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ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
HPは http://www.ibuchan.com/

どうしよう!全然知らない人に・・・・って

2020年01月28日 11時59分55秒 | 思い出
1月28日(火)曇り時々小雨

普段、シャワーを使うことが多いじじとばば。

夕べは、じじが「今夜はお風呂にしようか?」と言うので「良いよ」と答えた。

お風呂の時は、自宅に戻り、お風呂を沸かす。

シャワーの時は、今住んでいる両親宅で・・・というのが普通。

今の家でもお風呂は沸かせるけど、自宅のお風呂もたまには使わないと

水道やシャワーがだめになってしまう・・ということで

たまに支度まで行って風呂を沸かしている。

自宅と言っても、外へ出て、階段を上がれば良いだけの話だが

夜はちょっと面倒くさいと思い、シャワーで済ませることが多い。

お風呂の方が体の芯から温まるし、良いと分かっていても。

じじは食事前にお風呂を済ませてきたので、その間、ばばは食事の準備を終え

入れ替わって、自宅へ上がった。

30分くらいで、戻ったのだが、じじが「Yさんから電話が来たよ」と言う。

携帯を見ると、着信を知らせる点滅光が・・・

Yさんから久しぶりの電話だったので「もしかして?悪い知らせでも」と思いながら

先ずはササッと夕食を済ませた。

その後、Yさんに電話をしたら、いつもと変わらない明るい声で安心はしたが

「何かあったんじゃ無い?」と問うばばに「ばばちゃんにライン送ったんだけど・・・。

でもね、ラインの電話番号に電話しても出ないから、

もしかして、知らない人にライン送ったんじゃ無いかと思って・・」と言う。

「私、ガラケーでラインは出来ないんだけど、たしか、私と同姓同名の方が

島外にいるということは10年ほど前、じじが教えてくれたの。

もしかして?その方に送っちゃったのかなぁ」と言うばばに

Yさん「じゃ、その方にごめんなさいって電話した方が良いかなぁ?

主人と二人でピースしている写真と、今年の初日の出や夕暮れの海の写真送ったんだけど、

どうしよう?」と言う。

そう言えば・・・・数日前、じじがばばのために新しいタブレットを準備してくれ

ラインやネットも出来るよ」と言ったんだけど・・・と思いながら、

「ちょっと待っててね。もしかしたらタブレットにライン入ってるかも」と言いつつ2階へ上がった。

タブレット

えぇ~~っと、え~~~っと、スイッチ何処?ラインのアプリ何処?

慌てながら、ひとつひとつ、じじに聞きながら、タブレットをいじっていると

おぉ~~っ!懐かしいYさん夫婦の画像が出ていた。

すぐ「ちゃんと、私に文も画像も届いているよ」と言うと「良かったぁ~」と安堵したYさんの声。

その後ちょっと携帯で話し、切った後、すぐラインで返事をしようと思った。

何処触れば良いの?分からなぁ~い!!!

1つ、1つ、じじに聞きながら、文字入力は出来たので「何処押して送信するの?」と聞くと

「紙飛行機の印」と言うので、言われた通り操作したら送信出来たみたい。

その後、よくよく見たら姪のSちゃんからもラインが入っていたので

何とか返信した。

でも・・・・Yさんへ送った文、初めの数行は、改行の仕方も分からないまま

長い長い読みづらい文になっていたはず・・・恥ずかしい~ごめんね~

何とか2人に返信したら、なぜかやる気が出てきた。

これで、兄弟姉妹、家族や甥や姪ともラインが出来るかな?と、ちょっぴり嬉しい。

娘達が「お母さんがライン出来れば、色々な連絡とか楽なんだけどなぁ」

って、以前から言っていたから。

夕べ、Yさんが「ばばちゃんと間違えて、全く別の人にライン送ったかも・・」と心配していて

ばばと同姓同名の方がいるとは10年くらい前から知っていたので

ドキドキしたけど、あれはフェイスブックを始めた時の事だったから

今回の件とは、関係なかったんだよね。

ラインで友達から近況とか画像とか送られてくるのは、とても嬉しいけど

万が一、全く他人にメールとか送ってしまったら怖いなぁ・・・・

とか思いながらだけど、ばばも、これからは気をつけながら

家族や親しい友人達とはラインのやりとりを楽しみたいと思えた夕べの出来事でした!



はい、横になってお尻出してって・・・

2020年01月19日 11時16分07秒 | 思い出
1月19日(日)晴れ時々曇り

ツツジ

明け方、「ピッ、ピッ、ピッ、ピ~~」とラジオから時報が聞こえた。

「5時?」「6時?」と思いつつ、起きてトイレに行ってから階下に下りようと思った。

トイレから出ると同時に、パッと部屋の電気がついた?

「どした?」と聞くと、じじが「ばばが起きる気配がしたので、そろそろ起きようかと思って」

と言うので、ビックリ!

時計を見ると、まだ5時だったので「もう少し横になっておこう」と

布団に潜り、ラジオを聞いていた。

じじは、そのまま起きてパソコンを彼方此方触っている。

数日前から「修理」していたパソコン、直ったそうだ、さすが~~

ラジオを聞いていると、視聴者から届いた、お手紙やファックスが紹介される。

その中で「お尻に注射された」「腕に注射するより、お尻に注射した方が痛くない??」とかの

視聴者からのお手紙が紹介されていた。

最近、お尻に注射なんて、ばばは体験したことも無いが、

何十年か前、職場で体調が悪くなり熱も出たので、休みをもらって、帰宅したことがある。

帰りしな、病院へ寄って「熱があって、体がだるい・・・」などと先生に話すと

「はいっ!そこのベッドに横になって、お尻を出しなさい」って。

????っと思いながらも、言われたとおりにすると、すぐさまお尻に注射をされ

「はい、良いですよ」って。

その後、帰宅、安静にして過ごし、体調は回復したが

当時は、病院へ行くと「すぐ、注射」というのが普通だったような気がする。

ばばも、何回お尻に注射されたか?

腕にする注射と、お尻にする注射、痛みが違うのかなぁ?

まだ、入学前、姉に連れられて、何かの注射を受けに行った時は、腕にされた。

ずっと注射は腕にするものだと思っていたので、お尻にされた時はさすがにビックリした記憶がある。

注射は幾つになってもイヤな物で、今でも、予防接種とかに行くと

なるべく注射器から目をそらして、見ないようにしている。

一瞬、チクッとはするけど、数秒の我慢だと自分に言い聞かせている。

大人でさえ、注射を好きな人は、そういないだろうと思うけど、子どもなら尚更。

ばばが子どもの頃、姉と一緒に注射に行く時は「泣かないで注射させたら

帰ってから○○をあげるからね」と言われ、○○というおやつが欲しくて

泣くのを我慢していた記憶がある。

これまでブログに書いたこともあるが、小学校何年の頃だったかなぁ・・・

当時、結核菌の有無を調べるためだったかな?

ツベルクリン反応注射というのがあり、注射をして2日後くらいに

陰性か陽性かを判定し、陰性だったら「BCG接種」といって痛い注射をされた。

BCG接種がとても痛くて、腕の内側にツベルクリン反応接種をした後、

そこが赤く少し腫れ、ある大きさ以上だと陽性、ある大きさ以下だと陰性でBCG接種・・・

まだ3,4年生頃だったか?

陰性か陽性か、判定の日、同級生のA君の腕の赤みが凄かった。

「完全に陽性だから、痛いBCG受けなくて良いかなぁ」と羨ましく思っていたのだが

何と!検査をした人が「これは注射の赤みじゃ無いな」と言われ・・・

A君は、BCG接種受けたくなくて、何と!ツベルクリン反応接種のあとに

毛虫を置いて、わざと刺させたんだって。

毛虫腕に置いて、刺させる???

この方がよっぽど気味が悪くて怖いよう~~~

でも、当時は、A君って、頭良いなぁと思ったけど、お医者さんから見たら小細工は一目瞭然。

全員の前で注意をされ、BCG接種も。。。何十年経っても忘れられない。

A君、覚えているかなぁ・・・

ばばにとっては、あの出来事は相当インパクトが強かったのか

未だに忘れられない。

今朝ラジオで聞いた「お尻に注射」という事から、小学生時代の事まで思い出したばばでした。

※画像は、ブログとは関係ありませんが、

 あるお宅の庭で満開になっていたツツジです。




43年前の絵と文、他

2015年03月22日 16時06分47秒 | 思い出
「ばばの日記」

3月22日(日)晴れ

朝から始めた洗濯。

今6回目。

これが最後・・・あと20分ほどで終わる。

1回目の洗濯、始めたのが8時過ぎ。

6回目の洗濯、終わるのは、お昼の3時。

何と、1日で6回の洗濯。

かかった時間約7時間。

ばばの人生で、最多・最長の洗濯回数と時間。

じじとばば、ふたり暮らしなのに何でそんなに洗濯?



敷き毛布や掛け毛布、敷き布団カバーに掛け布団カバー、

枕カバー、敷きパッド等々・・・・

毛布は1回で1枚しか洗えないので、時間がかかる、かかる。

昨日とうって変わって、今日はに中通して

ほぼ快晴との天気予報だったから、思い切って全て洗うことに。

敷き布団や羽毛布団は2階の窓を開けて干した。

洗濯をしながら、自宅2階の片付けもしましょ。



もう、ほぼ片付けも終わってはいるが

細々したところが少し残っているのでね。

廊下に掃除機をかけ、玄関先を掃き

靴箱を動かして、三和土や廊下、全て雑巾がけをしましょ。

頑張って、頑張って、一段落してお昼ご飯に下りたら

ポストに不在票が入っていた。

配達に来て下さったのに・・・すぐ隣の2階に居て

気づかなくてごめんなさい。

すぐに電話をして、再配達をお願いしたら

2時から5時までの間に配達しますとのこと。

2度手間かけて、本当にごめんなさい。



昼は、2時までに作業を片付けて、郵便屋さんを待っていましょ。

お昼を済ませ、2階で片付けをしていたら

懐かしい物が出て来た。

昭和47年3月15日の日付が入っている文集。

ばばが勤め始めて3年目の子ども達の文集だ。

当時1年生の子ども達の手書き作文が1冊の文集にまとめられている。

ばばが作ったことには間違いないが、

原稿用紙の代わりに、わざわざマス目を作った手作りの作文用紙。

それも、上白紙では無く、ザラ紙と言っていた薄茶色の粗悪な紙。

表紙には何故か竹と不細工なタケノコと 、笑った男の子、怒った男の子

泣いている女の子のイラスト。

これもばばの手書きだ。

文集の名前は「たけのこ」。

それにしても、文字やイラストの幼稚なこと。

恥ずかしい!!!!!
文集


表紙をめくると、子ども達の可愛らしい作文が。

例えば、ある女の子は

「わたしは きのう おかあさんと 川へ木をきりにいきました。

がくげいかいで つかうのです。おかあさんは かまで六本も

きってくれました。おかあさん どうも ありがとう。

げきを 見にきてね。」と書いている。

ある男の子は

「ぼくたちは えんそくで かなみの とうだいへ いきました。

たこもとりました。小さいので すてました。かわいそうでした。

おかしを たべました。

大きな さかが ありました。

人が たくさん すべっていました。ぼくも すべりました。

おひるになったので べんとうを たべました。

おかあさんが つくってくれたべんとうは とても おいしかったです。

おかしも たくさんたべました。」と書いている。

表表紙の裏には、ばばも「竹」という短文を書いてある。

その文は

私は竹が好きだ。

青空にスックとそびえる若竹が好きだ。



冬・・・

雪が降る。

真綿のような粉雪が舞う

積もる・・・積もる・・・積もる、雪



若竹の上に

雪が積もる。

重い・・重い雪

冷たい冷たい雪

耐える・・・若竹は耐える

重さを、冷たさを





谷川のせせらぎと共に

天を突く竹

苦難を耐えて伸びる竹



そんな竹が私は大好きだ



これ、20代前半のばばの詩?

まさか、どこかから盗用したんじゃないだろうね。

自分で作ったという、記憶も無い。

小学1年生の文集に、こんな文を書くなんて・・・・・



子ども達ひとりひとりの作文を読んでいくと

1年生当時の顔がひとりひとり浮かぶ。

もう、50才を超えているかなぁ・・・この子達。

会ってみたいなぁ・・・

この文集を持っている子が、まだいるかなぁ。



文集を止めていたホッチキスの針も

時間が経ち過ぎて錆びてしまい、

子ども達の作品も上3枚は外れてしまっている。

大事な宝物、見つけたなぁ。

きちんと製本して、これからも大事にしまっておこう。



「どんぐり役はイヤだ~~」って

2014年11月14日 18時47分53秒 | 思い出
11月14日(金)晴れ

明日が15日でお墓参りに行く予定だったけどだけど、

天気も良いので、今日行ってきた。

行く途中、今日も自衛隊が先日と別の訓練をするという連絡が入ったので

総合グラウンドへ寄ってから行くことに・・・

既にヘリコプターが着陸していて訓練は始まっていた。

一昨日の訓練は物資輸送訓練で

今日は、医療班の訓練らしかった。

担架らしき物とかも後尾に置かれていた。

今日は、お墓参りが第一目的だったので

訓練は途中まで見てそのままお墓へ。

墓参りの後は、実家の庭に除草剤を撒いて

お昼ギリギリに帰って来た。

明日も、自衛隊の別の訓練があるというので

覗いて見たいし、他にも行きたい場所もあるので

忙しい1日になりそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、ドングリのことを書いたけど

ドングリを見ると思い出す友達がいる。

同じ集落の、Kちゃん。

ばばが幼稚園生の時、

参観日のような行事があって、

全員で「どんぐりころころ」を踊ることになった。

普段から練習もしていたと思うけど、

いざ参観が始まってから、事件?は起きた。

「どんぐりころころ どんぶりこ・・・」

レコードがかかり、遊戯が始まった。

最初は、全員で輪になって、一人ずつ踊っていたが

「ドジョウが出て来てこんにちは」という歌詞のところから、

「ぼっちゃんいっしょに  遊びましょう」という最後まで

2人組でどんぐりとドジョウに別れて踊った。

ばばは、Kちゃんと組んで、首をかしげたりして可愛く?踊った。

さぁ~、いよいよ事件が起きますよ~

2番が始まった。

「どんぐりころころ喜んで しばらく一緒に遊んだが

やっぱりお山が恋しいと・・・・・」ここまでは、一生懸命踊ったよ~

ところが、最後の最後「泣いてはドジョウ 困らせた」

というところで、どんぐり役はしゃがんで泣く真似をし、

ドジョウ役は立ったままで、どんぐり役の子の頭を

撫で撫でするのだが、ばばも、Kちゃんも

泣く真似をするのはイヤだと・・・・・

結局、二人とも最後まで突っ立ったままで曲は終わってしまった。

見ていた他の子のお母さん達は、大きな拍手をしていた・・・と思う。

Kちゃんのお母さんと、ばばの母が、どんな表情をし

どんな行動をしたか覚えていない。

ばばの母はとても厳しかったので、

その場では叱らなかったにしても、家に帰ってから

もの凄く怒ったと思うが、それも覚えていない。

ただ、全員が楽しく、可愛く踊る中で

「あなた座りなさいよ!」

「あなたが座りなさいよ!」と

お互い譲らず、突っ立ったままで終わってしまったKちゃんとばば。

あの時、本当は誰が「どんぐり役」だったのだろう?

ばばだったのかなぁ・・・・

数十年経ってからも、ずっとあの時のことが忘れられない。

Kちゃんは、現在鹿児島在住。

中学校卒業以来、会ったことは無い。

どんぐりの時期になって、どんぐりを見ると

必ず思い出す・・・・・

Kちゃんと踊った「どんぐり ころころ」の遊戯のことを。。。。。。。



Kちゃんとは、もう一つ忘れられない思い出があるが

それは、又明日でも。

かつて、ばばはワイルドだったぜぇ~

2012年11月10日 13時08分02秒 | 思い出

11月10日(土)小雨後曇り

朝、宅配便でクール便の荷物が届いた。

中身は????ヒ・ミ・ツ!

小さな平べったい箱が4個入っているんだけど、

その品物が入っていた箱が品物の3倍くらいの大きさ。

入れ物に対して品物が小さいので、当然隙間が出来る。

その隙間を埋める為に、綺麗なラベンダー色の

和紙?が入っていた。

その長さたるや、優に7メートル。

幅も60センチくらいあった。

取り出してはみたものの、隙間を埋める為に入れてあったので

しわくちゃになっている。

「あぁ~勿体ない!勿体ない!」と思うばば。

何かに使えないかとも考えたが、良い案が浮かばない。

綺麗に折りたたんで、押し入れにしまおうかと思った。

・・・が、止めた。

(いつか使うだろう・・・)と、色々な品物をしまい込んでも

その(いつか)は来ないと夕べ呼んだ本に書いてあったからだ。

 

これまでも(いつか使うだろう)と思っては、

押し入れにしまったままの物が押し入れの四分の一くらい占めている。

使いもしない物に場所を提供し、掃除がしづらくなる・・・・悪循環。

断ち切らなくちゃ!と思っていたところだったから

思いっきり良く、クッション材にもなっていた綺麗な紙をゴミ箱に入れた。

 

ばばは、退職してからネットで買い物をすることを覚えたが

送られてくる品物に対して、入れ物がやけに大きいことが良くある。

空き箱はゴミになる確率が高いから、勿体ない、勿体ない。

 

ばばが、もう少し器用だったら

空き箱や包装紙を上手く活用できるだろうけれど・・・・・

 

ばばはね、不器用人間だけどチャレンジ精神は旺盛だったと思うよ。

これまでもブログに書いたことがあるが、

ばばの小さい頃は学用品も高級品だったから

消しゴム等も、大事に大事に使っていたよ。

ある日、誰かが消しゴムは手作りできる・・・と言い

その作り方を教えてくれた。

今のばばだったら絶対信じないけれど、当時は純真だったから・・・・

消しゴムの作り方は、枯れていないススキの穂を小さくカットして

そのカットしたススキの穂に、ガジュマルの樹液を付けて固めるというもの。

ススキなんて何処にでもあったから、すぐに採って来て、カットし

ギュッと丸めてお隣ご近所のガジュマルの木の幹を石で叩いて

樹液が出るとススキを押し付けて・・・・と言う作業を?

延々と約半日続けたよ。

お隣ご近所回らなくても、自分の家に集落でも1.2番の大きなガジュマルがあったのに

何で、集落中走り回ったのだろう?

今にして思えば不思議で自分でも理解できないけれど、

当時は真剣だったよ。

 

よそ様のガジュマルの幹を無断で傷つけ、半日の手間暇をかけ

完成した消しゴムは????

完成した記憶が無い!

今考えれば当然だと思うけど、そんなに粘着性があるわけでも無い

ガジュマルの樹液でまだ青いススキの穂を固めようというのが

そもそも可笑しいよね。

 

あっ、そうそう、消しゴム作りに失敗した後は

よそ様の竹垣から竹を折って作った自家製編み針で

編み物にもチャレンジしたよ。

編み物なんか誰からも習ったこともないのに・・・・・

当時、毛糸等買うことは出来なかったけど・・・・・

一体何で、何を編もうとしたんだろう?

 

高校生になってもばばの暴走はおさまらず・・・・・・・

靴下カバーなる物が流行っていたので、買うより自分で作ろうと

セーターの袖を切って作ってみた。

靴下で型を取ってね。

まぁ、履けたけど、やはり人前に履けるような物は出来るはずも無く・・・・

袖2つ切られた自分のセーターを見ながら後悔したよ。

 

あと、ひとつ。

ばばが小学生の頃は油粘土など無かった。

だから、図工で粘土を使う時は、山の近くの畑に行って

粘土層の地層を見つけて削り取ってくるか、川に潜って

川底の粘土の塊のある場所から削り取るしか無かった。

ワイルドだったなぁ~、今考えれば。

 

ばばが小学生の頃のように好奇心旺盛で

行動力があれば、色々な物が作り出せそうな気もするけど・・・・

不器用さは直っていないから、まっ、無理かぁ~~。


ブーチ川

2012年11月09日 13時53分23秒 | 思い出

11月9日(金)曇り後小雨

最近の天気予報って当たるねぇ。

週末は天気が崩れるって言っていたけど、

本当に昼前から小雨がちらつきだしたよ。

シーツやタオル等、洗濯して外に干したと思ったら

チラチラ・・・・・

天気予報を信じて、室内に干せば良かったと反省しつつ

取り込んで部屋干しに。

 

洗濯をする時、ふと思い出すことがある。

ばばが子供だった頃の洗濯のことなど・・・・

 

当時は水道が無くて、洗濯は背負いカゴで背負って

川へ行って洗っていたよ。

大きな岩の上でゴシゴシ洗って、両手で思いっきり絞って

ざっと畳んでカゴに入れて家に帰り、竿に干していた。

竿と言っても今のようなステンレス製などは無く、

父が山から切って来た太くて長い竹の竿だった。

洗濯ばさみなども無かったと思う。

上着やズボンは竿に通して干していた。

 

ばばの家は川とは真逆の位置関係にあったので

洗濯に行く時は集落の東の外れから西の外れまで歩いていたけど

途中に大きなデイゴの木があってね、花が満開の時期は

真っ赤な花の向こうに川と田んぼと畑があって

遙か向こうの山に夕日が沈んでいくのを見るのが好きだった。

と言っても、夕方、洗濯には行かなかったから

きっと農作業帰りなどに見ていたんだろうね、夕日は。

 

洗った洗濯物を背負って坂道を上るんだけど

家に着く頃には背中が濡れていることが良くあったよ。

子供の力では、洗った物の水分が

しっかり絞り切られていなかったんだね。

 

家族の洗濯物を川で洗ってくるんだけど、

怠け者のばばでも洗濯をイヤだと思ったことはなかった。

何故かと言うと、川では洗濯が終わると川魚やカニを追いかけたり

堤防から川へ飛び込んだり、楽しいことがいっぱいあったからね。

少しくらい遊んで帰っても、叱られることも無かったし。

 

ばばがひとりでも洗濯に行ける川は大通りの近くで

近くに民家もあって全然恐いとか思わなかったけれど

もう1カ所、通称ブーチゴー(ブーチー川)と呼ばれていた川には

いくら横着者のばばもひとりでは行けなかったよ。

川に着くまでの道が恐くて・・・・・

木の枝がうっそうと生い茂る細い道を下っていくんだけど

真っ昼間でも薄暗くて恐かったし、母と一緒でも恐かった。

母と一緒にこの川へ行っていたが、今にして考えると

母も、この川へひとりで行くのが恐くて

ばばを連れて行っていたのかも知れないと思ったりすることもある。

 

この川へ行く途中では、ばばが畑の縁から転がり落ちて

偶然にも幹の曲がったソテツの木に引っかかったこともあった。

母の後ろについて歩いていたばばの気配も無いのに気づいた母が

ビックリして引き返してみると、途中の畑の縁の真ん中辺りで

ばばがソテツの幹に引っかかっていたというわけ。

 

この日は、ばばは「転がり落ちる運命の日」だったらしく、

川に着いて、母が洗濯している傍らの大きな岩の上で

ばばはひとりで遊んでいた。

いつの間にかウツラウツラ居眠りをしていて

気がついたら、川の中に落ちていた。

母はビックリしただろうけど、慌てず騒がず。

ばばの洋服を全部脱がせ、ギュ~~~ッと絞って

ばばに着せた。

 

今でも、つい先日のことのように鮮やかに思い出せる。

 

でも・・・・このブーチ川、今も行く人がいるのだろうか?

ばばが子供の頃は、川の近くの山からは木を切り出したりしていたし

川向こうの田んぼではお米も作られ、イ草栽培もされていて

イ草は畳表の原料になっていた。

イ草は需要が無くなったし、お米を作る人もいないし

木を切り出す人もいなくなった今、ブーチ川はどうなっているのだろう?

川へ続く道は、今でも人が通れるのだろうか?

 

集落の方とでも一緒に行く機会があれば、

是非行ってみたい場所である、ブーチ川。


サイレン台・通学路

2012年04月23日 14時36分26秒 | 思い出

4月23日(月)晴れ

ばばが子供の頃・・・早朝6時(5時だったかなぁ?)・正午・

夕方5時に校区3集落にサイレンが鳴り響いた。

ばばにとって早朝は目覚まし・正午は昼食・夕方は帰宅時刻の目安だった。

今も1日3回、あのサイレンは鳴り響いているだろうか?

 

今住んでいる地域でも、10数年前まではサイレンが鳴っていた。

しかし、最近ではばばがサイレンの音を意識することはほとんど無くなった。

昨日会ったある人に聞いてみると、

「朝と昼は鳴らないけど、夕方5時には鳴るよ・・・」って。

そうかぁ・・・たまぁに聞くことはあるけど、

ほとんど、ばばはサイレンの音を聞いていないだけなんだね。

 

サイレンが鳴っていた頃は、サイレンの音が

「ウゥ~~~ゥゥゥゥゥ~~~~」鳴りだして

鳴り止むまで、だいたい数十秒から1分近くは鳴ったと思うが、

最近では、たまにばばがサイレンの音に気づく時

ほんの10秒足らずで消えてしまう。

これは、サイレンが鳴らなくなった発端ともなった

ある事件が関係しているらしい。

 

ばばが子供の頃、どの家にも時計があるという時代ではなかった。

今はどの家にも時計があり、外出時は腕時計をし

腕時計はなくても携帯があれば時間が分かる時代だから

サイレンは必要ないね。

 

子供の頃は実家集落の近くにサイレン台があって

定時に大きな音で鳴り響いていたが

「どうして?あのサイレンを鳴らしているんだろう?」と思ったことは何回もあった。

大分経ってから思うに、定時になれば音が鳴るように

きっとセットされているんだろうなと思うようになった。

・・・が実際は分からない。

もしかしたら?役場でサイレンを鳴らす担当者がいた?

まさかねぇ・・・・

 

このサイレン台は、

通学路途中の畑道を上がって行った場所にあったと記憶している。

1回だけ、家に帰る途中、友達数名とサイレン台の近くまで行ったことがあった。

細長い角形の鉄柱のような物があったと記憶している。

 

4月初旬、ある方のホームページに

ボランティアで、このサイレン台周辺の雑草刈り払いをして下さった

ふたりの方が紹介されていた。

ばばも知っている方だったので、後日電話をする機会があり

その中でサイレン台のことを聞いてみた。

当時は通学路途中から行けたのだが、今はある方の家の近くから行く

1ルートしかないそうだ。

ばばが子供の頃通った道は雑草が生い茂り、

今は人間が通ることも出来なくなっているんだって。

 

今は、通学路とか決まっていてそのルートを登下校するだろうが

ばばの子供の頃は決まった「通学路」はなかった。

朝はとにかく最短距離を通っていくけれど

帰りは彼方此方回り道をして帰っていた。

何故回り道をしたかと言うと・・・・

以前にも書いたけど、男子が待ち伏せをしていて、ばば達をいじめるので

いかに男子に見つからず家に帰るかがばば達女子の最大課題であった。

来る日も、来る日も頭を寄せ合って相談し、

男子に遭遇しないであろうルートを通るようにしていたが

それでも、たまに男子と女子の思惑が一致し、

男子にいじめられて、泣きながら帰ったこともある。

ばばは、いじめられて泣いた記憶は無いけど

男子がワッと目の前に現れただけでSちゃんは泣き出し

ばば達はいつもSちゃんをなだめながら必死で逃げ回っていたのだ。

今、男子同級生と会っても、そんなこと覚えている人はいない。

でも、いじめられたばば達は何十年経っても忘れられない。

怖かったけど、今思えば微笑ましい思い出。

男子だって本当に女子に暴力をふるって

怪我をさせようなんて思ってはいなかったと思う。

「畑に押し転がすぞ~」と言われたり

たまに赤土の塊を投げて女子が怖がり、逃げるのが面白かったんだろうね。

当時は、ただ怖くて逃げることしか考えなかったけど・・・・

家に帰って、両親に男子が意地悪することを言いつけても

別に親が男子宅に怒鳴り込んでいくこともなく、

子供同士のことに、ほとんど親は口出ししなかったからね。。。。

そして、ばば達は逞しく育ってきたんだなぁ・・・

 

「サイレン台」と言うと、小学生時代の登下校時のことがすぐ思い出される。

晴れた日・大雨の日・風の日、

それぞれにいろいろな遊びを見つけながら通った通学道。

懐かしいなぁ。

いろいろな懐かしい風景が消えつつある故郷だけど

出来れば残して欲しいと思う風景がいくつもある。

明日は「墓地礼拝所」のこと書くね~。


1日遅れだけど・・・・

2011年12月22日 22時08分12秒 | 思い出

12月22日(木)曇り時々小雨

昨日は、次女みーさんの誕生日だった。

普通、水曜日は休みなのでつながるかな?と電話したけど留守電。

今週は金曜日が休みなので出社だったということで、

つながったのが夜8時過ぎ。

三女さんと二人で祝杯?いや、ディナー中だった。

「お誕生日おめでとう~」とじじとばばが交互に話した。

 

「○○年前の夜7時過ぎ頃、みーさんは誕生したんだよなぁ・・・」

今、大都会で頑張っている姿を思い、感慨深いものがあった。

外見も内面もばばと一番似ていると家族からは言われるけれど・・・

そうかなぁ?

おっちょこちょいな性格はばばと似て、

理系なところは、じじと似ていると、ばばは密かに思っている。

 

みーさんの誕生で一番印象的だったのは「名前」。

長女は当時の連続ドラマのヒロインの名前が良いと

じじとその仲間で決定。

次女の名前は・・・・じじは、じじが決めたと言い

ばばは自分が考えたと思っているが、

今では、じじが考えたことにしている。

ばばの父の名前をそのままもらって付けた。

・・・と言っても、父はもちろんで男なんだけど、

その名前をひっくり返すと女性の名前になるんだ~。

名付けた後、父はとても喜んでくれたし、

ばばもとても良い名前だと思っている。

 

みーさんは中学までしか徳之島にいなかったので、

共に生活した時間は15年間・・・

いや、1年半はじじとばばが加計呂麻で生活していたので

1年半はじじ両親が育ててくれたんだよね。

だから、正確には約13年。

 

いつの間にか子供は成長し、親元を去り、

お互い離れてみて、いっそう愛おしさが募る。

もっと、もっといろいろなことを話したり、聞いたり、

教えたりしておけば良かったと思うけど、

いつの間にか子供は親を超え、独り立ちしていく。

寂しい反面、嬉しくもある。

女の子は、母親の相談相手にもなってくれるし

同姓だと言うことで、何でも話せる。

娘達の生き方に干渉はしたくないけれど、

親として子供がいくつになっても遠くから見守っていたいと思う。

そして、もし子供達がSOSを発する時はできる限りのことをしてあげたいと思う。

 

今では、娘達が帰省するたびにじじとばばが

いろいろ教えられることが多い。

「老いては子に従え」っていう諺もあるけれど

自分の「老い」を認めたくは無いけれど

これからは、娘達の言うことにも素直に耳を傾けなくちゃ・・・と思う。

 

・・・と言いつつ、「お母さんは、絶対謝らないよね」と言われるばばだから、

どこまでも我を通す「頑固ばあさん」になるかもしれないなぁ。

 

親から見ても、みーさんは頑張りすぎるような気がする。

だから、もう少し肩の力を抜いてほしいな。

小さい子供じゃないし、親から色々言う年齢でもないけれど、

とにかく健康に留意し、日々過ごして欲しい。

1日遅れになってしまったけれど、

「誕生日おめでとう~」


風邪出て行け~~~

2011年01月10日 21時26分32秒 | 思い出
1月10日(月)曇

家の前で町の下水道敷設工事が始まった。

ちょっとうるさくて、いつも聴くラジオも聞き取りにくい。

しかたないね、しばらくの辛抱辛抱。

今日は成人式だけど。いつの頃からか島では1月5日に成人式を行うようになった。

この方が、お正月で、新成人も帰省する子が多いんだろうね。

1月10日ともなると、都会で働いている子や、学生さんが参加できないからでしょうね。

ばばの娘達が成人の頃は、真夜中から美容室へ着付けに行ったりしていたが、

最近は成人式の前に写真など写しておく子が多いそうだ。

その分、美容室の方も余裕を持って着付けや髪の毛のセットなどできるんだって。


成人式と言えば、ばばは鹿児島にいた。

当時は1月15日が成人式だったが、ばばは成人式に参加していない。

鹿児島の学生寮で暮らしていたが、徳之島や奄美市の(当時は名瀬市)高校から来ていた友達には

成人式の招待状が届いた。

ところが、徳之島出身で喜界高校から鹿児島へ行ったばばには招待状が来なかった。

未だに不思議でならない。

鹿児島市での成人式なので、出身高校や島とは関係ないと思うのだが、

それでも、ばばのいた寮の同級生で招待状が来なかったのはばば一人。

今は、当時のように振り袖を着るわけでなし、友達はみんな学校の制服で参加した。

みんなが賑やかに出かけるのを、ばばは後輩と一緒に寮の玄関で見送った。

夕方帰って来た友達が、成人式の話を聞かせてくれ

また、お土産には紅白のお饅頭をいただいたと見せてくれた。

ただそれだけのことだが・・・・

あれから数十年経っても未だに成人式の日になると

「何故?私にだけ招待状が届かなかったの?」と考える。

きっと、事務的な単純ミスだとは思うけれど、成人式に参加できなくて残念という気持は消えない。

後日、招待状が来なくても、当日式場に行けば良かったのにって

誰か、先輩が言ったけれど、当時のばばにそんな度胸はなかった。


だから、ばばは言うんだ~。

成人式してないから、いつまでも19歳だよ~~って。


今日なんか、成人式と言っても周囲も何ら普通と変わらない生活。

お昼を終えて、じじはパソコンに向かうばばの横でスヤスヤお昼寝タイム。

昼寝から覚めたら、カメラ担いで又鳥を追いかけるつもりらしいが、

ばばは行きませ~~ん。

だって、咳コンコンだから。

じじも、ばばからうつったのかちょっと怪しいぞ~。

寒い日が続くから、温々してこの寒さを乗り切らなくちゃ~。

ということで、ばばは重ねも重ねたり、

自分でも「小型お相撲さん」と思うくらい着ぶくれている。

薄くてあったかな洋服捜さなきゃ~。


Sちゃん=うしのみるく

2010年11月28日 13時48分35秒 | 思い出

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11月28日(日)曇

スーパーでレジに並んでいると、ちょっと小太りの女の子が話しかけてきた。

「ばばちゃんですよね。Sです」と。

お~~、Sちゃん。

もう、かれこれ30年前に関わったSちゃん。

すっかり貫禄が付いて・・・・・

今は結婚し、お子さんもできて「肝っ玉母ちゃん」しているそうだ。


Sちゃんと言えば、忘れられない思い出がある。

国語で、「小さく書く、や・ゆ・よ」の勉強をした時のこと・・・

牛乳の挿絵があり、この名前を、「小さく書く、や・ゆ・よ」を

使って、平仮名6文字で書く・・という問題があった。

まず、ノートに書いて練習して、次に黒板に書いて発表・・・

ところが、Sちゃん「ねぇ、ばばちゃん、牛乳って、どう書けばいいの?」と聞く。

答を教えるわけにはいかないので、

「ゆぅ~~くり、ゆぅ~~くり、ぎゅうにゅうと言ってごらん」と言わせてみた。

口では言えても、書くことが分からないらしい。

業を煮やしたSちゃん、黒板に出て、何と!「う・し・の・み・る・く」と書いた。

なるほど!平仮名6文字。ご迷答!

その後、あらや、これや画策し、何とか「ぎ・ゅ・う・に・ゅ・う」へ行き着けたが。


このことがあって以来、「Sちゃん」と言えば「う・し・の・み・る・く」を思い出す。


でも、子どもって可愛いね。

何十年経っても「ばばちゃ~~ん」って声かけてくれる。


あの当時6,7歳だった子ども達も、今や、子育て真っ最中だったり

それぞれの職場の中堅として頑張っている。

数十年経っても、当時の面影のある子もいれば、すっかり面変わりしている子もいて

ご両親のどちらかと一緒だと気付く子もいる。

自分の関わった子ども達が、立派に成人し社会貢献している姿を見るのって嬉しいものですね。