ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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やった方、言った方は憶えていない・・・?

2020年02月29日 14時21分05秒 | 日常生活
2月29日(土)晴れ

朝は「今日は昨日より天気悪くなるだろうなぁ・・・」と思いながらも

「まぁ、軒下の干せば良い事だよ」と洗濯機のスイッチオン!

ご近所でお弔いが出て、昨夜はお通夜に行って来て、

今朝は告別式に行こうと思っていたので、

出掛けるまでに洗濯物を干して・・・と。

午前中は告別式に行って来て、棚を1つ片付けたら、もう、お昼。

朝、干した洗濯物は、ほぼ乾いている。

そんなに寒くも無いし、穏やかな天気の徳之島です。

ばばは、これまで沢山の方達と関わりながら今日に至っている。

そんな中で「周囲の方々への感謝の気持をもとう」と

思い始めたのは、何歳くらいからだろう?と考えたりする。

友人知人、お隣ご近所さん、町内外の方々もっと広げれば

数え切れない方々の支えがあり、その中から学び、そして今の自分がある。

幼い頃は、結構やんちゃもし、母親から厳しく叱られた事も多々。

自分が、母と々立場になった時、

ばばを厳しく叱ってくれた母の気持ちも理解できたけど

一時期は「厳しすぎる(ばばの私感)母」が嫌いだった。

小学校時代は同級生同士他愛ない事で喧嘩もし

校則を破って1回だけ夜間外出をし・・・。

その都度、先生から呼ばれ、叱られたのは、ばばばかり。

ばばを叱って下さった恩師は、大勢の中の一人の児童を

叱った事など憶えていないと思うけれど、叱られたばばの方は

半世紀以上経っても憶えている。

先日帰省した甥っ子1号君が、ばばに話した事でも

ばば自身がした事なのに、全く記憶に無くて大笑いした事があった。

その1つが・・・・

ばばが食べ物で甥っ子を釣って、自分の仕事を押しつけた事。

ばばは高校から島を出たので、きっと社会人1年生で

1号君は小学校低学年頃の事だろうか?

ある日「カレー作ったから、食べにおいで」と1号君を呼んだそうだ。

食卓のカレーは、やけに水っぽかったそうだ。

カレーを食べた1号君に「今日、お風呂沸かしてね」と言ったそうだ。

当時、五右衛門風呂で、薪を燃やしてお風呂を焚いていたが

ばばは「お風呂を沸かす当番」だったらしい。

1号君は四苦八苦しながら、何とか風呂釜の火を焚きつけようとするけれど

なかなか上手く出来ず、ばあちゃん(ばば母)から怒られたらしい。

はぁ~せめて、火を焚きつけて、火の番をさせるくらいなら良かったのに

悪い事したなぁ・・・・

それにしても6,7歳の子にお風呂を焚かせながら、

ばばは」一体何をしていたんだろう?

それと、あと1つ・・・・

ばばの家では、お正月などに家族で「百人一首」をするのが恒例だった。

いつも読み手は母。

ははが謡うように読んでいた事を今でも思い出す。

カルタを取る枚数で父や兄、姉に勝てるはずも無いばばだったが

母は「上の句を憶えておけば、すぐ取れるよ」と言ってくれ

ばばは百人一首の「上の句」と「下の句」を必死に憶えた記憶がある。

この経験が、ばばを「国語教師になりたい!」と思わせた要因の1つかも知れない・・・・

時には、読み手をばばがしたらしい・・・・。

と思ったのは、1号君が話した事から思ったのだが。

ある年、百人一首カルタ取り大会をいつものようにしていた。

畳の上に広げられたカルタ。

ばばは、突然「オロギバンタ~~~ 風が吹けば 寒いなぁ」~~~と読んだそうだ。

すると、1号君が「ハイッ!」と元気よく手を上げ、1枚のカルタを取ったって。

なぜ、手を上げてからカルタを取ったのか?想像しても可愛く、おかしいけれど。

勿論、そんな札が並べられているはずも無いよね。

「ハィ!」っと勢いよくカルタを取った後、どんな展開になったのかは

1号君も話さなかったが、とにかく、ばばが適当に

「オロギバンタ~~」っと即興で読み、

幼かった1号君は真面目に1枚のカルタ取ったんだろうね。

「オロギバンタ」と言うのは、実家裏にある高台で太平洋が一望できて

お正月になれば、集落の学生や青年が

手作りの大きな四角い凧を持って来て、凧上げをしていた場所。

※画像は「オロギバンタ」から見下ろす「フンニャトゥ浜」。

フンニャトゥ浜

冬場、海側から吹き付ける風は強く、だから凧上げにも良い場所だったんだよね。

その「オロギバンタ」を「カルタ取り」につかうなんて・・・・・

まだ文字が読めなかったであろう、1号君。

大の大人に交じって、やっと1枚取れたと喜び、興奮しただろうに

ごめんね~

大人と一緒に楽しんだ初の「百人一首カルタ大会」に

変なおばちゃん(ばば)のおかげで、半世紀経っても

忘れられない思い出になっているみたいだから、笑って許してね!

「お風呂焚き」「カルタ大会」の事、ばばはすっかり忘れていたけど

1号君から話を聞かされ、ちょっと反省したりのばばでした。
















新種?まさかねぇ・・・

2020年02月28日 13時32分00秒 | 自然のこと
2月28日(金)晴れ時々曇り

ここ数日、甥っ子君帰省のことばかり書いていた、ばば。

じじとばばだけの、のんびりした日常が、ちょっとは変わった1週間。

もう、又元の生活に戻ったものの、未練タラタラな事が1つあるんだよね~

それはね、甥っ子3号君からの情報?

姉親子が、実家のお墓参りに行った時の事だけど・・・・

この日、ばばは同行していなくて、後悔しきりだけど。

1号君が帰ってくる数日前、姉親子は、お墓参りも兼ねて実家集落へ行って来た。

長姉(1号君の母)のお墓、姉の婚家のお墓、そして実家のお墓と

3カ所お詣りをするのだが、たまたま実家のお墓で、事件?は起きた。

お線香立ての砂を、替えるために、姉が砂の入った容器を持ち上げた。

容器は石の台の中央辺りにある穴の上に置かれている。

穴の中には浜砂がほぼ9分目辺りまで入っていた。

と、容器を置いてあった穴の上の方に、黒い物体が蹲っていたそうだ。

姉も、一応見はしたものの、そのまま湯飲みなどを洗い水を替えるため

水道の方へ歩いて行ったそうだ。

3号君は、黒い物体を???と思い、スマホで証拠写真をパシャリ!

イモリ?

その画像を、たまたま明日は都会へ戻るという晩の食事時、見せてくれた。

「何?これ!」画像を見たじじ&ばば、」大興奮!

「大きさはどの位あった?」

「容器を持ち上げた後、どこへ逃げた?」

等と矢継ぎ早に質問。

実際に、そのいきものをみた時間、姉は数秒かも知れない。

3号君も、そんなに長い間見てはいなかった。

姉が水道から戻り、盃にお酒を注ぎ、お線香を立てて2人はお墓を後にした。

その時に3号君が撮影した黒っぽい生き物、大きさは10センチちょっとくらいだったとか?

画像を見ながら「もしかしたら?これは新種かも知れない」などと大興奮。

外見上は、イモリかヤモリの仲間だろう。

画像では指が4本に見える・・・としたら、イモリかなぁ?

等々、胸が高鳴る。

その晩は、じじが、翌日は、ばばもネットなどで色々調べて見たが

同じような画像は見つけられず、名前も分からないまま。

何とか、実物を見たい!と、翌日は3号君を空港で見送って

その足で、実家のお墓へ向かった。

「どの位の確率で会えるかなぁ?まぁ、2%位かな」とじじ。

姉とばばも祈るような気持ちでお墓の前に立った。

そして、そ~~~っと線香入れを持ち上げた。

結果は????ざんね~~~~~~~~~~ん!

当たり前のことと言えばそれまでだけど、線香立ての下は蛻の殻。

それでも諦めきれずに、周囲の石を持ち上げてみたり、

ゲッキツの枝を見たり、植物の茎や根っこをじっくり見たり

ブロック塀の穴を覗いたり、探ったり。。。。。

いくら頑張っても、いない物はいなかった。

当たり前と言えば当たり前の結果だけど、じじ、かわいそう・・・・・

あの生き物正体は何だろう?

もしかしたら?ごくごくふつ~~うのイモリの仲間かも知れない。

写真で見る限り、表皮がデコボコ見えるし、尻尾は殻に覆われたような形で

キュッと尖っている。

時間が経ちすぎていて、実物を見つけることは出来なかったけど、

でも、今後お墓参りに行く時は、必ず線香入れを持ち上げるときは

気をつけて、下の砂の上をしっかり観察しよう。

もしも、もしもだけど・・・・奇跡的に遭遇できたら

何とか捕まえて、すぐビニル袋に入れてじじにも見せてみよう。

そんなことを思いながら、車に戻って帰宅していたら

3号君の乗った飛行機は既に鹿児島空港に着陸して

乗り継ぎ便を待っているところだと連絡があった。

そして、ばば達帰宅後暫くしたら「東京着きました」と。

3号君はスムーズに帰宅出来たけど、前日帰った1号君は・・・・

何と!滑走を始めた飛行機が大きく左右に揺れ、急停止。

その後、1時間以上かかって整備して、離陸。

勿論、鹿児島着も遅くなり、乗り継ぎに間に合わず。

同じ航空会社のチケットでは無かったので、何の補償も無し

ということで、再度別の会社のチケットを取り直し、

何とか、その日のうちに帰宅は出来たということで、ひとまずはホッとした。

いつ何と出会い、いつどんな出来事があるか?

人生一寸先は闇・・・・・

禍福もあざなえる縄のごとし。

諦めるときはさっぱり諦める事も大事。

今回、甥っ子二人から色々な事を学ばせて貰った気がするばばです。
















20年・・・

2020年02月27日 14時08分39秒 | 日常生活
2月27日(木)晴れ

今日の徳之島は、最高の天気です。

2泊3日と、6泊7日で帰省し、又都会へ戻っていった甥っ子達。

食事時になると、やはり「甥っ子ロス」の、じじ&ばばです。

甥っ子1号君は、20年ぶりの帰省という事もあり

2日目は、全島一周の前に、お墓参りをし、

今は更地となった実家や、祖父母の家を見たいということで実家集落へ。

ビックリしたのは、広い場所に車を止めて、集落内を歩いてみたいと・・・・

「おばさんも一緒に歩こうよ~」と言われ、3人で歩くことに。

集落の一番中心地で、幼い頃は子ども達の遊び場だった、元、「青年会場」前から

細い路地を通って、実家へ向かった。

歩きながら、日曜日には、小・中学生全員で集落内の道を掃き掃除したこと等話した。

そして、車も離合出来ないような細い道を実際歩いて

この道を、毎日車で通って、職場へ通勤していたんだなぁ・・・・とか

台風時には近くのお宅の庭まで入り込んで

風で吹き落とされたミカンを拾っていたことなど思い出したり・・・

ばばにとっても、貴重な時間だった。

今は土台だけになっている、1号君の実家、

雑草が伸びに伸びている祖父母の家(ばばの実家)を見て

1号君は何を思ったことだろう。

実家から「オロギバンタ」と言われる、海を眺める高台へ行った。

今は亡き父が、我が家の末っ子が音楽コンクールや、発表会で

船に乗って鹿児島へ行く際に、この「オロギバンタ」で狼煙を上げ

沖行く船に乗っている孫(我が家の三女)を見送ったことなど話しながら

又、車を止めた場所まで歩いて戻った。

途中、振り返って実家周辺を」写真に撮ったり、

実家周辺

ドラゴンフルーツの栽培されている畑を見たり・・・・・

そして、1号君が行きたいと言っていた「フンニャトゥ浜」へ。

少し波はあったけれど、甥っ子君達は大きな岩の上に乗ったりして楽しそう。。。。

フンニャトゥ

その後、少し先にある「黒畦」へ行き、砂浜を歩いたり

岩のトンネルを通り抜けた後、プリンスビーチへ。

そして、金見の「ソテツジャングル」や奇岩のある「ムシロ瀬」へ・・・・

次はばばがいつもドキドキする「犬の門蓋(インノジョウフタ)」。

何故ドキドキするかと言えば、行くのは良いけど帰りが

県道に出るまで迷ったこと多々だから。

今回は3号君がスマホの位置情報で教えてくれたが、

何と!狭い旧道を通ってしまって、狭い上、カーブが多く急な坂も多かった。

通るはずだった秋利神大橋も通り過ぎてしまっていて、又戻ったり。

犬の門蓋で東シナ海を眺めながら準備して行った、お握りでお昼ご飯。

風が強くて、落ち着いて食事も味わって食べられ無いくらいで残念!

食後、周囲を散策し、次の目的地犬田布岬へ。

ここでは戦艦大和の碑を見て、グルッと回って車に戻った。

あとは、喜念浜へ行き、砂浜を眺め、砂浜を散歩させられている闘牛を見たり。

と、闘牛と歩いていた女の子が「ばばちゃんですよね」と、いきなり声をかけてきた。

闘牛

(誰だったっけ?)と思っていると「私、○○の妹△△です」と自己紹介してくれた。

あぁ~ごめん!Sちゃんだった。

ばばを見かけると、良く声をかけ、挨拶してくれるSちゃん。

嬉しかったよ、ありがとう!

その後は1号君のホテル目指してまっしぐら、次いで3号君を家に送って

夜、又、じじの晩酌開始時刻に合わせ、集合することを約束し、ばばも帰宅。

それから、バタバタ魚屋さんに走ったりしたが、夕食の準備は、ほぼしなかった。

だって、昨夜の「巨大伊勢エビ」が、手つかずのまま残っていたから。

刺身と野菜さえタップリあれば大丈夫ということも前日で分かったし・・・

男性陣が晩酌をする間、ばばは濡れ縁で伊勢エビを焼いた。

・・・トースターでね。

晩酌の後は伊勢エビをガリガリ、ムシャムシャ・・・・

その後、午前零時前まで、甥っ子達とお喋り。

又々、1号君が、ばばの知らない色々な懐かしい思い出を話してくれ

笑った!笑った!

あぁ~1号君は、明日、又都会の喧噪の中に戻って行くんだな・・・・

ばばと13歳違いの1号君。

今回は「母の33回忌」ということでの、お墓参りを兼ねた帰省であった。

1号君から20年ぶりに見たら、故郷も人も大きく変わっていただろうね。

でも、じじやばば、ばば姉、3号君を実の家族のように慕ってくれ

本当に嬉しかった。

次はいつ会えるだろう?

2泊3日の短い時間だったけど、1号君と共有した時間は

ばばの「宝物」になりました!






「刺身」対「伊勢エビ」の対決

2020年02月26日 13時41分36秒 | 日常生活
2月26日(水)曇り

ここ数日、ブログをサボっていたが、今日から又再開です。

19日に甥っ子3号君が、22日に甥っ子1号君が帰省。

特に、甥っ子1号君は20年ぶりの帰省ということで

たった2泊3日の短時間ではあったが、島を満喫して貰おうと・・・・

22日最終便で帰省、そのまま我が家へ。

23日は甥っ子3号君とばば、1号君の3人で、お墓参りと徳之島一周。

24日はお昼の便で帰って行った。

徳之島滞在して、行動出来る時間は限られている。

20年ぶりの故郷への帰省、歓待してあげたい!喜んでもらいたい!

ばばの歓迎料理と言えば、先ずは豚骨煮と野菜や昆布の煮物が定番。

それに、お刺身と、時節柄、鍋物を・・・・

そして、サプライズとして伊勢エビ。

伊勢エビは行きつけのお魚屋さんに前もってお願いしてあった。

でもね・・・・規制前の電話で、1号君「豚肉とコンニャクだけは、全く食べられない」って。

ガガァ~~ン。

1号君は食べられ無くても、3号君は大丈夫だよなぁ・・・と

前もって準備はした。

満を持して迎えた22日、天気も良い!

3日前に帰省していた3号君が、空港へ行き1号君を迎え、ホテルに送り・・・

1号君は、荷物を置いて、汗を流したら、すぐ我が家に来て貰う事になっていた。

数十年前、何回か、我が家に来たこともあるので

ホテルからも近いし、スムーズに来れるかな?と思っていたのだが・・・・

同じ敷地内とは言え、今、ばば達は両親宅に住んでいる。

夜でもあるし、もしかしたら?家が分からないかも・・・と3号君が迎えに行ってくれた。

じじの晩酌時間に合わせ、1号君、3号君、姉・・勢揃い。

歓迎会開始~

お刺身や飲み物などを出し、奥の部屋から、ジャジャジャァ~~~ン

巨大伊勢エビの登場・・・・・

巨大伊勢エビ

優に30センチ越え。

1号君は「こんな大きい伊勢エビ!!!都会では見たこと無い!」とビックリしていた。

今回は、行きつけのお魚屋さんが、特別巨大伊勢エビを準備してくれてあった。

久しぶり、賑やかな食事。

1号君も島にいた当時の、姉、3号君、じじ、ばばとの思い出など

次々と話してくれ、爆笑に次ぐ爆笑で、座を盛り上げてくれた。

食卓を見ると・・・・・・・

豚骨や野菜などの煮物は全然減らない・・・・・

刺身は、どんどん食べてくれている。

1号君は刺身とビール以外、全然箸もつけていないよ~

3号君は野菜大好きだから、刺身と一緒に生野菜はどんどん食べてくれた。

9時過ぎる頃まで、喋って、食べて、飲んで・・・・

その後も楽しい時間はあっと言う間に過ぎて、11時回っていた。

じじが「明日の朝はパン食だけど、

良かったら1号君も、3号君も、うちへおいで」と声をかけたら

ふたりとも「はい!ありがとうございます」と。

しかし、最後まで伊勢エビには誰も手もつけず・・・・残念!!!

あぁ!ご飯も炊きたてだったのに・・誰も食べてくれなかったなぁ。

次の日は、全島一周を計画していたので、あまり遅くなってもいけないと

姉と3号君が1号君をホテルまで送り届けてくれ、ばばは後片付け。

せっかく準備した巨大伊勢エビ・・・・・・・・・1番のメインのつもりだったのに

新鮮な刺身とお気に入りのビールには負けた!

仕方が無いので、大きなビニル袋に入れ、自宅の冷蔵庫へ。。。。

残念だったね、伊勢エビ君。

でも、きっと、きっと・・・・・

悪いけど、一晩冷蔵庫で寝てちょうだいね。

家の前にパトカーが

2020年02月21日 13時49分17秒 | 日常生活
2月21日(金)晴れ

シラン

今日も穏やかな陽気の徳之島です。

庭の片隅にシランがひっそりと開花していました~

昨日夕方、買い物を終えて帰宅すると、家の前の県道にパトカーが。

そして、警察の方がしゃがんでいて、その横には小学生の女の子が2,3名。

何があったんだろう?

帰宅中の小学生が、車とぶつかって怪我でもしたのかな?

でも、パトカー以外に車も止まっていないけど・・・一体何が?

と思いつつ、普段よりちょっと車庫入れしにくかったけど車を入れ

自宅に戻った。

濡れ縁に荷物を置き、お隣さんへ渡すべき物があったので

声をかけ「うちの前にパトカーが止まっているんですけど、何かあったんでしょうか?」

と聞いてみた。

すると「小学生が何か側溝に落としてしまって、警察の人が一生懸命取ろうとしているけど

なかなか取れないみたいよ」と言った。

側溝の小さな隙間から、下に落ちた何かを取ろうとしているらしい。

「何か挟む物はあるんでしょうか?」と聞くと「知り合いが何か借りてきて、

渡したとか言っていたけど」と言う。

暫く時間も経っているようだったので、気になり、ばばも、家にあった「火バサミ」を持って

車庫へ走って行った。

暫く様子を見ていたが、なかなか苦労しているようだ。

火バサミを渡すべきか?どうか?迷いながら、道路を横切っておまわりさんの後ろへ・・・

しゃがむような形で、狭い隙間から必死に何かを取り出そうとしている。

何分経っただろう?

「取れた!」とおまわりさん。

側溝から取り出した物は、小さなキーホルダーのような物だった。

おまわりさんからキーホルダーを受け取った小学生の女の子は

「ありがとうございます」と頭を下げていた。

横に、女性のおまわりさんも来て「良かったねぇ~」って、女の子に声をかけていた。

結局、ばばは、火バサミを渡すこと無く・・・野次馬になってしまった?

必死に頑張っていたおまわりさんも、

ばばが持って行ったのと同じような火バサミを使っていた。

近所のどなたかが、どこからか借りてきたらしい。

一件落着で良かった!

小さなキーホルダー1個を、側溝の穴から取り出すために

お巡りさん2人、ご近所の方々が協力し合ったんだね。

ばば、思った。

あの、おふたりのお巡りさん、たまたま近くを通りかかって

小学生達が溝の所にしゃがみ込んでいるのを見て、助けてあげたのかなぁ?と。

まさか、キーホルダーを落として、パトカー呼ぶ事は無いだろうから。

おまわりさん、優しいなぁ・・・・とほっこりしながら家に戻り

じじにも話すことでした。

良い場面に行き会うと、心が穏やかになるね~














「誰に言ってるの?」って

2020年02月20日 14時16分27秒 | 日常生活
2月20日(木)晴れ

久しぶりに最高の天気の徳之島です!

つつじ

洗濯も出来たし、暫く欠航していた定期船も入港したし

良かった、良かった!

10時前後だったかな?じじが撮影に行く準備をしていると

「ブオ~~~~~」という定期船の入港を知らせる汽笛の音が。

「汽笛」と書いたけど、船の出入港時の「ブオ~~~」という合図、

「汽笛」という表現で良いのかな?と思った。

さぁ、定期船も入港したし、牛乳やパンが買えるぞ。

沢山の人達が一気に買いに行って、ばばが行く頃には売り切れとか無いよなぁ・・・

と思いながら、パソコンに向かっている。

去年あたりから、ばばは自分の記憶力の悪さを痛感している。

何かを置いた場所とか、今、何を取りに冷蔵庫の前に来たのか?とか・・・

毎日、同じような繰り返し。

あぁ~なさけない、なさけない。

じじは、ばばほどひどくは無いが、撮影に出かける前

カメラにカードを入れるのを忘れたり(たまにね)

どこかへ出かけようとして携帯を忘れて行ったり(数回ね)。

携帯なんか使うことは滅多に無いけど、

やはり、今時は持ってないと不安になるのかな・・・

過日、夜、じじは同窓会に行った時、携帯を忘れ

息せき切って・・・息も絶え絶えに全力疾走で戻って来たことがあった。

開会ギリギリ会場に戻ったが。

すぐ、ばばに連絡出来れば良かったけれど

連絡しようにも、携帯忘れちゃってたからね。

その後、又携帯を忘れて出かけたが、その時は車で出ていたので

気づいた時点ですぐ戻って来た。

ばばは、急に戻って来お他じじにビックリしたが

じじは「携帯忘れた!今日は車で良かったよ~」って。

だよね、全力疾走しなくて良かったものね。

ばばは「加齢せい」って、どこか他人事みたいに諦めているけれど

数日前、ある友人から聞いた話には笑った。

友人の知人の話。

その知人の方は、暗くなると少し視力が弱くなるらしい。

ある夕方、ある場所へ出かけたら、前方から誰かが歩いてきた。

前方から来た人が、どんどん自分の方へ歩いてくるので

ちょっと怖くなって、横によけて超丁寧に「こんばんは~」と

自分から挨拶をしたんだって。

そしたら、向かって来た人が

「誰にそんなに丁寧な挨拶をしてるんだ?」って言ったんだって。

自分の方に向かって歩いてきた人は「ご主人」だったそうで・・・

その後、大笑いしたそうだ。

大笑い出来ることだから、まぁ良いよね。

毎日笑って過ごせることは良いこと!だと思って

じじとばばも、娘に言われた「観客のいない夫婦漫才」を

繰り広げていこうと思っている。








今日はね・・・

2020年02月19日 21時28分11秒 | 自然のこと
2月19日(水)曇り

今日はね、嬉しいことがあるので朝からソワソワ。

夕方は空港まで行って・・・

夕食時、じじがとても嬉しそう。

なぁ~~ぜだ!

そう、じじとばばの大好きなH君が久しぶりに帰ってきた~

H君、数日ゆっくり出来そうなので、

帰省中に、楽しい思い出、いっぱい作りたいなぁ~

飛行機の到着を待つ間、干潟近くで鳥見をしていたら

知人のYさんも見えて、目の前にいる鳥の名前とか

クロツラヘラサギが、今どこにいるか等、色々教えて下さった。

寝姿山の、右側のグッと下がった部分は「天城岳」らしいが、その下の方に

こんもりした林が見えた。

その近くにいるらしい。

寝姿山

※この写真は今年1月に撮った物だが、白い建物の先辺りにらしい。

時間帯によっては、干潟周辺にも現れるかも知れないから

今月はあと3回ほど干潟周辺に行く予定もあるし

クロツラさん達と会えるかも知れない。

今日は、じじは留守番だったけど、じじの大きなカメラは車に積んで行った。

大過ぎるし、扱い方も全く分からないので、双眼鏡で干潟を見ながら

デジカメで名も知らぬ鳥を撮影していたが、

そこへ干潟の鳥たちのこと、カメラのことに詳しいYさんがいらしたので

Yさんが、じじのカメラを使ってキアシシギ?とか写して下さった。

・・・・と、思っていたのだが、何と!カメラにカードが入っていなかった!!!!

午前中、撮影に出かけたじじが、帰宅後取り出して、ブログの準備をして

そのまま机上にでも置いてあるのかな?明日出かけるまで。

せっかく撮影したのに、カードが入っていないって・・・大笑いしたけど

じじもたまにあるんだよね。

過日は、久しぶりに、アカハラと出会えて、張り切って撮影したのは良いけれど

いっざ、画像を取り出そうと思ったら、カードが入っていなかったって・・・

じじの落ち込み用は、半端なかった。

その後、何日もアカハラと出会えた近辺へ出かけているけど

未だに再開は出来ないって。

ばばも、じじのこと笑えないんだけどね、じじ以上にオッチョコチョイな事しでかすから。

出かける前に、きちんと準備しなくちゃね。

※今日は、あまりまとまりも無い文だね・・・って、いつもとりとめないこと書いているけどね。








我が家の課題

2020年02月18日 15時04分55秒 | 家族のこと
2月18日(火)曇り時々小雨

何なの?この天気・・・と言いたい、不安定な天気。

雲が重く立ちこめたかと思えば、眩しいほどの陽ざし、

「おっ!天気回復するぞ!」と喜んだら、ポツポツと雨粒。。。。

おまけに寒い!

昨夜は、いったんしまい込んでいたストーブを又、出した。

海も荒れ放題らしい。

鹿児島からの定期船が波が高く、もう、4日?5日?くらい入港していない。

早くても明後日か明明後日にしか入港しないかも・・・って

お店の方が話してくれた。

今日は、離島便の飛行機も欠航しているとか。

船の欠航が続くと、日常生活にも支障が・・・・

一昨日はお店にも行かず、昨夕行ってみたら、パンは無い、牛乳も無い、

生鮮食料品の棚もガラ空き。

もしかして?コンビニ行けばパンと牛乳が買えるかも・・・と

一縷の望みを繫いだが、顔見知りの店員さんが

「午前中ならパンが少しは残っていたのにね」って。

海が時化ると、離島で暮らす人々には即、影響がでる。

お米と調味料さえあれば、最低限何とか出来るけどね・・・・

あと2日は牛乳や生鮮食料は買えない。

朝がパン食の我が家では、食パンは、必ず予備を1袋は普段から冷凍しておく。

牛乳は無ければ、仕方ないと諦めるしか無い。

時化が収まるのを待つしか無い・・・・

2日ほど前から、又寒さもぶり返した。

昨夜は、夕食時、じじが「電気ストーブをつけよう」と言った。

ばばは、小さなストーブをお風呂場から持って来てつけた。

すると、じじが「もう少し大きいのがあっただろう」と言う。

えっ?記憶に無いんですけど・・・

もう1台、ストーブがあったっけ?

「色は何色?」と聞いたら、「これと同じような色だったよ」と言う。

それでも思い出せない。

ばばが持って来たのは、上下スイッチを入れても600ワットの温かさしか無い。

ヒートショック予防に、脱衣場に置いてあるのだ。

このストーブは、お風呂場でしか使ったこと無いと思うけど・・・

もう少し大きくて、赤っぽいストーブ・・・・・・・あったっけ?あったっけ?

ずっと考えていたら、突然閃いた!

そして、押し入れの所へ行き、扉を開けると

一回り大きな黒っぽいストーブがあるでは無いか!(じじ、赤っぽくは無いですよ~)

「あるでは無いか!」って、「これ、これ、ばば~、それ、そこに置いたのは誰ですか?」

って、神様に聞かれたらどうしよう?

確かに、今回の寒波が来る前に「もう使わないのに、出していたら邪魔!」っと

ばばが押し入れに持って行ったのだった。

ほんの数日前のことなのに、すっかり忘却の彼方の出来事で記憶から抜けていた。

「ごめ~~~ん」と言いながら、大きい方のストーブのスイッチを入れた。

湿度が低いから、加湿もしよう・・・・

使いながら、話した。

ストーブ

「ねぇ、このストーブって、私たちが買ったの?」とばば。

「風呂場の赤いのは娘達が小さかった頃、買ったんじゃ無い?」とじじ。

「じゃぁ、この黒いのは?」とばば。

「自分たちで買ったんじゃ無い?」と答えた後、

「もしかしたら?両親が買って使っていたかなぁ?」って。

本当に、ストーブ2台とも、いつ?誰が?買ったのかさえ覚えていない

遙か昔に買ったことには間違いないと思う。

娘達が小さかった頃って・・・・きっと、お風呂に入れて出した後

体が冷えないように、お風呂場の前とかで使ってた?

だとしたら・・・一体何十年前の物?

現在暮らしている両親宅1階ではクーラーとかが設置出来ない。

もし、するとしたら業務用の大きな物を入れるしか無いらしい。

でも、普段の生活空間と言えば、台所だけ。

わずか8畳くらいの部屋を暖めたり冷やしたりするのに、業務用????

考えられない。

無駄、無駄・・・という事で、夏は扇風機、冬は小さな電器ストーブのみ。

最近なら電気ストーブでも、もっと大きくて、高機能の製品があるはずだと思う。

それでもいつ買ったか、記憶にも無いストーブを使っている、じじとばば。

もしかしたら?倉庫に、あと2台くらい、大きめのストーブがあるかも知れない。

でも・・・・もう、今年は出さないと決めた。

今日のニュースによれば、鹿児島では「今日初雪が降った」そうだ。

まだまだ寒の戻りはあるだろう。

その時は、その時。

カイロや重ね着や、今のストーブで乗り切れるだろう。

暖房器具と言えば・・・・・

大きめのコタツもあったよなぁ、両親宅も、我が家も。

それも、リフォーム時、思い切って廃棄した。

じじとばば、じぃっとコタツに座っている時間は無いし・・と言うことで。

でもね、やはりコタツ1台は欲しいよねと言うのが、じじとばばの一致した意見。

食事の時、コタツで温まりながらだったら良いだろうなぁ・・・と思うから

テーブル式のコタツが良いな・・・と言いつつ、もう数年経ってしまった。

今の家で生活するようになって8年目?かなぁ・・・・

夏になれば、1階も冷房が出来れば良いのにねと思い、

冬になれば暖房があれば良いのに・・・と思う。

思うだけで、じじもばばも具体的に動かないから、全然変化無し。

夏の暑い日は、窓を全開にして扇風機を使えば良いし

冬に「暖房が欲しい」と切実に思う日は、何十日も無いから、

今のままで良いのかなぁ???とも思うけど・・・・

今後のことも考えると、「冷暖房問題」は、我が家の課題だな。























えっ?後、おもしろい

2020年02月17日 14時26分19秒 | 日常生活
2月17日(月)小雨時々曇り

「じじが、そろそろ帰ってくるかも・・・」と思い、台所でお昼の準備をしつつ

ラジオを聞いていた。

正午のニュースが始まった。

男性アナウンサーがニュースを伝えている。

手を動かしつつ、耳はニュースに集中。

と「ゴキブリに」というフレーズが4,5回。

「ゴキブリ・・・」

その前後の言葉を聞かなかったら????ってなるかな?

と、自分勝手に思いつつ「日本語って面白い」と思った。

アナウンサーが伝えていたのは「5期ぶりに・・・」と言うことだったが

字面だけで見たら、あの、にっくき害虫と同じ。

アクセントも違うし、意味の違いも、すぐ分かるけれど

たまに、日本語って面白いと思うばばだ。

昨日のブログで、「島われんきゃの祭典」に行って来たと書いた。

夕べ、寝る前に、教育長の開会の挨拶に出てきたエピソードを思い出し

じじに話した。

教育長先生が、小学生の頃のテストで

描かれた野菜の名前を書く問題があったそうだ。

きっと、国語のテストだったのかな?と推測したが・・・・

ある野菜の絵がふたつ描かれていたそうで、教育長先生は

1つの野菜の名前は「タマナ」と書き、もう一つの野菜の名前は「デンクゥニ」と買いたそうだ。

結果、担任の先生は2つの答えともに△をしてくれたそうだ。

問題にはキャベツと大根の絵が描かれていたんだなと

方言の分かるばばは、すぐ分かった。

キャベツのことは方言で「タマナ」、大根のことは「デンクゥニ」と言う。

答案用紙に方言で野菜の名前を書いたら、担任の先生は

勿論○は出来なかっただろうけど、×をせず、△をして下さったんだね。

何て、良い先生なんだろう?と思った。

現在の教育長先生は、ばばが初任で赴任した学校の卒業生で

ばばが在職していた当時、小学校4,5年生位だったかなぁ?

昨日のエピソードは、ばばが赴任する前の話かも知れない。

当時は、教員も島出身の先輩方が多かった。

だから、方言で野菜の名前を書いても○をつけてくれたんだと思う。

子どもの、方言の解答に×をせず、△をつけた先輩、

きっと答え合わせの時に、「タマナはキャベツ、デンクゥニは大根」

と、正解を教えたと思う。

この話をしていた時、じじが「僕も小学生の時

方言で答えを書いて×されたことがある」と言った。

「えっ?方言、何て書いたの?」と聞くばばに、「サーキーと書いたら×された」って。

「サーキー」とはね、「櫛」のことなの。

じじやばばの小学生時代は「方言をつかわないようにしましょう」という

教えが一番厳しかった時代だったから、

方言で答えを書いたら、即×だったのかなぁ?

だって、校内で方言をつかおうものなら、すぐ密告され

「わたしは ほういげんを つかいました」という札を

胸から下げさせられる時代だったから。

あんなに「方言をつかっちゃダメ!ダメ!」という時代から

今や「方言は大切な島の宝だから、どんどんつかって

未来へ遺していきましょう」ってさ。

島口

徳之島も島外から来て暮らしている人達も多いし

第一、島の人達でも家庭で方言を話すという人は極々少数だと思う。

今日もね、ある大先輩に電話をしなければならなかったので

かけたら、大先輩が標準語で答えた。

ばばが、方言で話し始めたら、大先輩も方言で対応して下さった。

お店や色々な場所で、顔見知りで島の大先輩だと分かると

くだけた話は、なるべく「島口で」と心がけているつもりだけど

ついつい・・・・ということも多い。

時代と共に、話す言葉も変わってくる事もあるからね・・・

今の幼い子ども達が島口が話せず、意味も分からないように

ばばは、今頃ばやりのカタカナ言葉は意味も分からないのが多いです。

仕方ない・・・・と諦めるべきかなぁ・・・と、弱気になっているばばです。












「島われんきゃの祭典」行って来たよ

2020年02月16日 17時42分11秒 | 日常生活
2月16日(日)小雨時々曇り

朝、小鳥の声で目が覚めた。

「ヒヨドリ?メジロ?でも、聞き慣れない鳴き声のようでもあるけど・・・」

と思いながら、小鳥が鳴くって事は、もう、7時過ぎ頃?と思った。

ラジオをつけたら、6時少し過ぎだったが

今日は、午前、午後外出予定なので、すぐに起きて階下へ・・・

じじが朝食に下りてきた時に「小鳥の鳴き声」の話題になり

ばばが寝床で聞いたのは、何の鳥だろう?と思っていたら

何と!じじが「目覚まし?代わり」に、小鳥の声を設定してあったそうで

島の野鳥の声では無く、じじも、鳴いている鳥の名前は知らないって。

なぁんだ~ちょっとガッカリもしたけど、

小鳥の声で気持ち良く目覚めたから、良しとしよう。

朝食を終え、じじのお昼の準備を少しだけして、9時前家を出た。

用事を済ませ、帰宅したのは、ちょうど正午頃。

ばばが、玄関で「ただ今~~~」と言ったら、じじが喜ぶこと!

「さては、まだ、食事の準備してないな?ばばにさせるつもりだな?」

と思いつつ、じじの様子を見たら、もう、食事始めてる~

えっ?それなのに、何故、そんなに喜ぶの?って感じ。

じじが、旅行以外で、ひとりで食事をするって年に何回もある事では無い。

やはり、ばばが正面に座っていた方が、嬉しいの?

まさかねぇ・・・・・・

ばばも、予想以上に早く帰宅出来たので、軽く食事をし

さて、お昼のお出かけ準備。

今日はね、昼から生涯学習センターで「第2回 島われんきゃの祭典」があったの。

島われんきゃ

「島の子ども達の祭典」っていうことで、小中学生が

島唄や島口(方言)で発表会をする。

去年も出かけ、子ども達が、普段つかい慣れない方言で劇をしたり

一生懸命発表をする姿に感動したり癒やされたりした。

今年は、どんな発表かな????ワクワクしながら出かけた。

しかし・・・・受付でプログラムを貰って、ちょっとショック!

だって、発表するのは、たった2校。

プログラム

プログラムも2つしか無い。。。。。。

内容は、神之嶺小学校と文化少年団による、

伝統芸能「あったら七月」と「五尺手拭」という出し物。

発表が始まる前に「あったら」って何?て、思った。

「勿体ない」という方言?それとも「カエル」という方言?

何故「あったら 七月」なんだろう?とか・・・・うぅ~~ん、分からない。

20名位の子ども達が法被姿で方言の歌詞?の唄を歌いながら

単調な動きを繰り返す。

あったら七月

ばばには、唄の題名の意味も分からないし、歌詞の意味も分からない。

でも、子ども達は難しい歌詞を覚え、中心で太鼓を叩く子を囲んで

唄いながら、数分間踊り続けた。

凄いなぁ・・・と感心しながら観ていた。

この唄と踊りは、集落の行事などで唄い踊り継がれているんだろうなぁ・・・・

続いて、プログラム2番目は亀徳小学校の5年生による

「秋津港の砂糖積み」という出し物。

秋津とは、現在の「亀徳」のこと。

現在も、徳之島の主要な港は「亀徳新港」。

島で作られた黒糖を「秋津港」から船に乗せて

島外へ送り出していたんだよね、昔は。

子ども達は、唄いながら、当時の砂糖を船に積み込む作業を表現していた。

砂糖積み

ばばの隣にいた、知人の話によると亀徳小学校では

5年生が、この劇をずっと引き継いで演じているとか?(学習発表会などで?)

今回は2校の発表だけだったので、ちょっと寂しい気もした。

各校区には、少しずつ違う言葉があり、郷土芸能もある。

児童数が減り、又、指導してくれる高齢者の方々も減って

郷土芸能や島唄、島口も廃れつつあるようで、本当に寂しい思いがする。

時代の変化という言葉だけで片付けて良いのかな?

今日発表してくれた、神之嶺小学校、亀徳小学校以外の学校でも、

各校区の伝統的な芸能や、方言などを学ぶ場や時間があり

地元の方達も、ずっと伝承していけば、一度学んだ子ども達は、

将来島を離れても、又帰省した時などに地元の大先輩の方々と一緒に

語らい、唄い、踊り・・・・・・・という事があるかも知れない。

そして、ずっと校区の宝として残していけるかも知れないのになぁ・・・・