰貫徹の
  のろしとなりて天を焼く
  いざや団結死闘せん
  民族危機の秋(とき)ぞ今


勘違いですってば~~~

2009年12月23日 14時45分48秒 | Weblog

12月23日(水)晴れ

今日も穏やかな小春日和・・・・

お日様ポカポカい天気。気持ち良いなぁ~~~~。

 

ばばが通う病院で、毎日会う人がいる。

ばばは人様の年齢を判断するのが苦手なので、はっきりしたことは分からないが

40代くらいだとおぼしき男性。

ばばが初めて彼と会ったのは2月だったが

いつ頃から何の病気で入院しているのかは分からない。。

どこが具合が悪いのかは分からないが声を発するのを聞いたことが無く

吸入のようなこともしているので、もしかしたら喉の具合が悪いのかな?

と思っていた。

名前をAさんとしよう。

病院へ行く日は、病室で、食堂で、廊下で毎日必ず会った。

そして今は12月。

Aさんは、まだ同じ病室の同じベッドにいる。

Aさんと廊下などで直接顔が会う時は会釈をするようにしていたが。。。。。。

その彼が、最近ばばに手を振り笑顔を見せるようになった。


ことの発端は、こうだ。

ばばが少し前このブログに書いたYちゃんが、

入院しているお義母さんの介助に毎日通い、食事の時も介助している。

お義母さんは病院の食堂で毎日食事をしているのだが

その席は一番奥の方。

その少し前あたりでAさんは食事をしている。

ばばは、廊下を通る時必ず食堂の中を覗き

Yちゃんに手を振って「バイバイ」と挨拶する。

毎日Yちゃんに「バイバイ」の挨拶をしているうちに、

Aさんは、ばばが彼に手を振っていると思ったらしい。

無理はない。

だって、彼の背中側にYちゃん母子は座っているから彼からしてみれば

まさか、自分の後ろにいるYちゃんに、ばばが手を振っているとは思わなかったのだろう。

ばばの視線は常にYちゃんを見ているのだが、

AさんはばばがAさんを見ていると勘違いしてしまったらしい。

Aさんは、ばばがYちゃんに手を振ると、食事の手を休め満面の笑みを浮かべて

ばばに手を振るのだ。

その後、廊下ですれ違う時なども満面の笑みでばばを見て

エレベーターに乗り込もうと待っていると

しきりにエレベーターを指さして何か話しかけようとするようになった。

だから、ばばは少し怖くなり視線を合わせないようにして

階段から下りたりするようになった。


昨夕は、帰りかけたばばにYちゃんが背中から「ばばちゃ~~ん」と呼びかけた。

ばばが振り向くと、ばばの後ろにAさん、そのずっと後ろにYちゃんが立っていて

ばばにゼスチャーで共通の友人Tさんへの伝言をした。

ばばはその意味を了解したのでOKの合図に頭上で大きな○を作り

さらに、Yちゃんにバイバイと手を振った。

廊下でAさんを中に挟んでゼスチャーで会話したばばとYちゃん。

Aさんは、ばばがYちゃんに手を振っているのだと気付いてくれただろうか?


ばばは、病院を出てYちゃんと共通の友人宅に寄って伝言を伝えた。

しばらく世間話をしているとYちゃんも来た。

ばばが、Aさんのこと話すと、Yちゃんは

「Aさんはばばちゃんがいつも手を振るから、自分に好意を持っていると

勘違いしているみたいよ」と言った。


だからか・・・・・・

Aさんがばばに満面の笑顔を見せたり、

エレベーターの前まで来て、何か話しかけるようにゼスチャーをしたりするのは・・・・


勘違いされるような子としていたばばが悪いね。

気を付けなくては・・・・・・


以前、どこかの認知症のおじいちゃんの話し相手をしていたら

帰るばばを追いかけてエレベーターに乗り込み

下まで一緒に下りた時もビックリしたが、

長期入院している方や、家族がなかなか面会に来られない方々も中にはいて

きっと寂しい思いをしているんだろうね。

だから、会釈をしたり話し相手になったりしているうちに

身内のような気持ちになるのでしょうね~。


Aさんは声を発することが出来ないようなので

きっと満面の笑顔と「バイバイ」で「親しみの情」を表現したのだろう。


Aさんのこと、ちょっと怖いとか思ったばばだけど、

これからも自然に会釈をしようかな。。。。


奇跡は起こった!

2009年12月22日 17時32分08秒 | 自然のこと

12月22日(火)晴れ

久しぶりに穏やか~~な天気。

 

3,4日前にばばの知人から聞いた話。

知人の名前はSさん。

彼女は最近ボランティアでご近所の高齢の方のお宅を訪問し

おじいちゃんやおばあちゃんの話し相手をしたり

一緒に折り紙をしたり歌ったりして遊んでいるそうだ。

Sさんが通っているのは80代の高齢の夫婦のお宅。

ご主人は85歳、奥様は80歳。

ご主人は従業員十数名の事務所の社長さんだそうで

お宅も凄い豪邸で大きな車やバイクが数台置かれているそうだ。

この夫婦を去年?悲劇が襲った。

奥様が、ある日突然脳梗塞で倒れ、近くの病院へ運ばれた。

数週間入院治療をしたが改善は見られず

別の病院へ移って「ダメもと」で手術を受けることに。。。。。

そこで、ご主人は万が一の時のことを考え、

子供達を病院へ呼び寄せたそうだ。

奥様の病状は深刻で、手術をしても助かる見込みはほとんど無く

もし、助かったとしても脳死状態になる可能性が高いと

医師から説明があった。

それでも、家族は同意し手術は行われた。

結果は・・・・・・・・・・・・・

医師が告げたとおり、奥様は脳死状態になってしまった。

数ヶ月経っても症状は改善することもなかった。


ある日、ご主人と子供達が奥様の枕元に集まった時

ご主人が大きな声で「T子ぉ!!!~~~~~~」と

大声で叫んだんだって。

すると!今まで眠り続けていた奥様が急に目覚めたんですって。

家族の喜びはいかばかりだったことか。

それから数ヶ月リハビリを続けた奥様は退院できるまでに回復したそうだ。

家の中での移動は車椅子だそうだが、話すことも出来るし

少しの介助があれば家の中での生活はほとんど支障がないって。

週5日はご主人が奥様の世話をしているそうだが

週末の土・日、ご主人はゴルフでリフレッシュに出かけるそうだ。

だから、週末の2日、Sさんが暇な時はお宅へ通っているそうで・・・・・

 

姉は、奥様と遊びながら世間話などするそうだが

その中で「ご主人が呼びかけた時の声が聞こえたんでしょうか?」と

Sさんが聞くと奥様は「私は、いつも主人に怒鳴られ怒られてばかりいたので

きっと主人が呼んだ時、又怒られる!と思った瞬間、

シャキッとなって意識が戻ったんでしょうね」と笑いながら答えたそうだ。


それにしても、死の淵をさまよっている妻を現世へ呼び戻すなんて

素晴らしい夫婦愛ですね。


もし、あの時ご主人が大声で奥様の名前を呼ばなければ・・・・・・

まだ奥様は病院のベッドでコンコンと眠り続けていたかも知れない。

時々、臓器移植と脳死問題がテレビなどでも取り上げられるが

ばばはSさんの話を聞き、又色々考えさせられた。

 

そう言えば・・・・

ばばも30代の頃破傷風で2日間意識不明担った時不思議な体験をした。

延々と小さな花々が咲き乱れている草原のような場所を歩いていると

ばばの目の前に大きな川が現れた。

すると、顔ははっきりしないけれど4人の人?か何かがどこからともなく出てきて

ばばを四角の大きな布の中央に乗せた後

布の四隅を持って上に放り投げるような動作で布をあおった。

・・・と上を向いたまま上に放り投げられようとしているばばに向かって

高い高い場所から誰かが叫んだ。

「来るな!来るな!」と・・・・・

叫んでいるのは、ばばが小さい頃から我が子のようにかわいがってくれていた

親戚のおばさんだった。

おばさんの声を聞いて「はっ」とした瞬間、ばばの意識は戻ったらしい。

ばばにショックを与えないためにとカーテンを閉められ、

真っ暗な部屋にいたばばは、目が覚めた時枕元に

じじと父と姉の3人の姿を認めたが、その時ばばはどんな言葉を発したのか・・・・・

ばばの意識が戻った時、奇跡の生還と言われた。

診察ミスと、血清がすぐ入手できなかったことでばばが助かるのは

数%だとじじは医師から聞かされていたらしいから。。。

 

この生還でばばが優しい奥さんに生まれ変われたら良かったのにね、じじ。

逆にばばはますます横暴でわがままで、カカア天下を目指してまっしぐらに走り出したもんね。


じじは寝ていると思っても、ばばが話しかけると返事をする。

ばばが、いつブーブー怒ってってばかりいるので

じじの脳は寝ていてもばばの声に反応するのかな?

ちょっとは反省しているんだけどねぇ~~。

もう少し、じじに優しくしなければいけないなぁ・・・・

なんて、殊勝なこと書いても簡単には変われないなぁ~~ごめん!じじ。


12・21

2009年12月21日 22時12分26秒 | 家族のこと

12月21日(月)曇り時々小雨

今日は、次女みーちゃんの誕生日。

高校から親元を離れたので親と一緒に暮らした時間が一番短いね。


長女はなちゃんはテレビ番組のヒロインの名を、

みーちゃんは、ばば父の名前をひっくり返して

じじが命名したことは知っているよね。

とても良い名前だと思っていたんだけど

パッと見に男の子の名前と思われ、

病院とかでも呼び間違えられることも多かったね。

親が子供に命名する時、いろいろな願いを持って付けるけれど

みーちゃんの名前にはどんな願いが込められているか

考えたことあるかな????


思えば、みーちゃんは小さい頃からいろいろな試練にさらされてきた。

お姉ちゃんの面倒を見てくれる方がいなくて3ヶ月から海を隔てて

じいちゃんばあちゃんに預けていた、じじとばばは

今度こそ誰か世話そしてくれる方が見つかりますように。。。。と願っていた。

もしかしたら、姉ちゃんも一緒に世話してくれる方が・・・とね。

幸い、同僚の奥さん方がみーちゃんの世話をしてくれたけど

どなたも事情があり、数ヶ月で世話できなくなってしまって

一歳半までに4名もお世話して下さる方が変わったのよ。

物心つくかつかないかの時だったけど不憫でたまらなかった。

仕事を終えてじじが迎えに行くと、

それはもう何とも言えない満面の笑顔で飛びついてきたんだって。

普段は後追いもしなかったみーちゃんだったけど

具合が悪い日などは、やはりじじがみーちゃんを預けて仕事に向かうと

悲しそう~~な顔をするので、

後ろ髪引かれる思いで職場に向かったんだって。

「子供は宝」だった、加計呂麻島で

みーちゃんは集落中の方に、かわいがってもらったんだよ。

お散歩している時とかも小学生や中学生はじめ、集落中の方が

「みーちゃ~~ん」って声かけてくれてね。。。。。。

集落のアイドルのようにかわいがって下さった加計呂麻の方々

今はもう、大分ご高齢になられたけど

もう一度家族で行ってみたいね。

 

当時はね、オムツなども布製で川で洗っていたのよ。

休みの日など、オムツの洗濯に行くばばの前を

オムツで大きくふくらんだお尻を振り振り歩いたみーちゃんの姿が

今でも目に浮かぶよ。

ばばの洗濯が終わるまでジィっとそばで待っていて

帰りにはいつもお店にトコトコ入っていって

「キャンコ(アイスキャンデー)ちょうだい」ってねだり

アイスの入ったケースにしがみついて動かなかったみーちゃん。

今、自分でいつでも好きな時にアイスキャンデーが買えるようになった、みーちゃん、

きっと冷蔵庫にはアイスが常備されているのでは?

まだ充分生えそろってもいない小さな歯で「ガリッ、ガリッ」って

アイスをかみ砕いていたよ。


みーちゃんは、お父さんに一番かわいがってもらった分

厳しくも躾られたんだよね。

聞き分けが悪いと寒い夜でも外へ放り出されてね・・・・

1歳そこらで可愛そうだと、お隣の奥様がおっしゃったけど

みーちゃんが悪い時は、悪いと認めるまでじじは許してくれなかったんだよ。


だから、みーちゃんは1歳と数ヶ月の頃から自分が悪いと思ったら

「ごめんなさい。もうしませんから許して下さい」って言うようになったのよ。

自分の非を認めるって言うことは大人になっても大事だものね。


じじは、厳しいだけでなく、それはそれはみーちゃんをかわいがっていたんだよ。

オムツを替えるのも、お風呂に入れるのもいつもじじ。

どこへ行くのも、じじの自転車の前にみーちゃんを乗せて行っていたし、

歩いてお散歩の時はじじとばばが両方からみーちゃんと手をつないでね。

ある時なんか「ガクッ」か「クッ」か音がしたと思ったら

みーちゃんの肩の関節が外れてね、それを間髪入れずじじが

「クッ」と元に戻した時にはさすがばばもびっくりしたけどね。

 

早々、みーちゃん行方不明事件のことは

みーちゃんにも何回も話して聞かせたよね。

やはり1歳ちょっとの時だったけど、みーちゃんの寝相は凄かった。

あっちへコロコロ、こっちへコロコロ・・・・・

寝ていて部屋中転がり周り、ある日ついにカーテンで仕切られていた

板の間に転がっていって、「みーがいない!」って大騒動したもの。

今は、もう寝相は良くなったかなあ~~~。


1歳半まではじじとばばの愛情を一身に受けていたみーちゃん。

1歳半でお世話をしてくれる方の都合が悪くなり

姉ちゃんの住む徳之島へ連れて行ってじいちゃん、ばあちゃんに預けられ・・・・

先に預けられていた姉ちゃんと「じいちゃん、ばあちゃん争奪戦」を

繰り広げたって任務を終え島に帰ってからばばは聞いて、

二人が不憫・・・・・・

みーちゃんが小さい胸をどんなにか痛めたか・・・・・

 

全ては、結婚後も仕事を続けたばばのせいなんだけど・・・・

いっぱいいっぱい寂しい思いをさせたね。

任務を終え、徳之島の港に着いたじじとばばの胸に飛び込んできたみーちゃん。

逆に顔を背けじいちゃんの胸にしっかり顔を埋めて

じじとばばを見ようともしなかった、はなちゃん。

対照的な二人だったけど、やっと家族が一緒に暮らせるようになった時の嬉しさは

何物にも代え難かったなぁ・・・・

もう二度とこの子達と離れてはいけないと思ったし

ずぅっと一緒にいて守ってあげようと思ったよ。


そうは思いながらも力不足のばばだったけれど、

今は大都会で必死に頑張って自立した、みーちゃん。

そばにいない分、メールや電話で温かい気持ちを伝えてくれるけれど

やはり、近くで色々話したいね。

さっさと親離れした、みーちゃんに比べ、ばばはいつまでも子離れできないね。


外見や物の考え方が一番ばばと似ていると周囲から言われるみーちゃん。

ありがた迷惑かも知れないね。

でも、ばばの悪い所は反面教師にして

みーちゃんは、みーちゃんらしく凛とした生き方をして欲しい。


いつか、大人の女性として、みーちゃん、はな姉ちゃんや妹ピカちゃん、

そしてばばで語り明かしたいね。

仲間はずれにされたじじがちょっと可愛そうだけどね・・・・・


みーちゃん、誕生日おめでとう!!!


ア~ッハッハッハ、ア~ッハッハッハ

2009年12月20日 19時19分37秒 | 日常生活

12月20日(日)曇り時々小雨

ア~~~ッハッハッハッ、ア~~~ッハッハッハッ。

笑う笑う笑う・・・・・

周りから見たら確実に

(あの二人、ちょっと可笑しいんじゃない?)と思われるくらい

姉と二人で笑った。

ことの発端は・・・・・

年末になると、毎年スーパーの前などに「赤い羽根共同募金」を

募るためボランティアの方々が立つ。

素通りは出来ない。

今日は、あるスーパーに目玉商品を買うために行ったら

途中の通りにも、スーパーの入り口にも募金を呼びかける人たちが立っていた。

車から降りると買い物より先にまず募金箱へ・・・という雰囲気だったので

姉と二人も募金箱にお金を入れた。

代わりにポケットティッシュ一個と赤い羽根が渡された。

早速、赤い羽根を左の胸に付けて店内に入った。

買い物を済ませ、車に乗るまでも

「募金お願いしま~~~す」と右から、左から呼びかけられ

「ちゃんとしていますよ」と内心思いながら通った。


他のスーパーでも又買うのがあったので立ち寄ることにしたが

買い物客が多く、どの駐車場も満杯で駐車が出来ない。

仕方がないので、一旦姉をおろしてばばは他の駐車場を見つけに・・・・

200メートルくらい離れた駐車場が開いていたのでなんとか車を止め

姉の所へ戻った。

姉は、さっきおろした橋のたもとでばばを待っていたくれた。

(寒いから、中で待っててくれても良かったのに。ごめんね~)

と思いながら、スーパーの中に入ろうとすると

ここでもたくさんのボランティアの方が募金を呼びかけている。

姉が何かその人達に話していたが、ばばは胸にちゃんと羽根を付けているので

何とも思わず、すぅ~~と、店内に入った。

買い物を済ませ、外に出ると姉が

「さっき、あなたが車を停めに行った時橋のたもとで待っていたら

赤い羽根が折れて飛んで行っちゃった」って。。。。。

なるほど、よくよく見ると姉の赤い羽根は三分の二くらい切れている。

どうして切れたのか分からないが、切れて飛んだので姉は拾おうとしたそうだが

あまりに車の行き来が激しく拾うのを諦めたら

羽根は橋の下の川へ飛んでいったんだって。

風もけっこう強かったもんなぁ~~~。

だから、さっきスーパーの入り口でボランティアの人たちに

「さっき募金したけど、羽根が折れて飛んでいったの」

と説明していたんだって。

「どうして折れたんだろうね」などと言いながら、

ばばは自分の羽根はちゃんと付いていることを確かめて

強風の中ばばが車を止めた所まで歩いた。

「これから、外出する時はちゃんと赤い羽根付けて行かないと

何回も募金することになるね」と話しながら・・・・・

買った物を車に入れて、さて、運転席に乗り込もうとして

何気なく自分の上着の左胸を見たばば、びっくり~~~~。

だって、ついさっき数十秒前に確かめた左胸の赤い羽根が無い!!!

荷物を積んだ時車内の落ちたかな?と見る・・・・無い!

じゃ、運転席に乗ろうとした時落ちたかな?と見る・・・無い!!

姉は、ばばの車の下、隣の車の下まで覗き込んでいる。

風も強く、きっと遠くへ飛ばされたのだろう、羽根はどこにもなかった。

探すことを諦め、車に乗り込んだがばばと姉は可笑しくてしょうがない。

どちらからともなく笑いだし、なかなか笑いが止まらなかった。

姉の三分の二折れた羽根を笑ったばば。

しかし、自分の羽根は丸ごとどこかへ飛んでいってしまった。

それで文頭の、大笑いとなってしまったというわけ。


でもね、ばば、赤い羽根もらって胸に付けた時、思ったの。

赤い羽根って、羽根の根元に針が一本下向きに付いているけど

すぐ抜けちゃうのよね~。

だから、抜けにくくするためには

一旦付けてから針を上に曲げなければいけないの。

どうにか、簡単に抜けにくくする方法はないのかしら?


これから毎日大晦日まで町中あちこちに「赤い羽根募金」の人たちが立っているでしょ~。

毎回、募金をするのも・・・・・

又、毎日出かけるたびに羽根を付け替えるのもなぁ~~。

かと言って、赤い羽根を付けずにその人達の前を通ると

何だか後ろめたい気がするのは、ばばだけ????

 

ばば達が今日の出来事を話しながら笑っている所に母が来た。

母が姉の左胸の千切れた赤い羽根を見て「どうしたの?」と言うので

「かくかくしかじか・・・」と話すと

「私が買い物に行った時もね、あちこちに赤い羽根を持った人が立っていたので

ひとりにだけお金を渡したらいけないと思って5人くらいに渡したよ」と言うので

姉と二人は??????????。

「じゃ、お母さんは羽根を5本もらいましたか?」と聞くと

「いいえ」と言うのでまたまた姉と二人は大笑い。

 

先日の「罠を背負ったまま逃げたネズミの話」といい、

今日の赤い羽根募金の話といい、

母もよく笑わせてくれるねぇ~~~。

でも、「笑う門には福来たる」って言うし大いに笑いましょ。

めでたし、めでたし。


260円のつもりが・・・・

2009年12月19日 13時46分19秒 | 日常生活

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12月19日(土)曇り

昨日、友人3人でお出かけ?した。

公民館講座で一緒に学んだ友人のひとりが

ご主人の転勤で来週初めに都会の方へ引っ越していくことになったが

出発の日、ばば達は「ちょい減る教室」の最後の体力測定があり

見送りに行けないので、「きょう会ってきましょう」ということになったのだ。

待ち合わせ時刻は4時。

待ち合わせ場所は転勤していくNちゃん宅前。

ばばと姉は余裕を持って15分前に家を出た。

最近夕方の散歩をずっとさぼっているので、散歩を兼ねて歩いて行った。

 

待つことしばし。

Kちゃんが来て、Mちゃんも来た。

ばばと姉4人でマンション二階のNちゃん宅玄関へ。


エプロン姿のNちゃんが出てきた。

明日、荷物を積み出すということで最後の荷造りをがんばっていたらしい。

この忙しい時に・・・・とも思ったが

昨日Kちゃん、姉、ばばの3人で選んだショルダーバッグを直接渡し

見送りに行けないから声をかけてきましょう・・・と数分お邪魔することに。

バッグはKちゃんと姉とばばの3人で選んだので

昨日一緒に品定め出来なかったMちゃんにも見せてあげたいし・・・と


室内に案内された。

荷造りされたダンボールが数個あったがガラ~~~ンとして、

本当に引っ越していくんだなあと実感。


ばば達が選んだバッグの包みを渡して見てもらった。

バッグは本場大島紬で出来たショルダーバッグにもなり

ハンドバッグにもなるという兼用バッグだ。

地色が黒でおとなしめのラインが数本とその間に花が織り込まれている柄だ。

「いかにも紬、ツムギ」してなくて、

普段使いにもちょっとしたお出かけにも使えそうなのが気に入って

買いに行った3人が即決した物だ。

受け取ったNちゃんは、「あちらで、こんな素敵な大島紬のバッグ持っていたら

みんなビックリするでしょうね」と、とても気に入ってくれ

Mちゃんも「良いの選んだね」って言ってくれたので嬉しかった。


数分おしゃべりをする中でMちゃんが、こんなことを言った。

「隣のスーパーでね、この前こ~~んな大きなチョコレート買った」と。

そしてMちゃんが両手で示した大きさは優にA3版はあり、もしくはそれより大きめ。

食いしん坊ばばは内心、(いくらくらいだったの)と値段を聞きたかったが

黙っていたらKちゃんが「それは、製菓用のチョコレートじゃない?」と言った。

Nちゃんが「薄かったでしょう」と言うと

「そうねぇ、普通のより確かに薄かった。」と。

Kちゃんが「もう食べたの?」と聞くと

「まだ残っているよ。買って帰ったら主人が最初開けたんだけど

二人で少しずつ食べている」と。

誰からともなく「値段は?」と聞くと「260円!」と。

「えぇ~~~っ、それは安い。じゃ、帰りがけに買って帰らなくちゃ」と

Kちゃん、姉、ばば。

「スーパーのどの辺にあったの?」と確かめると

「左側入り口のレジの近く」と言う。

長居してはいけないのと、

半分スーパーへビッグチョコ買いにと心が飛んでいる3人。

Nちゃんに「お元気で。21日送りに行けなくてごめんなさいね。

又徳之島へ遊びにいらっしゃいね。」と声をかけ辞去した。

スーパーまで歩いて1分。

4人の足どりの軽いこと。

一斉に左側レジの横へ向かった。

あった!!!!

巨大チョコレートは確かにあった!!!

260円、260円、巨大チョコレート!!!!

今にも歌い出しそうな3人。

すっかり260円と決めてかかっている3人、改めて値段を見た。

うひゃ~~~!一桁違っている!!!!パニック!パニック!直後に大爆笑。

そして、スーパーの隅っこに行って思いっきり笑った。

ばば達を焚きつけた張本人Mちゃんは「あらっ、260円だと思ったのに。

私ったら、レシートしっかり見てなかったわ~~」で、またまた大笑い。

風船のように大きく大きくふくらんだ期待は一瞬の夢、又夢と消えた。


その後のばば達はお歳暮に送りたいと思ってもどんな味か分からず

送るのを躊躇していた「三京オレンジ」の試食用があったので試食した。

さわやかな甘みがあるが「甘いっ!」と言うほどではないと分かった。


オレンジの横にはKちゃんがパプリカと間違えていたのが

実は黄色と赤のトマトだったとわかり、

それもかの有名な「桃太郎トマトゴールド?」と書かれていたので

又心奪われた。

それも試食品があったので「桃太郎トマトならばばも食べられるかも・・」と

又試食。

立派な「おばたりあん」ですなぁ~。(懐かしい言葉だな~~)

でも、試食して美味しかったら次から常連になるから試食も大事よね。

黄色いトマトは美味しかったので(買おうかな?)と思ったが

冷蔵庫に大きなトマトが4個もあったのを思い出しやめた。

その代わり?キュウリやパンプキンシチューの素や牛乳を買ったら

けっこうな重さになった。

歩いてきたから仕方ない。

肩にかけて「エッチラ、オッチラ」10数分歩いた。


今日の買い物は正に喜劇だったなぁ~。

 

Nちゃんは21日に徳之島を離れる。

滞在3年。

たまたま公民館講座で同じ講座に参加し、

たまたま同じテーブルに座ったことが結んでくれた縁。

いつの間にか毎回同じテーブルに座るようになっていた今日のメンバー。

「講座も楽しかったけど、合間の会話が楽しかったねぇと」言ってくれたNちゃん。

今日集まったメンバーはプライベートでもミカン狩りに行ったり

よもぎ餅作りをしたり、会食をしたりと親睦を深めてきた。

「最初、徳之島に来たときは一体どうなっちゃうんだろうと思ったけど

本当に楽しかったわ。ありがとう!」と言ってくれたNちゃん。

二度と会うことはできないかも知れないけれど

文通やメールでずっ~とつないでいこうね、このご縁を。


うさぎ追いし かの山 、こぶな釣りし かの川

2009年12月18日 15時09分57秒 | 思い出

12月18日(金)曇り

ばばが子供だった頃と今の子供たち、遊びも大きく様変わりしている。

どちらが遊び上手だっただろう?

一概には言えないと思うが、ばばは自分の子供だった頃が

いろいろな遊びを工夫していたと思う。


今のように塾もないし、学校から帰ったら家の手伝いのない日は

集会場に誰からともなく集まり男女、学年の隔たり無く

大勢で楽しく遊んだものだ。

遊びと言っても「缶蹴り」「陣取り」「縄跳び」等が主だった。

特に「缶蹴り」はひとりが缶詰などの空き缶を力一杯蹴って

鬼になった子がその缶を拾ってきて元の場所に置く間に

他の子はあちこちに隠れる。

木の上、近くの家の裏や床下など、鬼に見つからないように知恵を絞って

隠れたものだ。

鬼を交代して日暮れまで遊び続けた。

集落中を走り回って、それはそれは楽しかった。


家の近くでの遊びの他に、一升瓶などの空き瓶を持って田んぼへ行き

鶏の餌にバッタを瓶のいっぱい捕まえてきたり、

浜へ行って打ち上げられて延々と続くアサリか蛤の貝を拾ってきたり・・・・

どちらも鶏の餌だった。

鶏が殻のフニャフニャした卵を産む時は

「カルシュウム不足」と言って貝殻を拾いに行った。

拾ってきた貝を石で細かく砕いて鶏にあげると

本当に固い殻の卵を産むので、月に数回かの貝殻拾いもばばの大事な遊び兼仕事だった。


川や田んぼへ行っては小エビやフナ、タニシ、川貝等を捕った。

ばばの大好きな歌「ふるさと」の歌詞に

「うさぎ 追いし かの山  こぶな 釣りし かの川~」という一節があるが

正にあの詞に詠われているような体験をしていたんだな~~。

山でうさぎを追いかけたことはないけれど。

徳之島にいるうさぎは天然記念物「アマミノクロウサギ」だろうね・・・・

最近はこの貴重なウサギが野良犬やハブ・マングースに食べられてしまったり

交通事故にあって死んだりすることが多いそうだ。


山と言ってもばばの記憶では果実や木の実を見つけるのを楽しみにしていたな~。

男の子はメジロなどを捕まえに言ったりしただろうけど。。。

ばばが山に行くのは、薪取りか、山の近くの畑に植えてあった

パイナップルや芋の収穫の時が多かった。

パイナップルや芋の収穫の他にばばは、野イチゴ・椎の実・ゲェーマ、キノコを

見つけて採るのが楽しみだったなぁ~~。


時は移り、時代も変わりばばが遊んだ満々と水をたたえていた川は

水流は細く細くなり昔の面影はなく・・・・・

又川へ続く道は薪を採る人もなくなり草や木の枝が生い茂り

足を踏み入れるのさえ怖くなっている。

山も木がどんどん切られはげ山が多くなり

大雨が降ると赤土を川に、海に流す。


「うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川」の風景は今いずこ・・・・・


んっ?何の匂い?

2009年12月17日 21時33分59秒 | 日常生活

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12月17日(木)曇り時々小雨

4日前の夜のことだ。

んっ?何の匂い?

家の中が・・・と言っても居間に行くととても良い匂いがする。

何の匂いだろう?

芳香剤を置いてあるわけでなし・・・・

匂いは以前嗅いだことのある匂いであることには間違いないが

何の匂いか分からない。

匂いの元は押入の中から漂ってくる。

クンクンクンクン、いくら鼻をうごめかしても

匂いの元へたどり着けないので明日もう一回調べることにして寝た。


翌朝、朝の仕事を終えてもう一度押入を開けた。

やはり昨日と同じ匂いはする。

広い押入でなし、隅から隅まで探索したって10分もかからないだろう。

(匂いの元を見つけるまでは他の仕事はしない!)と決めた。

あっち触り、こっち触りしているうちに、はっと気が付いた・・・

と言うより匂いが何の匂いかを思い出した。

柔軟剤の匂いだ!

匂いの元さえ分かれば、後は簡単。

柔軟剤や洗剤買い置き用の小さい箱二段。

その上の箱の中へ手を入れてみた。すると・・・・

指先に水色っぽい液体がグチョッとついた。

「わっ、大変じゃ~詰め替え用の柔軟剤が漏れている!」

ふと気が付いて箱の底を見ると、底も柔軟剤だらけ。

さらに、箱は不繊布と段ボールで出来た箱だったので

下の箱、さらにはその下の床まで柔軟剤が漏れて広がっている。

 

その前日、午前中に押入の中を全部引っ張り出し

整理したのだが、その時は何事もなかったのに・・・・・

箱の中に先の尖った物も無かったのに、どうして漏れたのだろう????


お~~っと、考えるより先にまず行動しなくちゃ。

箱二つを外へ運び出し中身を全部だし

底に穴の開いた柔軟剤は逆さにして箱に入れ

箱は風呂場へ持って行ってたわしでゴシゴシ洗い、外に干して

次に押入の床をイヤと言うほど何度も何度も拭いた。

20分ほどがんばって作業完了!

それでも何故か部屋の中は「フローラル ハ○ング」の匂いがプンプン。


じじのタンスの中の一部分だけが訳も分からぬ水分で濡れ

押入の中は柔軟剤で濡れ

何かと訳の分からぬことが起こるのはな~~~ぜ?


掃除から3日経ってやっと元に戻った居間。

めでたし、めでたし。


鴨はネギ背負って、○○は△△背負って・・・・

2009年12月16日 18時33分05秒 | 日常生活

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12月16日(水)曇り時々小雨

「鴨がネギ背負って」とは聞いたことがあるけれど

ネズミは何を背負うのかな?


母は時々面白いことを言って笑わせてくれるが

4,5日前は、こんなことをばばに話した。

 

母がお米を3カップほどビニル袋に入れてあったが

袋を食い破って何かが食べてあった・・・・

母は「犯人はネズミだ!」とすぐに思ったって。

それで、すぐに「ネズミぴったんこ」?とかいう

「ねずみ捕り用の罠」を買ってきてピーナツを餌にして仕掛けたそうな。

2,3日は何事もなかったが、さらに2,3日経った頃ある日

母が罠を仕掛けた場所を見ると罠が無くなっていたそうだ。

母が言うには「ネズミがかかったことは確か」と・・・・

さらに続けて「きっと、罠にかかったのでその罠を背負ったままどこかへ逃げたのでしょう」って。

こんなことって有り?????

半信半疑ながら、B5版くらいの罠を背負ったまま逃げたネズミの様子を想像しただけで

ばばは可笑しくて可笑しくて母の前で笑い転げてしまった。

 

それから数時間後、うちに遊びに来た姉にも話すと

姉もばばと同じように笑い転げた。

本当に罠を背負ったままネズミは逃げたのだろうか?

もし、逃げてあるのなら「ネズミよ、あっぱれ、あっぱれ~~~」


普段はネズミの姿を見ることはほとんど無いが

両親宅の裏は大きな溝があり生活排水なども流れている。

また、ばば宅や両親宅周辺は飲食店も多い。

畑もある。

だから、ネズミがいることは確か。

ばばの家も去年、今年と大騒動して捕り物劇があった。

一昨年の暮れは早朝網戸を閉め忘れた正面玄関脇から

ネズミが堂々と家の中に入ってくるのをばばが発見。

2,3日かかって捕らえたが、

今年も2回ほど網戸の無い裏口から入られたらしく大捕物劇があった。

ネズミって小さな穴から入るし、すばしこいし、階段上がっても入り込んでくるし

一旦入り込まれると捕らえるまで気が気じゃない。

まず、網戸までしっかり閉めることを習慣づけないといけないな~~~。


それにしても、「お母さん、あの罠背負ったネズミどこへ行ったのでしょうね~」

 


誕生日、おめでとう~~~

2009年12月15日 18時28分44秒 | 日常生活

12月15日(火)曇り

3日前、近所の軒下に網に入ったポンカンが積み上げられていた。

一袋買って味見したらけっこう甘かったので

ミカン好きの我が3姉妹や、普段お世話になっている知人の方に送ろうと思った。

事情を話すと、翌日ミカンを採って、翌々日(昨日)お店に置いておきますと言うことで

もらってきた。

大小混みだったので、大きさや色がきれいなのを選んで荷作った。


さて、今朝・・・・・

今まで郵便局に9時半頃まで持って行くと

その日の飛行機に乗せてくれ東京でも翌日には届いていた。

ところが、昨日郵便局に寄った時張り紙がしてあり

「14日から17日まではサーブ機の運行となるので

荷物はあまり積めず夕方の船便となります」と書かれていた。

そこで、8時40分頃、確かめるために電話をした。

「東京へ荷物を送りたいのですが、夕方の船便でしょうか?」と。

すると、「9時半頃まで持ってきて下されば今日の飛行機に乗せますよ」とのこと!!!

えぇ~~~っと思ったが、ラッキー。

なるべく早く届いた方がいいもの・・・

そこで、ばばは慌てて朝食を済ませ車に荷物を積んで郵便局へ走った。

窓口で、「配達希望日とか書いてないんですけど、一番早くていつ配達されますか?」と

聞くと、「今はサーブ機なので、荷物があまり積めず夕方の船に乗せます。

明後日か明々後日になるでしょうね」とのこと。

「つい先ほど電話で聞いた時は今日の飛行機の載せられますというので

慌てて持ってきたんですけど」と言っても

「船便になります」とのこと。

ばばは大分腹が立ったけれどぐっと我慢して帰ってきた。

朝令暮改と聞いたことはあるけれど、つい数分前のことでしょう。

信じられな~~~い。。。


でも、カッカ怒っても仕方ないね。

このミカンは長女はなちゃんの誕生祝いを兼ねての贈り物だから

怒って送ってもねぇ。。。。

 

今日は長女はなちゃんの何十何回目の誕生日。

はなちゃ~~ん、誕生日おめでとう!

ミカン星人のばばに負けず劣らずミカン好きのはなちゃん、

小さい頃はばばの実家の喜界ミカンをい~~~っぱい食べたよね。

市販のミカンも箱単位で買って食べたよね~~。

高校生の頃は体が黄色くなって「黄疸じゃないの?」って

友達から言われたって「伝説」の持ち主。

電話で「お母さん、ミカンだけは送る?って聞かなくても

ジャンジャン送って良いからね」と言うはなちゃん。

早く島のミカンを送ってあげたかったけれど

やっと今年の島のミカンが店頭に並び始め誕生日前後に送れて良かった~。

数日遅れの誕生日プレゼント受け取ってね~~。

2,3日うちには届くからね~。


今、7歳と3歳の子育て真っ最中のはなちゃん

試行錯誤の毎日でしょうね。

我が子を信じ、励まし共に成長していってね。

ばばは、仕事中心で子育てはじいちゃん、ばあちゃん、じじに任せっきりだったけど。。。。


最近、長男シュンちゃんがお父さんと一緒にジョギングを始めて

毎朝走っていると聞いて、じじがはなちゃん達が小さい頃していたことと

同じことしているねって喜んでいるよ。

じじは、たまには体調不良を訴え走るのを嫌がるはなちゃんたちを

「走れば治る!」の一言の下、7、8年あなた達と一緒に早朝ジョギング続けたよね。

シュンちゃんは走るのを嫌がってはいないようだね。

はなちゃんもジョギングするって聞いた時はびっくりしたけど

ばばも数十年前急に走りたくなって、休みの日の昼下がり北区入り口へ向かって走ったことがあったよ。

結局、継続はできなかったけど、今考えてみたら

真っ昼間、中年女性が(島では大通り?を)走っていたら道行く人やドライバーは

さぞかしびっくりしただろうね。


ばばは女の子を3人育てたけど、はなちゃんは男の子二人。

じじは3姉妹とばばに囲まれ、はなちゃんは男の子二人と旦那様に囲まれ・・・・

幸せですかぁ~~~

幸せに決まっているよね。

優しい旦那様と御両親に恵まれて、妹二人も近くにいて本当に良かったね。


いつもはなちゃんの誕生日になると、ばばの仕事の関係で、

はなちゃんを生後3ヶ月で海を隔てて生活するじじ両親に預けたことや

その後数年幼かったはなちゃんに「親」と認めてもらえず悲しかったことなど思い出して

(これからが子供達へ恩返し?)といつも思っているよ。

何が出来るか分からないけれど、はなちゃんがじじ&ばばを必要とする時は

いつでも受け止められるように両手を広げているよ。


はなちゃんが小さい頃は寂しい思いをたくさんさせたけれど、

思えば進学・就職・結婚とスムーズにこれた、これまでのはなちゃんの人生。

関わった周りの多くの方達の支えがあってこそのことだよね。

だから、はなちゃんも周囲の方々への感謝の気持ちをいつも持ち続けて欲しい。


毎年言うけれどはなちゃんをお嫁さんに選んでくれたタケちゃんや

その御両親を敬愛し、そして巡り会えた自分の可愛い子供達へ

惜しみなく愛情を注いであげてね。


以前から何回か言っているよね、「ばば達と幸せ競争しようね」って。

じじとばばは結婚以来40年近くなるけれど

年に数回は「二人結婚できて良かったね。幸せだね」って

どちらかが言っているよ。

ばばは最近女房関白になってきて、ちょっとじじが可愛そう・・・・

・・・・でも本当に幸せだよ~~じじとばば。

はなちゃんは女房関白になるには、まだ百年早いね。

・・・って、家庭に関白がいた方が良いのかなあ?


はなちゃん達が折ある毎に「お父さんとお母さんの子どもで良かった」って

じじとばばを泣かせるようなこと言ってくれるよね。

じじ&ばばもはなちゃんに負けないくらい

「はなちゃん、じじとばばの子に生まれてきてくれてありがとう!」って

いう言葉を贈るね~~~。


年に一回の誕生日。

「タケちゃん、私をお嫁さんに選んでくれてありがとう!」

「お義父さん、お義母さんの娘にして下さってありがとう!」

「シュンちゃん・リョウちゃん私の子供に生まれてきてくれてありがとう!」

という気持ちを再確認する日にもしてね。

人生の基盤は家庭だと思うから。。。


じじとばば、徳之島から大声で叫ぶね。

届くかなぁ~~。

「だぁいすきな はなちゃん、誕生日おめでとう!」