ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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43年前の絵と文、他

2015年03月22日 16時06分47秒 | 思い出
「ばばの日記」

3月22日(日)晴れ

朝から始めた洗濯。

今6回目。

これが最後・・・あと20分ほどで終わる。

1回目の洗濯、始めたのが8時過ぎ。

6回目の洗濯、終わるのは、お昼の3時。

何と、1日で6回の洗濯。

かかった時間約7時間。

ばばの人生で、最多・最長の洗濯回数と時間。

じじとばば、ふたり暮らしなのに何でそんなに洗濯?



敷き毛布や掛け毛布、敷き布団カバーに掛け布団カバー、

枕カバー、敷きパッド等々・・・・

毛布は1回で1枚しか洗えないので、時間がかかる、かかる。

昨日とうって変わって、今日はに中通して

ほぼ快晴との天気予報だったから、思い切って全て洗うことに。

敷き布団や羽毛布団は2階の窓を開けて干した。

洗濯をしながら、自宅2階の片付けもしましょ。



もう、ほぼ片付けも終わってはいるが

細々したところが少し残っているのでね。

廊下に掃除機をかけ、玄関先を掃き

靴箱を動かして、三和土や廊下、全て雑巾がけをしましょ。

頑張って、頑張って、一段落してお昼ご飯に下りたら

ポストに不在票が入っていた。

配達に来て下さったのに・・・すぐ隣の2階に居て

気づかなくてごめんなさい。

すぐに電話をして、再配達をお願いしたら

2時から5時までの間に配達しますとのこと。

2度手間かけて、本当にごめんなさい。



昼は、2時までに作業を片付けて、郵便屋さんを待っていましょ。

お昼を済ませ、2階で片付けをしていたら

懐かしい物が出て来た。

昭和47年3月15日の日付が入っている文集。

ばばが勤め始めて3年目の子ども達の文集だ。

当時1年生の子ども達の手書き作文が1冊の文集にまとめられている。

ばばが作ったことには間違いないが、

原稿用紙の代わりに、わざわざマス目を作った手作りの作文用紙。

それも、上白紙では無く、ザラ紙と言っていた薄茶色の粗悪な紙。

表紙には何故か竹と不細工なタケノコと 、笑った男の子、怒った男の子

泣いている女の子のイラスト。

これもばばの手書きだ。

文集の名前は「たけのこ」。

それにしても、文字やイラストの幼稚なこと。

恥ずかしい!!!!!
文集


表紙をめくると、子ども達の可愛らしい作文が。

例えば、ある女の子は

「わたしは きのう おかあさんと 川へ木をきりにいきました。

がくげいかいで つかうのです。おかあさんは かまで六本も

きってくれました。おかあさん どうも ありがとう。

げきを 見にきてね。」と書いている。

ある男の子は

「ぼくたちは えんそくで かなみの とうだいへ いきました。

たこもとりました。小さいので すてました。かわいそうでした。

おかしを たべました。

大きな さかが ありました。

人が たくさん すべっていました。ぼくも すべりました。

おひるになったので べんとうを たべました。

おかあさんが つくってくれたべんとうは とても おいしかったです。

おかしも たくさんたべました。」と書いている。

表表紙の裏には、ばばも「竹」という短文を書いてある。

その文は

私は竹が好きだ。

青空にスックとそびえる若竹が好きだ。



冬・・・

雪が降る。

真綿のような粉雪が舞う

積もる・・・積もる・・・積もる、雪



若竹の上に

雪が積もる。

重い・・重い雪

冷たい冷たい雪

耐える・・・若竹は耐える

重さを、冷たさを





谷川のせせらぎと共に

天を突く竹

苦難を耐えて伸びる竹



そんな竹が私は大好きだ



これ、20代前半のばばの詩?

まさか、どこかから盗用したんじゃないだろうね。

自分で作ったという、記憶も無い。

小学1年生の文集に、こんな文を書くなんて・・・・・



子ども達ひとりひとりの作文を読んでいくと

1年生当時の顔がひとりひとり浮かぶ。

もう、50才を超えているかなぁ・・・この子達。

会ってみたいなぁ・・・

この文集を持っている子が、まだいるかなぁ。



文集を止めていたホッチキスの針も

時間が経ち過ぎて錆びてしまい、

子ども達の作品も上3枚は外れてしまっている。

大事な宝物、見つけたなぁ。

きちんと製本して、これからも大事にしまっておこう。


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「どんぐり役はイヤだ~~」って

2014年11月14日 18時47分53秒 | 思い出
11月14日(金)晴れ

明日が15日でお墓参りに行く予定だったけどだけど、

天気も良いので、今日行ってきた。

行く途中、今日も自衛隊が先日と別の訓練をするという連絡が入ったので

総合グラウンドへ寄ってから行くことに・・・

既にヘリコプターが着陸していて訓練は始まっていた。

一昨日の訓練は物資輸送訓練で

今日は、医療班の訓練らしかった。

担架らしき物とかも後尾に置かれていた。

今日は、お墓参りが第一目的だったので

訓練は途中まで見てそのままお墓へ。

墓参りの後は、実家の庭に除草剤を撒いて

お昼ギリギリに帰って来た。

明日も、自衛隊の別の訓練があるというので

覗いて見たいし、他にも行きたい場所もあるので

忙しい1日になりそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、ドングリのことを書いたけど

ドングリを見ると思い出す友達がいる。

同じ集落の、Kちゃん。

ばばが幼稚園生の時、

参観日のような行事があって、

全員で「どんぐりころころ」を踊ることになった。

普段から練習もしていたと思うけど、

いざ参観が始まってから、事件?は起きた。

「どんぐりころころ どんぶりこ・・・」

レコードがかかり、遊戯が始まった。

最初は、全員で輪になって、一人ずつ踊っていたが

「ドジョウが出て来てこんにちは」という歌詞のところから、

「ぼっちゃんいっしょに  遊びましょう」という最後まで

2人組でどんぐりとドジョウに別れて踊った。

ばばは、Kちゃんと組んで、首をかしげたりして可愛く?踊った。

さぁ~、いよいよ事件が起きますよ~

2番が始まった。

「どんぐりころころ喜んで しばらく一緒に遊んだが

やっぱりお山が恋しいと・・・・・」ここまでは、一生懸命踊ったよ~

ところが、最後の最後「泣いてはドジョウ 困らせた」

というところで、どんぐり役はしゃがんで泣く真似をし、

ドジョウ役は立ったままで、どんぐり役の子の頭を

撫で撫でするのだが、ばばも、Kちゃんも

泣く真似をするのはイヤだと・・・・・

結局、二人とも最後まで突っ立ったままで曲は終わってしまった。

見ていた他の子のお母さん達は、大きな拍手をしていた・・・と思う。

Kちゃんのお母さんと、ばばの母が、どんな表情をし

どんな行動をしたか覚えていない。

ばばの母はとても厳しかったので、

その場では叱らなかったにしても、家に帰ってから

もの凄く怒ったと思うが、それも覚えていない。

ただ、全員が楽しく、可愛く踊る中で

「あなた座りなさいよ!」

「あなたが座りなさいよ!」と

お互い譲らず、突っ立ったままで終わってしまったKちゃんとばば。

あの時、本当は誰が「どんぐり役」だったのだろう?

ばばだったのかなぁ・・・・

数十年経ってからも、ずっとあの時のことが忘れられない。

Kちゃんは、現在鹿児島在住。

中学校卒業以来、会ったことは無い。

どんぐりの時期になって、どんぐりを見ると

必ず思い出す・・・・・

Kちゃんと踊った「どんぐり ころころ」の遊戯のことを。。。。。。。



Kちゃんとは、もう一つ忘れられない思い出があるが

それは、又明日でも。
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かつて、ばばはワイルドだったぜぇ~

2012年11月10日 13時08分02秒 | 思い出

11月10日(土)小雨後曇り

朝、宅配便でクール便の荷物が届いた。

中身は????ヒ・ミ・ツ!

小さな平べったい箱が4個入っているんだけど、

その品物が入っていた箱が品物の3倍くらいの大きさ。

入れ物に対して品物が小さいので、当然隙間が出来る。

その隙間を埋める為に、綺麗なラベンダー色の

和紙?が入っていた。

その長さたるや、優に7メートル。

幅も60センチくらいあった。

取り出してはみたものの、隙間を埋める為に入れてあったので

しわくちゃになっている。

「あぁ~勿体ない!勿体ない!」と思うばば。

何かに使えないかとも考えたが、良い案が浮かばない。

綺麗に折りたたんで、押し入れにしまおうかと思った。

・・・が、止めた。

(いつか使うだろう・・・)と、色々な品物をしまい込んでも

その(いつか)は来ないと夕べ呼んだ本に書いてあったからだ。

 

これまでも(いつか使うだろう)と思っては、

押し入れにしまったままの物が押し入れの四分の一くらい占めている。

使いもしない物に場所を提供し、掃除がしづらくなる・・・・悪循環。

断ち切らなくちゃ!と思っていたところだったから

思いっきり良く、クッション材にもなっていた綺麗な紙をゴミ箱に入れた。

 

ばばは、退職してからネットで買い物をすることを覚えたが

送られてくる品物に対して、入れ物がやけに大きいことが良くある。

空き箱はゴミになる確率が高いから、勿体ない、勿体ない。

 

ばばが、もう少し器用だったら

空き箱や包装紙を上手く活用できるだろうけれど・・・・・

 

ばばはね、不器用人間だけどチャレンジ精神は旺盛だったと思うよ。

これまでもブログに書いたことがあるが、

ばばの小さい頃は学用品も高級品だったから

消しゴム等も、大事に大事に使っていたよ。

ある日、誰かが消しゴムは手作りできる・・・と言い

その作り方を教えてくれた。

今のばばだったら絶対信じないけれど、当時は純真だったから・・・・

消しゴムの作り方は、枯れていないススキの穂を小さくカットして

そのカットしたススキの穂に、ガジュマルの樹液を付けて固めるというもの。

ススキなんて何処にでもあったから、すぐに採って来て、カットし

ギュッと丸めてお隣ご近所のガジュマルの木の幹を石で叩いて

樹液が出るとススキを押し付けて・・・・と言う作業を?

延々と約半日続けたよ。

お隣ご近所回らなくても、自分の家に集落でも1.2番の大きなガジュマルがあったのに

何で、集落中走り回ったのだろう?

今にして思えば不思議で自分でも理解できないけれど、

当時は真剣だったよ。

 

よそ様のガジュマルの幹を無断で傷つけ、半日の手間暇をかけ

完成した消しゴムは????

完成した記憶が無い!

今考えれば当然だと思うけど、そんなに粘着性があるわけでも無い

ガジュマルの樹液でまだ青いススキの穂を固めようというのが

そもそも可笑しいよね。

 

あっ、そうそう、消しゴム作りに失敗した後は

よそ様の竹垣から竹を折って作った自家製編み針で

編み物にもチャレンジしたよ。

編み物なんか誰からも習ったこともないのに・・・・・

当時、毛糸等買うことは出来なかったけど・・・・・

一体何で、何を編もうとしたんだろう?

 

高校生になってもばばの暴走はおさまらず・・・・・・・

靴下カバーなる物が流行っていたので、買うより自分で作ろうと

セーターの袖を切って作ってみた。

靴下で型を取ってね。

まぁ、履けたけど、やはり人前に履けるような物は出来るはずも無く・・・・

袖2つ切られた自分のセーターを見ながら後悔したよ。

 

あと、ひとつ。

ばばが小学生の頃は油粘土など無かった。

だから、図工で粘土を使う時は、山の近くの畑に行って

粘土層の地層を見つけて削り取ってくるか、川に潜って

川底の粘土の塊のある場所から削り取るしか無かった。

ワイルドだったなぁ~、今考えれば。

 

ばばが小学生の頃のように好奇心旺盛で

行動力があれば、色々な物が作り出せそうな気もするけど・・・・

不器用さは直っていないから、まっ、無理かぁ~~。

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ブーチ川

2012年11月09日 13時53分23秒 | 思い出

11月9日(金)曇り後小雨

最近の天気予報って当たるねぇ。

週末は天気が崩れるって言っていたけど、

本当に昼前から小雨がちらつきだしたよ。

シーツやタオル等、洗濯して外に干したと思ったら

チラチラ・・・・・

天気予報を信じて、室内に干せば良かったと反省しつつ

取り込んで部屋干しに。

 

洗濯をする時、ふと思い出すことがある。

ばばが子供だった頃の洗濯のことなど・・・・

 

当時は水道が無くて、洗濯は背負いカゴで背負って

川へ行って洗っていたよ。

大きな岩の上でゴシゴシ洗って、両手で思いっきり絞って

ざっと畳んでカゴに入れて家に帰り、竿に干していた。

竿と言っても今のようなステンレス製などは無く、

父が山から切って来た太くて長い竹の竿だった。

洗濯ばさみなども無かったと思う。

上着やズボンは竿に通して干していた。

 

ばばの家は川とは真逆の位置関係にあったので

洗濯に行く時は集落の東の外れから西の外れまで歩いていたけど

途中に大きなデイゴの木があってね、花が満開の時期は

真っ赤な花の向こうに川と田んぼと畑があって

遙か向こうの山に夕日が沈んでいくのを見るのが好きだった。

と言っても、夕方、洗濯には行かなかったから

きっと農作業帰りなどに見ていたんだろうね、夕日は。

 

洗った洗濯物を背負って坂道を上るんだけど

家に着く頃には背中が濡れていることが良くあったよ。

子供の力では、洗った物の水分が

しっかり絞り切られていなかったんだね。

 

家族の洗濯物を川で洗ってくるんだけど、

怠け者のばばでも洗濯をイヤだと思ったことはなかった。

何故かと言うと、川では洗濯が終わると川魚やカニを追いかけたり

堤防から川へ飛び込んだり、楽しいことがいっぱいあったからね。

少しくらい遊んで帰っても、叱られることも無かったし。

 

ばばがひとりでも洗濯に行ける川は大通りの近くで

近くに民家もあって全然恐いとか思わなかったけれど

もう1カ所、通称ブーチゴー(ブーチー川)と呼ばれていた川には

いくら横着者のばばもひとりでは行けなかったよ。

川に着くまでの道が恐くて・・・・・

木の枝がうっそうと生い茂る細い道を下っていくんだけど

真っ昼間でも薄暗くて恐かったし、母と一緒でも恐かった。

母と一緒にこの川へ行っていたが、今にして考えると

母も、この川へひとりで行くのが恐くて

ばばを連れて行っていたのかも知れないと思ったりすることもある。

 

この川へ行く途中では、ばばが畑の縁から転がり落ちて

偶然にも幹の曲がったソテツの木に引っかかったこともあった。

母の後ろについて歩いていたばばの気配も無いのに気づいた母が

ビックリして引き返してみると、途中の畑の縁の真ん中辺りで

ばばがソテツの幹に引っかかっていたというわけ。

 

この日は、ばばは「転がり落ちる運命の日」だったらしく、

川に着いて、母が洗濯している傍らの大きな岩の上で

ばばはひとりで遊んでいた。

いつの間にかウツラウツラ居眠りをしていて

気がついたら、川の中に落ちていた。

母はビックリしただろうけど、慌てず騒がず。

ばばの洋服を全部脱がせ、ギュ~~~ッと絞って

ばばに着せた。

 

今でも、つい先日のことのように鮮やかに思い出せる。

 

でも・・・・このブーチ川、今も行く人がいるのだろうか?

ばばが子供の頃は、川の近くの山からは木を切り出したりしていたし

川向こうの田んぼではお米も作られ、イ草栽培もされていて

イ草は畳表の原料になっていた。

イ草は需要が無くなったし、お米を作る人もいないし

木を切り出す人もいなくなった今、ブーチ川はどうなっているのだろう?

川へ続く道は、今でも人が通れるのだろうか?

 

集落の方とでも一緒に行く機会があれば、

是非行ってみたい場所である、ブーチ川。

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サイレン台・通学路

2012年04月23日 14時36分26秒 | 思い出

4月23日(月)晴れ

ばばが子供の頃・・・早朝6時(5時だったかなぁ?)・正午・

夕方5時に校区3集落にサイレンが鳴り響いた。

ばばにとって早朝は目覚まし・正午は昼食・夕方は帰宅時刻の目安だった。

今も1日3回、あのサイレンは鳴り響いているだろうか?

 

今住んでいる地域でも、10数年前まではサイレンが鳴っていた。

しかし、最近ではばばがサイレンの音を意識することはほとんど無くなった。

昨日会ったある人に聞いてみると、

「朝と昼は鳴らないけど、夕方5時には鳴るよ・・・」って。

そうかぁ・・・たまぁに聞くことはあるけど、

ほとんど、ばばはサイレンの音を聞いていないだけなんだね。

 

サイレンが鳴っていた頃は、サイレンの音が

「ウゥ~~~ゥゥゥゥゥ~~~~」鳴りだして

鳴り止むまで、だいたい数十秒から1分近くは鳴ったと思うが、

最近では、たまにばばがサイレンの音に気づく時

ほんの10秒足らずで消えてしまう。

これは、サイレンが鳴らなくなった発端ともなった

ある事件が関係しているらしい。

 

ばばが子供の頃、どの家にも時計があるという時代ではなかった。

今はどの家にも時計があり、外出時は腕時計をし

腕時計はなくても携帯があれば時間が分かる時代だから

サイレンは必要ないね。

 

子供の頃は実家集落の近くにサイレン台があって

定時に大きな音で鳴り響いていたが

「どうして?あのサイレンを鳴らしているんだろう?」と思ったことは何回もあった。

大分経ってから思うに、定時になれば音が鳴るように

きっとセットされているんだろうなと思うようになった。

・・・が実際は分からない。

もしかしたら?役場でサイレンを鳴らす担当者がいた?

まさかねぇ・・・・

 

このサイレン台は、

通学路途中の畑道を上がって行った場所にあったと記憶している。

1回だけ、家に帰る途中、友達数名とサイレン台の近くまで行ったことがあった。

細長い角形の鉄柱のような物があったと記憶している。

 

4月初旬、ある方のホームページに

ボランティアで、このサイレン台周辺の雑草刈り払いをして下さった

ふたりの方が紹介されていた。

ばばも知っている方だったので、後日電話をする機会があり

その中でサイレン台のことを聞いてみた。

当時は通学路途中から行けたのだが、今はある方の家の近くから行く

1ルートしかないそうだ。

ばばが子供の頃通った道は雑草が生い茂り、

今は人間が通ることも出来なくなっているんだって。

 

今は、通学路とか決まっていてそのルートを登下校するだろうが

ばばの子供の頃は決まった「通学路」はなかった。

朝はとにかく最短距離を通っていくけれど

帰りは彼方此方回り道をして帰っていた。

何故回り道をしたかと言うと・・・・

以前にも書いたけど、男子が待ち伏せをしていて、ばば達をいじめるので

いかに男子に見つからず家に帰るかがばば達女子の最大課題であった。

来る日も、来る日も頭を寄せ合って相談し、

男子に遭遇しないであろうルートを通るようにしていたが

それでも、たまに男子と女子の思惑が一致し、

男子にいじめられて、泣きながら帰ったこともある。

ばばは、いじめられて泣いた記憶は無いけど

男子がワッと目の前に現れただけでSちゃんは泣き出し

ばば達はいつもSちゃんをなだめながら必死で逃げ回っていたのだ。

今、男子同級生と会っても、そんなこと覚えている人はいない。

でも、いじめられたばば達は何十年経っても忘れられない。

怖かったけど、今思えば微笑ましい思い出。

男子だって本当に女子に暴力をふるって

怪我をさせようなんて思ってはいなかったと思う。

「畑に押し転がすぞ~」と言われたり

たまに赤土の塊を投げて女子が怖がり、逃げるのが面白かったんだろうね。

当時は、ただ怖くて逃げることしか考えなかったけど・・・・

家に帰って、両親に男子が意地悪することを言いつけても

別に親が男子宅に怒鳴り込んでいくこともなく、

子供同士のことに、ほとんど親は口出ししなかったからね。。。。

そして、ばば達は逞しく育ってきたんだなぁ・・・

 

「サイレン台」と言うと、小学生時代の登下校時のことがすぐ思い出される。

晴れた日・大雨の日・風の日、

それぞれにいろいろな遊びを見つけながら通った通学道。

懐かしいなぁ。

いろいろな懐かしい風景が消えつつある故郷だけど

出来れば残して欲しいと思う風景がいくつもある。

明日は「墓地礼拝所」のこと書くね~。

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1日遅れだけど・・・・

2011年12月22日 22時08分12秒 | 思い出

12月22日(木)曇り時々小雨

昨日は、次女みーさんの誕生日だった。

普通、水曜日は休みなのでつながるかな?と電話したけど留守電。

今週は金曜日が休みなので出社だったということで、

つながったのが夜8時過ぎ。

三女さんと二人で祝杯?いや、ディナー中だった。

「お誕生日おめでとう~」とじじとばばが交互に話した。

 

「○○年前の夜7時過ぎ頃、みーさんは誕生したんだよなぁ・・・」

今、大都会で頑張っている姿を思い、感慨深いものがあった。

外見も内面もばばと一番似ていると家族からは言われるけれど・・・

そうかなぁ?

おっちょこちょいな性格はばばと似て、

理系なところは、じじと似ていると、ばばは密かに思っている。

 

みーさんの誕生で一番印象的だったのは「名前」。

長女は当時の連続ドラマのヒロインの名前が良いと

じじとその仲間で決定。

次女の名前は・・・・じじは、じじが決めたと言い

ばばは自分が考えたと思っているが、

今では、じじが考えたことにしている。

ばばの父の名前をそのままもらって付けた。

・・・と言っても、父はもちろんで男なんだけど、

その名前をひっくり返すと女性の名前になるんだ~。

名付けた後、父はとても喜んでくれたし、

ばばもとても良い名前だと思っている。

 

みーさんは中学までしか徳之島にいなかったので、

共に生活した時間は15年間・・・

いや、1年半はじじとばばが加計呂麻で生活していたので

1年半はじじ両親が育ててくれたんだよね。

だから、正確には約13年。

 

いつの間にか子供は成長し、親元を去り、

お互い離れてみて、いっそう愛おしさが募る。

もっと、もっといろいろなことを話したり、聞いたり、

教えたりしておけば良かったと思うけど、

いつの間にか子供は親を超え、独り立ちしていく。

寂しい反面、嬉しくもある。

女の子は、母親の相談相手にもなってくれるし

同姓だと言うことで、何でも話せる。

娘達の生き方に干渉はしたくないけれど、

親として子供がいくつになっても遠くから見守っていたいと思う。

そして、もし子供達がSOSを発する時はできる限りのことをしてあげたいと思う。

 

今では、娘達が帰省するたびにじじとばばが

いろいろ教えられることが多い。

「老いては子に従え」っていう諺もあるけれど

自分の「老い」を認めたくは無いけれど

これからは、娘達の言うことにも素直に耳を傾けなくちゃ・・・と思う。

 

・・・と言いつつ、「お母さんは、絶対謝らないよね」と言われるばばだから、

どこまでも我を通す「頑固ばあさん」になるかもしれないなぁ。

 

親から見ても、みーさんは頑張りすぎるような気がする。

だから、もう少し肩の力を抜いてほしいな。

小さい子供じゃないし、親から色々言う年齢でもないけれど、

とにかく健康に留意し、日々過ごして欲しい。

1日遅れになってしまったけれど、

「誕生日おめでとう~」

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風邪出て行け~~~

2011年01月10日 21時26分32秒 | 思い出
1月10日(月)曇

家の前で町の下水道敷設工事が始まった。

ちょっとうるさくて、いつも聴くラジオも聞き取りにくい。

しかたないね、しばらくの辛抱辛抱。

今日は成人式だけど。いつの頃からか島では1月5日に成人式を行うようになった。

この方が、お正月で、新成人も帰省する子が多いんだろうね。

1月10日ともなると、都会で働いている子や、学生さんが参加できないからでしょうね。

ばばの娘達が成人の頃は、真夜中から美容室へ着付けに行ったりしていたが、

最近は成人式の前に写真など写しておく子が多いそうだ。

その分、美容室の方も余裕を持って着付けや髪の毛のセットなどできるんだって。


成人式と言えば、ばばは鹿児島にいた。

当時は1月15日が成人式だったが、ばばは成人式に参加していない。

鹿児島の学生寮で暮らしていたが、徳之島や奄美市の(当時は名瀬市)高校から来ていた友達には

成人式の招待状が届いた。

ところが、徳之島出身で喜界高校から鹿児島へ行ったばばには招待状が来なかった。

未だに不思議でならない。

鹿児島市での成人式なので、出身高校や島とは関係ないと思うのだが、

それでも、ばばのいた寮の同級生で招待状が来なかったのはばば一人。

今は、当時のように振り袖を着るわけでなし、友達はみんな学校の制服で参加した。

みんなが賑やかに出かけるのを、ばばは後輩と一緒に寮の玄関で見送った。

夕方帰って来た友達が、成人式の話を聞かせてくれ

また、お土産には紅白のお饅頭をいただいたと見せてくれた。

ただそれだけのことだが・・・・

あれから数十年経っても未だに成人式の日になると

「何故?私にだけ招待状が届かなかったの?」と考える。

きっと、事務的な単純ミスだとは思うけれど、成人式に参加できなくて残念という気持は消えない。

後日、招待状が来なくても、当日式場に行けば良かったのにって

誰か、先輩が言ったけれど、当時のばばにそんな度胸はなかった。


だから、ばばは言うんだ~。

成人式してないから、いつまでも19歳だよ~~って。


今日なんか、成人式と言っても周囲も何ら普通と変わらない生活。

お昼を終えて、じじはパソコンに向かうばばの横でスヤスヤお昼寝タイム。

昼寝から覚めたら、カメラ担いで又鳥を追いかけるつもりらしいが、

ばばは行きませ~~ん。

だって、咳コンコンだから。

じじも、ばばからうつったのかちょっと怪しいぞ~。

寒い日が続くから、温々してこの寒さを乗り切らなくちゃ~。

ということで、ばばは重ねも重ねたり、

自分でも「小型お相撲さん」と思うくらい着ぶくれている。

薄くてあったかな洋服捜さなきゃ~。

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Sちゃん=うしのみるく

2010年11月28日 13時48分35秒 | 思い出

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11月28日(日)曇

スーパーでレジに並んでいると、ちょっと小太りの女の子が話しかけてきた。

「ばばちゃんですよね。Sです」と。

お~~、Sちゃん。

もう、かれこれ30年前に関わったSちゃん。

すっかり貫禄が付いて・・・・・

今は結婚し、お子さんもできて「肝っ玉母ちゃん」しているそうだ。


Sちゃんと言えば、忘れられない思い出がある。

国語で、「小さく書く、や・ゆ・よ」の勉強をした時のこと・・・

牛乳の挿絵があり、この名前を、「小さく書く、や・ゆ・よ」を

使って、平仮名6文字で書く・・という問題があった。

まず、ノートに書いて練習して、次に黒板に書いて発表・・・

ところが、Sちゃん「ねぇ、ばばちゃん、牛乳って、どう書けばいいの?」と聞く。

答を教えるわけにはいかないので、

「ゆぅ~~くり、ゆぅ~~くり、ぎゅうにゅうと言ってごらん」と言わせてみた。

口では言えても、書くことが分からないらしい。

業を煮やしたSちゃん、黒板に出て、何と!「う・し・の・み・る・く」と書いた。

なるほど!平仮名6文字。ご迷答!

その後、あらや、これや画策し、何とか「ぎ・ゅ・う・に・ゅ・う」へ行き着けたが。


このことがあって以来、「Sちゃん」と言えば「う・し・の・み・る・く」を思い出す。


でも、子どもって可愛いね。

何十年経っても「ばばちゃ~~ん」って声かけてくれる。


あの当時6,7歳だった子ども達も、今や、子育て真っ最中だったり

それぞれの職場の中堅として頑張っている。

数十年経っても、当時の面影のある子もいれば、すっかり面変わりしている子もいて

ご両親のどちらかと一緒だと気付く子もいる。

自分の関わった子ども達が、立派に成人し社会貢献している姿を見るのって嬉しいものですね。

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2010年04月03日 14時20分08秒 | 思い出
夢か現か????

今朝、布団の中で「コケコッコー」という鶏の鳴き声を聞いた。

亀津に住むようになってから、数十年にして初めてのことかも知れない。

ばばが子供の頃は、実家集落でも鶏を飼っている家は多く、

うるさいくらい鶏の鳴き声は聞いたが、最近、とんとなかった。


ばばが幼かった頃、鶏が「コケコッコー」と鳴くと

ばばも一緒に「コケコッコー、夜が明けた~~~」と叫んでいた???(笑い)

鶏はコケコッコー、コケコッコーと同じように鳴いても、

ばばの耳には、2回目のコケコッコーは「夜が明けた~~~」と聞こえた。


今朝のあの鶏、何処で鳴いていたのだろう?

ばばの隣近所で鶏を飼っているお宅を知らないけれど。。。。


鶏をばばの家でも飼っていた。

飼っているのは卵を産む雌鳥ばかり。

食糧難だった当時、鶏が産む卵は貴重な蛋白源だった。

一個の卵を家族で分け合うために、割りほぐしてお汁に入れた。

じじの家でも、一個の卵を半熟などにすると

父は、まず一口ずつ子供達に食べさせ、残りを自分が食べていたそうだ。

当時、何処も同じように貧しかったはずだけど、

心は今より豊かだったような気がする。


以前もブログに書いたことがあったけれど、ばばの小さい頃は貴重だった鶏卵。

ある日、近所の畑で一カ所にたくさんの卵が

まとめて産まれているのを見つけたばば。

畑と言っても、門を入った所にある小さな畑、今で言う家庭菜園かな?

ばばは夢中で卵を拾い集めたけれど、両手に抱えきれないほどの量だったので

スカートの前をたくし上げ、その中に卵を入れ大喜びで家に帰った。

立派な窃盗罪かな???

両親か、兄姉がいればきっと「元の場所に返してきなさい」と叱られただろうけど

幸か不幸か誰もいなかった。

ばばは、当時料理なんか出来る年齢ではなかったと思うが

なぜか、一個卵を割ってみた。

すると!!!!!

何とも言えない悪臭が・・・・・・・

そう、卵は腐っていたのだ。

今なら、水に浮かべて浮くか沈むかで卵の鮮度を見分けることも出来ただろうけど

当時のばばにそんな知識はなく・・・・・・

一個が腐っていても、次の卵は・・・・と卵10数個を割り続けたばば。」

なんとまぁ、見事全部腐っていた!!!!

あの悪臭に耐え、よくもまあ十数個の腐った卵を割り続けたばばの根性たるや!!!!!!


しばらく経って仕事から帰ってきた両親がビックリしたことは言うまでもない。

腐った卵を割った場所の土をクワで掬ってはゴミ捨て場?に運んだっけ。。。。


卵と言えば・・・・・

加計呂麻では、小学生が鶏を飼っていた。

生活かの学習の一環でもあったが、毎朝、水を換え餌は市販の飼料に

青菜などを細かく刻んだ物を混ぜ、水を少量加えて与えていた。

鶏はよく卵を産んだ。

鶏は複数羽いて、多い日には3~4個の卵を集卵できた。

当時、児童数7名・職員数7名計14名。

4日も経てば全校児童職員数分の卵が貯まる。

そこで、主事さんがゆで卵など作って給食時に配ってくれた。

何とも思わず食べていたけれど、あの鶏は、たしか烏骨鶏だったかも。

烏骨鶏の卵って、一個500円もするんですって。

後日それを聞いて、ビックリ。

もっと味わって食べるべきだったなぁ~~~。


もう一つ、卵の話。

5,6年前のことだけど・・・・・

お茶の時間にやはり主事さんが卵焼きを作ってくれた。

その卵焼きを作った卵とは?

ダチョウの卵だった。

ダチョウの卵って、とてつもなく大きいよね~。

普通の卵の何個分くらいあるんだろう????

割るのも一苦労だとか聞いたような・・・・

その時は、卵の上の方に穴を開け、中身を出し

殻は、何か飾り物に加工すると言っていたなぁ。。。

卵焼きは美味しそうに出来上がったけれど、

あまりにも大きな卵を見てしまったせいか、

ばばはすっかり食欲を失ってしまって

結局食べなかった。

あの時食べておけばいい経験になったかも知れないけれど・・・・と

ふっと思うこともある・・・・・・・


鶏と卵のお話、おしまい!
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てるてる坊主、てる坊主、天気にしておくれ~~

2010年03月04日 18時23分55秒 | 思い出
3月4日(木)曇り時々晴れ

朝、我が家の下を賑やかな声が通りすぎた。

「あっ、亀津小学校、今日はお別れ遠足なんだ~~~」と直感。

台所に立ったついでに窓を開けて外を覗くと

リュックを背に背に弾んだ足取りの小学生集団が通っていく。

行く先は「なごみの岬公園かな?」それとも「陸上競技場かな?」

ばばは勝手に想像しながら子供達の背中を見つめていた。

今日一日晴れるといいね・・・・・天気予報では昼から傘マークが出ていたなぁ。。。

今の子供達は色とりどりのリュックを背負い、可愛いキャラクター水筒を下げ

お気に入りのおやつに、カラフルな愛情たっぷりのお弁当・・・・・・・・。


遠足の日は、授業がないので、まず嬉しい。

友達といっぱい遊べるのが嬉しい。

おやつが思う存分食べられて嬉しい。


遠足の前日、てるてる坊主作った子いるのかな?


ばばが小学校の頃って、リュックあったかなぁ?

おやつも母手作りの芋天ぷらとか、黒砂糖だったような・・・・

お弁当は卵焼きに塩鯖の焼いたのに・・・

えぇ~~~っと、あと何が入っていたんだろう?


低学年の頃は遠足の行き先は学校周辺の公園か(都会の公園とは大違い、遊具も何もないよ)

近くの海岸で決まりだったな・・・・

それでも「遠足」というだけで妙に嬉しかった。

学校からすぐ見える公園に行った時は、大きな柳の木に登って遊んだっけ・・・

お弁当の時間は、大事な大事なおむすびを一個転がしてしまって・・・


そうそう、隣集落の海岸まで行った時は、潮が引いていて小さなタコをいっぱい捕まえたよ。

お家で茹でて食べようと張り切って捕まえたよ。

でも、最後にちょっと大きなタコを見つけ捕まえようとしたら

タコがばばの手に噛み付いて・・・・・

その夜は魘されて、寝言で「憎たらしいぃ~~~タコ!!!」

って叫んだって母が翌朝笑ってた。


また、反対側の集落の海岸に行った時は陶器製の水筒を割ってしまって

怖くて母に言えず、後で母からさんざん叱られた・・・・・

水筒を割ったことではなくて、のらりくらり言い逃れをしようとしたことで。

その時、母が「正直の頭に神宿る」って言ったこと、今でも忘れられない。


怒られるのは一時的に怖いけど、嘘をつき通す方がよっぽど心が重いもんね。


当時はおおらかな時代だったと思うけど、男の先生が「トリス?」とかいう

ウイスキーの小瓶を持って飲みながら歩いてた。。。。。

大分経ってから「トリス?」がウイスキーって分かったけど、

当時は全然意味が分からなかったよ。


自分が児童・生徒時代は遠足は楽しかったけど

大人になって子供を預かる立場になると、遠足も楽しみばかりではなかったな。

子供が遠足で事故にあったり、怪我でもすると大変だもの。

ばばが今でも忘れられないアクシデントもいくつかあったなぁ。

川遊びをしていて裸足で川に入った子が川底にあった割れた瓶を踏んでしまい

何針も縫う大けがをしてしまった・・・・

遊具でターザンごっこをしていて、綱から手を放して地上に落下、足を骨折・・・・

蜂の巣に近づいて、刺され・・・・・

何故か全身に発疹が・・・・等々。


絶えず、子供に目を配らなければならないけれど、

遠足となると学年もごっちゃになり、行動範囲も広くなるので大変で

遠足が終わると、くた~~~っと疲れが出たものだ。


遠足の楽しみは、何と言ってもおやつとお弁当だけど、

おやつを食べ過ぎて、

お母さんが、きっと早起きして細々工夫して作ってくれたであろうお弁当は、

ほとんど手つかずの子もいたなぁ~。

「帰ってからお弁当をおやつにする」んだって。


万が一、遠足に出かけた後、雨が降っても、おやつやお弁当を食べていれば

子供は納得するのよね。


退職して、今は遠足で家の下を通る子供達を見ながら

「怪我などしないで無事帰っていらっしゃいよ~」と心の中でいのるばばだ。


ついさっき、ばば達が散歩に出かけようと準備していた時

また我が家の下の道路を、たくさんの小学生が賑やかにおしゃべりしながら

遠足から帰って来た。

そうっと窓を開けてみると、ちょうどばばの友人が子供達を引率して帰ってくるところだった。

ばばが二階から「パン、パン」と手を叩くと、友人は気付いてニコニコ笑いながら手を振った。


今にも降りそうな不安定な天気だったけど

子供達が帰るまで降り出さずに良かったね~。
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